第8話 DAY.2 通りすがりの幻

「――ふっ、ふっ、ふぐぐ……」

 ストラテラ邸から返ってきたあと、俺はナズナ宅の脇にある路地で筋力トレーニングに励んでいた。

 しかし、わかってはいたものの想像以上に体が衰えていて、まともに腕立て伏せもできないでいる。でもある程度動けるのは、これもナズナの魔術のおかげだろうか。

 落胆しつつも、腕の曲げを浅くしてなんとか耐えられるくらいの負荷にトレーニングを再開する。

「ふっ、ふんっ、ふっ」

「――何してるの?」

 無我夢中で体を痛めつけていたところに、上から聞き覚えのない声が降ってきた。

 決めていた回数だけこなしてから体を反転させて地面に座り込む。すぐ傍に立っていたのは、無表情の女の子だった。背丈はナズナとユリのちょうど中間くらいか。

「地面への求愛? おかしな性的嗜好」

「地面にキスして喜ぶ趣味はない」

「じゃあ何?」

「トレーニングだよ。体を鍛えてる」

「体を」

 心底不思議そうにまばたきを繰り返しつつこちらを見据えている。

「何分魔力がないもんでね。持てる力はなんでもほしいところなんだよ。まあそういうのに関係なく体を鍛えるのは好きなんだけど」

「面白い」

「こっちはちっとも面白くない。それで? 俺に何か用か?」

「うん。幻の匂いがしたから」

「幻?」

「あなたが追いかける幻は何?」

「幻覚に溺れるような趣味もないんだがな」

「わかりやすく言うと夢?」

「あー、なるほど。そうだな。俺の夢は英雄になることだ」

「英雄。英雄とは?」

「みんながかっこいいって憧れるやつだよ。この街で言うなら、例えばデマギアルってやつをバッタバッタなぎ倒して街に平和と勝利をもたらすやつとかか?」

「こういうこと?」

 少女はそう言うと、俺と少女の間にある虚空に手をかざした。するとナズナが見せたような光の陣が中にあらわれ、少女はそのまま手を水平方向になでた。

「《投影》」

 それと同時、その空間の一部にまったく別の光景が浮かび上がっていた。言ってみれば映画のスクリーンが虚空に突如出現したようなものだった。映像の中では、見知らぬ男が巨大な熊のような獣と対峙していた。

「これは?」

「ガルアドロフ。多分、英雄」

「ああ、そうじゃなくてこの……これはどういう魔術なんだ?」

「…………」

 怪訝そうに黙りこくったあと、少女は何かに思い至ったように顔を上げてすぐ隣にある建物、つまりナズナの自宅兼仕事場を見つめた。

「『スタチュー』?」

「そういうわけだ。結構噂になってるのか?」

「そうでもない。でも私、幻影魔術師だから」

「幻影魔術師」

「うん。人に幻、夢を見せるのが仕事。かっこいいもの、可愛いもの、面白いもの。でも本当は存在しないものを描いて、見せる。今見せたのもそう。最後にして最強の戦士、ガルアドロフ。その戦いを想像して、創造した」

 ナズナの話に出てきた、戦死した指導者ってやつのことかな。それにしても、架空の世界を映像で語るとなると本当に映画みたいなものだな。

「つまり仕事のネタにできそうなことだから耳に入ってたというわけか」

「そう。でも今あなたに近づいた理由は違う。あなた自身から幻の匂い、したから」

「よくわからんな。俺は別に幻じゃないぞ。多分」

「うん。あなたは幻じゃない。あなたの中に幻がある。私と同じ。だから、好き」

「へ?」

 なんか今ものすっごい不意打ちで好意を打ち明けられませんでした? いや、恋愛感情とかじゃなくて同志としてってことなんだろうけど。

「今のこの街の人、ほとんど誰も幻の匂いしない。幻の匂い、幻に向かって確かな歩み刻む人からしかしない」

「つまり、夢にむかって努力してる俺の姿はなかなかよろしいということ?」

「そう。だから声かけた」

 まさかこんなところに来て、こんな理由で逆ナンめいたことをされる日が来るとは夢にも思わなかった。

「それは、どうも」

「うん、だから私の歩みも見せる」

 そう言った少女は空中のスクリーンを再び手で撫でて消す。そして左手を俺に差し出した。その上には淡緑色に透き通った、三センチほどの小さな結晶のようなものが乗っていた。

「触ってみて」

 言われた通り結晶に触れてみる。ひんやりとした、見た目通りの石らしい感覚。困惑しながら少女の顔を見る。少女は頷き、右手を掌に上を向けて、左手の隣に並べるようにして差し出してくる。そしてそれぞれを握りこんだ。

 何をするのかと見入っていると、少女は小さく何かをつぶやいてからおもむろに両手を開いた。左手にあったはずの結晶が消え、右手にはなかったはずの結晶が乗っていた。

「ほう」

 手品としては普通に感心するけど、この魔術が当たり前に存在する世界でそれを見せられても、なんというかリアクションに困るな。

「触ってみて」

 先ほどと同じことを言ってくる。意図をはりかねながらも素直に結晶に手を伸ばしてみる。結晶に届いた瞬間、指先は何に触れることもなく結晶の内側に滑り込んだ。

「えっ」

 思わず驚きの声を上げていた。これは、つまり……幻?

 立ち上がり、三六〇度全方位から眺め回してみる。どこからどうみても、一部の隙もなく実物の結晶にしか見えない。

「こっちも」

 左手の方を目でさしつつ促してくる。今度こそ本当に意味がわからない。なんだ? もしかして手をつなぐための斬新なお誘いなのか?

 困惑が限界を振り切りつつも再び手を伸ばす。すると、今度は指が虚空の途中で何かに触れた。手触りの滑らかさや形、大きさから考えると、おそらく結晶だと思われる。

 つまり左手の結晶を不可視の状態にし、右手には結晶の幻を作っていたということだ。

「すごいな」

「……努力の結晶?」

「はは、文字通りだな」

 ずっと無表情だった少女が、俺が「すごい」と言ったときかすかに口元をゆるめたように見えた。魔術のことはよくわからないけど、多分すごいことなんだと思う。

「これのこと、他の人に内緒。それじゃあ、お仕事に戻る。機会があったら、また」

「ああ、お互い頑張ろうな」

 小さく頷き、少女はゆっくりと歩き去っていった。なんというか、不思議なやつだったな。ぶっきらぼうというか無愛想というか。でも嫌な感じはしなかった。

「……ユウト? 今誰かいた?」

 家の中からナズナが出てきて声をかけてくる。

「ん、ああ。幻影魔術師ってやつ? こんくらいの背で、なんか不器用な感じのしゃべり方するんだけど知ってる?」

「あー、カズラちゃんかな。幻影魔術師最高位ファンテスタ……幻影魔術は主に娯楽として幻を見せるのに使われるんだけど、その適性の最高位の人のところのお弟子さんの一人だと思うよ。今のところ飛び抜けた適性は出てなかったはずだからうろ覚えだけど」

「ふーん、そうなのか」

 魔力ゼロの俺とくらべればマシとはいえ、あいつも大変なのかな。うん、他にも頑張ってるやつがいると思うとやる気が湧いてくるな。俺もなんとかして英雄になるべくあらゆる手を尽くそうじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る