第17章 選択の刻 ―Sion Side―
Episode69「アダムとイヴ」
悪魔と戦う神…それは神聖な戦いを想像していたけど、実際に目の当たりにすると最早どちらが神で悪魔なのか分かりはしない。世界の理をまるで無視したデタラメな戦いを前に僕達は言葉を失っていた。
隙を見て二人を止めようなんて考えが甘かった。どうやらレヒトは僕達と戦っていた時はまだ本気を出していなかったようで、強大なエリスの力に釣られるようにして底無しに力を増していく。今では二人に近寄る事さえ困難となり、下手に手を出せばこちらが一瞬で灰にされかねない。
エリスの周囲を浮遊していた光の剣は無数に増え続けており、それは一見すると幻想的な光景だが近寄るもの全てを切り裂かんとする動きは禍々しくも見える。対してレヒトは一目で悪魔と分かるような黒い
「シオン…このままじゃ…」
「…分かってる」
二人は直接剣を交えるが互いに決定的な一撃は決まっておらず、力はほぼ互角と考えて良さそうだ。しかしそれがいつまでも続くとは思えない。きっと何処かで均衡が崩れ、どちらかに隙が生まれるはず…今はただその瞬間が訪れる事を信じて待つしかない。
「…シオン、少し良いかしら?」
瞬きすら忘れて二人の戦いに魅入っていると不意にサリエルが不安げな声で問い掛けてくる。
「うん?」
「アダムとイヴの再来…この言葉に何か心当たりはあるかしら?」
「アダムとイヴの再来…?」
その言葉自体に思い当たる節はないものの、ベリアルが言っていた二度目の選択と何か関係があるような気がした。
今ある世界がもう一人の僕が願って創り出した世界だなんて突拍子のない話だし、憶測の域を出ていなければ確証も無い。関係のある気がしたところでそれらに何かの関連性があるとも僕には思えない。でもサリエルなら何か手掛かりが掴めるのではないか?
「…関係あるのか分からないけど」
そう前置きすると僕はアスモデウスとベリアルから聞いた話、そしてそこから得られた情報を元に立てた推測をありのままに話してみた。するとサリエルは口元に手を当てしばし思索し、ふと何かに気付いたように驚愕の表情を浮かべる。
「ルシファーだけが知る真実…それなら…あぁ…そういう事だったのね…」
「どうしたのサリエル…?」
レヒトとエリスの戦いに注視しながらも聞き耳を立てていたソフィアは只事でない様子のサリエルに気が付き声を掛ける。しかしサリエルは放心したようにぶつぶつと独り言を呟いていた。
「アダムとイヴの再来…即ち選択の刻…その起爆剤があの二人…? 違う…それだけじゃない…ヘブンズゲートを開くという事はやっぱり進軍を…でもそれだと此処でアザゼル達を失うのは…。だから魔神となった戦神を…?だったら狙いは彼のはず…何故女神まで…?」
サリエルの独り言の意味はまるで分からないけどどうやら僕の推測とアダムとイヴの再来、そしてレヒトとエリスの覚醒、全ての事象が彼女の中で一つの答えに帰結したようだ。
「サリエル…何か分かった…?」
恐る恐る声を掛けるとサリエルは一度天を仰ぎ深呼吸する。そして青褪めた顔で言葉を絞り出した。
「時間が無いし、まだ全てが分かった訳じゃない…。でもあなた達は知っておかなければならないわ…」
あなた達…という事は僕だけではなくソフィアも関係しているのだろうか?
