Episode75「救世主」
レヒトが
サリエルはツォアリスへの被害を食い止めようと街にバリアを張り巡らせていたが、そのせいもあってレヒトの推測通り魔力が不足し苦戦を強いられていた。
「ぐぅっ…!」
巨大な蛇の姿をしたレヴィアタンは口から水鉄砲を放つが、その水圧は容易に街一つを壊滅させる程だ。サリエルはそれを何とか受け止めるが大きく態勢を崩してしまう。
『滅べ裏切り者よ!』
海上に竜巻が発生し、サリエルを飲み込まんと襲い掛かる。しかし態勢を崩していたサリエルは反応が一瞬遅れてしまった。
「しまった…!」
そして竜巻がサリエルの眼前に迫ったその瞬間、彼方から放たれた光が竜巻を貫くと激しい水飛沫と共に竜巻が消滅する。これにはサリエルだけでなくレヴィアタンも驚くが、すぐに光を放った張本人がその場に現れた。
『貴様まさか…エリスか…!?』
「そう…私は不和と争いの女神…。そこに不和と争いがある限り、私は何度でも蘇る…」
「何で…エリスが此処に…?」
それはサリエルの知るアホのエリスでも、先程見た女神とも違う雰囲気を纏っていた。そのせいでサリエルはエリスの正体が分からずに困惑するが、次の瞬間そんな不安は杞憂だったと気付かされた。
「レヴィアン! この私、キューティーエリスがレヒトに代わってぇ〜…お仕置きです!」
謎の決めポーズで自信満々な表情を浮かべるエリスを前に、二人の悪魔は思わず動きを止める。
『………』
「………」
そんなエリスにとって予想外な二人の反応を前に、エリスは一人で勝手に頭を悩ませ始めた。
「あ…あれぇ…今のはかっこよく決まったと思ったのに…。はっ、まさかまだ鼻血が出てるとか!?」
慌てて鼻をぐしぐしと擦るエリス。その姿を前に七つの大罪が一つ、嫉妬の罪を司るレヴィアタンはただ困惑する他なかった。
『…女神エリスではないのか?』
レヴィアタンもかつてルシファーと共にジハードで戦った経験があり、その際に女神エリスの姿も見ている。
しかし今目の前にいる翼を生やした少女は、レヴィアタンの知るそれとは余りにもかけ離れていた。
「…どうやらソフィア達は無事彼女を救えたみたいね」
そこでようやくサリエルは状況を理解すると堪らず笑いが込み上げてくる。
エリスがこうして無事という事はレヒトやソフィア達も無事だ。今頃は残った者達が
「フフ…女神が助っ人なんて贅沢だわ」
あれは紛れも無くエリスであり、女神でもある。以前血の盟友でレヒト達と対談した際、サリエルは現在の二人はかつて二人の神が望んだヒトの姿ではないかと推測していた。何か根拠があった訳ではないが、それはそうあって欲しいというサリエル自身の願いでもあった。
そして今のエリスの姿を見てサリエルは確信する。レヒトとエリスは神でも悪魔でもない、今度こそかつての二人が望んだヒトになれたのだと。
「エリス! 一緒にレヴィアタンを地獄へ追い返すわよ!」
サリエルの声に頭を悩ませていたエリスは気を取り直し、改めてレヴィアタンに対峙する。
「レヴィアス! 覚悟して下さい!」
そして高らかに名前を間違えながらそう言うとエリスは周囲に無数の剣を出現させた。
『あの力は…まさかこんな娘が本当に女神エリスだと言うのか…。しかし…』
その時、海上が大きく波打ち荒れ始めると突然レヴィアタンの背後から大きな津波が現れた。
『我はレヴィアンではない…レヴィアタンだ!!』
度重なるエリスの名前間違えに業を煮やしていたのか、そう叫ぶと大きな津波が街全体を飲み込むように押し寄せた。
「マズい…! エリス、街は私が何とかするからレヴィアタンをお願い!」
「はい! 任せて下さい!」
