最終章
最終話 【なかない君と悪魔の揺り篭】
森の中でお菓子の家を見つけた。
甘い甘いお菓子は、乾ききった心に優しく温かく溶けて行った。それは、とても幸せだと感じた。
家の中に魔女がいた。オーブンで焼き殺した。
甘いお菓子を作っていたのがその魔女だと知らないまま、僕はオーブンの扉を塞ぎ続ける。
人狼怪奇ファイル 最終章
『なかない君と悪魔の揺り篭』
……願いは気付いてもらうこと。
例え、現在が壊れてしまっても。過去も未来も、何もかも失っても。この世界が、どんな物語を演じていたとしても。
それでも。
飛び込んできたノックの音と、けたたましく鳴り響くスマートフォンにシヴァーの安眠は打ち破られた。
「……誰ですかなぁ、こんな真夜中に」
まくらもとの目覚まし時計の現在時刻は午前十二時過ぎだった。眠りに着いてからそんな時間が経っていないのか……? 寝ぼけ眼でいや、とすぐに否定する。電池が切れたのか、秒針がちっとも動いていないじゃないか。充電に繋いでいたスマートフォンを握りしめ、現在の正確な時刻を知った。ついでにこの見知らぬ番号にも勇気をもって応対する。
「ふぁい、もしも」
『遅い! 早くドアを開けなさい!』
「ほ、ホワイト殿?」
『命令にはイエスのみで答えなさい』
「……夜更けに何用ですかな咬ませ犬殿」
仕方なしにベッドから飛び起きて、玄関に向かう。慌ただしくドアを開けてやると、腰に手を当てて偉そうに突っ立ってるホワイトがいた。
「一体何が」
「どきなさい」
問答無用で突き飛ばされる。彼女は土足のまま上がりこむと、ふんふんと鼻を鳴らす。
「いてて……妹殿! 一体なんの様ですかな!?」
「……姉に用があるのよ。お姉さまは何処?」
「なっちゃんは部屋に……」
「嘘をつくんじゃないわよ。この香り、この音。さては浴室ね」
「お、お風呂!? 何でこんな時間に? 寝る前に入っていましたぞ」
「馬鹿ね、女には色々あるのよ。それから把握してるのも気持ち悪いわ」
ゴミを見る目を向けてから浴室へとズンズン進んでいくホワイト。後を追うべきか、追っていいのかわからずシヴァーは迷ったものの、取り敢えず玄関の鍵をかけ直そうと振り返った。──ところが。音もなく、気配もなく。いつの間にやら大勢の人間が廊下に立っていたのだ。一拍遅れて驚愕に喉を引きつらせるシヴァーの口に、冷たい銃口が捻じ込まれる。
(な、な、なに、なんだこの状況は……)
直後、ホワイトの声が重い空気を切り裂いた。
「総員、目標は確保したわ!」
さらに続く。
「午前四時、四十四分。殺人の罪でルミナスを確保。並びに、凶器メルヘンゼールの回収を達成。同時刻をもって、罪人の身柄はこのホワイトルーン・ティンカーベルが預かるものとする」
その声に、シヴァーの口から銃口が引き抜かれた。あまりのことに目を白黒させてさらに腰を抜かしながらも、シヴァーはホワイトの声に向かって叫んだ。
「何の話をしてるんですかな!? 殺人の罪? なっちゃんが、なんで、いつ!」
そのまま駆け寄ろうとした直後、右足に焼けるような痛みが走ってうつ伏せに倒れこんだ。耳鳴りも酷い。思わず伸ばした手がぬるりと濡れて……撃たれたのだ、と悟った。途端に体が馬鹿みたいに震え出す。
ぐるり。
視界が反転する。フードを目深に被った人間が、煙の立つ銃を持ったまま片足を上げていた。……その足先で転がされたのだ。その手が手が再び銃を向ける。ゆっくり、ゆっくりと、足、腕、腹、顔に銃口を舐める様に滑らせて行く──シヴァーが怯える様子をみて楽しんでいるようだ。……いや、なにも感じていないのかもしれない。痛みと熱がぐるぐると頭を巡り、やがてすーっと冷えて行く……。
「やめてください!」
視界が塞がる。濡れているが温かく、甘い匂いに包まれる。「お姉さま、やめなさい! おとうさまの邪魔をするの!?」
ホワイトの怒声が近づく。
「だってシヴァーは関係ないぜ! 殺さないで!」
「何処まで愚かなの……わかったわ、それが答えなら──え? 」
ホワイトの苛立った声が聞こえた直後だった。視界がふっと明るくなる。……泣き腫らして目を赤くしたルミナスが、シヴァーを覗き込んでいた。いや、先程まで覆いかぶさって守ってくれていたのだ。引っぺがされ、ローブを被せられたルミナスがホワイトに連れて行かれてしまう。伸ばした腕の先に、彼女を引き剥がしたであろう、シヴァーを撃った人物が立ち塞がった。──おとうさま、ホワイトが呼んでいた人間。
するり。再び上がった足が、傷口を確かめるように押し付けられる。焼けるような痛みに悲鳴を上げるシヴァーに向けて、その人間は呟いた。
──大丈夫だよ、多分ね。
その声を、シヴァーは知っている。
「き、貴様、一体何者……」
問いには応じなかった。そいつはおもむろに自分のフードに手を掛ける。……隠されていた顔、煌めく瞳を一目見るや否や、シヴァーの意識はぶつりと途切れた。
「いつまで寝てるのよ」
苛立った声と共に腹部に衝撃が走る。ごろりと体が転がって、壁に強かに顔をぶつけたところでシヴァーは目を開けてた。……自分はどうやら床のうえにだらりと寝転がっていたようだ。体の節々が痛む。
そのまま顔を上げると、仏頂面のホワイトが立っていた。彼女の後ろのドアは開いていて、そこから差し込む陽の明りは温かい。
「ほ、ホワイト殿……?」
「他に誰に見えるの」
「……なんだか、オイラ様変な夢を見ていたようで……なっちゃんはどこに?」
「現実逃避はお止めなさいな」
鼻を鳴らしてホワイトが取り出したのは銀色の手錠だった。……夢ではなかった。
「わかってるでしょ。お姉さまは罪を犯したの」
「そ、それは何かの間違いですぞ! あのなっちゃんがそんなことできるわけがない!」
「……わたしも最初はそう思っていた。けれど……」
「ホワイト殿は探偵でしょう? それなのに、納得できない真実を許すのですかな」
「お前に言われたくないわよ。……でも、わたしは従うしかないの。お姉さまが殺人をした。以上。容疑は断定であり、今晩魔女裁判にかけられる。そして処刑されるのよ」
「今晩? そんないくらなんでも横暴な」
「おとうさまの言うことは絶対なの。わたしたちシスターズは、いえ──すべての命は、おとうさまの言う通り」
「意味が分からないです。おとうさまって言っても神ではないでしょう」
「神よ。」
ぽつりと力なくつぶやくホワイトの顔は蒼白だった。まるで人情のように血の通わない表情で、すべてを受け入れるように項垂れる。
「おとうさまは神様なの。」
「……ばかばかしい」
シヴァーは足を前後にふるとぴょこりと立ち上がって埃をはたいた。この身体能力が、少しは役にたってくれるだろうか。
