Episode67「悪魔のシナリオ」

 かつて神の代理人として天使長の座に付いていたルシファー。彼が神と分かたれ堕天した原因とは意見の不一致によるものだ。

 神が待ち望むはアダムとイヴの再来。しかしそれは新世界の創造と旧世界の消滅を同時に意味しており、ルシファーは今ある世界を容易く消し去ろうと考える神がどうしても許せなかった。


 遠い昔神に造られし始まりのヒト、アダムとイヴはヘビにそそのかされ禁断の果実を口にした事で楽園を追放された。そしてその子孫にあたるヒトは二人の犯した罪を永遠に消えない原罪として背負い続けている。ただ禁断の果実を口にしたアダムとイヴにもたらされたのは知恵と感情だったが、それらは全て神の描く新たなヒトを誕生させる為の布石に過ぎず、神はヒトに原罪を与えながらもそれらから解放された完全なる存在アダム・カドモンの誕生を待っていた。

 長い歴史の中で何度かアダム・カドモンに近付いた者はいたが、その最たる一人エノクでも結局は神の望む完全な存在にはなり得なかった。それもそのはず、アダム・カドモンとはそもそも一人では成り得ない。神が自ら造った完全なる『ヒト』、その雛形であるアダムとイヴは二人で一つなのだ。故にアダム・カドモンへ至り楽園へ還るには片翼では届かない。ルシファーはそんな神の思惑に対して疑問を抱き続けていた。

 ルシファーが堕天した原因については諸説あり、その一つにアダムとイヴに仕えるよう神に命じられたがそれを拒んでしまったせいだという話がある。だが事実はまったくの逆で、ルシファーは喜んでアダムとイヴに仕えていた。

 始めは命じられるがままに二人の世話をしていたが、時が経つにつれルシファーに変化が生まれる。天使には本来存在しないはずの感情、それが二人の世話をしているうちに芽生え始めていた。思えばそれは母性に近いものだったのかもしれない。

 やがてアダムとイヴが禁断の果実を口にすると二人にも感情が芽生え、新たなヒトの誕生を神が待ち望んでいる事を知っていたルシファーはそれを心から喜んだ。しかし禁断の果実を口にした結果二人は楽園を追放され、原罪という枷が子孫にまで受け継がれる事となる。

 思惑通りに事が運んでいるにも関わらずヒトに理不尽な試練を与える神にルシファーは憤りを覚えた。そして自らが神の座に就きヒトを救済しようと企てるが、その謀反に気付いた神はルシファーを堕天させる。こうして地獄へ堕ちた後にルシファーは地獄の王サタンとなって地上へ這い上がり、悪魔を従え神へ反旗を翻した。

 この戦いこそ後に神々の戦争と呼ばれるジハードであり、戦いに巻き込まれた地上世界は崩壊してしまった。ほとんどが死に絶えた世界で生き残った僅かな人々は長い年月を掛けて繁栄していくが、その裏にはルシファーの影があった。


 神に敗れたルシファーは本来なら他の悪魔と同様に地獄へ還るはずだったが、どういう訳か彼だけは消滅させられる事なく地上に留まっていた。そこに神のどんな思惑があるのか天使長の座を退いた今では何一つ分からない。しかしルシファーは神が何かを企んでいるに違いないと睨み、地上に残ってヒトの繁栄を見守り続けた。

 同時にその頃、ルシファーと同じく地上でヒトを監視する者達がいた。それは地獄とは真逆に位置する天上から遣わされた存在、見張りの者達エグレーゴロイである。やがて見張りの者達エグレーゴロイはあろう事かヒトの妻を娶り、その間には神の力を直系で継ぐ子供、ネフィリムが誕生する。

 それから見張りの者達エグレーゴロイによって知識を与えられたヒトの文明は異常とも言える程の目覚ましい発展を遂げた。

 しかしそんなある日、見張りの者達エグレーゴロイが消えたかと思えば、突然神の力に目覚めたネフィリム達が殺し合いを始めた。当然神の力に目覚めたネフィリムはヒトの手に負えるものではなく世界は再び混沌に包まてしまう。ルシファーはこの戦いを引き起こしたのは紛れもなく神の仕業だと確信し、再び神の座へ登り世界を正そうと行動を開始する。

