第15章 魔神覚醒 ―Recht Side―

Episode62「因縁」

 ツォアリスを出てからしばらく先頭を走っていると巨大なゲートと高く聳え立つ外壁が見えてくる。そこで上空を飛行するエリスが突然大声を上げた。


「レヒトー! 死んじゃ駄目ですよー!」


「誰に言ってやがる、自分の心配でもしてろ」


 気持ち良さそうに滑空しているエリスだが、その飛行速度は予想以上に早かった。以前に長時間の飛行は筋肉痛になるから無理とかほざいていた割にはツォアリスを出てから此処まで一度も着地すること無く飛行している。その辺の事情をじっくり時間を掛けて問い詰めたいところだが、残念ながら今はそんな事をしている場合ではない。


「翼か…ちょっとだけ羨ましいわね」


 隣を走るセリアが俺にだけ聞こえる声量で呟く。

 夜空を優雅に舞うエリスに向けられた羨望の眼差しを見ていると二人の確執は完全に取り除かれたと考えて良さそうだ。


「昔から誰もが抱く夢だからな」


「同じ神の一人として思うところはないの?」


「…別に」


 痛い所を突かれるが、本音を言えば凄まじく悔しい。現に俺はシオンと二人でセインガルドに潜入した際、恥ずかしながら飛ぼうとした事もある。ただそんな恥ずかしい過去を明かす訳にもいかず、ぶっきらぼうに答えるとセリアは微かに笑みを零した。


「ふふっ…あなたって意外と分かり易いわね」


「…仕方ないだろ、あんなの誰もが羨むに決まってる」


「二人共、私をジロジロ見てどうしました?」


 二人でこそこそと話しているのが気になったのか、エリスは高度を落として俺達の間に割って入る。

 それに対してセリアは意外にも機嫌の良さそうな、少し勝ち誇ったような笑顔で答えた。


「何でもないわよ」


「むー…? はっ、まさか…!?」


 すると何を勘違いしたのか顔を真っ赤にしたエリスはスカートの裾を押さえつけると凄まじい速度で垂直に飛び上がる。


「うわぁぁぁぁー!」


 絶叫しながら上昇していくエリス。相変わらず理解不能な奇行に唖然としているとエリスは上空で反転し俺達の後方に続くヴァンパイア達へ向けて叫んだ。


「もしかして見えてましたか!? 見ちゃいましたかぁー!?」


 しかし全員エリスの叫びが聞き取れていないのか、或いは意味が分からないのか、各々顔を見合わせ戸惑っている様子だ。こんな馬鹿を愛してしまった自分を呪いたくなると同時に激しい頭痛が襲ってくる。


「見えてないし見たくもないからちゃんと前を見て飛べ馬鹿野郎」


 いくら夜目が利くからといって後方のヴァンパイアが先の上空を飛ぶエリスのパンツまで見えるはずがない。そもそもそんな物を見たがる物好きがいるとも思えない。すると今度はセリアも何を勘違いしたのかとんでもない事を口走った。


「もしかして嫉妬してる?」


「何でそうなるんだよ…」


「他の男に彼女の下着を見られたら嫌でしょ?」


「あぁうん、そうかもな、普通ならな」


 だがあいつは普通じゃない、そしてガキだ。ガキのパンツを見て欲情するような奴がいたらそいつは間違いなく変態だ。


「ん…?」


 そこで俺はある事実に気付き、その瞬間激しい自己嫌悪に襲われ額から一筋の冷たい汗が流れる。

 …その普通じゃないガキに欲情して性行為に至った馬鹿は何処のどいつだ?

 言うまでもない、この俺だ。


「あ…あぁぁ…俺は…俺は…」


 認めたくない、あれは一夜の過ちということで水に流してしまいたい。

 だってそうだろう。勝手に勘違いをしたかと思ったら今度は身悶えながら夜空を超高速でグルグルと旋回する女だぞ?

