(第1話) 尊大で偉大な幼馴染


「…アレン、…」


声が聞こえる。

目の前にぼんやりとした光景が浮かぶ。

どうやら俺は声の主を見上げているようだ。

しかし、何を言っているのか、まるで声に霧が掛かっているように霞んでよく聞こえない。


何故か不安になって泣きそうになる俺に、声の主は手を差し伸べる。


「大丈夫…」


その手が俺の頭に触れようとして…



目が覚めた。


風が木々を揺らす音がかすかに聞こえるような、静かな朝だ。

眼前には、穏やかな風に揺れるカーテンの隙間から差し込む、燦々とした陽の光に照らされた机が映る。

その上に飾られた一つの写真が、光を反射して真っ白に塗り潰されていた。


夢を見た。

夢を見た、ことだけは覚えている。

しかし内容は全く思い出せない。

そんな時は決まって、寝覚めが悪い。

覚えてないのに、何故か胸の中を掻き回されたような妙な感覚だけがはっきりと残っていた。


子供の頃から時折体験するこの感覚には、16歳になった今でも慣れない。

しかし慣れないながらも、経験を重ねれば諦めはつくもので、俺は気だるい体を無理やり引きずってベットから降りた。


部屋で軽く身支度を済ませた後に、1階へと降りる。

階段を下りている途中、キッチンから包丁がまな板を小気味よく叩く音が聞こえてきた。

鼻腔をくすぐる良い匂いと共に、温かい湯気が立ち上っている。

その中心には、白いエプロンを着て白髪混じりの髪を結った後ろ姿が、備え付けられた4つのカマドの端から端まで並べられた鍋やフライパンの間を、まるで飛び跳ねるように動いているのが見えた。


そんな様子をぼんやり眺めながら階段を降りきった俺は、その後ろ姿に挨拶をした。


「おはよう」


「遅いよこの寝ぼすけ。あんたもちょっと手伝いな」


忙しなく動いていた体を半分だけ向けて、こちらを見ないまま言い放った後、またすぐ背を向けてしまった。

こちらとしては、挨拶ぐらい返して欲しかったのだが…

そんな事はお構い無しという風に、先ほどと同じように飛び跳ねる様に動いては、食材を次々と鍋に放り込んでいた。

どうやら今日の朝は特に忙しいらしい。


これ以上モタモタしていると何を言われるか分かったもんじゃない。

俺は早足でキッチンに入った。


「おはよう、エリアばあちゃん」


もう一度挨拶をする。

すると気持ちが急いているのか、若干早口に、


「あぁ、おはよう。あんたはこの野菜を切ってくれるかい」


と、調理の指示のついでながらも次は挨拶を返してくれた。


このエプロン姿の働き者が、俺の祖母のエリアばあちゃんである。


エリアばあちゃんはこの家の1階部分を使って営業している酒場「ダイト」を、40年以上切り盛りしている。

じいちゃんを早くに亡くしたエリアばあちゃんは、ずっとこの店と共に生きてきたらしい。


そんなエリアばあちゃんは、幼い頃に両親を亡くした俺を引き取ってくれた。

それ以来、俺はこうやって店の手伝いをしながら、2人で暮らしている。


「全く、老体には堪えるねぇ…」


エリアばあちゃんは目を細めながら、どこか恨めしそうに言った。


「ダイト」は俺達の住む町ではちょっとした有名店で、昼間はお食事処としても営業しているためか、常連客も多い。

しかしあくまで基本はエリアばあちゃんがひとりで切り盛りするごく小さな店なので、ここまで仕込みに手間取ることは滅多にないのだが、どうやら今日は開店と同時に団体の予約が入っているらしい。


横では見ているこちらが目が回るほどのスピードで手を動かしている姿が見える。

俺も、それに合わせて自然と野菜を切る手が早くなる。


そんな風に、朝から2人でちょっとした修羅場を迎えていた時、酒場の入口が勢いよく開かれた音が背後から聞こえた。


振り向くと、朝日を背にしたまま腰に手を当てて、ツインテールを揺らし仁王立ちをしている小柄な少女のシルエットが見えた。

逆光で顔の見えないその少女は、近所迷惑なのではないかと心配なほど、大きく良く通る声で言った。


「ぬぅ!アレン!来たぞ!」


顔は見えなくても、その声と尊大な立ち振る舞いで誰かはすぐ分かった。


「あら、ローズちゃん。おはよう」


「む、おばあさま!挨拶が遅れました!おはようございます!」


その後、お邪魔します!と再びよく通る声で言い、店内に入ってきたその少女は、どうやらいつもとキッチンの様子が違うことに気づいたようだ。


「おばあさま、何やらいつもよりお忙しいようですな!何かお手伝いしましょうか?」


「いいのよ、気にしなくて。もうすぐ終わるからね。それよりローズちゃん、朝ごはんまだかしら?よかったらアレンと一緒に食べて行ったら?」


「そうでしたか、それでしたらお言葉に甘えさせていただきます!」


少女はそのまま酒場のカウンターに座り、キラキラした目でこちらを見つめていた。


この元気の良い、変な喋り方の少女は、俺の幼なじみで同い年のローズだ。

ローズとは子供の頃から親交が深く、俺の事をずいぶん慕ってくれているのは分かるのだが、近頃は愛情表現が過剰になってきているようで…

思春期の男としては少し戸惑う事もあるというのが本音だ。

しかも最近は毎朝俺の家に来るようになり、こいつのお陰で我が家の朝はいつも騒がしくなる。


すでにカウンターで朝食を心待ちにしているローズの変わり身の早さに呆れていると、横のばあちゃんがカマドとオーブンを指さした。そこを見ると、カマドに並べられた調理器具のうちの一つに2人分のベーコンと卵が、オーブンには2人分のパンが既に準備されているのを見つけた。


