Episode63「記憶」

 アザゼルの銃口から巨大な光線が放たれた瞬間、それが開戦の合図となって俺達は弾けたように飛び出した。

 いつの間にか両腕とも大砲に変形していたアザゼルは絶え間無く光線を放ち、街はみるみるうちに焦土と化していく。

 しかし俺とて崩壊していく街中をただ逃げ回るだけではない。接続を深めた事で身体中に力が漲り、大剣に魔力を込め宙に浮かぶアザゼル目掛けて地上から思い切り振り抜く。

 当然物理的に当たる距離ではないが、剣先から迸る剣圧のような目に見える殺意の波動がアザゼルに襲い掛かる。大剣を振り抜いてから波動がアザゼルに届くまで時間にしてほんのコンマ数秒の出来事だったが、何故かアザゼルは大袈裟とも取れる程の動きで回避した。


「どうした、まさかビビってるのか?」


『知らないようだし教えてやるよ、俺達とあんたじゃ力の質がそもそも異なる』


「力の質?」


 こいつも俺も地獄に接続されている事から力の根源は同じはずだ。

 再びこちら目掛けて放たれた光線を飛び上がって回避すると同じ高度で対峙する。


『詳しくは知らんがあんたの力は俺達に似て非なる神の力…俺達にとって天敵と言える』


「つまり俺の力ならお前達を簡単に殺せる、と」


 宙を蹴り上げアザゼルに斬り掛かるが、これも大袈裟なぐらいの動作で身を翻し回避した。

 そこで浮遊力を失った俺は落下を開始するが、いくつもの蛇の顔が怯えた様子で俺を見下しているのが目に入った。

 どうやら俺が天敵というのは本当らしい。


『前にも言ったがお前は危険過ぎる。しかし…だからこそお前の力が必要だ』


 何を言っているのかよく分からないが、その言葉は以前にも聞き覚えがあった。


 あれはいつだったか?


 上空から降り注ぐ禍々しい光線を弾きながら着地するとそのまま駆け出し、雨のような攻撃を潜り抜けながら考える。


(確か…あの時か…?)


 教団本部でこいつらと戦った際、接続を深めて放った一撃がベリアルに致命傷を与えた時。その時にアザゼルが取った行動が思い返される。

 仲間意識なんてない連中だと思っていたがこいつはベリアルを庇い、ベリアルもまた再生する事なく姿を消すまで終始衰弱していた。

 その時にアザゼルは俺に向けて『お前は危険過ぎる』と言ったが、今になってようやく言葉の意味が分かった。

 恐らく俺の力は地獄に接続されていながらも何故かこいつらとは異質なものらしく、どういう訳か悪魔の再生能力を無効化するようだ。だから俺の一撃を受けたベリアルはその場で回復する事が無かった。そう考えるとアザゼルがこうして俺の攻撃を全力で回避しているのも納得がいく。

 しかしそれなら…あの時アザゼルは俺の接続先が地獄である事を知っていたのだろうか?

 気になった俺は足を止め屋根に登ると、尚も降り注ぐ光線を弾きながら声を張り上げた。


「おい! お前は俺の接続先が地獄だって知ってたのか!?


『いや、さっき思い出したところだ』


 思い出した?