 そんな奴の恋人が自分であると思うと泣き出したくなるが、涙を堪えて前を向き走る。そうだ、今の俺は前に進むしかないんだ。そう自分に言い聞かせていると何度目か分からないセリアの汚物を見るような冷たい視線が突き刺さった。


「…ロリコン」


 その一言はトドメを刺すように俺の胸の奥深くを抉り、思わず頭を掻きむしって叫びたくなる。しかしあいつを愛してしまった事は厳然たる事実であり、しかも避妊せずにやってしまった。相手が人間なら妊娠は有り得ないが、今回の相手は女神…絶対に子供が出来ないという保証はない。そうなると男として責任を取らざるを得ないだろう。それにいつまでも目を背けていても男が廃るというものだ。


「おいエリス!」


「何ですか!? 見たいって言っても見せてあげませんよ!?」


 こいつはこいつでまだ勘違いしているようだが、覚悟を決めるとヤケクソ気味に大声で叫んだ。


「全部終わらせたら一日中セッ○スするぞ!」


「…へ?」


「…うわぁ」


 意味が分からずきょとんとしたエリスと、恐怖と不快感を露わにするセリア。そして後方を一瞥するとヴァンパイア軍団の誰もがケダモノを見るような視線をこちらに向けていた。

 しかし俺は狂乱したように構わず続ける。


「だから絶対に死ぬな! 勝手に死ぬ事は俺が許さん!」


 叫びながら一気に加速すると一瞬で魔力を高め、大剣を構えたまま目の前に現れたゲートへ飛び込んだ。


「行くぞオラァッ!」


 魔力を込めた大剣を全力で振るうとゲートは一瞬で粉砕され、外壁には巨大な穴が開く。突進の勢いは衰えず、飛散する瓦礫を身体に浴びながら続け様に内部のゲートを破壊すると着地した俺はすっきりした気分で振り返った。


「ふ、悪くない眺めだ」


 粉塵が巻き起こる中、南D地区の外壁には見通しの良い大穴が開き、これなら住民が大勢雪崩れ込んでもすんなり外へ出れるだろう。

 大剣を鞘に収め後続の到着を待っているとげんなりした表情のセリアが小走りでやって来る。


「信じられない…こんな男に告白した自分を呪うわ…」


「ははは、戦いは始まったばかりだぞ。気を抜くなよ」


「はぁ………」


 何事も無かったようにずんずんと前へ進むとセリアはそれ以上突っ込むのを諦めたのか黙って後をついてくる。


(そうだ…これで良い…)


 何か大切なものを失ってしまった気がするが、これで後戻りは出来なくなった。過ぎた事をいつまでもウダウダ考えるのは性に合わないし、いっそ開き直ってしまった方が楽だろう。…そうであって欲しい。

 気を取り直したセリアは胸を張って歩く俺の横に並ぶと真剣な表情で周囲を見渡した。


「…随分といるようね」


「あぁ、案の定お祭り騒ぎだな」


 ふと立ち止まり二人で改めて辺りを見渡すとそこら中に悪魔は蔓延っており、襲われている住民の叫びに混じって不快な悪魔の嗤い声が響き渡っていた。

 大剣ではなく腰に装備していた双剣を引き抜いて首を鳴らすと、横でセリアが銃のスライドを引きながら意外そうな顔で俺の握る双剣を見詰めていた。わざわざ双剣を使う説明するのは面倒なので省略するが、雑魚相手なら無料で手に入れた双剣で事足りるという訳だ。


「さて、まずはゴミ掃除だ」


「どっちが先にたくさん片付けられるか勝負する? 負けた方は勝った方の言う事を一つだけ聞くの」


「良いぜ、その賭け乗った」


 その時、セリアの頭上から悪魔が飛び出すが、セリアは振り返らずに銃を一閃させると悪魔は綺麗に眉間を撃ち抜かれ消滅した。


「あら、本当に良いの? あなたの場合負けた時のリスクはかなり高いわよ」


 何事も無かったようにやり取りを続けていると今度は俺の背後から一直線に悪魔が突っ込んでくるのを感じ取る。しかし俺は振り返らずに悪魔の顔面に剣の柄を叩き込むと悪魔は勢い良く後方に吹き飛びながら消滅した。


