Episode57「無価値なる者」

「お久しぶりですね、シオン君。随分と成長したようで嬉しい限りですよ、お陰で殺し甲斐があるというものだ」


 言葉通りバイエルは嬉しそうに、いつか見た狂気に満ちた禍々しい笑みを浮かべていた。


「シ、シオン…この人は…?」


「おや、そこの少女は確か…。ふふふ、実に面白い。シオン君、君は本当に楽しませてくれる」


 怯えるマリアを見て愉快そうに笑うバイエルだが、相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない。


「お嬢さん、私はバイエル…もとい、堕天使ベリアルと申します」


 ベリアルは名乗りながら相変わらず流れるような動きで頭を下げるが、今にも飛び掛かってきそうな狂気がひしひしと伝わってくる。蛇の首の本部ならアザゼルがいる可能性は考えていたけど、まさかバイエル…いや、ベリアルが現れるとは予想外だ。しかし結局どちらが現れても戦う事に変わりは無い。


「…何の用?」


「はははっ! あの日と同じ質問ですね。しかし今回は言わなくても分かるでしょう」


 高笑いするとベリアルは黒い翼を広げ、額からは悪魔の角を生やし、筋肉が膨れ上がったのかその体躯を一回りも二回りも大きくさせた。


「…以前の僕だと思ったら大間違いだよ」


 双剣を抜き構えるとベリアルの殺気が一層濃くなり、実験室に重苦しい空気が張り詰める。それを受けてマリアは苦しそうにその場で蹲ってしまう。


「マリア…今すぐ逃げるんだ。出来るだけ遠い所へ」


 しかしその言葉を聞いて本性を現したベリアルが不愉快な笑い声を上げた。


「ぎはははは! お嬢さん、お前は姉を助けに来たのだろう?」


「ベリアル…何故それを…」


「チャンスを与えてやろう、そして見せてもらおう、人間の愛というものを」


 笑みを浮かべたベリアルが腕を水平に薙ぎ払うと黒い光が一閃し、咄嗟にマリアと共にしゃがみ込んで回避すると背後のナノマシーンが次々と砕け散った。振り返ると所狭しと並べられたナノマシーンのほとんどが破壊されていたが、その中に一つだけ無傷のものが目に入る。するとその中に浮かぶ怪物を見たマリアが突然叫びに似た声を上げた。


「お姉ちゃん!!」


「お姉ちゃんって…まさか…」


 マリアは僕の手を振り払うと覚束無い足取りで必死にナノマシーンに駆け寄る。


「お姉ちゃんしっかりして…私よマリアよ! 目を覚まして!」


 そう叫びながら何度も硝子を叩くマリアだが、中で眠る怪物は目覚める様子がない。


(アレが…マリアのお姉さん…?)


 マリアのお姉さんの姿は知らないが、ナノマシーンで眠るあれは誰が見ても人間ですらない。それでも姉妹だからこそ分かる何かがあるのか、マリアはその怪物から姉の面影を確かに感じ取っているようだ。


「ベリアル…これはどういう事だ?」


「ぎへへ…言っただろう、こいつらはキメラ。人間に悪魔を移植したのさ」


「人間に…悪魔を…?」


 まさか…アンディに悪魔の力を与えたのは…


「分かるぜぇ、お前今親友の事を考えただろぉ?」


 図星を突かれ思わず頭に血が昇るが、ギリギリの所で堪える。


「だっい正解! 瀕死だった彼に悪魔の力を移植して蘇らせたのはこの俺さぁ!」


 しかし実に愉快そうに言い放つベリアルにとうとう理性が焼き切れ、衝動的に醜悪な笑顔を真っ二つに切り裂いた。


「殺してやるっ!!」


「げへへへ…言わば俺は彼の命を救った恩人だぜぇ?」


 傷口からは黒いもやが溢れ、その奥から掠れた声が聞こえてくる。しかし構わず蹴り飛ばし、追撃を入れようと踏み込んだ瞬間背後から聞こえてきた悲痛な声に足が止まった。

 何事かと振り返るとナノマシーンで眠っていたはずの怪物の黒く膨れ上がった腕がマリアの首を絞め上げていた。


「かっ…はぁっ…!」


「マリア!!」


 急いで体を反転させ飛び込むと黒い腕を斬り落とし、宙吊りになっていたマリアを解放する。しかし分断されても怪物の腕はそのままマリアの首をへし折らんばかりの力で締め上げていた。

