第21話 DAY.38 脅迫と交渉

 意識を取り戻したのはそれからどれくらい時間が経ってからか。

 自由にならない体に、いつかの恐怖を思い返す。

 すぐに椅子に縛られているとわかったが、状況が好ましくないという意味では変わらなかった。隣では目を覚ましたカズラが同じように縛られている。

「安心したまえ。三十分も経っておらんよ」

「やはりお前が黒幕か、シグルズ」

 俺の正面に椅子をおいて、ゆったりと腰掛ける男をにらみつける。

「そうだ、と言っておこう。その上で一つ伝えておきたいことがある。できることなら、いや、なんとしても私は君を殺したくない」

「何が言いたい」

「つまりだ、交渉をしたいのだよ」

「交渉? 脅迫の間違いだろ?」

 醜悪な顔からこぼれ落ちたまっとうなセリフに嫌悪感が湧き、吐き捨てるように言う。

「そうだな。事実上そうなってしまっているのは大変心苦しい。しかしやむを得ないのだよ。何しろ緊急事態だからな。交渉が決裂した際には、君を殺さなくてはいけない」

「まあいい。さっさと始めろよ、交渉とやらを」

「その前にまずはいくらか君の信頼を得るために状況の説明をして差し上げよう。君が、私が黒幕だと君が言う事件についての仔細だ。知りたいのではないかね?」

 真実を話す保証はどこにもないが……話すというなら聞こう。

 俺は黙って続きを促す。

「よろしい。まず私は、以前より長らく、ガルデスタとして再びデマギアルの征伐を再開することを目指してきた。先の演説でも話した通り、私の父はガルアドロフの陰で勇猛に戦い続け、命を落とした。相当な武功を上げたが、ガルアドロフめのせいでまるで顧みられることがない。しかもこのまま不戦のまま世が移ろっては、その名が歴史に残らぬどころか、その奮闘すら、過ちと断ぜられた過去に沈む。そのようなことを許せるわけがない。私は何が何でも父の遺志を引き継ぎ、再び戦い始める必要があった」

 強い感情のこもった言葉。これがをほだすための芝居ならたいしたものだが……。

「しかし知っての通り、ストラテラめが私の前に立ちはだかっていた。本格的に手段を選ばず排除することを考え始めたのが数年前。それ以来占卜魔術に指針を求めてきたが、答えはすべて『ストラテラとボタン・マックレガーを殺せ』の一点張り。なんの展望も得られはしなかった。ところが先月の中頃それに変化があった。『幻影魔術師の少女、カズラと面会せよ』とな」

 先月の中頃、というと俺がここに来てから一、二週間経った頃か。俺がカズラと出会ったよりもあとということになる。

「私は一も二もなく、カズラの下へ赴いた。もちろん、人目は忍んだがな。そこでこの少女のことを根掘り葉掘り聞いた。するとどうだ。これまでの平面的投影に留まらぬ立体的で迫真的な投影を独自に編み出したというではないか。もともと、ボタンになりすましてストラテラを殺すという方法は考えていた。しかし皮肉なことに私には変貌魔術の適性がなかった。私は占卜魔術の答えの意味するところをすぐに理解し、カズラを利用することにした」

 利用。やはりカズラが積極的に犯行に携わったわけではないのか。

「カズラは、本物の戦闘を生で見たいと言っていた。命をかけたやり取り。そこにこそ人の生命の極致があるのではないか。それを見ずして現実より真に迫った人の生を幻影として描くことはできないのではないかとね。そこにつけ込むことにしたのだ。私が時代を変える。生で戦いを見られるようにしてやる。だから協力しろ、とね」

 カズラがアザミの言った通りの人物なら、ためらいなく誘いに応じたのだろう。カズラにとって幻影への執念より優先されるものはない。

「そして間近に迫っていた称号授与式を舞台とすることにした。あとはおそらく、おおむね君の想像通りだ。私に被せるようにしてボタンの幻影を投影。ストラテラを殺害したのち幻だけを敷地外へ逃亡させる。それと同時に周囲の景色に同化する幻影で私を隠す。外に逃げた幻影は路地で姿を消したというわけだ。ただし、その過程でカズラには一つ嘘をついた。ストラテラを殺すことはない、とな。大怪我をさせるだけだと言って犯行に協力させた。だから安心したまえ。彼女は人殺しに加担してはいない」

