第2話 DAY.1 少女との出会い

 眠りに落ちようとする度、このまま目を覚まさないのではないかという淡い期待と恐怖の入り混じった複雑な感情が去来する。そして目を覚ました瞬間、それはわずかな落胆と安堵に形を変える。

 今朝もその感情を飲み下す――はずだった。

 落胆と安堵を霧消させたのは驚愕。目の前に広がる景色への驚きだった。

 真っ白だったはずの天井が茶色になっている。いや、そういうことじゃない。そもそもの材質が違う。木だ。天井が石膏ボードから木材に変わっている。

 わけがわからない。俺が寝てる間にリフォームした? そんなわけあるか。じゃあどこかに移送された? でも一体どこに……。

「あ、気がついた?」

 俺の混乱に拍車をかけたのは、そんな声とともに目の前に現れた少女の笑顔だった。

「――なっ」

 その唐突さと顔の近さに動揺した俺は思わず声をあげた。

 ……って、声? ちょっと待てよ。今、俺の口から声が出たのか?

 それに気づいた瞬間、俺は反射的に身を起こそうとする――が、肩口に添えられた少女の手がそれを阻んだ。

 阻まれた、とわかる。そう、体に感覚がある。

「待って待って。ちょーっと待って。一応異常がないかチェックするから」

「な、なあ、お、俺……」

「うんうん、早く起き上がって可愛い私に感謝の抱擁を捧げたいのはわかるけど、安静安静」

 こいつは何を言ってるんだ? というか一体何が起きてるんだ? 俺はどうなってるんだ? 一体ここはどこで、こいつは誰なんだ?

「はい、五秒でいいからそのままねー」

 といった少女は、何らかの台かベッドに乗せられているらしい俺の脇に立って目を閉じると、両手を俺の腹の上あたりにかざした。

「《解析》」

 そして何かをつぶやいたその瞬間、両手をかざした虚空に緑色の光が生まれた。

 光は円形となりその内部に何かの紋様を――いつか遊んだゲームで見た魔法陣に似た形の紋様を描いた。

 少女の両手分くらいの直径だった円は、すぐさま俺の身長を超える大きさの円となる。そしてそのまま降下を始め、俺の乗る台ごと俺の体を通過した。

 そしてすぐに上昇して再び俺の体の上に現れると、一瞬で縮小して消えた。

「よし、異常なし。さすが私だね。よかったよかった」

 少女は繰り返し頷くと、俺の上にかざしていた手をこれでよしという風にパッパと打ち払った。なんだ、今のは。さっきから怒涛のように混乱の種が押し寄せてくる。

 何一つとして事態を理解できない。

「もう起きていいよー」

 その言葉に従いゆっくりと上体を起こす。恐る恐る右手を持ち上げ、握ったり開いたりしてみる。動く。本当に体が動く。わからないことだらけだが、しゃべることができて、感触があって、体を動かすことができる。それだけは事実のようだ。

「なあ、ええと……」

 傍らに立つ少女に向き直るが、何から聞いていいのかまるでわからない。

 混乱する中で、少女の人形のように整った顔に視線が吸い込まれた。くりっとした青い瞳、薄くての良い唇、しゅっとした鼻。そしてひときわ目を引くボブカットの鮮やかな金髪。

 身長は意外と高く一七〇センチほど……にしては妙に上半身と下半身のバランスが悪いような。そう思って足元に目を向けてみると少女の足の下には台座があった。実際は一五〇センチ半ばというところだろう。

「あ、見たね? 私のトップ・オブ・ザ・トップシークレットに触れたね?」

「いや、隠れてねえし」

「あはは、するどーい。ま、小さいのも可愛いしいいよね、うんうん」

 だいぶポジティブ……というか自信過剰気味だな。とはいえ実際のところ可愛いのは紛れもない事実だ。それに個人的にはどうせいいものを持って生まれたなら謙遜するより誇示してくれたほうがすっきりする。

