第18章 Whim of God ―Recht Side―

Episode74「夜明け」

「…ごめんなさい、レヒトさん」


 万魔殿パンデモニウムの方角へ走り去ったシオンの背を見送ると、不意にソフィアがそんな言葉を呟いた。


「何だよ藪から棒に。何か謝るような事でもしたか?」


「私は…何の役にも立てませんでした…」


「ベルフェゴールを倒したんだろう? それで十分だ」


「それだって…サリエルがいなければ…。そのサリエルも今ツォアリスで、たった一人レヴィアタンに…」


 思っていた以上に足手纏いという言葉がショックだったらしい。

 軽い手合わせとは言えこの俺に致命傷を与えたソフィアは決して弱くない。サリエルの手助けがあったとしても、七つの大罪、怠惰の罪を司る悪魔ベルフェゴールを倒したというのは期待以上である。

 だがソフィアがシオンや他の者達に引け目を感じてしまうのも無理はないだろう。護られてばかりで、大事な場面で何も出来ないというもどかしさは想像に難くない。


「…まぁ俺なんて危うく敵の手に落ちるところだったからな。俺に比べればよっぽど役に立ってるから安心しろよ」


「…レヒトさんは優しいですね」


 一応フォローを入れておくとソフィアはそんな恥ずかしい事を口走りながら柔らかな笑みを浮かべた。それは聖母と呼ばれるのも納得の穏やかで美しいもので、不覚にも胸がときめいてしまう。


「…さっきのシオンといい、気持ち悪い事を言わないでくれ」


 照れ隠しで悪態を吐くが、ソフィアはまったく意に介さない様子で微笑んでいた。


「ふふ…ごめんなさい。でも、セリアさんがレヒトさんに夢中になってる理由が少し分かった気がします」


「だ、誰が夢中になんか!」


 するとその時、それまで横たわっていたセリアは勢い良く体を起こすと顔を真っ赤にして声を上げた。


「よう、元気そうだな」


「…結果的にまた助けられたわね」


「気にするな、女は男に護られるぐらいの方が可愛いもんだ」


「護るって…一撃かまして気絶させたくせに…」


「仕方ないだろ、それにちゃんと先に伝えたはずだ」


「そ、それはそうだけど…むぅ…釈然としないわ…」


「まぁまぁセリアさん…おかげでベルゼブブも倒せましたし…」


 ソフィアに宥められセリアは渋々といった様子で黙り込むが、どうやら二人共回復はほとんど終えたようだ。

 しかしエリスだけは相変わらず死んだように眠ったまま目覚める気配が無い。


「ところでレヒト、エリスはどうなの?」


「エリスちゃん…生きてますよね…?」


 仰向けのまま眠るエリスを三人で取り囲んで見やるが、人の気も知らないでエリスは呑気に寝息を立てていた。


「…何だかムカついてくるな」


「そんな…可愛い寝顔じゃないですか」


「どうするの? このまま放っておく訳にはいかないのでしょう?」


 仮にエリスが目覚めて暴走でもされたら悪魔どころの騒ぎではない。俺だけ此処に残って二人を先にシオンの元へ向かわせるのも手だが、万魔殿パンデモニウムがどんな場所か分からない以上それは危険過ぎる。


「…こうなったら叩き起こすか」


「え…それはいくら何でも乱暴では…」


「そんな事して大丈夫なの…?」


 仮にエリスが未だ女神のままなら遅かれ早かれもう一度戦う羽目になる。だったら時間も無い事だし、この際思い切って叩き起こした方が良いだろう。


「もしこいつが女神のままだったら二人は逃げてくれ」


「そ、そんなこと言われても…」


「悪魔だらけのこの世界の何処に逃げればいいのよ…」


「まぁあれだ、多分大丈夫だ」


 確証はないが、甘い言葉を囁いただけで簡単に動揺を見せた女神だ。暴走しても何とかなるような気がする。


「おいエリス、起きろ」


「ふぅー…ふやー…ふやー…」


 まずは控え目に頰を摘み左右へ引っ張るがまったく起きる気配はない。


「レ、レヒトさん…?」


「駄目か…ならばこれでどうだ」


 今度は鼻の穴に指を引っ掛けフックのように持ち上げてやる。


「ふご…ふぉ…ふぉ…」


 …何だか面白くなってきた。思えば今までエリスには散々振り回されてきたんだ、折角のチャンスだし少しばかり復讐しておこう。


「ククッ…ブサイクな面だなぁ…」


「え…えぇと…」


「寝ている女の子に…最低ね…」


 次は瞼を持ち上げてやるが白眼を剥いたまま相変わらず起きる気配がない。俺はそれからも女性陣の非難を無視し、エリスの顔を弄り回しては色んな変顔を作ってひとしきり楽しんだ。