 その言い回しに違和感を覚えたが俺は続けて疑問をぶつけてみる。


「俺の力の接続先は地獄で間違いないんだよな?」


『あぁ、だが今言った通りお前の力は俺達とは根本的に異なる、神の力だ』


「地獄に接続された神の力? 矛盾してるぞ」


『そうだ、お前という存在は矛盾だらけさ。だからお前は俺達にとって脅威であり救世主にも成り得る』


 そういえばこいつは先程俺の力が必要だと言っていたが、脅威と言いつつ救世主とは一体どういう事だろうか。


「…戯言だ」


 こいつらの救世主なんていくら金を積まれたってお断りだ。仮にエリスが人質に取られてもこいつらの軍門に下る事は有り得ない。

 そのぐらいはアザゼルなら分かりそうだが、どうにも無計画とも思えない。

 俺の意思に関係なく味方に取り込む方法…果たしてそんなものが存在するのか。もしあるのなら是非とも教えて頂きたいものだ。


『いつまでそうやって防御に徹してるんだ? お前さんには似合わないぜ』


「少しぐらい考えさせてくれよ」


『ただの荒くれ者に見えて中々、お前は頭がキレる。余計な詮索は止めて全力で来てくれよ』


 言葉を交わしながらもアザゼルは攻撃の手を緩める事なく防戦一方の均衡状態が続く。

 確かに奴の言う通りこのまま大人しくしているのは柄ではないし、今はこれ以上考えても仕方がないのかもしれない。ならば…


「…望み通り殺してやる」


 更に力を引き出すと周囲の黒い波動が色を濃くし、やがて手を出さずとも俺の周囲を纏う漆黒の闇はアザゼルの光線を飲み込むようにして消し去る。


『…流石だな、予想以上だ』


「予想を裏切るのは大好きなんだ」


『ははっ、それで良い。もっとだ…もっと深くへ堕ちろ』


「言われなくても…やってやるよ」


 再び飛び上がって接近するとアザゼルはすぐさま距離を置き遠距離から光線を放つが、その全てが闇に飲まれ俺に届く前に消滅する。

 まるで無敵になったようで気分が高揚し攻撃が単調になってしまうが、それでも直接手出しが出来ないアザゼルは逃げ惑いながらも光線を放ち続ける。

 圧倒的不利な状況でも諦めないその姿勢は敵ながら見事だとも思ったが、脳内は際限無く興奮しどんどん思考を放棄して殺し合いに没頭していく。

 千年以上に渡り肉体に刻み込まれた戦闘術は無意識下に於いても対象を殲滅しようと攻撃を繰り出す。底無しに溢れる力に身体が順応していくように、単調だった攻撃はやがて思考が停止しているにも関わらず鋭さを増していき、とうとう逃げ惑うアザゼルを大剣の切っ先が捉え始めた。

 どうやら予想通り俺の攻撃を受けると再生能力が無効となるようで、アザゼルの醜悪な巨躯には幾つもの傷が刻まれていく。


『はははっ! これじゃどっちが悪魔か分からないな!』


「黙れ」


 アザゼルの肩口に切っ先が食い込み、そのまま大剣を振り抜くと肉を切り裂く手応えがはっきりと感じ取れる。

 しかしまだだ、この程度じゃ俺の空腹は満たせない。狂気と共に瘴気が増し更なる深みへ堕ちていく。


 アザゼルを殺すーーー


 それだけが脳を支配し、求めるがままに接続を深め力を引き出し続ける。そこにかつて感じた接続への恐れは一切無く、寧ろ心地良い懐かしさと如何ともし難い快感が身体中を満たしていた。

 しかし俺は気付いていなかった。全てがルシファーの思惑通りに進み、地獄の闇が俺を飲み込み始めていた事に。


『良いぞ…良いぞっ! もっとだ! もっとお前の本気を見せてくれ! 堕ちろ戦神マルス!』


「おおぉぉぉっ!」


 それは初めから病魔のように俺の中で息を潜めており、緩やかに進む侵食に気付いていなかった。

 いつからか俺の背には見覚えのない漆黒の翼が生え、宙を浮かんだまま戦っていた。そんな異変にさえ気付けない程、闇という病魔は急激に俺の肉体を、精神を蝕み始めていた。憎むべきは己を蝕まんとする闇に気付かず、ただ力に溺れ行く未熟な自分だろう。

 …それこそ神が戦神マルスに下した真の罰の始まり。


「殺してやる…壊してやる…」


 肉体を突き破らんとする溢れんばかりの力に酔い、暴虐心に突き動かされるまま目の前の敵を何度も斬り付ける。

 狂乱状態と化した俺は何時からか本能のままに暴れ続けていた。気が付けばアザゼルの十四あった蛇頭は半分以上が失われ、残った蛇の首が行き場を失ったようにウネウネと蠢いている。三十二枚あった翼は一枚残らず全て削ぎ落とされ、血塗れの堕天使は無様に地を這う蛇と成り果てていた。


