第5話 【輪切りのハニー】裏
届かなくてもいい。聞こえなくてもいい。
何度繰り返したって、どんな汚れ役になったっていい。
君を見つめる目はもう落としてしまったけれど、これでいい。大切なものは目には見えないって、知ってたかい?
……そう思いこむことで我慢したんだ。君の笑顔も泣き顔も、もうこの目には映らないんだから。
「……甘いにおいがする」
「久々に喋ったかと思ったらそれかよ!」
「ウィルくん、何をそんなにいらいらしてんだよ。乳酸菌とれ」
「いらな……っておい! 勝手にふらつくな!」
学園祭当日。構内には呼び込みの元気な声が響き渡り、慌ただしく走り回る生徒やてきぱき指示をだす生徒の笑顔が溢れている。そんな中を、ぼんやりと歩くレイン。廊下では日傘こそ必要ないにしろ、ただでさえ浮世離れした雰囲気の彼は目立つ。だからこそ勝手な行動に肝が冷えたが……正直に言えば、周りに気を遣いながらもコミュニケーションがとれることは嬉しく思えた。
最近、レインはぼうっと考え込んでいることが増え、まともに会話ができなかったのだ。夜な夜なパソコンに夢中になっている、といえばそれだけなのだが……ネットゲームやチャットに勤しんでいるわけではなく、ただ森の中のライブ映像を延々と見つめ、ひたすらに考えに耽る様子は心配するなという方が無理だろう。こんなことなら某動画サイトに夢中になってくれた彼を叱る方がよかった、と、反応の薄い横顔を見つめるしかなかった時に本気で思ったほどである……。
こうして好き勝手にされながらも、お祭りがあるんだ、暗い旧校舎から連れ出せてよかった。一応お伺いを立てたルミナスにもあっさり許可がもらえたことには笑えた。相変わらずどっちがおやかわからないものだ。
──あ、うるさい副会長がどっかの生徒に絡んでるわ。外部の生徒かあれ? 誰だろうねぇ。
まずいまずい。ウィルは自分に向けられる好奇の目に慌てて背筋を伸ばした。レイン、と名前を呼ぶと、振り返らないままにも彼が注目しているのがわかる。猫みたいだ。
ルミナスのおやだと名乗って授業参観に乗り込んできたレインのことを認識できる生徒はいない。ここはルミナスたちの教室からは棟が離れているし、なにしろこのマンモス校だ。朝の門番生徒会のウィルは別として、レインが目立たなければ埋もれることだって可能──。
(そう思ってたけど。オレの顔は大体の生徒に覚えられてるし、そのそばにいたら埋もれるも何もないな)
「ウィルくん、何食おう」
「食べる前に、えーっと……」
とにかく一度レインを隠すか。そしてフードでもすっぽり被せるか……あぁ、とりあえずだ。興味津々女子生徒がにじり寄ってくるのを見て、ウィルはレインの手を引いた。本当はまずいんだけど、部外者立ち入り禁止だけど、オレだって生徒の監視という仕事もあるんだけど──生徒会室に向かって走り出したウィルの後ろで、副会長が廊下走るなーと野次が飛び交っていた。
行き慣れた、中央校舎の三階奥。この場所こそが、十六夜学園の生徒会本部だ。
「ここは? 何屋さん?」
「残念ながら何にもねえよ」
「……こんなところに連れ込んで何するつもりだ?」
「何にもしねえ! お前、普通にしてても目立つんだよ。何処の店に行きたいのかとか何食いたいのとか、作戦会議するからな!」
「はぁー、面倒くせえ、けど」
「けど?」
「なんかニンゲンらしいな、こういうの。オレもただの子供みたいだ」
そうつぶやくレインの唇は柔らかく。ウィルはぐっと色々なものを飲み込んで、ちょっと待ってろ先に片付けるとノブに触れる──と、勝手に扉が開いた。──鍵がかかっていなかったのだ。
「おやぁ」
ガガガガガガッ!
間の抜けた声と、騒音。同時に浴びせられてたたらを踏むウィルに、先客の二人の目が集まった。
「お前……っ会長! 何してんだよ、持ち場が違うだろ!」
「いやいやいや。俺はこの部屋の主だし、何にも間違っちゃいないよ」
「校内の警備は?」
「うーん、屈強な運動部に任せてるよ。学祭の運行には実行委員がいるし、俺は今日、普通の男の子だし」
生徒会長、アルライドはTシャツにタオルといったラフな格好で、汗をぬぐいながら下げたギターを撫でた。どうやらこの部屋で練習をしていたようだ。……職権乱用にもほどがある。その後ろに、見慣れない少女がいた。もう一人の先客だ。長い髪の毛、長い前髪。その表情は見えないが手にしたマイクから彼女がボーカルなのだろう。
「ウィル、ちょうどいいところに! 高等部のトト君って知ってるでしょ。君と友達らしいね? 彼女が教えてくれたんだけど、彼、ピアノ弾けるんだってね。頼んでたキーボードが忙しくて間に合わないかもしれないんだよ。打ち込みより生演奏だし彼にお手伝い願いたいんだけど……」
「知るか! 友達なんかじゃない。……相変わらず適当だな、そのボーカルから連絡させろよ」
「アンジュは連絡先知らないんだって」
「アンジュ……? あ、その子か」
名前を呼ばれたボーカルは肩を揺らした。マイクを取り落し、慌てて拾い上げ、ついでにそばにあったらしいスケッチブックを顔の前に出す。〝ごめんなさい″と、綺麗な字で書いてあった。
「本名アンジュエル。すごく人見知りだから、それで勘弁してあげてね」
歌はすごくうまいんだよとへやへら笑いながら告げるアルライドが憎らしい。
「とにかくトトのことはそっちでどうにかしろ。あと、この部屋は部外者立ち入り禁止だぞ」
「彼女は俺の大事なバンドメンバーだよ」
「生徒会じゃないだろ!」
アルライドに向けて怒鳴ったつもりだったが、アンジュという少女は自分が責められている勘違いしたらしく、ごめんなさいごめなさいと謝罪の文字を羅列してくる。ちょっとコワイ。
大体顔も見えないし、髪の色も不思議なのだ。光の加減によって濃い金髪にも桜色に見える、色。深海で輝く真珠のように艶やかなことは確かなのに、肝心の色がいまいち表現できない。
「そう怒らないでよ。ウィルだって部外者連れてきてるじゃない~」
のんびりしたアルライドの声にはっとして振り向くと、茫然とした様子のレインがのぞき込んでいた。
「わ、悪いレイン! 忘れてたわけじゃなくて、えっと──」
「その子、外部の子かな? いいよ部屋入って、どうぞどうぞ」
アルライドが笑いかけても、ウィルが声をかけても、レインは動かない。
「……レイン? どうした?」
「どうして生きてんだよ、お前」
「え?」
その目は、ウィルを見てはいない。その後ろに立つ生徒会長を見て、レインは掠れた声で言った。
「オレが確かに殺したはずなのに──アルッ!」
言うや否は、レインはアルライドに駆け寄るとつかみかかり、その勢い床でに引き倒した。そしてそのまま彼の胸に顔を埋め、くぐもった泣き声を上げ始める。
「え? え? ええ? 何、どうしたの、ウィル、君も固まってないでさあ」
困惑しきったアルライドの助けを乞う目にも、ウィルは動けなかった。──この扉が開いてから、誰もアルライドのことを一言もその名前で呼んではいない。それなのに、レインは“アル”と名前を呼んだ。人違いなんかではない。アルライドをアルライドと認識して、その名を呼んだのだ。
その三人を、一歩離れたところから見つめているアンジュ。その口には懐かしい思い出を味わうように優しい笑みが浮かべられていた。……生徒会室の隅に置かれた彼女のバッグには、小さなマスコットが付けらえている。古びてはいるが大切に手入れをされているそれには、ほとんど擦り切れたタグがついていた。
──白鯨のくー、と。
*
「どう? 奥さんかわいいから嬉しい?」
売り物のドーナッツをこっそりくすねてきたシオンがシヴァーをつっつく。シヴァーの担当の時間はもう終わっていた。あとはみんながんばれ。ルミナスの交代を待っていたのだが、彼女がいろんな人に接客する様子は見ていて飽きない。クールな表情をどうにかして柔らかくしようと頑張っていたり、長いオーダーに多少慌てたり。
「奥さんじゃあないですぞ」
シオンからドーナッツをわけてもらって、シヴァーはにんまりとつぶやく。制服にエプロンっていいもんだな。ついでに、チェリカ探しの目途も立った。あれからトアンとやり取りして、チェリカと会って話をするための時間を捻出してもらうことに成功したのだ。
それから、さらに。もう一つ、上機嫌の材料がある。
ルミナスの髪に巻かれた赤いリボン。接客をする際に長い髪が気になる──という彼女に、じゃあと理由をつけて渡したものだった。先日の決意表明を、シヴァーとしてはどうにかして形を残したかった。自分を守ってくれるという彼女に答えるため、自分も全力ですべての謎に挑むのだ。彼女もそれを見届けてくれると言ってくれた……そして、人狼を倒してすべて終わったら。彼女に普通の女の子になって欲しい。そんな感情をそっと隠して、ただ渡したリボン。彼女にどこまで伝わったかわからないが喜んで、そして身に着けてくれた。そんなルミナスを見ているのって、ねえ。すっごい幸せですよ。
「もう結婚しちゃえよ、奥さん、告白待ってるって」
「だから奥さんじゃあありませんって。……今は」
「おぉ!?」
「この問題が片付いたら、オイラ様はなっちゃんに告白します」
「え、何を何を!? 罪とか?」
「シオン殿。逃げ道を残してくれたところありがたいですが、とぼけませんぞ。オイラ様はなっちゃんのことが好き。色々遠回りしたけど、なっちゃんの一番そばにいたいって気持ちは、とっても大きいものですからなぁ」
……魔物と戦う術はなくとも、協力はできる。そして大ボスを倒して平和にしたら、今度は自分がルミナスを守るのだ。
「へー、これでハッピーエンドかぁ。納得するの遅かったね」
「そうですな」
「同居の彼女がいて、あんたは勝ち組。あのでっかい胸を好き放題できるのかぁ」
「ちょ、ちょっと! そんなヨコシマな……!」
「顔にやけてるよ。まあルミナスもあんたのこと好きだろうし。ひゃー、いいね。学祭ってカップルだらけだもんねえ」
シオンが笑ったときだった。ルミナスがエプロンを外して駆け寄ってくる。どうやら受け持ちの時間は終わったようだ。
「お待たせだぜ」
「いえいえ。お疲れ様ですぞ」
「ルミナス、リボンかわいいね。旦那からもらったんでしょそれ」
「だ、旦那じゃないぜ!」
シオンの茶々にさっと顔を赤らめてから、ルミナスは眉を下げた。
「クラスのみんなに言われるんだけど……やっぱり変?」
「とんでもない。似合ってますぞ」
「……よかった。アクセサリーとか自分じゃよくわからなくて……でも、シヴァーからもらったものだし、身に着けていたくて。わたしも、シヴァーも。一緒に最後まで頑張ろうぜ」