すぐさまサリエルは津波の前に立ちはだかると全魔力でバリアを展開し津波を受け止める。しかしそれはただの津波ではなく、一度受け止めたところでその勢いは止まらなかった。
「ぐっ…う…! はあぁぁぁっ!!」
ジリジリと押し込まれていくが、それでもサリエルは決して諦めず津波を何とか押さえ込み続ける。
その間にエリスは無数の剣を携えながら一気にレヴィアタンとの距離を詰めた。
「たりゃあぁぁっ!」
先程レヒトと戦った際に使用した剣を握り締め、それを思い切りレヴィアタンに叩き付ける。しかしレヴィアタンの硬い鱗には傷一つ付けられなかった。
『何だそれは?』
海中からレヴィアタンの尾が飛び出し、エリスの小さな体目掛けて叩き付けられる。すると無数の剣が尾に放たれ、尾は直撃する寸前でその動きを止めた。
「キューティーエリス…ビィーム!!」
すかさずエリスは一瞬で魔法陣を展開し光速のビームを撃ち出すとレヴィアタンの尾の鱗が剥がれ落ちる。そこへ浮遊する無数の剣を巧みに操り尾を刻み付けた。
『グゥッ…! おのれ…!』
レヴィアタンは表情を歪めながら水鉄砲を放つと、それに対しエリスは無数の剣を前方に固める。そして水鉄砲が直撃した瞬間剣は散り散りとなるが、その先にエリスの姿は無くなっていた。
『馬鹿な…何処へ…』
レヴィアタンが辺りを見渡していると、突然頭上から一筋の影が差す。そして頭上を見上げると紅い月を背景に翼を広げた女神が一振りの剣を突き立て真っ直ぐレヴィアタンに向け降下していた。
「キューティーエリスソォード!」
今のエリスに先程の剣による盾はなく、完全に無防備な状態…更に接近したところで水鉄砲を放てば直撃出来る。一瞬でそう判断したレヴィアタンは口を大きく開くが、次の瞬間エリスの前方に再び魔法陣が浮かび上がった。
「キューティーエリスビーム!!」
あの体勢でもビームを放つのか、しかしいちいち技を口にするとはやはり馬鹿なのか。ならばビームを受け止めると同時に水鉄砲を撃ち込むまで。そう算段を立てレヴィアタンは口を開いたまま、いつでも水鉄砲を撃てる状態で全身の鱗を硬化させる。しかし次の瞬間、レヴィアタンに襲い掛かってきたのはビームではなくエリス自身だった。
『なっ…!?』
何とエリスはビームを放つのではなく自身をビームのように光速化させると、目にも留まらぬ速さで剣を突き立てたままレヴィアタンの口内に飛び込んだ。
思わぬ攻撃に虚を突かれたレヴィアタンは何も出来ないまま体内に侵入を許してしまい、内部で剣が突き立てられた。
『グッ…オオォォッ!!』
更にエリスはレヴィアタンの体内で再び無数の剣を出現させるとほんの一瞬でレヴィアタンは内部を細切れにする。そしてトドメと言わんばかりにビームが放たれると、それはレヴィアタンの内から外を貫く。
エリスはビームによって穿たれた穴から全身を鮮血に染めながら飛び出すと、そのままレヴィアタンの頭上に位置し、空中で巨大な魔法陣を展開させた。
「我は不和と争いの女神、
巨大な魔法陣からは一際眩い青白い光が溢れ出し、辺りを照らしていく。エリスの詠唱が進むにつれ魔力が高まり、辺りの空気が振動していた。
『ガァッ…グッ…グゥゥッ…!』
レヴィアタンは尋常でない魔力を放つエリスの詠唱を止めようとするが、たった今やられたダメージのせいでまったく動けなかった。それもそのはず、傷を再生しようにもエリスの攻撃は天上のものであり、悪魔にとっては致命打となる。
『おのれ…おのれぇぇぇっ!』
「父の名の下に裁きを…アルティメット…エリスビィーーーム!」