レヒト達から目を離す事に不安を覚えるが、それより今はサリエルの話を聞いた方が良い気がする。
「…聞かせてサリエル。きっとそれは…アスモデウスを倒した時の私が関係しているのでしょう?」
「ソフィア…あなたあの時の記憶が…?」
「えぇ…薄っすらだけど覚えてるわ。あれは何だったの…?」
「…まずはシオンにこちらで起きた事を説明した方が良さそうね」
サリエルはそう言うと北C地区の教会で起きた出来事を説明してくれる。
まずエリヤの裏切りを聞かされた僕は衝撃を受けた。彼女には何か企んでいるような節はあったけど、まさかそれが裏切り行為になるとは思いもしなかった。
しかしその後、ソフィアの身に起きた異変を聞いた瞬間、先程から感じていた嫌な予感が一気に膨らんだ。
「ソフィアが…接続…?」
「えぇ…恐らくそれは神の狙いよ。そしてルシファーもそれを予知していた可能性が高いわ」
「アダムとイヴの再来って…まさかソフィアが…」
「かつて天上に昇ったとされるエノクと同じように、ソフィアもまた天上へ…。違うのはエノクは天使メタトロンに、ソフィアは全てのヒトの始まり…イヴとなる」
確かにソフィアは遠い昔、月の秘密を知った時に天上へ昇る約束をしていたと聞いた。しかしその約束は他者に月の秘密が漏れた事で失われたはずだ。
それにエノクは天使だったのに、何故ソフィアの場合はイヴなんだ?
アダムとイヴの再来とサリエルは言っていたけど、ソフィアがイヴとして覚醒したのならまさかアダムも覚醒しようとしている?
「アダムも今この世界の何処かに…?」
「何言ってるの、アダムはあなたに決まってるでしょう」
当然と言わんばかりの態度に一瞬思考が停止するが、どうやらサリエルには確信があるようだ。
「…僕が…?」
しかしたった今サリエルはエノクは天使になったと言ったばかりだ。そして僕はそのメタトロンの魂を継いでいる…だとすれば天使がアダムとなるのはおかしな話である。
「証拠はないけど…アダムはあなた以外に考えられないわ。確かにあなたはメタトロンの転生体だけど、同時にシオンという一人のヒトでもあるのだし」
「そんな滅茶苦茶な…」
「考えてもみなさい、もし過去のあなたが選択して今の世界があるとしたら何故そんな権利を持っていたの? 過去のあなたもメタトロンの魂を継いでいたのでしょう?」
「そ、それは…」
「あなたは
「…じゃあ僕達がいくら考えたところで意味はないの?」
「そうよ。でもそれはあなただけでなく、かつて天使だった私も例外ではないわ。現に私も世界が再創造された記憶なんて残っていないもの。もし神の考えを理解出来るとすればそれはルシファー…そして天の書記だったメタトロンだけ」
「メタトロン…か」
そういえばベリアルと戦闘している際、何かに飲み込まれかけたように記憶が曖昧になった瞬間があった。もしあれがメタトロンの仕業だとしたら、僕は接続を深める事でメタトロンと同化していくのだろうか?
そしてメタトロンと同化する事で全ての真実が見えてくるのだとしたら僕は…
「…ねぇサリエル、結局私達はどうすればいいの? このままだと私とシオンはルシファーの思惑通り…アダムとイヴになって、選択をしなければならないの?」
「ごめんなさい…対策はないの…。ただあの魔神と女神の戦いがルシファー達に仕組まれたものなら、その結末を変えてやれば…」
「…やっぱり二人の戦いを止めるしかないね」
「えぇ…でも二人共これだけは忘れないで。今の話が本当だとしたら、決して自分を見失っては駄目。あなたはエノクでもメタトロンでもない、シオンという一人のヒト。そしてソフィア、あなたもよ」
「うん…分かった」
「ありがとうサリエル…。シオン、何が起きても私達は私達ですよ」
僕達は互いの胸にあるペンダントを強く握り締め微笑む。神やルシファーの思惑なんて関係ない。ソフィアの言う通り何が起きても僕達は僕達だ。
サリエルのその言葉で感じていた不安が解消されたのか、先程より思考がクリアになっている。
