Episode56「色欲の大罪」

 炎の息を切り開き、残ったアスモデウスの人の顔に正面から突っ込むが、突如足元から槍が突き出され行く手を阻まれる。

 槍を砕こうと双剣を叩き付けるが、穂先は想像以上に強固で傷一つ付けられない。そうして完全に勢いを殺された僕はそのまま落下を始めるが、落下地点ではドラゴンが大きな口を開いて待ち構えていた。

 あのドラゴンの吐き出す炎の息は厄介だ。炎の息を回避する為に毎回魔力を集中させていてはアスモデウスへの攻撃がどうしても一手遅れてしまう。ならばアスモデウスを倒すにはドラゴンから片付けた方が良いだろう。

 落下しながら魔力を集中させるが、ドラゴンの大きく開かれた口の奥では赤い光が収束し、それが突然爆発したように弾けると炎の息となって吐き出された。至近距離の攻撃に面食らい咄嗟に双剣で身を庇う様に何とか直撃は防ぐが、視界一面が炎に覆われ全身を焼かれながら僕はドラゴンに飲み込まれてしまった。

 ドラゴンの喉元を通過するとそこは真っ暗な空間で、着地しようとするとぬめりのある粘着質な床に足を滑らせ背中から倒れてしまう。


「つぅ…」


 幸いな事に粘着質な床は柔らかく、着地に失敗したものの大したダメージは無い。しかし安堵の息を漏らしていると足元から煙が上がっていた。視界は暗闇に閉ざされていたが、ヴァンパイアの力のおかげでその異変にすぐ気が付く。

 どうやら床一面を覆う粘着質な液体はドラゴンの胃液のようで、辺りを見渡すと天井からもそれは滴り落ちている。まさか地獄のドラゴンにも胃があるとは思わなかったが、その消化速度は尋常ではなさそうだ。

 煙を上げていた靴はみるみるうちに溶け始め底が磨り減っていた。このままでは数分と経たないうちに僕は骨さえ残さず全身を溶かされてしまう。

 しかしこの程度で僕を倒せると思っているのなら心外というものだ。以前ならこの状況を打破出来ずに死んでいたかもしれないけど、今は天上の炎が無くても戦う力がある。


「…遠慮なく行かせてもらうよ」


 此処が胃の中ならそれを突き破れば外に出れるはずだ。

 惜しみ無く双剣に魔力を集中させると仄かな光が灯り始める。そして魔力を最大限まで高めると助走を始め、テラテラとぬめった壁目掛けて体当たりする様に双剣を全力で叩き付けた。すると魔力が爆発したように弾け、血に似た液体が壁から滝のように降り注ぐが、構わず双剣を全力で振るい壁を削りながら少しずつ前進していく。そうしているとふと硬い手応えを感じ取り、双剣を握り締めたままトドメと言わんばかりに拳を叩き付けると何かが破裂したように突然視界が開けた。


『馬鹿な…!』


 そのまま外へ飛び出し振り返ると予想通りドラゴンの腹には大きな穴が開かれ、痛みを感じているのか悲痛な咆哮を上げていた。

 それを好機と見ると宙で再び魔力を高め、落下が始まった瞬間に双剣二本を重ねてドラゴンの喉元から袈裟に斬り付ける。そして股間まで裂き着地すると再び飛び上がり、双剣を逆手に持つと正面から十字を描くように思い切り斬り付ける。すると大きく裂けた十字傷から勢い良く黒いもやが吹き出し、ドラゴンの全身を飲み込むように覆い尽くす。

 漆黒の霧が霧散し晴れるとそこには初めから何も無かったようにドラゴンは影も形も残さず消滅した。その瞬間ドラゴンに乗っていたアスモデウスが地上に降り立つが、その足は細々としておりどうにも頼りない姿している。ただ僕が飲み込まれている間に牛の頭は再生を終えたようで、あれだけのダメージを与えたにも関わらずすっかり元に戻っていた。


『何故だ…何故月の秘密を知っただけのヒトが…』


 やはりアスモデウスを倒すには通常の攻撃だけでは限界があるようだ。


(炎の力はまだ使えないのか…?)


