外伝 ルノの図書世界




 ぱらり、ぱらり。

 夕暮れの図書室に吹き込む風が本を捲る。本を前にし、一人の少年が俯いている。彼の視線は勝手に進む本ではなく、ただ机の上を歩くてんとう虫を見つめていた。

 その横顔が大好きだ。普段はおどけた立ち位置にいる癖に、思考に沈むと目がすっと細められて、端正に彫り込まれたかのような横顔を夕日が舐めて行く。髪の毛に染みた夕日が赤紫に光るのだ。


 その横顔が、大好きだった。


 ルノは眺めていた本を閉じてためいきをつく。周囲にはまだまだ面白そうな本が沢山あるにも関わらず、ルノの手はいつもこの本にあった。放課後の無人となった図書館では、小さな吐息すら大袈裟に響く。

 この席に座って、ただ考える。自分は彼に近づけているだろうか。それにしてもあぁ、夏の夕方の風は心地いい……。


「ありゃりゃ、先客ですかな!」

 飛び込んできた無邪気な声に、ルノは微笑んだ。粗野なのに不思議と品のある声。ああ、微笑んで彼を迎えよう。

「飽きないなシヴァー。今日も調べ物か?」

「いえ、別件ですぞ」

「なんだ、七不思議の本の場所は確認しておいたのに? 探偵部に協力をしたかったんだがな」

「それは別の機会にお願いしますぞ、セーブポイント殿」

「その変な呼び名をいい加減にやめてくれ」

「図書室さんはセーブポイントと決まっていますからなぁ」

「お前の言うことは相変わらず複雑だ」

 シヴァーとルノは顔を見合わせて笑う。友達と喧嘩したといってシヴァーが一人でこの図書室に来たのはついこの間のことなのに、二人は随分と親しくなっていた。

「それで、仲直りはできたのか?」

「そりゃあもう。……でも、そのことでまた問題が一つ」

「言ってみろ」

「……うー。なっちゃんは……いえ。セーブポイント殿。人狼について知っていますかな?」

「あぁ、少し前に噂になっていただろう」

 ルノの答えが意外だったのか、シヴァーは目を丸くする。向かいの席にガタガタと騒がしく座り込んで身を乗り出す彼に苦笑し、ルノは続けた。

「そういう、つまりゲームだろう?」

「でも、本当に居るんだって……オイラ様の友達が探してて、戦うっていってるんです。それにオイラ様でも信じきれてないけど、そういう化け物の類が実際にいて」

「お、落ち着け、ちゃんと聞いているから」

「ごめんなさいですぞ……」

「お前がそのなっちゃんをとても心配しているのはわかったよ。私も調べてみるが、そういうのは妹の方が詳しいな」



「人狼?」

 棒付きキャンディーを頬張りながら、チェリカは首を傾げた。華奢な首に掛かる無骨なネックストラップの先には、同じくがっちりとしたカメラが光っている。

 正面の咳に腰掛けたチェリカと、その横のシヴァーを見守るルノはその続きを待った。

「それって、お化け?」

「お化けというか、化け物には代わりありませんが……」

「うーん、心霊写真みたいなの探してるの?」

「いやそうではな」

 ルノの言葉に被せて、チェリカは手を叩いた。

「ああでも、聞いたことあるんだよね。ねえお兄ちゃん、私知ってるよ? 偉い?」

「ああ偉いぞチェリ」

「で、シヴァーだっけ? 多分ファイルが残ってるから持ってきてあげてもいいけど、交換条件があるよ。君、シオンと仲いいよね?」

「へ? まあ……」

「あの子誤解してるからちゃん伝えてくれる? 私のスリーサイズについてね」

「た、探偵に嘘をつけと!? ノックスに反しますぞ!」

「嘘じゃないもん!」

 むーっと頬を膨らませたチェリカと、シヴァーはしばらくあーだこーだ騒いでいたが、夕日が落ちる前には図書室を出て行った。

 ルノは頬杖を付く。この時間に見える空には、沈み行く太陽とうっすらと輝く月の対比がが美しい。

 幸せだ、と思う。

 可愛い妹と、可愛い後輩。

 ……何故だろう、目がちかちかする。そういえば妹の右手に、何かが巻きついていたようにも見えた。