「ホワイト殿。オイラ様に協力してくれますな」
「は?」
「なっちゃんの無罪を証明する手伝いです」
「ど、どうしてわたしが……」
「だから呼びに来たんでしょう、ここに。そうでなければオイラ様から逃げ惑っていればよかったのに」
「勝手なこと言わないで」
「いえ、言います。オイラ様は殉教者ではない。なっちゃんが無実の罪で裁かれるのなんて“認めない”」
「……へえ、言うじゃない」
ホワイトのオッドアイが、値踏みするようにシヴァーを睨む。つと細められたアメジストとエメラルドの瞳は澄んだ光を宿していた。
差し出した手をすぱんと叩き合わされ、シヴァ―はにんまりと笑い……ふと思い出した。なんで自分は起き上がっていられるんだろう。
「そういえばオイラ様撃たれたはずですが」
「撃たれた?」
ホワイトは少しだけ怪訝そうな顔をした。……彼女も見ていたはずなのに。
「だって、どこにも傷なんてないじゃない」
──ルミナスが魔女裁判にかけられるのは今夜。
時間になればホワイトがその場所へと責任をもって連れていくという。シヴァーはそれを信じるしかなく、限られた時間で事件の情報を集めるべく動き出した。まずはその足で現場だという学校へと向かう。現場のことは口にしても、何故かホワイトは被害者について一切語らなかった。だからシヴァーにはこれがただの狂言で、ルミナスを陥れようとする罠のように思えてしまう。──そんなに甘くないことくらいわかってる。だってあの中の一人は自分を撃った。……傷はないけれど、恐怖心故の誤認かもしれないけれど……確かに、撃ったんだ。
校門には黄色いテープが巻かれていた。立ち入り禁止の理由を知らない生徒が数人右往左往していたのだが、その中の一人がシヴァーに気付くと駆け寄ってきた。
「おはよっす」
「おはようですぞ」
「元気ないねえ? あれ今日はルミナスは一緒じゃないの? 浮気ってやつ?」
「……あー、ちょっと。シオン殿はここでなにを?」
「登校できないから困ってんの。なんか休校って連絡きたらしいんだけど、おれ教室に忘れ物しててさ」
「休校?」
「なんでも旧校舎の時計台がぶっ壊れてて。危ないから立ち入り禁止なんだって。さっき警察とかきててさー、ほらあれ」
指さす先には数人の警官が校庭を歩いている。その中の一人に、先日お世話になったクロットユールの姿が見えた。……殺人事件があった、というわりには、警官の数が少ないように思える。
「協会が噛んでるのよ、大事になるわけないじゃない」
シヴァーの思考を先読みしたようにホワイトが呟いた。
「お前は少し学ばなかったの? ここでは前にも人が殺された。図書室でね」
夕日を背負って笑う銀髪の少年を思い出し、シヴァーのはびくりと肩を震わせた。
「ゴシップ誌には載った。新聞にも掲載された。けれども、事件はあっという間に風化して、今ではそれを知るものはほとんどいなくなった。……事件はなかったことになった。事件自体が殺されたのよ」
……生徒は転校として処理された。事件にかかわったものたちは、記憶をどこかに置き去りにした……。
「……どうしてホワイト殿はそのことを知っているのですか?」
「ハンターだもの」
「つまり、協会が揉み消したということですか」
「好きにとりなさいよ」
目を合わせないままホワイトはため息をこぼす。なになに何の話とうろちょろしているシオンを完全に無視して彼女は歩き出した。
警官たちは彼女に気が付くと道を開ける。あっけにとられているシオンを見ずに、ホワイトはシヴァーに手招きをした。
「ぼーっとしないでついてきなさい。わたしは探偵だもの、すべての物事について調査する権限があるのよ。お前も探偵を名乗るのならばついてきなさい」
「む。では遠慮なく。シオン殿、ここでひとまずお別れですな」
「なんだかわかんないけど頑張って。……ねえ、シヴァー」
「んう?」
「……、……はは。なんでもない。友達として、最後まであんたを応援してるから」
深い事情も聴かずこんなことを言ってくれるなんて。シオンはなんていいやつなんだろうとシヴァーは親指を立てると、すでに遠くにいるホワイトに追いつくために駆け出した。
──その後ろ。シヴァーの見ていない後ろで、校門の周囲にいた生徒たちの姿は陽炎のように揺らいで消えてしまう。シオンも同じく。
ホワイトがシヴァーを導いたのは、シオンが言っていた旧校舎の時計塔だった。外から見上げた時は、文字盤に黒いなにかがべっとりと付着していた他に破損しているところは見当たらなかったが、長い階段を上ってその管理室に入ると確かに中はめちゃくちゃだった。歯車はゆがみ、高い天井を見上げる木の柱はところどころ折れている。それどころか、焦げ臭さと黴臭さが混じって何とも言えない香りの空間となっていた。明かりをつけても、薄暗さは部屋にとどまっている。
床には黒い染み。面積は広くないが、これは……。
「血ね」
しゃがみこんで虫眼鏡とメモを取り出すシヴァーを上から見下ろしながらホワイトが呟く。
「あとこっちにも。……ふうん。被害者はここで刺されたあと、長針と短針に磔にされたのね、時計の針が体を真っ二つにしたときに流れた血が外から見えていたのだわ」
「ずいぶんと冷静ですな」
「まあ、人間の死体なんて見飽きてるから。……この前の人狼のときは驚いたけど──ここにはもう死体もないし、血だまりの跡地があるだけよ。お前は何を怯えているの」
「オイラ様はまっとうな人間ですから」
「あきれた、人狼の器だったくせに」
バカにされているが、彼女の口から事件の概要が聞けたのはよかった。……ずいぶんと猟奇的な事件が起きていたものだ。昨夜は本当に、幸せな夜だと思っていたのに。
「……こんな事件に、なっちゃんがかかわってるなんて嘘だ。第一、致命傷は刺し傷? 時計の針? そんなことなっちゃんがするわけない。いつ撃ったっていうんですかな」
「おそらくそこ」
ホワイトが指さす先は文字盤の裏側だ。小さな丸い穴から外の光が差し込んでいる。
「磔にされた被害者を撃ちぬいた跡よ」
「──そんなの、なっちゃんが」
「もう協会が鑑識に回しているでしょうけど、メルヘンゼールの跡で間違いないはずよ。無能集団じゃないもの」
細い指が跡をなぞる。その瞬間、部屋の隅の暗がりが揺らめいた。飛び出してきた骨ばった手はホワイトののど元と掴むと床に引き倒す。
「きゃあ!」
飛び出した悲鳴に、赤い瞳が揺らめいた。──闇の正体はレインだった。
「何をするんですかな!」
シヴァーが飛びかかり、レインの体を引きはがす。この時ばかりはすべての王である人狼の器に感謝した。怪力である吸血鬼を難なく抑え込める自分はやはり異常だと感じはしたが。
「離せ!」
