Episode70「奪回」
「…それよりこれはどういう状況なのかしら?」
困惑した表情でレヒトとエリスを見上げるセリア。その疑問は最もだけどどう説明すれば良いのか分からず僕は言葉に詰まる。
「えっと…見ての通りレヒトとエリス、僕達はベルゼブブと戦ってて…」
「…それぐらい分かるわよ。何でレヒトとエリスが戦っているのか聞いているの」
僕の返答に呆れ顔を浮かべるセリアだがそこへベルゼブブが人の形となって姿を現した。
「まだ生きていたのかセリア。言ったはずだ、もうお前に用は無い」
「前からそうだけど、別にあなた達の為に動いている訳じゃないわ」
そう答えるセリアは僕達の仲間になる前にベルゼブブと何かあったのか、因縁めいたものが感じられる。
「邪魔はしてくれるなよ。かつてはお前も我々と同じく神へ復讐を成さんとした同志…そのよしみで今なら見逃してやろう」
「面白い冗談ね、私はその同志とやらに殺されかけたのだけれど?」
「やれやれ…また痛い目を見ないと分からないか」
「残念、きっと死んでも分からないわ」
そう言ってセリアは口元を釣り上げると銃口から大砲のような光線が爆音と共に放たれ、避ける間も無くベルゼブブの体を貫いた。
「…この程度で私を倒せると?」
セリアの光線で半身を失うもベルゼブブに焦りは微塵も見られず、黒い
『メタトロン達にはまだ死なれては困るが、お前は生かす価値もない。此処で死ぬが良い』
黒い霧となったベルゼブブが再び僕達の周囲を取り囲むが、セリアはいつの間にか腰に下げていた片手剣を抜くと胸の前で銃と交差させ呟く。
「二人共伏せて」
慌てて言われた通りセリアの背後でソフィアと共に腰を落とすと、次の瞬間セリアの銃口から光線のように連続した銃弾が放たれた。セリアはダンスを踊るようにその場で回転すると全方位に銃弾を飛び散らせるが、ベルゼブブは怯む事なく
「セリアさん! 避けるんだ!」
炎の柱すら貫通する腐炎…彼女にそれを防ぐ手立てはない。しかしセリアは目の前に迫った黒い炎状の塊を剣の腹で叩いて勢いを殺すと銃口を突き付けた。
「消し飛びなさい」
腕が千切れるのではないかという程の激しい反動と共に再び放たれた大砲はベルゼブブの腐炎を言葉通り一瞬で消し飛ばしてしまう。その光景に僕は唖然とするが、同時にベルゼブブへの対抗策が閃いた。
『ほう、中々どうして…やるじゃないか』
「あまり人間を見くびらない方が良いわよ」
ジワジワとベルゼブブは包囲網を狭めてくるが、そこで僕は立ち上がるとお返しにと声を上げる。
「セリアさん、伏せて」
セリアは一瞬不思議そうな顔を浮かべるが素直に腰を落とすと僕は紅蓮の双剣から天上の炎を勢いよく迸らせ、双剣を重ねて生まれた巨大な炎の剣を思い切り前方へ叩き付ける。やはり天上の炎はベルゼブブ相手でもちゃんと効果があるようで、直撃した部分は一瞬で焼かれ隙間が生じた。そのまま炎の力を全解放し天上の炎を爆発させると、まるで蜘蛛の糸を焼くように黒い霧を炎が伝染し勢い良く燃やし始める。
「へぇ…レヒトと手合わせしていた時とはまるで別人ね」
「はは…」