 つっこみ入れたおかげでちょっと調子が出てきた。

「いくつか聞いてもいいか」

「いいけどスリーサイズはホントのホントにトップシークレットだからね?」

「聞かないから」

「恋人はいないよ?」

「聞いてないから」

「好きなタイプはー……」

「もういいって」

 あごに指を当ててニコニコしている少女の顔の前に片手を差し出す。すると少女はきょとんとしてからずいっとこちらに身を乗り出してきた。

「本当に? こんな可愛いのに? 知りたくない? 私がどんな人が好きか」

 畳み掛けるように俺との距離を詰めてくる。思わずのけぞりながら目をそらす。

「別に……」

「本当は?」

「……ちょっと知りたい」

「ほらー!」

 そりゃ、こんな現実離れした美少女が目の前にいたらドキドキもするし、異性として意識しないわけにもいかないって。

「私の好きなタイプは、優しい人! 私がうっかりミスしちゃっても、笑ってぽんぽんって頭を叩いて慰めてくれる人がいい!」

「そうかい。じゃあもっと肝心なこと聞いてもいいか?」

 天真爛漫なんて四字熟語が自然と脳裏に浮かんでくるほど眩しい笑顔にドギマギして、思わず淡白な口調で話題を変えてしまった。

「私のタイプより肝心なこと……!?」

「そんな衝撃を受けられても。名前だよ、名前。なんて言うんだ?」

 俺が言うと、ポンと手を叩いてから微笑んだ。

「あ、そっか。名乗ってなかったね。私はナズナ。ナズナでもナッちゃんでも好きなように呼んでいいからね」

「……じゃあ、ナズナで」

 口ぶりからすると姓ではなく名前らしいので、妙に照れくさい。

 それで、だ。いくつか、とは言ったものの何から聞けばいいのかわからない。

 とりあえず周りを見渡す。俺が横たわっているのは五メートル四方程度の空間の中心にある手術台のような何かの上。しかし壁は医療には到底向きそうにないレンガで形成されている。

 その壁際にはよくわからない機械らしきものがずらり。なんとも形容しがたい空間だが、強いて言えばファンタジー系テーマパークのアトラクションみたいだ。ただ、それにしては部屋の使用感にリアリティがありすぎる。

 俺が着ているのは病院服らしき何か。しかしこれがもとから着ていたものなのかはわかりかねる。これまでは自分の体を見下ろすこともできなかったわけだし。

 それにさっき見た魔法陣のような光も気になるし、何よりなぜ俺の体が動いているのかがわからない。わからないことがあまりに多すぎる。

「あのね、私の方も聞きたいことがたくさんあるんだ。だからこっちからいろいろ聞かせてもらっていい? その中でわからないことがあったら答えていくからさ」

「あ、ああ。わかった」

 向こうは向こうでわからないことがあるのか。向こうが十分に事態を理解してからの方がこっちも聞きやすいだろうしな。

「まずは……あ、お名前だね。なんていうの?」

「浅霧勇斗」

「アサギリユウト? どこまでが名前?」

「ユウトが名前だ」

「あ、下が名前なの? 珍しい名乗り方だね。じゃあユウト、早速なんだけど、目覚めるより前の、一番新しい記憶について教えてもらっていいかな? 何してたか覚えてる?」

「何って言っても、病院で寝かされていただけだな。次に気づいたときにはここに」

「……ビョウインっていうのは?」

「へ? 病院は病院だよ。病気や怪我をした人が行く場所」

「そ、そっか。えーと、つまり、その、こことは違う場所ってことなんだよね?」

 困惑気味に頬をかきながら言う。

 どういうことだ? 確かにぱっと見たところいろんな意味で俺とは人種が違うとは思ったけど、意思の疎通は問題なくできている。なのに病院と言って伝わらないのはなぜだ。

「ここには来たこともないし、見覚えもない。ここはなんなんだ?」

「ここは最高位医療魔術師メディケスタである私の自宅兼仕事場なんだけど……メディケスタって聞いたことない?」

「いや、まったく」

「じゃあ、オザクリフェって地名に心当たりは……?」

「聞いたことない」

「うん、うん。それじゃあ、嫌でなければこれまでの自分の人生について簡単に話してくれるかな?」

 表情は真剣そのものだから興味本位というわけでもなさそうだし、別にいいか。楽しい話ではないがそこまで嫌というわけでもない。

「生まれたときから父親はいなくて、ずっと母親と二人暮らし……といっても母親の男漁りがひどかったのと夜の仕事が忙しかったのでほぼ一人暮らしだったな。小学校のときに始めた空手が唯一の趣味であり特技。でも母親も仕事帰りの交通事故で死んで、俺は児童養護施設に預けられた。そしたら今度は俺が厄介な病気にかかったらしく、寝たきりになった。このまま一生を終えるのかと思っていたら、なぜかここで目を覚ました、と」

