基礎を固めましょう
★帝歴2502年5月7日 ヒューパ・ジョフ親方の工房 ティア
私達は、川辺に建てられた水車小屋を利用したジョフ親方の工房にやってきていた。
工房へは、うちの男の子達ほぼ全員と、希望した女の子も数人いる。
残りの女の子達は、うちでとある物の開発をやらせていて、ここには連れて来ていなかった。
基本的に危なくない実験なので任せている。
「こんにちはー、親方、ウチの職人見習いを連れてきたよー」
「おお、いらっしゃいませ姫様、こりゃまた可愛いチビも混ざってますな」
「えへへ、そうでしょ、この子達にもお仕事を覚えさせてあげたいの」
私の紹介で、年齢の割に小さな男の子数人が、はにかんでいる。
ホラの領内から救い出された男の子達は、女の子達と違って、顔に傷は付けられていないが、栄養状態が悪かったらしく、まだちゃんと体は回復していないが、最近ようやく顔に表情が出るようになってきた。
今は、しっかり食べさせて回復重視ですよ。
子供はしっかり食べる、それがお仕事。
二ヶ月前、初めて彼らがうちに来た時の事だった。
私が彼らに夢や希望を尋ねた時、いくら説明してもその意味を全く理解してくれず、どうしようかなーって思ってたら、
『彼ら自身あまりに過酷な環境で育ったので、夢や希望その物が欠落してる』
と、ゲネスに教えてもらうまで、彼らがなぜ理解できないのか私も分かってなかった。
子供には、夢や希望が当たり前にあると、勝手に思っていた自分を反省しました。
悪ガキ組も含めて、これから私の庇護下で生きてもらうからには、無理やり夢や希望を持ってもらうつもりはないが、せめてその意味ぐらいは知ってもらいたい。
それが主人としての最低限の義務だ。
私は、彼らを率いる主人としてもっと強くならなきゃね。
彼らの引き継ぎを、ジョフ親方のお弟子さん達にお願いしてたら、うちのベック君がニコニコしている。
「親方ー、また一緒にお仕事できるのとっても嬉しいですー」
いつもよりずっと元気になっているのを見ると、工房での仕事が性に合ってるんだろうかな。
以前、親方との打ち合わせで工房に連れて来て仕事をさせてみたら、ベックは手先がかなり器用だったので、工房でのこれからに期待している。
……でも、工房での開発業を彼にやってもいたいが、勉強の方もしっかりやってもらわないと、これから私が作りたい物を理解するには辛いんだよねえ。
工房の奥に案内してくれた親方が口を開く。
「姫様、言われていた物の試作機ができました、こちらにきて御覧ください」
「うわ、本当に作れたのね、さすが親方」
私が案内されたのは、工房の奥に置かれた機械だ。
親方に開発を頼んでいた物、それは、旋盤。
水車の動力を利用して、工作したい材料を三点式の万力で止めて回転させる。
それをハンドルを回しながら位置を決めた切削用の刃物で削る道具だ。
これを使えば、例えばネジや歯車軸のように同じ大きさで規格統一された部品が、いくつでも作れるようになる。
規格統一された部品を作る。
一々、全部をオーダーメイドで作り上げる必要がなくなるのは、工業化において革命的な事だった。
去年の年末、最初に親方との打ち合わせで描いたスケッチと、部品の方を回転させるために固定する万力部分の説明と、切削部分で部品を削るためにここを動かす方法を考えてもらっただけで、たった一冬の間に、かなりの物ができあがっていた。
親方が見せてくれた試作機は、手作りしたネジ山や、歪んだ軸で部品の位置を決めるので、望みの大きさの物が作れない。
まだまだ精密な物は作れないが、最初はこの試作機で作った部品で次の旋盤を作り、精度を上げて行く予定。
私の可愛いエンジニアの卵達は、これから山のように色んな知識を覚えてもらわないといけない。
歯車一つ設計するのも、コンパスの使い方から覚えなきゃなんないし、計算が必要になる。
これから教育カリキュラムに三角関数を取り入れなきゃいけない。
昔の大工さんとかどうやってたんだろ? sin、cos、tanとか教育受けて無いけど、高度な建築術で細かい物も作りあげてたんだよなあ。
今後の計画に入れて置こう。
「さすが親方ですね、ここまでの物を早くも作れるとは」
「姫様、まだまだ問題はあります、この旋盤では姫様の言うような同じ大きさの部品を作り続けるのはまだ無理です、何より、回転数を上げると刃物部分がすぐに焼き付いて、使い物にならなくなるのです」
「旋盤の精度の問題は、この機械で精度を出した部品作ってもっと精度の高い旋盤を作れば解決しますね……問題は、刃物の焼きつきですか……油を挿しながら刃物部分の温度を下げれば良いのですが、燃えない油に足す薬品が作れないんですよねえ、水だけだと錆びちゃうし、うーん」
油類は、鉱物油が手に入らない代わりに、木炭の乾留作業で出る油があるのでアレを使おうか。
うーん、ここは少々錆びてもいいから水と油を石鹸で混ぜただけの物を使って、後で、拭きとって油砥石で油つけながら仕上げるといいのかな?
