第16章 女神覚醒 ―Eris Side―

Episode66「善と悪」

「う…うぅぅー…」


 何て事だ、一人空を飛べる優越感に浸っていたけど地上から下着が見えてしまう可能性に私は気が付いていなかった。それを意識した途端、後ろから来ているみんなが私の下着を覗こうと息を荒くしているように見えてしまう。

 ヴァンパイアさんだって元は人間…つまりそういう事への興味だってそのまま残っているはずだ。しかも血の気が多い印象だし、性的欲求は人間だった頃より増しているかもしれない。そう思うと私は恥ずかしくてビームを放ちたくなったが、その時レヒトが大声で私を呼んだ。


「おいエリス!」


「何ですか!? 見たいって言っても見せてあげませんよ!?」


 昨夜の行為を考えれば下着ぐらい見せても構わないけど、白昼堂々…それもこんな大勢の前で見せるのは流石に抵抗がある。私を想う彼の煮え滾る熱い欲望リビドーに応えたいのは山々だけれど、マスターもそういう行為は夜にしていたし、それが大人というものだ。いくら恋人同士とは言えみんなの前でいちゃいちゃするのも気が引ける。

 しかし気恥ずかしさからスカートを抑えて下着を見られないようにすると、次の瞬間レヒトの叫びを聞いて私の思考は停止した。


「全部終わらせたら一日中セッ○スするぞ!」


「…へ?」


 突然の告白に時が一瞬止まり、その言葉の意味を理解するのにしばらく時間が掛かってしまう。その間にもレヒトは矢継ぎ早に言いたい事を一方的に叫び続けた。


「だから絶対に死ぬな! 勝手に死ぬ事は俺が許さん!」


 私への想いを吐き出すと彼は雄叫びを上げながら果敢にも単独でゲートへ飛び込んでいった。


「レヒト…」


 彼の熱い想いは確かに伝わった。レヒトはとにかく素直じゃないけど、心の奥はとっても温かくて刺々しい…そんな人だ。不器用だから自分を表現するのが苦手なだけで、私にはちゃんと分かる。


「必ず…あなたの元に帰ります…」


 だから私は彼の期待を裏切る訳にはいかない。セインガルドのみんなを救って、絶対にレヒトの元へ帰ってみせる。


「みなさん! 私達も行きますよー!」


 後に続くヴァンパイアさんに声を掛け、私は一気に加速する。外壁に沿って行けば西D地区のゲートが見えてくる…そう思っていたけどこの時私は大事な事を忘れていた。

 以前マスターから聞かされていた話だけど、西D地区…ゴモラは現在隣国と戦争の真っ最中らしい。そのせいでゴモラには外壁のゲートが無く、大勢の流民が紛れ込んでいるそうだ。

 その事を忘れていた私はゲートがあったはずの場所を一度通過してしまうが、眼下に一瞬見えた異様な光景に驚き、すぐさま戻ると言葉を失った。


(あれ全部…悪魔…?)


 そこは大勢の人間と、いつかレヒトが戦っていた悪魔のような異形の怪物が入り混じる戦場だった。戦場と言っても戦力差は歴然で、逃げ惑う人間が一方的に虐殺されている。人々の悲鳴は上空にいる私にも届き、見る見るうちにその数を減らしていく。


「な、何とかしなきゃ…!」


 最悪な事にゴモラから出現しているであろう悪魔はゲートが無いのを良い事に東へ向けて進軍を開始していた。

 確か作戦では東のシャディールという、セインガルドと戦争している国に住民は避難する予定だ。もしこのまま悪魔が東へ進み続けてシャディールにまで手を出せば、現地の兵士とヴァンパイアだけでは対処しきれない。そうなれば逃げた人々は当然の事、下手をすれば世界中の人間が悪魔に殺されてしまう。


「そんなの…駄目です…」


 私は争いが嫌いだ。特に人々が争う姿は見たくない。

 何で同じ人間なのに殺し合うの?

 どうして尊い命を奪うの?