 だからと言って許していい行いではない。

 ただ、命をかけて成し遂げたい目的のためなら手段を選んでいられない、という気持ちは俺にも痛いほどわかる。だから俺には糾弾する権利もないし、非難する気もおきない。

「君に真実を嗅ぎ当てられたのは本当に想定外だった。急造の計画ゆえ甘さは自覚していたがここまでとは。まずカズラがその魔術を事前に他の者に見せた可能性を考慮しなかったこと。前代未聞の魔術という部分に気を取られすぎていた。それに君自身のあり方というのも想像の埒外にあった。まさかここまで執念深く真実を突き止めようとするとは思わなんだ。この街にはそれができる人間も、しようとする人間もいないはずだったのでね。私もこの街の空気に当てられすぎていたというわけだな。本当に甘かった。念のためファンテスタの屋敷とカズラの家に監視魔術を仕掛けておいてよかった。こうして早急にカズラを確保できたからな。事件の顛末は以上だ。信じようと信じまいと構わないが。一応の誠意として受け取ってくれたまえ。さて、ここからが本題だ。君と交渉したいことがらは二つある」

 一つ、と言って人差し指を立てる。

「今回の事件の真相を黙してほしい」

「交渉というからには俺の方にもメリットがあるんだよな? この場で殺されない、というのが俺のメリットか?」

「そう急くな。私は君に協力してほしいのだ。良好な関係とは言わずとも、明らかな敵意を互いに持つことは避けたい。ただ、この件についてはその後の関係の大前提になるためどうしても脅迫じみた形になるのは避けられない」

「じゃあ、俺が真相を公表したらどうなる」

「カズラを殺す」

 冷徹に、何の感慨もなくそう言い放った。想像された答えとはいえ、ここまで当然のように口にされるとさすがに怖気を禁じ得ない。

「君だけがわめきたてたところで、それを信じる者はそう多くない。しかしカズラが実演しつつ真実を明らかにすれば信じるものも多くなるだろう。だから、カズラには今後監視をつける。君が真相を公表したり、公表をカズラに持ちかけようとしたら、その時点でカズラを殺す」

 隣のカズラを見やる。震える唇を噛んで、黙ったまま俺たちのやり取りを聞いている。 

 どうする。真実の公表を控えることはつまり、ユリの母親の無実を証明することをあきらめることを意味する。それは到底受け入れられない。

 だからといってカズラなしでは、シグルズの言う通り公表しても説得力に欠ける。

 それにカズラのことも助けたい。初めて会ったときからぼんやりと抱いていた共感が、アザミの話を聞いてより確かになった。目的に向かって愚直に邁進する姿勢。カズラのことはどうにも他人事だと思えない。

「まあよい。もう一つの交渉は君にとっても悪くない内容のはずだ。それを聞いてからでも答えを出すのは遅くない」

「どういうことだ?」

「二つ目の交渉は、再結成されるデマギアル征伐部隊への、君の参加についてだ。同時に、戦闘適性最上位コンケスタとして征伐任務の旗振り役も担ってもらうことにはなるが。見たところ君は戦うことを望んでいるようだし、受け入れがたい要求ではないはずだ」

「それで、こっちの交渉には俺にメリットがあるのか?」

「ああ、ボタン・マックレガーを釈放しよう」

「……正気か?」

「正気だとも。ただし、釈放した時点で君が翻意することを避けるため、あくまで『嫌疑不十分』を理由にしての釈放だがね。君が裏切った時点で、彼女は再収監される」

「無実として釈放しろ」

「それはできない相談だ。よく考えたまえよ。名誉を犠牲にするだけで彼女と家族は平穏を取り戻せるのだ。高望みのしすぎはよくない」

 それではユリは納得しないだろうし、俺も納得できない。

 だがどうする。今この場で俺に打てる手はあるのか? それどころか、手を考える時間は与えられるのか?

 ……背に腹は代えられない、か。

「わかった。その条件を飲んでやる。真相の公表を控えることも受け入れよう。ただし、二人真相を話すべき相手がいる。それは許可しろ。もちろん口外はしない約束で、だ」

「まあそれくらいはいいだろう。いずれにせよカズラがいなければ、誰が公表したところでうまくはいかぬだろうしな」

 結果としてユリの母親を救い出すことは叶った。しかし真相の暴露を放棄しなくてはならなくなってしまった。口惜しさで歯が砕けそうになる。

「よし、交渉成立だ。これからよろしくお願いしよう、コンケスタ殿」

 そう言って、シグルズは俺を縛っていたロープを解く。そして右手を差し出してきた。

 俺は盛大に舌打ちしつつ、その手を取って握り返した。

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