第32話 DAY.59 破滅の代償に知る
「――《強化》ッ!」
死人がゼロ人と一人じゃまったく違うが、一人と二人ならたいした違いはない。
それなら俺一人の命程度がチップでいいなら、分が悪かろうと賭けに挑んでみるのも無意味じゃない。
……でも、なぜ俺は戦うことを、ローグを救うことを選んだんだろう。
ガルアドロフを葬ったというサラマンダー。それを打倒すれば何かが開けるという幻想にとらわれたのか。
あるいはうっかりローグの身の上話を聞いてしまい、尊敬する義父の死の真実を明かせないことへの贖罪の念によるのか。
それとも――。
いや、今はそんなことはどうでもいい。俺が戦う理由、俺が何を求めているのかなんて考えている余裕はない。ただ、目の前の敵を倒すことだけに、否、倒せずともいいから退路を切り開くことだけに集中しなくては。
跳躍距離は約五メートル。踏み出した足が着地するまでの一瞬、改めて敵の姿を視界に収める。
距離は三〇メートルほど。サラマンダーの周囲の空間がゆがんで見えるのは、やつがまとった炎のせいか、あるいは濃密な魔力による瘴気のせいか。
何が通じるかはわからないが、少なくとも氷魔術は役に立たないだろう。火柱がどういう攻撃かはわからないが、死角にはいれば避けられるかもしれない。
まずはとにかく懐に潜り込もう。早くしないとローグが保たなくなる。
「《風魔式手刀型両断術》!」
着地した足でさらに距離をつめるべく一気に十五メートルほど跳ぶ。直後に背中を焦熱が焼いた。おそらくかすってもいないが、強化された体が軽いやけどを負うほどの熱量。
思ったより反応が早い。一瞬でも止まれば消し炭になる。
大地を蹴り左方向へ直角に方向転換。切り返した地点の目の前ですぐさま火柱が上がった。少なくともこちらの動きを予測する程度の知能はあるらしい。
横目でローグの方を確認する。相変わらず火柱は上がっている。さすがに一度に二つは出せないなんて都合のいい話はないか。
念のためもう一つ確認の一手。
今度は跳ね返るように元来た方、つまり向かって右手へ戻る。火柱は元の進行方向ではなく、サラマンダーへの進路を遮るように上がった。
意図はわからない。単純に俺がやつの方へ向かうと予測したのか。それならいいが、もしとにかく近づけないようにして俺の体力の消耗を狙っているということなら想像以上に面倒な相手ということになる。
それならば――。
右足で着地。そのまま進行方向にそのまま小さく二メートルほどのステップ。敵がこちらの動きを予測して攻撃している可能性を考慮して、同じ動きはとらない。
すぐ左斜め後ろ、つまりまたサラマンダー方向に火柱。左半身がなくなったかのようなすさまじい高熱を浴びる。
しかし小さくステップして着地点からずれたため、火柱は俺とサラマンダーを結ぶ直線から外れている。
「――ふッ!」
彼我を隔てる残りの約十五メートル。これを一足で詰める――。
火柱の脇をすり抜けるように、左腕を熱に溶かす覚悟で駆ける。ギリギリ間に合う。そう確信した直後に全身を怖気が襲った。
サラマンダーの口部に赤いきらめき。視認したときにはそこから猛火が吐き出されていた。一瞬で視界を埋め尽くす魔炎。
――飲まれる。
このままでは着地した瞬間、業火の波に飲み込まれる。なんとかあがこうと、最大の防御と最速の後退のためありったけの魔力を強化魔術に注ぐ。
死を覚悟しつつ地を踏みしめる。
――その瞬間、目の前に透き通った壁が現れた。
それは炎を受けて一瞬で霧消したが、俺が離脱するための隙を作るにはそれで十分だった。
「くっ!」
加減なしの跳躍。火柱はかわした。しかしこの勢いだと着地直後は反動で一瞬動けなくなる。そこを火柱で叩かれれば結局やられる。
絶望的な状況に内心で舌打ちしたそのとき、視界の中にあった俺の腕が消えた。
いや、消えたのは腕だけじゃない。全身だ。首から下見渡す限り体が完全に不可視化されている。しかし風を切る感覚は変わらず全身にある。これは、つまり……。
着地は火柱に飲まれた防壁の右後ろ数メートル。顔を上げてサラマンダーの方を見据えると、十数メートル先に着地直後の俺の姿があった。それは俺の代わりに火柱の餌食となり、跡形もなく消滅した。
俺を守ってくれたのはユリの防壁と、カズラの幻影。
……二人とも逃げてなかったのか。
ちょうど防壁を包んでいた火柱が途切れ、内側があらわになる。しかしそこにあった三人の姿は、もはや満身創痍と呼ぶべきものだった。
ローグは肩を大きく上下させながら荒い息をつき、ユリは苦悶に表情を浮かべながら膝をつき、カズラに至っては地面に横たわっていた。
想像を絶する高温で体力を急速に奪われ続けている体で、魔術を行使しているせいだ。
強力な攻撃に耐え続けるローグはもちろん、ユリも一瞬とはいえサラマンダーの攻撃を防ぐ防壁を遠隔で張った。カズラはおそらく幻影の他に、火柱を透かして俺の状態を見るため透過魔術も使ったはず。みんな、精神的にも肉体的にも疲労の極致にある。
「なんで……」
思わず口からそんな言葉がこぼれた。
なんで、そうまでして俺を助けてくれた?