 すぐさま間に手を挟み込んで怪物の腕を渾身の力で引き剥がし投げ捨てるが、分断した腕は器用に床を引っ掻きながらこちら目掛けて突進してきた。それを思い切り蹴り飛ばして壁に叩き付けると血のような液体を飛散させようやく動きを止める。しかし残った本体に目をやるとそれはおぞましい姿で低い声を漏らしながら、緩慢な動きでこちらに歩み寄ってきた。

 弱々しくむせんでいるマリアを抱えると一度距離を取る為に飛び退く。


「何…で…お姉ちゃん…」


 どうやらあれはマリアのお姉さんで間違いないようだ。しかしその容貌はアンディとは異なり、どう見ても人間の肉体と悪魔が完全に融合している。


「マリア…お姉さんはもう…」


「嫌…お姉ちゃんがあんな姿になったのは私のせいなの…だから私が助けなくちゃ…」


 その目には確固たる意志が伺え、どうにもお姉さんが怪物にされていた事は予想していたように見えた。


「げへへへ…美しい愛だぁ…。良いね良いね良いねぇ、人間は本当に面白いなぁ!」


 再び聞こえてきた不愉快な声に振り向くとすっかり傷口を再生し終えたベリアルが手を叩いて喜んでいた。


「ぎゃはははっ! 愛する姉を救えるのか!? 姉妹の愛が試される瞬間だぁっ!」


 そう高らかに告げベリアルが指を鳴らした瞬間、突然マリアに異変が起きる。それまで弱々しかった呼吸が激しくなると身体中から尋常じゃない量の汗が溢れ出した。頬はみるみるうちに紅潮し、見開かれた眼が充血すると僕のような紅色に染まっていく。


「マリア! しっかりしろ!」


 しかし僕の呼び掛けは届いていないのか苦しげな嗚咽おえつが叫びへと変わり、その瞬間マリアの胸元から何本もの触手が肌を裂いて鮮血と共に飛び出した。


「そんな…マリア…」


「おやまぁ、やはり妹の方も失敗ですか。シオン君の親友は自我を保ったまま悪魔の力を使役する唯一の成功作品でしたが…そう簡単にはいきませんね」


 再び人の皮を被ったベリアルは何処かつまらなそうに吐き捨てる。


(そうか…そういう事か…)


 つまりアンディも、マリアも、僕の友達はみんなこいつら悪魔の実験台にされたのだ。


「悲しい物語だ…。蛇の首に囚われた妹は既に実験済み…。しかしそれを知らない姉は妹の代わりにとその身を捧げ妹を解放する…! 嗚呼、人間の愛とは儚くも何と美しい事でしょう」


「黙れ…」


「あ、ちなみにキメラに用いた悪魔は全てベルゼブブの使役する寄生虫、言わば使い魔でしてね。私はあくまでそれを人間に植え付けただけで」


「黙れぇっ!」


 それ以上は聞くに堪えなかった。周囲の温度が急上昇し、チリチリと空気が焦げる。やがて空間が歪んだかと思うと僕の肉体を炎の柱が包み込んだ。


「ほう、これが現世に蘇りしメタトロンの力ですか。懐かしいですねぇ」


(絶対に…許さない…)