昔化学工場で働いていた頃、この手の切削油に入れるケミカル類を扱っていたけど、切削油に防腐剤入れないと廃液が腐るし、錆止めがないとすぐ錆びる、他にも色々と大量の薬品が入ってるんだよね。
本格的に工業化した後の環境汚染が怖いなあ、絶対に後から支払うコストの方が高くつくし。
これからの課題がまた増えたよ。
子供達の家来は増えたけど、彼らは基礎の勉強を始めたばかりだし、上手い知恵を出せるようになるにはまだ先の話だなあ……まいったね。
親方には、石鹸を使って油を水と混ぜ合わせた物で、刃物部分の冷却と抵抗を減らす方向でお願いした。
切削油に関しては、色々と試していくしかないかな。
とにかく今は、もっと精度が高い旋盤を作ってもらうのが先です。
「ジョフ親方、旋盤の開発お願いします、これからは午後からベック達をこちらへ寄こしますので使ってください」
「了解しました姫様、あいつらを鍛えてやりますよワッハハッハハ。それから姫様、以前言っていた製鉄の高炉建設の件ですが」
「ああ、あれどうなりそうですか?」
「ええ、姫様のおっしゃった石炭を使うのと水車動力で空気を送り込む高炉は、今回見合わせる事になりそうです。製鉄用の10mぐらいの高さがある大型高炉は、昔から使い方を知られていますが、ヒューパで使わなかったのは、木炭が大量に必要なのと、火精霊魔法で使う大量の
鉄を作るためには、大量の熱が必要だ。
高炉を運営するには、フイゴで酸素を大量に送り込んで中の燃焼温度を上げる必要があるが、この世界では魔法があるので物理で空気送り込む方法は使ってなかったみたいだね。
「ですが、去年ホラとの戦で大勢の冒険者の奴隷が手に入りました。彼らの視力を奪って鉱山奴隷にしましたが、やっぱり目が見えないのであまり使えません、ですが大なり小なり精霊魔法を使えるので、彼らの
あー、あいつらか。新しい資源としてみたら有効活用したいよねえ。
「それに、できることなら、高炉を建設するのは鉱山から近いファベル村にしたいですしね、となると、あそこでは水車が使えませんから」
「分かりました親方、近い将来もっと鉄が必要になったら私の方法を考慮してください。恐らく近い内に木炭を大量に消費するので森林資源が足らなくなるはずです、そうなる前に石炭を使った方法に切り替えられるよう、実験を進めて準備はしておきましょう」
鉄の大量生産となると、木炭はダメだね。
日本でも江戸末期や明治の頃の山の写真を見ると、どこの山も木が伐採されすぎてハゲ山になっていた。
ましてや、魔獣だらけのこの世界では、山に入って伐採するのもコストがかかり過ぎる。
映画のも○のけ姫の世界でも、たたら製鉄用に大量の木を伐採して炭を作っていたからなあ。
地球上で人口の上限を決める要素の中で一番大きいのは、水でも食料でもなく、燃料だ。
燃料は、生活を支えて、その上文明を支える。
この世界では、魔法で燃焼温度上げられるって素敵手法が使えるので、大変便利そうですよね。
多分、以前お父さんの書庫で読んだ、この世界の歴史にあった、旧帝国の魔法文明にはこの辺りの技術も含まれているんだろうかな。
出来ることならその頃の本を読んで研究したいよお、何もかも1から開発するのは辛いもん。
私は、このまま子供達を親方にお願いして、トラビスと一緒に城に帰ることにした。
★帝歴2502年5月7日 ヒューパ城 ティア
城に帰ると、チュニカ達女の子組にお願いしていた、あるモノの実験の結果を確認する。
「チュニカー、どう? 上手くできてる?」
「姫様、おかえりなさいです、前の物よりかはマシなのですが、なかなか泥臭い味は抜けきれてないです」
