農協おくりびと 26話から30話

落合順平

農協おくりびと (26)「千の風」は、夫婦愛のあかし

出勤早々。喪主の奥さんがちひろのもとへ飛んできた。

どこかで「千の風」が大嫌いな、頑固住職の話を聞きつけてきたようだ。

血相を変えた奥さんが、荒い息のままにちひろの胸にすがりつく。

 

 「どうなってんの、あんたっ。話がまったく違うじゃないの。

 千の風は、わたしと主人の大切な想い出の曲なの。

 癌で余命半年と宣告された主人が、あの歌のおかげで2年も生きられたのよ。

 この歌で送ってあげると、亡くなる前に固く約束したの。

 私が歌ってあげたいくらいのに、さすがにそれはまずいと周りに停められました。

 BGMで流すくらい、なんの問題もないでしょ!

 どうしても駄目というのなら、千の風が嫌いな頑固住職をキャンセルして、

 別の僧侶を呼んでちょうだい!」


 奥さんの怒りは止まりそうもない。

いまでこそ少なくなったがひと昔前は、あたりまえのように「千の風になって」

のメロディが、葬儀中の定番BGMとして使われていた。

ヒットから9年あまりを経過したが、相変わらず「千の風」の人気は根強い。

すでに市民権を獲得している「千の風」を流すなと言うのは、お寺側の横暴だ。

と喪主役の奥さんは、引きさがる様子を見せない。


 「主人と千の風になってを聞いたのは、9年前の大晦日。

 良い歌ですねぇって、2人で惚れ惚れ聞きました。

 この歌の通りになれるのなら、死ぬのなんか、ちっともこわくない。

 そんな風に2人で、しんみりと語り合ったのを覚えています。

 『朝は鳥になって あなたを目覚めさせる』『夜は星になって あなたを見守る』

 亡くなってしまった後も、愛する家族のそばに居ることが出来る。

 そんな風に思えば、死ぬのはこわくない、別れもちっとも寂しくない・・・。

 それからはこの千の風になっての曲が、わたしたちの一番大好きな歌になりました。

 苦しかった、闘病生活の3年間。

 主人はいつもこの歌をかたわらに置いて、元気をもらっていたの」


 奥さんが、クシャクシャになったハンカチを取り出す。

よほど泣いてきたのだろう。ハンカチはすでに涙で、ぐっしょり濡れている。


 「いったい。お経を読むだけの住職のどこに、そんな権限が有るというの。

 高いお布施も払っているし、お墓もちゃんと建てるつもりです。

 お墓参りにもいくし、無宗教になるつもりも有りません。

 ただ大好きだったこの曲で、主人に送ってあげたいだけなのに・・・

 それなのに住職が遺族の気持ちを理解しないなんて、あまりにも理不尽すぎます。

 どうしても駄目だというのなら、代えてちょうだい、住職を。

 チェンジよ、チェンジ。

 そんな横暴な住職は、こちらから願い下げです、チェンジです!。チェンジ!」


 奥さんは、遺族として拒否権を発動したいらしい。

しかし。ちひろの後方で様子を見守っている所長もスタッフも、渋い顔を崩さない。

新任のちひろは知るよしもない。

頑固住職の頑固ぶりは、このあたりの斎場ではきわめて有名だ。

言い出したら頑固住職は、絶対に立場を譲らない。

そのことを所長も、斎場のスタッフたちも、いやと言うほど承知している。

「万事休すだな今日は。だがこのままでは済まないだろうな・・・ひと波乱、きっと有る」

スタッフたちの渋い表情は、この先で何が起こるのか、だいたい予想がついているからだ。


 親族たちに支えられて、奥さんが渋々と控室へ戻っていく。

入れ替わるようにして頑固住職の車が、表の駐車場へ元気よく滑り込んできた。

気配を察したスタッフたちが、雲の子を散らす様に一斉にあちこちへ消えていく。

誰ひとり、ちひろの近くに残ろうとしない。

葬儀査定を胸に抱えたちひろだけが、ホールの真ん中へ取り残される。


 (何なのさ。みんなで急に姿を消して・・・

 わたしひとりで切り回せとでも言うのかしら、どうしょうもないこの非常事態を。

 でもどうすりゃいいのさ、この窮地を。

 頑固住職の説得なんて、ど新人のわたしには、絶対に無理ですからねぇ・・・)


 時は、すでに遅い。

玄関からコホンという頑固住職の咳ばらいが、ここまではっきりと聞こえてきた。



 

(27)へつづく

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