 駄目元で双剣を握り締めながら炎をイメージすると、意外な事に天上の炎はあっさりと灯ってしまった。


『ま、まさかその炎は…』


「…どうやら此処で終わりみたいだね」


 力を与えたり与えなかったり、神は本当に気まぐれだ。ただ相変わらずその意図は読めないけど、此処で接続を許可したという事はアスモデウスを討てという事なのだろう。

 神の思惑通りに動くのは釈然としないけど、この力が無いとアスモデウスを倒せないのも事実。ならばこちらも神を利用してやろうじゃないか。


『考え直せメタトロンよ、貴様がやっている事はーー』


「燃え散れ、色欲よ」


 問答無用で炎の灯った剣で斬り上げると傷口から炎が広がり、やがてアスモデウスの巨軀は巨大な火柱に包み込まれた。


『…分かっているのだろう、我を滅したところで存在そのものは消えない事を』


 天上の炎に焼かれその身がボロボロと崩れ去りながらもアスモデウスに焦りは無く、寧ろ何がおかしいのかその顔には笑みを浮かべていた。


「あぁ、分かっているよ。そして一度地獄の底へ還れば再び地上に現れるのが容易じゃない事もね」


『…愚かなりメタトロン。偽りの神に惑わされ、その世界すら歪められた哀れなる傀儡よ。貴様が滅んでから、我が地上に現れこうして対峙するのは二度目だ』


 僕が滅んでから二度目?

 確かメタトロンが消滅したのはジハードの後だから、それからアスモデウスが地上に現れたのはこれが初めてのはずだ。

 ジハードでアスモデウスを始めとした悪魔は全員天使に敗れ、その時に一度地獄へ堕ちている。それから長い年月をかけて地獄から這い上がり、今回のヘルゲートを通過して地上に現れた…そう考えるとメタトロンの消滅後に二度地上に現れるというのは無理のある話だ。にも関わらずアスモデウスの言葉には妙な自信が伺えた。

 だとすれば前回地上に現れたのは一体いつなのか…


『実に滑稽也。貴様は神の掌で踊らされているに過ぎぬ。この戦いとて貴様が選んだ神の遊戯よ』


「…どういう意味だ?」


『一つだけ教えてやろう。貴様が見ている世界と我々が見ている世界は同じではない。故に我々はそれを正すのだ』


 悪魔や天使の共有する次元は今の僕に認識出来ない事は分かっている。しかしそれを正すとはどういう意味なのか。


「…戯言だ」


 所詮は悪魔の言う事だ、信憑性なんて考えるだけ無駄に決まっている。


『信じるかどうかは貴様次第だ。しかしどちらにせよ、貴様は二度目の選択を迫られよう…』


「二度目の…選択…?」


『…再び相見える時を楽しみにしているぞ、メタトロンよ』


 そう言い残してアスモデウスの最後に残った人の頭は高らかな笑い声を上げながら灰となり燃え尽きた。


(…選択を迫られる?)


 二度目の選択…つまり僕は一度何かしらの選択をしたのか?

 そしてメタトロンが滅んでから地上で二度目の対峙…これが事実なら僕は過去に一度アスモデウスと戦った事があるという事になる。

 しかしいくら考えてもそんな記憶などある訳もなく、アスモデウスが遺した言葉の意味は見当も付かない。ただ神にはまだまだ僕の想像が及ばない狙いがあるような気もするし、どの道この疑問は今考えても答えは出そうにない。

 気分を切り替え周囲を見渡すと目に入る範囲に新たな悪魔は召喚されておらず、これでようやくゲートに向かえる。無駄と思いつつも一応すれ違う人々に避難するよう勧告しながら僕はゲートを目指して走り始めた。

 するとその途中、少女に手を掛けようとしていた悪魔を発見しそれを一撃で撃破するが、見れば襲われていた少女は僕と同じような年頃だった。

 少女は悪魔が消えても怯えた様子で震えていたが、今その恐怖の視線は明らかに僕へ向けられている。


「あ、あなたも…悪魔なの…?」


「…違うよ、僕は…」


 ヴァンパイアだ、とでも答えるつもりか?

