第29話 DAY.54 迷走する幻想

 ポケットの中で勲章を弄びつつ、俺はカズラの自宅へ向かっていた。

 昨日でこの前開拓した地区のデマギアルの駆除が完了した。ついさっき、それを称えるための式典が行われた。そこで俺はシグルズから勲章を授与されたのだ。

「おっ、ユウトくんじゃないか。ちょっと待ってな」

 菓子屋の前を通ったところで店先で掃除をしていた店主の男性に声をかけられた。言われた通りその場で待っていると、すぐに戻ってきた店主が紙袋を手渡してきた。

「これは?」

「うち自慢のクッキーさ。いつも頑張ってくれてるお礼だよ」

「そんな、悪いですよ。俺も好きでやってることですし」

「いいんだよ。もらってくれ。こんなものしかあげられないけどさ、本当に感謝してるんだ。シグルズさんじゃないけど、俺の親父も前線で命張ってた口でね。俺にはできなかったけど、遺志を継いでくれる人がいて嬉しいんだよ」

 涙もろいのか、やや瞳をうるませながら肩をバシバシ叩いてくる。

「そうでしたか。それではありがたくいただきます」

「ああ。こんなものでよければいつでも食わせてやるからさ、頑張ってくれよ」

 頷き、店主の求めに応じて握手をかわしてからその場をあとにした。

 最近はこうやって街中で声をかけられ、称賛を受ける機会も随分多くなった。さっきまでの式典に集まっていた人の数も、街に侵入した猪種を倒したときよりもだいぶ多くなっていた。名実ともに、英雄と呼ぶべき存在に近づいているといえる。

「――っ」

 唐突に目の前の景色が陽炎のように歪む。いや、事実炎なのだ。体が熱い。まるであの夢の中にいるかのように、燃え立つ業火の中に放り込まれて炙り殺されている。

 以前ナズナとユリと朝食をとっているときに感じた、暑さや寒さ、肌の違和感はずっと続いていた。一応ロマルにも診てもらったが結果は同じ。その後、それらは日増しにその程度を強めていった。

 状況はすぐに理解することができた。これはあの夢の延長なのだ。

 魔力の酷使のせいなのかなんなのかはわからないが、苦痛によって魔力を生成するシステムが覚醒中にまで断続的に作用し始めた。そのため、炎、氷、風による幻の責め苦が俺を襲っていたのだ。

 当然周りには話していない。ナズナやユリはさすがに一緒にいるだけあって違和感は覚えているようだが、俺が否定すれば強くは追及してこない。

 心身に不調を抱えていることを周りに知られれば、余計な心配をかけることはもちろん、前線で戦う機会を制限されるかもしれない。それはなんとしても避けなければならない。

 ナズナにどうにかできないなら、おそらく治療は不可能。それならば耐える以外にない。

 数分の間燃え盛る錯覚に耐えると、やがて炎の幻は消え失せた。今は小康状態もあるが、この先どうなるかはわからない。

 それから少し歩いて、ようやく目的地にたどり着いた。ドアをノックすると、しばらくしてからカズラが出てきた。

「ユウト。どうしたの?」

「ちょっと話がしたくてな」

「入って」

 特にいぶかる様子もなく、中へ招き入れてくれる。そのままリビングに向かい、いつかシグルズに縛られた椅子に食卓を挟んで向かい合うように腰掛けた。

「お茶、飲む?」

「いや、いいよ」

「オレンジジュース?」

「いや」

「牛乳?」

「そうじゃなくて」

「……豆乳?」

「健康が気になるわけでもなくてだな」

「何が飲みたい?」

「そんな気を遣わなくていいってことだよ。何も出さなくていい」

「でも私だけ飲むの、悪い」

「俺が勝手に押しかけたんだからそんなこと気にしないでくれ」

 そう言っても譲らず抗議するような視線を向けてくるカズラ。

「わかった。それじゃあお茶をもらおう」

 カズラは嬉しそうに頷き、椅子から降りると小動物のようにトテトテと台所に向かい、コップ二つとお茶の入ったピッチャーを持って戻ってきた。

「ありがとう」

 礼を言ってコップを傾ける。よく冷えていて、幻とはいえ灼熱地獄を味わったあとの体に染みておいしい。

 カズラはコップを置くと、表情で話を促してきた。

「まあ、そんな改まった話でもないんだけどな。ここまで戦闘を見てきて、なんか得られたか聞いておきたくてさ。なんだかんだ聞く機会なかったし」

「うん。充実してる」

「それはよかった」

「ユウト、いつも必死だから。やっばり、誰より生きてる」

「こちらとしてはできれば必死にならなくても勝てるようになりたんだけどな」

 軽口を叩いてみせると、カズラはわずかに笑った。しかしすぐに難しい顔になって首を傾げた。

「でも、ちょっと苦しそう」

「苦しそう?」

「うん、英雄というより……迷える羊」

「……なるほど」

 その通りだった。俺は確かにどうすればいいのかわからなくなっている。

 いくら功績を積み上げても、まったく満たされない。初めて敵を撃破したときも感じた渇きは未だに満たされていない。

 何かが間違っている。でも何が間違っているのかはわからない。

「怒った?」

「ん? いや、全然。まったくその通りだったからさ」

 不安そうに言うカズラに笑って答えると、ナズナは首を傾げたまま続ける。

「ユウト、本当に英雄になりたい?」

「え?」

 あまりに予想外の質問をされ、少し面食らってしまった。

「手段じゃなくて、目標が違うのかも。私の逆」

「それは……」

 カズラが、現実より真に迫った人の生を幻影として描くという目標を、人を傷つけることを経て達成しようとしたのと逆。

 俺の場合はそもそも目標が間違っているのではないかということか。今となってはそれも否定しがたい。

「カズラの方が俺より俺のことよく見えてるな」

「それが、私の使命だから」

 誇らしげに胸を張ってうなずくカズラ。その姿が、少しうらやましく思えた。

 俺は英雄になりたいわけじゃないのかもしれない。

 だけど心は何かを求めてヒリヒリと渇き続けている。そして俺が何かを勝ち取るためにできるのは戦うことだけだ。つまり、いずれにせよ手段は変えようがないのだ。

 それならば程度を変えるしかない。今までよりもっと、敵を倒す。ひたすらに戦い続けて、戦うことで得られるすべてを手に入れる。それしか方法はない。

「俺もいろいろ頑張ってみるよ」

 その後、少しの間なんでもない世間話に花を咲かせてから、カズラの家をあとにした。

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