 人間を…僕の友達を玩具のように弄んだ悪魔を絶対に許してはならない。


「ではその神の炎、どれ程のものか見せて頂きましょうか」


 口元を釣り上げたベリアルが再び指を鳴らすと、怪物と化した二人が僕目掛けて同時に襲い掛かってくる。お姉さんの残った方の太い腕が頭を鷲掴みにし、マリアの触手が全身に巻き付き締め上げてくる。しかしその痛みを享受しながら僕は祈るような思いで炎の勢いを強めた。


「せめて…安らかに眠れるように」


 やがて炎は二人の怪物に燃え移り、徐々にその身を焦がすと灰となり崩れていく。


「ギ…ギァァ…」


 苦しそうな、しかし何かを堪えるような声を漏らしながら二人はじっと大人しく灼かれるのを待っていた。涙を堪えてその様子を見詰めていると、ふと背後から優しい女性の声が聞こえてくる。


「あ…り…がとう…」


 振り返らずに耳を立てるとお姉さんは確かにそう呟いた。そして目の前で全身を灼かれているマリアは焦点の合わない瞳で笑みを浮かべ、ゆっくりと口を動かす。


「シオ…ン…私の…ヒーロー…」


 涙を流したまま、やがて二人の怪物は灰さえ残さずに消滅する。それを見送ると唇を噛み締めながら僕はベリアルへ視線を向けた。


「やれやれ…一瞬で終わってしまうとは役立た…たっ…たたたた…ずが…がはっ…ぎはぁっ…!」


 ベリアルは呆れた顔を浮かべると再び醜悪な悪魔の姿へ変貌するが、僕の心は不思議と怒りを通り越して静まり返っていた。


「ぎへへ…濃くなってるぞぉ…神気がビンビン感じられるぜぇっ…!」


 怒りも悲しみも無い。そこにあるのは敵である悪魔を殲滅するという使命のみ。

 炎の柱に包まれながら気が付けば僕は宙に浮いていた。


「天に仇なすわざわいよ、地獄へ還れ」


 双剣を振るうと炎が自我を持ったように迸りベリアルへ襲い掛かる。しかし炎が当たる直前にベリアルは真上へ飛び上がり天井を貫いた。

 僕は天井に空いた穴を見上げながら炎の柱を更に天高く昇らせると、屋敷を木っ端微塵に吹き飛ばし頭上に浮かぶベリアルの姿を捉える。そして何の疑念も抱かず飛び上がると空中でベリアルと再び対峙した。


「ぎへへ…思い出した、というより飲み込まれかけているようだなぁ…! ぎひゃひゃひゃ! だがそれでも構わん! どちらにせよ殺し甲斐があるってもんだぜメタトロンよぉっ!」


 ベリアル…それはルシファーに次いで創造された天使にして、天上にあってはミカエルよりも尊き位階にあったと自称する悪魔。しかしそれらは全て嘘であり、その正体は無価値なる者。

 ある詩人はこう歌っている。『天から失われた者で、彼以上に端麗な天使はいなかった。生まれつき威厳に満ち、高邁である。しかしそれらはすべて偽りの虚飾に過ぎなかった。天から堕ちた天使のうち、彼ほど淫らで、また悪徳のために悪徳を愛する不埒な者も、他にはいなかった』と。


「悪そのものにして、天と地に於いて最も無価値なる者よ、裁きを受けよ」


「ひっひっひ…殺し合おうぜ天の書記よぉ…。お前をズタズタに切り裂いてあの女の前に生首を突き付けてやるよ、ぎひひひひひっ!」


 女…こいつの言う女とは…?


「ソフィア…そうだ…彼女には指一本触れさせない」


 そうだ…僕の大切なソフィア。ベリアルに言われるまでその存在をすっかり忘れてしまっていた。

 しかしそこでソフィアの事を思い出した途端、まるで夢心地のように虚ろだった意識がはっきりとし、今更宙に浮いている自分に驚く。そしてその瞬間、まるで魔法が解けたように僕の体は重力に従い落下を開始した。


「あぁん…?」


(や…ヤバい…!)