「なっちゃんのことはオイラ様が助けて見せますから、とにかく落ち着いてくだされ!」
「殺してやる!」
「とんだ猛獣ね」
埃をはたきながら立ち上がったホワイトが銃を抜いた。
「ちょ、ちょっとホワイト殿?」
「いくら元先輩だとしても、わたしに手をあげた以上狩らせてもらうわ」
「落ち着いてくだされ。今はなっちゃんを救うことが優先です!」
「……お前、違うわよ。そいつはお姉さまのことで殺気立ってるわけじゃないわ。この事件の被害者が大切なウィルくんとやらだったからよね?」
「……ウィル殿が?」
──じゃあ、足元の血の跡は。真面目で、厳しくて、実は怖がりで、でも優しかったウィルのもの。
つまり、ルミナスが殺したとされる被害者が、ウィルだというのだ。
「そんな……そんなこと……絶対にありえない」
「ありえたのよ。だからこそ、こうなった。」
ウィルくん。シヴァーの下で、再び孤独になってしまった吸血鬼が細い肩を震わせた。
「その跡がお姉さまの銃、メルヘンゼールによるものだってことは、その吸血鬼がよくわかってるはず。元持ち主なわけだし……ついでに血の匂いからアレコレ理解できているはずよ」
「……レイン殿。顔をあげてくだされ」
「……。」
「顔をあげろ」
自然と口から飛び出した命令口調。ホワイトが目を丸くしているが、レインは素直に指示にしたがった。人狼の器として、魔物の王の力を行使することに嫌悪はなかった。
「本当に、ウィル殿が?」
レインは頷く。表情が抜け落ちた顔で。
「撃ったのはなっちゃんの銃ですか?」
頷く。
「撃ったのは……なっちゃんですか?」
……レインは俯いた。頷いたのかもしれなかったが、シヴァーの目には回答を拒否したように映る。問答無用でその顎を掴み上げ、視線を合わせさせた。
「答えてくだされ」
「……撃ったのは、ルミ、だと思う」
「!」
「だけど殺したのは──ルミじゃない」
「それは矛盾しているわ」
「矛盾じゃねえよ」
べりり、暗がりがめくれ上がって人の姿をとる。気だるげに髪を掻き揚げながら顕現したプルートは、シヴァーの手を引きはがしてレインを解放させた。
「あら、やさしいのね」
「一応僕の眷属だからな。無下にされりゃ助けるもんだよ」
「でも情報を遮らせるわけにはいかないわよ? シヴァー、このホモにも命令なさい。マゾヒストだから悦ぶわ」
「不要だ。僕はちゃんと伝えに来た。シヴァー、聞けよ。昨日この部屋にはルミナスはいなかった」
「いない?」
「この部屋の中で、ウィルと対峙してたのは別の人間だ。そいつらが──ルミナスは結局、ウィルを撃たざるを得なかっただけ」
プルートはため息をついた。レインの襟首を掴み、銃が撃ちぬいた穴から差し込む日の光に目を細める。
「……足りないらしい。僕はあいつの、心に空いた穴を埋めてやることはできなかった。」
「この部屋にいた人間の名前は?」
*
体育館の下。巧妙に隠された階段を下りたそこは、広い丸い裁判場だった。真っ白な壁の前には背の高い椅子がぐるりと囲み、中央の証言台にスポットライトが当てられている。椅子に座っている人物はみな背格好も似たり寄ったりのフードを目深にかぶった小柄な人物だった。一際大きい椅子に腰かけているのは、体格も大人な──“おとうさま”。証言台の前に、両手を後ろ手で縛られているルミナスは立ったまま項垂れていた。
──わたしは、人殺しだ。
ウィルの最期の表情が頭の中をぐるぐるとめぐる。彼の言葉を、願いを、どうして──。
向かって左の席に腰かけたホワイトが、フードを外してこちらを見ているのが分かる。その正面に対する席には、シヴァーがいた。人狼の器であり、要注意人物とされている彼がこの場にいるのはきっとホワイトの計らいだろう。彼女はルミナスの罪をさらけ出し、判決を仰ぐ立場であるものの、シヴァーを弁護人にするかのようにこの場所へ連れてきた。
「なっちゃん」
しきりに手を振ってきたシヴァーに、のろのろと視線を合わせるとシヴァーはにっと笑って見せた。
「オイラ様、必ずなっちゃんを守りますからな」
「……どうして来たの。シヴァーだって、この場所から無事に帰れる保証はないんだけど」
「レイン殿に、なっちゃんを守ると約束したので」
「……わたし、レインさんの大切な人を奪ったんだぜ」
「でも殺したわけじゃない」
ルミナスの顔が泣きそうにゆがんだ。
「この裁判も、オイラ様がここにいることも、誰かの書いたシナリオどおりのお遊戯なのかもしれないです。でも、オイラ様がなっちゃんを信じる気持ちは演技じゃない」
ね。見つめる先で、ルミナスの瞳からほろりと涙が零れる。……その時、おとうさまが手に持ったベルを鳴らした。開廷の合図にホワイトが立ち上がり、よく通る声をあげた。
「これより、われらがシスター、ルミナス・ラージンが十六夜学園で起こした殺人事件についての審理を始める」
「最初に、探偵であるわたしが調べた事実に嘘偽りがないことも宣言しておく。事件は昨晩の深夜、十六夜学園の旧校舎の時計台で磔にされ殺害された生徒がいた。被害者の体は時計の短針と長針に固定されていたため、針の動きに従って損傷があった。他には打撲痕、刺し傷、首には圧迫の手のひらのあざ、そして胸には撃たれたあとがあった。……多岐にわたる傷が発見されたものの、致命傷となり、被害者を殺したのは銃だと推測される。そしてその銃はメルヘンゼールから発砲されたものとの結果もでた。こちらにある銃はルミナス・ラージンしか扱えない銃である」
ホワイトが取り出したのは、いつもルミナスが身に着けていた銃だった。
「安全装置は外れている。ハンター協会のものはみな周知の事実であるが、今回は念のため、その事実を証明する」
彼女は一呼吸するとその銃を自らのこめかみに当て、引き金を引く──シヴァーが留める間もなく。しかし、かちりという音だけ一つ立てたものの、メルヘンゼールから銃弾が発砲されることはなかった。今のパフォーマンスも説明も、すべてシヴァーに向けられたものであることは理解できたが……。多少やりすぎでは。
「この武器はレインが使用していたもの。己の血を媒体に魔物を払う銃弾を打ち出す──現在の持ち主であるルミナス・ラージン以外は扱えない証明は以上の通り」
銃を置く。ことり、意外にも軽い音だった。
「次に、致命傷が銃であると至った根拠についても述べる。針によりねじ切られた体から流れ出た血液の量が、生活反応によるものとは考えられない量だったこと。刺し傷も打撲痕も、首のあざもどれも致命傷となるほどの傷ではなかったこと……銃による射創の周辺の傷、出血跡からは生活反応があったこと。つまり、撃たれるまで被害者は生存していた。その後、硬直が進む前に体がねじ切られたと言える」