「負けなきゃ問題ないだろ」


「フった女を言いなりにしようなんてホント最低の男」


「おい待て、賭けを持ちかけてきたのはそっちだろう」


 何故俺が責められているのか分からないが、言い合いをしている間に周囲を大量の悪魔が取り囲んでいた。しかしそんな事は意に介さず俺達は話を続ける。


「まぁ良いわ、勝負に乗った事を後悔させてあげる」


「はっ、そりゃこっちの台詞だ」


 互いに口元を釣り上げると、そこで堰を切ったように悪魔が一斉に襲い掛かってきた。

 俺達は一瞬でその場から飛び退き、セリアは曲芸のように宙で上下左右に身体を旋回させながら四方八方に銃弾を散らせる。その狙いは見事なもので、一発一発を正確無比に悪魔の眉間に叩き込み一瞬にして十以上の悪魔を撃破していた。


「やるじゃないか、流石は元王室騎士団」


 セリアの攻撃を見届け振り返ると、そこには視界を覆わんばかりの悪魔の軍団がこちら目掛けて飛び掛かっていた。俺は体を翻しながら双剣を交差させると一撃で視界に入る悪魔全てを消滅させ、包囲網を抜けると宙を蹴り上げ残る群れの中心へ自ら飛び込んだ。


「どうした、悪魔でも恐怖を感じるのか?」


 悪魔は大小様々な大きさをしており、形状も人型だったり獣型だったりとバリエーションに富んでいるが、そのどれもが目に見えて恐怖に竦んでいる。


「安心しろ、すぐに地獄へ還してやる」


 手の届く範囲の悪魔を目にも留まらぬ速さで次々と斬り裂き、離れた場所にいる悪魔は双剣の一本をブーメランのように投げ付け処理する。

 撃破された悪魔は黒いもやを放ちながら消滅し、ほんの数秒で辺り一面は大量のもやで出来た霧に包まれるが、視界が悪くても悪魔の気配は実に分かり易く霧の中でも手を休めずに悪魔を葬っていく。

 ほんの数秒で周囲に感じる悪魔の気配を残らず刈り取り、血払いするように双剣を振る。その剣圧で霧が晴れると先程立っていた場所ではセリアが涼しげな顔で銃を腰に収めていた。


「引き分け…かしら?」


「あぁ、賭けは無効だな」


 律儀にもお互い相手の撃破数もしっかりとカウントしていたが相違はなかった。

 少し悔しさを覚えたが万が一にもセリアが勝ってみろ、それこそ何を言われるか分かったものじゃない。しかし胸を撫で下ろし双剣を鞘に収めた瞬間、突然セリアが銃を抜き発砲する。まさかと振り返ると俺の頬を掠めた弾丸は遥か後方にいた悪魔を木っ端微塵に粉砕し黒いもやを残していた。


「残念、私の逆転勝ちよ」


「嘘だろおい…」


 慌てて周辺を見渡すが目に見える範囲に悪魔は一体も残っておらず、怯えた様子の住民がこちらを見て震えていた。


「マジかよ…」


「ふふん、私を侮るからよ」


 心底嬉しそうな笑みを浮かべるセリアが不覚にも可愛いと思ってしまう。

 普通の男ならこんな可愛い女の命令なんて一つや二つ聞いてやっても良いと思えるかもしれないが、その笑顔の裏に潜む狂気を知った今では素直に喜ぶ事は出来なかった。


「賭けを反故にする?」


「…男に二言はない」


「ふふ、それじゃ何を命令するか考えておくわね」


 そう言うセリアは今にもスキップをしそうな程に上機嫌だが、後で何を言われるのかと思うと気が気でなかった。


「…とりあえず周辺の悪魔は一掃したようだし行くぞ」


 それからC地区へのゲートを目指している道中、何体かの生き残った悪魔が散見されたがその殆どはセリアの目にも止まらない早撃ちで一瞬で葬られていく。

 住民の避難誘導は後続でやってきたヴァンパイアと既に潜伏していたヴァンパイアが協力し、然程の混乱も無く順調に進んでいた。ヴァンパイアを見て混乱を来す可能性も考えていたが、南側とは言え流石はD地区とでも言おうか。ヴァンパイアを見ても驚く様子はなく、反抗する連中が多少はいたものの住民の殆どが中心部へ向かう俺達とは逆方向の破壊したゲート目掛けて素直に走っていく。