 かなりの高さから落下している為、このまま地面に直撃すれば即死しかねない。どうやって宙に浮かんでいたのかまったく分からないが、とにかく何とかしなければ。

 どんどんと地上に接近する中、咄嗟に自分の体を包み込んでいた炎の柱に気が付くと地面に向けて思い切り炎を叩き付ける。すると激しい爆発が巻き起こり、爆風で一瞬体が浮かび上がると落下速度が緩まり辛うじて着地した。


「し…死ぬかと思った…」


 一体自分の身に何が起きたのか思い返そうとするが、マリアとお姉さんを燃やしてからの記憶が曖昧になっている。炎の柱を巻き起こし、空へ飛び上がった事実は覚えているが、それらを自分の意志で行った記憶はない。その感覚は異世界で体験した、自分が何かに飲み込まれかけていたものと似ている。

 そんな事を考えているといつの間にか目の前に着地していたベリアルは掌に黒い球体を携え、それをこちらへ向けていた。


「何だぁ、急に戻りやがって。期待させるんじゃねぇよ」


 つまらなそうに吐き捨てると突然黒い球体から無数の針が飛び出し四方八方に飛散する。それを咄嗟に炎の柱の勢いを強め正面から燃やして防ぐが、黒い針は暴走したようにソドムの街をどんどんと破壊していく。このままでは街だけでなく、未だソドムに残る住民まで全滅しかねない。


「ひはははぁっ! ノッてきたぜぇ!」


 黒い針は更に数を増すとその一つ一つが火矢のように炎を灯し始める。そして炎を灯した黒い針によって徐々に街が焼かれ、僕の周辺は業火に包まれた。


「いつまでそうやって丸まってる気だぁ? もっと愉しませてくれよぉっ!」


「これ以上…やらせるか」


 黒い針を防ぐので精一杯だったが、炎の柱を維持する事に集中しながらも一歩ずつベリアルとの距離を詰めていく。そして双剣の届く範囲まで近寄ると黒い球体を斬り裂こうと双剣を振るうがそこには何の手応えもなく、攻撃は空振りに終わってしまった。

 ならばと更に炎を強めると双剣に宿った炎が刃を象り、紅蓮となった双剣でもう一度黒い球体を斬り裂くと球体は蒸発したかのように小さな爆発を起こして消え去った。


「ぎひひひ! 接続を更に深めたかっ!」


 ベリアルは黒いショーテルを手にするとこちらへ切り掛かってくるがそれを紅蓮の双剣で正面から受け止める。


「感じる…感じるぞぉ…! どんどんと世界の理から外れてるぜぇっ!」


「さっきからごちゃごちゃと…煩いんだよ…!」


 双剣を交差させショーテルを弾くと一気に間合いを詰め連撃を繰り出す。しかし流石と言おうか、ベリアルは涼しげな表情でそれを全て受け止めていた。


「悪くないっ! ぎへへへっ! 腕を上げたなぁっ!」


 ならもっとだ…もっと早く…!


「はああぁぁぁっ!」


 自分でも信じられない程、まるで底無しのように攻撃速度がどんどんと上がり、ついに捌ききれなくなったのかベリアルに少しずつ攻撃が掠るようになってきた。体験した事のない高速世界は周囲の空気をも巻き込んで嵐のような風を巻き起こし、更に次元を越えようとしているのかレヒトが力を解放した時のように空間が歪み始める。

 その光景に一瞬戸惑ってしまうが畏れてはいけない。こいつを殺すにはもっと、もっと強大な力が必要だ。


「いいぞいいぞいいぞいいぞぉっー! もっとだ! もっと怒れ! 接続を深めろぉっ!」


 しかし追い詰められているにも関わらずベリアルの表情に焦りはなく、何を考えているのか寧ろ興奮を増し愉悦に浸っているようだった。何か狙いがあるように思えるが、かと言って手を緩めればやられるのはこちらだ。

