第17話 DAY.37 心に秘めた確執

 約六時間後、俺は腹部を真っ赤に染めてナズナの家に戻ってきた。昼間の再現をするようにナズナが顔を出す。俺の腹を見て息を呑んだナズナは、口元を抑えながら慌てて駆け寄ってきた。

「トマト」

「……え? あ、ああ、トマトね。びっくりした」

 大きく息をつくナズナ。深手を負ってるような芝居でもしてみようかと思ったが、それはちょっと冗談としては質が悪すぎるので自粛しておいた。

 投げられたのが最後の家でよかった。しかしあれから物を投げつけられたのはこれが初めてだったな。前半にたまたま気が短い人が集中していただけらしい。

 リビングに入るとユリも来ていた。ちらりと俺の腹をみやる。

「誰を刺してきたの?」

「そっちかい!」

「……斬ってきたの?」

「方法のことじゃないから! 俺が被害者なの! トマトぶつけられただけだけども!」

 まあ深刻ムードになられるよりはこうやってふざけてくれた方がいいんだけどさ。

「じゃあ早速だけど今日の成果報告会しよっか」

 ナズナは席についた俺の前にお茶を出してから、自分も腰を下ろした。礼を言ってお茶を飲み始めると、その間にユリが口を開いた。

「私から始めるわね。母がたどったと思われるルートに沿って、その道にあるお店や家の人に目撃情報を募ったわ。結論としては、途中までは目撃者がいた。でもそこから先はわからない。ただ、普通通ると思われる広場に母と仲の良い人が屋台を出していて、通ればあいさつするはずなんだけど、その人は会ってないって言ってた」

「そこ以外を通ったか、そこに行くまでに拉致されたか……」

「そこまでの判断はできないわね。ただ、ストラテラさん……今はシグルズさんの邸宅だけど、あそこの守衛さんが、母が中に入っていくのを見たらしいわ。会釈されたから覚えてるって」

「うーん、そこまで偽装していたとすればかなり抜け目ないやつだな」

「そうね。私からは以上よ。結局確かなことはわからなかったわ」

 悔しそうに少し眉を寄せるユリ。続いてナズナが話し始める。

「じゃあ次は私ね。私は捜査に関わっている知り合いに話を聞いてきたんだけど、その子は実際に現場に行ったわけじゃないから曖昧な情報が多くて……。ただ、ナイフにはユリのお母さんの指紋だけついていたことと、服に返り血がついてたことは確かだって」

「第一発見者の人はなんて?」

「倒れていたときの様子だと、誰かに襲われて昏倒したっていう感じには見えなかったって。苦しそうではなかったから病気のせいでもなさそうだったし、普通に眠ってるみたいだったって言ってた。だからやっぱり麻酔魔術なのかなって思う」

「でもそれは使える人が多すぎて絞りようがないんだったな」

「そう。だから私の方も大きな進展はなしだね」

 残念そうに肩をすくめる。二人の視線は俺の方に向いた。

「対象となった変貌魔術使いは一二五名。そのうち今日話を聞けたのが、不在や聞き込み拒否の人を除いた一〇三人。その中で当日何をしていたか証明できなかったのが四二人。あまり絞れなかったが、犯人が変貌魔術を使って犯行に及んだならこの中に犯人がいる」

「結構多いね……」

「このリストでバツがついてる人がそうだ。この中でストラテラさんに少しでも関係がありそうな人はいるか?」

 机の真ん中においた紙を、ナズナとユリが覗きこむ。しばらく真剣な様子で名前を精査していたようだが、やがて二人とも座り直して首を振った。

「全然わかんないよ」

「私もさっぱりだわ。少しでもこの人が怪しいって思える人がいない」

「そうか……。ストラテラさんじゃなくて、シグルズさんとのつながりはどうだ?」

「え、なんでシグルズさん?」

 ナズナが不思議そうに首を傾げる。

「今回の事件で一番得したのはシグルズさんだ。適性最高位のストラテラさんが死に、自分と同率で二位だったユリの母親が捕まり、結果としてガルデスタになった。しかも長年ライバルであるストラテラさんの後塵を拝してきた分鬱憤が溜まっていると考えるのも不自然じゃない。シグルズさんが主犯で、協力者がその中にいるのかもしれない」

「えー、でも二人でうまくやってるように見えてたんだけど……。それに見た目怖いし無愛想だけど、真面目で優秀だからみんなから信頼されてるよ?」

「だからこそだよ。シグルズさんのような立場も人望もある人が主犯だとすれば、同調者や共犯者がいてもおかしくない。そのリストに名前がある人たちに動機がないなら、動機のある誰かに協力してると考えるのが道理だ」

「つまり、この中にいるかもしれないのは実行犯で、シグルズさんがその黒幕かもしれないってこと?」

「そういうことだ」

 複雑そうな表情を浮かべて再びリストを見始めるナズナ。ユリもそれに続いた。しかしやはり結果は変わらず。

「駄目だー。そもそもシグルズさんとまともに交友がある人がいるのかすらわかんないよー」

 ナズナがどかっと椅子に座って背もたれに体重を預ける。ユリは肩をすくめてため息を一つ。そんな中で俺はもう一枚テーブルに紙を出す。

「じゃあこっちを見てくれ。図書館に行ったとき、念のためシグルズさんに適性のある魔術をリスト化しておいた。この中に、応用することで見た目を変えたりできるような魔術がないか、改めて考えてみてほしい」

「うーん……」

 またしても難しい顔で唸りながらリストを見つめる二人。

「ちなみに、この占卜魔術ってのはなんだ?」

「あー、占いのことだよ。目的のために、次に何をすればいいのかわかるの。当然実現可能性についてはわからないから、あくまで『少なくともこれをやらないと可能性はない』っていうことを教えてくれるだけだけどね」