 少女からすれば悪魔もヴァンパイアも空想上の化け物であって、そのどちらもが人に仇なしわざわいもたらす存在だ。

 レヒトや血の盟友としばらくの時を過ごしていた事で忘れていたけど、僕はもう人間ではない。目の前で震える少女を見てその事を今更ながら思い知らされた。人の姿でありながら異なる理に生きる怪物…それが今の僕だ。

 少女に返すべき言葉が見つからず唇を噛み締めながらも、感情を悟られないよう無感情に言い放つ。


「…僕は悪魔ではないよ。とにかく今は逃げるんだ、みんな東のシャディールへ避難してる」


「でも…まだお姉ちゃんが…」


 参った、ソドムにいる住民なんてそのほとんどが先程悪魔を犯そうとしていたキ◯ガイだ。そんな連中なら捨て置こうと大して心は痛まない。しかしかつてアンディと盗みを働いた際、僕の心配をしてくれたお婆さんのように、中にはソドムの毒に蝕まれない善人がいるのも事実だ。

 この少女もまたソドムにいながらその毒に蝕まれる事なく、その瞳は絶望の色を浮かべながらも真っ直ぐ生きようとする強い意志が感じられた。そしてその目を見ていると脳裏にはいつも僕を守ろうとしてくれたアンディの姿が過る。

 時間が無いと分かりつつもどうしても少女を放っておく事が出来ず、僕は少女の前に跪いた。


「…お姉さんは何処にいるんだい?」


「助けて…くれるの?」


「うん、僕がお姉さんを助けてくるよ」


 極力恐怖を与えないよう微笑みかけると少女は一瞬安心したような笑みを見せるが、すぐにまた泣きそうになる。


「でもお姉ちゃんは…蛇の首に…」


「蛇の首…?」


 まさかこの場面でその名が出てくるとは思わなかったが、考えてみれば此処はソドムだ。蛇の首とソドムは切っても切れない程、この街に深く根付いている。


「お姉さんは蛇の首に捕まっているの?」


「お姉ちゃんは私を助ける為に…私の身代わりに…」


 その言葉を聞いた途端、お姉さんの救出は困難に思えた。詳しく話を聞いてみるとお姉さんは彼女を救う為に自ら蛇の首に赴き、去年から家に帰っていないらしい。だとすれば残念ながら今も生きている可能性は低い。蛇の首なら妹の命を保証する事と引き換えにお姉さんを薬漬けにしたり、何らかの実験台にして既に殺されていると考える方が自然だ。仮にもし生きていたとしてもこの子の記憶にあるお姉さんはこの世にいないだろう。

 しかしそんな事実を突き付ける訳にはいかないし、言ったところで納得して素直に避難してくれるとも思えない。どうするべきかと頭を悩ませていると少女は何かを決心した表情で立ち上がった。


「…ごめんなさい、やっぱり私だけでお姉ちゃんの所に行ってくる」


「…相手は蛇の首だよ?」


「どうせ死ぬならお姉ちゃんの側で死にたいの」


 やはり説得は難しいようだ。本来なら僕は一刻も早くC地区に乗り込まなければいけない身だ。こんな所で道草を食ってる場合じゃない。しかしどうしてもこの子を無視するような真似は出来ない。もし此処で彼女を見捨てたら自分の中で何か大切な物を失ってしまう…そんな気がした。