 ──確か、見覚えがある。知っている。

 ルノは手元の本を開く。……そして、思い出した。


 次の日の夕方、チェリカから渡されたという黒いファイルを片手にシヴァーがやってきた。

「チェリカはどこだ?」

「へ? オイラ様は知りませんぞ。ただ、これを渡してくれたので、セーブポイント殿と一緒に見ようかなぁ~とここまできた次第であります」

「……その中身、見なくてもわかるよ。すまん、シヴァー。私が愚かだった」

 ぽかんとしてばかりのシヴァーの後ろから、一人の少女が現れる。長い黒髪とミステリアスな雰囲気に、ああ、話に聞いていた、彼女こそがなっちゃんだと察した。本名はルミナス。妹より年下だろうに、その発育のいい体つきを見ていて男だと誤解していたシヴァーは少しアホだと思う。

「貴方、いつも図書室で遊んでいたの? 放っておいてごめんねだぜ」

「遊んでいたワケではありませんぞ! ね、セーブポイント殿?」

「……そうだな。お前は彼女の為に頑張っていたよ」

「ほら、聞きました? なっちゃんのために一肌二肌脱いじゃって、なっはっはっは」

 高笑いするシヴァーの横で、ルミナスの眉が潜められる。周囲を見渡した彼女こそは、ミニスカートをするりと流して太腿に括られたホルダーに手を伸ばしている。

「なっちゃん、そんなに不機嫌にならなくってもいいですぞ……オイラ様、ショック」

「……むぅ」

「なっちゃん? 許してくだされよー。ね、セーブポイント殿も何か言ってくだされ」

「シヴァー、私は……」

「あれ? どうしたんです? そんな青い顔して、腹痛ですかなぁ」

 ルノの元へ駆け寄ろうしたシヴァーは、しかしぎくりとして足を止める。


「貴方、誰だぜ」


 ルミナスの拳銃は真っ直ぐにルノに向いていた。慌てるシヴァーを一瞥し、彼女は問う。

「シヴァー、さっきから誰と話してるの? わたしには視えない。この図書室には、わたしとシヴァーしかいないんだけど」

「何を言うのですかな。こ、ここにいますぞ!」

「……わたしはシヴァーを守る。魔物が貴方を狙っているのなら、戦うことに躊躇しないぜ」

「ちょっと待ってくだされ!」

「待たない。待てない。必要ない」

「んもお! 話を聞いて欲しいですぞ!」

 シヴァーはルノとルミナスの間に立ちはだかって両手を広げる。その背に、ルノは手を触れた。……つもりだった。自分の指はシヴァーの体をすり抜けてしまうだけだ。その様子を横目で見たシヴァーの顔に驚愕の色が広がる。

 床に放り出されたファイルがぱらぱらと風にめくられる。ルノがいつも読んでいた本も同じように。そうして、シヴァーには本から、ルミナスにはファイルから。晒された真実に、シヴァーの顔は驚愕から当惑に。そして、悲しみの色が。

 そんな顔しないで。お前の顔は、あいつによく似ているから。……私はあいつを守れなかった。でも、妹だけは。

「その本……どうして、真っ黒なんです。貴様はいつも、何を読んでいたのですか」

「そういうことだよ」

「答えてくだされ! 本当に魔物だったのですか!?」

 何も書かれていなかった、どこまでも黒い本。何の意味も残さないそれはまさにルノ自身だろう。死してなお、この世に留まる愚かな亡霊。

 シヴァーの向こうにいるルミナスが、そっと拳銃を下ろした。ひょいとしゃがみこんで落ちてたファイルを拾い上げている。

「……そこにいるのはどんな人? 教えて欲しいんだけど」

 柔らかな声だった。しかし、眉を寄せた顔は沈痛。シヴァーは涙目を彼女に向ける。

「銀髪の、」

「赤い目?」

「そう、そうですぞ。オイラ様たちと同じ、中等部の制服をきていて」

「三年生のバッチをしてる?」

「そうですぞ」

「……前回の人狼ゲーム流行時、死亡した生徒がいる。図書室で見つかった遺体は、一冊の本を握っていたという。血を吸った本は赤から黒に代わっていた。──この人が、そこにいるの?」

