魔剣の秘密

★帝歴2501年10月14日朝 モニエ渓谷 ヤーコプ神父


 ヤーコプ神父は、昨夜の内にホラ男爵・イエルク殿に願い出て、モニエ渓谷を塞いでいる土砂ダムを撤去するため、翌日ヒューパへの侵攻予定だった貧民兵100を率い、夜通しの土木作業へと赴いた。


 その時行ったホラ男爵・イエルク殿との話し合いの後、騎士ライナーと騎士ベルトルトの二人も呼び、二人をヒューパ侵攻の指揮官とし、翌日早朝に傭兵たちを連れて街から移動をさせる事が決まっている。

 これで暴発寸前だった傭兵の問題は何とかなるはずだった。

 侵攻作戦も、とにかく移動する前には斥候を出し、情報収集をしながら慎重に兵を進ませる旨を徹底させている。

 私が戦場に帰ってくるまでは、迂闊に大きな戦闘をやらないよう指示を出し、敵の罠を避けさせる事を徹底した後その日の作戦会議は終わった。



 打つべき手は打った、今の自分はモニエ渓谷の土砂ダムの撤去に集中するしかないと思っていた。


 しかし、この崖を崩して水を堰き止めた者が何者なのか? もしかしたらヒューパの仕業かもしれないが、このような強大な魔導技術は、かつての旧帝国時代の文献でも無い技術だ。ヒューパの男爵は、誰も知らない内に鍵を開けて未知の魔導技術を復活させたのか?……いや、考えるだけ無駄。今は目の前の仕事に集中する。



 このまま、モニエ渓谷の土砂ダムを放置すれば、せき止められたクルツァ川が増水してホラの街を守る堤防が決壊してしまう。そうなればホラの城ばかりか周辺の田園地帯を飲み込み、全てを水浸しに大洪水が起きてしてしまう。

 集まり難くなっていた兵糧も少しずつは集まる目処が立っている今、この時に洪水が起きれば、後方からの兵糧支援が不可能になる。

 さらに大洪水が起きれば、ホラを支えていた農業が壊滅的な打撃を受け、本当にホラは滅びてしまう。


 もう少しでヒューパ男爵を追い詰め、魔剣を手に入れて教皇猊下の手にお渡しすることができたのに、このまま想定される大規模な洪水が起きれば、全部がおしまいだ。

 暴発寸前の傭兵をヒューパ領へと厄介払いするだけではなく、当初の予定通りヒューパ占領と魔剣を手に入れ、ヒューパ男爵の確保もやってのけなければならない。


 なに、一つ仕事が増えただけだ、私ならまだやれる。

 所属していた修道士会…マジスタ・ベイローマ修道会の恐ろしく厳しい修行時代を思い出し、かつて尊敬していたバイタツ老師の丸い顔を思い出していた。



 ヤーコプ神父は、空が明るくなってくるのを見ながら、貧民兵達の作業進展を確認している。

 土砂が積り埋まってできたダムでも、一箇所を低くして水を通してやれば、土砂のダムなど水の勢いで決壊して崩れてしまう。

 100人で作業をすればどうということはないはずだ。


 実際に作業を始めてみると、土砂は大量でも部分的に土砂ダムの薄い部分があり、その場所を掘り進んだ時は上手くいきそうだった。

 ところがあと少しの場所で巨大な岩が出てきて進めなくなり、作業は最初からやり直しとなる。

 焦る気持ちで別の場所を掘り進む事になった。



 ヤーコプ神父は、モニエ渓谷の作業が確認できると同時に、後方のホラの街が見える崖の上に立ち、明るくなってきた辺りを見渡すと、ホラの街の方角の堤防高さまで水位は上がり、あと少しで土砂ダムではなく、街を守っている堤防の方が決壊して崩れそうになっているのを視認した。


 時間が無い、最初の作業の失敗が惜しいが、作業その物は何とかなりそうな目処が付いている。

 今度の場所こそ上手く削っていければ、土砂ダムを撤去できるはずだ。そう信じながら作業を進めていた。


 太陽が高く登る頃、あと少しの目処が立っていた時、後方のホラの街から煙が上がっているのが見えた。


 まさか? ホラの街で傭兵たちが暴れているのか?

 騎士の二人に任せて、移動していたはずではなかったのか?


 ヤーコプ神父の不安を煽るように、街から立ち上る煙はどんどん増えていく。


 しまった! 傭兵たちを抑えきれず暴発させてしまったのか?