 私はレヒトやソフィアさんどころか、シオンさんよりこの世界で生きた時間は短い。それでも私は人間が好きだと言える。だから人間の命を奪うなんて真似は見過ごせないし許せない。それは相手が同じ人間でも、神様でも、天使でも、悪魔でも、何であろうと認めない。


 私は全てから逃げた――


 誰かのそんな声が聞こえてくるけど、『私』は絶対に逃げない。大好きな人と約束したんだ。守りたい人達みんなを、私が守ってみせるって。


「キューティーエリスー…!」


 人々に襲い掛かる悪魔へ向けて両手を突き出し、魔力を集中させていくと不思議な模様の魔法陣が浮かび上がった。


(大丈夫…絶対に助けてみせる…!)


 狙いを定めて『悪魔だけ』を撃ち抜くイメージで魔力を高めていくと魔法陣は光を増し、中心に青白い光が凝縮されていく。


「ビィィーム!」


 人間を惑わす悪しき存在、悪魔は全て私が滅する。その想いを胸に魔力を解放すると魔法陣から放たれたキューティーエリスビームが悪魔と人々の頭上に降り注ぐ。

 轟音が鳴り響きビームが消え去るとそこには何が起きたのか分からない様子の人々だけが残り、悪魔は綺麗さっぱり消滅していた。


「よーし…!」


 大丈夫だ、ちゃんと戦える。今の攻撃で自信をつけた私はすかさず東へ振り向き、逃げ惑う人々を追い掛けシャディールへ進軍する悪魔を視界に捉える。


「もういっちょー! キューティーエリスビィーム!」


 さっきと同じように魔法陣を展開して悪魔だけを撃ち抜くイメージでビームを発射すると眩い光と轟音の後、人々を追い掛け回していた大量の悪魔だけがちゃんと消滅していた。

 その場で高度を上げて東を見やると遠くにシャディールと思われる街が確認出来た。その道中に悪魔らしき影は見当たらず私は安堵の息を漏らす。これでシャディールは一安心だ、後はゴモラから悪魔が流出するのを防げば良い。

 そう考えると私が進行する東側は凄く重要な場所に思えるけど、直前でセリアさんを外して私一人に任せたという事はそれだけレヒトは私を信頼しているのだろうか。もしそうなら是が非でも彼の期待には応えなければならない。


「みなさん、私が悪魔を倒しますから住民の避難をお願いします!」


 そこでようやくゴモラに到着したヴァンパイアさん達に住民の避難を任せると私はゴモラに残る悪魔の殲滅を開始する。

 悪魔達はみんな地上で人々を襲うのに夢中で上空の私に気が付いていない様子だった。それを良い事に私は上空から一方的にビームを放ち悪魔を蹴散らしていく。

 ただ私の必殺技キューティーエリスビームで人々が救えているという事実は素直に喜ばしいけど、悪魔を滅する事に微かな違和感があった。悪魔は人類の敵で間違いない。でもだからってこんな一方的に虐殺していたら、私のやってる事は悪魔と大差ないのではないか?

 悪魔に同情する気はないけど、争いが嫌いな私がどうして悪魔に対してはこうも非情になれるのか疑問だった。それは人間が好きで、人間の味方だからという理由だけではないと思う。もっと本能的な…例えるなら自然の摂理に従って肉食獣が他の動物を食べるのが当たり前であるように、私は悪魔は滅する存在であり、それこそ私の存在意義…そんな気がする。でも今はそんな事で悩んで悪魔を倒すのに躊躇していたら何の関係もない人々が殺されてしまう。それだけは何としても阻止しなくちゃいけない。

 一度かぶりを振って目に見える悪魔を次々撃破していると、やがて私の視界から悪魔は姿を消した。そこでようやく一息吐くと、不意にマスターのお店がどうなっているのか気になってしまう。

 辺りを見渡しても悪魔はもういないし、街に残っている人々はヴァンパイアさん達がちゃんと避難誘導している。


(…ちょっとぐらいなら立ち寄っても良いよね?)


 悪魔が出現したと聞いた時からマスターの安否が気になっていた私は逸る気持ちを抑えながら見慣れたお店へ向けて一直線に飛んだ。街は悪魔のせいで滅茶苦茶だったけど、すぐに到着したマスターのお店は奇跡的に大した被害もないようで私は安堵の息を漏らした。

 地上に降り立ち少し緊張しながら見慣れたお店の扉を潜ると、店内は荒らされた様子もなく、ひっそりと静まり返っている。それが寂しく感じたものの、ほんの数日離れていただけなのに懐かしさが込み上げてきた。