「はー、スッキリした」


「あの…レヒトさん…。エリスちゃんを起こすんじゃ…」


「あぁ、そういえばそうだったな」


 すっかり当初の目的を忘れていた。しかしこれだけやっても起きないとは、どうやら相当深い眠りに落ちているらしい。


「それじゃ今度こそ叩き起こすぞ」


 覚悟を決めると俺はエリスの額に手を当て、ギリギリと中指を引き絞る。

 普通の人間ならば頭が粉砕する破壊力のデコピンだが、過去にこいつを食らったエリスは派手に吹き飛んだだけで大したダメージはなかった。そう考えると叩き起こすには丁度良い威力のはずだ。


「え、何それ…まさかデコピン…?」


「良い加減に起き…ろっ!」


 ギリギリまで引き絞った中指を全力で弾きエリスの額に叩き込む。するとその瞬間バンと火薬が炸裂したような乾いた音と短い悲鳴が聞こえ、エリスの頭は勢い良く地中に埋まってしまった。


「…あれ?」


 …マズい、やり過ぎた。いやしかし相手は危険極まりない不和と争いの女神…この程度で死ぬ事はないはず…。

 ただエリスが頭から直立不動の姿勢で地中に埋まる程のデコピンを放ったつもりは無かった。どういう理由か分からないが、俺のデコピンは明らかに以前より数段パワーアップしている。


(あ、そうか)


 そういえばマルスの力を手に入れた事を忘れていた。恐らくそのせいでデコピンの破壊力が戦神仕様となってしまったに違いない。


「エ…エリスちゃーん!?」


「むー! むー!!」


 慌ててソフィアが駆け寄ると突然エリスの両足がバタバタと動き出す。何だか似たような光景をいつか見た気がするが、何はともあれちゃんと生きているようで一安心だ。


「…今のは何?」


「…デコピン?」


 青褪めた顔で呆然としていたセリアは俺の答えを聞いた途端わなわなと震え、声を張り上げた。


「あんな銃声みたいな音のデコピンがある訳ないでしょ!?」


 そんな事を言われても俺だって困る。とにかくエリスはちゃんと目を覚ましたようだし目的は果たしたはずだ。


「ちょ…エリスちゃん…暴れな…はぅっ!」


 エリスの足を掴もうとした瞬間、ソフィアが顔面に蹴りを喰らい仰け反ってしまう。ふざけた動きをしているがその威力は過去に俺もこの身を持って味わっている。


「どいてろ」


 涙目で鼻を押さえるソフィアの前に出ると俺は神経を研ぎ澄ました。


「二度も喰らって堪るかよ…」


 高速で動く両足の動きをじっと見極め、一瞬の隙を突き片足を鷲掴みにする。


「おっはよぉぉぉ!」


 そして力任せに一気に引っこ抜くと勢い良くエリスが飛び出した。


「ございます馬鹿野郎!!」


 しかし勢い余ってついエリスを地面に叩き付けてしまう。顔面から落ちたエリスはその場で微動だにせず、一瞬最悪の事態が脳裏を過ぎる。


「…その、すまん」


 しかし一応謝罪しておくと突然エリスがぐるりと反転し立ち上がる。そして鼻血と涙を垂れ流しながら凄まじい剣幕でこちらに詰め寄ってきた。


「ななないきなり何するんですかぁー!?」


 良かった、どうやら女神ではなくいつもの元気なエリスに戻っているようだ。


「エ…エリスちゃん…なの…?」


「この馬鹿っぽい感じは…多分そうね…」


 エリスが戻ってきて一安心…と言いたいところだが、鬼の形相で詰め寄るエリスはかなり動転しているのか辺りに鼻血を撒き散らしながら喚いており、とてもじゃないがエリスの生還を素直に喜べる状況ではない。


「目が覚めたら何故か土の中でしたけど私は死んだんですか!? でも死んだのに凄く痛いんですけど!?」


「死とは想像を絶する痛みを伴うって昔誰かが言ってたな」


「なっ…そうなんですか…!? じゃあやっぱり私は死んでー!? あれ、でもレヒトが目の前にいるという事はレヒトも…? うっ…うぅぅっ…ごめんなさい…私がベルゼ……ベルゼ………ブルを倒せなかったせいで…」