そう言って笑うルミナスには、この前の決意表明の証として渡したことがきちんと伝わっていたようだ。一人事情を知らないシオンがごちそーさまとぼやいて二人から離れていく。
「さて。トアン殿が指定してくれた時間にはまだありますし。どうしますかな」
「むぅ……」
自分たちも学祭を味わうか、なんて提案する前に携帯電話が震えた。──ウィルからだ。
「はいはい、こちらシヴァー。もしもしどーぞ?……え? 生徒会室に? はぁ? ええ、まあ、なっちゃんは一緒にいますが……へ? レイン殿が?」
なんとも要領を得ない電話だ。シヴァーに分かったのは、ウィルが慌てているということ。ルミナスを見れば、彼女も首を傾げている。シヴァーの口から漏れる単語を聞いて、不安気に目を細めた。
「レイン殿が、思い出して、理解して、でも、わからないって」
──実に要領を得ない電話だった。
*
駆け付けた生徒会室には、三人の人物がいた。大物と噂されるなんでもありの生徒会長アルライドと、そのフォローに忙しい副会長のウィル。そして、件のレインだった。部屋の前で会釈だけして走って行った少女もいたが、今はそんなこと気にしてはいられなかった。
「えーっと、君たちこの子の知り合い?」
ほとほとに困った声を上げる生徒会長は柔和な笑みを崩さない。深緑色の瞳を細めて、今だ自分の上で顔を覆って動かないレインを指さした。
「知り合い。……レインさん、どうしたんだぜ?」
ルミナスの問いかけにも答えない。仕方ないのでシヴァーは苦い顔で突っ立っているウィルに事情聴取をすることにした。
「ウィル殿、これは一体」
「オレにもよくわかないんだけど……生徒たちから一度隠れようとしてこの部屋に来たんだ。そしたら、レインが急に──……アルライドに会った瞬間、自分が殺したって泣き出して。でもアルライドはレインと面識なくて……当然だよな。だって、レインってずーっと寝てたんだろ」
「あれ、この子引きこもりで寝てばっかいたのかい? どおりで肌真っ白なわけだ。でもビジュアルはいいね、バンドやらない? ねえウィル、いいでしょ」
「オレにはどうしようもなくて、お前たちに連絡したんだ」
「あれ? 無視? おーい」
床に寝っ転がったままのアルライドを綺麗に無視するウィルに思わず笑いそうになるものの自重しておく。
「……なっちゃん、レイン殿は」
「駄目だぜ。何も反応してくれないんだけど」
「困りましたな。もしもしレイン殿。まさかと思いますが、このアルライド殿も魔物なのですか? 151年前にいざこざがあったとか……」
あてずっぽうだが、それしか考えられない。──と、レインの肩がぴくりと揺れた。まさか。
「ちょ、ちょっと待って。魔物って何のこと?」
眉を綺麗にハの字にしたアルライド。そんな彼をじっと見つめ、ルミナスはおもむろに自らの太もも──に括り付けられた銃を抜いた。
「それかっこいいね。何のアニメグッズ?」
「……むぅ」
「俺に向けるの? えーっと、やられ文句は何かな?」
「ヒーローごっこじゃないんだぜ。……貴方はこの銃が怖くないの」
「おもちゃでしょ?」
「…………むぅ。シヴァー、この人は人間みたいだぜ」
「そう、ただの人間だ」
突如介入した不機嫌な声に、身動きが取れないアルライドを除く全員が扉に顔を向けた。──いつの間にやってきたのか、ドアに寄り掛かるようにして、眉間に皺を寄せたプルートがそこに立っていた。
「ホモ殿」
「開口一番に中傷すんなよ! 僕だって怒るときはあるからな!」
言いながら、彼はずんずんと部屋に踏み入るとレインの肩を掴み、軽々と掴み上げた──すっかり忘れていたが吸血鬼は怪力らしい。そのままぽいと部屋の隅に投げ飛ばしてしまう。
「おい、何するんだよ!」
「黙ってろ副会長。僕は忠告しに来てやったんだ」
今度は目を白黒させているアルライドの顔に触れる。……もがこうと持ち上がった手がすぐに力なく倒れた。どうやら意識を失ったらしい。
「レインの過去をそれ以上ほじくるな。そいつは151年前、人狼と戦って一度命を落とした。そんで人間の敵である魔物の身に堕ちてまでずるずる生き延びた生きた化石だ、もっと言えばピンで留められた標本なんだよ。今更帰る場所もないんだ。ほじくって何の意味がある」
「それは……」
「そんで今年、人狼が復活する。それだけじゃねえか」
「確かにそうかもしれないけど、お前にそれを決める権利があるのか?」
「部外者は黙ってろって言っただろ、副会長。……その気になれば、僕はお前なんてすぐに殺せるんだ」
「そしたらトトと一緒にいられなくなるぞ」
「……はぁ。その程度で優位になったつもりか? バカか」
プルートは鼻を鳴らし、面々を睨み付けるといまだ動かないレインのそばに歩み寄った。そして屈みこみ、その顔を抱える。
「そこのアルライドはただの人間だ。お前の知っているアルライドは死んだ。ただの他人の空似、名前だって偶然の一致だ。例え奇跡が起きて生まれ変わったのかもしれない。……でも別人だよ。忘れるな、自分で殺しただろうが」
「……わかってる」
「いいやわかってない、甘えるな。アルライドの死にざまを思い出したか? 自分のやったこと、何もかも理解できてるな?」
「理解、できてる」
「いい子だ」
そう言ってプルートは微笑むと、何の躊躇もなく自分の腕に噛みついた。ぎょっとした一同が見つめるしかない中で、血の流れる手首をレインの口元に押し付ける。飲めよ、と。
「お前はもう魔物なんだよ」
「──やめろ!」
耐えられなくなったウィルがプルートを付き飛ばした。そのまま殴りかかろうとするウィルの体に、とっさにシヴァーは噛り付く。
「おおおお、落ち着いてくだされ!」
「離せよシヴァー! オレはもう我慢できない! レインは人間なんだぞ!?」
「わかってますぞ、でもオイラ様、ちょっと疑問が──」
「後にしろ!」
「いいえ! オイラ様は探偵! もう遠慮なんてせずに聞きたいときに聞きたいことを訪ねます! あの白女に負けないで、全部解き明かすって決めたんですから!」
「そうだぜウィルさん、冷静に」
ルミナスも加勢してくれた。彼女の声に窘められて、ウィルはだんだんと元気をなくす。
「でも、でも、オレは……」
「わかってるぜ。そんなに心配しなくても大丈夫。ほら、息を整えて」
やがて抵抗をやめたウィルをそっと離して、シヴァーは不機嫌そうに睨み上げてくるプルートに向き直った。
「ホモはホモの気持ちに敏感かと思っていましたが、あんまりにも煽るのはよくないですぞ」
「僕にお説教か?」
「ウィル殿に苛められるのが楽しいから煽ってたわけではないですよなあ」
「当たり前だろ。誰が好き好んでニンゲンなんかに──。それよりなんだよ、お前の疑問って」
「レイン殿の記憶が戻ると、誰にどんな不都合があるんですかな」
「……ふうん、案外まともに探偵やってんだな」
「もちろん」
「お前がその副会長みたいなバカじゃなくてよかったぜ」
皮肉たっぷりに笑ってから、プルートは大儀そうに立ち上がる。身についた埃を落として乱れた髪を直した。
「ここで僕が、魔物らしく笑って何も言わずに逃げたらどうなる」
「間違いなく副会長は怒り狂うし、オイラ様はトト殿に告げ口しますし、なっちゃんからは教会へちくってもらいますぞ」
「ついでに狩るらしいしな」
おや。横目でルミナスを見てみると、彼女はまだ銃をしまってはいなかった。
「脅迫かよ。……まあ、いいか。僕がやったことは、所詮時間稼ぎだ。人狼ゲームはもう始まってるんだしな」
「汝は人狼なりやってやつですかな?」
「そう。人狼はとっくに舞台に上がってる。気づいてないだろ?」
「もう復活してるってことですかな!?」
「……それで、ゲームを仕掛けてきてるってわけだよ。レインの記憶はそのヒントってわけだ」
「プルート殿はレイン殿の記憶を改竄してるのでは」
「さっきのか? そうだよ、その上で思い出さないようにしてるんだ」
「……友達になれるかもしれないと思いましたが。やっぱりプルート殿は魔物側なんですかな?」
「さぁな、それこそ闇の名探偵の推理で導き出してみろよ」
プルートは薄く笑うと、巻いていた首輪をそっと撫でて見せた。
「……僕もお前とは友達になれるかもって思ってたからさ」
「なんですと?」
「だから忠告の意味くらい教えてやるよ。──人狼が出てくる前に、レインの本当の記憶が戻せれば。お前たちはやつの正体を知っているわけだし、ほぼ素人だったルミナスでも有利に戦えるだろうよ」
──そう、すべきだ。
「でもなぁ」
嘲笑うような口調の中に、ほんの少しの憐れみを混ぜてプルートがぼやく。
「もっと考えるべきこと、あるだろ」
「はぁ?」
「シスターズ。人狼討伐部隊として引っ張り出されてきた素人女たち……変な話だろ? 熟練のハンターを何人も食い殺してた人狼の討伐に、旅人の洞窟レベルのガキを引っ張り出してきた、なんて」
思わずルミナスをみやると、彼女もきゅっと唇を結んで様子を伺っている。……つまり、ルミナスも自分たちが抜擢された理由は知らないのだ。いくら優秀な親を持っていたとしても、所詮はただの子供。シヴァー自身、何故ルミナスが、と考えたことは一度ではないのだ。
「レインの記憶はさ、ハンター教会の闇──強いては人間どもが犯した罪にもつながってんだよ。こいつの記憶が戻れば確かに有利。ただし……知らないほうがいいってことも、あの時代の世の中にはあったんだ」
「まるでなっちゃんたちのことを心配しているような口ぶりですぞ?」
「……ほっとけ。十分しゃべっただろ?」
「オイラ様はすべてを解き明かすと誓いました。なっちゃんも、覚悟しています」
「わかったよ。あぁ、ついでにもう少ししゃべってやるよ。……記憶が戻って、それで真実を突きつけられたら……レイン、壊れるぞ」
「は?」
「起こすべきじゃなかったんだ。もう遅かれ早かれ、結果は同じ。人狼が先に動いたら、レインの記憶だって簡単に戻すだろう。そして、思い出したすべてに絶望するんじゃねえの。あとは目覚めの朝ごはんよろしく、おいしく食われて終わりだ。お前たちに残された手段は二つ」
プルートは爪の伸びた指を立て、牙を見せて笑った。
「一つ、先にレインの記憶を戻す。覚悟してるとはいえルミナスは精神的にダメージを負う。レインも壊れる。ただし、人狼は有利に戦える。戦えるやつがいればの話な。──もう一つが、先延ばしにする。人狼の正体はノーヒントだ。人狼がお前らの目の前に現れた時、レインの記憶も戻るだろう。レインはどっちにしろもうダメ。ルミナスも明かされた真実でショックを受ける。そのままバトルだ。……どうだ? 先に準備をするか、もう少し平和を楽しむか。僕としては二つ目をお勧めしているわけだよ」
言葉を失った一同を見渡して、プルートは自分の髪の毛を弄った。