「マスター…いませんかぁ…?」


 呼び掛けに反応はなく、店の奥を覗いても人の気配はない。マスターはもう逃げたのかな…そう思った瞬間、寝室の方から微かな物音が聞こえてきた。


「…マスター?」


 店内は照明が落ちていて、月明かりだけが頼りだ。薄暗い通路は何が出てくるか分からなくて怖いけど、確かめない訳にもいかない。もしマスターが怪我をして動けないのなら助けなくちゃ。


「誰かぁ…いますかぁ…?」


 真っ暗な視界の中、先程聞こえた物音と記憶を頼りに壁に手を突きながら一歩一歩確かめるように前へ進む。ギシギシと軋みを上げる床と、何処からか入り込んでいる隙間風が不気味な雰囲気を醸し出していた。さっきまで大量の悪魔を葬っていたというのに我ながら情けない…と思いつつ怖いものは怖いのだから仕方ない。

 やっとの思いで寝室まで辿り着き、ゆっくり扉を開くと室内は窓から差し込む月明かりのおかげで明るかった。ただ今夜の月は紅く、カーテンだけがなびく血の色に染まった室内は不気味で仕方ない。ゴクリと喉を鳴らすと室内を見渡すが、そこにマスターの姿はなく何故か窓が全開になっている。もしかしてマスターは窓から逃げたのだろうか…そう思い視線を窓の方へ移すと、窓の下の床に血痕が残されている事に気が付いた。これが誰の血か分からないけど、何だか嫌な予感がする。


(マスター…)


 窓の外を見るとそこには血痕が道標のように何処かへ続いている。まさかこの先にマスターが…?

 そうは思っても何かの本でこういう罠で人を誘い込む手口があると読んだ事がある。迂闊に追い掛けて良いのだろうか…。


「…あ、そうだっ」


 そういえば私には翼があるじゃないか。普通の人なら血痕を辿った先で檻に閉じ込められたりする事があるようだけど、空にいる限り私を捕まるのは不可能だ。


「ふっふっふ、私を舐めちゃいけませんよ」


 何だかいつもより頭がキレてる。まるで戦いの中で成長しているみたいだ。まさかマスターに見せてもらった覗き見た数々の参考書がこんな所で役に立つとも思ってなかった。ちなみに参考書には檻に捕らえられた後、裸で三角形の木に乗せられたり、裸で鎖に繋がれたり…想像するだけで恐ろしい内容が描かれていたけど、要は捕まらなければ関係ない話だ。


「マスター…今行きますよ…! とぉっ!」


 窓から飛び出すと私は翼を広げて上空から血痕の跡を辿る。どうやら血痕は西の方向…ゲートの方まで伸びているようだった。もしこの血痕がマスターの物なら、逃げる方向としては真逆になる…そう考えるとやっぱり何かおかしい。

 おかしいと言えばゲートに近付くにつれて悪魔だけでなく住民の姿も見なくなった。避難したにしては早過ぎるし、ゴモラにいた悪魔があれだけとは思えない。

 警戒しながら血痕を辿ってゲート前の広場に出ると、目の前に聳え立つ黒い山に私は目を丸くした。


「これ…は…?」


 何かが幾重にも重なっているようだ。その正体を確かめようとゆっくり近付こうとしたその時。


『ようこそ、女神エリスよ』


 何処かで聞いた事のある声が頭上から聞こえたかと思うと、次の瞬間地上から何本もの黒い蔦が伸びて私の周囲を取り囲んだ。そして頭上で黒い蔦が一点に結ばれると私は黒い檻の中に閉じ込められてしまう。


「し…しまったぁ…!」


 檻の隙間から出ようにも幅が狭くてとてもじゃないけど抜けられそうにない。ならばと檻を掴むけどそれは蔦とは思えない程の硬さで、揺さぶってもビクともしない。このままでは裸にされて色んな事をされてしまう…!