そこまで一気にまくし立てて、ホワイトはスカートの裾をちょいと広げて見せる。「……これが事件の真相よ」
頭を下げる彼女に、おとうさまをはじめ周囲に並ぶ小柄な人物たち──シスターズも拍手を送る。惜しみない賞賛を受けながら、ホワイトは横目でシヴァーを見つめてきた。……わかってる。ここまで黙って聞いていたのは、こんなにも絶望的な物的証拠を聞き入れたのはこれが嘘偽りない真実であるから。そこからルミナスの罪を取り除くには、真実の隙間を抜いとるしかないのだ。そしてその役目はシヴァーにある。ホワイトは探偵だが、彼女が期待されている真実の範囲外だ。
「でも。異議ありって顔してるね?」
拍手をしながら、おとうさまが囁いた。囁きのくせによくとおる、海の底で光る真珠のような声だ。そして意外にも甘く高い声。ゆったりとくつろぎながら、フードの向こうからシヴァーをみている。
「もちろんですぞ」
「おとうさま、こいつはうるさいからって連れてきただけよ。発言を許すことはないわ」
演技はへたくそめ。シヴァーはホワイトを見て鼻を鳴らし、おとうさまを睨み上げる。
「いいや言わせてもらいますぞ! なぜならオイラ様は探偵ッ! オイラ様こそが、ルミナス・ラージンの探偵ですからな!」
──もし頭に血が上ってしまって。この場にいる人間たちを相手に、あの攻撃性が膨れ上がったら。きっとシヴァーはやりとげてしまっただろう。でもそれをしないのは、怒りをコントロールできているのはあの時ルミナスが言ってくれたから。
『シヴァーはわたしの探偵なんだから、犯人になったらだめだぜ』
そうだ。自分は彼女の探偵だから。自分が犯人になることも、彼女が殺人犯であるということを認めてはいけない。ホワイトがこちらを見て薄く笑った。かかってこい、とでもいうように。
「まず第一に、ウィル殿の他の傷はなんと説明するのですかな? なっちゃんが撃ったということだけ取り上げる前にそこを整理するべきでは」
「痴話げんかでもしたのじゃないかしら?」
「ウィル殿と? 何故? ウィル殿がやられる一方だった理由は?」
「被害者であるウィルがマゾヒストだったのではないの。そういうヤツもいるようだし──話がそれたわね。ルミナスとウィルの間にはレインという存在があるわ。彼をめぐって、二人の間でトラブルがあった」
「……ウィル殿はマゾじゃないですぞ」
「そこの証明は必要? じゃあ別の切り口をあげるわよ。ウィルはルミナスに対して負い目があったから、反撃しなかったんじゃないの」
「負い目とは」
「レインをめぐってよ。彼、こっそり血液を提供してたみたいよ? 首に噛み跡があったわ」
「では、なっちゃんがウィル殿を殺すなら、その銃で撃ち殺せば済むこと。それなのに、何故わざわざ拷問のような真似を?」
「最初は話し合いで解決できると思っていたのでは? でもウィルはやめようとはしなかった。吸血鬼に血を与えることは魔物の攻撃性を高める危険な行為。なのに、どうしてもやめなかったら……殺した」」
──なんとなく筋が通るような話になってしまっている。シヴァーは頭を振って微笑んでいるホワイトにでも、と言い返した。
「その話し合いがあったとして。時計にくくりつけるなんて、なっちゃん一人でできるはずもない」
「じゃあ、協力者がいたのではないかしら? 人離れした力をもつ──お前とかね」
「な、なにを……!」
「話し合いの末、おねえさまはウィルを殺すことにした。お前が協力して、針にくくった。その体を撃ちぬいた──あら! 案外つながるわ。真実はこれかしらね」
「そんなバカな言いがかりは認めませんぞ! 大体真実とは唯一無二の存在!」
「甘いのだわ!」
目の前の机をたたきつけ、ホワイトが睨む。
「状況的証拠から、矛盾なき話が作られたらそれはもう真実と呼べるの! お前が何を思い、実際何をしていたかなんて証拠がなければ関係ないのよ!」
ぐ、とシヴァーは言葉を詰まらせた。そうだ。このままではその話が通ってしまう。……何も反論をしなければ。
大丈夫、武器はある。
「誰が、何故、どうやって殺した。この証明ができればいいの。今現在、おねえさまが口論の末撃ち殺したと言える
「ホワイト殿。オイラ様もまた探偵と名乗ったことをお忘れなく? 探偵たるオイラ様のこの銀色の瞳には見逃せない証拠がありましたなあ?」
「……もったいぶるんじゃないわよ。わたしだって見つめたもの。……現場には被害者以外の少量の血痕があった。その血が誰のものかはある吸血鬼からの証言があったわ。一応鑑識にも回したけど間違いはなかった」
「その重要参考人を呼ばずして判決は決められませんからな。ホワイト殿、あいつを呼んであるんでしょう?」
白い髪を揺らしてホワイトはおとうさまを見上げる。証人の召喚の許可を請うているようだ。おとうさまが無言でうなずくと、安堵の息を隠すためかシヴァーを睨んでくる。
……わかってる。状況は何も好転していない。
──そう、状況的証拠は絶望的。
ルミナスしか使えないという拳銃。その銃によって発射された銃弾が直接的な死因につながったという。……ルミナスが殺した、という状況なのだ。
──そこをひっくり返すには、なぜルミナスが撃ったのかを考えなければいけない。ルミナスが撃たざるを得ない状況を把握しなければいけない。そしてルミナスが撃つ前に、ウィルが死んでいることが……嫌なたとえだが必要だ。引き金が引かれる前に、肉体的とは言わずともウィルが死んでいるならば、死体損壊。殺人ではない。……いやいやそんなんじゃ、ダメだ。正当防衛? それもダメ。ルミナスは無傷で、命の危険なんてない。それにウィルは純粋な被害者だと願いたい。
放っておけば、ウィルは時計の針の仕掛けで殺されていた。それを絶対に助けらないから、ルミナスが苦しみを一瞬で済ますために撃った……? これも違う。助けられない? 彼女があきらめる性格ではないことはよく知っている……。
唇を噛みしめるシヴァーだったが、法廷の奥の扉が開いて近づく足音に睨みつけてやろうと顔を上げ──そのまま戦慄いた。彼がここにくることは知っていたのに、無視できない寒気がしたのだ。
『……足りないらしい。僕はあいつの、心に空いた穴を埋めてやることはできなかった。』
寂しそうに囁いたプルート。利用していたはずだったのに情が移ったのだと、彼は続けた。救えなかったよ。魔物風情が何を言うんだって思うだろうけど、僕は本当にあいつが好きになっていたらしいと。
『この部屋にいた人間の名前は?』
──トト。
やってきた証人、トトはいつも通りの表情をしていた。優しそうな顔で笑う彼の瞳はどこまでも深く、まるで深海のように暗かった。