「…ベルゼブルって誰だよ」


 キレてるかと思えば急に泣き出したり相変わらず忙しい奴だ。


「うわあぁぁぁん! ソフィアさんもセリアさんも見えますー! みんなごめんなさいぃぃー!」


 それは凄い光景だった。止めどなく溢れる涙と鼻血が混ざり合い、顎の下から滝のように滴り落ちている。そのおぞましい姿に悪魔とはまた違った、生理的に受け付けられない恐怖を覚える。

 思わず後退り、声を掛けるタイミングを失っていると果敢にもソフィアが鼻血と涙も纏めてエリスを優しく抱き締めた。


「エリスちゃん…おかえりなさい…」


「ソフィアさん…うぐっ…ごめんなさい…私…私…」


「謝る必要なんてない…みんな生きてるわ…。私も、レヒトさんも、エリスちゃんも…」


 穏やかな口調で諭され、ようやく落ち着きを取り戻したエリスは状況が理解出来ずに困惑しているようだ。


「生きて…る…? みんな…無事なんですか…?」


「えぇ…だから大丈夫よ…」


 そう言いながら優しく頭を撫でるソフィア。するとエリスはようやく状況を飲み込めたのか、安心した表情でまた滝のような涙を流し始めた。


「良かった…良かったぁぁ…。私ベルゼーブと戦って…ルシファーの話を聞いて…マスターが殺されて…そこから女神様に体を乗っ取られてぇぇ…」


 だからそれはベルゼブブだと突っ込みたくなったが、聞き捨てならない言葉に俺は驚かされる。


「…マスターが殺されたってどういう事だ、何があった?」


「ぐすっ…実は…あ、その前に鼻血が止まらな…息が…かふっ…」


 俺のせいとは言え、相変わらず世話の焼ける奴だ。ソフィアが治癒術を施すと無事鼻血は止まり、エリスは肩を落としながらぽつりぽつりと語り始めた。


 エリスは女神に意識を乗っ取られている間の記憶も残っていた。恐らくそれは俺がマルスと対峙していた時と同じような感覚なのだろう。そしてエリスも女神エリスと対峙した事で全ての記憶を取り戻していた。

 その上でエリスがベルゼブブから聞いたというルシファーの計画の全貌、今ある世界がシオンの前身の願いによって創られたという話は俄かには信じ難いものだった。

 もしそれらが事実だとすれば、今まさにルシファーと対峙しようとしているシオンは果たして何を選択するだろうか?


「大丈夫…シオンは決して今ある世界を捨てるような選択はしません」


 シオンをよく知るソフィアだからこそ言える事だろう。しかしそれはシオンがシオンである限りの話であって、もしあいつがメタトロンやアダムに飲み込まれてしまえばどうなるか分からない。それこそこの世界も切り捨てられるか、前身と同じように時間を巻き戻して創り直すかもしれない。


「ねぇエリス…ネフィリムって…何なの? 私の故郷が天使に滅ぼされたのと…何か関係があるの…?」


 世界が歯車が大きくズレた始まり、見張りの者達エグレーゴロイとヒトの間に生まれた呪われし子、ネフィリム。エリスの話だとその血は今の世界にも未だ残っているが、そのほとんどが天使によって国毎滅ぼされたという。

 だが俺の知る限り天使や悪魔など、そういった人外のモノが一国を滅ぼしたなんて話はセリアの祖国以外に聞いた事がない。


「セリアさんは…ネフィリムの子孫です。セリアさんはアザゼルによって力を顕現させられたおかげで生き延びたけど…他の人達は…」


「…そう、そうだったのね」


 セリアはこれまで自分のせいで祖国が滅ぼされたと思っていた。しかしその真相が自分のせいではなかったと分かったところで、天使によって故郷を滅ぼされた事に変わりはない。


「…神様から見ればヒトなんて玩具みたいなものなんでしょうね。気まぐれに干渉して…面倒になったら全部無かった事にして…」


「セリアさん…」


 ルシファーと神、果たしてどちらがヒトにとって神に相応しいと言えるだろうか。きっとその答えは誰にも分からないし、そもそも答えなど無いのかもしれない。


「…お前にアザゼルからの遺言だ。すまなかった、だとよ」


「…エリスの話が全て本当なら、アザゼル達…見張りの者達エグレーゴロイのせいでネフィリムが生まれ、世界は二度も滅ぼされた。私の故郷も…」


「あぁ、そうだな」


「でも…アザゼルは私に力をくれたわ。何故なの…罪滅ぼしのつもり…?」


 セリアは俯いたまま腰の銃を抜き、まるで銃に問い掛けるようにじっと見詰めていた。


「俺は奴じゃないから分からんが…」


 確かにアザゼルには罪の意識があっただろう。しかしセリアにあれ程肩入れしていたのはそれだけが理由ではない。きっとあいつは同じ過ちを繰り返すまいとしていた。もうヒトの女性を愛さないように、と。


