Episode58「裏切りの魔神」

 全身を業火に灼かれながらベリアルの上半身が目の前に崩れ落ちるが、その表情には依然として焦りはなく、不敵な笑みを浮かべていた。


「ぎひひひっ…やられたなぁ…やられちまったよぉ…」


「…何が可笑しい?」


「だってよぉ…全て主の言った通りになるんだぜぇ…? そりゃお前おかしいだろ…くっ…はははっ!」


 全てルシファーの言った通り…。やはり全智の書にはこの世で起こる全ての事象が書かれているのか。


「…確認させてくれ。僕と戦うのは二度目って言ってたけど…もしかしてあんた達は同じ時を繰り返したのか?」


 戦闘の最中にずっと考えていた疑問をぶつけてみる。

 もし考えが間違っていなければ、恐らくルシファーの狙いはもう一度僕が世界の破滅を選択する事だ。それだと悪魔は神には勝てないどころか過去の敗戦を再び繰り返しかねないが、今度の箱庭は様々な種…レヒトやエリスなど前回にはなかった異分子が存在していると考えられる。それらが何かしらの影響を与える事によってルシファーは今回の戦いに勝機を見出したのかもしれない。


「無価値なる者に真実を求めるか…よっぽど切羽詰まってるみたいだなぁ…?」


「別にあんたの言葉を鵜呑みにするつもりはないよ」


「くはははっ! 容赦ねぇなメタトロンよぉ。そうだなぁ…恐らくお前が考えてる事は大体合ってるはずだ…。ただ信用のない悪魔から一つ助言してやる…最悪の敵はお前等、仲間の内にいるぜぇ…?」


(仲間に…敵…?)


 その言葉に思考を張り巡らせると真っ先に思い浮かんだのはセリアだったが、今更彼女が裏切るとは考え難い。何より現在一緒にいるはずのレヒトを殺せるとは思えない。

 所詮悪魔の戯言ではあるが、僕を惑わすにしてはナンセンスだ。


「あぁ…また地獄へ戻るのかぁ…。次はいつ暴れられるかなぁ…」


「…次はないよ」


「ひっひっひ…! せいぜい苦しめ…お前の選択を地獄の底で鑑賞してやるよぉ…! ぎはははっ! ひゃぁーはっはっはっ!」


 ベリアルは狂ったように笑いながら灰となって消滅し、辺りは残り火が揺らめく静寂に包まれた。


「…選択、か」


 ベリアルの言葉を信じるなら僕はもう一人の僕からメタトロンの魂を受け継いだという考えは間違っていない。そしてもう一人の僕とベリアル達が戦ったと思われる世界は厳密に言えば今僕がいる世界とは異なる。だから僕を始めとした新たな異分子が生まれたこの世界でルシファーは前回と異なる結末…悪魔の勝利が視えたのだろう。

 しかし戦いはまだ始まったばかりだけど、こうして僕でも二体の上位悪魔を倒せた事から戦力的に僕達がそう簡単に負けるとは思えない。本当にルシファーが悪魔の勝利を確信しているのなら、まだ何か僕達の知らない戦況を覆すような策があるのか、或いは今はまだ起こるかも分からない僕の選択を待って戦いの幕を降ろす目論みか…。


(戦況を覆す策…)


 新たに生まれた一つの懸念、ベリアルが最期に遺した言葉に一瞬不安が過ぎる。裏切り者ユダが本当に僕達の中にいるとしたら、戦況を覆せる程の存在と言えば真っ先に彼の姿が思い浮かんでしまった。


(馬鹿な…そんな事あるはずない)