 逃げる人波を掻き分けるようにして進んでいるとC地区のゲートには大した問題もなくあっさりと辿り着けたが、此処まで歩いてきて俺の中には妙な違和感が消えずに残っていた。それに気付いたセリアは不思議そうな顔で尋ねてくる。


「どうかしたの?」


「…悪魔しかいなかったな」


「それは当たり前でしょ?」


 そう、確かに当たり前の話だ。しかし此処はD地区…それを踏まえると素直には頷けない。

 違和感の正体は分かっている。これまで擦れ違った住民の中に蛇の首の団員らしき人間が一人もいなかった。ヴァンパイアの避難誘導を挑発し抵抗するような輩はいたものの、そのどれもがただのキ○ガイだ。蛇の首が俺の想像通りの連中なら悪魔を前にして素直に尻尾を巻いて逃げたとはどうしても思えなかった。


「…まぁいいか」


 とは言え蛇の首がどうなろうと俺の知った事ではないし、何かを企んでいたとしても所詮は取るに足らない烏合の衆だ。そんな連中の事で気を揉むのも馬鹿らしい。

 C地区のゲートを前にして気を取り直していると、横ではセリアが魔力を高め銃に込めていた。何を始めるのかと思っていると強力な魔力が凝縮された銃弾は巨大な光球となって射出され、まるで全てを飲み込むように一瞬でゲートの先までを溶かし巨大な空洞を作り上げる。


「わーお、こんな使い方もあるのか」


「言ったでしょう、銃弾は全て私の魔力から作られている。つまり魔力の使い方次第ではこういう銃弾も生成出来るのよ」


 そうは言うがかなりの魔力を消耗したのだろう。たった一発で顔には疲労の色が浮かび、体内の魔力は目に見えて減少している。


「こんなの俺に任せておけばいいだろうに」


「レヒトには時が来るまで出来る限り力を温存していて欲しいの」


 俺の接続先が地獄である事はまだ誰にも知られていないはずだが、セリアも俺が力を行使し続けたらどうなるかと懸念しているようだ。その結果がどうなるのかは俺も未だに想像がつかないものの、接続先が地獄という点で嫌な予感しかしない。それでもこの戦いを力を使わずに乗り切る事は不可能に近いだろう。


「…任せておけ」


 そんな不安を悟られたくない俺はそう言う他なかった。とにかく今はセリアの言う通り、来る時に備えて魔力の使用、接続は控えた方が良さそうだ。

 セリアの心遣いに内心で感謝しながらC地区内に足を踏み入れるとそのまま二人で駆け出す。しかししばらくした所で逸早く妙な視線に気付いた俺は足を止めた。


「今度はどうしたのよ?」


 どうやら相手は正体を隠すつもりがないらしい。待っていたと言わんばかりに明確な殺意を俺にのみ注いでいる。


(やる気満々だな)


 この懐かしさすら覚える禍々しい魔力…間違いなく奴が近くにいる。幸か不幸か、セリアはその存在にはまだ気が付いていない様子だ。周囲を警戒しつつセリアに耳打ちする。


「先に行け、お前にしか頼めない頼みがある」


「な、何よ急に…?」


「セインガルド中の兵士に避難勧告の協力を伝達してくれ」


「ちょっと…そんな話聞いてないわよ?」


「頼む、兵団の中枢である王室騎士団を動かせるのはお前しかいない」


 実はギリギリまで様子を伺ってから決断を下そうと考えていた為、誰にもその計画は話していなかった。元よりセリアには王室騎士団を動かしてもらう算段を立てており、俺がセリアを伴って南D地区に侵攻したのはそれが理由だ。

