外伝の外伝 悪魔たちの集い
「イタズラするなら~?」
「はいはい、今でしょ、だろ」
満月を背負い、ベランダに降臨した吸血鬼を見たウィルは苦笑した。今日はハロウィン。ネットで知ったらしいイベントにノリノリで参加するこの本物のモンスターを可愛いと思うのだから、自分はかなりの末期なのだろう。
「本当残念な奴だよなぁ」
「ポージングが間違ってたか。それか効果音か?」
「真面目にアホなことするなよ、ほら早く入れって。……おい服の隙間から見えてるぞ、絶対にベランダでクラッカー鳴らすなよ!」
「貴様見ているな!」
「いいから入れ!」
割らんばかりの勢いでガラス戸を開け、来訪者を引っ張り込む。手が冷たいのは、夜風のせいではない。彼の肌はいつだって冷たいし。
「トリックオアトリート」
「ほら」
「トリックオアトリート」
「……ほら」
「トリックオアトリート」
「えっと……待て、ほら」
「トリックオアトリート」
「いい加減にしろ、もうないぞ」
きょとんとした目を向けられても困る。言われるがままに差し出した菓子は、サンタクロースよろしく広げられた袋にポイポイと詰め込まれていった。袋にはまだまだ余裕がある。……そんなに根こそぎ貰われる気も困るのだが。
「ねぇのか。じゃあ……」
もう一軒かな? と立ち上がりかける彼をソファに沈める。
「やめとけよ、迷惑だ」
「ルミのとこくらいだけどな」
「普段散々たかってるじゃないか」
それもそうか、とソファに座ったまま呟くレイン。どうやら二軒目は諦めたようだ。……チョコレート、せっかくたくさん用意したんだ。袋の中のそれ食べて、今夜は満足してやってくれ。……そんなことを考えていたら、ニヤニヤしたレインが空っぽの手を向けてくる。
「ウィルくん、ほら」
「もうないってば」
「……ならイタズラか?」
不意に頬を撫でる冷たい指に、ぎょっとしてレインを見やれば、半分伏せられた赤い目に金色の長いまつ毛が影を落としている。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てって……!」
「暴れんな」
「──ッ」
追い打ちとばかりに耳元に吹きかけられた息。ぞくりと背筋を駆け抜ける抗えない衝動に思わず生唾を飲み込む。
「……誘ったのはお前だからな」
どんな菓子よりも甘い誘惑を、ウィルの体は渇望していた。その手を、本能のままに伸ばす。……ところが。
ピンポーン。
身を委ねたかった衝動にブレーキがかかる。無視してしまおうかと考えていると、催促するようにもう一度鳴った。来客に水を差され他ことに思わず舌打ちをすると、らしくねえなと笑われた。……誰のせいだと思ってんだよ。
「じゃ、行ってこいよ。お客様の対応がんばれ」
「……帰るなよ? すぐ戻るから待っててくれ」
「はいはい」
「はいは一回だ」
まったく!
一体誰がこんな時間に──とドアを開けてみる。
「こんばんは、そしてトリックオアトリート」
ドアの前に立っていたのは満面の笑みのトト。手に持ったかごには山盛りのお菓子。
「……何しにきたわけ」
「いたずらをしにきました」
「えーっと、お菓子はまだあったかな」
「はは、そんなにあからさまに嫌わなくても。俺は別に、貴方に興味があるわけではないんです。レインさん来てますよね?」
「勝手に入るな家に!」
ウィルは頭を振ってトトの体を押し出し、ドアを勢いよく閉める。
「ちょ、ちょっと……開けてくださいよ」
「帰れ」
「仲間はずれにしないでくださいよ、お二人の真ん中に入るのが俺の楽しみなんですから」
ドア越しに聞こえる泣き言に、やれやれとため息。トトと自分はお互い嫌いあっているはずだ。トトはレインを気に入っているが、プルートほどでもないだろう。
それなのにちょっかいを出してくる理由は、さてなんだろう?