話を整理すると、まずルシファー達の狙いはレヒトとエリスを殺し合わせる事だ。その結末がどうなるかはまだ分からないけど、きっとその結果次第で僕とソフィアはアダムとイヴとして覚醒を余儀無くされる。そしてそこで訪れるであろう選択の刻がルシファーの最大の狙いであると考えて良いだろう。
そうなると僕達に今出来る事は二人の戦いを止めて予想外の結末に変えてしまう事だけど、死闘を繰り広げている二人を見やるとやはり手が出せそうにない。
「…それにしてもどうすれば良いんだろう」
「あの中に飛び込むのは自殺行為ですね…」
もし本当に僕の迷いが原因でレヒトに天上の炎が効かないのだとしたら、どうにかして気持ちを切り替えるしかない。更に接続を深めてメタトロンにこの身を明け渡せば確かに二人を止める事は出来るだろう。しかし今のメタトロンにその後を委ねるのは危険な気がする。
永遠に終わらないのではないかと思える程、二人は無尽蔵に力を引き出し互角の死闘を繰り広げ続ける。それを指を咥えて見ているしかないのがもどかしく、メタトロンに身を委ねるのはどうかと意見を仰ごうと思ったその時、サリエルがはっと何かに気付いたように声を上げた。
「そうだわ…何も今やれる事は二人を止めるだけじゃない…。きっと今も何処かでこの戦いを見ている奴がいる…!」
「それってまさか…ルシファー…?」
「いいえ、こんな前線にいるとは考え難い…。ルシファーはきっとA地区に作り上げた
「えっと…
「…簡単に言えば悪魔仕様に改造された王室よ」
いつの間にそんなものを…そう思ったけど今はそんな事を突っ込んでいる場合ではない。サリエルもそれどころではないと目で制している。
「シオンがベルフェゴール、ベリアル…こっちでアスモデウスを討って…。アザゼルは戦神に倒されたはずだから…もしこの戦いを見ているとすればそれは…ベルゼブブしか考えられないわ」
「それは残る上位の悪魔がベルゼブブだけだから?」
「いいえ、ルシファーの側近でもある七つの大罪…。それを司る悪魔、怠惰の罪ベルフェゴールと色欲の罪アスモデウスはもう地上にはいないわ。そうなると残るは嫉妬の罪レヴィアタン、強欲の罪マモン、そして暴食の罪ベルゼブブだけなの」
七つの大罪だけでも残り三体…加えてアザゼルやベリアルのような上位悪魔と同等の堕天使もまだ控えているのかと思うと気が重くなってしまう。
「マモンは元々戦闘向きではないし、きっと
言葉が途切れた途端、突然サリエルは目を見開くと慌てた様子で南へ身体を向けた。
「姿が見えないと思っていたけど当然じゃない…あいつが現れるのは海…だとすれば現れる場所は…!」
何か呪文のようなものを唱えるとサリエルは目を閉じ集中し始め、数秒後ゆっくりこちらへ振り返るとその表情には絶望が色濃く浮かび上がっていた。しかし次の言葉を聞いて僕とソフィアも一瞬で血の気が引く。
「ツォアリスが…攻められている…」
「な…ルシファー達はまだ進軍の準備中じゃ…!」
「迂闊だったわ…。勿論天上に攻め込む悪魔の軍団は準備中…でも先にレヴィアタンが現れる事を予想しておくべきだった…」
「まさか…今ツォアリスを襲っているのはそのレヴィアタンなの…?」
「えぇ…まだ現れたばかりみたいだけど…既に街は壊滅的なダメージを受けているわ」
余程悔しいのだろう、そう言うサリエルは怒りに表情を歪めながら歯軋りする。
「…シオン、ツォアリスに戦力は残っているかしら?」
「一応血の盟友の団員がいるけど…到底歯が立たないと思う…」
「…助けに行きましょう。あそこには大勢の人とヨハネもいるわ」
「…駄目、今はあの二人を何とかする方が先決よ」
確かに今優先すべきは世界の命運を左右するであろうレヒトとエリスの戦いだ。でもだからと言ってツォアリスの人々を見捨てるような真似は出来ない。その想いはソフィアも同じようで、僕達は一度互いの視線で意思を確かめるとソフィアはサリエルの肩を掴み真摯な眼差しで懇願した。