 雑念を振り払いベリアルの動きから目を離さずひたすら攻撃を繰り出し続け、とうとうベリアルの胸に剣が突き刺さると続けてもう片方の剣を肩口に食い込ませる。そして胸元に収束させるように双剣を交差させて思い切り振り抜いた。


「はぁ…はぁっ…はぁっ…!」


 呼吸を整えながら様子を伺うが、ベリアルは身体中から黒いもやを吹き出しながら絶頂を迎えたような笑みを浮かべて微動だにしない。防ぎ切れなかった数々の攻撃で全身は細かく刻まれており、最後の攻撃によって上半身は今にも崩れ落ちそうだった。しかしそれでもベリアルが消滅する気配はない。

 嫌な予感がし、トドメを刺そうと炎を双剣に凝縮させ振り抜くが、直前でベリアルはまるで背中の翼に連れ去られるように宙へと浮かび上がった。


「ぎ…ひひっ! うひゃひゃひゃひゃぁー!」


 何がおかしいのか上空で狂ったように嗤うベリアル。飛び方は分からないがあのぐらいの距離なら全力で跳躍すれば届くだろう。しかし最後の一撃を加えようと四肢に力を込めた瞬間、ベリアルの体が黒い炎に包まれた。


「無価値…! 無価値…! 総て無価値に帰せぇっ! ぎひゃひゃひゃ!」


 やがてベリアルは炎に飲み込まれたように姿を消すが、その気配は無くなるどころか更に強くなっていた。


「まさか…炎と同化したのか」


無価値なる炎ベリアル・ブレイズ…呑み込まれちまいなぁっ!」


 炎からベリアルの声が聞こえたかと思うと炎そのものが意志を持ったように宙を飛び回り、一気に地上へ落ちるとそのまま轟音を立てながら地中に潜り込む。


「何をする気だ…?」


 周囲を見渡すと相変わらず視界一面炎に包まれていたが、足元を警戒していると突然地面がぐにゃりと歪み始め、咄嗟に炎を潜り抜けその場から離れると次の瞬間大地から黒い火柱が勢い良く現れた。それはソドムの街中からいくつも吹き上がると人間も悪魔も関係無く焼き尽くし、まさに言葉通り総てを無価値なるものへと化していく。

 しかしそれを止めようにもベリアルの姿は何処にもなく、本当にあの黒炎と同化しているのなら地中に潜った炎を攻撃するなんて不可能としか思えなかった。でもだからといって、此処で指を咥えて破壊を見過ごす訳にもいかない。


「…一か八かだ」


 上手くいく保証はないが、このまま手をこまねいていても仕方がない。双剣を地面に突き刺すと炎を地脈に流し込むようなイメージで力を集中させる。すると地響きと共に大地には亀裂が走り、そこからマグマのような液状化した炎が垣間見えた。

 考えてみれば僕の天上の炎は相手が何であろうと万物全てを焼き尽くす。つまり炎の化身になろうとベリアルは天上の炎に触れられず、地中に潜り込んだところで炎が迫れば地表に出てくる以外に逃げ道はない。それはただのイタチごっこに過ぎないが、少なくともこれ以上の破壊活動を止める牽制程度にはなるはずだ。

 まるで釣りをするような気分で力を流し込みながらじっと様子を伺っていると狙い通り一先ずベリアルの攻撃は止んだ。代わりに不気味な静寂が訪れ、耳を澄ませると遠くから叫びのような喧騒が微かに聞こえてくる。

 そうして神経を研ぎ澄ませていると不意に地表がビリビリと振動し、地獄の底から語り掛けるかのようにベリアルの声が届いてきた。


「良いぞぉ…もっとだぁ…もっと接続を深めろぉ…」


「さっきからしつこいな、殺してやるから早く出てこい」


「ぎへへへぇ…分かってないようだし教えてやるよ…。お前は接続を深める事でどんどんと神の域に近付いてるんだぜぇ…?」


「神の域…?」


「そうさぁ…そしてお前は再び選択を迫られるんだ…。今度は正しく選べるかなぁ…? いや無理だろうなぁ…我等が主はきっとその答えを知っているはずさ…ぎひひひっ…!」


 そういえばアスモデウスも選択がどうのと言っていたが、ベリアルが言っている事と同じ意味なのだろうか?