「分かった、じゃあ一緒に行こう」


「え…でも…」


「蛇の首には僕も借りがあるんだ」


 蛇の首に恨みはあるものの復讐心なんてものは大して無い。ただ蛇の首はアザゼルを首領とする組織だ。アンディが悪魔にされた事を考えるとどうにも嫌な予感がする。

 それにどうせならこの混乱に乗じて徹底的に潰しておいても後の事を考えれば良いかもしれない。


「道案内は任せるよ」


「うん…。私…マリア」


 マリアと名乗る少女は僕への警戒が薄れたのか、ようやく穏やかな表情を見せてくれる。

 僕の肉体はもう人間とは呼べないけど、それでも本質的なものは変わらず人間のままのようで何だか安心してしまう。そうだ、僕はヴァンパイアである前にシオンであり、その魂はエノクでもロトでも、ましてメタトロンなんかでもない。


「僕はシオンだよ」


 しかし名前を聞いた途端マリアは目を見開き、まるで幽霊でも見るように信じられないといった表情でじっと僕の顔を見詰めてきた。


「な、何…?」


「シオン…シオンってまさか孤児院にいた…?」


 その言葉に今度は僕が驚かされる。孤児院の事を知っているという事はまさか彼女は…。


「マリア…君もあの孤児院に…?」


「やっぱり…いつもアンディと一緒にいたシオンだよね?」


 何て事だ、まさかこんな時に級友と再会してしまうとは。孤児院にいたのはかれこれ十年も前の為、マリアという名前に聞き覚えはあってもその姿はまったく記憶にない。必死に記憶を辿っても辛うじて思い浮かぶ姿と現在の彼女は余りに異なっている。

 考えてみれば当然だろうけど、僕だってあの頃に比べれば随分と成長しているはずだった。にも関わらず彼女があっさりと僕に気付いた事に驚きが隠せない。まさか僕の顔はあれから大して変わっていないのだろうか?

 そう思うと妙にショックである。


「シオン…生きてて良かった。アンディは元気? 確か二人で生きていくって言ってたけど…」


「アンディは…」


 僕がこの手で殺した…。しかし流石にそんな事は言えずに言い淀んでいるとマリアは何か察したのか顔を伏せながら小さく謝罪を口にした。


「気にしないで。それより早くお姉さんを助けに行こう。こうしている間にも悪魔は増えている」


「う、うん。でも悪魔って…あれは本当に悪魔なの…?」


 先程悪魔を目の当たりにしても未だ信じられない気持ちはよく分かる。僕だってソフィアやレヒトと出会わなければ悪魔やヴァンパイアの存在なんて実際に見たところでそう簡単には信じられなかっただろう。


「…とにかく急ごう」


 話を切り上げてマリアを抱き上げると、彼女は見た目に反してずっしりとした重みがあった。持ち上げるのに苦はないが、その異常とも言える重量は普通の人間のものとは思えず違和感を覚える。かと言って女性に体重の話題を振る訳にもいかないので黙っておく事にした。

 しかしそんな僕の突然の行動にマリアは慌てた様子で顔を真っ赤にしながら声を上げる。


「い、いきなり何…!?」


「えっと、一緒に行くんだよね?」


「そ、そうだけど…何でこんな…お姫様抱っこ…!?」


 あぁそうか、彼女には僕の力について何の説明もしていなかった。かと言って今更説明するのも面倒だし、実際に僕の力を体験すれば何となく理解してくれるだろう。

 抗議の声を無視してその場で飛び上がるとマリアは一瞬で言葉を失った。


「え…と…飛んで…る…?」


「それより蛇の首のアジトは何処かな?」


「あ…えっと…」


 突然の出来事に混乱しているようで、マリアは状況が理解出来ずに目を丸くして地上を見下ろしている。


「…とある薬で僕は強くなったんだ、だから今なら蛇の首を倒してお姉さんを救い出す事も出来る」


 このままでは話が進みそうにない為、適当な嘘を吐くととりあえず納得したのかマリアは呆然としたまま首を縦に振った。


「お姉ちゃんは…蛇の首の本部にいると思う…」


 蛇の首の本部…話には聞いた事があるものの、その所在までは分からない。D地区全域を支配している蛇の首にはいくつもの支部が点在しているが、本部の位置はあまり知られていないのだ。だとすればマリアも本部の場所は分からないはず…そう思っていた。


「本部は広場とC地区へ続くゲートの間ぐらいにある屋敷よ」


 そう言うマリアの言葉には確信めいたものが感じられ思わず驚いてしまう。何故彼女は蛇の首の本部の場所を知っているのだろうか?