「なら此処は私達に任せて…サリエルはツォアリスをお願い」
「ば、馬鹿言わないで! 三人でも歯が立たないのに二人でどうするの!?」
「大丈夫だよ、さっきサリエルも言ってくれたじゃないか。あの二人を止められなくても、この戦いを見ている奴を倒せば良いって」
「そ、それはそうだけど…それでもベルゼブブはルシファーに匹敵する悪魔よ…!?いくら何でも二人で相手するのは…!」
「…お願いサリエル、私達を信じて。私達もあなたを信じる…だからツォアリスを…」
「ソフィア…」
最後まで迷っている様子だったけど、覚悟を決めたのかサリエルはソフィアを真っ直ぐ見詰め返して力強く頷いた。
「…分かったわ、私もあなた達を信じる。きっとベルゼブブを倒して…あの二人を止めてくれると」
「えぇ、任せて。私には頼もしい
「
さらっと恥ずかしい事を言ってくれるけど、ソフィアの
「…二人共、何が起きても決して自分を見失っては駄目よ」
そう言い残すとサリエルはソフィアを優しく抱き締め、白い光に包まれて消えていく。どうやら転移魔法でツォアリスに移動したようだ。
「…よし、僕達も役目を果たそう」
「えぇ…これ以上悪魔の思い通りにはさせないわ」
何か胸に期するものがあるのか、そう言うソフィアに迷いは見られず断固たる決意が伝わってくる。
「でもシオン、どうやってベルゼブブを探します?」
「うん…それなんだけど…」
サリエルはベルゼブブが二人の戦いを何処かで見ていると言っていたけど、そんな真似をしている理由はすぐに分かった。
「きっとベルゼブブはこの戦いに邪魔が入ればそれを排除するつもりなんだと思う」
「成る程…じゃあ私達が二人の戦いに強引に割って入れば…」
「うん、僕達にはまだ使い道があるようだから死なれたら困るはずだし、きっと奴は出てくる」
現に僕達はレヒトとエリスが戦い始めてから一切手を出していない。もしベルゼブブが二人の開戦を機に現れていたとしたら試してみる価値はあるだろう。
「悪魔に助けられる前提って何だかおかしな話…。でもうん…もしそうなったらさっきの話にも真実味が出てきますね」
これは賭けだ。しかしソフィアも言うようにこの賭けに成功すればこちらが得られるものは大きい。
「それじゃ僕が先に行くから、ソフィアは後から付いてきてくれるかな?」
「いいえ…」
澄ました顔でソフィアはやんわり提案を断ると僕の横に並ぶ。
「言いましたよね、どんな時も一緒ですよ」
そう言って微笑みかけてくれるソフィアに思わず僕も笑みが溢れた。
「…そうだね、一緒に行こうソフィア」
顔を見合わせ僕達は同時に上空に浮かぶレヒトとエリスの元へ飛び上がる。すると浮遊していた光の剣がこちら目掛けて襲い掛かってくるが、それを僕達は紅蓮の双剣と鉤爪で迎え撃ちながら二人との距離を縮める。
そして勢いが殺される前に戦闘中の二人がこちらに気付くよう双剣を頭上に投げ付けた瞬間だった。僕達の間に一陣の風のように黒い霧が降ってくると双剣は弾かれ再び僕の手に収まる。
「…予想通りだね」
このタイミングで僕達の邪魔をするという事はやはり…
『ほう…サリエルの入れ知恵か』
黒い霧から声が聞こえてくるが、どうやらこの霧そのものがベルゼブブらしい。
勢いが止まると僕達は落下を開始し地上に着地するが、黒い霧となったベルゼブブは上空に留まったまま語り掛けてくる。
『何処まで気付いたのか知らぬが邪魔はさせんぞ』
「これ以上あんた達の思い通りにはさせない」
『威勢の良い事だ。しかし本当に分かっているのか? お前達がやろうとしている事は世界を滅亡させる事と同義だぞ』
「それを言ったら悪魔がやろうとしている事も同じじゃないか」
『神に支配された世界…それがヒトの幸せだと?』
「それが正しいとは言わないよ。でも悪魔が支配する世界が正しいとも思えないね」
『ははは、女神も同じ事を言っていたな』
女神だって…?