 ヴァンパイアの献身的な協力は大いに助かっているが、どうしても逃げ遅れる人や素直に誘導に従わない連中がいる。そんな奴等は見殺しにしてやりたいところだが、一応救うと言った手前そんな中途半端な真似をするのは俺の流儀に反する。

 そうなると住民を一人でも多く救うにはセインガルドの兵士が頼みの綱だった。もしセインガルドの兵士を味方に取り込めれば悪魔と交戦して死ぬような、無意味な死人を極力出さずに済むだろう。そして国民も自国の兵士による避難誘導なら今より大くの者が円滑に避難出来ると考えていた。

 その辺りの事情を掻い摘んで伝えるとセリアはすぐに理解はしたものの、やはり俺を残して一人戦闘から離脱するのは納得がいかないらしく、複雑な表情で俊巡していた。


「お前の気持ちは十分理解してる。それでも今は頼む」


 俺にしては珍しく真剣な表情で頭を下げるとセリアは溜め息を吐きながらようやく銃を腰に収めた。


「…分かったわ、全兵士に通達させる。それが終わったらすぐに戻るけど…それで良いわね?」


「あぁ、道中の悪魔は無視して構わない。とにかく急いでくれ」


 セリアはコクリと頷くと体を翻すが、その場で足を止めたまま俯きながらこちらへ振り返る。


「…ねぇ、さっきの賭けの報酬、今言ってもいい?」


「何だよ?」


「生きて帰ったら…またデートして欲しい」


 そう言うセリアの声は何処か不安混じりで、表情は伺えないがそれはまるで今生の別れの言葉のように感じられた。しかしこれは終わりなんかではない。


「…お安い御用だ」


 この戦いが終わればこいつはようやく新しい人生を歩み出せるのだ。以前に人生の目標になってやると言ったからにはこいつの未来を邪魔する奴は俺が排除してやる。その後で新たな門出の祝福としてデートぐらいは付き合っても良いだろう。きっとそれぐらいならエリスも許してくれるはず…そう思いたい。

 俺の返事を聞くとセリアは笑顔を見せ、今度はしっかりとした足取りで走り出すとその背中はすぐに見えなくなる。

 セリアの背を見送ると俺はその場から動かずに、先程から感じていた気配へ向けて声を掛けた。


「もういなくなったぞ、出て来いよ」


 その言葉を受けてそれまで隠れていた男が俺の背後に音も無く降り立つ。


 ようやく決着がつけられる。


 沸々と込み上げてきた殺意を押し殺しながら振り返るとそこに立っていたのは予想通りアザゼルだったが、何故かその表情には影が差していた。


「どうした、辛気臭い顔しやがって」


「何でセリアを逃がした?」


「逃がす? あいつが近くにいたんじゃお互い思う存分暴れられないだろ」


 こいつとセリアの間に込み入った事情があるのは分かっているが、その詳細は聞かされていないし興味もない。ただどんな事情があろうとこの男は此処で、この手で殺す。

 セリアをこの場から退散させる事が出来たのは結果的には好都合と言えるだろう。


「そうか…それもそうだな」


 納得したのか諦めたのか、アザゼルは一瞬悲しげな表情で俯くが、すぐさま怪しい笑みを浮かべる。


「一応感謝するぜ、これで心置きなくあんたを殺せる」


「気にするな、どうせお前は此処で死ぬ」


 互いに笑みを浮かべながら俺は背中の大剣に手を掛け、アザゼルは何もない空間から黒い銃を取り出す。

 一触即発の臨戦態勢が整い、周囲の空気が重く張り詰めていくのが肌で感じ取れた。


「来いよ蛇の首首領、ゼファー」


 それはこの世界に於いて仮初めの名かもしれない。しかし俺はこの戦いを戦神マルスと堕天使アザゼルとしてでなく、あくまでレヒトとゼファーとして純粋な殺し合いとして愉しみたい。どうやらその想いはゼファーも同じようだった。


