農協おくりびと (29)開式まで、あと30分


 告別式の開始まで、あと30分余り。

ロビーに、予想をこえる数の弔問客が集まって来た。

大勢の殺到を予測していなかった受付の前に、早くも長蛇の列が出来ている。

当初の見込みと、大幅なズレが出てきた。

焼香担当のスタッフと返礼品の担当者が、青い顔で所長室へ飛んでいく。


 弔問客の集まりすぎは、葬儀場にひと騒動を巻き起こす。

告別式として予定されている時間は、何処の斎場でもおおむね1時間。

この時間のうちに告別式が終わらないと、この後に予定されている日程が

大幅に狂うことになる。


 焼香担当者が、香炉を増やしていく。

焼香が行えるのは、導師がお経を読み上げている読経中に限られる。

葬儀閉式後のお別れの時間帯や、出棺時などに焼香することは難しい・・・

ほぼ不可能といえるだろう。

したがって、読経がつづいている40分のあいだに、全員の焼香を無事に

終了させる必要が有る。

このあたりのやりくりが、焼香担当者にとっては悩ましい。


 焼香を始めるタイミングは、宗派や、お寺の作法によって異なる。

すぐに始められる宗派も有る。だが中には、閉式間近まで待機させる一門も有る。

極端な場合。10分ほどで焼香を終えなければならない場合もある。

本日の導師。弁慶の作法は、どちらかといえば後者に近い。

なかなか焼香開始の合図を出さないことでも、有名な人物だ。


 会館は1人30秒で、焼香のスケジュールを計算している。

いま祭壇の前に置かれている香炉の数は、5基。

5基の香炉に、30秒の焼香をしていくと、10分で100人がこなせる。

だが今日の会葬者の集まりは、斎場側の予測を大幅に超えそうだ。

500人が集まれば、時間内に終えるために25基の香炉が必要になる。


 政財界か、大物俳優の葬儀ではあるまいし、200名しか入れない会場に

25基の香炉を並べるのは、いかにも大袈裟過ぎる。

式が始まる前に導師の部屋を訪ね、早めに焼香を始める許可を取る必要が生じてきた。

これだけでも斎場側と、作法を重んじる導師の間の関係が険悪になりかねない。

まして今日は気難しいことで有名な、頑固住職の弁慶だ。

話がこじれた場合、機嫌を損ねるあたらしい火種になる。


 騒動は、帰りに香典返しの品を手渡す、引換所にも波及した。

香典返しの品は、ある程度の人数を予測して前日のうちにすでに手配してある。

だがこちらも、やって来る人数の思惑が見事に外れた。

250人から300人と思われた弔問客が、式が始まる前にすでに400人を超えている。

それでもまだ駐車場へ滑り込んでくる車が、あとを絶たない。


 (450人から、500人くらいまで集まるんじゃないのか、今日は・・・)


 見込み違いの発生は、式場のスタッフたちに、大混乱を招く。

所長以下、スタッフ全員が急場を切り抜けるため、全速力で会館内を駆け回る。

言うまでもなく葬儀は、故人を送り出すための大切な儀式だ。

失敗や不具合の発生は、断じて許されない。

まして「千の風になって」をめぐる意見の食い違いで、修羅場を演じるのなどは、

もってのほかだ。


 (うわぁ~、何処を見ても、四苦八苦の対応がはじまっています・・

 予想外の人の集まりに、親族まで対応が間に合わず、バタバタしています。

 とてもじゃありませんが、奥さんを説得するのは無理なようです・・・

 となると頼みの綱は、最長老のお爺ちゃんだけです。

 ワシに任せろとタンカを切っていったけど、この人数の中で姿を見失ってしまいました。

 大丈夫かしら。いったいどうなるのかしら、

 今日のわたしの初舞台は・・・・)


 バタバタと多くのスタッフが大あわてで走り回る中。

取り残されたちひろが、呆然としたまま通路のど真ん中に、ポツンとひとり

置き去りにされている。

 

(30)へつづく

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