『く…ははは…そうだ…。あの時に見たあんたも今と同じ…狂気と悲壮に塗れた顔をしてたな…。あれからどれだけの時間が経っただろうか…もう一度会いたい、そして殺し合ってみたい…ようやく…最期に願いが叶った…』


 アザゼルは膝を立て口元から血を流しながらブツブツと呟くが、爬虫類のような目に憎しみや恐怖の色は無く、寧ろ愉快そうに輝いていた。

 その姿を宙で見下ろしながら地表から殺意の棘を突き出させるとそれはアザゼルの肩口を貫き、巨大な大砲と化した右腕がドサリと音を立てながら落ちる。そしてアザゼルは落ちた右腕が黒いもやに包まれ消滅していく様を呆然と見やりながら力無く仰向けに倒れ込んだ。


『なぁマルス…あんたは初めて会った時の事を覚えているか?』


「………」


 その問いに答えず、無言のまま記憶を巡らせるとエリスと殺し合っていたゼファーの姿が思い浮かんだ。しかしそれを察したのかアザゼルは苦笑いを浮かべながら頭を横に振る。


『あぁ…そうだよな…堕天する天使の面なんていちいち覚えてる訳ないよなぁ…』


 そう言うアザゼルの表情は何処か寂しげで、遠い日の記憶に思いを馳せるように静かに目を閉じた。




 かつてアザゼルは神に仕える天使であり、神に命ぜられて地上の人間を監視する見張りの者達エグレーゴロイの一人であった。

 しかしアザゼルら見張りの者達エグレーゴロイは人間を監視する役割であったにも関わらず、人間の娘の美しさに魅惑され妻に娶るという禁を犯してしまう。そしてアザゼル達は地上で人間に剣や盾など武具の作り方、金属の加工や眉毛の手入れ、染料についての知識を授け、人類の文化向上に貢献した。

 それに対して機嫌を損ねた神はガブリエルに命じ、新たに人類より生まれた禁忌の巨人、ネフィリムを殺し合わせ世界を崩壊させる。そしてラファエルに命じてアザゼル等、見張りの者達エグレーゴロイを縛らせダドエルの穴に放り込んだ。

 そうして罪に問われたアザゼル達は穴の中で審判の日を待っていた。


(あぁ、何とつまらない世界なんだ)


 ダドエルの穴に閉じ込められ、来たる罰に怯える見張りの者達エグレーゴロイの中でアザゼルはそんな事を考えていた。

 人間に知識や力を与えた事が神の意志に背く事は百も承知であった。しかし人間が未知の知識に触れ喜んでいたのと同様に、人間の妻を娶り共に過ごした経験はアザゼルにもまた未知の刺激と喜びを与えていた。

 天使では決して味わえない生への喜び、渇望。それは人間のみが味わえる特権。それらを知ってしまったアザゼルには天上の世界が酷くつまらないものに映っていた。

 きっと自分はこれから天上を追放され堕天するだろう。しかし悔いはない、寧ろ堕天する事で見える新たな世界を思うと胸が踊る。

 そんな事を考えて過ごしていたある日、アザゼルの元に天の書記メタトロンが現れ告げた。


『アザゼルよ、お前はもう二度と平安を得る事は出来ない。お前を地上に縛ってしまえという厳しい判決が下された。お前には赦免も休息も与えられない。お前が不義を教え、人々に不信と不義と罪の仕業を示したからだ』


 何故自分だけが、という疑問より先にアザゼルは地上に縛られるという判決に喜びを隠せなかった。そして気付いてしまった、自分だけ先に判決が下されたのは自分だけが人に近付き過ぎてしまったからなのだと。

 淡々と告げるメタトロンに他の見張りの者達エグレーゴロイは恐れ慄き、エノクに赦免を得る為の嘆願書を書いて神の前で読んでもらおうとする。その傍らで既に判決が下されたアザゼルは一人笑いを堪え切れずにはいられなかった。

 そして罰が下される前日、ダドエルの穴に新たな咎人が閉じ込められた。咎人である男はアザゼル等、見張りの者達エグレーゴロイとは明らかに異なる遥か頭上にあるはずの高貴な存在であると誰もが一目で理解する。故にその場にいた誰もが新たな咎人に畏怖し固まっていたが、アザゼルだけは違った。