「おとうさま、並びにシスターズ。紹介するわね、彼の名前はトト……トト。右腕を上げなさい」
わあここすごいね、ときょろきょろ周囲を見渡していたトトだったが素直に指示に従う。ワイシャツから伸びる彼の右腕から肘にかけて包帯が巻かれていた。ピアノを弾いていたときにはなかったものだ。
「昨夜殺人事件があったわ。概要は控えで聞いていたでしょうから改めては延べないけれど。お前の血痕が現場で発見されたの」
「そうだろうね。このケガのときだ」
「……お前が見たものをすべて話しなさい」
「ねえシヴァー」
「ちょっと、無視するんじゃないわよ!」
声を荒げるホワイトを意に介せずトトはシヴァーに声をかける。視線は俯いているルミナスを眺めながら。
「残念だったね、ハッピーエンドじゃなくなっちゃった」
「……オイラ様は、今ものすごくトト殿を疑っていますぞ」
「そっか。それも残念だったって言えるね。何が起こったのかは俺が教えてほしいくらいなんだよ」
「なんですと?」
「俺は殺してないよ、副会長──ウィルさんのこと」
トトは両手を背中に回して、困ったように眉を下げて微笑んだ。
「だって、昨日は俺が殺されかけたんだ。呼び出して、いきなり包丁を持って襲い掛かってきたの、ウィルさんだもん」
「ど、どういう意味ですかな!」
「うーん……うまく説明できるかわからないけど。そっちの白い子にも言われたし、俺の見たものを順を追って話すね」
まず、俺が呼び出されたって証拠がこれね。そういって差し出されたスマートフォンには、ウィルから差し出されたメッセ―ジが。
『話がしたいから、今から旧校舎の時計台にこれないか?』
『いきなりなんですか? 俺は疲れてるんですが』
『どうしても言うことがある。こい。とにかく絶対に来い』
『強引すぎません?』
『いいから。待ってるからな』
「無視してもよかったけど、なんか愛の告白でもしてくれるのかなって思って。興味本位で向かったんだよ。時計台の管理室は薄暗かったけど、ウィルさんが待ってた。一人きりでね」
「トト殿一人で向かわれたのですか?」
「もちろん。プルートは置いてった。心配するかなって思って……」
「意地悪はいいですから。それで?」
「……ウィルさんが、意味のわからないことを言った。」
トトの顔が曇る。本心から解せないという表情だ。
「俺に謝ってきた。理解できないことを言って、それでも謝ったんだ。何度も何度も。俺がぽかんとしたのがわかったんだろうね、そのうち床に這いつくばって頭をこすりつけてた」
『ちょっ……と、なにしてるんですか? 気持ち悪いです』
『わからないよな。わからなくていいんだ、すまなかった』
『土下座姿写真撮ってもいいですか』
『いいよ、気が済むなら』
『本当に意味わかんないですよ? 頭でも打ったんですか?』
上から見下していても面白かったのは最初の一瞬だけ。あとはとにかく、理解不能で困惑していた。トトは自分の心拍数がゆっくりと上昇していくのを感じ取る。だがこれは興奮なんかじゃない。……なんだろう、とても、怖い。
『お前を傷つけたこと、詫びて済む問題じゃないことも知ってる』
『傷つけたって……俺のこと嫌ってることですか? そんなの』
『違う、違うんだよ』
ゆっくり膝を折って、ウィルに顔を近づける。……なんてことだ。顔をくしゃくしゃにして泣いていた。鼻水まで垂らして、あの外面カッコつけの副会長が。また心がざわざわする。
『お前を置いていった。信頼させて、裏切った。それなのにお前はオレを慕ってくれた。でも結局力になれなくて、あんなことまでさせて──』
『信頼って……俺が副会長に懐いたことありましたか』
『思い出したんだ。でも遅すぎたから、またお前を酷く傷つけた』
副会長が錯乱しているようにしか思えなかった。支離滅裂なことを喚いているが、どれもトトには理解できなかった。
『……顔、上げてください。今日はもう帰りましょう? 明日またゆっくり話をきいてあげますよ』
柄にもなく優しくしてやりたくなって、トトは笑みを浮かべてみた。……これで少しは落ち着いてくれるかな? 怖い夢でも見たんだろう。なんだよ、この人って案外かわいいとこあるんだな。……あれ、なんか珍しい気持ちだ。
しかしウィルは首を振った。
『ダメだ。もう終わりにする。明日は必要ない』
いつの間にやら、屈んでいるウィルの手に包丁が握られていた。巻かれていたのであろう布がはらりと飛ぶ。
『──ごめんな、トルティー、コガネ』
『や、やめ……うあ!』
咄嗟に伸ばした右腕に鋭い熱を感じた。一拍遅れて、痛み。流れ落ちる鮮血。理解はできないが、悟った。──殺される。ウィルは、自分に殺意がある。
あれだけ死に場所を求めていたくせに、こんなにも死は唐突なのかという思いが、生への未練に変わった。だって、今自分は右手でかばったんだ。死んでも良かったくせに、死にたくないって………違う、意味のある死以外ごめんなんだ。わけのわからないまま死ぬのは嫌だ。
『じっとして。花でもつかって眠らせられればよかったけど、今のオレにはその力はないから』
『なんで、こんな』
『子供の罪の責任は、親にもある。だからオレはお前を止める』
トトは床にへたり込んだまま、じりじりと後ずさりした。ウィルはもう一度謝って、包丁を振りかざす。
──視界が暗くなった。
「気が付いたのは、それからしばらく後。自分の部屋のベッドに寝てた。……夢なのかなって思ってたけど、傍にはプルートがいて──右腕はこんな感じになってた」
トトは包帯に包まれた腕を撫でると、笑った。困り果てた表情で。
「……ね? 意味わからないでしょ」
「それは本当のことなのね?」
「嘘を言っても仕方ないからね。今更だけど宣誓する?」
「不要だわ。お前は実際にウィルが殺害される場面を見ていない。それどころか逆に殺されけた。……そしてその現場に、プルートがきたのね。あいつも容疑者だわ」
「……プルートさんは殺してない」
ここにはいない吸血鬼をかばった声は、中央の証言台にいるルミナスから発せられたものだった。その正面に立っていたトトが目を丸くする。
「なっちゃん、何を!」
「聞いて。……プルートさんはわたしと一緒にいた。トトさんを探してたんだぜ。人狼はもういないのに、いなくなったトトがまた変なことを仕出かしてないか心配だからって……それで二人でトトさんを探しているうちに、ウィルさんを見つけたんだ」
ルミナスは俯いていた顔を上げ、シヴァーでもなくホワイトでもなくトトをまっすぐに見据える。
ルミナスを抱いたまま宙を飛んでいたプルートだったが、血の匂いに眉を寄せた。どうも胸騒ぎがする。トトはどこへ行ったんだ?