 そこでまずルシファーが取った行動は世界の移動だった。驚くべき事に、神は世界を二つ創り上げていたのだ。

 一つはルシファーのいたネフィリムによって崩壊された世界。そしてもう一つは見張りの者達エグレーゴロイによってもたらされた知識を失った世界だ。

 この時ルシファーは全智の書によりその存在を知り、今ある世界は切り捨てられたのだと理解する。そして新たに創られた世界へ次元を超えて移動すると、ルシファーは全智の書に記述のあった一人の堕天使に目を付けた。

 全智の書には見張りの者達エグレーゴロイがヒトを妻に娶って神の怒りを買ってしまった事、そしてその中にヒトと同じ感情を有する一人の天使が現在地上に縛られている事が記述されていた。その感情を有する天使こそ天上を追放されたかつてのアザゼルである。

 ルシファーはアザゼルの想いを知った上でヒトを苦しめる神を討ち倒し、ヒトを救済しようと持ち掛けた。アザゼルはそれを快諾すると後にルシファーの呼び掛けに応じて何体かの悪魔が地上に集う。そしてルシファー達は天上へ至る扉、ヘヴンズゲートを開く為に各セフィラを守護する天使の排除を開始した。


 第十のセフィラ王国マルクトを守護するサンダルフォンを始めとしてルシファー達は次々と守護天使を排除し、僅かな期間で最後の扉である第一のセフィラ王冠ケテルを守護するメタトロンまでも撃破してしまう。しかしそれら十のセフィラだけではヘヴンズゲートは開けなかった。

 セフィロトツリーに存在する十のセフィラにはそれぞれ守護天使が配されているものの、一つだけ守護天使のいない隠れたセフィラが存在している。それこそヘヴンズゲートを開く最後の鍵にして、後にシオンが解放する事となった真理ダアトだ。

 ヘヴンズゲートを開こうとするルシファー達は最後にこのセフィラを解放する必要があったが、隠れたセフィラである真理ダアトはこれまでと同じようにはいかなかった。まず真理ダアトには守護天使が配されていなければ、その所在も神々の眷属とて分からない。そして真理ダアトの扉を開けるのは原罪を背負うヒトだけである。

 そもそも神の願いはヒトがアダム・カドモンとして天上に舞い戻る事にあり、セフィロトツリーにセフィラを配し天上と地上の入り口を分けたのは言わば試練のようなものだ。ヒトがアダム・カドモンに至るには地上世界を象徴する第十セフィラ王国マルクトから始まり、天上の入り口である第一セフィラ王冠ケテルへ登り詰めていくが、隠れたセフィラ真理ダアトはその過程で自ずと開かれるものである。その為ルシファー達は真理ダアトの扉を開くヒトが現れるのを待ち続けるしかなかった。扉を開くのが何者か事前に分かれば簡単な話だったが、真理ダアトの扉を開けるのは神に認められしヒトであり、それは最早天上の存在と同位。過去未来、全次元全世界の森羅万象が記述された全智の書と言えど天上の存在については記述がなかった。

 しかし数百年後、真理ダアトの扉は何の前触れもなく突然何者かによって開かれた。それに気付いたルシファーはその正体を確かめる事をせずに復讐を果たそうとヘルゲートを解放して急遽悪魔の召喚を開始する。ほんの数日で世界は神へ復讐せんとする悪魔で溢れ返り、多くのヒトが悪戯な悪魔の気まぐれで命を奪われてしまう。

 この時、ルシファーは神の座を奪い世界を正そうとする事に夢中で、今ある命を救済するという根本的な想いを忘れてしまっていた。その結果世界は瞬く間に地獄絵図と化したが、神へ挑もうというところで突然ルシファーの前に一人の少年が現れ淡々と告げた。


『僕はメタトロンの生まれ変わりにして神に選ばれし世界の守護者…。失せよ、わざわい


 その言葉に偽りは無く、少年は天上の炎を自在に操り地上に現れた悪魔を次々と葬る。その状況を前にルシファーは誕生してから初めて焦りを覚えた。

 メタトロンはエノクというヒトが神に認められて天上に登った存在であり、かつて神の代理人であったルシファーの後継者だ。ならばルシファーが堕天した事で神の代理人の座はメタトロンが務めていると考えて間違いない。そのメタトロンはルシファー達に討たれているものの、悪魔が消滅すると地獄へ還るのと同様に、堕天していないメタトロンも守護天使として消滅した後は一度天上へ還っている。そこから再びメタトロンが蘇るのは考えてみれば当然の事で、何ら不思議ではない。