 かぶりを振り不穏な考えを追いやる。

 とにかく今は前に進むんだ。もし僕が選択を迫られたとしても、その選択を間違えなければ良いだけの話に過ぎない。


「…はは」


 それだとまるで世界の命運が自分にかかっているようだ。我ながら余りに現実味の無い御伽噺おとぎばなしを夢想したものだと思わず笑いが込み上げてしまう。

 何れにせよ今はまだ何一つ確証のない、仮定だらけの話だ。そんな事で頭を悩ましていても仕方ないだろう。

 細かい怪我の回復が終わると周囲を見渡す。どうやら遠くの方は相変わらずお祭り騒ぎのようで、悪魔に襲われているのか一緒にこの宴を楽しんでいるのか分からない様子だ。

 呆れて溜息が漏れるが、とりあえずこの調子ならソドムは放置しても大した問題は無いだろう。

 アスモデウスだけでなくベリアルも撃破した事だし、一刻も早くソフィアやレヒトと合流して悪魔の召喚を止めなければ。

 ある程度頭がすっきりすると僕はC地区へ続くゲート向けて走り出した。


 予想通りゲート前に兵士の姿はなく、そこには他より物々しい作りのゲートが静かに佇んでいた。


「さて…と」


 神の気まぐれで再び灯った天上の炎を身に纏いながらゲートの前に立ち、力を解放すると立ち昇る炎は柱となって高く聳え立つゲートを縦へ真っ直ぐ消滅させる。僕は炎の柱を立ち昇らせながら一歩ずつゲートを進み、C地区へ足を踏み入れてから後ろを振り返るとD地区とC地区を隔てていた壁の一部は綺麗に消失していた。

 外郭のゲートは扉を吹き飛ばしただけだったけど、これだけゲートを広げればレヒトに文句を言われる事はないだろう。そもそもC地区の住民がソドムなんかに逃げ込むか甚だ疑問ではあるけど…。

 そんな事を考えながら歩き出そうとした瞬間、ふと立ち眩みが起きた。それはほんの一瞬の事だったけど、まるで世界がズレるような不思議な違和感を覚える。

 ただかぶりを振ると何事もなく、周囲に変化は見られない。


「…力を使い過ぎたかな」


 サリエルが言っていたようにこの力にどんな制約があるか分からない以上、天上の炎は極力使用を控えた方が良いのかもしれない。しかし果たして炎の力を使わずにアスモデウスやベリアルを倒す事が出来ただろうか。とてもじゃないがこの先炎の力に頼らず戦っていけるとも到底思えない。

 ただタイミング良く再び顕現した炎はまるで神に導かれているようで、そこに何かの思惑があるように思えて仕方なかった。ベリアルも僕が力を強め、接続を深める事を良しとしていた節があったけど、まさかルシファーに僕の接続を深めさせるよう言われていたのだろうか?

 だとすれば尚更不用意な接続は避け、炎の力はここぞと言う時にだけ使用する方が良いかもしれない。


(それにしても…静かだ)


 C地区に辿り着いたものの、まだレヒトやソフィアがC地区に現れた様子はない。このまま一人でB地区まで進行しても構わないし当初の予定ではそうなっているけど、やはりソフィアの事が気掛かりだ。

 僕の所に上位の悪魔が二体も現れた事から二人の元にも既に現れている可能性は高い。そう考えるとレヒトは心配要らないが、どうしてもソフィアとエリヤがどうなっているのか気になる。

 本音を言えば孤児院もある事だし今すぐ北C地区へ向かいたいところだけど…


(いや…進もう)


 今はとにかくソフィアを信じよう。孤児院の事もソフィアは自分に任せてくれと言っていた。なら僕は彼女の言葉を信じるだけだ。

 そういえばレヒトに孤児院の様子を見てもらうよう頼んでいたけど、アンディとの一件があったせいで結果を聞くのを忘れていた。

 大事な依頼を忘れていた自分に腹が立つが、今は自分を責めている場合ではない。とにかく己の為すべき事に集中するんだ。


(ソフィアならきっと…大丈夫)


 迷いを捨てB地区へ続くゲートを目指して走り出すとC地区内も予想通りソドムと同じように至る所で悪魔が出現しており、それを撃破しながら避難勧告をし、ぐんぐんと進軍していく。

