ゴミ箱のなか

@Q-i

第1話

わたしの部屋にはワンルームに不釣り合いな、大きなゴミ箱がある。

蓋付きのバケツだがもっぱらそれは生ゴミではなく缶やビンを入れるために使っている。

それすらも、ままならないというのが現状だ。




嫌なことがあった日だけ、ビールを飲む。元からあまり好んでいるわけではないせいか、味以上に苦い気がしてならない。これでは普通の楽しい飲み会でビールを飲んでもこの記憶と繋がって嫌な気持ちになるのではないかと思えてくるほどだ。

空になった缶を持って、狭い台所を通る。

玄関先に置いたゴミペールの蓋を開けると。


「よう」


男がいた。

もう驚きもしない。以前、付き合ったことがある彼氏だ。だが今はもう彼氏でもなんでもないし、そんなところに男を飼う趣味もない。

初めて見たときは驚いた、のだろう。

あのときはしたたかに酔っていてあまり記憶にない。

翌日、捨てようと開けたときにはそういえば居たんだっけと思うくらいに馴染んでいた。


「元気ねえなあ。 腹減ってるんじゃないのか?」

「減ってないよ。大丈夫」


妄想だか幻覚だかの、本来ゴミ箱になんか入りきるはずのない百八十センチある彼に話しかけるのもきっと無駄なのだろうけれど、話しかけてくるのだからと言い訳して答える。

こうしてわたしのことを気にかけてくれるひとがいると思っておきたいのだろう。悲しいことだ。


「ひとみの大丈夫は信用ならねえからなあ。何しろあんだけマズいお好み焼きを自信満々に」

「うるさいよ」


ゴミ箱の蓋を閉めれば中からひどいと詰るくせに快活な笑い声が聞こえた。

ビールの缶はもう手元にない。覚えていないが、きっと捨てたのだろう。



つまりは、そういうことだ。



わたしの頭はとっくにおかしくて、ゴミ箱の中に居もしない知人の姿を見て、ゴミを捨てたかどうかも覚えていないほどに記憶障害を起こしている。

そんなわたしが仕事をするなんてひどい冗談だ。こんなやつに任せるなんて失敗しろと言っているようなものだ。

わたしは斯くして自身を嘲りながら、しかしおかしいなどと思われたくなくて、仕事をして、同僚と笑っている。

普通だと、わたしはなんの脅威でもありませんと偽って。



ミスをしたときは、ビールを一本。

注意された日はアイスを追加。

そんなルールに則って、ビールを空にしてアイスも食べた。

ゴミ箱を開けるとそこにはわたしを見上げる男がいた。


「今日は好きなの売ってなかったのか」

「よく覚えてるね」


アイスの袋を見て言ったに違いなかった。わたしがあまり好んで食べない棒アイスだったからだ。


「買って行ってやろうか」


そのなりで。

どうやって。

馬鹿みたいだ。

これは幻覚で妄想で幻聴でわたしの弱さが生み出した嘘なのに。


「買って、こっち来てよ。トモ君」


そんなことを言ってしまった。

ああ馬鹿みたい、馬鹿じゃないか。

蓋を閉めればもう音も聞こえない。ビールの缶はやっぱりいつの間にか手の中から消えていて、わたしはやっぱり頭がおかしい。

何もかもが嫌になってきて、ぼたぼたと涙が勝手に落ちてくる。

すごく八つ当たりしたい。

なのにゴミ箱はうんともすんとも言わなくて、わたしの中にぐるぐるとしたものが渦巻いたままで、真夜中に買い食いするために動くのも億劫だ。

涙が流れるままに、しばらく玄関で寝そべっていると。


携帯が震える音がした。

のそのそと這いずって、確認すると。


「なん、で」

「買って来いって言ったのひとみだろ?」


寝てなくて良かった、と男、いいやトモ君が笑う。

ゴミ箱じゃなくて、百八十センチの。

わたしを見下ろす彼が、玄関に立っていた。


「ちょうどこっち来ててさ。

それで、仲直りしたかったから」


コンビニの冷たい袋が渡される。

中身は、わたしの好きなカップアイス。


「……どうして」


あれはわたしの妄想だったはず。

おかしくなったわたしの願望じゃなかったのか。

そんなことを思っているわたしの横を、靴を脱いでトモ君は勝手に上がり込んで、言った。


「時々、頭にビールの缶が当たるんだ。そしたらひとみの声が空き缶から聞こえてくるんだよなあ」


声が聞こえている間は持っているけど、聞こえなくなった空き缶はゴミ箱に捨てているという。

そんなことあるわけない、と言いたかった。

わたしはさっきの空き缶を確認する。

さっき捨てたはずの空き缶が見当たらない。


「ずっと泣いてるのが聞こえたから捨てられなくて。もう捨ててもいいよな?」


わたしが飲んでた銘柄の空き缶を、トモ君が持っていた。


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