「部外者である副会長。あんたはここまででもう十分じゃないか? あとはルミナスをはじめシスターズと、呪いを受けてるシヴァーの問題だ」
……プルートは呪いのことも知っていた。そう、彼は、魔物なのだ。
「じゃあな。せいぜい平和な学祭を楽しめよ」
「待てよ」
背を向けたプルートの足を縫い留めたのは、レインの声。彼は口元にこびり付いた血を拭い、ゆっくりと立ち上がってプルートを見据えた。
「レイン殿……いつから、意識が」
「ひとをボケ老人するなよヴァッくん。ちょっと混乱してただけだ。……おい、プー」
「なんだよ」
「お前、なんでオレの記憶を弄ったんだ。151年前のアルに言われたのか?」
「さあな」
「ルミは全部知る覚悟ができてるんだろ。おやであるオレが怖気づいてどうすんだ。子供の学びたい気持ちは、大切にするべきだよな」
「学習塾でも開きたいのか?」
「あぁ、過去の記憶のな」
「レイン……」あきれ混じりにつぶやいたプルートは、苛立っているというよりも疲れ果てているようだった。「ふざけんな、後にしろ。人狼が復活してからでもいいだろ」
「後じゃ遅い」
「お前な、自分から廃人になりたがるなよ。一応僕が救ってやった命なんだぞ? 相当なもんだぞ、お前が忘れてる部分」
「もとよりゲーム廃人だ。教えてくれないなら、オレは勝手に思い出す」
倒れている現在のアルライドを見やり、それからむむむと眉間に皺を寄せるレイン。
「このアルは──別人だ。生きてるはずがない。オレはアルを殺したんだ」
「やめろ」
プルートの口から漏れた制止を、レインはさらりと聞き流す。
「アルは……オレの親友だった。領主の息子、アルライド」
「……レイン、前に話してくれたな。パンくれたっていう」
ウィルがこっそり耳打ちすると、レインはそっと微笑んだ。
「そうだ。そうだった。弟とオレはアルのおかげで生活できてて──」
「……やめろよ」
「でも、そうだ。……あぁ、アルが、アルライドこそが」
「やめろって言ってんだ! 親友だったなら気持ちを汲んでやれよ!」
憔悴した表情で掴みかかってきたプルートを、レインは首を振ってその手を払いのけた。
「親友のことを適当に覚えてていいわけないだろ」
「お前バカか? 本当にバカだな?」
うるさそうに目を細め、レインはシヴァーに視線を寄越してきた。
「探偵さん、まとめてくれ」
「つまり、レイン殿が151年前に封印した人狼は、人間に紛れて生活していたアルライド殿だったということですか。ここでぶっ倒れている人間アルライド殿とは全くの別人の」
「そうだ。あいつは森の中で魔物としての正体を明かした。でも問題はここからだ。……プルート、お前は人狼アルライドに何を命令された。人間として死んだオレを魔物にして敵対させることを、アルが望んだのか?」
「……バカがよ。言うとでも思ったか」
「逆になんで言わない? 口止めも命令か?」
「……。」
──あれ?
睨みあう二人の傍で、ふと疑問が浮かんだ。同じく見守っているルミナスにそっと訪ねてみる。
「なっちゃん。人狼って変幻自在で、百面相みたいなもんなんですかな?」
「むぅ……何故?」
「だって、人狼アルライド殿が封印されたなら。ここで転がっているアルライド殿こそ人狼のはず。なのに、この人は全くの別人他人の空似。てことは、姿形は不定なのかと」
「わたしも人狼について外見とかはわからないぜ。獣ということくらいしか記録が残ってないというと、シヴァーの言うように不定なのかも」
「じゃあ、どうやって敵を見分けるのですかな」
「むぅ。人狼はその正体を問われれば必ず答えるって……あと、やっぱりすごく強い力を持っているらしいから」
「なるほど、自己申告制ってことですかなぁ。強い獣型の魔物で、人の姿は不定……か」
納得しかけて、ふと固まった。いやな汗がじっとりと背中を伝う。
「シヴァー? どうしたの」
「いや、その……わっはっは。ちょっとお腹の調子が」
「もう。……でも、レインさん。大丈夫そうでよかったぜ」
微笑むルミナスになんとか笑い、シヴァーは頭の中で拾い集めたピースを手あたり次第組み立てていく。
──プルートが頑なに抵抗する理由。
──レインの親友だった、151年前のアルライド。
レインが問うて、アルライドは答えた。自らが人狼だと、人狼の仇敵だと。正体を露わにした彼は魔物で、そして二人は殺しあったのだろう。
──それがすべて、仕組まれたことだとしたら?
アルライドが、自らを人狼だと偽った──ただの、獣の魔物だったとしたら。プルートのように、人間と共存が望める魔物だとしたら。
──レインは……。
ピースがハマる前に、シヴァーの手から転げ落ちた。ルミナスが窓に駆け寄った際、物理的に体が揺れたからだ。
「んもお! なっちゃんたら、何事ですかな!」
「空が」
「ふむぅ?」
言われるがまま窓に張り付く。真昼の快晴の中、燃え残った骨のように白い満月が浮かんでいる。
ただそれだけ、ではなかった。
満月の中心からまるで血が溢れるように、卵の殻を割るように黒い影が上下に走る。見る見るうちに横半分が影に包まれると、不自然なまでに美しい半月がそこにあった。そして黒く染まった部分がすぱすぱと切り取られ、青空の中に崩れていく。欠片は十六夜学園に降り注ぎ、あっという間に黒い靄となって視界を埋めていった。途端に生徒たちの悲鳴があちらこちらからあがり、足元を冷気が通り抜ける。
「こ、これは一体……じ、人狼が……?」
「わからない、でも」
二人の見る前で、霧から逃げ惑うようにあちらこちらから蜘蛛が這い出て来た。中庭を埋め尽くすような数、そのおぞましい光景にルミナスが顔を青ざめさせる。蜘蛛たちは右往左往していたが、ふと方向を変えると一点へと向かって進行を始めた。──大学の方へ。
「臭うな」
後ろではレインが鼻に皺を寄せて呻いた。プルートもハンカチで口元を抑えている。
「死臭だ。……前にも感じたやつだ。酷くなってるな」
「汚らわしいな、僕の鼻が曲がる」
「……プー。話は一度お預けだ」
「この臭いに感謝するぜ」
レインの意識が自分の記憶よりも目前の危険に向いたことに、少なからずプルートは安堵しているようだった。そして彼はふんふんと鼻を鳴らす。そのままシヴァーの横に立つと、ふいと首を傾げた。
「お前、何に触れた?」
「何って……ちょ、においを、においを嗅がないでくだされぇ! ドン引きですぞ!」
「う、うううるさいそんな反応すんな! 僕の方がドン引きだ!」
「自分でやっといてその言い草ぁ! オイラ様は別に、何にも臭いものになんて触ってませんぞ!」
「死臭に混ざる消毒液のにおいだ。病院でも行ったのか」
「びょ、病院というか……先日、あの蜘蛛たちが行った先の、大学の研究室に。あ、ちゃんとお風呂は入ってますからな! 不潔じゃありませんぞ」
「わたしも同行したぜ。何も変な気配は感じなかったんだけど」
「ハクアス教授の研究室は二つあるわ」
つんと澄ました声が室内に響いた。誰もの目が、入り口の扉に寄り掛かって腕を組んでいた少女──ホワイトに向かう。彼女は冷めた目で一同を見やるが、シヴァーと目が合うと口の端を吊り上げた。
「こんにちは、おバカさん」
「いつからそこに……」
「わりと始めからね。この部屋に副会長がレインを連れ込んでから、お前たちがくるのも見ていたわ」
「ずっと隠れて盗み聞きをしていたんですかな?」
「あら、人聞きの悪い。わたしは探偵として自分の集めたい情報を好きなだけ集めているだけよ」
「ドーナッツの販売担当はどうしたんです」
「シオンに代わらせたわ。あんなおままごと、いつまでも付き合う義理はないもの……それにここでは随分興味深い話も聞けたわ。ねえ、そこのお前」躊躇なく銃を抜いて、ホワイトはプルートを見据える。「なにやら面白いことを言っていたわね。わたしたちシスターズに関わる秘密を、そこの化石が握っているとか」
「逸らした話題を蒸し返さんじゃねぇよクソガキ。食い殺すぞ」
「あら怖い、か弱い乙女に向かって」
「まな板女、あいにく僕に色仕掛けなんて通じねぇぞ」
「そうよね、お前は男にしか興味がないんだったわね? いつからそんな風に趣味を変えたのやら。少なくとも、151年前とは全く別の趣味だわね」
「……お前、何を」
「わたしをそこのバカと同格に考えない方が良いわ。噂話程度だけど、聞いたのよ。お前がかつて、」
「……!」
含みある呟きに何を感じ取ったのか、プルートはホワイトに飛びかかった。しかしこともなげに彼女はその一撃を交わし、プルートの後ろを取ると銃口をぐりりと押し付ける。
「言ったでしょう。そこのバカと、バカに尽くすお姉さまと同格に扱うなって。わたしは魔物が大嫌いだし、攻撃してきた以上排除するわよ」
「く……」
「ホワイト、ダメだぜ! 今はそんなことしてる場合じゃない」
ルミナスの制止に、ホワイトは切り揃えられた前髪からオッドアイを覗かせた。
「そうよ、こんなくだらないお遊びをしているわけにはいかないのよ。……協会から指令が下ったわ。人狼の餌は始末せよと」
思わず自分を指してのことかとシヴァーは一瞬身を固くするが、おもむろにルミナスがポケットから携帯電話を取り出し、二人は頭をぶつけかねない勢いで液晶を覗き込んだ。
十六夜大学の研究室に育つ餌の排除を命ずる。
実に簡潔な内容のメールだった。ルミナスが震える唇を噛む。
「ハクアスさん……?」
「あの男、どうやらとんでもないことをしてくれていたようね」
「まさか、でも……」
「痴情の縺れがここまで凄まじいエネルギーを持つなんて、ほんっと汚らわしいったら。わたしには到底理解できない感情だわ。──でも、ねえプルート。お前ならわかるんじゃないかしら?」
「……アバズレ女。何が言いたいんだ?」
「言って欲しいの?」
睨み付けるプルートに対して何の恐れも抱いていないようなホワイトは、彼の首輪に細い指を引っ掛けて顔を引き寄せた。
「……でもね、お前の意図がわからない以上簡単には言わないわよ、安心なさいな。さっきの反応で、どうやら噂が真実であることが明らかになったことだし」
「悪魔か、お前」
「いいえ? 正義の味方の探偵なのだわ。協力してもらうわよ」
プルートの首輪をぐいぐいと引きながら、ホワイトは首だけで振り返るとシヴァーを見た。
「そこで見ていなさいな、バカコンビ」
「ぐ……! なっちゃん、行きますぞ! 咬ませ犬殿に負けてはいられませんからな!」
「あ、わ、わかったぜ」
ルミナスの手を取って駆け出す。入口付近で擦れ違ったホワイトの口元には笑み。……様子見の捨て駒扱いとして煽られたことの自覚はあった。けれども立ち止まれない、立ち止まっていられるか!