 一先ず脱出を諦めて声のした頭上を見上げると、そこには黒い翼を生やした小綺麗な服装のお爺さんが浮かんでいた。


「あれ…何処かで…?」


『また会えたなエリス、全ては我が主の予言の通り』


 我が主…その言葉で私はお爺さんの事を思い出した。


「あなたは…黒い霧のお爺さん!」


『如何にも、私は王室に仕える執事のベルゼクト。しかし真の名は…』


 確かレヒト達の話だと、ゼファーがアザゼルで…マリベルがサリエル…ベルゼクトが…


「…蜂の王ヘルゼブト!」


『…蝿の王ベルゼブブだ、忘れるな女神エリスよ』


「そうでした…! くっ…蝿の王…!」


 黒い霧の正体はたくさんの蝿だ…思い出しただけで鳥肌が立ってしまう。でもあの時ベルゼブブは何で私から逃げていたんだろう。確か神気が…って言っていた気がするけど…。

 理由は相変わらず分からないけど、今回は逃げる素振りはなく悠然と私の正面まで降りてきた。


『どうやらその様子ではまだ目覚めていないようだな』


「え…私ちゃんと起きてますよ…?」


『お前ではない、お前の中で眠る女神だ』


 私の中で眠る女神…?

 彼が何を言ってるのかさっぱり分からないけど、その言葉に胸の奥が騒つくのを感じた。


『まぁ良い、私の目的はお前の足止めと覚醒の手助けだ。今のところ他の者達はまだ目覚めていないようだし、お前にはしばしの間此処でじっとしてもらおう』


「そ、そんな困ります! 私は早くマスターを助けて先に進まないと…!」


『案ずるな、お前の探すマスターならそこにいるぞ』


 そう言ってベルゼブブは黒い山を指差すけど、改めて目を凝らすと黒い山の正体に気が付いた瞬間、私は思わず視線を逸らしてしまった。


(え、嘘…そんな…違う…そんなはず…)


 思わず吐き気を催すけど、何かの間違いであって欲しいと願いながらもう一度黒い山に目をやる。でもそこで私は黒い山の正体を確信して震えた。


「あ…あぁ…ぁ…」


 あの幾重にも重なって黒い山を作っているもの…それは全部…人間の死体だった。


『ようやく気が付いたのか。だがちゃんと山の頂上を見てみよ、あれがお前の探し人なのだろう?』


 言われるがまま恐る恐る視線を上げていくと山の頂上で何かが蠢いていた。何かと注視すると山の頂上でボロボロの姿で立ち上がった人は…


「マスタァーーー!」


「エリ…ス…?」


 マスターは私に気が付くと虚ろな表情でこちらに振り返るけど、立っているのもやっとなのかその場で再び崩れ落ちてしまう。


「ベルゼブブ…まさかあなたが…!」


『あぁ、どうにも腹が減ってな。しかし彼は最後のデザートとして残しておいたのだよ』


 そう言うベルゼブブの眼球が突然奥に引っ込んだかと思うと、空いた眼窩から一匹の巨大な百足が現れた。その悍ましい光景に私は思わず悲鳴を上げてしまう。


「ひっ…!」


『罪とは実に甘美だ。取り分け我々には無いヒトの原罪は真に素晴らしい』


「ま…まさか…あそこにいる人はみんな…」


『御察しの通り、私の食事となってもらった。私は七つの大罪の一つにして暴食を司る悪魔なのでね』


 よくよく見れば黒い山に積み上げられた死体の皮膚はみんな腐食し、体内は何かに吸い取られたように干からびている。

 それを意識した途端、死体の放つ独特な臭いが鼻腔を突き思わず吐きそうになってしまった。


「ぐぅっ…うっ…ひ…酷い…」


『やれやれ、お前は悪魔を何だと思っているのだ?』


「悪魔はみんな…粛清しなきゃいけない…」


 みんな…?

 違う…サリエル…彼女は堕天使で、悪魔の仲間なのにヨハネを守ってくれた…。だから悪魔を全部悪と決め付けて、それを根絶やしにしようなんて考えちゃ駄目だ。


『ほう、どうやら覚醒の兆しはあるようだが…目覚めるにはまだ早いな』


 もし悪魔を全て滅するような真似をすれば、私は結局自分の嫌いな争いを自ら生み出してしまう事になる。でも…それでも…


「あなたは許せない…あなたは悪い悪魔です…!」


『ふむ? お前の言う悪とはそもそも何だ?』


「あなたみたいに人を傷付ける存在です!」


 それは断言出来る、決して間違いではない…そう思っていたけど皺だらけの顔でベルゼブブは邪悪な笑みを浮かべた。


『人を傷付ける、か。ではお前の愛するマルスも悪か?』


 その質問に私は思わず言葉に詰まってしまった。


「レ、レヒトは…違います…」


 本当にそうなのだろうか?