相変わらず準備がいいなぁと感心しつつ、何も言わず2人分用意している辺り、すでにローズが来る事は当たり前の事として認識されつつあるようだ。

ちょうど手渡された野菜をすべて切り終えた俺は、その朝食を二つの皿に並べ、カウンターに置いた。

そしてローズの隣に座ると、彼女は


「アレン!おはよう!いい朝だな!私は朝からアレンに会えて最高の気分だぞ!」


と、満面の笑顔で言った。


「おはよう…お前はホント朝っぱらから元気だな」


俺は「いい朝」という言葉を聞いて、今朝の出来事を思い出していた。

お世辞にもいい朝ではなかったな…と思いながら、横の幸せオーラ全開な顔で朝食を頬張る少女を見ていると、そんな事はどうでも良く思えてくるから、少しだけありがたく感じる。

本人に言うと調子に乗るので絶対に言わないが。


そんなこんなで2人で朝食を食べ終えた頃、ちょうどばあちゃんも仕込みの佳境は超えたようで、慣れた手つきで自分の朝食を作っていた。


「それじゃそろそろ行ってくるよ。昼間手伝えなくてゴメンな、ばあちゃん」


「何言ってるんだい、私が何年この店をやってると思ってる」


ばあちゃんは鼻をフン、と鳴らし得意げに答えた。

ばあちゃんにとってはこの程度、修羅場の内に入らないらしい。

本当に何年経っても歳を感じさせない人だと、改めて感心した。



「それでは行ってまいります!ご馳走様でした、おばあさま!」


ローズは深々とお辞儀をした。


「はい、二人とも気をつけてね」


こんないつも通りの騒がしい朝を経て、俺達は家を出た。


俺とローズは今年から同じ学校に通っている。

町に繰り出すと、回りには同じ制服を着た人達がちらほらと見えた。

図らずもここ最近はローズのおかげで遅刻する心配も無く、自然の多い長閑な町並みを眺めながらのんびりと歩くこの時間を、俺は意外と気に入っている。


「なぁアレン!今日もいい天気だな!せっかくだから手を繋いでみるのはどうだ!」


「それ全く天気と関係無いだろ…」


こんな風にローズと取り留めのない会話をしながら並んで歩くのも、すでに日課となりつつある。

ローズは不服そうな目で俺を見つめるが、ただでさえローズの隣にいるのは人目を集めるのに、そんな事までしたらどうなるか、想像したくもない。


そんなことを考えていると、ローズは何か閃いたような顔をした。


「うぬぅ!もしかして照れているのだな?仕方の無いやつだなぁ!ほれ!ほれ!」


ローズは俺の手首から上をちぎり取るかのような勢いで掌を掴もうとしてくる。

そんな獲物を狙う猛獣のような動きに身の危険を感じた俺は、必死に抵抗したが、ローズはそれでもお構い無しという風に、更に躍起になって襲ってくる。


しかし、ローズが大きく振りかぶった手をかわした俺は、その反動で彼女がバランスを崩すのを見てしまう。

しまった、と思った時にはもう遅かった。


「…あら?」


ローズは勢い余って、こてん、とその場にコケて膝をぶつけてしまった。


やばい。

俺はその瞬間、とっさに身構えた。


直後、今まで歩いていた歩道の脇の茂みからガサガサガサっと大きな音がたち、そこからゾロゾロと立派な兜と鎧を着た数名の兵士達が、けたたましく金属音を鳴らしながら、ローズの元に飛んできた。


「姫様ぁ!お怪我はありませんか!」

「おい、早く手当を!」

「ここにあります!担架も用意しました!」

「アレン様!あれほど姫様を気を付けて見ていて下さいと言ったではありませんか!」


数名の騎士はそれぞれに次々とまくし立て、あれよあれよと言う間にローズを取り囲んでしまった。


「ぬぅ!お前達!私はちょっと転んだだけだ!怪我もしていない!大げさすぎるぞ!」


そうローズが弁解するも、聞いてないのか、聞こえないのか、彼女の発言は見事に無視され、ローズを急いで担架に乗せて運ぼうとする兵士たち。


その辺りを歩いていた人たちも突然の出来事に騒然とし、ちょっとした野次馬まで出来てしまう始末だった。普段はのどかな街の一角は、今朝とは違った意味の修羅場と化してしまった。



…そうなのだ。

ローズはただの俺の幼なじみではない。

ローズはこの国の、俺達の住む王国の、たった1人の王女様なのである。



2話に続く…

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