窓の外は赤一色だった。夕日なんて優しい色ではない、紅。部屋の中は逆光によって生まれた影が黒々と伸びていた。そんな室内だから、目の前にいても彼の表情はわからない。ただ反射して光るメガネによって、彼の目が顔のどのあたりにあるのかを判断できるだけだ。
部屋の中には彼の浅い呼吸と、延々と続くような一定の電子音。秘密はついてに暴かれた。ハクアスのものではない、彼の秘密。
「……泣いているのかい?」
ハクアスは自らの襟首を掴んだままの彼に優しく問いかけてやった。
「何故だ。何故泣くのかな。涙を落とす理由なんて、一つもないじゃないか」
「……ふざけるな」
彼──ボリスの声は怒りに震えていた。こんな声も出せるなんてことしらなかった。彼はいつでも優しく柔和で、どこか高飛車で。痛みを知らない、偽善に生きるお坊ちゃんとばかり思っていた。
「死者への冒涜じゃないか、こんなこと──」
「何をいうのか。嬉しくないのか」
「嬉しい? 嬉しいだって? あんた頭おかしいだろ! こんなの、こんな姿、レイネが望むわけないじゃないか!」
怒りに満ちたこぶしに力が入り、ハクアスの喉が締まった。激昂する彼から視線を外し、ハクアスはぼんやりと〝彼女”を見る。
ベッドに横たわる彼女こそ、レイネトワール。かつてハクアスを救ってくれた、女神のような少女だ。血の気のない手を胸の前で組んだ彼女の姿は異様だった。美しい顔はそのままに、その上のこめかみからぐるりと穴が開いてコードが伸びている。そのコードは枕元にある機械につながっていて、がりがりと線を書き殴り続けていた。ハクアスの研究室の奥のこの部屋。彼女はもう、何日もここに存在してる。
そう、一度彼女は死んだ。八月の終わりの日の夜に、あっけなく、死んでしまった。事故か自殺はわからない。なにも残さず、語らないままこの世から切り離された。
「望むにしろ、望まないにしろ。彼女は幸せになる権利がある。僕はそう考える」
「何言ってるんだよ」
「彼女を蘇生させたんだ。どれ、何か話してみるかい」
「……!」
「彼女は眠っているように見えるけれどね、きちんと生きているよ。脳派を見れば何を考えているかもわかる。それを読み取って君への連絡だって僕がやったんだけど。……心が具体的に物質として見つからなかったのは少し残念だけどね。彼女の心はきっと、天の涙のように美しかったろう」
「……狂ってる」
「何故さ。どうしてさ? 君こそおかしいよボリスノーク。彼女からのSOSを無視して、彼女を死に追いやった。ほっとしたんだろ、レイネが死んだとき。それなのに罪悪感にかられて、あんな子供たちに彼女が行方不明だーなんて嘘をついて、探しているふりをした。シヴァー君たちがかわいそうだ」
「違う、ほっとしてなんか」
「したんだよ君は。彼女の死体の第一発見者、君のくせに。僕のところに相談にきたくせに。それなのにね?」
「う、うるさい、うるさい……!」
ボリスの手により力がこもる。ハクアスは荒い呼吸を繰り返しながら、これ縊死になるのかな、こういうの気持ちいいんだっけ? と考えてみた。……答えはでない。
「……僕を憎んでもいいよ。どうせ僕は、そうなる運命だった。そういう契約だったんだから。レイネ君を幸せにする、それだけが目的でね。……レイネ君、幸せになれた、かい?」
──これで、君を取り巻く不吉の種は全て消えるね。自由だ、これからは。
ごふ、と喉が鳴った。窓の外の赤がボリスのメガネを通し、ついに彼の目に宿る。その瞬間だった。
「ちょーーーーっと待つですぞ!」
弾丸のように飛び込んできた彼を見て、ハクアスはああ、と悟る。
……本当の本当に、時間切れだ。
室内を見渡し、シヴァーは呼吸を整えた。部屋中で眠る彼女を見たときはさすがにぎょっとしたものの、動揺を悟られぬように唇を噛む。
「二人とも落ち着いてくだされ」
「ほら、動くんじゃないわよ、自ら餌に成り下がるなんてバカな犬」
シヴァーに突き飛ばされた身を起そうとしたボリスにホワイトが拳銃を突きつける。そのまま顎でしゃくってくる彼女に若干いらついたものの、ルミナスがごめんねだぜとささやいてくれたことで溜飲は下がった。
「さて、これは一体全体どういうことですかな?」
「見ての通りだよ」
「見ても意味不明なんですぞ。この女性は誰です?」
「レイネ君。レイネトワール君だよ」
ハクアスは乱れた襟元を整えながらへらりと笑って見せる。室内にいるシヴァー、ルミナス、ホワイト、そして部屋の入り口から覗いているプルートとレイン、ウィルを見渡してくっくと喉を鳴らした。
「友達が多いね、シヴァー君」
「はぁ。おかげさまで」
「お礼言ってる場合じゃないぜ。ハクアスさん、なんてことを。死体をこんな風にいじるなんて」
「ルミナス嬢、君は潔癖だ。僕の精一杯の努力をそんな目で見ないでくれ」
「精一杯……? あなた、まさか」
「いずれ来る時のため、そう彼女のための研究だった。思ったよりもその時は早く来てしまったけれど、実験を重ねた甲斐があって彼女は無事成功したわけだよ」
実験を重ねた。その言葉の意味するものを知り、ルミナスの顔が青ざめた。
「じゃあ、春からずっと……墓場にいるはずの魔物がこのあたりに増えた理由はあなたが人を殺していたから、そして実験をしていたから? こんな風に、死んでるのに生きているかのような誤解をさせて……!」
「うーん、僕が殺した人はそう多くなくて……いや、直接手をかけたって意味ではね。広い意味では、いっぱいやっちゃった。魔物は君がお掃除してくれるから気にしなかったよ、ありがとうルミナス嬢」
「……ハクアス殿。貴様は何者ですかな」
唇を噛みしめて黙ってしまったルミナスの代わりにシヴァーが問いかける。ハクアスは静かに笑い、自らの体を抱くようにした。
「僕は僕さ。どの世界においても、愚かな間違いを繰り返す……。でも今度こそは成功させて見せたじゃないか。僕の永久に続く後悔と贖罪の旅は、ここで終わる」
「一体何がいいたいのかわからないですぞ!」
「あぁ、そうだった。君に教えてあげられることもまだあったね」
ハクアスはシヴァーの話を全く無視して、一人で話を続ける。
「君のお父さんについて話をしないといけなかった」
「な、何故ここで父上が?」
「僕らはみんな、人狼とゲームをした。契約って言ったほうが近いね。僕は最近、シアング君は学生時代かな。君のお父さんはね、君を身代わりにしたんだよ」
「……身代わり?」
「簡単な話。嫌いな奴がいた、そいつを殺してもらった。代償として、人狼はシアング君に器を求めたんだ。いずれ自分は完全に復活するから、その時に体が欲しいってね」
こっくりさんと同じ文字盤を見つめて、シアング君は目を瞬いていた。
『昨日のこと、まだ考えてたの? あいつを呪う代償に、器が欲しいってやつ』
僕の言葉に腕を組んでシアング君は唸る。……そうさ。僕らはまだ、このときは人狼なんて信じちゃいなかった。元は僕らが作ったただの推理ゲーム。ルームメイトの意識を結託させる、お遊びだって。昨晩だって三人で指を乗せて、こっくりさんの真似事をした。ただし呼び掛けたのは僕らのアイドルと化した人狼だ。すると、シアング君の呼びかけに対しコインが妙な動きを見せたのだ。
『器ってなんなんだい。……体?』
『よせよ、オレはホモじゃない』
『ルノちゃんに言ってやろ』
『ルノ? あいつは関係ねーっての』
『そうかいそうかい、ふふ。で、どうするんだい?』
『お前だろハクアス。お前ホモなんだろ』
『失敬な、僕が君の体なんて求めるもんか。僕にはもっと大切なものがあるからね』
『あー、レイネだかレインだか、お前の二次元恋人な』
『重ねて失敬だなぁ。あれだろ、どうせテキトーにコインが動いたんだ。真剣に考えることないさ』
『だよな。……そうだな。あいつのこと、さくっと呪ってもらうか』
そう言ってシアング君は目を細めて笑った。学生だもん、怖いもの知らずさ。
後日、人が死んだ。他殺だった。
凄惨な殺害現場に残された血文字には、狼は約束を守るという謎の言葉。
……シアング君は真っ青になった。まさか死ぬなんて、殺すまで。
……ずっとそう思ってたんだけど。
「──ずっとね、シアング君が殺したんだと思ってたんだけど、本当に人狼は“き″たんだよ。本当に大変なものをよんでしまった。集団催眠なんてものじゃない、本当に、本当のね。……そしてそれからのことは、やっと僕も知ったばかり。ルノちゃんはシアング君への呪いを止めようとして死んだ。シアング君は生き延びた。……でも呪いは解けちゃいなかったんだ、君が、君こそが。復活する人狼の器なんだよシヴァー君」
ハクアスは笑いながらシヴァーを指差した。その指先から逃れることはできない。
「おいしそうな餌として生まれて。君を守ろうとした人たちはどんどん死んでいって。怯えて震えて、素晴らしい器として実るように──人狼って時間はたっぷりあるらしいからね。成功しても失敗しても、どっちでも楽しめるようにって」
「……やめて」
シヴァーの横でルミナスが呟く。が、ハクアスは口を閉じない。
「シアング君だって、結局は助からなかったんだよね?」
「やめてって言ってるんだけど!」
」
金切声のルミナスを気遣うよりも先に、シヴァーはハクアスに飛びかかっていた。ろくに受け身を取らなかったハクアスは、したたかに後頭部を打ちつける。それでも笑みを絶やさない彼に、怒りを覚えながらもぞっとした。
