第31話 DAY.59 燃え盛る絶望との邂逅

「本当に大丈夫なの?」

 今日は三度目となる新築地区の開拓に赴いている。構成員は俺、ユリ、カズラ、ローグの四人だけ。今回からは開拓任務は俺たちだけで行うことにした。

「確かに細かい戦闘が増える分魔力の消費はちょっと多くなるけど、下手に他の隊員を危険にさらすよりはいいだろ」

「それもだけど、ユウトの体よ」

「ああ、悪化はしてないからな。休んでる方が精神的にも肉体的にも堪える」

 戦いの中に飛び込んでしまえば、寒気はともかくとしても暑さや痛みは当然のものとして気にならなくなる。じっとしていても焦燥感に駆られるだけだし、いずれにせよこうして前線に出るのが俺にとっては最善なのだ。

 ユリは複雑そうな表情で黙りこむ。

 あれからナズナとはまともに話せていない。険悪とかそういうことではないが、ナズナは一人で思い悩むことが多くなってしまったのだ。

 自分のことで心を煩わせてしまっているのは申し訳ないが、それでも俺は退きたくないし、退くこともできない。

 物思いにふけっていたところで、ふと気がついた。

「妙に静かだな」

 静か、というと語弊があるか。もともと葉の擦れる音が時折聞こえてくる程度の静謐な森だ。しかし今日はいつもと少し違う。うまく表現できないが、普段は血に飢えた獣の息遣いが聞こえるともなく聞こえてくるような感じがある。

 だが今日は、植物以外すべての生き物が死に絶えたかのような、無人の荒野に立っているような静けさを感じるのだ。

「確かに、なんか不気味な感じがするわね」

 警戒を強めつつ歩みを進めていく。各々の口数が少なくなってきたころ、俺は前から気になっていたことを聞いてみることにした。

「今更だけど、ローグさんはなんで任務に協力を?」

「わ、私ですか?」

 今までローグに話を振ったことはなかったから、いくらか面食らったようだ。

「ええ、最初ならまだしも、危険な思いをしてからも参加し続けるのには何か理由があるのかな、と気になりまして」

「なるほど。確かに中型を間近で見たときは足がすくみました」

 自嘲するように苦笑するローグ。ローグがあえて危険を犯す理由はなんなのか。もしかしたらそれが俺の目的を見つけ出すための参考になるかもしれない。

「でもあまり考えてみたこともありませんでしたね。そうするべきだと思うから、といいますか……ああ、そうですね。ストラテラさんへのあこがれが理由かもしれません」

「どういうことです?」

「力を持つものが持たざるものに手を差し伸べること。才能の格差を善意によって緩和すること。ストラテラさんが追い求めたとしたそういう助け合いの理念に、昔から強く共感していました。だから自分が恵まれた才能は、とことん人のために役立てたいと思うんです。なんだかものすごく個人的でつまらない話になってしまって申し訳ないですが」

「いえ、そんなことは」

 ナズナと同じようなタイプか。とことん自分のためにあがいている俺とは心根の善良さが違うようだ。もはや参考にしようなんて考えるだけで失礼というものだな。

「個人的でつまらないついでに申しますと、実は妻がストラテラさんの娘さんで」

「えっ」

 俺とユリはそろって声を上げた。

「ときどき、つい妻の前でストラテラさんを褒めちぎるんですが、すると妻はいつも『私じゃなくてお父さんと結婚すればよかったのに』って怒ってるようでいてどこか誇らしげに言うんですよ」

