第11話 DAY.35 鮮血、そして動乱

 この街にやってきて早くも一ヶ月以上が過ぎた。

 先月見た恐ろしい夢はあれ以来一度も見ていない。なんだったのかはまるでわからないが、今のところ異常はないのでナズナや他の人には話していない。

 体力もかなり戻ってきて、まだまだ十分とは言えないものの筋肉もだいぶついてきた。

「自分の体見てにやにやしてるのって意外と気持ち悪いわよ」

「そんなこと言ってると代わりにお前の体見てにやにやするぞ」

「いつも通りじゃない」

「すみません」

 とまあ、こんな感じで軽口を叩きあえる程度には、ユリとも打ち解けることができた。こういうセクハラトークはナズナのいないところでしかできないけど。

 そんな俺とユリがどこにいるのかというと、ストラテラ邸の広い広いお庭。しかし今日はそんな広いお庭がいっぱいになるくらいに人が詰めかけていたりする。俺たちを含む観衆は、庭の中央に設置された仮設の舞台を取り囲むようにして立っている。

 今日は各重要魔術適性の最高位者の称号授与式典の日。もちろん我らが天才メディケスタ様も授与される側としてまもなく登壇予定だ。今日ばかりは俺も借り物の正装に身を包んでばっちり紳士になりきっている。

 ユリは上品なピンクのドレスがよく似合っている。

 そういうわけで「二人きりだからってユリに変なことしちゃ駄目だからね!」と怖い顔で言い残したナズナは今ここにはいないのである。 

「やあ、ユリくん。兄上と奥様はお元気かな」

 ぼんやりと三〇メートルほど先の舞台を眺めていると、そんな優雅な調子の声がした。目を向けてみれば、俺が着ているものよりずっと豪奢な衣装をまとった中年の男性がユリの前に立っていた。

「壮健です。キリウス様もお元気そうで何よりです」

「うん、おかげさまでね」

 大仰に頷いた男性はちらりとこちらに視線を向けた。

「おっと、もしかしてユリくんの将来の伴侶かな?」

「ええ、私の最愛の人です。じきに式のご案内が行くかと」

「それはめでたいね。どうぞお幸せに」

「ありがとうございます。よき家庭を築けるよう努めます」

「ねえ、ノーブルな雰囲気のせいでつっこみづらいけど?」

「とかい言いつつちゃんとつっこめるじゃない。さすがよ、旦那さま」

「ああ、ありがとよ。お前さん」

 なんだこれ。なんで俺はいかにもやんごとない身分っぽいおっさんの目の前でユリとコントを繰り広げてるんだ。

「はは、同年代の異性とこんなに楽しげに話すユリくんは初めてみる。叔父として少し安心したよ」

「大変失礼しました」

 普段見せない気楽な姿を見せてしまったせいか、ユリはばつ悪そうに少し頬を染めて小さく頭を下げる。さっきみたいな肩肘張った話し方してたら疲れるだろうな。

「いや、結構結構。もし本当に君たちが睦まじい仲になった暁には、私からも兄の方に口添えしようじゃないか。若いのはいいことだね。それでは私はこれで」

 片手を挙げて去っていく気品のあるおじさんに、深々と頭を下げるユリ。

「もしかしてユリってお嬢様だったりする?」

「まあ、一応家柄としてはいい方になるわね。魔術の適性は個人次第だけど、持てる魔力の量はある程度遺伝するのよ。だから自然に名門みたいなのが出来上がるのね」

 頭を上げたユリはため息混じりに言う。

「人付き合いとか大変そうだな」

「そうね。私は無駄な魔術に適性が出ちゃったせいで将来性がないから余計に。両親は優しい人だから何も言わないけど周りのプレッシャーがね」

「持てるものには持てるものなりの悩みってか」

 才能は羨ましいけど立場を代わりたいかと言われると素直には頷けないな。

 そうこうしているうちに式典が始まる時間になったらしく、どこからともなく女性の声のアナウンスが聞こえてきた。

「本日は最高位称号授与式にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。初めに現ガルデスタ、ストラテラ・アーべラインよりごあいさついたします」

 舞台に上がったストラテラは定型的なあいさつから入ってどうでもいいことやら俺にはよくわからないことやらをしゃべっていく。マイクなんかを使ってる様子はないが、これも魔術なんだろうか。

 ひとしきり話してからストラテラが壇上から降りる。それと入れ替わりで見覚えのある顔、そう、先日ここで会ったシグルズが上がってきた。

「続きまして、称号授与を執り行います。まずはガルデスタ。前期に引き続き、ストラテラ・アーべライン」

 名前を呼ばれたストラテラが、再び舞台に上る。シグルズの前に立つと、任命書と思しき紙をシグルズの手から受け取って一礼した。

「ガルデスタは基本的には前任者から渡されることになってるんだけど、前任者が亡くなっている場合は現在の適性で次点についている人が代役を務めるの。他の最高位は現ガルデスタからの授与」