「君ってバカだよね。その異常な身体能力も、何もかも疑問に思わなかったの? 君を育ててくれた人は、どうして君に運動を禁じたのかな? 君自身自覚なかったなんて笑えるね」
「なんで知ってる──それに、オイラ様の父上が助からなかったってどういうことですかな?」
「言葉のままさ。自分の代わりに息子が器とされたことを知り、君の呪いを解こうとしたけど約束違反だからね。殺されたんだよ。おとなしく君を差し出してれば話は別だったのに、君は運命から逃げられなくて、結局のところ身代わりとして食われるのにね」
「でたらめを言うな!」
「嘘じゃないよ。何なら今すぐ電話してきてみたら? すぐに出てくれるよ。シアング君の弟さん、セイル君がさ。……ルミナス嬢のご両親が死んで、君たちは一度別れた。そのタイミングでシアング君はセイル君に君を託して死んだんだ」
「嘘をつくな、そんなわけない!」
「記憶が混乱してるからセイル君がシアング君に成りすましてそこからずーっと君を育ててきたこと、全く気付いてなかっただろ?」
「違う、父上は父上だ、死んだなんて。成り変わっただなんて──」
『シヴァー、泣かないで。俺様がそばにいるから』
『……どうして泣き止んでくれないんだろ』
『よし、決めたの! 俺様が、俺様がシアングになる!』
──なんだ。この記憶。
シヴァーの両手に力がこもる。動揺するまま、力がどんどん強くなっていく。ハクアスの顔が赤く、青くなっていくのを見て、彼の首がしまっていることをぼんやりと感じた。
「だめ!」
背後からがばりと抱きしめられ、そのまま床に横倒しになる。
「……なっちゃん、どいて」
「だめ、シヴァー待って」
「どけ!」
「いやだぜ!」
暴れるシヴァーに必死にしがみつく彼女の細腕を引きはがそうとして、ルミナスが泣きそうな顔でこちらを見つめていることに気付く。途端、シヴァーの中で膨れ上がっていた攻撃性がしおしおとしぼんでいった。
「た、探偵が──。探偵が犯人であることはミステリーの禁忌、だって貴方は言ってたんだけど」
彼女が一生懸命言葉を選んでいるのがわかる。
「シヴァーはわたしの探偵なんだから、犯人になったらだめだぜ……」
「──なっちゃん。」
ハクアスの首から手を放すと、げほごほとむせ返っていた。シヴァーはハクアスを一瞥し、挑発に乗ってしまったことを悔いる。
「ごめんですぞ。オイラ様が、オイラ様こそが──……」
「あなたが、なんでも。わたしはシヴァーのパートナー。それは覆ることはないぜ、何があっても」
優しく微笑んで、ルミナスはシヴァーの額にデコピンを食らわせてきた。額に貼ったばんそうこうがぺしんと音を立てる。
「……ちょっと。いつまでいちゃいちゃしてるんだい。僕の上からどいてくれないか」
「ぎえっ」
「僕がどうしてこんなにペラペラ喋ったのかちゃんと考えてよ。」
むっつりとした表情でハクアスは立ち上がると、おもむろに汚れた白衣をばたばたと叩いた。
「で、ルミナス嬢どうするんだい。器なんてもの生かしておいていいのかな。呪いを解けるだなんて思ってる?」
「……。」
「まあ君も人狼だから。お似合いかもね」
「……わたしも人狼?」
「何も知らないんだよね。そうだよね。ネタばらしの役目ってあんまり好きじゃないんだけども、仕方ないか。全部言うよ」
意外にもしっかりとした足取りで彼は二人から離れ、生きた死体と成り果てたレイネの傍に寄った。まだ美しく光る髪に、縋るように手を伸ばす。
「そしてね、僕は人狼じゃない。餌ですらない。所詮ただの……」
ピピピピピ、と耳慣れた電子音が鳴る。シヴァーのポケットの中の、携帯電話のアラームだ。トアンとチェリカに会う時間を忘れないようにとセットしておいたんだった。
遠い日常の、その音が引き金になったのかもしれない。
──ダメよ。
静かな静止。誰が誰に向けたのか、考える必要はなかった。ホワイトの横で項垂れていたはずのボリスが、いつの間にかハクアスの前に迫っていたのだ。その手には光る銀色の、ハサミ。
ダメよ、やめて、やめなさい。
ホワイトの切迫した声にも、シヴァーの体は動かなかった。ただ目の前で起こる、惨劇をぼんやりと見つめるだけ。
──刹那、ハクアスと目が合った。彼は目を細め、とても優しい目をしてこちらを見やっていた。狂気に突き動かされていたにしては似合わない、温かい瞳。……彼は狂ってなんかいなかった。彼は自分の運命を受けいれていた。自分に与えられた役目を喜んで享受し、本当に全うしたのだ。
ごめんね。
声にならない贖罪は、一体誰に向けたものだったのか。首筋にハサミを刺したまま、彼は数歩下がり、横たわるレイネへと手を伸ばした。……しかし、ボリスの蹴りによりその手が彼女に触れることは叶わなかった。どれほどの憎しみを持って突き刺したのか、深々と刺さったハサミを馬乗りになったボリスが引き抜く。途端に飛び散る血液が、ハクアスの体をポンプのように痙攣させて降り注いだ。眼鏡を伝い、ぼたりぼたりと落ちる血にも満足しないのかボリスは手に持ったハサミを振り下ろす。何度も、何度も。
「バカ犬……自分の女の体を遊ばれたくらいで罪を犯すなんて、ださすぎるわ」
ホワイトが銃を構え直した。彼女の表情は前髪で隠れていたが、噛み締めた唇が震えている。
「撃っちゃだめだよ。君の犬なんでしょ」
──場違いなほど能天気な声が響いた瞬間、ボリスの体がぱたりと倒れこむ。まるで糸の切れた人形のように。
「そりゃハクアスさんのこと憎いよね、ボリスさんは。……何度刺しても満たされない怒り、確かに受け取ったよ。美味しい餌になってくれてありがとう」
風もないのにカーテンがゆらめく。優しく、それなのにとても冷たい少年の声。部屋の隅で燻っていた闇が、綿菓子のようにくるくると巻き取られて行く──。そして唐突に出現した黒い口が、ハクアスとボリスの姿ごと取り込んで、口が裏返ると二人の代わりのように一人の少年が姿を現した。白いオオカミの耳と長い尾をゆったりと揺らし、手に抱えた少女をいとおしそうに一瞥する。
「ごちそうさま。本格的なご飯とは程遠いけど、目覚めの一齧りにしてはなかなか美味しかった! レイネさんは……本当なら約束通りこのままにしてあげるべきかな? ね? シヴァー」
「……どうして、トアン殿──貴様がなぜここに」
「見てわかるでしょ? せっかくわかりやすいビジュアルで出てきたんだけどね」
えへへ、と困ったかのように笑う少年──トアンは、おっとっと、チェリカを抱えなおす。
ルミナスがおろおろと視線を迷わせながらも銃を抜く。……彼女をかばうように手で制し、シヴァーはトアンを見据え、問うた。
「汝は人狼なりや?」
──答えは明白。にこりと笑った口元から覗く白い歯は、人のものではない鋭い光を宿していた。
「ごめんね。本当ならもっと早くから出てくるべきだったんだろうけど……ルノさんの命がけの約束が邪魔しててさあ。オレは自分の正体を問われたときに嘘をつかないことと、一度交わした約束は反故にすることはしないって決めてるんだ。そういうルールがないとね、人生つまんないんだよ。オレくらいの存在だとね」
「ルノ殿との約束……?」
「はは、内緒。秘密も守るよ。……でも大体予想はつくかな? この話題はもういいかなぁ。ハクアスさんがいろいろネタバラししてくれたけど、オレが直接言いたいことはまだ打ち明けてないから。その話したくてうずうずしてるんだよね」
苦笑を浮かべながらトアンは右手を揺らした。その手はドアを指し、手招きをする。
「入っておいでよ、プルートさん、それから……兄さん」
風もないのにドアが開き、のぞき込んでいた三人が放り込まれてきた。……彼らの様子がおかしいことは明白。どうしたんだよ、とレインとプルートを揺さぶるウィルだけが人間で、困り果てたような表情をしていた。
「しっかりしろよレイン、さっきまではオレが飛び出さないように抑えててくれたのに──ボスが出てきてから急に黙りこくっちまって──……」
「ああ。黙ってないで何か言ってよ兄さん。151年ぶりの再会なのに……思い出してよ」
「よせ!」
俯いていたプルートが、驚くことに二人の間に割って入った。その顔は蒼白だ。けれども人狼──トアンは軽くいなして、無駄だよと手を振った。──それだけで、プルートは膝を折る。魔物の王、人狼のプレッシャーが、闇の住人の端くれであるプルートを屈服させていた。
「邪魔しないでプルートさん。……大きくなったね?──さて、素晴らしいタイムオーバーだ。これが君たちが辿りつけなかった、151年前の真実。人狼と人類の秘密を握るレインの記憶だよ。ルミナスとホワイトの二人をはじめ、シスターズの因果と秘密も教えてあげる。」
ぱちんと指が鳴らされた瞬間、世界が暗転した。
*
「さて! 今宵こそ、151年の因縁が暴かれるとき!」
天幕がするすると上がっていく。舞台に現れたトアンは、滑稽でいびつな動きをした。それが開演のしぐさであることには嫌でも気づかされる。彼の腕に絡みついた糸が時折きらきらと光り、まるで彼すらも操り人形であるかのような錯覚を覚えた。そのまま彼は台本を取り出し、ごほんと咳払いをする。そこでシヴァーはやっと、自分がうす暗い劇場に座っていることに気が付いた。隣を見ればルミナスもホワイトも、ウィルもレインもプルートもいる。全員が全員、意識はあるが動けずに人狼の舞台を傍聴させられようとしているのだ。
見てはいけない。本能が危険を訴える。トアンは楽しそうにけらけらと笑いながら、本を開いた。彼の声が、静かに響きだした──。