『おいルミナス。あの時計台に、誰かいやがるぞ』
『まさかトトさん……』
『ダイナミック自殺するような場所じゃねえだろ』
翼を動かす。ぐんぐん近づいてみてみると……そこには重傷のウィルが。体中は傷だらけで、さらに頑丈なワイヤーで体を針に固定されていた。気を失っているようだが息はある。時計の針は七時になっていたが、ありえない速さでじわりじわりと動いている。ルミナスは短針に飛び移るとプルートを仰いだ。
『今助けます! プルートさん、力を貸してほしいんだけど!』
『……なんだよ、このワイヤー。僕の力でも外れないってどうなってんだ? ルミナス、撃て!』
プルートも文字盤に足を踏ん張ってワイヤーを引っ張るが、どうにもならない。再びルミナスを抱え、ワイヤーを撃たせようとしたのだが──。
気を失っていたと思われていたウィルが目を開け、言った。
「……トルティーを守れなかった」
声は震えていた。ルミナスの瞳から涙がまた一つ流れて、トトの見ている前で落ちる。
「全部思い出したのに、遅すぎた。……ウィルさんはそう言ってた。あれは貴方に向けての言葉だったんだ」
「……またそれ? でも意味わからないって。大体どうして副会長が、俺のことを本名で呼ぶわけ。そんな仲でもないし──殺されかけた仲だけど」
」
「わたしにもわからないぜ。……貴方は何も覚えていない?
「うん、何も全く。俺と副会長の関係は、割と仲が良くない先輩後輩で終わりだ。むしろ気味が悪いね、アンジュの昔の名前だってどこで聞いてきたのやら……まあそれはいいとして。ねえルミナス、君はそれからどうしたの?」
「わたしは、」
ぐっと言葉を詰まらせ、ルミナスはシヴァーに視線を向けてきた。……ごめんね。そう言いたげな瞳だ。
だめだよなっちゃん、どうであれ、まだわからないことがあるんだ。言っちゃダメ。
しかしその懇願は聞き入れらなかった。
「……わたしは、ウィルさんの言葉を受け入れた。」
『……ごめんな、お前までこんなことに巻き込んで』
『そんなのいいんだぜ。それより今助けるから──』
『オレを殺してほしい』
ウィルの声はまっすぐだった。重傷のケガを負っているとは思えないほど、凛とした声。
『……え?』
『オレは何もできなかった。あいつを止めることも、なにも……だからせめて、これであいつらの気が晴れるなら──ここで死ぬしかない』
『ウィルさんが何を言ってるかわからないんだけど!』
『頼む。これしかもう、ないんだ。──このワイヤーは絶対に外れない。オレはこのままだとあいつらに殺されることになる。……それはだめなんだ』
『わ、わたしにならいいっていうのも変だぜ』
『いや。お前になら──……』
ウィルが何を言っているのかがわからなかった。ルミナスはプルートに救いを求めるが、プルートは困ったように首をふるだけ。そうしている間にも針は進み、ウィルの体をゆっくりとねじ切ろうとしている。
誰か、ほかの人を呼ぼう。そう言おうとしたルミナスだったが、ウィルの懇願と苦痛の悲鳴がその言葉を遮った。
『頼むよ、お前になら、お前にしか頼めない』
『……で、でも』
『……今のお前はなにも知らない。なにも覚えてない。今のお前は、ルミナスだもんな。……頼むよ。トルティーたちにオレを殺させたくないんだ』
ウィルの何の言葉がルミナスの手を動かしたのかは自分でもわからなかった。プルートの狼狽する声を聞いた時には、引き金に指がかかっていたのだ。
『ありがとな』
ウィルの顔は優しかった。
「わたしは、ウィルさんを殺した」
「ふざけんな!」
トトの目が丸くなるのと、シヴァーが声を荒げるのは同時だった。
「そんなの嘘だ! なっちゃん、本当のことを言ってくだされ!」
「……ごめんなさい。」
「どうして、なんで……ッ」
「わたしもずっと考えてた。……でも。結果は一つだけ。ウィルさんはわたしが殺したの」
「その状況に追い込んだのは誰ですか! そんな状況でまともな判断なんてできるわけがない!」
ルミナスとプルートがウィルを発見した時にはすでに重傷だった。その前から、トトは意識を失っていた。
誰かが、いるのだ。ウィルを追い込み、彼に死を迫り──ルミナスに引き金を引かせた真犯人が。
それはわかるのに、その誰かがわからない。動機も名前も方法も、なにも……。
「かばってくれてありがとう、シヴァー。貴方がいてくれてよかった」
まるで、覚悟したみたいに言わないでよ。
ガベルが叩かれる。〝おとうさま”が右手をあげた。シスターズたちが一斉に姿勢を正し、機械的な動作で懐から銃を取り出す。
「まって……まちなさい! まだ全てが明かされたわけじゃないわ!」
ホワイトが抗議するも、〝おとうさま”はゆったりと首をふって制した。
「もう十分だよ」
「いいえおとうさま、まだよ!」
「……ホワイト。探偵としての役目ご苦労様。全てを暴こうとするのは役目故か、心を持った所為か。どちらにせよもう出番は終わり。邪魔をするなら一足先に退場だね」
銃口がホワイトに向けられる。怯んだ彼女だったが、素早く手元に置いてあった銃──メルヘンゼールを掴むとシヴァーに向かって放り投げる。そして気丈にも、自らの銃を抜いた。
シヴァーは銃を受け取り、制止しようとしたルミナスを抱きかかえて裁判場を飛び出した。その背で何が起きているのか、音すらも聞かず、すべてを置き去りにして走り出す。なにもかも──なにもかもが……。
「……おろして」
どこまで逃げただろうか。長い長い、永遠に続くような階段の踊り場でルミナスが呟いた。窓から見える不完全な月が、気の向くままに割れながらも冴え冴えとした青い光を落としている。