その瞬間暗い天蓋に巨大な穴が開き、そこから柱のような光線が降り注ぐ。それはエリスを貫通すると足元のレヴィアタンを丸ごと飲み込んだ。
『グオオォォォッ!!』
大地が激しく揺れ、光に焼かれた海が蒸発する。やがてレヴィアタンが跡形も無く消滅するとそこには海底が剥き出しになった巨大な穴が残った。
「はぁ…はぁっ…」
直後、海は元の姿に戻らんと穴を塞ぐように光の跡を飲み込む。
そうして夜の海には静寂が訪れ、エリスは肩で息をしながら街の方を見やるとそこには綺麗なままのツォアリスが広がっていた。
「サリエルさん…?」
しかし何処にもサリエルの姿が見当たらない。エリスは弱々しく翼を羽ばたかせながらツォアリスの岬へ降り立つと、そこにはボロボロになったサリエルがぐったりと横たわっていた。
「サリエルさん!」
慌てて駆け寄り抱き起こすがサリエルは穏やかな顔を浮かべたまま微動だにしない。
「サリエルさん! 起きて下さい! サリエルさーん!」
何度も激しく揺さぶるとサリエルの表情が苦悶に歪む。それは明らかにエリスのせいではあるが、とりあえず生きていると分かってエリスは安堵の息を漏らした。
「はぁ…良かったぁ…。サリエルさん、レヴィアンはちゃんと地獄に追い返しましたよ」
それを聞いて薄っすらと目を開いたサリエルは微笑みを浮かべ、掠れた声で呟く。
「そう…流石…ね…」
「さぁ次はソフィアさん達を助けに行きますよ! シオンさんが先に一人でパン…パン…お城に向かったので助けないと!」
「シオンが…一人で…?」
しかしエリスのその言葉にサリエルは胸が騒つく。
ルシファーの最終的な狙いはシオンの持つ天上の炎だ。シオンが悪魔に加担するとは思えないが、ルシファーはそれを承知の上で接触を図り籠絡しようとするはず。
しかしもしも協力が得られないとなれば、悪魔にとって最大の脅威ともなり得るシオンをルシファーは何の躊躇い無く殺すだろう。
最悪なのはシオンを殺す為に、ルシファーは間違いなく魔王としての力を存分に振るえる場所…地獄に誘い込むであろう事だ。地獄では天上への接続は遮断され、シオンは何も出来ないまま地獄の業火に灼かれてしまう。
加えて
シオン自体に何らかの感情がある訳ではないが、彼はソフィアにとって掛け替えのない最愛のヒトだ。それはアダムやイヴなど神によって与えられた使命から来る感情などではない。だからソフィアはシオンを救う為なら迷わず自分の命を投げ打つ。
「させ…ないわ…。私の最期の使命は…ソフィアに平穏と…幸福を
ボロボロの体を起こすとサリエルは息はすぐに回復を開始する。
その鬼気迫る姿にエリスは言葉を失っていると、不意に草叢の中から何かが飛び出してきた。
驚いたエリスはその場で背中から転んでしまうが、その上に飛び乗ってきたのは何とヨハネだった。
「ハッハッハッ!」
「ヨ…ヨハネ!? 良かったー! 無事だったんですねー!」
嬉しそうに尻尾を振りながらヨハネはエリスの顔を隈なく舐め回す。そんなやり取りを見てサリエルは思わず顔を綻ばせた。
「フフ…やっぱり飼い主が一番好きみたいね」
「ぷ…ぷはっ…! な、舐めすぎ…! ヨハネ! 命の恩人のサリエルさんに感謝するんです!」
するとヨハネは相変わらずエリスの言葉を理解しているのか、ピタリと動きを止めると今度はサリエルに照準を合わせた。
「え…ちょっと待って…まだ回復中…」
そう言うサリエルだが、困り顔を浮かべつつその瞳は分かり易いぐらいに輝いていた。
直後、エリスから飛び降りたヨハネは一直線にサリエルに飛び込み先程よりも激しくサリエルの顔を舐め始める。
「んんんんー!? んぅー! ふっ…はぁっ…ああぁぁぁー…!」