「なるほど。便利なようで不便だな」

 もしこの魔術を使って自分がガルデスタになるための方法を占った結果、ストラテラさんを殺すべし、となってもその結果どの程度の確率でガルデスタになれるかわからない。この魔術があっても思い切るための助けにはならなそうだ。

「建設魔術を応用して精巧な人形を組み上げて、それを操作して……って、これじゃあ母を操り人形にしてっていうのと同じ問題に当たるわね」

「掘削魔術で顔の造形を……」

「痛い痛い痛い!」

 結局有力な仮説は立たないまま、俺からの報告もそれで終わりとなった。それぞれ難しい顔で思案にふけっている。もしくは考えるのに疲れてぼーっとしているか。いずれにせよあまり建設的な状況ではないことは確かだ。

 どれくらいそうしていたか、不意にユリがこちらを向いた。

「正直に言ってくれて構わないんだけど、ユウトは私の母が本当に殺した可能性ってどれくらいあると思ってる?」

 ユリが言うと、ナズナがぎょっとした顔になった。

「ここまでの事実関係だけを考えると半々ってところだな。確かにシグルズさんは怪しいけど、ストラテラさんがいなくなればガルデスタになれる可能性があったのはユリの母親も同じだ。ユリの母親が犯人だったとして、わからないのは逃走経路と、なぜ路上で倒れていたかだけだ。ナズナとユリが信じてなかったら、シグルズさんと同程度には疑う」

「そ、そんな……」

「ナズ、いいの」

 戸惑いつつ反論しようとしたナズナをユリが制した。そして、自嘲するように笑うと大きなため息をついた。

「正直、私も信じきれてないから」

「ユリ……」

「もちろん九割くらいは信じてる。でもほんの少しだけ、もしかしたらとも思うの」

 目を伏せ、静かに言葉を紡いでいく。

「ナズはよく知ってると思うけど、本当に優しい人なのよ。家の中でも外でも変わらず、穏やかで慈悲深い人。でも、それが母のありのままなのかどうかがわからないの。本当は心の奥に何かを抱えていて、それを周りに悟られないようにしていたんじゃないかって」

「つまり、この事件はそういう心の闇みたいなものが噴出した結果かもしれないと?」

「もちろん私の妄想にすぎない可能性の方が高い。でもどうしても思ってしまうの。私の防壁魔法適性が低かったから、母は絶望してストラテラさんを殺したんじゃないかって」

「どういう意味だ?」

「ユウトも言ってたけど、母もシグルズさんと同じ。防壁魔術の適性ではストラテラさんに到底かなわないのよ。表向きはそんなこと気にしていない風だけど、本当にそうなのかは誰にもわからない」

 そう言って、ユリは懐かしむように目を細めた。

「まだ私が小さい頃ね、よく母に防壁魔術を教えてもらってたの。ちょっとしたことができただけで『上手、上手』って褒めてくれて、子供心に嬉しかった。だから言ったのよ。『大きくなったらガルデスタになる』って。無邪気なものよね。そう言ったとき、母もすごく嬉しそうだった。でも初めて適性検査を受けたときにわかってしまった。私は絶対にガルデスタになれる器じゃないって。その結果を知ったとき、母がすごく怖い顔をしていたような気がするのよ。怒っているとかじゃなくて、ただただ無表情だった。私自身が落ち込んでいたからそう見えただけで、本当はそんなことなかったかもしれない。だけど私はそれ以来ずっと思うようになった。もしかしたら母はガルデスタになることを強く望んでいて、その夢を密かに娘の私に託していたんじゃないかって。私はその夢を絶ってしまったんじゃないかってね」

「自分の娘に夢託そうとしたけど叶う見込みがなさそうだから、ストラテラを殺すことで無理にでも叶えようとしたのかもしれないってことか」

「ええ、そういうことよ。私には母がよくわからないの。いつも嘘みたいに優しすぎるから。本当は私を嫌ってるんじゃないかって、私の、私たちの知らない本当の母がいるんじゃないかって思ってしまう。だから信じ切れないのよ」

 そんなわけあるか、と一言で言いきってやりたくなってしまう。

 でもそんな簡単な問題じゃないんだと思う。ユリは聡明だ。そんなわけないのはわかっている。でも聡明だからこそ他の可能性をも考慮してしまう。

 それがほんのわずかでも可能性として存在する限りは、消えずにユリの心を蝕み続ける。

「ごめん、私、ずっと傍にいたのに……全然、そんなこと気づけなくて」

 泣きそうになりながらナズナが言うと、ユリは苦笑して手を振った。

「気づいてもらっても困るのよ。こんなことにでもならない限り打ち明ける気もなかったし。でもこれでわかるでしょ? 本音なんていくらでも隠し通せるものなんだって」

 くそ、なんでそんな悲しそうな顔するんだよ。そんな顔されたらどうあっても母親の無実を証明したくなっちまうじゃないか。

「一〇〇パーセント、いや一一〇パーセントだ」

「え?」

「半々なんかじゃない。一一〇パーセント信じる。ユリが信じ切れない十パーセントの分も含めて、俺がユリの母親をかけらも疑わず信じる。そして真犯人を見つけ出してみせる

 ぽかんと目を瞬かせるユリ。

「だから、お前はそのままでいい」

 そう言い切ってやると、ユリは小さく開けていた口を閉じてくすくすと笑った。

「……馬鹿ね」

 そういうことだ。俺はお前ほど聡明じゃないんだよ。

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