「……。」
ウィルは自分の眉間に寄った皺をほぐし、ついで舌打ちをした。ゆっくりドアを開けてやると、そこには満面の笑顔のトトが。
「こんばんは」
「……やり直すなよ。さ、菓子やるから帰れ」
「もう一杯持ってますって。これレインさんにあげたいんです」
「オレたちはお前のおふざけに付き合う義理はない」
「なんでそんな冷たいこと言うんですか?」
「お互い嫌ってるのにそれ以上の理由はいるか」
「……ふふ」
ウィルの一言に満足したらしく、トトは不思議と笑顔になった。そのままお菓子の入った籠を押し付けると、いらないというウィルの声を無視して走り去ってしまった。
「……なんだよ。どうするんだこれ」
中身を拝見してみると、既製品のお菓子の下に手焼きのパンプキンパイ、メッセ―ジカードが。
「ハッピーハロウィン、ヘンゼルとグレーテルより……? どういうことだ?」
「ウィルくん」
「うおっ、待ってろって言っただろ」
「待ちきれなくて。トトのやつからかそれ」
くんくんと鼻を鳴らすレインは美味そうとつぶやいた。
「……夜だけど食う?」
「ウィルくんは〝我慢”できるのか?」
ぺろりと唇をなめて見せるレインに陥落。なにをなんて野暮な話だ。ウィルは手早く鍵を掛けるとレインの背中を強引に押してベッドへ向かった。
心地のいい気怠さに四肢を遊ばせていた。このまま眠ってもいいかと目を閉じかけたウィルがそれでも目を開けたのは、レインの囁きにこたえるためだ。
「……トトはパンプキンパイが好きだったのか」
それはとても小さな声だった。
「あー、どうだろう。あいつのやることはよく分かんないな。でも態々持ってくるなんて構って欲しかっただけかも、なんて」
「マロンパイばっかり作ってやってたけど、パンプキンパイが欲しかったのか」
「……ん?」
レインの言葉が自分に向けられたものではなく、月明りへ溶ける独り言だと気づいたウィルは半身を起こす。レインはぼんやりと眼帯に触れていたが、その手をウィルの熱い手のひらが掴むと一つしかない目線をこちらに寄越した。
「レイン、お前トトになんか作ったことあったか? ルミナスたちにうどんは煮てたけど……」
「……あ」
「マロンパイなんて作れるのか?」
「いや、無理。え、マロンパイ?」
「今自分で言ってたぞ」
「……?」
レインは自分の唇に触れて首を傾げる。赤い目が、朱く煌めいている。まるで熱に浮かされている最中の瞳だ。……寝ぼけているのだろうか?
「そういやレイン、前にも変な寝言言ってたな。傷がどうとか言いながら、オレじゃないウィルってやつの名前を呼んでた」
「ウィルの名前はウィルくんしか知らない、はず」
「151年前のことでまだ混乱してるのか? それとも、オレの知らないところでトトと何かあったか」
「……心配してると見せかけて嫉妬してんのか?」
「答えてくれ」
「覚えてないもんを答えられるわけねぇだろ」
「じゃ、思い出させてやる」
ぎしりとベッドが軋む。ウィルを見上げながらレインはふと微笑んだ。
「バカだな。オレにとってのウィルはウィルくんしかいない。オレがお前以外のウィルを呼んだなら、オレ以外のレインが勝手に口を使ったんだ」
お前に隠すことはもう何もないよ、オレにはお前だけ。そういって腕を伸ばしてくるこの吸血鬼が、ただただ愛おしいと感じた。
*
窓の外の月が割れる。まるでかぼちゃの頭のようにばっくりと割れたそこから、夜の闇がさらさらと零れ落ちている。
それは比喩でもなんでもない、そのままの表現だ。
けれどもこの空を異常と思う人間はいない。誰もいない。
歪な月明りが差し込むバスルームで、ざあざあとお湯のあふれる浴槽に使ったままのトトだってそうだ。自分用のパンプキンパイをこんなところでつつきながら、満面の笑みを浮かべている。
「贈り物って素敵だね、あれを食べているとき二人は俺のことを考えてくれる。……手伝ってくれてありがとうね、アンジュ。」
バスルームの中にはトト一人ではなかった。制服を着たままのアンジュが椅子に腰かけ、素足だけ湯の張った洗面器に浸している。彼女もまたフォークを手に取って、自ら手伝ったパンプキンパイを食べていた。
トトの裸体を乳白色の湯越しにみても顔色一つ変えないのは、二人の短くない付き合いが理由である。早くに両親を亡くした彼女とトトは、家族同然に育ってきた。
「アンジュ。でもなんでヘンゼルとグレーテルなんて書いたの?」
──親に捨てられた小さな兄と妹。二人は森の奥でお菓子の家を見つけ、そして魔女を殺す。そんな、そんな感じのお話。アンジュは思う。魔女は悪かったのか、親が悪かったのか。……全部許せないなら、全部殺してみたっていいじゃないか? 捨てられたのだ。存在を放棄されたのだ。それならば彼にはその権利がある。
「ねえ、楽しかった?」
質問に質問で返してみたが、トトは笑ってくれた。
「うん? 俺はすごく楽しかったよ」
「チャルモ村の生活と、どっちが楽しかった?」
「アンジュ、それ何のこと?」
「ううん、いいの。全部、もういいのよ。パイの味はどうかな」
「大丈夫だよ」
トトはそう答え、アンジュと目を合わせた。二人の声が揃う。
「「──多分ね」」
上機嫌で鼻歌を歌いだしたトトに自らも歌声を重ねながら、アンジュは割れた月を見上げた。
……もうすぐだ。どうせ終わるなら、たまにはいいじゃないか。少しでもこの世界が、彼の心を癒せますように。
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