まさかエリスをレヒトにけしかけたのは…
『勘違いするなよ、私はただ手助けをしただけに過ぎぬ。女神と戦神の戦いは始めから神が定めていた事だ』
「そんな馬鹿な…」
しかしどうにもベルゼブブが嘘を言っているようには思えない。アザゼルやベリアルもそうだったけど、こいつらは基本的に嘘は言わない気がする。
『理由は敢えて伏せておくがね。お前達には不要だ』
「…僕達がその理由を知ったらあんた達の計画に支障が出るかもしれないんだろ?」
『…ふむ、何処まで知っているのか興味が湧いたぞ』
そう言うと黒い霧が徐々に高度を下げ、地上スレスレまで来ると凝縮し人の形となる。そして現れたのはヒゲを生やした小綺麗な老人だった。
「そういえばお前達の前に姿を現したのは初めてだったな。既に承知とは思うが私は七つの大罪の一つ、暴食の罪を司る悪魔ベルゼブブ…。こちらでは王室に仕える執事、ベルゼクトと名乗っている」
そう言って流麗な所作で頭を下げる老人は本当にただの執事のようだけど、足元の裾から溢れる黒い霧は紛れもなく悪魔である。ただ黒い霧が何なのか分からないけど、そこから微かに聞こえる異音が気になった。
「あぁ、お前達はまだ私の正体を知らなかったな。私は別名蝿の王と呼ばれていてね…無数の蟲が私そのものなのだよ」
そう言うと足元の霧が地上を這うように霧散するが、それはよく見ると大量の黒い百足だった。その禍々しい黒い百足には見覚えがあり、不意に僕の脳裏に悪魔の力を手に入れたアンディの姿が思い浮かぶ。
「まさかこの百足は…アンディの…」
「アンディ? はて、誰の事か知らぬな」
「…ベリアルと共謀してキメラを生成していたんだろう?」
「あぁ、そういえば私の使い魔を提供していたか。奴が誰に何をしたのかなど私の知り及ぶ事ではないがな」
「やっぱり…お前が…!」
「そういえば使い魔を通して見ていたが、一人お前に殺されたヒトがいたか。アンディとは其奴の事かな?」
「こ…の野郎ぉっ!!」
「シオン! 駄目!」
怒りのまま飛び込みそうになったところをソフィアに押さえつけられ辛うじて踏み止まる。見ればソフィアは全て察した様子で悲しそうな、哀れみにも似た表情を浮かべていた。
「…此処は堪えて下さい。ベルゼブブ、あなた達の狙いは私とシオンの覚醒ですよね?」
伏し目がちに僕の前に出たソフィアがそう尋ねるとベルゼブブは意外そうな表情を浮かべた。
「ほう…そこまで気付いているのか。その通り、私達の狙いはお前達の覚醒…そして訪れる選択によって神を滅ぼしてもらう」
「神を…滅ぼす…?」
「何だ、そこまでは理解していなかったのか。どうやらサリエルはまだ記憶を取り戻していないようだな」
「…どういう事ですか?」
「薄々勘付いているようだがこの世界はそこのメタトロン、その前身の願いによって作り出された。その記憶は私達も含めて神によって全て作り変えられたが、我が主だけがその事実に気付いたのだ。そしてヘルゲート解放直後に一部の側近にのみその事実が告げられた」
ベリアルと戦った際に繋がった推測…余りに突拍子がなく、想像すらし難い夢物語はどうやら事実だったようだ。ルシファーはサリエルの裏切りを知っていたからそれを告げなかったに違いない。
「…あなたは私達がその事実を知った上で、それでも神を滅ぼす選択をすると考えているのですか?」
「そうさせる、その為に私は此処にいるのだ。そして女神を殺した魔神は完全なる闇に飲まれ、お前達をも殺す」
「レヒトが僕達を…殺す…?」
「そうだ、その時お前達はどうやって互いに大切な者を守る? いや、世界を救う? 大人しく死を待つか…或いは二人で魔神に対抗し得る存在となり、これを退けるか…フフッ…」
どうやらこいつらはレヒトを完全な魔神とする為に神が定めた二人の宿命を利用したようだ。そして自分達の仲間となったレヒトを使って僕達を覚醒させようと…
「…そもそもレヒトにエリスを殺させやしない。だからあんた達の目論見通りにもならない」
「えぇ…あなたは私達が此処で倒して二人を救います」
悪魔の思い描くシナリオの全貌がようやく見えたが、やはりベルゼブブを退け二人の戦いを止めなくてはならない。残念ながらベルゼブブの言う通り、もし本当にレヒトがエリスを殺した後に襲い掛かってきたら僕達は黙って死を選ぶか、覚醒してこれを迎え撃つしかなくなる。