 ……いや、早朝に出て行くはずの傭兵が今この時間に暴れだしてると言うことは、やはり騎士ライナーと騎士ベルトルトの両名が裏切ったと考えた方が合理的だろう。

 以前二人の様子を見た時に感じた不安は、やはり当たっていたというのか。



 ヤーコプ神父は、下のモニエ渓谷での作業をもう一度確認する。

 作業では、土砂を取り除くと途中途中に岩が飛び出くる、その間を掘り進んで山になっている場所を後一箇所掘れば、水が通るだろうと言う場所まで作業は進んでいた。


 ……ならばっ。


 隣に立っていた配下の文官に残りの作業を任せると、ヤーコプ神父は連れて来ていた門兵を二人だけ連れて、馬に飛び乗りホラの街へと急いで引き返していった。



★帝歴2501年10月14日昼 ホラの街 ヤーコプ神父


 ヤーコプ神父が街の西門の近くに馬を隠し、門が見える場所まで来ると、街の中から大勢の市民たちが逃げ出してきている。街の中からは煙がモウモウと上がり、混乱状態が広がっているのが分かった。


 街の中に兵士二人と共に入ると、まだ悲鳴が聞こえてくる。

 西門に入ってすぐの場所は、街に住む富裕層の邸宅が並ぶ場所で、門の近くは富裕層のための庭園が広がり、木が植わっていてすぐには街の様子が確認できない。

 ヤーコプ神父は、庭園の中に倒れている男を見つけ、素早く今着ている派手で動きにくい神父服を脱ぎ捨て、男の服と着替えた。

 一緒にいた兵士は怯えていたが、ヤーコプ神父はかまわず城の方角へと移動を開始しする。その動きは、とても神の教えを唱えているだけの神父の物とは思えないほど素早く動く。

 両足は、すり足を使い、音を立てずにまるで猫のようにしなやかに歩む。周りに気づかれないよう、暴徒になった傭兵たちの気配を察知しながら進んでいく。

 


 城の吊橋まで移動をすると、城門の前に門兵が集まり城の警護をしていた。

 正確に言うと、城に逃げ込んできていたと言ったほうがいい。

 城壁に囲まれた街の中では、1人も兵士の姿は見ていない。危険を察知して街の住人より先に逃げてきたのだろう。


 彼らの前に出てきたヤーコプ神父は、途中で戦闘があったのか、返り血を浴びており、門を警護していた兵士に取り押さえられそうになるが、顔見知りの隊長にヤーコプ神父で有ることを確認させ、どうにか城の中に通された。