小型のヨハネに押し倒されるようにしてサリエルは仰向けになって顔を舐め回される。しかし抵抗する素振りはなく、寧ろその表情はだらしなく緩み、何処と無く妖艶にも見えた。
「ふぁー…ヨハネェ…ぶふっ…! ワンワンがぁ…もふもふぅ…んぶぅっ!」
「な…何だかエッチです…。はっ、これが大人の色気…!?」
するとその時、不意にヨハネがその動きを止めて何処かをじっと見詰める。
只ならぬ様子にサリエルはすぐさま真顔で体を起こすと、一度ワンと吠えたヨハネは一目散に何処かへ走り出した。
「ヨハネ…?」
「…何かあったのかしら?」
二人は顔を見合わせるとすぐにヨハネの後を追い掛ける。そして街の入り口まで来たところで、二人はヨハネの前方に人の姿を確認した。
「あれは…」
近付いてみるとそこでは一人の少年が木の棒を構え、血の盟友と思われるヴァンパイアと対峙していた。
「あなた、血の盟友の団員ね?」
「サ…サリエル! さん…!? と…あぁ良かったエリスさん…! 何とかして下さい!」
そう言うヴァンパイアは酷く慌てふためいている。何事かと思えば少年の後ろでは頭から血を流す少女がぐったりと横たわっていた。
「ま…まさかヴァンパイアさんが…!?」
「違います! 先程海に現れた悪魔とサリエルさんが交戦している最中、街にいくつかの岩の破片が飛来して…それが少女の頭に…。治療しようとしたら少年がそれを拒むのです…」
「何が治療だ! お前…人間じゃないだろ…! お前も悪魔なんだろ!」
涙を流しながら少年は震える声でそう叫ぶ。だがそれも無理もない。確かにヴァンパイアの牙は鋭く、紅い瞳は悪魔のそれと酷似している。
しかし見たところ少女の出血は酷く、このまま何もしなければ間違いなく絶命するだろう。
するとその時、サリエルがヴァンパイアの前に踊り出た。
「な…仲間か…! やらせないぞ…こいつは俺が守るんだ…!」
少年の足は震えていたが、まったく逃げる素振りはない。サリエルにはその姿がシオンと被って見えた。
「安心なさい…。私達は危害を加える気はないわ。ただその子を助けてあげたいの」
「だ…騙されないぞ…! く、黒い羽根が生えてるってことは…お前も悪魔だろ…!」
少年のその言葉にサリエルの胸が締め付けられる。しかしそれでも穏やかな表情で、少しずつ歩み寄る。
「く、来るな…こっちに来るな…!」
その時、二人の間に突然ヨハネが割り込んだ。
「え…犬…?」
そしてヨハネは少年の足に纏わり付くと悲しげな声で鳴いた。
「クゥン…クゥン…」
「な…何だよ…」
「ヨハネもその子を助けたいって言ってるんですよ」
サリエルの横に並んだエリスがそう言って微笑む。
「あ、ヨハネはその子の名前ですよ? 私はエリスです! こっちのお姉さんはサリエルさん! それとあの人は…えっと、ごめんなさい誰ですか?」
「…シュタルゲイナーです」
所詮自分なんて血の盟友のその他大勢に過ぎない。分かっていてもシュタルゲイナーは涙が溢れそうだった。
「あ! 他のヴァンパイアさんとキスしてた人!」
「そ、そうです! でもそこはソフィア様より血を与えられしヴァンパイアと言ってもらえると…!」
「はい!名前が長いのでゲイさんって呼びますね!」
「え…ゲイって…」
シュタルゲイナー改めゲイは覚えてもらっていたと一瞬喜んでしまったが、トドメの一言でとうとう堪え切れずその場で四つん這いになって涙を流し始めた。
「ゲ…ゲイ…? しかもヴァ、ヴァンパイア…!?」
そんなやり取りを見ていた少年は狼狽えていた。しかし今はそんなことをしている場合ではない。少女の怪我は一刻を争うのだ。