 しかしこうしてヒトの姿で目の前に現れ同胞を葬る理由が分からなかった。自分を一度葬ったルシファー達へ復讐するにしても、わざわざヒトの姿に転生する必要性は皆無だ。加えてヒトとして天上へ接続する為に真理ダアトの扉を開いたとすれば尚更謎が深まる。本当にメタトロンの目的が復讐だけならばそんな面倒な真似をせずに本来の天使の姿で現れるはずだ。

 ルシファーが戸惑い困惑している間にも悪魔は次々と葬られ、やがて周囲一帯からルシファーを除く悪魔が消え去ると少年は絶望に満ちた虚ろな瞳でルシファーに語り掛けた。


『あなたは罪を犯した。父の積年の夢…そして何より僕の愛する人…生きる希望を奪った。だから僕は断罪者としてあなたに罰を下す』


 父の積年の夢、少年が愛する者…そこでルシファーはようやく全てを理解した。

 神が待ち望み続けていた完全なるヒト、アダム・カドモン…新たなアダムとイヴと成り得る者がついに現れたに違いない。それこそ目の前にいる少年と、その少年が愛していたと言う女性だ。

 少年かその女性のどちらかが真理ダアトを解放した。しかし神の夢が成就する目前で女性の方が召喚された悪魔によって殺されてしまい、怒り狂った少年に神が力を…メタトロンの魂を宿した。そう考えると全ての辻褄が合う。

 その時、ルシファーは自分が神への復讐にばかり囚われ、ヒトを救済する使命を忘れていた事にようやく気付き後悔する。しかし時既に遅く少年は選択してしまったのだ、世界の終焉を。


『失せよ、わざわい


 最後にそう呟くと少年の天上の炎がルシファー諸共世界中を包み灼き尽くす。だがルシファーはそれに抗う気を失っていた。

 新たなるヒト…アダムとイヴの再来は神だけでなくルシファー自身も望んでいたものだが、結果として自らの手でその夢を壊してしまった。その罪の念からルシファーは抵抗する素振りも見せずに灰となって消滅した。


 しかし強力過ぎる少年の力はやがてその世界の理を破壊し徐々に崩壊を始めた。天上の炎に灼かれた世界は見渡す限りの荒野が広がり、大地震により島は崩れ去る。メタトロンの魂に引き寄せられるように接近した太陽の炎で海は干上がり、星からは生命の息吹が完全ち途絶えてしまう。その世界に果ては無く、広がるのは明確な無。父なる大地、母なる海が失われ時空さえ歪んだ世界で少年は一人立ち尽くす。天を見上げるが暗い天蓋が世界を覆い尽くし、そこからは一筋の光さえ見えない。それでも少年は願わずにはいられなかった。


 箱庭を騙る魂の牢獄からの逃避を。


 運命をも捩じ曲げる力を。


 全てを浄化した少年は既に役目を終えており、最早彼だけの為に用意された牢獄から逃れる術は無い。

 いっそ死ぬ事が出来れば楽だろうに、生と死の概念を超越してしまった少年の最期の願いは決して叶わない。


 その選択が過ちだと気付いた時には遅過ぎた。全てが仕組まれた戯曲と知りつつ、少年は終焉を願い、己の手でそれを引き起こしてしまった。

 故に少年はこいねがう。


『新たな箱庭に希望を詰め込み給わん事を。されば奈落に堕ちし厄災が甦ろうとも、次は世界に光をもたらさん。己の過ちは己に罪を課し償おう。天に住まわし主よーー』


 少年が暗い天蓋へ向けて想いを放つとそこに一筋の光が差し込み、まるでその想いに応えるようにボロボロの体を包み込んだ。

 願いは天に届き、時空と次元の壁を越えて創り出された新たな箱庭にいくつかの種が蒔かれるとやがて蕾を作り始める。これも所詮は用意された舞台だ。しかし蕾が花を咲かせ世界を変えるのか、はたまた枯れ果てこの世界と同じく腐り落ちるのか、それは神にさえ分からない。

 だから、と少年は新たな宿主に希望を託し、全てを委ねると静かに目を閉じた。


 願わくば箱庭がパンドラの箱とならぬよう。光溢れ、希望に満ちた新たな楽園とならん事を。


『僕が僕に課した罪は君を苦しめるだろう。一度滅ぼした厄災が再び君の目の前に現れるだろう。しかしそれでも前に進み、同じ過ちを繰り返してはいけない。己を知り、愛を育み、己の為すべき未来を見失う事の無いよう、汝の行く末に幸あれ』