 ルミナスがそっと差し出したファイルには、微笑む生前のルノの写真と、記事のスクラップが貼られていた。

「……怖がらせてしまったな」

「そんなことはありませんぞ、ルノ……殿。と呼べばよろしいですかな。貴様はオイラ様を食おうとか、そういう感じはしませんから。ただ、少しびっくり、して」

「お前は私のような人間ではないものを惹きつけやすいようだ。……あいつもそうだった。」

「あ、あいつ?」

 問いかけるシヴァーは、あっと声を上げた。ルノの体は夕日に溶けるように薄れて行く。それはもう、どうしようもないことだった。時間がきたのだ。けれども怖くはなかった。延々とこの場に留まるよりも、意味を持つ瞬間がきたのだから。

「……私は、死んでいたことすら忘れていた。ずうっとここに一人ぼっちで、お前が声を掛けてくれて本当に嬉しかった。……けれども、あぁ。もう消えてしまうようだな」

 朝には跡形もなくなる、氷のように。

「すごいな、シヴァー。お前は七不思議の一つをまた解決できたことになるかな? 図書室の幽霊の話はここで終わりだ」

「……オイラ様とルノ殿は、お友だちになれてましたかな」

「あぁ、友だちだとも。信じてくれるか」

「信じますとも。ルノ殿は決して、オイラ様を食おうとか、そういうことを考えてたわけじゃないことを。でも、そもそも何故ルノ殿は亡くなったのですか?」

「……すまない、時間がない。私のことなんてどうでもいいんだ。今を生きている妹を救って欲しい」

 もはや消えかかっているルノの切なる声に、圧倒されるようにシヴァーは頷いた。それを見てルノは安堵の笑みを浮かべる。

「……あの子は私の妹じゃない。友人のいない寂しさに耐えかねて、自分を理解してくれる兄の幻を作ってしまった。私との会話が時折噛み合わなかったのはそういうことだよ」


 ──あの子に、私は視えていない。声も聞こえていない。ただそこに理想の兄がいるように喋っているだけで。

「私を感じることができたのはお前だったんだ、シヴァー。」


 ……そう、これが真実。そして戦わなくてはいけない現実だ。


「その寂しさにつけ込んで、チェリカを食おうとしている奴がいる。チェリカには人狼のマーキングが付いていた」

「人狼……!」

 シヴァーの呟きにルミナスが息を呑む。その理由を知る由もなかったが、ルノは告げた。ルミナスにも伝えて欲しい。私が知る、真実を、と。



「人狼は“二人”いる。封印から151年目に、“人狼”は復活する。」




 ××年、八月十五日。私立十六夜学園の図書室にて、一人の生徒が変わり果てた姿で発見される。中等部三年生の一人、ルノさんだった。夏季休暇中、当番だった図書室の施錠に出たまま戻らない彼を心配したルームメイトが第一発見者であり……。

 ……彼の遺体にはいくつか不自然な点が残っていた。第一に、手に持ったままだった本は血によって黒く染まっていたが、ルノさんの血液型とは一致しなかった。第二に、彼の目は瞳孔が縮小していたが薬物の反応は見られなかった。事件の数日前から校内には不審者の目撃証言があったことから、学園側の安全対策に関して問題はなかったのかと保護者たちからは不安に思う声があがっている……。

 さらに学園では“人狼ゲーム”といういじめに近いゲームが流行していること、ルノさんが生前このゲームに乗じていたこと、ゲームによって人狼という役にされた生徒が一人登校を拒否していることが判明した。ルノさんはこの生徒と親しかったということから、学園側は確認を急いでいるという。


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