「…とりあえず落ち着きなさい。どうかしら、こんなアホの子が悪魔の仲間に見える?」
「う、うぅ…。あれ…そっちのアホの羽根は白い…まさか天使…?」
「なーっ! アホとは何ですかアホとは! これでも私神様の一人ですよ!?」
「ごめんなさいエリス、ちょっと黙ってて」
一喝されエリスはしょんぼりと肩を落とす。そしてサリエルは少年の前に歩み出ると膝をついて優しい口調で語り掛けた。
「私は確かに悪魔よ…でもあのアホな子とヨハネに免じてどうか信じてもらえないかしら?」
「…本当に…何もしない?」
「えぇ、絶対に危害は加えないわ。私達はただその子の怪我を治したいだけなの」
サリエルに追従するように、ヨハネは弱々しく尻尾を振りながら少年を見上げる。
すると少年は意を決したようにサリエルを見詰め、大量の涙を流しながら懇願した。
「う…うぅ…妹を…助けて下さい…お願い…します…」
その言葉にサリエルまで涙が溢れそうになるが、それをぐっと堪えると自分でも驚くぐらい自然な笑みが零れた。
「えぇ…任せて!」
すぐさまサリエルは容体を確かめると治癒魔法を施す為に少女の頭にそっと手を当てる。
「な…何をするの…?」
「フフ、見てなさい」
サリエルの手から淡い光が溢れ出すと、少女の額に広がっていた裂傷はみるみるうちに塞がっていく。少年は驚きと安堵の入り混じった表情で、その光景を食い入るように見詰めていた。
ほんの数秒で傷口が完全に塞がると少女はゆっくりと目を開き、その瞬間少年が少女を抱き締めた。
「お…お兄ちゃん…? 私…生きてる…?」
「あぁ…生きてるよ…! 助かったんだよ…!」
その光景をサリエルは穏やかな気持ちで眺めていた。
「…間に合って良かったわ」
「そういえばサリエルさんは癒す者の名を持ってましたね」
そう言うエリスにサリエルは一瞬驚くが、その理由はすぐにわかった。
「エリス…あなた記憶を取り戻したのね」
「はい! レヒトもバッチリです!」
確か女神エリスは自身が不和と争いを司る事を嘆いていた。にも関わらず今のエリスには何の迷いも見られない。
「…どうやら吹っ切れたみたいね」
「えへへ、そういう事です」
二人で笑顔を交わすと、少年が気まずそうに声を掛けた。
「あの…ありがとうございました…。その…さっきは…ごめんなさい…」
「良いのよ、私が悪魔なのは事実だし…」
そう言ってサリエルの表情が陰ると少年は声を張り上げる。
「でもお姉さんは悪い悪魔じゃないよ! 僕達を助けてくれた…良い悪魔だよ!」
「お姉ちゃん…ありがとう」
少年の後ろからちょこんと顔を出した少女は恥ずかしがりながらも、嬉しそうな表情でサリエルにお礼を言う。
するとサリエルは堪らず二人を抱き締め涙を流した。
「私こそ…ありがとう…」
「お姉ちゃん泣いてる…?」
「あ、もしかしてそこのアホに何か言われた!?」
「なーっ!? またアホって! アホはアホでも私のアホは一味違いますよ! ねーヨハネ!」
突然話を振られて一瞬黙り込むヨハネだったが、すぐに元気良く返事する。しかしこれでは暗にヨハネもエリスがアホだと認めているようなものだ。誰もがそう思ったが、そこは黙っておく。
「おかげで…私も吹っ切れたわ」
そう言うとサリエルは何かを覚悟したように、毅然とした表情で立ち上がる。
「サリエルさん?」
「私は堕天した時からずっと、贖罪を求めていたわ。神に、世界に、そしてソフィアに」
「それは…サリエルさんのせいじゃ…」
「だから堕天使になって自暴自棄になっていた面もある。でも今になってようやく分かったわ。天使か悪魔かなんて関係ない、自分自身が何を選択するか…それが一番大事だって」