 最後に少年は穏やかな笑みを浮かべると、天より差し込んだ光が溶かすように肉体が淡く発光しながら影を薄めていく。やがて少年に宿っていたメタトロンの魂は導かれるように新たな宿主の待つ世界へと飛び立ち、少年を照らしていた一筋の光が弾ける。世界中が眩い光に包まれると少年と全てを失った世界は今度こそ真の無へ飲み込まれていった。

 そうして生まれた世界は新たな宿主、引いてはアダムとイヴ再来の為に造られた新たな箱庭。神の力によって再創造された世界は何もかも、悪魔達の記憶すら作り変えていた。

 少年の炎に灼かれ地獄で目覚めたルシファーの記憶はジハードに敗れた直後まで巻き戻されており、他の悪魔達も少年に敗れた事を誰も覚えていなかった。しかしそれらの事実にルシファーが唯一人気付けたのは全智の書のおかげに他ならない。そこには神が新たに世界を創造していた事実だけがただ記述されていたのだった。

 少年が願った事で新たに造られし箱庭は少年自身の希望にして、神がアダムとイヴの再来の為に用意した舞台。だがその夢が再び目前にして破れた時、メタトロンの魂を継いだ新たな宿主はまた選択を迫られる。

もしそうなれば新たな宿主は世界を再び無へ帰すか、或いは…悲劇の根源たる神を滅ぼすか。

 新たな宿主が何を選択するのか、その答えは神であろうと分からないはず。いや、正確には敢えて定めていない。ヒトが自ら選択し進化する…そこに真の意義があるのだ。

 ルシファーはもう一度アダムとイヴの再来に備え、神を殺す舞台を整える決意を胸に再び地上へ這い上がる。それが自身も望んだアダムとイヴを殺す事になろうと、悲劇を繰り返す事になろうと、神の定めた呪縛を断ち切る為ならば…と。




 ベルゼブブの物語を聞き終えたエリスは混乱しているようだった。


「戸惑うのも当然か。どうだ、これが神の真実にして、我らが主、地獄の王の真実。それでもお前は我々を悪と呼べるのか?」


「えぇとあの…ちょっと話が長過ぎて…あと難し過ぎて…。つまり…どういう事ですか…?」


 予想だにしなかった返答にベルゼブブは一瞬呆気に取られるが、すぐに気を取り直すとエリスにも分かりやすいように言い直す。


「…神はシオンとソフィアをアダム・カドモンにしようとしているが、その他のヒトは見捨てるつもりだ。しかし我らが主はその神を滅ぼし人類を救おうとしている。そして世界は一度シオンの前身と神によって消滅させられ、新たに作り直された今の世界はシオン達がアダム・カドモンとなる為に用意された箱庭に過ぎない」


 そこでようやく話を理解したエリスは複雑な表情を浮かべた。


「…それなら確かに神様が正しくて悪魔が間違ってるとは思えません。だけど…今あなた達がやっている事は昔と変わらないんじゃないんですか? もしソフィアさんが死んだらシオンさんはまたきっと…」


「そう、ソフィアの死無くしてシオンに選択の刻は訪れぬ。故にまだ死なれては困るが、だからこそ主はサリエルの裏切りを見過ごしたのだ。奴の事だ、今頃はソフィアを命懸けで守り我らの同胞を葬っている事だろう」


「サ、サリエルさんが…」


「今あるヒトの命は確かに失われている。しかしそれも主が神の座に付けば全てが元に…いや、今より幸福に満ち溢れた地上の楽園として蘇るのだ。その為にもシオンには神を滅ぼす選択をしてもらわねばならぬ」


「で、でもそれって…もしシオンさんが違う選択をしたら…」


「何れにせよ神がいる限りヒトは滅ぶ。そして神を討てるのは神を滅ぼす力を持つ者、メタトロンの魂を継ぎ天上の炎を従えるシオンだけだ。我々が神に勝利するにはそこに賭けるしか無い」


 皺だらけのまぶたから微かに覗く瞳は曇りなく真っ直ぐで、そう語るベルゼブブは見ようによっては聖者のようだ。

 確かにベルゼブブは悪魔だが、わざわざ説明を分かりやすいように言い直してくれた事からも、きっとサリエルと同じく心の底からの悪ではないとエリスは確信する。もし自分と同じように記憶を失って、人間と同じように生きていれば素敵なお爺ちゃんになっていたかもしれない。だがしかし、どんな思想や信念があろうとヒトの命を軽視し争いを生み出そうとする行為はやはり見過ごす訳にはいかなかった。何よりソフィアの死を前提としているなど許せるはずがない。