 すると丁度悪魔と交戦している血の盟友団員のヴァンパイア軍団を発見した。


「大丈夫ですか?」


 駆け寄ると最初は驚いた様子のヴァンパイアだったが、僕だと理解するとまるで水を得た魚のように目を輝かせた。


「シオン様! 助太刀頂けるでしょうか!?」


 そう言うヴァンパイアは既にボロボロで再生が追い付いていないようだった。

 見れば悪魔の足元には何人かのヴァンパイアの死骸と思しきミンチのような肉塊がいくつも転がっており、血の海が広範囲に渡り広がっている。


「この悪魔…他の雑魚とはまるで桁違いの強さで…」


 その悪魔の体躯は子供のように小柄だが、溢れ出る瘴気はその辺の悪魔と比べて異質なものだ。恐らくレヒトに言わせればこれが中級に位置する悪魔なのだろう。


「…こいつは僕が何とかしますから住民の避難をお願いします」


「かたじけない…ご武運を! 皆の者、此処はシオン様に任せて住民の避難だ!」


 生き残ったヴァンパイアが散開すると小型の悪魔はその身には不釣り合いな程の巨大な二本の斧を両手に携え、それを勢い良く投げ飛ばしてくる。

 その瞬間僕は片方の斧目掛けて飛び込み弾くと、もう片方の斧目掛けて剣を投げ付けて軌道を変える。剣が直撃して軌道を変えた斧は勢いを失って落下するが、それは見た目以上に重量があるらしく石畳に落ちた瞬間凄まじい粉塵を上げながら地中深くに潜り込んでいた。その重量は明らかにこの世界の物理法則を無視しており、そんな物を何もない空間から顕現させるという事はこの悪魔もアザゼル達に近い実力を持っていると考えた方が良さそうだ。


「…お前の相手は僕だ」


 炎の力は使用せずに月の魔力を高めようとすると、悪魔の背後で煌々と輝きを放つ紅く巨大な月が無限の力を与えてくれているように魔力はあっという間に高まっていく。

 そして小型の悪魔は新たな斧を召喚し携えると、禍々しい翼を広げてこちらへ飛び込んできた。体は人の形をしているが赤く光る目にコウモリのような獣の顔は醜悪で、まるで絵に描いたような悪魔の姿をしている。


「…来い」


 ギリギリまで引き付けようとした所で悪魔は片方の斧をこちら目掛けて一直線に投げ付けてくる。あんな物が直撃したら粉々に粉砕されるだろう。今なら悪魔の足元に散らばっていたヴァンパイアの肉塊にも頷ける。僕でも流石にああなっては再生は不可能だろうけど、こんな所で足踏みしている暇はない。

 垂直に旋回しながら迫り来る斧を最小限の動きで回避すると、手に残った斧を振り上げ斬り掛かろうとしている悪魔より素早く懐に潜り込む。そして醜悪な顔面へ目掛けて迷い無く一直線に剣を突き刺した。その瞬間勢い良く傷口から黒いもやが吹き出し、それを全身に浴びるが拳を振り抜くように剣を押し込むと悪魔の顔面は木っ端微塵になる。すかさず残った胴体も細切れにすると悪魔は黒いもやに包まれながらその姿を消した。


「ふぅ…」


 レヒトの言っていた通り中級に相当する悪魔が相手だと普通のヴァンパイアは束になろうと歯が立たないようだ。

 そういえばレヒトは何故そんな事を知っていたのだろう?

 今更だけど彼は真理ダアトの扉を開いていないにも関わらず悪魔について随分と詳しいようだった。あの会合の時は既にアザゼル達と手合わせをした後だったからすんなり納得していたけど、改めて考えるとアザゼル達と戦っただけで下級や中級悪魔が存在している事まで知っているのは妙な話だ。

 もしかしたらレヒトは過去に悪魔と戦った経験があるのだろうか?

 確かに彼の実力ならその辺の悪魔は話にならないだろうし、人々が知らないだけで昔から悪魔はこの世にちらほらと存在していたと考えても良さそうだ。そう考えると改めて二千年生きてきたという殺し屋の過去が気になった。


(終わったら聞いてみようかな…)


 戦いが終わった後の事は漠然としか考えていなかったけど、不意にみんなが笑顔で楽しく過ごすビジョンが浮かび上がった。


「…絶対に負ける訳にはいかない」


 胸元のペンダントを握り締め固く決意する。この箱庭をパンドラの箱になんてさせるものか。また必ずソフィアと再会出来ると信じて目に見える範囲の悪魔を撃破しながらゲートを目指す。

 結局それから上級の悪魔は現れる事なく、C地区へのゲートと同じように天上の炎でゲートを破壊すると僕はようやくB地区まで辿り着いた。


 しかしそこはルシファーが座すセインガルドの中心地、A地区に隣接しているというのに予想に反して奇妙なぐらい静まり返っていた。さっきまでの喧騒が嘘のように悪魔は疎か人の姿すら見当たらない。ただ不気味な事に街の所々に血痕だけが残されている。

 この様子だとまだ誰もB地区に到達していないようだけど、此処で一体何が起きたのだろうか?