151年前。人類と魔物の争いは日に日に激化していた。──種族の異なる二つの生き物は、それぞれがそれぞれのためにお互いを殺しあっていた。人間は闇から生まれた魔物を恐れ、魔物は矮小なくせに偉そうに領地を広げる人間が許せなかった。二つの種族は共存の道を模索することをそもそも忘れ、小さな土地と少ない食料をめぐっていがみ合う。人間を文字のまま食らう魔物もいた。逆に魔物をさまざまな方法で食い物にする人間もいた。……憎しみと呪いは世界中に蔓延していた。
魔物を人類共通の敵として認識し、体裁を保っている国も多かった。貧困と餓えが蔓延しても、同族の人間ではなく敵の魔物を憎むことで人類たちはなんとか生きていた。──絶望を糧に生きていたのは、むしろ人間のほうだったのかもしれない。
魔物の王である人狼は争いに直接手を下す必要はなく、むしろ世界を見守っているだけだった。
「オレはただの魔物じゃなくて、人間が魔物たちの主として想像し作り出した存在だからね。実体もあるようでないようなもんだったから、どうなるかなーって他人事だったんだよ」
当時の様子がこれね、と舞台にスライドが浮かぶ。引き裂かれた人間と、拷問され見世物にされる魔物。人間の子供をいたぶる魔物と、魔物の少女を凌辱する人間──。凄惨な光景に胃液がこみ上げてくる。
そうこうしているうちに、食料不足がもうごまかしきれるものじゃなくなってきた。いくら魔物のせいだって言っても不満が抑えきれない。そのころ戦況は人間たちが優勢で、魔物によって殺される人間も減ってきた。そして産めや増やせやで人口の減少を抑えたものの食べ物がない──さあ、どうするか。魔物の死骸はあれど、ゾンビやスライムなんて食べれない。
──人類は口減らしという決断をする。
「もっとも愚かで、おぞましい選択だね」
トアンが再び指を鳴らすと、黒い覆面をした男たちの姿が映し出された。
「細かいことは刺激が強いだろうから、直接的なものは見せないよ。……でも、わかるよね。彼らはハンター協会に認められた、各村や町にいる狩人たち。口減らしとして殺された幼い子供や女性たちを──“人狼”となった彼らは」
──いや。実に魔物らしかったよ。魔物として認定してあげても良かったけど、何分数が多すぎる。だって彼らだけじゃない、彼らが提供した“食料”を口にした人間全員魔物にしたら、今度は魔物側が食料不足になっちゃうしね?
「この黒い覆面が、人間の皮を被った狼たちこそが──ルミナス、ホワイト。君たちシスターズの遠い先祖だよ。当時のオレは人間でありながら魔物のような行いをしたこいつらに持ち場を奪われた感じがして不満だったから、眠りにつく前に子孫たちを逃がさないようにってハンター協会に言っておいたんだ。まさか君たちがオレを倒す駒として出てくるとは意外だったよ。よわっちい女の子何人ぶつけられても痛くも痒くもないし、生贄みたいなものじゃない。やっぱり人間ってやること魔物級な奴らがいるよね。ハンター協会とかさ」
シヴァーの隣で、ルミナスが震えている。違う、違うと否定するようにその目から涙が流れていた。彼女たちシスターズの誇りも何もかも踏みにじった人狼は、その様子を舌なめずりしながら見つめている。
「動揺してはだめよ、お姉さま」
ホワイトの声は暗かった。が、もっともな言葉だ。同調しようとしたがシヴァーの口は動かない。ルミナスも声を出せないようだ。不思議なことにホワイトが、ホワイトだけがすっくと立ち上がると果敢にも銃を人狼に向ける。……その後ろでプルートがやめろと言わんばかりに首を振っている。
「協会がどうであれ、わたしたちの先祖がどうであれ。今日この日まで生きてきたことを悔いてはないわ」
「……。君はボリスさんを守れなかった」
「だから、なによ」
「君は誰も救えない。守れない。むしろ逆だよホワイト。もがけばもがくほど、あがけばあがくほど、君の大切な人は傷ついていく」
人狼が手を鳴らす。舞台の天井から、糸につられてたボリスの姿がゆっくりゆっくりと下がってきた。顔は伏せられているが首に何重にも巻きついたワイヤーから彼がすでに生きてはいないであろうことがうかがえる。
「君のせいだよ」
「……なんの話かしら?」
「君のせいで、彼は不幸になった」
「ふざけるんじゃないわよ!」
激昂した彼女が引き金を引いた。けれども人狼は笑って指を振る。すると弾丸は軌跡を捻じ曲げ、つりさげられたボリスの胸を打ち抜いた。
『ざまぁねェでさァ、ヒメさん』
顔は伏せたまま、ボリスがおおよそ彼の口からでるには似つかわしくない軽口を叩いた。そして、嫌な音を立てて床に落ちる。
「──君が殺したんだよホワイト」
トアンの声は心を凍てつかせるほどに冷たかった。ワイヤーがしなり、ボリスの首がぽろりと転がる。……ホワイトは喉をひきつらせ、自分の座席に崩れ落ちた。その様子を見てようやくトアンは笑みを浮かべて指を鳴らす。ボリスの遺体も、舞台上の血の汚れも一瞬で蝶の群れとなって離散した。
もっと早く気付くべきだった。ここはすでに皿の上。人狼がナプキンをまいて、ナイフとフォークを手に取って、盛りつかれたシヴァーたちの心を咀嚼する場所なのだ。
「……ルミナス。君はどうする?」
「……!
「そろそろ喋れるだろ? ねえ教えてよ、君の魂の味を」
「ま、待ってくだされトアン殿!」
「あ、君ね。君からか。悪くないね」
「し、質問があるんですがよろしいですな!?」
「聞いてるなら拒否権くらいちょうだいって。でもなに?」
人狼がシヴァーに向き直る。ホワイトの様子も気になるが、今この状況は非常にまずい。皿の上から逃げ出すにも、その方法を見つけなければ。そしてその前に食われてしまっては元も子もない。まずは時間を稼がないと。
「チェ、チェリカ殿はどこに?」
「さっき姿見たでしょ、まだ食べてないよ。ずーっと狙ってたからね。最後のデザートかな」
「次に、レイン殿の記憶について教えてもらってませんぞ。人狼は一度した約束を守るのがポリシーなんですよな?」
「そうか、そうだったね」
トアンはポンと手を打って、えーっとと台本をまくっている。そしてにやりと笑って見せた。
「シヴァー、君も残酷だね。ルミナスのためにレインを先に犠牲にするなんて」
「そ、そんなこと、オイラ様は──!」
「いいんだよいいんだよ、その焦りや戸惑いがよりおいしい魂になるからね」
……だめだ。口先では到底勝てそうにない。けれども俯くことはできなくて、シヴァーはおそるおそるレインに視線を送った。うなだれ、死刑の宣告を待つ囚人のように、レインは椅子に体を埋めていた……。
ぱちり。再び指が鳴ると舞台に映像が映し出される。片田舎の、小さな村だ。
──ここがレインの生まれ育った村だね。見て通りとても小さくて貧しい村だ。親を亡くした小さな兄弟を援助できる余裕もないから、レインは小さいころからハンターとして魔物を狩っていた。自分の命を守って相手の命を刈り取る仕事だ。技術や技量よりも、運と度胸が大きかったのかもね。小さな子供は何度も狩りを成功させて、次第に足りなかった技量も磨いていった。そして魔物をばんばんやっつける、最強のハンターとなったわけだけど。
スクリーン上に小さな少年が映し出される。幼い日の、まだ眼帯をしていない人間のレインだ。もっと小さな弟と一緒に両親の墓に手を合わせて、手をつないで古びた家に向かう。
「そう、──この弟こそ、オレの姿の元となったトアンだよ。ひ弱で小さくて、病弱でね。ハンターの仕事も村の仕事もできなかった。でもレインの弟だからってそこまで疎まれてはいなかったようだよ。レインが出ていったら自分たちの村が危ないわけだからね」
兄弟の食卓に、黒髪の少年がパンをもってやってきた。……アルライドとそっくりな少年だ。彼の姿を認めた途端、現在のレインがぼろぼろと涙を落とす。……その口からは声にならない謝罪が繰り返されていた。その隣でウィルがプルートに抑えつけられている。……人狼に刃向うことがろくな結果をもたらさないことは、ホワイトのことでウィルも知っているはずなのに。
「これは領主の息子……として育てられた魔物だよ。人間と同じようにうまく化けているね。ちなみに、名前はアルライド。生徒会長とまったく同じ名前なのは運命のいたずらかな? 生まれ変わりかなんなのかは、この世界の創造主に聞いてみてね。とにかく兄弟は彼からのささやかな援助もあってなんとか暮らしていたわけだけどね」
再びスクリーンに黒い覆面の男たちが映った。ルミナスが震える。
夕暮れ。一人家で兄の帰りを待つトアン。ドアがノックされて、彼は笑顔で扉に向かう。……が、開いたドアの先にいた男たちに、トアンは首を傾げる。男たちがずいと踏み込んできて、隠し持っていたオノが夕日を凶悪に反射した。
トアンは怯え、悲鳴を上げて背中を向ける。が、狭い家の中には逃げも隠れる場所もなかった。
「やめろ──ッ!」
現実のレインが悲鳴を上げるのと同時に、オノが振り下ろされる。どちゃり、命が絶たれる音がして、家は夕日よりも赤く染まった。
「村人たちは役立たずのトアンを“人狼”に差し出したんだ。レインが留守の間にね。レインが帰ってきたら、魔物にでも襲われたとでもいうつもりだったのかな? でもこの日のレインは予定よりずっと早く帰宅してしまった」
扉を開けたレインの表情が凍り付いている。
「中で何が行われていたのかは、ちょっと残酷すぎるから見せられないけど。端的に言うと食材へと加工されてるところだったんだよ。レイン、君はもう少し遅く帰ってきてたら、弟のソーセージを齧ってたかもしれないねえ」