「行くぜ、殺し屋レヒト」


 俺と対等に戦える奴は二千年間生きてきてこいつが初めてだ。そしてアザゼルからは堕天使らしからぬ人間らしさ、世界の理から外れていながらもヒトとして人生を謳歌したい…そんな想いが感じられる。そう考えると存外俺達は似た者同士なのかもしれない。

 きっと俺達は心から互いを憎み合っている訳ではない。ただ神の気まぐれか、遠い昔から殺し合う運命が約束されていたのだろう。

 もしこれが仕組まれた狡猾な罠だとしても神を恨む気はなく、寧ろこの男と全力で殺し合える事に感謝すら覚えた。


「さぁ、パーティーの始まりだ」


 四肢に力を込め飛び出そうとした瞬間、ゼファーが目にも止まらぬ速さで銃を一閃させる。咄嗟に横へ飛び回避するがその弾速は前回戦った時とは比べ物にならない速さだった。

 続け様にゼファーは銃を連射し俺の動きを捉えようとするが、生憎とこっちだって前回とは違う。大剣から手を離すと腰に刺した双剣を握り、ゼファーの銃弾を全て弾き返した。


「二刀流か、器用な奴だな」


「かっこいいだろ?」


 抑え込んでいた魔力を解き放ち殺意の棘を牽制で飛ばすとゼファーはそれを軽やかに回避し、俺達は堰を切ったように街中を縦横無尽に走りながら絶えず攻撃を繰り出し始めた。

 極力住民への被害が出ないよう屋根の上を移動し応戦するが、妙な事にゼファーは翼を仕舞ったまま飛ぶ事はせず、外れた攻撃は全て宙に消えていく。


「何だ、また出し惜しみか?」


「一人で飛んでもつまらないからな」


 わざわざこちらに合わせてくれるとはおめでたい奴だ。だがそれでこそ殺し甲斐があり、そこに真の愉しみが見出せる。同じ条件の元で相手を捩伏ねじふせる快感は想像に難くない。


「後悔させてやるよ」


「やれるもんならやってみやがれ」


 何本もの殺意の棘を飛ばすと、すかさずその後を追うようにして双剣を構えながら一気に飛び込む。

 ゼファーは見事殺意の棘全てを銃弾で弾き返すが、一瞬で懐に潜り込んだ俺は双剣を左右から一点へ叩き付ける。しかし攻撃が直撃する寸前でゼファーはいつの間にか握っていた漆黒の短剣で双剣を受け止めていた。


「効くねぇ…肩が外れるかと思ったぜ」


「安心しろ、肩どころか全身粉々にしてやる」


 軽口を叩くと上下左右から高速で双剣を振るい互いの得物が火花を散らしぶつかり合う。そんな中で一瞬生まれたゼファーの隙を見逃さずに顎へ蹴りを叩き込むと上空へ吹き飛ばす。


「良い夜だ」


 ゼファーの背後に大きく浮かぶ紅い月を見上げながらそんな感想を漏らすと、追撃を入れようと後を追って飛び上がり再び双剣を振るう。反転し態勢を整えたゼファーは短剣で俺の攻撃を受け流しながら至近距離で何度も銃弾を放つが、俺もまた銃口から弾道を読みながら体を捻り、ギリギリのところで銃弾を回避しながら絶えず双剣を振るい続ける。

 両者共に中々一撃が決まらずやがて重力に従って緩やかに落下を開始する。しかし落下しながらも攻撃の手は緩む事無く、地面に直撃する寸前で互いの得物を叩き付けると俺達の体は弾けたように後方へ吹き飛び、家屋を何軒も貫いてようやく制止した。

 体を起こし何事も無かったように砂埃と瓦礫が舞う中を進むと、同じく砂埃舞う向かい側から笑みを浮かべたゼファーがこちらへ歩み寄る。

 俺達なら一歩で手が届くという距離まで歩を進めるとどちらともなく立ち止まり笑みを交わした。


「そういえばお仲間はどうしたんだよ」


「あぁ、悪いがとうに避難させた。今頃は住民に紛れてシャディールへ向かってるだろうよ」


「成る程、通りで蛇の首の団員が一人も見当たらない訳だ」


 殺し合いの最中にも関わらず平然と会話を続けているが、お互い頭の中では一撃の下に葬ってやろうと隙を伺っている。その証拠にゼファーの目は今も殺意に満ち溢れているが、きっと俺も似たような目をしているだろう。