「よう、新入りさんかい」


 まるで親密な人間同士で交わすような不遜な態度で声を掛けるアザゼルに男は黙して何も答えない。

 本来なら声を掛けるどころか近付く事すら許されない存在に他の者達は狭い穴の隅で固まり震えるが、アザゼルは構わずに続けた。


「あんた…良い目をしてるな。此処に来たのも納得行く」


 男は天使よりも上位の存在である神の一人だったが、その目には明確な感情が映っていた。それは慈愛などの人間にとって善とされるものではない、殺意や憎悪…人間にとって悪とされるものだ。

 そもそも天上の存在に人間のような感情は無いし、芽生えたとしてもそれは凡そ負の情念とは掛け離れているはず。この男に一体何があったのか、同じく感情を有する者としてアザゼルは気になって仕方がなかった。


「そう怖い顔するなよ、同じ罪人同士仲良くしようぜ。と言っても明朝に俺達は居なくなるけどな」


 そう言っておどけて見せると驚いた事にそれまで沈黙していた男は微かな笑みを浮かべた。


「…愉快な奴だ、名は何と言う?」


「はははっ、俺は見張りの者達エグレーゴロイの一人だったアザゼルだ。あんたは?」


「…マルスだ」


「マルス…マルスってまさかあの戦神か?」


「お前と同じく元、だ。今は裁きを待つただの罪人だ」


 そう言って自嘲するマルスの表情にはアザゼルと同じく後悔は見えないものの、今後待ち受けるであろう罰を楽しみにしているようには見えない。その目の奥底からは黒い怨念が確かに感じられた。


「暗いねぇ。なぁ、こういう時にヒトがどうするか知ってるかい?」


「いや…」


「残念ながら此処にはないけどな、こうやって…酒を飲むのさ」


 そう言ってアザゼルは人間と同じように盃を傾ける動作を見せる。それを見てマルスはあぁ成る程と頷いた。


「ヒトってのは実に面白いんだ。だから俺は地上に縛られても悔いはない。何たってヒトに近付けるんだからな」


「そうか…お前は…」


 マルスは何かを考えるような素振りを見せしばし沈黙すると、険しい表情のまま口元を釣り上げた。


「…もし地上で会った時は、ヒトのように酒とやらを酌み交わそう」


「あぁ! その時は戦神の力ってのも味合わせてくれよ」


「命知らずな奴だな」


 未だかつて戦神であるマルスに勝負を挑もうとした者はいなかった。それは純粋な武力による戦いであれば何人も勝てないからである。

 しかしこうして勝てる見込みのない勝負を挑むアザゼルはマルスにとって新鮮であり、興味深い存在だった。


「へへ、きっとあんたもそれなりに楽しめると思うぜ?」


「そうか、ならば楽しみにしているぞアザゼルよ」


 強張っていたマルスの表情は徐々に打ち解け、かつての戦神を彷彿とさせる朗らかな笑顔を浮かべる。それを見てアザゼルは他者を喜ばせる行為に言いようのない感慨を覚えた。


「よし、これであんたの本気をこの身で味わうまで死ぬ訳にはいかなくなったな」


「あぁ、お前は必ず俺が滅ぼそう」


「お、おう…そいつは身に余る光栄だ…」


 もし人間になれず、永遠に地上に繋がれ生き地獄を味わおうとも、きっとこの男なら全てを終わらせてくれる。自分を殺すのは死神などではない、この戦神だ。この時アザゼルはそんな確信めいた予感を覚えていた。


 翌朝になるとアザゼルは天使に連れられ地上へ堕ちる。

 地上に繋がれたとは言え地上に干渉する事は許されておらず、出来る事はただ地を這い蹲る蛇のようにただ世界を傍観するだけ。そんな退屈そうな日々も悪くない、始めの頃はそう思っていた。