 とにかくこれ以上一人で突き進むのは危険だろう。A地区にいると予想されるルシファーの元へ辿り着くのが目的だけど、流石に僕が一人で行ったところでどうにかなるとは思えない。それにもう少し待っていればレヒトかソフィアと合流出来るだろう。それに此処で何が起きたのか把握する必要もある。


(…それにしても妙だ)


 B地区をちゃんと散策した事はないけど、教団本部に連行される際に見た時はそれなりの住民がいた。もし避難勧告が既にされていたとしても一人残らず避難し終えているとは考え難いし、何より悪魔すらいないのはどう考えてもおかしい。

 至る所に血痕が残されているが戦闘の痕跡は何処にもなく、レヒト達が先に到着して終わらせたとも思えない。そうなると残る可能性は…。

 注意深く周辺を散策しているとふと物陰に何かの気配を感じ取り足を止めた。その場でじっと物陰の様子を伺っていると見覚えのある黒いローブを纏った何かが千鳥足で現れるが、それは身体中から植物のような蔦を生やし、人の形をしていながらまったく別の生き物の様相を呈している。しかし怪物から微かに感じられる魔力と匂いでその正体に勘付いた僕は思わず顔を歪めた。


「まさか…母なる血マザーブラッドの団員…?」


 身体中から生えている蔦はローブを貫きボロボロになっているが、それは紛れもなく母なる血マザーブラッドの教団員達が纏っていたものだ。微かに感じられる月の魔力と、人を喰らってきた特有の濃い血の匂いからも教団員で間違いない。

 恐らく僕がソフィアを救い出した後、教団員もベリアル達によってキメラ実験の餌食にされてしまったのだろう。だとすればこのヴァンパイアだった怪物がB地区の住民を一人残らず喰らい尽くしたと考えて良さそうだ。生き残っていた教団員のほとんどが悪魔化したのならその数からしてB地区の住民全員を喰うのに大した時間は掛からないだろうし、何より口元に付着した生々しい血痕がこいつ等の犯行を裏付けている。

 B地区の住民を誰一人救えなかったという自責の念が押し寄せてくるが、そうしているうちにヴァンパイアだった者達が続々と押し寄せ気付けば四方を囲まれていた。


「…ソフィアがまだ来てなくてよかった」


 きっと彼女がこの場にいたら敵とは言えかつてヴァンパイアだった者達を殺す事に躊躇しただろう。でもそれで良い、この状況下でも僕は出来る限りソフィアの手を汚して欲しくない。


(汚れるのは…僕だけで十分だ)


 双剣を抜き周囲を見渡すと、そのほとんどがキメラ化に失敗しているのかゾンビのように動きが鈍い。これならどれだけの数が相手だろうと天上の炎を使わずに排除出来そうだ。


「ふっ…!」


 魔力を高めて一気に飛び込むと見境無く次々斬り付ける。どうやら教団員は悪魔と融合した事でヴァンパイア特有の月の魔力による再生能力が失われたようだった。的確に首を切り落とし難無く一撃で葬っていくと視界一面に広がっていたヴァンパイアはあっという間に数を減らしていく。

 しかし最後の一匹の首を切り落とし双剣の返り血を払った瞬間、突如感じた事のない強大な魔力を感じ取り身体が硬直した。

 それは余りに強大にして禍々しい負の力。アザゼルと初めて対面した時に感じたものに似ているけど、それとは比べ物にならない程の圧迫感が周囲を覆っていた。

 アザゼルが放っていたものを狂気とするなら、これは脅迫と言って良いかもしれない。相手に直感として絶対的な死の恐怖を植え付け、常人ならばこの瘴気にあてられただけで絶命し兼ねない殺意という概念そのもの。


(これは…ルシファー…?)


 冷や汗が頬を伝い金縛りのように体の自由が効かなくなるが、恐怖を払い除け瘴気が最も濃い方へ何とか首を回す。しかし予想に反してそこには黒いロングコートを羽織り、人間には到底扱えないであろう大剣を肩に乗せた男が虚ろな顔で立っていた。


「まさか…レヒト…?」


 見間違える訳がない、それは紛れもなくレヒトだ。しかし外見は同じでも今のレヒトから迸る魔力はこれまでとは異質で、殺意が具現化しているのか周辺には濃い闇が渦巻いている。その目からは正気も失われ、視線だけで人を殺せるような殺意に満ちていた。

 明らかに様子がおかしい。しかし迂闊に近寄る事も出来ずにいると突然足元から黒い棘が飛び出し、咄嗟に飛び退くが回避し切れずに肩を切られた。


「くっ…!」


 まさか今のは…レヒトの攻撃なのか…?

 でも何で僕に攻撃を?

