農協おくりびと (27)弁慶がやって来た?

「えぇ・・・!!」ホールの真ん中でちひろの目が、まんまるになる。

ちひろが驚いたのも、無理はない。

目の前に登場した頑固住職はまさに、雲を突くような大男だ。


(武蔵坊弁慶が、導師の衣をつけて、わたしの目の前に現れた!。

 裸になったらきっと、阿吽の様な、屈強な筋肉の持ち主かもしれません・・・)


 阿吽は、山門を守っている金剛力士像のことで、弁慶は、義経につかえた忠義の僧だ。

金剛力士のような筋肉の塊が突然、自分の目の前に現れた・・・

はじめて見る頑固住職の実像に、ちひろが大きく息を呑みこむ。


 身長はかるく、190センチを超えているだろう。

眉は太く、まるでタワシのようにごわごわだ。ぎょろりと鋭く睨む両眼が、

山門を守っている阿吽(あうん)の像を彷彿とさせる。


 「お前さんか。今度来た司会者は。

 昨日、申し伝えた通り、BGMで千の風を流すのは御法度じゃ。

 だが、それ以外ならあとは、何を流しても構わん。

 北島三郎だろうが、千昌夫だろうがビートルズだろうが、わしは一向に構わん。

 だが重ねて言うが、千の風だけは絶対にいかん。

 1秒でも千の風を葬儀中に流してみろ。ワシはその場で即座に帰るからな」


 いきなり、先制の鋭いパンチが飛んできた。

「あのう・・・」と追いすがろうとするちひろを、住職が置き去りにする。

ドスドスと衣を揺らして歩いた住職が、そのまま控室へ消えていく。

「でも、あの、実は、喪主の奥さんが・・・」とちひろが言いかけた瞬間、

ドスンと大きな音をたてて、控室のドアが閉ざされた。


 (駄目だぁ・・・まったく聞く耳を持ちませんねぇ。金剛力士の化身さんは・・・)

ピタリと固く閉ざされたドアの前で、ちひろががくりと肩を落とす。

(八方ふさがりとはこのことだ。聞く耳をもたないどころか、取り付く島もありません。

絶望と言うのは、きっとこういう心境の事をいうんだろうなぁ・・・)

黒雲がドロドロと湧きあがり、雷鳴がとどろき、やがて大荒れの事態が到来することを、

ちひろが覚悟する。


 (仕方がありませんねぇ。強引に千の風を流すと、導師が気分を損ねて、

 本日の葬儀が中断してしまうと、親族に説明してきましょう。

 でも納得してくれるかなぁ。千の風が大好きだというあの奥さんが・・・)


 ちひろがトボトボと、重い気分のまま、親族の控室に向かって歩き出す。

難題は、解決の糸口さえ見つからない。

それどころか事態はさらなる泥沼化にむかって、着々と進行していく。

お互いの言い分が食い違ったままでは、やがて騒動がはじまり、途中で葬儀が

中断する可能性さえ生まれてきた。


 (まいりました。着任早々、ついていませんねぇ。

 所長は部屋へ消えてしまったし、スタッフも全員が持ち場に消えてしまい、

 わたしの味方は誰も居ないようです。

 なにがなんでも、自分の力で切り開けという事みたいですねぇ。

 ああ・・・誰かいないかしら、地獄で仏の救世主が・・・)


 しかし。なんど見回してもちひろの周囲に、助けてくれそうな人物は見あたらない。

初めてみる弔問客たちばかりが、ちひろの周りを通り過ぎていく。

それにしても、今日の弔問客たちの出足は早すぎる。

開式までまだ1時間余りもあるというのに、玄関とロビーに人があふれてきた。


 早めに来たオヤジどもには、楽しみがる。久しぶりに行き逢う、懐かしい顔との再会だ。

葬儀の場は、農家のオヤジどもが親交を深める場になる。

それを証明するかのように広いロビーのあちこちで、「よう。珍しいなぁ」とか、

「おう、元気だったか」と交わす挨拶が、はじまる。


 それほどまで、最盛期に入った農家は忙しい。

朝。4時前に起きると、収穫のためにビニールハウスへ飛んでいく。

暑くなると、植物たちの成長が早くなる。

キュウリやトマトは朝と夕方の2回収穫しないと、規格を超える大きさになる。

仏事でもない限り、収穫の手を停めることが出来ない日々が続く。

 

 40分前だというのに、早くも受付が始まった。

いつも以上に、弔問客が集まって来そうな気配が漂ってきたからだ。

葬儀に何人集まって来るのか、事前に察知することはできない。

訃報を知った人たちや、連絡を受けて人たちが、不特定多数という形で

故人のために集まって来るからだ。

 

 

(28)へつづく

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