(それにそんな事をしたら…神様がやってる事と同じになっちゃいます…)


 シオンとソフィアがアダム・カドモンとなってアダムとイヴが再来した後の世界はどんなものか分からない。かと言ってルシファーが作ろうとしている世界だってどんなものか分からない。結局どちらの世界がヒトにとって幸福なのか分からないが、少なくともそれらは神や悪魔が与えるものではなく、ヒトが自ら選択し切り拓いていくものではないだろうか。今ある命を奪い、新たな世界を創ってそれを一方的に押し付けようとする傲慢さは神も悪魔も大差ない。

 考えが纏まるとそれまで迷いを見せていたエリスは決心を固めてベルゼブブを真っ直ぐ見詰め返した。


「…何が正しいかは分からないけど…でもあなた達がやろうとしてる事は絶対に間違ってます」


「何とでも言うが良い、所詮お前も新たな選択の為に神が用意した道具に過ぎぬ。だが安心しろ、お前はマルスと共に我々が有効に活用してやる」


「…私とレヒトを?」


 一体自分とレヒトに何の利用価値があるのか分からないが、エリスはどうしようもない不安を覚えた。それは先程も感じた胸の内にいる何かが警告しているようだった。


「お前達が何故この箱庭にいるのかは分からないが、利用出来るものは何でも利用させてもらう」


「ど、どういう事ですか…?」


「マルスを完全に我等の仲間とするにはお前の存在がどうしても邪魔なのだ。しかし都合の良い事に…ある条件が揃えばお前達は勝手に互いを殺し合ってくれるというではないか」


 それを聞いた瞬間にエリスは今まで感じた事のない悪寒を覚え小刻みに震え始めた。


(レヒトが私と…殺し合いを…?)


 彼がそんな事をするはずがない、そうは思っても胸の内ではそうなるのが当然であると理解し予感している。自分自身と自分ではない自分の相反する思いが胸の内を駆け巡り、エリスは思わずその場で頭を抱えながら震える。その姿を見てベルゼブブは満足気な笑みを浮かべていた。


「神がお前達に下した罰は簡単なものだ。マルスが悪魔となった時、お前はマルスを討つ女神となる」


「そ…そんな事する訳ないです! レヒトは悪魔になんかならないし、私は絶対にレヒトを殺しません!」


「さて、どうかな? これは神に仕組まれた事…誰であろうと神の定めた運命からは逃れられぬ。それに死ぬのはマルスではなくお前だ。自分の手で愛する者を殺す…そうすれば奴は二度と地獄の闇から抜け出せないだろう」


「ち…がう…私は…私は…! 嫌ぁっ!!」


 ベルゼブブが嘘を言っているようには見えず、その言葉は確信めいている。自身の存在すら歪めかねない事実を突き付けられたエリスは恐怖のあまり目の前の敵を消し去ろうと光線を放った。しかしそれを難無く回避するとベルゼブブは邪悪な笑みを浮かべながら悪魔本来の姿へ変貌していく。


『…話はそろそろ終わりだ、もうじき宴が始まる』


 無数の蟲が蠢くベルゼブブの身体は何倍にも膨れ上がり、以前に対峙した時とは比べ物にならない量の蟲の塊がそこにいた。しかしエリスはそんなベルゼブブの変化に目もくれず、絶望したように虚ろな表情でブツブツと独り言を繰り返す。


「駄目です……私は…レヒトを………そんなの駄目………」


『奴の覚醒に呼応しているのか? どうだエリスよ、お前の最愛なるマルスが今まさに闇に飲まれ、魔神となって目覚めようとしているぞ』


「嫌…レヒト……私は…こんなの……違う………」


『流石は我等が主、やはりマルスの相手はアザゼルが適任だったな。シオンとソフィアにも覚醒の兆しが見えた事だし、こちらもそろそろ始めさせてもらおう』


 ベルゼブブはエリスに背を向けると意識を失ったままのマスターのいる山の頂上へ静かに着地する。


『見ろエリス、お前はこの者を守りたかったのだろう?』


 その言葉で視線を移すとベルゼブブに頭を鷲掴みにされ宙吊りになったマスターの姿が目に入り、その瞬間我に返ったエリスは声を張り上げた。


「マスター!!」

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