そういえばレヒトやソフィアにも同じ事を言われたけど、そんなに僕は変わったのだろうか。いまいち実感がない為、素直に喜んで良いものか分からない。
そんな事を考えていると黒い霧が霧散し炎は消えてしまうが、この方法ならベルゼブブも易々とは手が出せないはずだ。
『おのれ…小癪な真似を…』
「シオン、ソフィア、このまま一気に叩くわよ。事情は知らないけど、まずはベルゼブブをどうにかしなきゃいけないんでしょ?」
「うん…早くベルゼブブを排除してあの二人を止めないと…」
もし万が一、レヒトがエリスを殺してしまったら…その時はどう足掻いても世界は一度滅亡してしまう。僕かソフィアが新たな世界の創造を願うか、悪魔が神のいない世界を創り出すか…何れにしても今ある命が失われてしまう事に変わりはない。
「…まったく、本当に手の掛かる人ね」
そう言いながらセリアは微笑みながら上空のレヒトを見上げた。その目には今朝見た狂気は感じられず、諦めにも似た哀愁が漂っている。
レヒトとの間に何があったのか知らないけど、レヒトとエリスが結ばれたという事はきっとセリアは…。
「…ちょっと何よシオン、その目は…。余計な詮索してるなら撃ち殺すわよ」
釘を刺されるが、その目は今朝見た狂気に満ちており思わず背筋が凍り付く。
「ふふ、女性に邪推しては失礼ですよ」
「ご、ごめんなさい…」
二人の女性から言いようのない重圧を掛けられ思わず謝ってしまうが、戦闘中であるにも関わらずつい笑みが零れてしまった。それに釣られてかソフィアとセリアも同じように笑みを浮かべると構えを取る。
「全て終わったらお説教ね」
「えぇ、レディーへの正しい接し方を教えてあげないと」
「お…お手柔らかに…」
これはこれで大変そうだけど、きっとこんなありふれた普通の日々が本当の幸せなんだろう。そんな何でもない平穏な日常をこの世界の誰もが過ごせるよう、僕達はここでベルゼブブを倒さなくてはいけない。
「…準備は良い?」
「はい、いつでも」
「行くわよ」
三人で顔を見合わせると僕達は弾けたように黒い霧へ飛び込む。ベルゼブブはまさか僕達が自ら霧の中へ飛び込んでくるとは思いもしなかったようで、反応が一瞬遅れた。
(相手はアンディの仇…命に代えても仕留める…!)
すぐさま炎の柱を立ち昇らせると怒りのままに力を解放し、一瞬にして周囲の黒い霧を焼き尽くす。振り返るとソフィアは高速で鉤爪を振るっているようで、姿は見えずとも黒い霧の中でいくつもの青白い光の軌跡が激しく乱舞している。その反対側ではセリアが大砲を乱射しているのか巨大な爆発が立て続きに起こり、巻き起こる粉塵が黒い霧を飲み込んでいた。
「燃え散れ…ベルゼブブ…!」
紅蓮の双剣で黒い霧を我武者羅に斬り付け徐々に炎を拡散させていくと霧は薄れていくが、やはり全てを消し去るのは不可能に近いようだ。霧が晴れたかと思うと今度はいくつもの黒い雲が点々と現れる。
『ヒトの分際で図に乗るなよ…』
これまで一度も聞いた事のないベルゼブブの怒りに満ちた声が届くと、黒い雲から
「うおぉぉぉっ!」
双剣で正面から腐炎を受け止め、一瞬双剣の炎を爆発させながら弾き返すと黒い炎の塊は跡形も無く消滅する。
(よし…これなら…!)