「…少なくともあいつは最期までお前の味方だったよ」


 それを聞いてセリアの表情が微かに緩んだ。


「…ありがとう」


「どうする、今から悪魔に加担して一緒に神を滅ぼすか?」


「…馬鹿言わないで。昔も今も、私は悪魔に仕える気なんてないわ」


 そう言って腰に銃を仕舞い顔を上げたセリアはまるで憑き物が落ちたように晴れやかな表情をしていた。


「そうか。エリス、お前は?」


「えっと…その…私は一緒にいて…良いんですか…?」


「何だよ、一緒にいちゃいけない理由でもあるのか?」


「だ…だって私レヒトの事を…殺そう…と…」


 言葉尻が弱々しく消えていき、エリスは再び泣き出しそうになる。面倒だと思いつつも、俺は頭を掻きながらぶっきらぼうにそれを制した。


「あー、その件はお互い様だ。俺だって魔神としてお前を殺そうとしただろ」


「で、でも…」


「お互い戦神と女神だったから派手になっただけで、あんなのはただの喧嘩だ。別に誰も死んでないし問題ないだろ」


「喧嘩…ですか…」


「あぁ、そうだ。だからその事は忘れて、今のお前の率直な気持ちを言ってみろ」


「私は…女神様の夢を…ヒトになってレヒトと一緒になるって夢を叶えたいです…。それは私の願いでもあるから…」


 こいつには自由気ままに空を飛んで欲しいと思っていたが、何もそれは空じゃなくても良い。全てのしがらみから解き放たれ、ヒトとして自由に生きるこいつの姿を俺は見てみたい。それは俺だけでなく、俺の中にいるマルスの願いでもあるはずだ。


「よし、なら迷う必要はないな。一緒に来い」


「…はい!」


 エリスは薄っすらと涙を浮かべながら、満面の笑みで元気良く返事する。それを見て思わず俺の頰まで緩んでしまうが、すぐに気を取り直すと最後にソフィアへ問い掛けた。


「…ソフィア、お前はどうだ?」


「…私も何が正しいのか分かりません。でも私は今あるこの世界を、ヒトを護りたい」


 全員想いは同じだ。ならばもう迷う必要はないだろう。


「よし、それじゃ悪魔城を攻略するか」


「鼻血はもう大丈夫です!」


「これ以上尊いヒトの命を奪わせる訳にはいきませんね」


「レヒトの指示で王室騎士団の兵を避難勧告に向かわせたのは正解だったわね。まさかあんな城が完成してるなんて…」


 後は万魔殿パンデモニウム乗り込むだけだが、その前に一つだけ気掛かりな事があった。


「…なぁエリス、悪いが一つ頼まれてくれないか」


「へ、レヒトが私に頼み…? あ、あの…エッチなのは駄目ですよ…?」


「何でそうなる…。ツォアリスでは今サリエルが七つの大罪の一つ、レヴィアタンと交戦してるはずだ。お前はその援軍に行ってくれ」


 両者の実力は不明だが、サリエルはベルフェゴールとベルゼブブとの連戦で間違いなく魔力を消耗している。加えて場所がツォアリスに面した海上ということは、住民への被害も抑えなければならない。

 ヒトがどうなろうと構わず戦闘に集中出来ればまだ分からないが、サリエルの性格を考えれば間違いなくそんな真似はしない。そうなると苦戦は必至だろう。


「女神の記憶を取り戻した今のお前ならレヴィアタン程度なら何とかなるはずだ」


「…私は不和と争いの女神…うん、何とかなると思います!」


 女神エリスは自身が不和と争いの女神である事を悔やんでいた。だから女神としての役目を放棄し、ヒトのようにマルスと穏やかな日々を過ごす道を望んだ。

 エリスがヒトを殺すのに異様な嫌悪感を見せていたのはそんな女神の影響を受けていたせいかもしれない。しかし今のエリスを見ればその悩みはもう乗り越えたように感じられた。


「頼んだぞ、エリス」


「はい! じゃあ…また後で!」


 お互いに笑みを交わすとエリスは翼を広げ、これまでの姿からは想像もつかない程の速さで上空に飛び上がる。そして真剣な眼差しでツォアリスを見詰めながら翼を一度大きく羽ばたかせると一瞬にしてその姿が見えなくなった。


「…見慣れてないせいかしら、機敏なエリスって違和感が凄いわ」


「ふふ、頼もしいじゃないですか。ねぇ、レヒトさん?」


「いや、確かに凄まじい違和感だ。寧ろ不安になる」


「もう…本当に素直じゃないですね…」


 そう言えば翼で思い出したが魔神になっていた間、俺にも黒い翼が生えていた。という事はついに俺も空を自由に…?


