第34話 DAY.60 Answer
眠ったという実感を持って目を覚ましたのが、ひどく久しぶりな気がする。
小さく柔らかい感触が左手を包んでいる。横になったまま隣を見やると、数十センチほどの距離にナズナの寝顔があった。
一応断っておくが、やましいことは何一つしていない。睡眠中の魔力の生成時に、同時にナズナからの魔力の供給を行うことで俺の負担を軽減することが目的だ。
寝る前に受けた説明によれば、まず俺が眠りにつき、魔力の生成が始まったところでナズナが魔力の供給を始めるらしい。
あとはわずかでも肉体的接触があれば、ナズナが眠っても自然と魔力が俺に流れるようになるそうだ。この左手はそういうわけなのである。
ナズナは始め、使った分の魔力全部を寝る前に供給すると言ってきた。でもそれではいくらなんでも面目ないのでせめて半分と言ったらこの方式を提案された。
おかげで夢の中での苦痛は半減。森の中で一度十分な魔力の供給を受けたため、起きている間の幻覚もなくなった。これでちょっと夢見が悪い程度の普通の生活に戻ることができたというわけだ。
すっかり頭も冴えたので、起きようと左手にからむナズナの細い指を解こうとする。しかし、たおやかな指からは想像できないほどがっちりと握られていて全然解けない。
……しかたない。
ナズナが昨夜、何時に眠れたのかもよくわからない。無理にはがして起こしてしまうのは避けたい。ナズナが起きるのを待とう。
あまりもぞもぞ動くと起こしてしまうかもしれない。そう思って動かないようにしていると逆、にそわそわしてきてしまう。ナズナと手をつないで同衾しているという状況もまた、落ち着かなさを助長している。
「……ん、うぅ」
そうして丸一日とも思えるような数十分を過ごしたのち、ようやくナズナが目を覚ました。寝ぼけ眼を瞬かせて、目の前にいる俺を見つめる。
「な、ななななんでユウト!?」
「いや、ほら……」
「夜這い!?」
「もう朝だからな」
「じゃあ朝這いだ!」
そういう問題じゃない。
「ち、ちょ、ちょっと待って! ちょっとだけ待って! 髪ボサボサだし、もし目やにとかついてたら恥ずかしくて死んじゃうし!」
バタバタと髪を手櫛ですいたり、赤くなった顔を隠したりと落ち着きなくベッドの上を跳ねまわるナズナ。
「えっと、えーと……一応下着の方はもしものことを考えて昨日ちゃんと選んだし……って、うん?」
昨日のことを思い出したらしいナズナが、腰を浮かしかけた奇妙な姿勢のまま固まる。そしてようやく合点がいったようで、とすんとベッドに尻もちをついた。
「ええと、その……」
苦笑いを浮かべて頬をかく。
「おはよう」
「う、うん。おはようございます」
ばつの悪さからか、敬語で言ってちょこんと会釈するナズナ。
「よく眠れたか?」
「全然問題なかったよ。ユウトこそ、少しはよくなった?」
「ああ、久々に快眠だったよ。さすがはナズナ」
「ふふ、いっぱい感謝してくれていいんだよ?」
いくら感謝したってし足りないから、感謝の気持ちはこれから行動で示していくことにしよう。といっても、その分また感謝しなくちゃいけないことが増えるだろうから堂々巡りになりそうだけど。
それよりも、言わなくちゃいけないことが俺にはある。
「なあ、ナズナ」
「何?」
「昨日さ、バタバタしてて結局ナズナの告白に答え出してなかったよな?」
「え? ま、まあ……うん、そうだね」
そのときのことを思い出してまた薄く頬を染める。
「今答えてもいいか?」
「え、今? いや、別にそんなに慌てなくてもいい、というか、昨日のは私が言いたかったから言っただけで、そんなかしこまったものでもないから、答えるとか、そんなに堅苦しく受け止めなくてもいいんだけど……」
目を白黒させて、しどろもどろになりながら言う。確かに、ちょっと唐突なのはわかっている。それでも早く伝えたいんだ。
「いや、ちゃんと言いたいんだよ。普段の調子に戻ってからだとうやむやにしちゃいそうな気がするし」
「……わかった。聞かせて、ユウトの気持ち」
ナズナは正座して背筋を伸ばし。髪を手櫛できれいに整えた。
「……そんなにかしこまられるとやりづらいんだけど」
「し、しょうがないじゃん! 緊張するなって言う方が無理だよ! そもそもユウトがあらたまって返事するなんて言い出すからこっちもかしこまっちゃうんだよ!」
「それはまあ、確かに」
自分の本心を伝える機会なんてこれまでまったくなかったから、俺も心の準備が必要だったんだ。そういう意味ではナズナのことは言えないな。
「はい、じゃあやり直し!」
ナズナはそう言って、やや前のめりになっていた姿勢を再び正した。俺も咳払いを一つ挟んで仕切り直しを図る。
一瞬の静寂。お互いが黙りこみ、外を飛ぶ鳥のさえずりだけが響いている。
「えー、その……俺は――」
「――ストップストップ! ちょっと待って! 無理! 緊張しすぎて窒息する!」
ナズナが胸に手を当てつつ、はあはあと荒い息をつく。落ち着いたかと思えば、深呼吸をしたり伸びをしたり腕を回したりしだして、何かものすごくハードな運動の直前のような振る舞いだった。
そんなナズナを見ていたら、俺の方は緊張がほぐれてきた。
「うん、いいよ。どんな答えでも受け止める……ように頑張るから」
