英雄志望の魔動格闘士

小林コリン

第1話 DAY.0 夢と思い出と空想

「準優勝、浅霧勇斗くん」

 名前を呼ばれた俺は、一礼してから表彰台の二番目に高いところに上った。観客席からは拍手が送られる。だけど多分、客席誰も俺のことを知らないし俺のことは見ていない。拍手するタイミングだから拍手しているだけ。

 もしも名前を呼ばれるのがもう一つ遅ければ、もう少し違ったのだろうか。

 そもそも俺は何が欲しくて、厳しい練習を乗り越えてこの舞台に立ったんだっけ。

 称賛? 金メダル? 強さ? 進学するときの内申点? 

 どれもきっと正しい。だけどなんとなく違うような気もする。そんなこともわからないからこの場所に甘んじているのかもしれない。少なくともたった今隣りに立った彼の表情は最初から今までずっと晴れやかで純粋だった。

 隣の彼は観客席の一点に向かって勢いよくぶんぶんと手を振っていた。その先にいるのは両親と思しき中年の男性と女性。同年代くらいの女の子は姉か妹か、あるいは恋人なのかもしれない。

 年甲斐もなくはしゃぐその人たちから視線を外し、足元に向けた。そこには数十センチの台がある。いつもよりほんの少しばかり高い位置にたっただけでは、見える景色はまったく変わらなかった。

 中途半端な高さを意識していたら惨めになってきたので顔を上げる。だからといって目のやり場はない。俺を見る目も一つとしてありはしない。

 俺はただ、無感情な視線を観客席の間で彷徨わせていた。


 

 夢か思い出か空想か。起きてるのか寝ているのか判然としない状態がずっと続いているせいで、たった今まで自分の頭の中に広がっていた光景がなんなのかよくわからない。

 目が覚めた、というか現実に引き戻されたのは傍らで繰り広げられる問答のせいだ。

「これ以上は無理です」 

 ここ数ヶ月で聞き慣れた声。今日も俺はそれを清潔な白い天井を眺めながら聞く。身じろぎ一つせず、口を挟むこともなく聞いている。

「だからといって治療を中断するわけにはいかないのです」

「私にも家庭があります。これ以上は払えません。会ったこともない遠い親戚の少年に、しかもこんな……」

 一拍の間。視線を俺に向けたのだろうか。

「生きているのか死んでいるのかもわからない少年に」

 そう。俺は生きながらに死んでいる。あるのは意識だけ。身じろぎも口を挟むこともしないんじゃない。できないのだ。

「そのような言い方は……」

「失礼。配慮を欠きました」

 男性の低い声が、ぼそりと呟いた。

 俺が暗い泥の底から浮上するように意識を取り戻したのが数カ月前のこと。その前に意識があった時の記憶は曖昧で、混濁した意識の中で感じた、手足が自由に動かないことへの強烈な恐怖だけを覚えている。

 これまでに聞いた話を総合すると、どうやら俺は一年半ほど前に何らかの病気にかかり昏睡状態に陥ったらしい。それ以来、身寄りのない俺を延命させるための費用を、ここにいる親戚の男性が肩代わりしてくれているという。そして、俺が奇跡的に意識だけを回復したのが数カ月前のこと。

 男性にしてみれば迷惑も甚だしいことだろう。俺だってこんなこと望んじゃいない。声が出せるなら言ってやりたい。

 一言、「殺せ」と。

 それで医者が俺を死なせてくれるのかはよくわからない。でも、もうこれ以上生きていたって仕方がないじゃないか。もう何もできない。何者にもなれないんだから。

 何もできない。そう、空手もだ。

 手足の麻痺を自覚したとき、一番初めに考えたのも空手のことだった。俺の人生にあった唯一の希望。それを根本から立たれることへの恐怖が全身を埋め尽くした。

 もっとも、実際は中学生のときに母が事故で死んで児童養護施設に入れられたときにやめていたわけだけど。それでもいつかは自立して、改めて空手をやりたいと思っていた。それだけが俺の目標だった。

 我ながらひどい人生だったと思う。頭の出来はさんざんで勉強はまるで駄目。顔は中の下か下の上といったところでモテとは無縁。唯一の肉親だった母親とは死別し、挙げ句の果てには病に倒れて寝たきり生活。

 一体前世でどれほどの悪徳を積めばこんな過酷な一生を送らされるはめになるのだろうか。パンドラの箱の底には希望が収められているというけど、ありたっけの絶望にまみれたかすかな希望に、どれほどの意味があるというのだろう。

 多分俺は、英雄に憧れていた。

 誰もが注目し、誰もが称賛を送り、誰もが憧れる、そんな人になりたかったんだと思う。

 もっと自分を見てほしかった。もっと褒めてほしかった。

 こうして思い返すと、求めるばかりの情けない人間みたいだ。実際のところ、努力はしてきたつもりだ。でも何も成せなかった。それはつまり、何もないゼロの状態から何かを成し遂げられるほどの、死にものぐるいの努力ではなかったということなんだろう。心のどこかで、箱の底の希望が自分に才能や能力を与えてくれることを期待していたんだ。

 ああ、やっぱり情けないやつだ。今もこうしてただ死を待ち望んでいる。

 もしも、もしも再び立ち上がることができたなら。もしももう一度この足を踏み出すことができたなら。もう一度この拳を突き出すことができたなら。

 そのときはきっと、何をも恐れず、命も惜しまず、迷わず前に突き進んでいくことのできる――英雄になろう。

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