第20話 DAY.38 狡猾なる者

 呼吸すら忘れたようにひたすら走ってようやくたどり着いたのは、幻影魔術師最高位の住居兼仕事場。

 ここではファンテスタとその弟子が娯楽用幻影魔術の開発に励んでいる。場所は以前ナズナに教えてもらっていた。

 ドアノッカーを少し乱暴に叩く。その勢いに驚いてか、すぐに中から若い男が飛び出してきた。

「な、なんですか、一体……ってあなたは確か……」

「カズラとかいう女はいるか!?」

「え? カズラ? カズラなら来てませんけど」

 まさか……ッ!

「カズラの自宅は!?」

「な、なんでそんなことを……?」

「いいから、早く!」

 そんなことを教えていいものか。そもそもなんでこいつはこんなに必死なのか。そんな困惑がうかがえる目で俺を見つめたまま、どうしたものかと考えあぐねる男。

「なんだ、騒がしいな」

 男の背後から凛々しい女性の声が聞こえた。

「あ、アザミさん。この人がカズラの自宅を教えろと……」

「カズラの?」

 男が下がり、入れ替わるように姿を見せたのは四十手前くらいに見える女性だった。ファンテスタは女性だと聞いている。この人がそうだろうか。

「ほう、あんたか。どうしてまたカズラを?」

「彼女の無事を確認したい」

「無事? なんのことやらまるでわからないけど、カズラならすぐにここに来るはずだ。今行ってもすれ違うぞ。十分以内に来なければ自宅を教えるから行けばいい」

 約束でもしているのか? それなら確かに今から動くのは愚策かもしれない。

「なんかただ事じゃないのはわかるけどさ、ちょっと落ち着きなよ」

「……申し訳ありません。失礼しました」

「いいさ。中に入りな。お茶を入れよう。ああ、申し遅れたが私が現在のファンテスタ、アザミ・カイーニだ」

 アザミに案内され、応接室らしき部屋に案内される。壁には絵画のようなものがいくつか飾られていた。鮮やかな赤い花、アザミらしき人がモデルの人物画など。よく考えるとこの街でこういったものを見るのは初めてだ。

「今じゃ絶滅寸前の趣味だがね。私が描いたんだ」

「すみません、じろじろと」

「いや、見られてなんぼだろうよ。それより、事情を聞かせちゃくれないかね」

「今はお話できません。不確かなことが多すぎます。憶測でものを言えないような問題なので」

「じゃあそれでいいさ。それなら何か聞きたいことでもないかね。客人を質問攻めにするのも野暮だが、かと言ってここに放っておくのも無礼だしね」

 なんというか、竹を割ったような気性の人だ。カズラといい、幻影魔術師にはちょっと変わった人が多いのだろうか。

「そうですね……。カズラはそれほど幻影魔術の適性が高くないと聞きましたが、本当ですか?」

「まあね。集中力はあるが持続力がない。もってせいぜい五分だ。だから娯楽幻影としては短い物語も投影できないから適性としては低くなる。ただし、その五分間の幻影の質には凄まじいものがあるんだよ。手を抜けばもっと長くできるだろうが、それを許せるほどあの子は手ぬるくない」

「意外ですね。もっとのんびりしてるのかと思いました」

「そうだろうね。気の抜けたようなしゃべり方をする子だから。でもあの子はすごい。私の適性を譲ってやりたいくらいだよ」

「そこまでですか」

「少なくとも私にとっては、だがね。この街では適性の高さが絶対だからあまり公言はしにくいが、もしあの子に高い適性があったら世界を変えられると思うよ」

「何がそんなにすごいんです?」

「強いて言えば執念だね。私も含め、他の連中は口当たりのいい夢物語を作り出すことに終始している。それが求められているから仕方ないという側面もあるが、そこで満足してしまっている。だけどあの子は違う。あの子はひたすらに幻を現実にしようとしているんだ。いや、現実以上にしようとしている。人間の生を、現実以上に生々しく、生き生きと描き出そうとしているんだよ。あの子にとって、幻影は現実の模倣や代替じゃないのさ」

 あんな可愛らしい外見の中に、そんな情熱を抱えていたとは。

「口下手なせいもあってね。なかなか他人には理解されないんだよ。本人もそれで構わないというような感じだし」

 話を聞いている限りだと、率先して悪事に携わるような人間だとは思えない。というより、幻影魔術以外の何かに関心があるのかすら疑わしい。

 ただ、一方であのストラテラが殺された、現実としか思えないような光景に幻影魔術が関わっていたとすれば。カズラのもの以外あり得ないという確信も得た。

 脅されたか、何か想像もつかないような利害の一致があったか。もちろん、無関係であるのが一番いいのかもしれないが。

 それからもう少しカズラのことを尋ねていたところで、アザミが時計を見た。

「おかしいね。約束の時間は破らない子なんだけど。悪いけど、様子を見に行ってくれるかい? 自宅の場所は――」

 アザミにカズラの住所を聞いた俺は頷いて腰を上げ、軽く会釈してから足早に部屋を出た。

 少なくともここ数日は普通に姿を見せていたようだから、あのあとすぐにどうにかされたということはなさそうだ。しかし今はささいな不安だって肥大する状況。願わくば、カズラの身に何事もなく、そして事件解決の糸口が見つかることを。