憐れむような声はよりレインの心を傷つけているのだろう。現実のレインは頭をがりがりとかきむしりながら、噛みつぶした悲鳴で喉を震わせている。
「レインはそのあと、何をしたと思う? 中途半端に一番残酷なところを見ちゃってブチ切れちゃってね、“人狼”たちを殺したんだ。守るべき人間をね。下劣な手段とはいえ人間を守っていた人間を、殺しちゃったんだよ。オレはそれを見てた。──そして、とても満足した。憎悪と恐怖、絶望。人間の感情ってなんておいしいんだろうって感動したんだ。だからね。」
血だまりの中で、気を失って倒れているレインのそばに、黒い霧が渦巻いた。それは徐々に人の姿をとっていき、真っ黒な影をつくる。
その影は口だけでにこりと微笑むと指を鳴らした。部屋中の血が、“人狼”たちの死体、割れたカップもすべて蝶となり飛び立つと霧散する。トアンの死体、転がっていた頭が影に吸い込まれていき──生前のトアンと全く同じ姿になった。両手を握って開いて、今度は顔全体で微笑む。
そしてトアンはレインに毛布を被せると家を後にした。
「目を覚ましたレインは、まだ何が現実で夢か理解してなかった。当然だけどね? それでも弟が殺されたという記憶のまま、もう一つ墓を作った。死体はないけど。人間を殺したということで出頭しようとしてたところに、オレが戻ったんだ」
森で迷っちゃった、と言って泣きそうなトアンを見るレインの表情が、暗いものから希望に満ちた顔に変っていく。
村人たちは“人狼”に依頼をしたなんてことは言わない。トアンが森を逃げ惑い、生き延びたのだと思い込んだ。誰も真実を知らないし、知ろうとしなかった。
──夢だったんだ。全部、全部。
「そんなわけないじゃん! バカだよレイン、本当にバカ!」
舞台の上のトアンが手を叩いた。
「自分勝手にもほどがあるよ! 自分で作った墓に首を傾げる様子は最高に笑えた! 人間を殺した夢を見たって怯える様子も、村人に裏切られたことも気づかずに助けてやるとこなんか何度思い出しても美味しいよ! 最高だよ兄さん、だーい好き!」
「お前はトアンじゃない」
「そうだよ? 気づかなかったけどね? 本物がどうなったか思い出せた?」
「……っ」
「吐きそうなら吐いちゃえば? あ、白骨化してなければ今ならいける? 吸血鬼だもんね! 裏切られたことにも気づかず、人間のために戦って、今は自分が魔物! これで本当の兄弟になれたね!」
ぱちん。指が鳴らされる。今度は暗い森の中で、成長したレインが拳銃を構えている──対峙するのは、アルライド。獣の耳と尻尾が揺れる、魔物の姿だった。
『お前が人間じゃなかったなんて……』
『そうだよ。ごめんね黙ってて』
『信じてたのに』
『……ごめんね』
『……ッ他に何か言うことは?』
『君を救えなかった』
『何の話だ?』
『ううん。……ねえ、聞いて? 君が聞くべきことがあるでしょ? 俺がすべての人間を殺す前に、早く』
『──汝は人狼なりや?』
『……そうだよ』
それが戦いの合図だった。二人はお互いを傷つけあい、相手の命を刈り取ろうと戦った。戦いの果てにレインが引いた引き金がアルライドの胸を打ち抜くのと、アルライドの爪がレインの喉を引き裂いたのはほぼ同時。傷の度合いが異なっても、人間であるレインのほうが死に近づくのは早かった。
物陰で見ていた子供が駆け寄ってくる。ミルクティー色の髪から、彼がプルートであることは明らかだった。プルートはアルライドを見つめ、頷いた。
「見てわかるでしょ? オレも見てたから知ってるんだけどさ。プルートさんは最初っからアルライドさんと打ち合わせしてたんだよね。何にも知らなかったのは兄さんだけ。ラスボス倒しにいくつもりで、倒せたって気持ちよく死んでいくとこ悪いけど、それ全然違うからね」
倒れたアルライドの姿が完全な獣に変わる。──狼ではなく、狐だった。
「人狼じゃない。彼は誰も殺してなんかない。兄さんなんかよりもよっぽど清らかで、正しい命だったのに」
──それを殺しちゃったんだよ。
零れ落ちそうなほど目を見開いたレインの爪が自らの頬に深く深く突き刺さる。その先がじわりじわりと赤く染まっていく──その心も、音を立てて軋んでいく。
「そんなのっ、騙されてただけじゃないか!」
ウィルが叫ぶ。バカ黙ってろとプルートが口を塞ごうとするが、ウィルは譲らなかった。
「レインは知らなかったんだろ? 何にも知らなくて、知らされてなくて、仕方なかった! 全部お前が悪いんだろ!」
「外野君もなかなか言うね?」
面白くなってきたといわんばかりにトアンは笑い、白い尾をゆったりと振った。
「でも無知って罪でしょ。結果は変わらないよ」
「そんなの言いがかりだ!」
「君のほうこそ言いがかりだよウィル。……兄さんっていつもこうなんだよ。自らの手の中に絶望も悪魔も包み込んで育てちゃう、そういう役回りなんだから」
「わけわかんないこと言うな、レインが育ててるのはゲームの主人公だけだって!」
「そうだね、そうだよね」
……そうだったらよかったのにね。
人狼はふと憐憫の眼差しで一同を見渡した。それからそっと自らの胸に手を置く。
「ここで君を殺したら、兄さんはもっと美味しくなるだろう」
「──もうほっといてやれよ」
ウィルの後ろから怯えた目をしたプルートが呟く。
「いっそひと思いに殺してやれって」
「君の血族だけどいいの?」
「もとよりそのつもりだろ? 大体僕はレインのことを血族だなんて認めてない」
「道具だもんね?」
「……!?」
「知らないとで思ったの」
スクリーンに映されていたアルライドに視線を移し、トアンが呟いた。
「オレへの復讐の道具として使うためにレインを吸血鬼にすることを了承したんだよね」
「ぼ、僕は……」
「当時の状況から考えて──オレに食べられた恋人の敵を討つためにアルライドさんに協力したってとこでしょ? あの時は暇つぶしに人間も魔物も適当に食べちゃってたからね。ほら、映画見ながらポップコーン食べるじゃない。傍観しながらパクパクって感じで」
腕を組んで唸りながら、その顔にはまったく悪びれた様子はない。
「……でも、いくらハーフと言えども魔物であるプルートさんはオレに逆らえないから、代わりにってことでしょ。……いやでも驚いたよ。夢うつつで聞いてれば今のプルートさんはホモだったとは。小さい頃は普通に女の子が好きだったのに──それもオレへの復讐心を欺くための演技なんだよね?」
プルートの顔が青ざめる。──暴かれた真実に、彼は自らの首輪に縋るように手を伸ばした。その仕草に、人狼は苦笑する。
「よくホモになりきってたよね……あんなにも見下してたニンゲンに媚びへつらって大好きだって顔をして、心の中でげえげえ吐いてたなんておもしろすぎるね。トトさんだっけ、呼んであげようか? 服従させた気でいたプルートさんは実はぜーんぶ演技してただけで、これっぽちもトトさんのことなんて好きじゃなかったんだよねって教えなきゃ」
「そしたら……あいつは完璧に壊れるじゃねえか」
「情はあるんだ?」
「少しくらいあるさ。……第一トトは元からぶっ壊れてんだ。僕のことを伝えたって、直りゃしない。味はまずいままじゃねえの」
「……ふうん」
ぱんぱんと両手を払うと、トアンはつまらなそうにため息をついた。
「まあいいか。料理はこれで完成間近。どいつもこいつも絶望色でなかなかに美味しそうだね。ちゃんと味わいたいから体からもらおうかな」
人狼がシヴァーに向きなおる。情けないことに喉の奥が震えた。
「シヴァー。君にももう一味足してあげよう。会いたがっていたお父さんに会わせてあげるよ」
スクリーンに映し出されたのは、横たわる父親だった。──まぎれもない、本物の。何故それがわかるのか──シヴァーはこの光景を見たことがある。脳裏にしまい込んでいた、恐ろしく悲しい記憶。
……シアングはいなくなった。シヴァーを置いて。あの日、シヴァーは父親の足取りを手掛かりに追いかけていった。……そして、見たのだ。
シアングは呪いを解こうとしていた。そして、その命と引き換えに人狼と再度取引をしようと交渉を持ち掛けようとして──人狼ではなく、別の存在に殺されたのだ。
犯人はわからない。銃をもった大人の人間たち──今ならその正体が理解できる。彼らもまた人狼の復活に恐怖するハンターたちだったのだろう。人狼と接触しようとするシアングを恐れ、口を封じたのだ。物陰で一部始終をみていたシヴァーの足が震え、小さな物音をたてる。それに気づいたハンターの一人が銃を撃った。弾は幸いにもシヴァーをかすめるだけで、ハンターたちはそのまま去って行ったが、シヴァーの額には負った傷のせいで燃えるようだった。
──その悲しみと怒りと恐怖を絆創膏で記憶ごと封じ込めて、シヴァーは生きてきたのだった。
「……ち、父上」
「そうだよ、そういうことだよ」
「う、ううう、ちちうえっ……ごめん、なさい……」
「謝ることないよ、だってシアングが悪いんじゃないか。……さあおいで、オレの器。磨き抜かれた大事な器……。大丈夫だよ、もう怖いのも悲しいのも、すぐになくなるからね」
トアンが笑う。その牙はどこまでも凶悪なのに、なんて優しい顔をするんだろ。
……本当にこれで、もうこんな苦しみから解放されるなら……。
「なんでもします。だから、やめてください」
震える声がシヴァーの意識を救い上げた。人狼とシヴァーの間に割って入ったルミナスが、懇願する。
「連れて行かないで」
「安心してよ。オレがその器をもらえば、オレはシヴァーになる。そのまますぐに君も食べてあげるからね」
