第6話 【しあわせなエピローグ】

 なにもかも、なにもかもが終わった。

 戻ってきていたチェリカは、なにも覚えてはいなかった。ルノのこともトアンのことも。……彼女の知らないところで彼女の孤独を知ったシヴァーとルミナスの二人は、見て見ぬ振りはできず、そっと歩み寄ることにした。友達が二人できたことに彼女は戸惑いながらも喜び、三人で写真も撮った。クレープを齧りつつの笑顔は子供っぽいものになってしまったけれども、大切そうに写真のデータを眺めるチェリカをみていると二人の心もほんのりと温まる。学祭を三人で満喫したあと、アルライドのステージにカメラを構える仕事モードの彼女の側でライブを楽しんだ。アンジュの澄んだ歌声はまるで人魚のように美しく、テンションが上がりすぎてえらいことになってしまったアルライドが制服を脱いで放り投げたところで、ステージ脇からでてきたウィルによって取り押さえられて連行されていく。ドラムとベースのメンバーもついでとばかりに回収された。

 爆笑に包まれたステージ上でオロオロしているアンジュの横に駆け寄ってきたのはトトだった。二人はお互いに何やら耳打ちし、トトが舞台袖にあるピアノに腰掛ける。……おお、意外な知り合いが意外な特技を持っているもんだ。アンジュはトトに頷いて、優しい優しいバラードを紡ぐ……。

 その様子に、憤慨したプルートがフルート片手に乱入。三人のしっとりとした調べに会場でぴょんぴょん跳ねていた生徒たちはゆっくり大きく手を降りだす。波のような動きが会場を巡り、ここが本当に深海の人魚ステージであるかのような錯覚をもたらした。

「なんだ。プルートさん、結局トトさんのこと好きなんだぜ」

「あれは演技と言い切れるのやら……案外情が移ったのかも知れませんな」

「レインさんだけじゃない、全てが終わったのはみんな一緒。これでみんな、幸せになれるといいんだけど」

「なれるでしょう」

「……適当だぜ」

「もー! なっちゃんたら、つれないんだから!」

 シヴァーは右手でルミナスの左手を掴んだ。びくりと肩が揺れ、するりと逃げて行きそうになる手をぎゅっと捕まえておく。

「……ッ」

 息を詰まらせたルミナスの目をしっかりと覗き込んだ。

「終わったからって、なっちゃんはいなくなったりしませんよな?」

「う……うん、それは、もちろん」

「……なっちゃん。オイラ様──」

「こ、今夜、今後の話し合いをするから。ホワイトとも会わなくちゃ行けないんだぜ」

 彼女が狼狽えるのもわからなくはない。この雰囲気ですっとぼけられても困る。後始末も終えてから、と暗に訴える彼女を見て、シヴァーはたまらない気持ちになった。今すぐ掴みかかって、自分がどれほどの気持ちを抱えているかわからせてやりたい。……そんな凶悪な感情に戸惑いつつも、ぐっと堪えるのも男というものだ。彼女は押しに弱いから、今の隙をつけばシヴァーの望みは叶うだろうが……気持ちを置き去りにしてはいけない。

「わかりました。その話し合いに、同席させてくだされ」

「そ、それはダメ」

「オイラ様は部外者じゃありませんが」

「……わたしがまともに考えられなくなるから、ダメだぜ」

「なんですかなその答え」

「貴方が側にいると……貴方の側にいると、わたしは戦えるんだけど。反対にドキドキして思考が固まる」

 ぽつりと呟いて彼女は背を向ける。その薄い肩が震えている。

 なっちゃん。

 何を言えるわけでもない。ただ名前を呼ばせて欲しい。しかし呼び掛けは歓声の渦に飲まれて消えてしまった。

「ライブ、終わったねお二人さん」

 私もいるんだけどなー、と少しだけ拗ねたような顔でチェリカが微笑んだ。そうだった、彼女もいた。あたふたするシヴァーをみてチェリカはますます楽しそうに笑うと、はいよと右手を出す。そこには先ほど撮ったのだろう、シヴァーとルミナスが写っていた。シヴァーは、自分がこんなにも優しい顔ができることに正直驚いたし、ルミナスが照れ臭そうに目を伏せていたことにも目を丸くする。その右手が、プレゼントした赤いリボンに触れていた。