シヴァーは素直に従った。走り続けたせいで心臓が口から飛び出しそうだ。体中が燃えるように熱い。ルミナスの拘束をほどいてやろうと手を伸ばしたが、、ふれただけで縄がちぎれた。
「貴方、すごいバカ力だぜ」
こんな状況で、ふざけたようにルミナスが笑う。
「じ、人狼の力──あってよかったと、今この時つくづく思いましたぞ」
「ほら、息整えて」
「か、かたじけない」
ほっそりとした手が背中を擦ってくれる。シヴァーが落ち着く頃合いをみて、その手はすっと離れてしまった。
「ホワイトが心配。でも……でも、まずシヴァーにお礼を言わないといけない」
「……ねえなっちゃん。なっちゃんは誰がウィル殿を追い詰めたと思います? 目星はついていましたか?」
「わからない。そもそもあのウィルさんが正気だったかすら……」
「確かに、トト殿も困惑していましたが」
「……だけど、ウィルさんがとても真剣に、とても悲しんでいたのがわかったんだぜ。どうしてかはわからないけど、あの人のこと──」
ルミナスはゆっくりと瞬きをした。まるで、羽化したばかりの蝶がその羽の存在を確かめるように。
「……すごく変な話なんだけど。わたし、もしかしたらわたしじゃなかったのかもって」
「はい?」
「わたしじゃない別の存在で、例えば前世で、ウィルさんを知っていたような気がしたんだぜ。どうしてかはわからないけど、──そしたら、あの人の言葉の意味が分かった気がして……」
「それで……撃った?」
「うん──あぁ、言い訳だぜ。なにもかも。シヴァーはわたしを救おうとしてくれてる。さっきも、今もそうでしょう?」
罪の意識を消そうとしてくれる、わたしの優しい優しいオオカミさん。どこまでもいつまでも、わたしをのために生きてくれた。きっとこれからもシヴァーはわたしのために戦う。……さっきまではあんなに怖かったのに、不思議だ。シヴァーがそばにいれば、シヴァーのためなら。そんな言い訳をたった一つ与えられたなら、もう何も怖いものはない。ルミナスはそっとシヴァーを抱きしめる。
シヴァーも、そっと手をまわす。……何も救えやしなかった。
──これからどうしましょうか。
この力をもって、協会から逃げ続けようか。ルミナスを救えるその日まで。
彼女を守り続けることが、自分の……。
思考にふけっているとルミナスがそっと離れた。そして窓を仰ぎ見る。
「……ねえ、見て。月が綺麗」
シヴァーもつられて顔を上げた。ああ、こんなにもヘンテコな形なのに。なんて綺麗なんだろ。……それから少し前に流行った言葉を思い出した。好きですって言えないから、かっこよく言ってみるんだっけ。
「まったくう。オイラ様から言いたかったのに、なっちゃんはずるいですぞ」
「シヴァーから言ってくれるの?」
「もちろん」
「……それじゃあ。わたしは死んでもいいぜ」
かちゃりという小さな音。
「信じてくれてありがとう。……貴方は、自由に。」
赤いリボンがほどけて、舞った。
シヴァーの喉が引き攣れて、声にならない悲鳴があがる。自分でもなにを言っているのかわからなかった。のけぞったルミナスの頭部からぱっと散った鮮血が頬を伝う。
「な、なっちゃ……」
なんでなんでどうして? ここまで来たんだ、とことん最後まで付き合うのに、どうして、彼女が自分で──こんなの嫌だ!
ルミナスの体に手を伸ばす。その指が触れる直前で、全てが白く染まった。
「……起きて」
声がする。どこか気弱そうな、でも優しい声。……聞いたことのある声だ。
「シヴァー、目を開けて」
遠くから聞こえてきた声が、耳元に近づいた。シヴァーはしぶしぶ目を開ける。──あぁ、そっか、全部夢だったのか。
そう思った。そうでもなきゃ、理解できない光景が広がっていたから。
シヴァーは闇に浮かんでいた。その闇の中には、星のようにいくつもの光が見える。手のひら大のスノードームが浮かんでいた。のぞき込むと、自分のよく知る十六夜学園がある。スノードームにはいくつも亀裂が走っていて、今にも粉々に砕けそうだった。
「体の感覚が変でしょ?」
声の主が苦笑する。
「君はまだその中にいるんだ。今は、君の持つ可能性の因果に直接語り掛けてる。この光景はオレが見ているものであって、君の目が写したものじゃない……やっと、その世界が壊れかけたからこうやって干渉できた」
後ずさろうとしてもできなかった。シヴァーは混乱しきったまま、ぽつりとつぶやく。
「……汝は人狼なりや?」
「そうだよ。でも正しくは人狼の役だったんだ」
そう言って笑うのは、まぎれもないあの──トアンだった。
「警戒しないで。もうオレはオレだから。あの時は──その、この世界に干渉するためにはどうしても必要だからああやってふるまってただけ」
「……あの、もう、オイラ様は理解できないですが。なっちゃんはどこへ……?」
「ルミナスは無事だよ。今頃目覚めたと思う。もう何も覚えてないけどね
「一体何が……」」
途方もない展開にシヴァーはほとほと困り果てる。トアンは同調するように頷くと、受け入れてね、といった。
「シヴァー。君がいるこの世界はね。ある人が、ある目的のためにルミナスの夢の中に作った世界なんだよ。シナリオが用意された舞台だったんだ」
「……え?」
「君はあらゆる可能性と、並行世界のすべての因果を束ねることができる存在。知覚できないパラレルワールドでの経験を、本来ならすべて理解することができる特異点なんだ」
トアンはため息をつく。……彼がひどく疲れているように見えるのは気のせいだろうか?