 しかしそんな日々を過ごしていると何の前触れも無く堕天使ルシファーが目の前に現れ、かつてのメタトロンのように淡々と告げた。


『ヒトを救おう』


 不思議とルシファーの言葉に疑念は持たず、寧ろ感謝すら覚えた。

 アザゼルはヒトに何の手出しも出来ず、何の役にも立てない事がもどかしく思い苦しんでいた。そうして指を咥えて地上を傍観し続けた結果、アザゼルはある結論に至る。

 世界は悲しみに満ち溢れている。神を信じ崇敬し、日々を真面目に生きている者が平然と命を奪われている世界が正しいのか、これが平等な命と言えようか。間違っているのは堕天した自分ではなかった、ヒトの事を真に考えているのは神ではなかった。ヒトの世に真なる福音をもたらすには、世界を、ヒトを、神の呪縛から解き放たなければならない。

 その為の道標が今まさに目の前で手招きをしている。ルシファーの存在を知らない訳ではない、かつてはアザゼルも彼を討たんと戦った事があった。

 今にしてみれば果たして正しいのはどちらだったのか、その答えは出そうにない。ただ一つ、自我を持った自分が今何をしたいのか、その答えは明白だった。


「ヒトの為なら悪魔でも何でも喜んでなろうじゃないか」


 差し出された手を握り返した瞬間、アザゼルは地上よりも遥か深く、昏い闇の底へと堕ち、堕天使アザゼルとして新たな道を歩み出した。




 目を閉じたまま無言でいたアザゼルは何かを覚悟した表情を浮かべるとこちらをじっと見上げてくる。


『…俺の役目は終わった。好きにしろよ』


 そう言うアザゼルに絶望の色は無く、何故か愉しそうに笑っていた。


『あぁ、でもなぁ…』


 最後の力も尽きたのかアザゼルは身体中から黒いもやを噴き出しながら人の姿へ変化するが、その顔面の半分は鈍器で何度も叩き潰されたように歪み激しく損傷していた。加えてたった今落とされた右腕も再生する事はなく、人間ならばまだ生きているのが不思議なぐらいの状態だ。


「次に目を覚ましたら…今度こそヒトになって…あんたと酒を飲みたいなぁ…」


「………」


 大の字になって暗澹たる空を見上げる隻眼は虚ろで何が見えているのかは分からないが、少なくとも悲しみの色は無い。


「あぁそうだ…最期に一つだけ頼む。セリアに…すまなかったと伝えてくれ」


 そう言って満足気な表情を浮かべるアザゼルに胸がざわつき、急降下し首に大剣を突き立てると分離した頭部が転がり黒いもやに包まれ消滅した。


「あぁ…分かったよ」


 不意に覚えた違和感の正体が何なのか最早思考すら出来なくなっていたが、口を突いてそんな呟きが漏れた。

 ふと月を見上げると胸に残っていたのは空虚。この感覚には覚えがある。

 気が遠くなる程の歳月。常に戦場と共にあったが、何時だって戦いの果てに待っていたのは空虚。そこに疑念を持った事が無かったのは俺が戦神であり、戦いこそが存在意義だったから。その為に俺は創造された。しかしそんな俺の存在意義を脅かし、揺るがせた者がいた。それは誰だったか?


「…エリス」


 そうだ、あいつが俺をおかしくさせた。そしてあいつをおかしくしたのは俺。俺達はお互い神であるにも関わらず禁じられた感情を抱き、とうとう踏み越えてしまったのだ。


(何だ…そりゃ…)


 俺は何故急にそんな事を考えているのか?