 話に聞いた限りでは蛇の首内部でも本部の場所を知っているのは幹部のみで、蛇の首の人間でもないマリアがその本部の所在を知っているというのはどうにもおかしい。とは言え今それを尋ねるのは憚れた。


「…分かった」


 とりあえずそれ以上の詮索は止め、言われた通り広場を越えるとゲートの方角へ走り抜ける。その間マリアは無言だったが、そこでまた僕は違和感を感じてしまう。

 薬で強くなったなんて嘘を吐いたけど、こうもすんなりとその言葉を受け入れられるものだろうか?

 ソドムに流通しているドラッグは痛覚を遮断したり、神経を向上させる物など実に様々だ。当然その中には身体能力を向上させるような物も存在しているが、それにしても僕の能力は間違いなく異常と言える。しかしマリアはそれを疑う素振りなど微塵もなく、寧ろそれが当然であるかのように受け入れた。それは単に彼女がエリスのように単純で鈍いだけか、或いは僕が知らないだけでそんな能力を得られるドラッグが実在しているのか…。いやしかし、一般人である彼女が何故そんな物の存在を知っている…?

 もし…そもそも蛇の首に目を付けられた時点で彼女もまた何らかの手を加えられていたとしたら…。

 孤児院が焼かれみんなと散り散りになってからの空白の十年、彼女がどんな日々を過ごしていたのかは想像すらつかない。ただもし違和感の正体が予想通りだとしたら僕は…


「シオン…あの屋敷よ」


 言われて民家の屋根で足を止めるとマリアが指差した先にあるのは西D地区では珍しく、無傷のままの豪華な屋敷だった。


「あそこにお姉さんが?」


「うん…。あ、あのシオン…やっぱり私一人で…」


「大丈夫だよ、だからマリアは此処で待ってて」


「で、でも…」


「地上にいるより屋根の上の方が安全だろうしね」


 言いながらマリアを降ろすが、納得いかないのかまったく引き下がる様子がない。


「あ、あの…シオン一人じゃ…屋敷内の案内だって…」


 その言葉にピンと来ると、思い切って先程から感じていたある疑念をぶつけてみる。


「屋敷内の案内って、マリアは蛇の首の本部にいた事があるの?」


「そ、それは…その…」


 しかし言い難そうに口を噤むとマリアはそれ以上は何も語ろうとしなかった。


「…ごめん、変な事を聞いたね」


「ううん…でもお願い、シオンが行くなら私も一緒に連れて行って」


 何か胸に期すものがあるのか決して引き下がろうとはせず、その瞳からは強い意志が感じ取れた。説得しても聞きそうにないし、此処まで来た以上仕方ない。


「分かった、でも絶対に無理はしないで。良いね?」


「ありがとう…。やっぱりシオンは…ヒーローだね」


「…ヒーロー?」


「そう、ヒーロー…。いつもみんなのピンチに駆け付けてくれたから」


「はは…そんな事あったかな…」


 確かに誰かを助けようとしては喧嘩になって、その度にアンディに救われた覚えがある。僕から言わせると本当のヒーローはアンディだ。


「と、とりあえず早くお姉さんを助けよう。本部には正面から突っ込めばいいのかな?」


「お姉ちゃんはきっと…地下の実験室にいるはず…」


「実験室…?」


「うん…正面から入って…地下に繋がる階段を下りるしかないと思う」


 蛇の首の本部に実験室なんてものがあるとは思いもしなかった。実験室と聞くとレヒトのいた異世界で見たラボが思い浮かぶけど、蛇の首は一体何の実験をしているのだろうか?