「裏、シールになってるから。何かに貼るといいんじゃないかな?」

「一体いつの間に」

「えへへ、シャッターチャンスは逃さないのです」

 カメラマンは、二人とも幸せそうだねーと笑う。

「写真は嘘つかないよ。私も自分でびっくりした。ライブとかイベントじゃなくて、ただのギャラリーをこんなに幸福そうに撮れるなんて」

 私もやっと自分を幸せだと思うし、君たちはお互いもっと気づくべきである。

 じゃあね爆発しろ、とチェリカは笑い、カメラを片手に走っていってしまった。つられて歩き出すルミナスの右手をしっかりと捕まえ、シヴァーは微笑んだ。



 その日一日という一日。シヴァーとルミナスは手をつないで校内を歩き回った。クレープも食べたしお化け屋敷にもはいった。後始末をホワイト一人に任せた心苦しさもすっかり忘れて、大いに笑い大いに食べた。


 夕方、旧校舎のレインの部屋に顔を出してみると、彼もまた出店のイカ焼きを頬張りながら快く迎えてくれた。その横にいたウィルはすっかり疲れた顔をしていたのだけれど、彼もまた幸せそうなのだった。

「それでルミ。お前これからどうすんだ」

「ホワイトからの連絡を待って決めるぜ。協会への正式な報告もどうするか考えないといけないし」

「あの小娘に手柄全部持っていかれるぞ?」

「……それでもいいと思っているぜ。ホワイトはそんなことしないけど、でも、本人の意図しないところでそうなっても……わたしは……」

「……お前、ハンターやめるのか」

「むぅ」

「オレはそれがいいと思う。お前にゃやっぱり向いてねえよ」

 イカ焼きの刺さっていた割り箸をぽいと放り投げ、レインは大あくびをした。

「弟子がいなくなったら、オレも楽になるな」

「レイン殿はどうするおつもりで?」

「まあ、処分は教会に任せるよ」

「って、おい!」

 聞き捨てならないと噛みついたウィルをうるさそうに一瞥し、レインはため息をついた。

「やっぱりな、オレには帰るところも、お前らみたいに学生やる頭もない。これ以上の生きる意味はあるか」

 悲観でも絶望したわけでもなく、素朴な疑問という顔で言うので性質が悪い。シヴァーは困り果て、ウィルを肘でつっついてみた。

「な、なにするんだよ」

「ウィル殿しか説得できないでしょうに」

「……説得もなにもオレはレインに生きててほしいよ。むしろ生きてろよ? お前、やっと解放されたんだぞ。やりたかったことも見たかったことも、たくさんあるだろ?」

「ゲームとアニメ」

「それ以外だよ!……そうだ。まだまだ先だけど、花見とかどうだ? この校庭の隅に丘があるだろ、そこの桜がすごいきれいなんだ」

「なんで花なんか見る必要あるんだ?」

「オレが入学したとき、先輩から世話を引き継いだ桜なんだ。……見てほしい。あと六か月以上先だけど、それまでは……それ見て決めてくれよ」

「なんだそりゃ。花見ってそんな楽しいのか」

「楽しいぞ。な、シヴァー!」

「え? はあ……いてて、小突くのやめてくだされ。レイン殿、ウィル殿の言う通りお花見ってすごく楽しいんですぞ。その様子ではやったことないんですな?」

 レインはこっくりと頷いた。素直な仕草が子供のようだ。

「じゃあぜひやらねば! あったかい日差しの下、ピンクの桜の木のそばにシートひいてお弁当広げて……オイラ様腕ふるいますぞ! ウィル殿、企画は任せましたからな。お菓子の値段とか」

「おう、やるよ。だからさ、その……」

「……ウィルくんがどうしても言うなら、あと半年ニートして生きることにする。ルミ、頼んだぞそのへん」

 ルミナスは任せてほしいぜと笑った。シヴァーも胸を撫で下ろす……よかった時間はできた、花見までの半年でレインにどっぷり現世を楽しませて生への未練を作っちまえばこっちのもんだ。新しいアニメもどんどん始まるし、それを目当てにしてもいだろう。

