第3話 DAY.1 夢幻のような現実
それから数時間後。俺は再び横になって天井を見上げていた。ただし、今度はもっとふかふかのマットレスに、掛け布団までついたれっきとしたベッドの上でだ。
結論から言おう。ここは間違いなく俺の知らない場所だ。
街の周縁に行くまでに見た街は、石畳が敷き詰められた地面の上に建つ煉瓦でできた小ぶりな家が寄り集まってできていた。建物自体も、どれも俺の知っている近現代的な趣とは程遠かった。
街を放射状に走っているというトラムに乗ってたどりついた先にあったのは、美しくカッティングされた白い石を積み上げて作られた城壁のような高い壁だった。その壁にナズナが手をかざし、透過魔術だというものを行使した瞬間、風景は一変していた。
そこに広がっていたのは密林だった。大地からは雑草やら大木やらが雑多に生え散らかり、その影になんらかの動物らしきものがうごめいている。
草むらの浅いところに出てきてようやく見えたその姿は見るからに獰猛そうな、犬のような狼のような生き物だった。こちらがそれを視認するとほぼ同時、向こうもこちらの姿をとらえたようだった。
ほんの一瞬。その姿を見失ったと思った次の瞬間、腕一本分ぐらい先の眼前に牙をむき出しにしたそいつがいた。不可視化されているだけの壁にぶつかったそいつは地面に転がったが、俺は思わず顔をかばいつつ身を引いてしまった。
さすがに、現実を受け入れざるを得なかった。
俺は異世界に、魔法のある異世界に来た。もしくは何か壮大で手の込んだ最先端技術の実験施設に監禁された。体の麻痺を治された上で。
正直、現実味のなさでいえばどっちもどっちだ。それならナズナの言う通り、俺は何らかの理由でこの世界に転移してきたのだと考える方がいい。周りがみんな自分を騙していると疑るよりずっと健全だ。
それに非現実的なことだって悪いことばかりじゃない。
俺は自分の顔の前に手を持ってきて、拳を作っては開いてを何度か繰り返す。また体が動かせるようになった。どんな代償も惜しくないほどの奇跡だ。
そうやって諸々の現実をかみしめていると、トントンと扉が鳴った。適当に返事をすると控えめにドアが開けられ、ナズナが顔を出した。
「少しは落ち着いた?」
「十分」
「そっか、よかった」
先ほど外に出たときにはもう夕方だった。信じがたい現実を目の前にした俺が情けなくもショックの余り言葉を失ってから数時間が過ぎ、窓の外はすっかり暗くなっていた。帰ってきた俺はナズナにここで休むよう言われ、お言葉に甘えることにしたわけだ。
部屋はスペースの三分の二くらいをベッドが占める簡素なもの。ベッド脇のサイドテーブルにはナズナが持ってきてくれた水差しとコップがある。夕食を食べるかも聞いてくれたが、疲れもあって食欲はなかったので断った。
「まあ、どっちにしても可愛い私の顔を見ればすぐ元気になっちゃうよね!」
にぱっと自信満々に笑ってみせるナズナ。確かに元気の塊という感じではある。
「そういえば一つ聞き忘れてたな」
「うん?」
「ほら、さっき言ってただろ。自分のことメディ……なんとかって」
「メディケスタね」
「それは一体なんのことなんだ?」
俺がなんの気なしに尋ねると、ナズナは待ってましたとばかりに胸を張った。
「えっへん。メディケスタとは! オザクリフェに数いる医療魔術適性保持者の! その頂点に君臨する者に授与される称号なのであーる! ふふんっ」
「なんかすごそう」
「もー、感想がざっくりしすぎだよー」
「だってどんくらいすごいのかわかんないし」
「しょうがないなあ、もう。それじゃあわかりやすく教えてあげる。このオザクリフェの人口が約一万人。その中で一番偉いのが、防壁魔術で街の結界を維持する役割を負っている、
「……まじ?」
「まじまじ。だって病気とか怪我を治せる人がいなかったらさ、街が滅んじゃうでしょ? だから医療魔術適性は防壁魔術適性の次に重要なの。その適性が一番なんだから、当然私がこのオザクリフェのナンバーツーになるわけなのだよ」
「へえ、本当にすごいんだな。俺とたいして歳も違わな……そうに見えるけど、実はめっちゃ年上だったりする?」
「失礼しちゃうなー。まだピチピチの一七だよ。あ、でも年齢に着目したのはいい視点かも」
「なんで?」
「なんてったって、私、史上最年少のメディケスタなんですもの!」
「ほへー」
「ああ、また『よくわかんね』って顔……」
「悪いな」
「いいよ、いいよ。しょうがないし。各魔術適性の最高位の地位っていうのは、三年に一度の魔術適性検査の結果で決まるの。それで各分野で最も適性が高い人がその最高位の称号を得る。その魔術の適性っていうのは、だいたい三〇歳くらいがピークだから一七で最高位就任は異例中の異例中なんだよ。すごいでしょ」
「なるほど。一七で、ってことはなったばかりなのか」
「そういうこと。先月行われた検査で一番になって、今月なったばっかの新米メディケスタだね。来月に最高位の称号授与式があるんだよ」
「なんか聞けば聞くほどすごいやつだな」
「そうそう、もっと讃えてくれていいんだよ」
「よっ、天才!」
「うんうん」
「最高のメディケスタ!」
「むふふ」
「絶世の美少女!」
「えへー」
「胸はさながら地平線!」
「うむ……む? 今なんて?」
「いや、新たな地平を切り開くもの、と」
「そ、そう? なんか馬鹿にされた気がしたけど気のせいだよね、うん」
「当然だ。ナズナには馬鹿にされる要素なんて一つもないからな」
「えへへー、ユウトったら口がうまいんだから」
自分に都合のいいことだけよく聞こえる耳なのか。精神衛生上健康的で大変よろしい。
「そういえば、俺みたいなやつを治せたのもナズナが初めてだって言ってたな」
「うん、私にかかればお茶の子さいさいだけどね!」
そう言いながら腕を組んで鼻息を荒くする。俺は太ももの上で右手を強く握って、そんなナズナをまっすぐに見据えた。
「ん、どうしたの?」
「いや、まだお礼を言ってなかったなと思って」
「そんなの別にいいよ。だって、それがずば抜けた才能を持って生まれたものの義務だと思うし……なんてね。今私ちょっとかっこいいこと言った?」
「いや、それでも言わせてくれ。本当に、ありがとう」
ここからまた人生を始められる。よくわからない環境に放り込まれたけど、俺はもう一度チャンスを得た。何かを成し遂げるチャンスを。英雄になるチャンスを。
「な、なんか照れるね。そんな真剣に感謝されたの生まれて初めてかも」
「それくらいのことをしてくれたってことだよ」
「そっか。それならよかった! 今日はここで休んでいってよ。これからのことは一晩寝て、明日の朝フレッシュな頭で考えればいいと思うし」
「お言葉に甘えさせてもらう」
今ここを出ていっても正直なにをどうすればいいかさっぱりだしな。
「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
ひらひらと手を振りながら、ナズナは部屋を出ていった。
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