「意外と部下に優しいじゃないか」


「俺はこの世界が割と気に入ってるんでね。人間てのは面白いもんだ」


「癪だがその点に関して言えば同感だ」


「だから短い間だったが団員の連中には感謝してるし生きて欲しいとも思う」


「堕天使の台詞とは思えんな」


「そう言うあんたこそ、殺し屋にしては優し過ぎるんじゃないか?」


「余計な御世話だ」


 もしこいつが敵でなかったなら今頃は一緒に美味い酒でも飲み交わしていたかもしれない。そんな事を考えているといつの間にか俺達の周りを悪魔が囲んでいた。

 まさか罠か?

 一瞬その可能性が脳裏を過ぎったが、それはすぐに勘違いだったと思い知らされる。

 アザゼルがいる事で強気になっているのか、悪魔達は恐れる様子もなく一斉に襲い掛かってくるが、俺が動き出す前にゼファーはその場で銃を天に向け連射する。その行動の意図が読めずにいると上空に放たれた銃弾がまるで雨のように降り注ぎ、襲い来る悪魔全てを撃ち抜いてしまった。


「…どういうつもりだ?」


「どうもこうもない、あんたがセリアを逃がしたように俺も戦いの邪魔をされたくないだけだ」


 その言葉に嘘はないようで、仲間を皆殺しにしたにも関わらずその目は早く続きをやろうと催促している。


「あぁ、ついでに朗報だ。ようやくこの辺一帯の住民の避難も終わったようだぜ」


 言われて気配を探ると確かに周辺に住民の気配はまったく無い。それどころか悪魔も今現れたので全てだったのか辺りからは何の気配も感じられなくなっていた。

 どうやら気を遣わせてしまったようだ。これでセリアを逃がした借りはチャラと言えるだろう。


「さて、残念だが俺達の決着はヒトであろうとする限りつかないらしい」


「何だ、遊びはもう終わりか?」


 確かに今のままではいくら戦い続けても埒が明かない。やはりこいつを殺すには更なる接続が必要不可欠のようだ。


「本当はもっと愉しみたいがあまり悠長にしてもいられないんだよ」


 ゼファーはそれまで隠していた翼を一度羽ばたかせると宙に浮かび上がった。


「それにあんたを本気にさせる事が俺に与えられた最期の役目だ」


 その瞬間ゼファーの首から上が粉々に爆散し頭上から肉片と血が降り注ぐ。だが本性を現したアザゼルの肉体は何倍にも膨れ上がると、失われた首元から新たに二つの顔を持つ蛇頭が七つ、計十四の顔が生えていた。更に背中を突き破り、鮮血を散らせながら新たに現れた翼は十六対の計三十二枚となる。


「化け物め」


『褒め言葉として受け取っておくぜ。でもな…』


 真の姿を現したアザゼルは握っていた銃と腕を同化させると大砲のような腕を形成し、禍々しい銃口をこちらへ向けてきた。


『あんたも十分俺と同じ化け物さ、戦神マルス』


 どうやら宴はこれからが本番らしい。

 双剣を鞘に収めると大剣を引き抜き、こちらも接続を深め力を引き出す。


 接続先が地獄だろうと知った事か。

 今の俺には力が要る、闇を畏れるな。

 もっと深く、深淵の闇へと堕ちていけ。


 周囲に黒いもやが漂い始めるが、更に殺意という負の念を強めるとやがてもやは目に見えるはっきりとした波動となって足元を大きく窪ませる。

 頭上に浮かぶ月を背景にこちらへ銃口を向ける堕天使を睨み付けると俺は大剣を肩に乗せ口元を釣り上げた。


「…殺してやるよ、堕天使アザゼル」

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