 加えてアスモデウスはメタトロンの死後、地上に現れたのは二度目と言っていたが、もしそれが本当ならまさかベリアルも…?


「ヒントをくれてやるぜ…。世界は一つじゃねぇ…そしてこの世界はかつてのお前と神によって創造された箱庭なんだぜぇ…」


「箱庭…? どういう事だ?」


 何処かでその単語を耳にした覚えがある。しかし何処で聞いたのか記憶を辿ろうとしてもはっきりしない。


「結局俺達は神の掌で弄ばれているのさ…。お前とこうして地上で戦うのも実はこれで三度目なんだぜぇ…? まぁ俺もその事はすっかり忘れてたけどなぁ…ぎひゃひゃひゃ!」


(三度目…)


 一度目はジハード…そして三度目が今現在…だとすれば二度目は…?

 ベリアルの言葉が本当なら、やはりジハードによって地獄へ堕ちた悪魔は既に一度地上に這い上がっていた事になり、アスモデウスが残した言葉と一致する。

 歴史を振り返ると遥か遠い昔に神は悪魔と戦い、神に敗れた悪魔は地獄へ追い返された。その際戦いに巻き込まれた世界は崩壊するも、僅かに生き残った人類は長い年月をかけようやく今の世界を形作る。そして先に地上に這い上がっていたルシファーの呼び掛けに応え、アザゼルやベリアルらの悪魔が地上に集った。そうして彼等は神へ復讐せんとセフィロトツリーに存在する十の扉の守護天使を排除し、それによりメタトロンが消滅した事で僕はその転生体として誕生した。

 この事から分かるのは、ベリアル達の言葉が事実ならメタトロンが消滅してから僕が誕生するまでの間に彼等は一度地上に現れたと考えて間違いなさそうだ。

 僕が誕生してからこれまでに一度悪魔と戦っていたなんて可能性も考えたが、当然僕にそんな記憶なんてありはしないし、近年でアスモデウスなどの悪魔が地上に現れていたのならその際にも世界は何らかの被害を受けているはずだ。何より二千年生きて悪魔の存在も知っていたレヒトがそれを知らないはずがない。加えてサリエルがその事について何も言及しなかったのもおかしい。

 そうなると謎を解く鍵はメタトロンの消滅後、レヒトすら知らない空白の時間にあると考えて良さそうだ。


「一つだけ教えてくれ、ナノマシーン…キメラを生成していたあの機械は何だ?」


「やれやれ…大サービスだぜぇ…? ありゃお前達の言うところの超古代文明の遺物…俺達が初めて神に挑んだ頃の世界にあったヒトがヒトを生かす装置だぁ…。流石に跡形もなくなっていたがなぁ、この俺が復元したのよぉ…! くはぁっ! 俺がヒトだったら永遠に名を残す天才だぜぇっ…!」