 俺のささいな疑問を見ぬいたユリが耳打ちして教えてくれた。事情を聞いた上でこの光景を見ていると、シグルズの心中が穏やかでないことは想像に難くない。

「次にメディケスタ。今期より新任、ナズナ・ラヴィネン」

 ストラテラの降りた舞台の上に、ナズナが上がってくる。普段の大言壮語にふさわしい堂々たる歩きぶり。表情も余裕しゃくしゃくで自信に満ちている。

 あくまで一見は、だが。

「さすがに緊張してるなー」

「そういう子だもの」

 なんとなくそういうことがわかるくらいには、この一月でナズナのことも理解できた気がする。とことん苦労しそうな性格のやつだ。

 それでも何事もなく任命書を受け取って壇から降りる。いつの間にか俺まで緊張していたようで、ナズナの姿が消えるとつい大きく息をついてしまった。

 そうして式はつまらないくらい、つつがなく進行していき、とうとう最後の任命者の名前が呼ばれた。

最高位指南魔術師コンセスタ。前期に引き続きボタン・マックレガー」

 登壇したのは美しい女性だった。鮮やかな赤髪が風になびいて揺れる。

「うわ、きれいな人だな」

 退屈による眠気が一気に吹き飛ぶような、まさしく目の覚めるような美人。というかマックレガーという姓に聞き覚えがあるようなないような。

「同年代の娘そっちのけで二回り以上離れた母親を選ぶなんていい趣味してるわね」

「どういう意味――って、そうか。ユリ・マックレガー」

「ええ。私がユリ・マックレガーです」

 にっこり言った笑顔がなぜか少し怖い。

 ……なんというか、異性の友達の前でその母親を異性として意識するような発言をすることがこんなにも恥ずかしいことだとは知らなかった。

「忘れてください」

「しっかり母に伝えておくわ。あと、嫉妬深くて家族思いの父にも。母に近づく踏み台として私が弄ばれたというデマを添えて」

「……命だけはどうか、と父上に伝えておいてくれ」

「命だけの方がつらいけどいいの?」

「あ、なんか洒落にならなそう」

 きっと魔術を使って、俺の想像もつかないような形で文字通りの「命だけ」にされて永遠に責め苦を与え続けられるんだろうな。ユリのお父さんは怖い。覚えとこう。

「冗談はさておき、それなりの名家だって言ったでしょ? あれで防壁魔術の適性もシグルズさんと同率の二番手なのよ。もう少し娘のコンプレックスに気を遣ってほしいわ」

 それをあけっぴろげに言ってくれるユリは清々しくていいな。

 気持ちはわからないなりに同情しつつ、舞台上の母上様に視線を戻した。

 ――信じがたい光景を目にしたのは、その直後のことだった。

 任命書を差し出すストラテラ。それを受け取ろうと持ち上げられたユリの母親の右手になんらかの物体。右手は任命書の下を素通りしてストラテラの左胸へ。

 そして、鮮血が迸った。

 時の流れが止まったかのような完全な静寂のあと、耳をつんざくような悲鳴が庭内にこだまする。舞台の間近にいた人の一部が狂乱状態で外側に走ってくる。

 その間にユリの母親は舞台上から常人離れした勢いで跳躍した。観衆の頭上をゆうに飛び越え、屋敷の塀の外側に降り立つ。そしてそのまま路地に姿を消した。

 ……なんだ? なんなんだ? 刺した? 刺された? 殺された? 手に持っていたのは刃物だったのか? 一体何が、どうして……って、いや、それより――。

 慌てて隣に立つユリに目を向ける。

「な……」

 ユリは震える唇で口を小さく開いたり閉じたりしていた。焦点の合っていない目は、ナズナらが救護活動を行っている舞台の方を向いたまま。

「おい、大丈夫か?」

「え……なんで、え?」

「しっかりしろ!」

 大声で呼びかけるとユリはビクッと肩を震わせ、我に返ったようにこちらを向いた。そして何も言わずきびすを返し、屋敷の出入り口へ走った。母親を追うつもりか。

「くそっ」

 俺も急いでその後を追って外へ出る。ユリは道路に出てすぐのところで立ち止まっていた。おそらく呆然として母親の動きを見ていなかったため、進路に迷ったのだろう。

 やみくもに走りだそうとするユリの肩をつかんで止める。

「ユウト……」

「こっちだ」

 右斜め前にある細い路地に誘導する。除いてみると長い一本道になっているが、その先に印象的な赤髪はおろか、人影すら見当たらなかった。

 あの速さじゃ今から追いかけても無駄だ。しかしここで引き返すというのはユリの気持ちが許さないだろう。走るだけでも何もしないよりは気持ちを紛らわせる。

 再び矢も盾もたまらず走りだしたユリの背後について走る。しばらく走って路地を抜けると、広場に出た。道はそこから十字に分かれている。広場の角に設置されたベンチに、年老いた男性が座っていた。