 流石に未来世界のようなナノマシーンやクローン技術がこの世界に存在しているとは考え難い。しかし今はそんな事よりお姉さんを救い出す事に集中せねば。

 再び抱き上げるとマリアはすぐに顔を赤くさせるが僕は構わず告げた。


「それじゃこのまま飛び込むよ」


「と、飛び込むって…?」


 ニヤリと笑うと僕は勢い良く屋根を蹴り上げ一直線に屋敷の玄関まで飛び降りる。


「き…きゃあぁぁぁーー!」


 マリアが悲鳴を上げるけど、僕は妙に気分が高揚していた。僕なんかをヒーローと思ってくれていた級友が今も期待してくれているという喜びもある。だけど一番は孤児院を出てから今こうして生き残っていた級友に再開し、力になれる事が何よりも嬉しかった。

 それはもしかしたらマリアにアンディの面影を重ねているだけかもしれない。でも今はそれで良い、今度こそ僕は手に入れた力を使って孤児院で共に過ごした仲間を救ってみせる。

 玄関前に着地したと同時に弾けたように地面を蹴り、重々しく分厚い木製の扉に背中から体当たりして粉々に粉砕する。そしてすぐさま身を翻しマリアを降ろすと双剣を抜き周囲に気を張り巡らせるが、妙な事に屋敷の中に人の気配は無く、不気味な程に静まり返っていた。

 まさか蛇の首も悪魔の出現で混乱しているのだろうか?

 しかしソドムの住民達を見た限りではあの程度で蛇の首が取り乱すとは思えない。ある意味お祭り騒ぎになっているかもしれないけど、だからといって本部に誰もいないのは妙だ。


「地下に続く階段はこの先よ」


「…僕から離れないで」


 周囲を警戒しつつ慎重に前進していると程なくしてマリアが足を止める。


「此処が地下室へ続く階段よ」


 そうは言うがそこは何の変哲もない壁だ。何処に階段なんてものがあるのかと思っていると、マリアは壁に掛けられた動物の剥製の口内に手を入れ取っ手を引き出した。すると何も無かった壁は突然音を立てて開き、その先に地下へと下りる階段が現れる。


「…隠し扉か」


「うん…この先に実験室があるの。きっとお姉ちゃんはそこに…」


 そう言うマリアの表情は強張っており、何かに脅えるように微かに震えていた。どうやらこの様子だと彼女は実験室で何が行われているのか知っているようだ。


「…行こう」


 足が竦んでいる彼女の手を引き薄暗い階段を慎重に下っていくが、階段を下るにつれてマリアの足取りは重くなり、気持ちの悪い異臭が鼻を突くとそれはどんどんと強くなる。そしてようやく階段を下りきるとそこにはこの世界では見た事のない、機械仕掛けの扉が行く手を阻んでいた。


「この扉は…」


 そんな馬鹿な…そう思うが扉の脇に設置された端末は恐らくこの扉の操作パネルだ。レヒトのいた異世界では当然だったそれが何故この世界にあるのかまるで見当が付かない。 ただダイレクトインストールの知識のおかげでこの端末の操作方法は何となく分かった。この扉はカードキーで開錠するタイプではなく、暗証番号入力形式のシンプルなものだ。


「不思議でしょ、この数字のボタンを押したら扉が勝手に開くの」


 そう言ってマリアが暗証番号を入力すると開錠音が鳴り響き、ゆっくりと扉が開かれる。そして恐る恐る開かれた扉の先を覗き込むと僕は愕然とし言葉を失った。


「まさか…何でこんな物まで…」


 実験室内には多少形状に違いはあるものの、レヒトのいた異世界にあったナノマシーンと同じように、液体に満たされた筒状の機械が所狭しと並んでいた。足を進めナノマシーンの中身を一つ一つ確かめるが、その中には今まで見た事のない、人間でも悪魔でもない異形の怪物が眠るように浮かんでいる。


「これは…何なんだ…?」


「驚きましたか、それはキメラですよ」


 突然背後から声がして振り返るとそこにはいつか見た燕尾服にハットを被った端正な顔立ちの男が立っていた。その姿は決して忘れる事はない。


「お前は…バイエル…!」

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