「やれやれ…随分と舐められたものだ。お前如きが私を倒せるとでも?」
そう言うとベルゼブブの肉体が再び黒い霧となって辺りを覆う。
『ベリアル達と私を一緒にするなよ。今でこそ魔王サタンとしてルシファーが地獄の王に君臨しているが、その座は元々私のものだ』
「つまりルシファーと同等の力を持っている…と?」
『安心しろ、お前達を殺す気はない。ただ二人の決着が付くまで大人しくしていてもらう』
「…アンディの仇は此処で討つ。覚悟しろ、蝿の王」
炎の柱を身に纏うと双剣を紅蓮に染め構える。
『天上の炎か、厄介な力だがそれとて完全ではない』
それを言われた途端に焦りが生まれるが、ただのハッタリだと自分に言い聞かせる。確かに僕は天上の炎を未だ完全には使いこなせていないけど、それは燃やす対象を選べないだけの事…明確な敵であるベルゼブブになら通用するはずだ。その証拠に黒い霧は僕達の周囲を取り囲んでいるものの、炎の柱が伸びた先の頭上は晴れている。
『見せてやろう、蝿の王の力…
直後、黒い霧が炎のように揺らめきながらこちらへ飛来する。炎の柱を身に纏っている以上、ベルゼブブの攻撃はこちらまで届かない…そう思ったものの、直感的に嫌な予感がして僕は咄嗟に紅蓮の双剣で防御態勢を取る。
するとその予感は的中し、黒い炎はこちらの炎の柱を貫通して紅蓮の双剣に直撃した。何とかその場で踏み止まるが、黒い炎は見た目に反してまるで巨大な岩石のような物理的な重量感が感じられた。
「な、何で…」
『この無数の蟲、その全てが私の肉体だ。多少の蟲が灰になったところで私は痛くも痒くも無ければ、無数の蟲の塊を同時にぶつければ少しぐらいはお前にも届く。そしてほんの数匹もいればお前を喰らうのは容易い事だ』
完全に誤算だ。蟲が凝縮されているのなら外部は瞬時に灼けても、内部へ炎が届くまでに僅かな差が生じる。そのほんの僅かな差が炎の柱の突破口になるとは思いもしなかった。
「だったら…全部焼き払えば良いだけだ…!」
『ほう、愛する者も巻き込んでか?』
「…っ!」
まさかベルゼブブは僕が対象を選べない事を知っているのか?
いや、どちらにせよ奴の言う通り黒い霧に閉じ込められた現状ではソフィアを逃す手は無く、全ての蟲を灼き尽くすには彼女を炎に巻き込むしかない。
しかし問題はソフィアまで燃えてしまわないかどうかだが、こちらに向けて伸ばした両腕が灰となって消えて行くアンディの姿が脳裏を過ぎってしまう。
「シオン…私の事は気にしないで…」
「駄目だ…それだけは…絶対に…」
『そうだな、それはお前の役目ではない。諦めろ、お前達に出来る事など何一つ無い』
何故だろう、ベルゼブブの話を聞いて僕の推測が正しかったのは分かった。でも同時に新たな不安が胸に渦巻いている。
選択の刻…それはいつ訪れる?
僕とソフィアが同時に、完全なる覚醒を迎えた時?
しかし前回選択した時もソフィアと同様に、イヴとなる女性が存在していたのなら、何故僕は愛する女性と共にその世界の終焉を願ったのだろうか?
(まさか…選択を迫られる条件は…)
「…シオン?」
ベルゼブブはそれは僕の役目じゃないと言っていた。それはレヒトがエリスを殺して…その後に彼が…いや…悪魔達がソフィアを…?
(そんな…嘘だ…)
愛する者の死――
神の願いを打ち砕いた悪魔――
断罪者として罰を――
そして世界の創造――
最悪の結末が浮かび上がった瞬間、黒い霧の一部が突然爆発し巨大な穴が開いた。
「シオン…これは…?」
突然の出来事にソフィアは呆然とするが、僕は反射的に炎の柱を消し去りソフィアの手を握ると開いた穴から霧の外へ飛び出す。
そして霧から抜け出した先には銃を構え黒いコートを靡かせる女性が立っていた。
「ありがとう…助かったよ、セリアさん」
何故彼女が此処にいるのか分からないけど、セリアはベルゼブブに銃口を向けながら僕達を一瞥すると上空で戦う二人に視線を移す。
「…それよりこれはどういう状況なのかしら?」
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