ベルゼブブの
今までレヒトの戦闘ばかりを見てそれを参考にしていたけど、彼の戦い方は自身の力を把握した上でそれを最大限に活かした上でのものだ。当然持っている力が異なればいくらレヒトの戦闘技術を習得したところで彼のようにはなれない。
しかしセリアはレヒトのような力が無くても冷静に相手を分析する事でそれに近い戦いを可能としていた。それは僅かでも力があれば相手がベルゼブブのような強大な悪魔とも渡り合える事を証明している。
今までの僕はただ得てきた力を振り回すだけだったけどそれだけでは駄目なんだ。もっと彼女のように力を効果的に使ってこそ戦闘技術が活きてくる。
(そうか…きっとこれがレヒト達の見ていた世界なんだ)
いくつもの黒い雲から絶えず腐炎が放たれ続けるが一発一発を丁寧に消し去りながら確実に黒い雲を斬り付け数を減らす。
「ぐっ…この程度…!」
何発か被弾するが、炎の柱のおかげで威力は多少落ちており即死する事はない。ボロボロになりながらも構わずに正面の腐炎だけを処理しながら黒い雲への攻撃の手は緩めない。
そうして無我夢中で視界に入る黒い雲をようやく全て消し去ると後ろを振り返る。するとそこではソフィアが苦戦を強いられていた。
「っ…! このっ…!」
全力の鉤爪は魔力の消耗が激しいようで致命傷こそないものの見るからにソフィアは疲弊している。
「ソフィア!」
その時、ソフィアの背後から迫る腐炎に気が付くと僕は真っ直ぐ飛び出し背を盾にして間に割って入る。しかし勢いを殺しているとは言え腐炎の威力は凄まじく、背中に直撃した瞬間堪らず膝を突いた。
「ぐっ…はぁっ…はぁっ…!」
「シ、シオン!?」
…まずい、どうやら僕も思った以上に力を消耗してしまっているようだ。
力を消耗するだけならまだ良い。問題は僕とソフィアは力を使えば使う程メタトロンとイヴの覚醒を誘発しかねない点だ。僕に至っては新たにアダムとして覚醒する可能性も考えられる。だとすればこれ以上の力の使用は別の意味で危険になってくるけど、このままではベルゼブブを倒せないのも事実だ。
そんな事を考えている間もベルゼブブの猛攻は止む事なく、僕は葛藤しながら炎を迸らせる。しかしそこでふと視界にセリアの姿が入ると僕は思わず声を上げた。
「セリアさん!」
見ればセリアは魔力が枯渇したのか銃の攻撃を止めて片手剣で応戦していた。しかし現世の物理的な武器ではベルゼブブの攻撃を防ぎきれるはずもなく、腐炎をいくつも受けたせいでボロボロの姿に成り果てている。すぐさま彼女の元へ駆け寄り襲い来る腐炎を弾き返すが、その瞬間セリアはその場で崩れ落ちた。
「ま…まだよ…まだ…やれる…!」
悔しげに唇を噛み締めながら剣を支えに立ち上がろうとするが、僕の後に続いて駆け付けたソフィアがそれを制した。
「セリアさんは休んで! 私達が時間を稼ぎます!」
ソフィアも相当消耗しているはずだが、魔力が底無しのように溢れていた。彼女の場合は月が出ている間は無尽蔵に月の魔力を吸収出来るが、それにしても使用量と釣り合っているようには見えない。だとすればソフィアが今行使している力は月の魔力ではなく別の…天上へ接続してそこから引き出しているとしか思えない。
もしそうならソフィアも僕と同じくこれ以上の力の行使は覚醒を誘発しかねないが、だから言ってここで手を緩めればベルゼブブは迷い無くセリアを殺す。それだけは何が何でも阻止せねばならない。
(こうなったら一か八かで…)
ベリアルを倒した時のようにメタトロンと思われる意思に身を委ねれば、とりあえずベルゼブブは葬れるはずだ。ただ問題はその後に僕は元の自分に戻れるのかどうかだ。もしそのまま僕という存在そのものが飲み込まれてしまえば悪魔達の思惑通りの展開になりかねない。
(どの道…このままじゃ…)