「もう、これ以上は……」
絞りだすように言ったローグが膝をつく。防壁の存在感が一段とあやふやになる。
「逃げ……て……」
乾いてかすれた、糸のように細いユリの声が聞こえた。
……わからない。わからない。
俺が生き延びてどうなる。俺が死んだからなんだっていうんだ。所詮はよそ者。元いた場所にもここにも身寄りはない。
そりゃいくらか一緒に過ごした分ナズナやユリは情が移って少しは悲しいかもしれないが、一月も経てばきれいさっぱり忘れられる。
それに比べてどうだ。ローグに奥さんがいるし、ユリには家族がいる。カズラには幻影魔術師の仲間が、アザミがいる。みんなが死んだらものすごく悲しむ人がたくさんいるじゃないか。
特にナズナは、ユリが死んだらどれだけ悲しむことになる? ただでさえ人の死に対して度を越して胸を痛めるのに、もしも親友の死を目の前にしてしまったらどうなる?
俺は逃げ延びて、ナズナのそんな顔を見るのか?
――ああ、いやだ。
ナズナの悲しむ顔は見たくない。俺に新しい命を与えてくれた恩人。誰よりも才能にあふれた魔術師。いつも優しく俺を気遣ってくれる女の子。
ナズナを悲しませたくない。ユリに死んでほしくない。カズラに夢を叶えてほしい。だから、何が何でもあいつを倒さなくちゃいけない。
一人死のうが二人死のうが変わらない。さっきはそう思った。
だけどそれは違う。ナズナにとってユリは他の人間何万人にも代えられない唯一の存在だ。その命と引き換えにできるなら、俺の命にも少しは価値があったといえるかもしれない。
ここで四人が死ぬことと、俺だけが果てることではあまりに大きい違いがある。
覚悟は決まった。それと同時、俺の体が色を取り戻した。カズラが幻影魔術を維持できなくなったようだ。
不思議と心は凪いでいた。大きく息を吸い込んで敵を見据える。
「全部もってけよ。ぶっ壊れても、構わずもってけ」
全身が巨大な心臓になったかのように大きく脈打つ。背中の魔法陣が、普段の何万倍にも赤熱する。末端から背中に収束するように感覚が消えていき、理性もかき消えていく。
残ったのは決して砕けぬ鉄の体と、敵を打討ち滅ぼすという鋼の意志のみ。
軽く撫でるように地面を蹴り、まばたきする間に敵に肉薄。
距離五メートル。俺を視認したサラマンダーが口に猛火をたくわえる。
「《
静かに唱えると、心臓が一つ鳴るより早く全身を氷が覆った。分厚く、魂の芯まで凍てつかせるような冷たい氷の鎧。
サラマンダーが魔炎を吐きつける。凍りついた俺の体を尋常ならざる炎が包む。じわじわと氷が溶けていく。しかし溶けきるよりも早く再び凍っていく。
俺はそれを愉しむかのように軽やかに歩み、サラマンダーの目前に立つ。火炎の放射が途切れると同時、機械的に肺へ酸素を供給する。
腰を落とし、片合掌を哀れなる敵に向ける。その差し出した右手に、大気が渦を巻いて集まっていく。
「《
再びサラマンダーが炎を吐くと同時、俺は片手を地面へ向けて振り下ろした。
駆ける疾風。炎の波を割り、サラマンダーの頭に届き、瞬く間に尾まで至る。なおも勢いは衰えず、先に居並ぶ木々をなぎ払い地平の果てに消えた。
大蜥蜴は真っ二つに割れ、体の左右それぞれが地に伏す。
サラマンダーが倒れて開かれた視界の中、魔風が切り開いた道の先に何もないことをこの目で認めたのを最後に、俺は意識を完全に失った。
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