 教えられた場所への最短ルートを経てきたが、ここに至るまでにカズラに会うことはなかった。家にいてくれるならいいんだが。

 緊張でわずかに手に汗がにじむのを感じながらドアを叩く。

 返答はない。ややためらいつつもドアノブを回してみる。

 鍵がかかっていない。無頓着そうな性格だからこれが普段通りということもあるかもしれないが、嫌な予感を抱かせる無防備。

 不安に急き立てられるようにして、足が勝手に玄関をまたぐ。

 室内は暗い。一見して荒らされたような形跡はない。ただの不在ならいいのだが。

 足音を潜めて玄関を過ぎ、右に折れている廊下の角に隠れて先を窺う。

 すぐ目の前の部屋のドアが開いている。その隙間に見えた。

 椅子に縛り付けられるカズラの姿――。

 飛び出したくなる足をぐっと踏みとどめて深呼吸。どう考えても罠だ。まず間違いなく敵がいる。強化魔術を使うべきか。

「――っ」

 一瞬、悪夢の恐怖に取り憑かれる。永劫とも思える時間殺され続ける痛み、苦しみ。二度と味わいたくないと思うのは当たり前だ。

 しかしそんなことを言ってる場合じゃない。

「《強化》」

 覚悟を決め、口の中だけで響くくらいの小さな声で形にする。同時、背中が焼けるような熱さを帯びてそれが全身に広がり、力がみなぎっていく。

 向こうはどう仕掛けてくるか。そもそも何人いるのか。考えても仕方がない。突っ込めば何らかの罠にかかるかもしれないし、のんびりと入ればその瞬間に一撃を食らう可能性もある。

 それならば、性に合う方を選ぶだけだ。

 強く床を蹴り、ドアの開け放たれた部屋に飛び込む。

 カズラの前で急ブレーキ。床についた腕の摩擦も借りて一瞬で体を反転。四足の獣のような姿勢のまま周囲を確認する。

 ――いた!

 ドアのすぐ横、怪しげな仮面をつけた男が立っていた。結果的には正解か。迂闊に一歩踏み込んでいたら横なり背後なりから不意打ちを食らっていた。

 背格好はシグルズに似ている。そしてその手に握られているのはナイフだ。だが確証はない。

 それならば、あのけったいな仮面を剥ぎとって確認してやるまでだ。

 一秒に満たぬ間に再度床を蹴り、男に詰め寄る。

 さすがに動き出しは男が先。男は飛び退るように向かって左方へ回避する。男の代わりに目の前に現れた壁の床際に右足を当て、速度を殺し方向を転換する。

 初動に入る敵の腕を、左後方、視界の端に捉える。右足に乗った重心を強引に移動させ、その勢いを乗せた拳を打ち込む。

 俺のほうが速い。ぶち抜ける――。

 俺のそんな確信より早く、男が危険を察知し腕を止めてのけぞる。

 拳は鼻先をかすめて空振り。

「ちっ」

 相手が強化魔術を使っているかはわからないが、反応速度から行動の速度まで俺の方が何倍も速い。畳み掛ければ勝てる。

 男は後方に体勢を崩している。

 拳とともに右足を踏み込んだ俺は、前方に倒れた上体を起こしながら左拳を突き上げる。

 拳は虚空で泳いでいたナイフを持った男の右手を痛打。手からナイフがこぼれて宙を舞う。

 上体を起こそうとしていた男は、右手が後方に持っていかれ再び姿勢を乱す。

 俺は後ろに残っていた左足で床を蹴る。タックルするような姿勢で肘を突き出し、がら空きのみぞおちに叩き込む。

 柔らかい肉に肘がめり込む感触。

 直後、弾けたように男の体が吹き飛ぶ。背面から床にたたきつけられ動かなくなる男。警戒しつつ近づいていき、完全に意識を失っていることを確認する。

 そして、男の顔から気味の悪い仮面を剥がす。そこにあったのは、まったく見覚えのない顔だった。

 こいつが真犯人なのか、それともシグルズの協力者か。いずれにせよ重要な――。

「――甘いな」

 そんな声が聞こえるのと、後頭部に何かが触れるのは同時だった。

 急激に体から力が抜けていく。膝をつき、倒れこむ上半身を支えるためについた腕も屈する。

 残された全力を振り絞って首をひねり、背後に立つ男を見定める。

「シグ、ル、ズ――」

「すさまじい根性だ。称賛に値する」

 感嘆混じりの声でにそんなことを言って薄ら笑いを浮かべる男の顔を見たのを最後に、俺の視界は完全な暗闇に閉ざされた。

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