 柔和に微笑んで言ったローグの表情が、やや憂いを帯びる。

「もっとも、今はあまりうかつに名前を出すと空気が重くなっちゃうんですけどね。結局真犯人もわからずじまいですし」

 その真相を知りつつ口にすることができない俺は、思わず眉をひそめた。ユリも、そしておそらくはカズラも同様の心持ちだろう。

「ああ、すみません。ユリさんのお母様は最初から疑っていませんので。あの方も私の尊敬する先達の一人ですから」

 俺たちの沈黙をどう受け取ったのか、ローグは慌てて弁明するように言った。

「ありがとうございます」

 ユリはぎこちなく笑ってそれだけ言った。

 それから皆黙りこくってしまい、なんとも言えない空気が流れ始める。そのまましばらくの距離を進み、気がつけば目標とする一キロを目前に控えていた。

「……なんか、暑くない?」

 沈黙を破ったのはユリのそんな一言だった。

「やっぱりそうか? そんな気はしてたけど、幻覚のせいなのかいまいちわからなくて」

「私もそう思います。ここまで歩いて一体も敵が現れないのも変ですし……」

 それぞれ、この妙な状況の原因を考えこむように唸る。

「今日は一キロを超えたらすぐ、手近なところに設置しよう。何か嫌な感じが――」

 そう俺が提案したそのときだった。

 目の前で、轟音とともに爆炎が上がった。

 続いてすさまじい熱風が防壁魔術ごしに吹き付けてきた。何かが降ってきたのか、それとも地上にあった何かが爆発したのか。原因はまったくわからない。

「この熱……すさまじい魔力です!」

 防壁を張っているローグの必死さのにじむ声に、反射的にそむけていた顔を跳ね上げて前方に向けた。

 そこにあったのは不自然な火球。木々が燃え上がっているわけではない。数十メートル先、熱風でなぎ倒されて小さな荒野となった大地の上に、直径二〇メートルほどの火の玉が鎮座していた。

「退けッ!」

 直感するよりも早く叫んでいた。あれはまずい。明らかにケタ違いの何かだ。挑むことはおろか、こうして正対していることがすでにあり得ないほどの愚に違いない。

 俺が叫ぶのとほぼ同時、防壁内の全員が踵を返し離脱を図ろうと足を踏み出す。

 しかし、その一歩は大地から一瞬でせり上がった火の壁に阻まれた。

 とっさに周囲を確認して気がつく。三百六十度囲まれている。そう、これは壁ではない。柱だ。俺たちは巨大な火柱の中にとらわれているのだ。

「これ……まずっ……」

 ローグの表情が目に見えて険しくなる。心なしか俺たちを囲む防壁も揺らいでいるように見える。

「どうした!?」

「異次元としかいいようがない威力です。ギリギリ防げていますが、後退しながらでは防壁の維持が……」

 ローグが苦悶の表情で声を絞り出した直後、火柱が収まった。

 回復した視野の中、強大な魔力に吸い寄せられるように顔が火球の方へ向く。その目に写ったのは火球からゆっくりと這い出る、巨大な赤いトカゲだった。

「特殊個体大型〈炎魔大蜥蜴サラマンダー〉……」

 呆然と、ユリがつぶやいた。

 サラマンダー。ナズナが言っていた。ガルアドロフを殺したというデマギアル。彼については散々無双の話を聞かされてきたが、なるほど、これが相手では不覚を取るのも無理からぬことだ。

 一秒の間もないうちに再び火柱が上がる。

 ――熱い。

 防壁があるおかげで直撃を避けられているとはいえ、副産物としての熱までは遮断できない。俺の攻撃が敵に通るのと同じ理屈だ。

 今の時点ですでに体感温度はおそらく五十度を超えている。このままの状態が続けば際限なく温度は上がっていくだろう。

 ローグが防壁を維持したまま後退できないとなればジリ貧だ。そうなると全員ここで蒸し焼きになって果てることになる。俺一人なら、なんとか火柱をかわしつつ逃げられるかもしれないが……。

「私をおいて逃げてください!」

 ローグが裏返りかけの声で叫んだ。

「カズラさん、でしたか? あなたの魔術でユリさんをかくまえば、タイミングを見て離脱できるはずです!」

「そんな……!」

 ユリが反論しようと口を開きかけるが、反論の言葉が見つからない。事実、それは今考えうる限りで最善の策と言えるだろう。

 目の前にカズラが姿を現し、俺を正面から見つめてくる。

「どうする?」

 一拍の間。その間に決断を下す。

「ユリを連れて逃げろ」

「でもっ!」

 ユリが即座に異議を唱えようとする。俺はそんなユリの方を向いて一つ頷いた。

「安心しろ。俺もあとから追いつく」

 理解しかねる様子のユリが眉根を寄せた瞬間、また火柱が消えた。

 それと同時、俺は防壁の外へと駆け出た。

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