「君はシアングの息子。シアングは昔、世界の存続を決断したことがある。……その時に自覚できないままに宿った力だ。それが君のお母さんにうつって──君がうまれた。本来ならその力は目覚めなかったはずだけど……とにかく君は目覚めて──その力を利用された」
みてごらん。トアンは宙を仰ぐ。星々のように煌めく光たちが、視線に応えた。
「あれがすべて世界だよ。この壊れかけの世界もそう」
「……利用って、どういうことですか?」
「君がルミナスを殺す。その因果が欲しかったから、この世界が作られた」
本来のシナリオではそれが直接的だった。シヴァーの脳裏に見たくもない映像が浮かび上がってくる──”人狼”として選ばれたシアングがクラスメイトのトアンを殺す。レインが現場を目撃する。レインも殺されかける。ウィルが止めに入って、シアングを殺してしまう──その死体を、バラバラにして隠す。
「ウィルはいつだって、兄さんのために頑張るからね」
映像が進む。新なクラスメイトとして迎え入れられるシヴァーとルミナス。息子であるシヴァーがいる時点でもう時系列もめちゃくちゃな世界だが、ルミナスは死体を発見し、そしてその事実をシヴァーは知り……。ぶつり。映像は終わる。
「これにオレが書き加えたりいじったり色々したんだ。相手も修正してきたから、お互いめちゃくちゃになっちゃった。話を変更するために、オレ自身が悪役になってみたりしたけど──」
「皆役になりきってたってことですか?」
「そうだよ。この世界でホンモノだったのは招かれて囚われたシヴァーとルミナスだけ。といっても、ルミナスは夢を見てるだけだから生きてるけどね。あとの登場人物はシナリオ通りに動くお人形。……だったはずだけど。あっちも強引だ」
「あっち、とは?」
「この世界を作った人だよ」
「……その人は、どうしてオイラ様となっちゃんを……」
「自分じゃルミナスを殺せないんだ。だから、別世界の事実を、因果として生かせるシヴァーを選んだ」
──シヴァーは気づく。トアンが言っていることがすべて真実なら。彼は故意に、この世界を仕組んだ人物の名前を隠している。
「──そこ至るにはまだ早い」
シヴァーの問いを先回りしてトアンが封じた。
「ルミナスとオレの関係性。ルミナスを殺せない理由。それはまだ言えない。言ったら、シヴァーの脳が壊れちゃうから」
「何故です?」
「他の世界のことだから。全てを知覚できるっていっても、君はここに連れてこられたときに頭をひどくぶつけていた。本来の人格とは違うものになって、そのままこの世界で生きていた。……今だって、他の世界の記憶がないでしょう?──このまますべてを伝えたら理解できないままに情報があふれて脳がパンクするよ。もともと君は、その情報の処理に脳の機能をすべて使っていたんだから」
……トアンの言っていることがわからない。
「わからなくてもいい。そのうち理解できる」
さて、これからの話をしよう──トアンが右手を上げたときだった。目の前のスノードームが明滅しだした。
「あっと、いけない。先に連れ出さないと」
返事をする暇すら与えられず、再び目の前が白く染まった。
*
目を開ける。真っ暗な闇が広がっていた。
シヴァーはゆっくりと体を起こす。頭上の闇には、大きな亀裂が走っている。──これは、先ほどのスノードームの中──つまり自分がいた世界に戻ってきたのだろうか。
世界は様変わりしていた。四畳半ほどの広さの地面を残し、あとはただの闇。ぽっかりと、まるで月明りに照らされたかのような地面には小さな赤い花が一本咲いていた。
「この世界の原風景よ」
その花のそばに座っていたホワイトが歌うように言った。
「ほ、ホワイト殿──無事で!」
首が横に振られる。
「無事じゃないわ。……もう終わり。シヴァー、お前はこの世界の真相に気付いたわね」
「……えっと、すべて作り物という……」
「そうよ、それが真実。わたしもさっき、この世界が壊れ始めて思い出したの。自分がどういう存在で、なにをすべきか──」
突然、ホワイトは制服の前を寛げた。
「ねえ、みて。これがわたしの正体よ」
──なんだ、それ。
「……わかったでしょう? わたしもわかったの。おとうさまに作られたこの体。わたしたちシスターズの真相」
ホワイトが指をはじくと、暗がりに裁判所で見たシスターズたちの姿が浮かんだ。フードのないその姿はまさに異様。皆が皆、ホワイトと同じ顔をしているなんて。
「わたしは、たった一人だけ、心を与えられたホワイト。……役じゃないわ、本心からの言葉と思って頂戴」
「……一緒に、ここから出ましょう?」
「優しいのね。でも無理。……何故ならわたしはホワイトだから。この世界の心臓でもあり、植え付けられたシナリオ自身。……ほら、あれでおねえさまを追いかけて」
細い指が空を示す。割れた闇の隙間から、煌めく白い糸が、たおやかに降りてきた。
「おとうさまは、わたしと貴方が協力しておねえさまを討つことを望んだ。でもトアンが邪魔をして……こんな結末を迎えた」
からり。残り少ない地面が崩れる。
「ホワイト殿、どうか一緒に」
ゆるり、彼女は首を振る。スカートをかしこまって持ち上げて見せて、──シヴァーをさらに愕然としていた。足がある位置から生えた根が、残り少ない大地にしっかりと根付いている。
「いいの。ここで、役目を終えたお人形と一緒に眠るわ。……お前は代わりに、ここから出て」
いつか迎えにくる、なんていえなくて。ホワイトは自らの白い髪の毛を一本切ると、シヴァーの頭に巻き付けた。
「お守りよ。あと、それもね」
いつの間にか手に握っていたルミナスのリボンが髪に触れる──すぐに、消えてしまった。
「お前ならきっと、すべての思いも持っていけるから」
「ホワイト殿」
「ほら、もう時間がないわ」
ホワイトは糸をシヴァーの手に握らせる。それから、最後にと口を開いた。
「いつかお前は、またわたしに会うでしょう。異世界の住人ではなく、おとうさまが作ったシスターズの一人のわたしが、きっとこの先に待ってるわ。……でもそれはわたしじゃない」
──どうか思い出して。
「わかってます。ホワイト殿は……オイラ様のライバルはただ一人ですからな」
「ありがとう。次のわたしとは、どうか別の関係を結んで頂戴。例えばその……友達とか」
はにかんだように笑うホワイトの瞳から、涙が一粒零れ落ちた。
シヴァーは頷いて糸を掴む。途端に体がぐんぐんと引っ張られ、深い闇の中に飛んでいく。
ホワイトはその姿を見送った。がらがら、と世界が終わる音がする。亀裂がどんどん広がって、この世界が消えていく。
……さあ。これでたった一人、残されてしまった。
ホワイトはため息をつく。……我ながら、うまくやった。
──因果の糸は結ばれた。
すべては、おとうさまのお気に召すまま。
人狼怪奇ファイル 閉幕。
物語はThe lost worldへ。
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