 レヒトは悪魔専門の殺し屋と言っていたし…人殺しなんてしない…はず…。


『何故違うと言える? 私は知っているぞ、奴はお前の目の前で蛇の首…人間を何人も殺したではないか』


 その言葉を聞いた瞬間に血の気が引き、冷たい汗が全身から溢れ出した。


「あ、あれはマスターを助ける為に…!」


『ではお前は誰かを助ける為なら人殺しは正義だと?』


「そうじゃなくて…でもあの時は相手が先に…」


『先に手を出した者なら殺しても良いのか?』


「ち、違う…そうじゃ…」


 段々と自分が何を言っているのか分からなくなる。

 確かにベルゼブブの言う通り、レヒトは悪魔専門の殺し屋と言っていたにも関わらず出会った時には既に人を…それも私の目の前で何人も殺している。何故それを今の今まで忘れていたのか…。それは私が今まで見ないフリを…忘れようとしていたからに他ならない。

 今になってそんな都合良く忘れていた事実を突き付けられ、私は返す言葉を失ってしまった。


『一つ教えてやろう。何かを傷付け傷付けられるのは自然の摂理だ。実際お前達神の眷属は我々を悪魔と呼び、何人もの同胞を葬ってきた。しかし私はそれを悪とは思わぬし、こちらが悪とも思っていない。善悪など所詮ヒトが勝手に決めた概念に過ぎぬ。ヒトに憧れたお前にはお似合いかもしれないが、そんなものは我々の戦いに於いて何の意味も無い』


「で、でも…私は争いたく…」


『そう思うのは勝手だが、それを他人に押し付けるのは傲慢だ。そして傲慢とはヒトをヒトたらしめる七つの大罪が一つ…。つまりお前はヒトと同じく生まれながらにして罪人という事になるが…それでもお前は私を悪と呼び、自分やマルスは正義だと言い張るれるか?』


「それ…は…」


『浅はかだな。良いか、お前や我々悪魔…何れも神より生み出された者に与えられし役目は決まっている。そこに善悪なんて概念は存在しない。悪魔は神へ復讐を、神は反逆者に制裁を…あるのはそれだけだ』


 私には女神だった頃の記憶なんてないし、ベルゼブブの言ってる言葉の意味はよく分からない。でもそれでも、彼の言葉は私の奥に眠る何かに語り掛けるようにすっと入ってくる。


『やれやれ、老人は無駄話が好きとは聞くが私も少し口が過ぎたか。ふふ、ヒトとは実に面白い生き物だ』


 そう言うベルゼブブの笑顔に邪悪さは見えない。それは私と同じ…人間が好きだからこそ浮かべられるものに見えた。


「…ヒトの事が好きなんですか?」


『無論だ、我々がやろうとしている事はヒトの救済でもある』


「救済…? で、でも悪魔は人間をたくさん殺して…」


『…その様子では何も知らないのだな。いや、無理もないか。私も主から全ての真実を聞かされていなければ何一つ気付けなかった。お前とマルス、シオンとソフィア…更には我々や地上に生ける全てのヒトも、結局は神の掌で踊らされているだけなのだよ』


(全ての…真実…)


 駄目だ、これ以上この悪魔の言葉に耳を貸しちゃいけない。私の中で誰かがそう警告している。それでも私は知りたかった。自分が何者なのか、過去にレヒトと何があったのか。

 それにまだ誰も知らないシオンさんやソフィアさんの隠された真実が本当にあるのなら、話を聞いてみても損はないんじゃないか?

 山の頂上で倒れたまま動かないマスターが気掛かりだけど、どうやら気を失ってるだけのようだし、今ならマスターに話を聞かれずに済む…。


(ごめんなさいマスター…話を聞いたらすぐにキューティーエリスビームで檻を壊して助けますから…)


 罪悪感に苛まれ俊巡した結果、私は思い切って悪魔の誘惑に乗る事にした。


「真実って…何ですか…?」


 そんな悩んだ末の決断にベルゼブブは再び邪悪な笑みを浮かべるけど、もう後戻りは出来ない。


『悪魔に真実を求めるか。まぁ良い、お前にも知る権利はあるはずだ。そして思い出せ、己の役目を』


 そう前置きをしてから淡々と紡がれる物語。それは聞いたところでとてもじゃないけど信じられない、受け入れ難い世界の…神のシナリオだった。

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