なんとなく頼りない感じの決意を聞き届けると、俺は改めて口を開いた。
「俺は――」
ナズナの方はまた徐々に上体が前のめりになり始めている。思わず苦笑しつつ、俺は嘘偽りも迷いもない本音を打ち明けた。
「ナズナのことが好きだ」
俺が言うと、自分の耳が信じられないというように首を傾げた。
「……今、なんて言った?」
「ナズナが好きだ」
「……私、ナズナだよ?」
「知ってるよ」
「……美人でナイスバディなのはユリの方だよ?」
ふざけている風でも冗談を言っている風でもなく、本気で俺が名前を間違っているんじゃないかと言いたげな表情だった。
「なんだそれ。ユリが好きだって言うと思ってたのか?」
「うん」
即答だった。
「だ、だって征伐部隊の隊員の人が話してるの聞いたよ? ユウトとユリの連携は長年連れ添った夫婦みたいだって。それにほら、結婚の噂だってあったし……」
「だからそれはユリの親戚が吹聴して回ってただけだから」
「でも実際、訓練してるときの二人見てたら全然割って入る余地ないくらい息ぴったりだったし……。だいたい、ユウトが戦ってる間のほほんと帰りを待ってただけの私なんかより、何度も一緒に死線をくぐってきたユリのこと好きになるのが普通だよ」
「いや、それは……」
「ユリの方が美人だし、背も高いし、脚も長いし、胸も大きいし、エッチな話題にも寛容だし、お金持ちだし、胸も大きいし……」
今、胸大きい二回言ったな。
「ナズナだって可愛い。十分魅力的だ」
「――うぐ」
顔を真っ赤にして言葉に詰まるナズナ。
……なんか勢いで言っちゃったけど、今俺わりと恥ずかしいこと言った気がする。
ええい、もうこうなったら仕方ない。羞恥心なんて捨ててしまえ。
「ナズナは天才だし可愛い。そうだろ? いつもの自信はどうしたんだよ」
「そ、そうだよ。私だってすっごく魅力的なんだから。でもほら、ユウトはものすっごく鈍いからさ。私の魅力に気づかなくってもしょうがないかな、って思ったんだもん」
「はあ……」
思わず大きなため息が出た。俺には自分を大切にしろって言うくせに、自分は自分のことを徹底的に卑下するんだもんな。ずるいやつだよ。
「あのな、俺とユリが一緒に戦ってたからどうのって言うけど、俺はいつも戦うときナズナのことばっかり考えてたんだ」
「え? どういうこと?」
「あの人が助からなかったら、あの人が傷ついたら、あいつが死んだら、ナズナはどんだけ悲しむだろうって。俺も自覚したのは最近だけど、いつもナズナを悲しませたくないって思いながら戦ってた」
ナズナは俺の言葉を聞きながら目をパチクリさせている。
「なんでそんなに、私のことを……?」
「なんでって言われてもな。ナズナは俺の体を治して、新しい人生を与えてくれた。いつも誰かのためになるようにって、純粋に頑張ってた。俺の独善的な目標でさえ、笑わずに応援してくれた。そんなやつのことを、なんとも思わないわけがない」
ナズナが言ってくれたのと同じことだ。俺はナズナの持って生まれた容姿や能力じゃなくて、その高潔で慈愛に満ちた心根が好きになったんだ。
「だから、俺がナズナのことを好きになっても何もおかしくなんかないんだよ」
ナズナはしばらく口を半開きにしたまま固まっていたが、やがて桜色の唇にかすかな笑みを浮かべた。
「そっか。そうなんだね」
「そうなんだよ」
ふふふ、と笑い声を漏らすナズナ。
そう、そうやって笑うナズナが俺は好きだ。
自分の喜びも、他人の喜びも、ただただ純粋に笑って喜ぶことのできるナズナが好きだ。
だから俺はナズナを幸せにしたい。ナズナの愛する人たちすべてを幸せにしたい。ナズナを、みんなを笑顔にしたい。
そしてそんなナズナの笑顔を、いつまでもすぐ近くで見ていたい。
「ねえ、ユウト。一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
ナズナは恥ずかしげにうつむくと、おすおずと切り出した。
「その……もう一回、改めて告白の答えがほしいな、なんて。さっきは不意打ちっていうかいうか、好きって言ってもらえると思ってなかったから、嬉しさをちゃんと味わえてなくて……」
「ま、まあ、それくらいなら別に……」
正直照れるけど、たった今ナズナを笑顔にするとかなんとか心の中で決意したばっかりだから、断るわけにもいかない。
「じゃあ、言うぞ」
「うん」
さっきと同じように妙な緊張感の中、姿勢を正して向かい合う。一度はっきりと口に出したおかげか、今度はスムーズに言葉を紡ぐことができた。
「ナズナのことが、好きだ」
「うん、私もユウトのことが大好きだよ」
ぱっ、と花が咲いたような笑顔で、ナズナはそう応えてくれた。胸の中で心臓が大きく跳ねるのを自覚する。
……くそ、今度はこっちが不意打ちされた。
そんな風に大好き、なんて言われたらこっちが笑顔にさせられちゃうじゃないか。それも、とびきりだらしない笑顔に。まったく、本当にナズナは天才だな。
美しい朝の日差しが差し込む部屋の中、それに負けないくらい眩しい彼女の笑顔は、これから待っている楽しくて幸せな日々を予感させてくれた。
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