「すみません! 赤髪の女性はどちらに行きましたか!?」

 ユリが大声で尋ねながら駆け寄って行く。しかし男性は首を傾げて目を細めた。

「赤髪の……? ここ数十分ここには人っ子一人通っていないんだがね」

「そんなはずは……!」

 ここを通っていないとすると上か? しかし路地に入ったあと跳躍すれば外側からでも姿は見えるはず。それがなかったということは、ここを通ったとしか考えられない。

「すまんな。ワシが見落としただけかも知れぬ」

「あ、いえ。こちらこそ失礼を」

 小さく頭を下げるユリ。確かにあの跳躍力から考えると、老人の目に止まらない速さでここを駆け抜けたとしても不思議ではない。残念だが手詰まりだ。

「戻ろう。ストラテラさんも心配だ」

「でも!」

「この状況でユリの姿が見えないとなると、ユリまで疑われかねない」

 そうなってはその後の真相究明にも支障が出る。それはユリも理解しているはず。

 悔しそうに口元を歪めながらも、ユリは頷いた。

 ストラテラ邸に戻ると、庭は重苦しい雰囲気に支配されていた。舞台の上、横たわるストラテラの傍らで、ナズナと、先代メディケスタのロマルが沈痛な面持ちで立ち尽くしていた。その姿が、事態を何よりも雄弁に物語っていた。

 さらに舞台に近づいていくと、目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっていた。うつぶせに倒れ伏すストラテラの亡骸を中心として、おびただしい量の血が小さな湖を作っていた。傍らに立つナズナ、ロマルの手足も真っ赤に染まっている。

「即死だ。手の施しようがなかった。どんなに恨みを深くすればこんなに正確無比に深々と心臓を貫けるのか、というレベルの致命傷だよ」

 ロマルが吐き捨てるように言う。

「ナズナ」

 声をかけずにはいられなかった。たった一ヶ月一緒にいただけでも、今彼女の胸中で荒れ狂っている感情には容易に見当がつく。

「……ユウト」

 今にも泣き出しそうな顔を上げるナズナ。しかし俺の隣で歯を食いしばるユリの姿を認めた瞬間、その表情は無力感に打ちひしがれるメディケスタのものから、友人を案ずる少女のものへと変わった。

 急いで舞台から降り、こちらに駆け寄ってくる。

「ユリ、その……」

 なんと言葉をかけてよいかわからず言いよどむ。代わりに手を差し伸べようとしたが、こびりついた血に気がついて力なく下ろした。

「……大丈夫。私は信じてるから。母さんがこんなことするわけない。するとしても、何かどうしてもそうしなくちゃいけない理由があったとしか思えない」

 自分に言い聞かせるように、そうでなければ自分が自分でいられなくなるとでもいうかのような口調でつぶやく。

「うん、私もおばさんはそんなことする人じゃ、できる人じゃないと思うよ」

 今ナズナがかけてやれる言葉はそれだけしかなかった。そして、出会って間もない俺には何を言うことも何をすることもできないのが、悔しくてたまらない。

 そんな中、切羽詰まった表情のシグルズが舞台の上に上がってきた。

「みなさん、よく聞いてください。ストラテラの急死に伴い、魔力の供給を絶たれた結界が一時的に効力を失いました。その結果――街の南西部と東部で数体のデマギアルの侵入を許しました」

 シグルズがそう口にした瞬間、あちこちで悲鳴が上がった。傍でもナズナとユリが息を呑むのが聞こえた。

「結界への魔力供給はたった今私が引き継いだため、現在結界は復旧しています。デマギアルについては、これより討伐部隊を編成して対処します。しかし討伐部隊が制度上解体されている現在、編成には少し時間を要します。討伐部隊を編成し外敵を駆除するまで、どうか街の周縁部には近付かないでください」

 ……おいおいおい、これって無茶苦茶やばいんじゃないのか?

「それとロマルさん、ナズナ・ラヴィネン。現地でデマギアルの足止めを行っている有志に負傷者が出ているという情報が入っています。ロマルさんは南西部、ナズナ・ラヴィネンは東部に向かって救護活動を行ってください」

「は、はいっ」

 ナズナが慌てて応答し、ロマルが頷くのを見るとシグルズは素早く舞台を降りて早足で去っていった。

「怪我人の搬送に人手がいるよな。手伝おう」

「私も行くわ」

「……わかった。お願い」

 一瞬のためらいのあとナズナが頷く。友人を危険に晒したくはないが止められる理由がない、というところだろう。

 街中が混乱に包まれる中、俺たちは街の東部の周縁部へと向かった。

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