 そう考えるととてもわくわくする気分だ。これからどんどん寒くなるけれど、冬も冬で楽しいだろう。そして雪は溶けてそのあとの春。約束した花見。──シヴァーは想像する。抜けるような青空の下、満開に咲いた桜の花。シートの上に皆で座って、少し狭いねなんて言いながらお弁当を食べるのだ。レインはきっと好きなものしか食べないし、それを見てウィルが世話を焼く。遅れたホワイトが除け者にするなとプリプリ怒りながら割り込んできて、シオンが腹を抱えて笑っている。トトはシートではなくてプルートの上に座るだろうし、それにスピカが目を丸くする。アルライドがギターを持って乱入して、皆の様子はチェリカがカメラに収めてくれる。……そして、シヴァーはルミナスの髪におちた桜の花びらをそっと摘まんで笑い合うのだ。やったこともないのに、ただ想像しただけの未来。思ったよりもすぐにやってくるであろう光景を、四人は確かに共有し、楽しみだなと言い合った。


 ──だが、そんな未来は訪れることはなかったのだ。



 ゴーン……ゴーン……。


 レインが目を覚ましたのは、その音が原因だった。……腹に響くような騒音に形のいい眉をしかめ、身を起こすと同時に自分にかかっていた毛布に気付く。

 ……周囲を見渡す。暗闇の中でも人外である自分には昼間と同じこと。……とりあえず一か所に纏められた菓子のゴミと、傍に転がっているペットボトルが確認できた。確か、シヴァーとルミナス、ウィルと三人で打ち上げのようなことをしたんだっけ。お子様二人は先に帰ったはずだ。そのあとウィルがいつまでも帰らないので、なんなんだよと絡んだ。そのあと、なにがあったっけ……。

 ──レイン。オレはお前が生きてないと嫌だよ。幸せにしてみせるから、オレのために生きてくれよ。

「……ウィルくんの口説き文句、本当にへったくそだな」

 自分の頬は緩んでいるけれども。

 ウィルの熱い体温は嫌いじゃない。冷え切った体に血が巡るような錯覚と、心地い感情をくれる。……そうだ。そういう楽しいイベントがあったんだった。

 そこらに脱ぎ捨てていたシャツを羽織りながら、レインは微笑んだ。明日からも楽しそうだ。許されるなら学生って身分になってもいいか。胸元のリボンをきゅっと結ぶと同時に、眠りを苛ませた音が間延びして消えていったことに安堵する。

 そういえば、ウィルくんが言ってたか。旧校舎であるこの建物の中央には、大きな鐘つきの時計があるんだって。旧校舎が使われなくなってから、時計ももう動かなくなったとか。興味がなかったから気にしたこともなかったけれど。

「さっきの音、時計の鐘か?」

 独り言をつぶやいて、レインは毛布を放り投げかけ──それから丁寧に畳んだ。ウィルくんに返さないと。

 ……ウィルくん、ウィルくん。どこいったんだ?

 目覚めたときに隣にいないなんて憎いこと、よくもやってくれたじゃないか。あとでとっちめてやろうか? レインはなんとなく窓を開け──さあっと青ざめた。夜空に伝う、この。

 すぐに翼を広げて発信源である時計塔へと向かう。闇夜の中にぼんやりと浮かぶ文字盤を見て誰もが六時を指していると思うだろう。だがレインの目には、闇夜をものともしない目には、十二時を示す針とべっとりと伝う血の流れがはっきりと見て取れた。


 ──どうして、何故。一体誰が。


「ウィル──」


 縋りついた体からあの熱い体温はすでに冷え切ってた。自分と同じ感触。死人である、自分と同じ。──レインは認めなかった。だが足先からすっと感覚が消えていき、腕の力が抜けて、手が離れ。自分の体が重力に従って落ちる瞬間に、引き離されたことをようやく悟ったのだった。



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