農協おくりびと (28)ワシに任せろ 

 覚悟を決めたちひろが、遺族の部屋の前に立つ。

大きな深呼吸をひとつ。腹の底からすべての空気を吐き出し、あたらしい空気を

胸の中いっぱいに吸い込んだとき。

「なにやってんじゃ、お前は」背後から突然、聞きなれた声が飛んできた。

振り返るとそこに、キュウリ農家の最長老が立っている。


 「まもなく式がはじまる時間じゃろう。 

 遺族の控室あたりをウロウロしているということは、打ち合わせ上の不具合か?

 それともなにか、重大問題でも勃発したか?

 いずれにしても、軽い不祥事ではなさそうだな。

 おまえ、顔色が青いぞ。いつになく深刻な問題を抱えたようじゃのう」


 最長老の直感は、いつも以上に鋭い。


 「ワシが当ててやろうか。

 お前さんの悩みの源は、あの頑固者の弁慶(住職)じゃろう?。

 どうせ今回もまた、千の風を流すなと宣告したんじゃろ、どうだ図星か。

 隠すな。正直に白状せい」


 ずいっと、最長老がちひろの側へ身体を寄せてくる。


 「ふむ。おまえさんの黒い制服も、なかなかに似合うのう。

 亭主を亡くして悲しんでいる喪服姿の未亡人は、なぜか男の心をそそるというが、

 お前さんの黒いタイトスカートも、なかなかに男の気持ちをそそる。

 いひひ。たまらんのう、若い女の熟れた身体は・・・」


 「お、おじいちゃん。こんな時に悪い冗談を言っている場合ではありません。

 わたし。本当にこころの底から、困り果てているんですから・・・」


 「馬鹿もん。そのくらいのことは、とうに読めておる。

 あの住職は、駄目だと言い出したら、最後まで絶対に譲歩しない頑固者じゃ。

 去年だったかなぁ。やはりどこぞの斎場で、千の風をBGMで流したことが有る。

 焼香がはじまってまもなくの時じゃ。

 司会者が、故人が好きだったという千の風を、何気なく流した。

 ところが、それが間違いの始まりじゃ。

 あの頑固住職の奴が、読経の途中だというのに、血相を変えて立ち上がった。

 千の風を流すのなら、ワシはこれ以上経を読まんと、会場から出ていきやがった。

 導師が居なくなったことで、葬儀が途中で中断しちまった。

 会場内が、大騒ぎになったのをよぉく覚えておる」


 「当たり前です。導師が途中で退席したら、その場で葬儀が中断してしまいます。

 で。どうなったのですか、その、前回の顛末は?」


 「あいだに人が入り、繰り返し何度も説得したが弁慶の奴はカンカンじゃ。

 千の風を流す葬儀に、2度とワシを呼ぶなと捨て台詞を残し、帰っていきおった。

 同じ宗派の別の住職を呼び、その日は、なんとか残りの葬儀を終了させた」


 そうなのですか、やっぱりと、ちひろがガクリと肩を落とす。

(今回も同じ過ちになってしまいそうですね、あぁあ~・・・)と目を伏せる。


 「故人の奥さんは本堂で、千の風を熱唱したほどの実績の持ち主じゃ。

 しかし、代理で呼ばれた導師は、千の風が大嫌いな弁慶だ。

 しかもあいつは、葬儀を途中で中断させてしまったという前科まで持っておる。

 今日の葬儀は、絶対に無事に終わらないだろうと、興味津々で

 やじ馬どもが集まって来ておる。

 おまえ。いまだに、女房も弁慶も、説得できておらんのじゃろう?

 苦労するのう、今日のおまえさんは・・・おっほっほ。

 困ったときはお互いさまじゃ。ワシに秘策が有る。

 いいからお前さんは、予定通り、千の風を流す準備をしておけ。

 悪いようにはせん。

 ワシを信じてお前さんは、はじめての司会に専念しろ」

 

 ポンポンとちひろの肩を叩いてから、最長老がひょうひょうと去っていく。

(大丈夫なのかしら、ほんとうに秘策があるのかしら。

失敗したら、全員が大変なことになっちゃうのよ。あたしも、喪主の奥さんも、

弁慶と呼ばれている頑固住職も・・・)


 

(29)へつづく

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