しかし終わりの見えないベルゼブブの攻撃に決断を下そうとしたその時、突然頭上から何本もの光の剣が降り注いだ。その瞬間にベルゼブブの攻撃は止み、僕達はセリアを抱えてその場から離脱する。そして空を見上げるとそこには衝撃的な光景が広がっていた。
「そんな…嘘だろ…」
白い翼の女神、その羽根は真っ赤な血で染まり、力無く項垂れたまま魔神に首を掴まれていた。
「レヒト…何でだよ…何で……」
こちらを見下ろす魔神の目は冷たく、僕はその場で動けなくなってしまう。そこへ人の姿に戻ったベルゼブブが壊れたように高らかな笑い声を上げた。
「フ…フハハハハッ! よくやったぞ魔神よ! これでお前は完全に我等の同志…! フハハハハ…! ハーッハッハッハッ!」
耳障りなベルゼブブの笑い声も、今の僕には届いていなかった。ただ呆然と、信じたくない現実を前に立ち尽くす。
「…ソフィア、どうなっているの? 何でレヒトがエリスを…」
「悪魔達は…レヒトさんにエリスちゃんを殺させるのが目的だったんです。そうなったらレヒトさんは完全に魔神に堕ちて…次は私達を…」
ソフィアの言葉に反応するようにレヒトは音も無く着地し、力尽きた女神を無造作に投げ捨てると大剣を携えたままこちらへ向かってゆっくり歩みを進めてくる。
「…冗談じゃないわ、あんなの私が愛したレヒトじゃない」
レヒトと戦えば僕かソフィアが覚醒を余儀無くされる…そうなれば悪魔達の思惑通りだ。かと言って抵抗しなければ全員この場で殺されてしまう。
(一体…どうすれば…)
絶望の淵で愕然としていると僕の前にセリアが立ち塞がるが、多少回復したものの未だダメージは色濃く残っており立っているのもやっとの様子だ。
「…しっかりしなさいよ、諦めるにはまだ早いでしょ」
「無理だよ…。レヒトを倒すには力が必要で…だけど力を使えば僕達は僕達じゃいられなくなる…」
するとセリアは盛大な溜息を吐いて呆れた表情で僕を見下ろした。
「…少しは成長したのかと思ったら中身は相変わらずね。男なら最後まで足掻きなさいよ。やりもしないで諦めていたら何も変わらない…どうせなら試してみれば良いじゃない」
「試す…?」
「どんなに絶望的な状況でもやってみれば何か変わるかもしれない。生きていれば何かが起きるかもしれない。…私はそう教わったわ、あの魔神にね」
そう言うとセリアは銃を構えたまま一歩前へ踏み出す。
「私は諦めない。どうせ彼に助けられた命だし最後まで彼の為に使うわ」
「ククク…まさかお前一人で魔神を止められるとでも?」
「さぁ、やってみなきゃ分からないでしょ?」
何故セリアはこの状況にあって絶望する事がないのだろうか。ボロボロにも関わらず堂々とした大きく頼もしい背中を見て疑問しか沸いてこない。
すると僕の背後にいたソフィアも立ち上がるとしっかりとした足取りで前へ進みセリアの横に並んだ。
「ソフィア…?」
「セリアさんの言う通り、試してみないと分かりません。だから…私は戦います。それにシオン…あなたさえ生きていれば希望は消えない。だからサリエルの言葉を忘れないで。自分さえ見失わなければシオンなら選択を誤る事もないはずです」
「そんな…まさかソフィア…」
「…後はお願いしますね」
最後にそう言い残し二人は僕を置いてレヒト目掛けて走り出す。その後ろ姿を追い掛けようと手を伸ばすが届くはずもなく、一瞬にして二人はレヒトと交戦を開始した。
「クハハハハ! まさか二人して自ら消えてくれるとは都合の良い! さぁ死ね! お前達の死が最後の扉を開く鍵となるのだ!」
戦いは刹那の出来事だった。数回の瞬きのうちに終わる戦い…ベルゼブブの不愉快な声を背景に、僕にはその戦いがやけにゆっくりと見えていた。
セリアが最初に片手剣を振るうも簡単に避けられ、続けて銃を胸に突き付けるが引き金を引く前にレヒトは掌底で銃を上空に弾き飛ばした。そしたガラ空きになったセリアの胸をレヒトは大剣で斬り裂くと、そこへソフィアが背後から迫り鉤爪を頭上から振り下ろす。しかしレヒトは後方に飛ぶと一瞬にしてソフィアとの距離を詰め、後ろ向きのまま振り下ろされたソフィアの腕を掴み上げた。