「ご、ごめん。三割くらいなんのことかわからないけど、嫌なこと聞いちゃったみたいだね。本当にごめん」

 今のでも伝わらない言葉があるのか。ますますもってよくわからないな。

「別にいいって。それで、この一連の質問で何かわかったのか? 俺の方はわからないことが増える一方なんだけど」

「うん。一つわかったのはユウトがこの界域ガルドではない、別のどこかから来たってこと」

「ガルド?」

「ありゃ、これもわからないか……。じゃあ抗魔異能生命体デマギアルは?」

「デマ……なんだって?」

「デマギアル」

「さっぱりわからん」

「オッケーオッケー。これで今の時点で出せる結論は出たよ。まとめて説明していくね」

 ナズナはコホンと一つ咳払いを挟んでから改めて口を開いた。

「まず、この場所について。オザクリフェというのはここら辺一帯の街の名前。そして、この街は結界によって守られている」

「何から?」

「それがデマギアル。伝承レベルの話で真偽は定かじゃないけど、大昔に天文学的な規模の魔力兵器が乱発されたらしいの。その破壊的な魔力は呪いとなって大地に焼き付いた。今はもう毒素が抜けきったみたいだけど、汚染された土地の中で独自進化を遂げることで生き残った生物たちもいる。それがデマギアル。膨大な魔力に晒され続けた結果、魔力への耐性を身につけ、同時に魔力の影響で特殊な力をも得た生き物。動物も植物もいるけど、問題になるのは襲ってくる動物の方だね」

「頭痛くなってきた」

 魔力兵器。独自進化した化物。いろいろと非現実的な感じはあったけど、ここまで決定的に理解の及ばない言葉が出てきたのは初めてだ。

「小型の個体はなんとかできるらしいけど、中型以上となると基本的には分の悪い戦いになる。だから私たちは、こうして結界の中で生活してる。そういう生活圏のことを、ガルドっていうの。ここの他にもあるって考えられてるけど、確かなことはわかってない」

 今はこの辺りのことを深く考えるのはやめよう。とりあえず自分の状況把握が優先だ。

「それで、俺はどうなってるんだ?」

「そう、肝心なのはそこなんだよね。ユウトはね、このオザクリフェの中の路上で倒れてたの。それでここに運び込まれてきた。実は、以前にも何度か同じようなことはあったの。ピクリとも動かないけど死んではいない。しかもこの街にその人を知ってる人は誰もいない。一般的に『スタチュー』って呼ばれてるんだけど、そういう人が道に倒れていたことが何度かあった。ユウトは私がメディケスタになってからは初めての『スタチュー』で、なんと、史上初めて治すことのできた『スタチュー』でもあるんだよ。だから『スタチュー』がどこから来た人で、何者なのかは誰にもわからなかった」

「それでようやく出た結論っていうのは?」

「結論と言っても可能性を絞れただけだけどね。まっとうに考えると、オザクリフェ以外のガルドから、何らかの理由によって魔術によって転移させられたってことになるかな」

 先生、まっとうな考えの中に魔術なんて言葉が出てくるのはおかしいと思います。

 次から次へと飛び出る非現実ワード。是非とも冗談であってほしいが、ナズナの様子を見ているととてもふざけているようには見えないから恐ろしい。

「ただし、デマギアルのことも知らないってことは、よほど巨大で強大な、情報統制が行われているようなガルドにいたってことになるね。体の状態は何らかの罰か、もしくはそれ自体が転移させられた理由か。原因なのか結果なのかはわからない」

「修学旅行とかで結構遠くまで行ったけど、人懐っこい鹿に会ったくらいで化物にはには会わなかったな」

「それ以外だとすると……うーん、それこそ突拍子もないことだけど、平行世界とか異世界からの転移? 要するに空間じゃなくて次元レベルの魔術によるものってことかな」

「ああ、うん。異世界ってのはめちゃくちゃしっくりくるな。文字通り俺の知ってる現実とは何もかも異なる世界だよ、ナズナの話を聞いてる限り」

「私の話、信じられない?」

「ナズナを疑うわけじゃないけど、さすがにちょっとな」

「じゃあ結界の周縁ギリギリまで行ってちょっと外の様子見てみる?」

「できるのか?」

「うん、どこまでいっても結界の中は安全だよ」

「んー……それじゃあ頼む」

 百聞は一見にしかず。この目でその化物とやらを見れば、常識とか理性もさすがに音を上げてくれるはずだ。

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