そう言うとサリエルは穏やかな笑顔で兄妹の頭を撫でると、未だ四つん這いで泣いているシュタルゲイナーに声を掛けた。
「シュタルゲイナー、二人とヨハネをお願い」
「サ…サリエルさん…」
まともな扱いを受けシュタルゲイナーも悟った。悪魔だからといって皆が悪とは限らないのだと。
「任せて下さい! 二人はちゃんと親元まで送り届けます!」
元気になった姿を見てサリエルは微笑むと、その場でしゃがみ込んでヨハネを抱き上げた。
「ありがとうヨハネ、これで私は何も思い残す事なく己の使命を果たせるわ」
「クゥン…」
サリエルの想いは確かに伝わったようだ。ヨハネはサリエルを見詰めながら悲しげに鳴く。
「サリエルさん何をする気ですか…?」
「…ルシファーを倒しても世界を救うにはヘルゲートを閉じなければならない。そして扉の鍵を持つルシファーはきっと今頃地獄にいるはず」
「まさか…サリエルさんも地獄に…」
「知っての通り、あなた達神の眷属はルシファーの許可が無ければ地獄には立ち入れない。でもルシファーは恐らくシオンに許可を与え、共に地獄へ堕ちているわ。だったら彼を地獄から引き上げ、鍵を奪ってヘルゲートを閉じられるのは私しかいないでしょう」
「で、でもそれってシオンさんがルシファーを倒していないと…。それに地獄に一度戻ったら地上には…」
「…シオンならきっと大丈夫。だって彼はソフィアの
そう言って微笑むサリエルに迷いは見られなかった。心からシオンを信じ、その上で自分にしか出来ない役目を果たそうとしている。
サリエルの覚悟を知り、エリスはそれ以上は何も言えなかった。
「それじゃヨハネ…元気でね」
サリエルは静かにヨハネを地面に降ろすと最後に頭を撫でる。そしてシュタルゲイナーと兄妹に笑顔を向けると黒い翼を広げた。
「さぁ、行くわよエリス!」
「…はい!」
エリスも覚悟を決めると同じように白い翼を広げる。そして二人はその場で飛び上がると、一直線にセインガルド目指して飛び去った。
あっという間に二人の姿が見えなくなると、シュタルゲイナーはポツリと呟く。
「ヒトとヴァンパイア…天使と悪魔…いつかきっとみんな分かり合える日が…」
「ワンッ!」
「そうかそうか、お前もそう思うか」
足元で元気良く返事するヨハネを肩に乗せると、シュタルゲイナーは二人に手を差し出した。
「さぁ、お家に帰ろう。きっとお父さんとお母さんが心配してるぞ」
「うん、ゲイのおじさん!」
「ゲ…ゲイの…おじさん…?」
「早く行こうよゲイさん! 俺達の家はあっちにあるよ!」
「わ…分かった…。まぁ…良いか」
シュタルゲイナーは肩に乗せたヨハネを見やると笑みを零す。
ヒトを捨てヴァンパイアとなった日から、吸血以外でヒトと接した事は無かった。この先もヒトとこうして穏やかに話せる日なんて来ないと思っていた。
しかしこうしてヨハネがいてくれたおかげで、ヒトとヴァンパイア、悪魔と天使が分け隔てなく交れた。これは最早奇跡と呼べよう。
シュタルゲイナーにはそんな奇跡を引き起こしたヨハネが一瞬救世主に見えた。
「…ありがとよ、ヨハネ様」
「ハッハッハッ!」
少しばかり自慢気な表情でヨハネは元気良く尻尾を振る。
そうして日の出前に兄妹は無事家族の元へ届けられた。そこで兄妹とまた夜にヨハネも交えて遊ぼうと約束したシュタルゲイナー。
その頃には既に体から煙が上がり始めていたものの、シュタルゲイナーはサリエル達が勝利すると信じ、明日への希望を胸に軽い足取りで地下のアジトへ引き返した。
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