「や…やめろ…やめろおぉぉぉっ!」
その瞬間僕は絶叫し、一瞬こちらを振り向いたソフィアが微笑みを浮かべる。その直後、レヒトは掴んだソフィアを人形のように頭上へ振り上げると迷わず胸に大剣を突き刺した。
「あ…あぁぁ…ぁ…うわああぁぁぁっ!!」
その光景を前にして頭の
「…さぁ、諸悪の根源である神を滅ぼせ! 汝はメタトロンの生まれ変わりにしてヒトの始まりアダム! 魔神を討ちたくばその業火で神をも討て!」
「があああぁぁぁぁっ!!!」
やがて自身の肉体さえ焼き爛れ、炎と同化していく。そして一直線に魔神へ突っ込むと正面から互いの剣をぶつけ合う。
「お前がっ! お前さえいなければっ!」
「はっ、やれるものならやってみろクソガキ」
至近距離で挑発する姿に僕の怒りはそのまま炎となって勢いを増し、それまで効果の無かった魔神の体が徐々に焼き焦げていく。しかし魔神に動揺はなく、寧ろ自身が燃え行く様を眺めながら何処か愉しげな笑みを浮かべていた。
「燃えろ…燃えろ…! 全部だ…全部燃えてしまえ…!」
「悪くない炎だが…今一つだな、少し油を足してやる」
余裕の態度を崩さないまま魔神は剣を弾くと回し蹴りを放ってくる。しかし僕はそれを片手で鷲掴みにして受け止めた。
「ほう?」
そのまま魔神を持ち上げ何度も地面に叩き付けると勢い良く飛び上がりトドメと言わんばかりに思い切り真下に投げ付ける。既に事切れたか定かではないが魔神は無抵抗のまま地面に落ちると激しい砂埃が巻き上がり、僕は双剣を重ね巨大な炎の大剣を作り出すと一直線に降下を開始した。
「死ねえぇぇっ!!」
世界諸共破壊する程の勢いで巨大な炎の大剣を振り下ろすと剣先は遥か先のA地区まで届き、辺り一帯が爆煙に包まれる。視界が晴れるとそこには炎の大剣によって抉れた大地がA地区まで真っ直ぐ伸びていた。
「ハハハ…見事だメタトロン。いや、アダムか? まさか魔神を討つとはな」
拍手しながらそう言いベルゼブブがこちらに歩み寄ってくる。しかしその表情には何処か緊張が見て取れた。
「………」
「…お前は誰だ?」
僕は誰か…?
分からない、僕は何なんだ?
「天使メタトロンか? それともヒトの始まり、アダムか?」
どうにも意識が朦朧としていて思考が働かない。一気に力を使い過ぎたせいだろうか?
よく分からないけど今は指一つ動かすのも億劫だ。
「………」
「メタトロンでも…アダムでも…無い…? 何故だ…予言の通りソフィアは死んだはず…」
「残念だな、それがお前の敗因だよ」
一人であたふたとしていたベルゼブブの表情が一瞬強張ったかと思うとその直後、突如何も無い空間に生じた黒い裂け目にベルゼブブの体半分が飲み込まれてしまった。
「な…これは…!? 何故だ…何故お前が生きている!?」
そう言ってベルゼブブが驚愕の表情を向けた先には全身焼け爛れた肌の男が全裸で大剣を肩に乗せて不敵な表情で笑っていた。
「蝿の王ともあろう者が質問だらけだな。良いだろう、この前のお返しに冥土の土産で教えてやる」
男は突然現れた黒い
「まずお前達の言う予言は成就してない。生憎とソフィアは健在だ」
「な…そんな馬鹿な! 確かにお前が殺したはずだ!」
「おいおい、手を掛けたはずの張本人が生きてるって言ってるんだぜ?」
「ま…まさか…お前はマルスではない…?」
「さっさと気付けよジジイ。お前がシオン達と戯れてる時、とっくに俺は自我を取り戻してる」
「な…何故…どうやってそんな…」
「悪いがそいつは企業秘密だ。ただお前は予言に捉われるあまり目が眩んだんだよ。俺が自我を取り戻していたのも、ソフィアとセリア…ついでにエリスの野郎も傷一つ無い事ですら気付けなかった」
「な…な…」
「分かるか、つまり予言は悉く外れた…って訳だ」