 アザゼルを殺したばかりだと言うのにエリスのアホの事を考えて感傷に浸るとは、これでは殺されたあいつも浮かばれないだろう。

 接続し過ぎて頭がイかれたかと思ったが、どうもそういう訳ではないらしい。アザゼルの最期の姿に触発されたのか何かを思い出せそうだった。


「あ…あぁ…」


 その時、頭に断片的な記憶が突然過ぎり始めると耳鳴りと共に激しい頭痛が襲い掛かってきた。


「がぁっ…! 」


 何度も経験した頭痛だが今回は今まで以上に酷く、堪らずに膝を突く。すると鮮明な記憶の映像がバラバラのピースのように頭を駆け巡り始めた。


『マルス…いつまでもあなたと共に…』


 穏やかな笑みを浮かべたエリス。


『ごめんなさい…マルス…』


 天使達に捕らえられ連行されるエリス。


『よう、新入りかい』


 とても天使とは思えない馴れ馴れしい奴。


『お前達には罰を与える』


 懐かしき父の声。


『愛する者同士、殺し合ってもらおう』


 胸を支配する抑えきれない殺意と憎悪。


『次は地上で逢瀬を重ねよ。罰に耐え得るか、運命に抗えるか、人であるか、神であるか、答えを示せ』


 その言葉を最後に記憶の映像が途絶える。

 その直後、身体を侵食していた闇が暴走を始めたように勢いを増して俺を一気に飲み込み始めた。


「ぐがあぁぁぁっっ!」


 身を突き破らん程の殺意と憎悪が急速に膨れ上がり、感じた事のない激痛が全身を支配する。


「ぎっ…ぐぁっ…! ク…ソ…っ…!」


 俺からエリスを、仲間を奪ったのは誰だ。

 俺の愛するエリスを壊したのは誰だ。


『何度生まれ変わっても…また一緒に…。だから…待っていて下さい…』


 そう言って微笑むあいつの首を…斬り落としたのは…!


「神だった」


 不意に背後から聞いた事のない声が届くが、激痛のせいで振り返る事すら出来ない。しかしどういう訳か俺は声の主を知っていた。


「テ…メェは…!」


「抗う必要は無い、今こそ君は君の役目を果たすべきだ」


 透き通りよく耳に入ってくる凛とした声は記憶にある絶対者と同じ、畏怖にも似た威厳が感じられる。だが知的で優美な印象を醸し出していても、その根底にあるのは禍々しい狂気と憎悪。

 間違いない、こいつこそ悪魔界の頂点に君臨する魔王…堕天使ルシファーだ。


「深淵の闇へようこそマルス、いやレヒト。これで君は君が探し求めていた答えに至れる」


「だ…まれ…!」


「君は探していた、己が何者なのかと」


「消えろ…悪魔がっ…!」


「悪魔、それは君もまた同じ事。私達は悪魔であり神である矛盾した存在」


 激しい頭痛でまともに思考が出来ないというのに、こいつの言葉は嫌なぐらいにあっさりと入ってくる。


「故に私は君を歓迎する。例えこれが神に仕組み与えられた狡猾な罠だとしても」


 悪魔の戯言など聞くな。闇に飲み込まれてなるものか。


「俺は…俺だ…っ!」


 神だのマルスだの知った事ではない、俺は殺し屋レヒトだ。そんな連中に好き勝手にされるなんて御免被る。


「私は君の罪を、罰を識っている。そして怒り、憎しみ、悲しみも知っている」


「黙れ…って…言ってる…だろ…!」


 いよいよ激痛に耐えられずその場で仰向けに倒れ込むとようやくルシファーの面が拝めた。

 男のようであり、女のように端正に整った美しい顔立ち。当然見覚えなんてないが、冷たく空虚な瞳は全てを悟った賢者のように、言葉無くとも雄弁にありとあらゆるものの悲しみを代弁していた。


「鎖を断ち切るのだ、今こそ目覚めの刻」


 表情を変えずに一歩近寄るとルシファーは流麗な動きで膝を突いて俺の額に手を添える。いちいち所作に品があり鼻に突く野郎だ。


「深淵の闇に眠っていた君を返そう、そしてマルスでもレヒトでもない、新たな己の意思で枷を解き放て」


「やめ…ろ…! この…クソ野郎…!」


 敵の親玉であるルシファーが今まさに手の届く距離にいる。殺すなら絶好のチャンスだ。


(動…けぇっ…!)


 しかし大剣を掴もうと必死に手を伸ばすものの、肉体が既に闇に侵食され支配されたのか微動だにしなかった。そんな俺を哀れむような、慈しむような目で見詰めたままルシファーは呟く。


「目覚めよ、魔神」


 その瞬間に視界が眩い光に覆われ、吸い込まれるように俺の意識は肉体から引き剥がされた。

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