「ククク…さぁこっちも行くぞ…!」


 背中の翼を羽ばたかせるイメージで構える。しかし翼は羽ばたくどころか、いつの間にか背中から消えて無くなっていた。


「…あれ、俺の翼マイウィングは?」


「何言ってるの…そんなもの私達に接触した時にはもう無かったわよ。ていうかそのポーズは何?」


 …あらやだ、恥ずかしい。


「さぁ諸君、気を取り直して今度こそ行くぞ」


 気恥ずかしさから俺はそう言うと後ろを振り返らずに全速力でシオンが作った道を駆け抜ける。遮蔽物がなくなったおかげで万魔殿パンデモニウムには一瞬で辿り着くが、後ろを振り返るとそこにソフィアとセリアの姿はなかった。


「…スピードも上がってるのか」


 自分ではイマイチ実感が沸かないが、マルスの力は確かに受け継がれているようだ。しかしそれなのに翼が無いというのはどういう事だろう。


「そのぐらいサービスしても良いだろうに…」


 そんな愚痴を溢しながら目の前に聳え立つ万魔殿パンデモニウムを見上げると、妙な違和感を覚えた。


「…何だコレ?」


 外壁から感じる強力な魔力が気になり大剣の切っ先を外壁に当ててみる。すると刀身が放つ仄かな薄紫の光は静かに消滅してしまった。


「…接続が遮断されるのか」


 改めて手を当て接続しようとするがやはり何の力も引き出せない。こうなると城内では接続出来ないと考えた方が良さそうだ。

 しかし地獄に接続されている俺まで遮断されるという事は、まさかルシファーは接続の無いままシオンを迎え討つつもりなのか?

 接続が遮断されているとは言え体内に残った魔力までは消失していない。そうなるとヴァンパイアの力があるシオンに勝機はあるはずだが、相手は仮にも魔王だ。そう簡単にやられてくれるとも思えない。


「…嫌な予感がするな」


 まさかこんな仕掛けがあるとは…これは思っていた以上に急いだ方が良さそうだ。

 セリア達はまだかと振り返るとようやくこちらに向かって全力疾走する二人の姿が目に入る。そして息を切らせながら二人が万魔殿パンデモニウムに到着すると、俺はすぐさま接続が遮断される事を伝えた。


「という訳で城内では残った魔力だけで戦わないといけない。恐らく月の光は無いだろうし、セリアも魔力の回復は難しいと思った方が良い」


「はぁ…はぁ…じゃあ…急がないと…。それにもうすぐ夜明けですし…はぁー…。どの道私の魔力は回復しません」


「ふぅ…つまり力を上手く制御しないと…すぐに弾切れになる訳ね」


「城内に悪魔がいるかどうかは不明だが、もしいたとしても全力で戦うなよ。ルシファーとの戦いも想定してある程度の力は残しておけ」


 作戦が纏まり二人の呼吸が整うと俺達は入り口を探して外壁をぐるりと回る。そしてすぐに禍々しい門構えの巨大な扉を発見すると俺達は顔を見合わせた。


「二人共準備は良いか?」


「はい…」


「えぇ…いつでも良いわ」


 少し緊張した面持ちの二人を一瞥すると俺は改めて前を向く。


「よし、それじゃ開くぞ」


 一歩踏み出すと魔法のヴェールを潜ったような感覚と共に、接続が遮断されたのを感じ取る。そして構わず城門の扉に触れると大きな音を立てながら扉はゆっくりと一人でに開き、その先には光の届かない闇が広がっていた。


「…大丈夫です、広間になっていますが辺りに敵は見当たりません」


 流石はヴァンパイア、この闇の中でもしっかり夜目が効くらしい。視野が確保されているソフィアが先行して扉を潜ると俺達もその後を追って闇の中に身を投じる。

 そうして全員が足を踏み入れると城門は俺達の背後で音も無く静かに閉ざされ、辺りは完全な闇に包まれた。

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