彼女達に命じて作らせていたのは、甜菜大根を使った砂糖の採取だ。
この子達は、鼻がきかない事情はあるが、この酷い味は、臭いがダメでも舌先で分かるから彼女達でも大丈夫。
以前、ブドウ狩りに行った時食べた甜菜大根、あの時食べた味は忘れられない。
エグい! 味は、泥そのものでエグい。
舌の上で踊るようなエグさだったのよねえ。
去年の年末、あのエグさ体験をアルマ商会さんに話したら。
『ああ、あれを食べたのですか、アハハハ。あれはですね、輪切りにしてから一度焼いて食べるんですよ、そうすると甘さが引き立ってですね、あのエグさと泥臭さが減ってなんとか食べられるようになるんです。ただし、焼いて熱々で食べないと冷えるとまたあの泥臭いのが復活しますよ』
と言われて、笑われたのが悔しかったので、私も試しにやってみたら、確かに泥臭いエグみは多少残ってるが、甘みが強くなっていて食べられないことはない。
この時、閃いたんですよ。
もしかしてこの甘味って砂糖の甘みじゃないのかと。
確かラノベで良くあるアレだ。砂糖生産。
こっちは専門外だったので知識がなかったが、甜菜大根から砂糖が採れる種類がある雑学を何となく覚えていた。
多分近世のヨーロッパで開発されたはず。
残念ながら専門外だから作り方が分かんない。
何とかしてこの泥臭いエグみを取り除けないか、食用油に漬け込んでみたり、お酢で漬け込んでみたりと、エグみ成分を抽出してみようと実験してみたのだけれども、上手くいかない。
どうやら煮汁に溶け出す砂糖分だけを取り出す方で、なんとかなりそうではと方向を変えていた。
大量に買ってきていた甜菜大根を使って、実験を冬から春の間ヒイヒイ言いながらやっていた。
おかげで首都でやってる春の社交界にも行かず、ずっと実験の日々でした。
春の社交界……行きたかったなあ。
お父さんに『お前は大暴れしすぎたので今年は連れて行かない』って言われてお留守番をしていたのよねえ。
はあ……
砂糖研究では、細く千切りにした物をお湯で煮出した液が一番マシだった。
でも、そのままでは、まだ泥臭いエグみが抜け切れなかったので、製品としては出せない。
この煮出した液をさらに煮詰めてみたり、アク取り用の灰汁を入れて不純物を沈殿してみたけど、エグ味成分その物が取り除くべく実験を重ねる日々です。
実は、何度かかなり泥臭さが抜けた砂糖液ができた事があったのですが、同じ大根で次に作っても、全く再現できない。
やっぱり泥臭いエグみが残って、このままでは使えそうにない。
原因は何か?
煮出しの時間の問題なのかと当たりをつけ、沸騰する時間を砂時計で図らせて実験を繰り返しているのが今の状況です。
砂糖の事は置いておいて、工業化の方はどうやら一歩ずつ動き出している。
ジョフ親方に作ってもらってる旋盤ができたら、色んな機械が作れるようになるはず……多分。
砂糖のエグ味成分問題が解決すれば、白い粉砂糖も夢じゃない。
水車動力を使った遠心分離器作って、蜂蜜が金色の上澄みと白い結晶に分離するのと同じ要領で、糖液に重力をかけて分離すれば、白糖が作れるかもしれない。
早く工業化を目指そう。
この砂糖造りに成功したら、子供達の服を買ってあげられるし、もう少し大きな建物を建てて、街の子供達や、各村々にも読み書きソロバンを広めたい。
派手な改革はやれてないけど、私が知っている文明の基礎部分を作り上げてる手応えは感じている。
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