「シヴァーになら食べられてもいい。でも人狼になんてごめんなんだけど……」
「わお、すっごいセリフ」
「……だけど! わたし、シヴァーを守るためなら、なんだってできる! 貴方に立ち向かうことだって!」
気丈に人狼を睨み付けたままルミナスが銃を向ける。トアンは目を細めて、つまらなそうに耳を揺らした。
「そう? シヴァーを助けたって、何にも変わらないよ? 君が忌まわしいハンターの血をひいてることも、レインが親友を間違えて殺したことも。シアングだって帰ってこないよ」
「……守れたらいい。それが、すべてだぜ」
「立派になったね。──感慨深い」
まるで親のようなセリフを吐いてからトアンが腹をさすった。空腹だと訴えてくるその仕草でわかる。おしゃべりは終わりらしい。
「な、なっちゃん」
「わたしは後悔しない。貴方を守るためにここまできた。もう迷わないぜ」
かたかたと震えるルミナスにかばわれるまま、シヴァーは急いで周囲を見渡す。逃げ道はない。ルミナスを押しのける? かばう? 無意味だ、どっちにしろ食われてしまう。
ならば方法はただ一つ。生き残るためには──このゲームを終わらせなければならない。人狼を倒すのだ。
──撃てば倒せる? でも散々スクリーンでみたじゃないか、それに人狼だって自分で言ってた。概念みたいなものだって。なら、ならどうしたら──。
藁にもすがる気持ちでスクリーンを見つめる。トアンの背に浮かぶスクリーンでは、動かないシアングが移ったままだ。
──父上。どうか助けて。
すると。きらり、と何か光るものがスクリーンに映った。銀色の影だ。すれは見る見るうちに人の姿をとり、シアングの傍に立った。……ルノだ。図書室で見た姿のままのルノが、懸命にシアングの体を揺さぶっている。シアングが瞳を開けた。もう死んでいるはずの彼は血に汚れたシャツをみてバツが悪そうに顔をしかめると、スクリーン越しにシヴァーを見たのだった。周囲を見渡してから、焦ったような顔で何かを指さしている。──その先に目をやると、舞台の上に黒々と伸びる人狼の影があった。
再びスクリーンに目を向ける。そこには先ほどまでのように倒れているシアングが映っていた。ルノの姿もない。……白昼夢でも見たのだろうか。
しかしあながち間違っていないように思える。心から生まれ、その歩みに付きまとい、隠された悪意をさらけ出して食い物にする。魔物をも凌駕する悪意を持ち得る人間の──〝影″。
今、推理は繋がった。
「……なっちゃん」
「なあに?」
「今からオイラ様が人狼に飛びかかって隙をつくります。そうしたら、なっちゃんは人狼の影を撃ってくだされ。……信じてくれますな」
反論は許さなかった。ルミナスが戸惑った表情のままゆっくりと頷く、が。
「危ないぜ」
了承したくせにそんなことを言う彼女がいじらしい。
「仮にも器ですから、オイラ様の身体能力を侮るなかれ。それに、負けちゃったら同じですからな」
「……わ、わかった」
「〝物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない″。……大丈夫。なっちゃんならできますぞ」
「変な理論。たぶん、使い方間違ってると思うぜ」
「それについては後でゆっくり語りましょう。……では!」
ルミナスの後ろから客席を蹴ってシヴァーは飛び出す。舞台に着地すると人狼が面白そうに手を叩いていた。いつの間に巻いたのやら、白いナプキンが光っている。
「本来探偵は荒事には向かないものですが!」勢いを殺さずに突進すると、ひらりと交わされてしまった。「今回ばかりは仕方ありませんな!」
もう一度掴みかかる。彼の尻尾を指先にとらえて引っ張ると、人狼の体は紙屑のように軽く引き寄せられた。──違う、寄せられたのは自分だ。トアンの手に握られたフォークが光る。
──が、フォークが突然はじけ飛んだ。……ホワイトだ。正気を取り戻した彼女が撃ったおかげで救われた。人狼が目を丸くしてフォークのなくなった手を見つめ、しかし歯をむいた。その牙がシヴァーの喉元に刺さる前に、急ブレーキがかかったかのように人狼の動きが止まる。
煙が上がっている。舞台の床、人狼の影はルミナスによって撃ち抜かれていた。
「……ああ。知ってたんだ?」
「推理ですぞ」
「…………はは。負けちゃった」
人狼が一歩下がる。床に広がった影がべりべりと持ち上がり、何万匹もの蜘蛛に姿を変えた。その蜘蛛たちはトアンの体にわらわらと群がっていく。
「……ねえ、死んじゃった人のこと、忘れないでね」
「オイラ様のせいだって言いたいんですかな?」
「ううん…………もう、言わないよ」
影から生まれた蜘蛛たちにトアンの体が食われていく。そうして、最後には天井から吊るされていた糸がぷつりと切れて、劇場は蝶たちとなって霧散した……。
「ねえねえ。どうしたの?」
目をまんまるにしたアルライドに体を揺さぶられて、シヴァーははっとする。 ──気づけば生徒会室に座り込んでいた。ルミナスもホワイトも、レインもプルートもウィルもいる。……ボリスとハクアス、レイネの姿はない。
えっと。そうだ、学祭の真っ最中だったはずだ。パニックになっていたはずの生徒たちは、何事もなかったかのように学祭を満喫している声が聞こえる。
「俺も昼寝してたけどさ、君たちも全員昼寝なんてのんきだよねー」
「昼寝……?」
アルライドから視線を離し、外を見上げる。空に輝くのは太陽だ。欠けた月ではない。
「勝ったんですな……」
ぽつりとつぶやいて、隣に座っていたルミナスを見る。そっと触れた彼女の胸の下では鼓動が響いていた。生きて、帰ってきたのだ。
「……なっちゃん!」
「む、むぅ?」
「勝ちましたぞオイラ様たち! 終わったんですぞ!」
「──あ……そうだ。本当に、終わった、ね」
「やったー! やりましたなあ! すごいですぞなっちゃーん!」
喜びのままに彼女を抱きしめる。まだぼんやりとしていた彼女は、同じように手をまわしてくれた。シヴァーの肩口に顔を埋め、終わった……お父さん、お母さん、やっと終わったぜと噛みしめるように呟く。
「信じらんねえな、本当にあの人狼に勝っちまうなんて」
プルートがぼやきながら立ち上がる。
「……まあでも、感謝くらいしてやるよ。ありがとうな、シヴァー」
「プルート殿は……やはり人狼の言ったように、恋人の敵のために?」
「そうだよ、でも自分じゃなにもできなかったけどな。お前のおかげで、151年かかった復讐も終わったよ」
どこか晴れ晴れとした顔でプルートは笑った。それからレインに目線を合わせる。
「……なあ。お前を利用したのは確かだ。でもそれは僕だけだぜ。お前の親友のアルライドは、心底からお前を救いたがってた。人間どもの手も魔物の牙も届かない、平和な未来に送ることだけを考えてあんな芝居打ったんだ。その気持ちも汲んでやれよ」
「……勝手なこと言うなよ」
「そうだな、勝手だな」
「──でも、プー。過去を思いだそうとするオレに、お前が散々あいつの気持ちを考えろっていったのは、そういう意味だったんだろ」
レインは顔を上げ、赤い目を細めて笑った。
「心配してくれてありがとうな」
「は、はあ!? 誰が誰の!」
「これからのことはこれから考える。……でもせっかくもらった命だ。無駄には使わない。──とりあえず今日は出店全部回るぜ、いくぞウィルくん」
「あ、ああ……」
「さっそく無駄に使ってるじゃねーか」
「うるさい」
レインはあくび交じりの伸びをすると、今だ抱き合ったままのシヴァーとルミナスを見て微笑んだ。
「お父さんはまだ許してねえぞ」
「そ、それは──!」
「じゃあ、あとでな二人とも」
急いで離れたこらちをちらちら見ているウィルをひっつかんでレインが部屋から出ていく。それから、慌てた様子でプルートも。ちょっとちょっと、さっきから何の話? 無視しないでよと生徒会長のアルライドも続く。
「……あぁ。騒がしいったら」
ほつれた髪の毛を手櫛で整えながらホワイトがぼやいた。
「バカばっかりだわ、嫌になる」
「妹殿。さっきは助けてくれてありがとうございましたな」
「何の話かしら」
「フォークを弾いてくれたじゃありませんか」
「……ふん、別にお前のためじゃないわよ。わたしがあいつを許せなかっただけ」
唇を噛みしめるその表情は、深い悼みをこらえているようだった。……人形なんてとんでもなかった。彼女もまた一人の人間なのだ。
「さて。わたし、研究室にいくわ。人狼があらかた証拠は消してるでしょうけど、レイネをどうにかしないといけないのだわ」
「どう、するんですかな」
「……死なせたほうがいいとは思うの。そのほうがボリスへの贖罪になるわ。でも、ハクアス教授の心も無視はできない」
「一人で?」
「平気よ、後始末くらいなれてるもの。……むしろついてこないでちょうだい。学祭なんてバカ騒ぎの間くらい、一人にさせて」
「で、でも……」
「あ、後で研究室に警察も呼ぶわよ。だから余計な手間をかけさせたくないなら、ここでおとなしく遊んでなさいな」
「わ、わかりました。……ではほっちゃん、また後で」
「……ほっちゃん? なによそれ」
ため息をつきつつも、ホワイトは笑っていた。そういえばお前さっきお姉さまの胸触ってたわねこの変態と一言罵って、彼女も部屋を後にする。
二人残ったシヴァーとルミナスは、そっと顔を見合わせた。
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