そう言いながら男はこれ以上ないぐらい憎たらしい笑みを浮かべながら悠然とベルゼブブの前に立つ。
「そして俺はずっとお前が完全に油断する時を待っていたんだよ。蝿になったお前を倒すのは骨が折れるからな」
「お…おのれ…おのれおのれおのれ!! 謀ったなマルスッ!!」
「頭脳プレイってやつだ。それよりどうだ、次元の狭間に飲み込まれる感覚は? これもお前が空間の破壊って概念を教えてくれたおかげで編み出せた技なんだぜ?」
「無駄な足掻きだ…私を次元の狭間に追いやったところで再び地獄から舞い戻る…!」
「その前にこの世界の扉は閉じてやるよ。知ってるぜ、お前達は地獄には簡単に戻れても地上に這い上がるのには時間が掛かる」
二人が何を話しているのかよく分からないけど、そうこうしているうちにベルゼブブの体はどんどんと亀裂に飲み込まれ首から先だけが残っていた。
「地獄で達者でな、すぐにお前達の王様もそっちに送り付けてやるよ。あ、それとアザゼルの野郎によろしく言っておいてくれ」
「マルス…許さん…絶対に許さんぞおぉぉぉーっ!!」
その叫びを最後にベルゼブブは亀裂の中へ完全に飲み込まれてしまう。そして何事も無かったように亀裂も消えると辺りは静寂に包まれた。
「さて、と」
男は大剣を背中の鞘に収めると僕の前に立ちはだかるが、何故か彼が何者か思い出せない。
「おい、どうしたシオン?」
「…シオン?」
それが僕の名前なのだろうか?
いや、そもそも何で僕は自分の名前すら分からないのだろう?
何か大事なものが綺麗に抜け落ちている。さっきから感じる虚脱感はそのせいかもしれない。それはまるで魂が抜け落ちているような感覚だった。
「まさかお前…おいしっかりしろ! 目を覚ませ!」
何かを必死に呼び掛けている彼はどうやら僕の事を知っているようだけど、僕には彼が何者か分からない。
(もう…どうでもいいか…)
何もかもが煩わしく思えて、このまま意識を閉ざしたくなってしまう。
僕が何者で、彼が何者か、そんな事はもうどうでも良い、僕は疲れたんだ。
「戻ってこいシオン! ソフィアを置いていく気か!?」
「…ソフィア?」
何処かで聞いた事のある名前だ。でもそんな名前の人はもういない。
(あぁ…そうだ…)
僕から消えた大事な何か…きっとそれはソフィアという人と共にあったんだろう。ソフィアが消えたから僕も消えてしまったに違いない。
「よく見ろ馬鹿野郎! ソフィアは生きてる!」
そう言って彼が指差した先には銀色の長い髪を広げた女性が横向きに倒れている。
「ソフィ…ア…?」
ソフィア…僕にヴァンパイアの血と、戦う力を与えてくれた命の恩人。僕の生きる意味そのものだ。
そしてこの黒尽くめの男はレヒト…僕とソフィアの命を救ってくれた命の恩人であり、僕の憧れ。
「あれ…レヒト…?」
「はぁ…やっと戻ってきたか…」
そう言ってレヒトは安堵の溜息を吐くが、一体どうしたのだろう?
「…そうだ、ベルゼブブは!?」
「あいつなら地獄に帰ってもらったから安心しろ」
「え…もしかしてレヒトが倒したの?」
「…シオン、お前記憶が…?」
何が起きたのか思い出そうとするけど、ソフィアとセリアがレヒトに向かって飛び出したところまでしか記憶にない。それからの記憶は曖昧で、ベリアルと戦った時に陥った感覚に似ている。だとすれば僕はまたメタトロンに飲み込まれかけていたのだろうか?
何れにせよこうして元の自分を取り戻せたのは良かった。
「…そうだ、ソフィア!」
はっと気が付き僕は
「良かった…。レヒト、一体何があったの?」
「…お前、話を聞いても絶対キレるなよ?」
そう言うとレヒトはソフィアの近くに倒れていたセリアを抱き上げ、二人が飛び出した後の事を語ってくれた。
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