 咄嗟に避けたけどあと少し遅れていれば心臓を貫かれ即死は免れなかった。何故かは分からないけど彼は確実に僕を殺そうとしている。

 何が起きたのか理解出来ずに混乱しているとその瞬間レヒトが大剣を構えたまま突進してきた。


(このままじゃ…られる…!)


 迷いながらも双剣で大剣を受け止めるがその力は尋常でなく、弾かれたように後方へ吹き飛ばされ背中から家屋の壁をいくつか貫いた。


「何…で…」


 瓦礫を払い立ち上がるが、頭上を見ると黒い翼を広げたレヒトが宙に浮遊していた。


「黒い翼…まさか…」


 その時、神の試練を終えてこの世界に戻ってきた際に見たレヒトとエリヤの意味深なやり取りが脳裏を過ぎった。

 新たな真実…接続…覚醒…それらの単語から連想されるのは、まさかとは思うがレヒトの接続先は天上ではないのか…?

 そうなると残る接続先は一つしかないが嘘だと思いたい。しかし頭上に浮かぶレヒトの背にある黒い翼はそれが事実であると雄弁に証明していた。

 レヒトが力を行使し続け接続を深めるとどうなるか…もしその接続先が地獄だったとしたら行き着く果ては…


「まさかレヒトが…悪魔に…」


 嫌だ、考えたくない、何かの間違いだ。しかしそんな思いを踏み躙るように恐ろしく冷たい、殺気に満ちた目でレヒトは無情にも殺意の棘をこちら目掛けて飛ばしてくる。それを建物の間を縫うように走り抜け辛うじて掻い潜るが、突然レヒトが目の前に降り立った。


(やるしか…ないのか…)


 覚悟を決めると双剣を構え正面から切り掛かるが、異世界で見たマルスとは違い戦闘能力は劣っておらず、僕の攻撃はあっさりといなされてしまう。そして一瞬生まれた隙を突かれ胸を裂かれると再び後方へ吹き飛ばされ壁に激突した。


「かはっ…!」


 今の攻撃もだけど、先程肩に受けた傷口が未だに回復しておらず激痛が走る。どうやらレヒトの攻撃は普通とは違って、月の魔力を以ってしても簡単には癒えないようだ。そうなるとこのままでは確実に殺されてしまう。

 無表情のレヒトがゆっくりとこちらへ近付いてくるが、見れば薄紫色の光を放っていた大剣はドス黒い闇を纏い漆黒の魔剣と成り果てていた。


「嘘だろレヒト…本当に悪魔になったの…?」


 依然として僕の声は届いていないのかまるで反応がなく、その姿はまるで世界の全てを破壊せんとする魔神のようだ。

 どうする…まともに殺り合って勝てる相手ではない。


(今やれる事と言えば…)


 全身から炎を迸らせ柱に身を包む。これならレヒトもそう簡単に手出しは出来ないだろう…そう考えたが甘かった。炎の柱を見てもレヒトに変化はなく、迷わずに突進してくる。咄嗟に魔力を集中させ紅蓮の双剣で魔剣を受け止めるが、ベリアルのショーテルのように魔剣は溶ける事なく眼前で競り合う。


「ぐっ…!」


 至近距離のレヒトは炎の柱の中にいるにも関わらず、濃い闇がその身を護っているのか焼き尽くされる様子がない。このままでは埒が明かないと判断し剣を弾いて後方へ飛び退くと壁を蹴り上げてレヒトの頭上へ飛ぶ。そこから双剣を振り下ろし炎を飛ばすが、レヒトはそれを魔剣で振り払うと一瞬で上空へ飛び上がり、そのまま僕の腹部に魔剣が突き刺さった。


「がぁっ…!」


 レヒトは魔剣を引き抜くとすかさず体を翻し回し蹴りを僕の顔面目掛けて放ってくる。それを片腕で受け止めるが骨はあっさりと砕け折れ、有り得ない方向へ曲がった腕の折れ目から鮮血と共に白骨が飛び出した。そのまま腕毎顔面に直撃した蹴りは頬骨と眼窩までも砕き、僕は一直線に家屋を破壊しながら地面へ叩き付けられた。


「ぐぅっ…! がぁぁ…!」


 すぐさま体を起こすが視界の片側は潰され、目の前に夥しい血が滴り落ちる。地面に衝突した際に砕かれた全身の骨は既に再生しているが、やはりレヒトに直接攻撃された部分だけは魔力を高めようと中々再生しない。