 ベリアル達が初めて神に挑んだ頃の遺物…だとするとまさかレヒトが閉じ込められていたあの異世界は…


「おっとぉ…お喋りが過ぎたなぁ…。サービスタイムは此処までだ。そろそろ殺させてくれよぉ…お前を焼き尽くした後はバラバラにして親友と一つにしてやるからよぉっ…!」


 アンディの事を言われて頭に来るところだが、それよりもようやく迫った核心に頭が一杯だった。


 不意にある記憶が過ぎる。それは夢か幻か定かではない、神の試練を受ける為の扉を潜って最初に見た不思議な映像。その中で確かに僕は僕に託していた。未来を、希望を。


 思考する事に集中していたせいで地脈に走らせていた炎が弱まり、その隙間を縫って巨大な炎の塊となったベリアルが飛び出してくる。


「チャァンスッ! 死ねぇメタトロンンンンッ!」


 黒い炎は悪魔の形を作り、炎の化身となったベリアルがショーテルを持って斬りかかってくる。しかしその光景を眺めながら僕は尚も考えていた。


 メタトロンの転生体であるシオン、しかしその転生体は本当に僕だけなのか?

 僕が最初にいた異世界で僕は僕でありながら、異なる自分であった。そしてアイン・ソフ・アウル…無限世界は次元や時間などの壁を超越したものであり、メタトロンの魂を宿した器が現在一人でも、僕が誕生する直前まで異なる世界に同じくメタトロンの魂を宿した器がいてもおかしくないのでは?

 つまりメタトロンの転生体として、原罪を持たずにその魂を宿せる器が僕一人しかいなかったとは限らない。もしその異なる器が新たな宿主として僕を選んでいたら?


 二度目の選択…この世界は僕と神によって造られた箱庭…。これは異なる器と神によって造られた世界とも言えるんじゃないか?

 そして異なる器がもう一人の僕だとしたら…僕が最初に選択したのは世界の創造…?


(そんな…まさか…)


 その瞬間まるで繋がりの見えなかったパズルのピースが噛み合うけど、それは余りに突拍子の無い答えだった。


 かつて此処とは異なる世界で、メタトロンの宿主だったもう一人の僕は悪魔と戦い、悪魔を世界諸共滅ぼしたとする。そして何らかの選択を迫られ、新たな世界を創造していたとしたら…?

 かなり無理のある話だとは思うが、これまで得てきた情報とは何一つ矛盾が生じない。そこに時間軸という概念を抜き取れば、僕が誕生する為の世界…箱庭を一瞬の出来事のように創造する事だって十分可能だ。

 もし本当にそうだとしたらもう一人の僕が滅ぼした悪魔はその際に地獄へ還ったが、世界が再創造された事で悪魔の記憶はそれより以前の…例えばジハードの直後辺りにリセットされてしまった。だから彼等は同じ歴史を繰り返すようにして再び地獄から這い上がり、こうして僕達の目の前に現れた…?

 今になって彼等がその事を思い出したのはヘルゲートが開かれたせい…いや違う、ルシファーの仕業と考えた方が自然だ。全智の書を持つ彼だけは記憶を改竄されても全ての真実を識る事が可能だ。そして何らかの方法で悪魔達に全てを思い出させた。

 

 我ながら想像力が逞しいものだと自嘲してしまうが、これが夢物語なのかどうか、全ての答えは今も尚僕の中で眠る魂が知っているはずだ。


(教えてくれメタトロン…僕は…この世界は一体何なんだ…?)


 僕は接続を深めメタトロンの魂に問い掛けるように共鳴を起こし同化していく。すると不思議な事に身体が勝手に動き出し、目の前に迫っていたベリアルの攻撃を難無く受け止めていた。


「ギギギ…!? そうか…そうかそうかぁっ! ようやく完全に接続したかっ! 待ってたぜメタトロンよぉっ!」


 自らの死を悟ったにしてはベリアルの表情は恍惚に歪んでいる。相変わらずその狙いが見えないものの、今為すべきはこの悪魔を排除する事だけだ。


「堕ちろ、堕天使」


 自分の中にいる知らない何かへ身体を委ねると、紅蓮の双剣は輝きと熱を増して周囲の空間を歪ませる。その直後、受け止めていたショーテルを溶かすとベリアルの身体を真っ二つに斬り裂き、その傷口から勢い良く業火が巻き起こった。

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