 城に入ると奥でいるはずのイエルク殿の元へと1人で急いで歩く。


 周りを見渡してみると城の中の様子も混乱をしていて誰も掌握しておらず、騎士が4人もいるはずなのにこれはいったい……


 ……やはりこちらの城の中でも何かが起きているのか? イエルク殿の元へと急がねば。



 ホラ男爵・イエルク殿のいる領主の間まで着くと、部屋の入り口で警護をしているはずの衛兵の姿が見えない。

 何か問題が起こっていると見て、無言のままドアを開くと、中には背中から刺され倒れたイエルク殿と、剣を抜こうとしていた騎士ベルトルトがいる。

 ベルトルトがこちらに気づくと、ゆっくりと剣を引き抜き、下に倒れているホラ男爵の事が見えていないかのように笑顔を浮かべて親しげに話しかけてきた。


「おお、これはこれは、教皇庁の犬のヤーコプ神父殿ではございませんか。丁度私も貴殿に用事があったのですよ、本当に丁度いい」


 私の事を教皇庁の犬と呼ぶこいつの正体は……


「……ふむ、どうやら騎士ベルトルト殿は、何処かの国の間者ですかな。さしあたり、パスカールか、神聖ピタゴラ帝国辺りか……」


 かまをかけると、騎士ベルトルトの表情がかすかに動く。


「どうやら神聖ピタゴラ帝国の方のようですな。カール15世殿の犬のベルトルト殿がわたくしに何のご用件でしょうか」


「ふん、食えない奴だな。貴様に用事とは…こうだっ」


 騎士ベルトルトは、しゃべり終わる前に手に持った剣を振り上げながら、ヤーコプ神父との間合いへと駆け込み、その剣をヤーコプ神父の頭の上へと振り下ろした。



★帝歴2501年10月14日昼 ホラ城 ヤーコプ神父


 下に倒れた騎士ベルトルトの身体から、何か情報は得られないか探っていた時、部屋の外から誰かが近づいてくるのが聞こえた。


 足音と一緒に鼻歌らしき音も聞こえてくる、その音はドアの前に立ちそのまま部屋へと入ってきた。


「どうだい、上手くヤレたか」


 騎士ライナーが部屋に入ると血臭が濃くなる、どうやら他の部屋で誰かを殺めてきたようだ。


 ベルトルトと同じ運命になってもらうのは、私にとってはさして難しい事ではないが、多少の情報は欲しい。ここは少し会話をしてみようか……


「騎士ライナー殿、これはいったいどう言うことですかな? 騎士ベルトルト殿がイエルク殿と相打ちになって倒れているようですぞ……なぜ彼は裏切ったのですかな?」


 前半はとぼけたように話をしていたのに、質問の最後でヤーコプ神父の眼力が鋭く、殺気を孕んだ目つきに変わる。

 ホラの街では今まで一度も見せたことのない眼力に気圧される形で、騎士ライナーは会話に答えた。


「ふふ、貴殿と同じですよ、教皇庁のヤーコプ神父殿。貴殿もヒューパの家宝である鍵に用事があったのであろう。彼の先祖が守っていた知恵の館の鍵だ……どうであろうか、私と情報の交換をしないですかな? 貴殿も教皇庁からの任務失敗は痛かろう、お互いの情報を交換してみやげにするのは如何か」


 騎士ライナーは、身振り手振りでリアクションを取りながら喋ってくる。


 ……面白い事を言い出す奴だな、どうせ情報を得た所で腰の剣を抜いてしまう気なのだろうが、上手くいくかな? ふっ。


「分かりました、情報を交換しましょう、まず、鍵の在り処を知りたいですな、ヒューパ男爵が持っているのかそれともどこに仕舞っているかなど」


 自分の情報は出さずに要求だけを伝える。


「ヤーコプ神父殿、ご自身の情報は出さずにいきなりですか? それは厳しいですな、が、まあいいでしょう、あの魔剣はヒューパ男爵の一人娘、ティアが持っておりますぞ。私共の小物があそこに入り込んでおりましてな、情報が流れてきましたわい」


 ヤーコプは驚く、なんだと、あの貴重な魔剣をあんな小さな幼女に渡したままにしていたのか? ヒューパ男爵は正気か?


「なんと、騎士ライナー殿、それは本当か、てっきりヒューパ男爵に返されていたものだとばかり思っておりました。ではわたくしからの情報です、約10年前の事ですがヒューパ男爵が、ライナー殿のお国の神聖ピタゴラ帝国の都市、ダイスにいた頃、事件を起こして街から逃亡をしたそうですが、その時屋敷に残されていた文献をいくつか教皇庁が手に入れましてな、その中に知恵の館の場所を記した記載を見つけました。小セトの麓と書いております」


 小セト……この世界には、火水土風の世界樹が沢山ある。その中でもセトと呼ばれる光と影を司る世界樹は、知られているだけで3本だけが確認されている。

 中でも最大の世界樹セトは始まりの樹とも呼ばれ、横幅で800kmを超す巨大な樹だ。

 そして3本の中でも最も小さいセトが、セト中世界の中心に位置する島に生えている。

 因みにもう一本のセトは、神聖ピタゴラ帝国の中央部に生えていて、帝国は世界樹からの恩恵を受けている。



「ふう、ヤーコプ神父殿、残念ながらその情報は私達も知っておりまする。私達も冒険者を送り込み調査はしておりまするが、地下迷宮になっているダンジョンへの途中の扉の鍵がどうしても開かないので困っておるのですよ。もう少し別の情報はございませんかな? 」


 騎士ライナーが身振り手振りを交えてリアクションを大きめに話す時、話のタイミングに合わせて一歩ずつ近づいてきているのを、ヤーコプは見逃さなかった。


「では、騎士ライナー殿、私から最後に情報をもう一つ、ヒューパ男爵の残した書物の一つに、あの門を開けた先にはどうやらミノタウルスらしき魔物が建物を守っている絵が書かれていました。ミノタウルスはかつて魔王として世界を滅ぼそうとした程の魔物です、もし他にもいるのならば十分な準備が必要ですな」


「左様でしたか、では私からはこの辺でお別れのご挨拶を。死ねっ!」



 騎士ライナーが、剣を抜きながらヤーコプ神父に襲いかかった。


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