 流石に視界を半分奪われ、片腕も使えないとなるといよいよ勝ち目が無くなってきた。レヒトは音も無く再び目の前に降り立つとトドメの一撃を放とうと魔力を高めながら魔剣を振り上げる。


「これまで…か…」


 残った片腕で一矢報いようと立ち上がるが、目の前にあるのは明確なる死。だけど…それでも諦めて堪るか。例え肉体が朽ち果てようと魂で戦ってやる。最後まで希望を捨ててはいけない。


「う…おぉぉっ!」


 最後の力を振り絞って正面から突っ込む。しかし魔力を高め終わったレヒトは無感情に魔剣を振るうと、ネフィリムや天使に放ったものと同じ黒い光が剣先から一閃してこちらへ飛んで来た。


「よく頑張ったわね、良い気概よ」


 その時、ふと女性の声が耳に届いたかと思うと目の前に白い光のカーテンが舞い降り、レヒトの攻撃を受け止めると闇を飲み込むようにして霧散した。

 何が起きたのか理解出来ずにいると続けてレヒトの背後に光の球体が現れ、そこからいつか見た事のある光の矢が無数に放たれる。それをレヒトは上空へ飛び上がり回避しようとするが光の矢はその後を追尾し、避け切れないと判断したのかレヒトがその身に纏う黒いもやを爆発させると今度は光の矢が闇の中へ飲み込まれ消滅した。


「まさか今のは…?」


「お待たせしました、シオン」


 今度は爆発した黒いもやが収束するのに合わせてぼんやりとレヒトの背後に人影が現れる。謎の人影は月明かりを背にして魔力の込められた爪を振るい、咄嗟に振り返ったレヒトはそれを避け切れず正面から受け後方へと吹き飛ぶ。

 その攻撃を見て僕はようやく人影の正体を把握する。どうやら僕は彼女達に命を救われたらしい。


「…助かったよ、ソフィア」


 レヒトを吹き飛ばしたソフィアは優雅に着地すると安心したような表情で微笑みかけてくれる。そして僕の背後からは黒い翼を生やしたサリエルが何処か呆れたような様子で現れた。


「何で此処にサリエルが…?」


「ふふ、色々あったの。ね、サリエル」


「まぁ…そういうこと。とりあえず手を貸してあげるわ」


 二人の間に何があったのか分からないけど、どうやらこの様子だとサリエルは味方についてくれたようだ。


「それにしても…アレはどういうことかしら?」


 レヒトが吹き飛んだ先を見詰めながらサリエルは眉を寄せた。


「分からない…少なくともいつものレヒトじゃないのは確かだよ」


「そのようね、何故か分からないけど完全に地獄と接続し飲み込まれているわ」


 やはりレヒトは悪魔に成り果ててしまったのか…?

 認めたくない現実を突き付けられ力無く尻餅をついてしまうとすぐさまソフィアが心配そうに膝を突いて寄り添ってくれる。


「大丈夫…?」


「うん…気を付けてソフィア。レヒトの攻撃を受けると再生が遅くなるみたいだ」


 それを聞いてソフィアは何かを決意したような表情を浮かべるとその場で立ち上がりレヒトが吹き飛んだ方角へ体を向けた。


「サリエル…シオンの治療をお願い。それまで私が食い止める」


「食い止めるって…いくらあなたでも無茶よ」


「だから早くシオンを回復してね、それまでは頑張るわ」


 振り返ったソフィアは悪戯っ子のような笑みを向けると再び前を向く。その先では攻撃から立ち直ったレヒトが黒い翼を広げて上空に浮かんでいた。


「いつもありがとうシオン、今度は私が守る番よ」


 そう言うとソフィアはレヒト目掛けて迷わず飛び出した。思わずその後を追い掛けようと激痛を堪えて腰を上げるがサリエルに制されてしまう。


「彼女、ああ見えて割と頑固なのよね」


「で、でも…!」


「いいからあなたは回復に努めなさい。治療が終わったらすぐに加勢するわよ」


 どうやらサリエルも気持ちは同じらしい。僕に治癒を施しながらも同時に光の球体を操り先頭を行くソフィアを援護する態勢を取っている。

 サリエルが味方に付いた理由は不明だけど、そんな事を気にしている場合ではない。何より敵であったはずの彼女が手を貸してくれるなら心強い。

 とにかく今はサリエルの言う通り回復に集中して一刻も早くソフィアの加勢に加わる事が先決だ。


「待っててソフィア…すぐ行く」

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