Episode55「開戦」

「そんな…サリエルが帰ってからまだ半日も経っていないのに…」


 信じられないといった様子でソフィアが呆然とするが無理もない。こちらの世界ではサリエルは今朝去ったばかりだし、ヘルゲートが開くにはまだ時間に余裕があると言っていたばかりだ。にも関わらず彼女がセインガルドに戻って数刻後にヘルゲートの解放が完了するというのは一体どういう事だろうか。サリエルが嘘を吐いていないとすればこれはルシファーの独断で、エリヤの言うレヒトが識った真実というのが関係しているのだろうか?


「ちっ…おい電波野郎、ルシファーは最初からヘルゲートの解放を早める事が出来たのか?」


「うん」


「何故今までのんびりとやっていた?」


「多分…あなたの覚醒を待っていた」


 その言葉にレヒトは激しく動揺するが、ルシファーがレヒトの覚醒を待っていた理由に皆目見当がつかない。どうやらそれはレヒトも同じようで、考え込む素振りを見せると慎重に言葉を選ぶように問い掛けた。


「…その言い方だとルシファーの野郎はこうなる事が分かってたみたいだな」


「うん、だって彼の力…全智の書にはそれら全てが記述されている」


 全智の書…その単語に今度は僕が動揺した。

 そんなまさか…いやしかしルシファーが全智の書を所持しているのは考えてみれば当然の事かもしれない。


「全智の書? 何だそれ?」


「…森羅万象、あらゆる世界の全てが記された予言書のような物だよ」


「何だシオン、お前も知ってるのか」


「存在だけなら…。まさかルシファーが全智の書を持っているとは思わなかったけど…神の代理人を務めた彼なら確かに持っていてもおかしくはない…」


「…要は俺はまんまとルシファーの策に引っ掛かったのか」


「やーいやーい、やられてやんのー」


 憤るレヒトを挑発するエリヤだが、それを受けて紛糾するかと思いきや意外にもレヒトは冷静な様子で笑みを浮かべた。


「それで接続を…。上等だ、俺の覚醒を見過ごした事を後悔させてやる」


 しかし何かが妙だ。ルシファーの手に全智の書があるのなら彼にはこの戦いの行く末が分かっているのではないか?

 サリエルの話を思い返すと仲間である彼女ですらルシファーの力は知らないように感じられた。勿論知りながらも隠していた可能性は否定出来ないが、ソフィアに対する真摯な態度からはどうにも考え難いし、悪魔に約束された勝利ならそれを知りながらソフィアをそんな死地へみすみす向かわせるような真似をするとはとても思えない。そうなるとサリエルは疎かアザゼルや他の仲間もルシファーの力に気付いていないか、或いは知りながらもそこに記された内容はルシファー以外は知らないのか…。

 何れにせよルシファーは僕達の抵抗も織り込み済みで、その上で勝利を確信してヘルゲートの解放に踏み切っていると考えた方が良さそうだ。


「レヒト、恐らくルシファーに僕達の行動は筒抜けだ。此処は慎重に…」


「はっ、馬鹿言うな」


 レヒトは僕の懸念を笑い飛ばすと大剣を抜き床に深々と突き刺した。


「俺達が何をしようとルシファーの野郎にはバレバレなんだろ? だったらいくら頭を悩ませても仕方ない、早速正面から突っ込むぞ」


「当初の作戦通り、ですね」


 見ればソフィアは既に臨戦態勢のようで、その眼は紅く染まり体からは魔力が迸っている。


「さっさと終わらせましょう」


 続いてセリアも椅子に掛けていたロングコートを羽織ると全身から強い魔力を発する。どうやら全員準備は万端のようだ。


「…分かった。確認するけど、僕は西から…ソフィアが北、レヒトが東からでエリスとセリアさんが南から侵攻で良いんだよね?」


「それなんだが少しばかり予定変更だ。南の正面は俺とセリアで行く。東はエリス、お前に任せた」


「わ、私一人ですか!?」


 突然の変更にエリスだけでなく僕も驚かされる。


「で、でも最初はエリス一人じゃ不安だって…」


「エリス、ゴモラにはお前が守りたいもんがあるはずだ、守ってみせろ」


 何の事か分からないけどそれを聞いたエリスの表情は真剣なものになり、無言のままコクリと頷くと足元にいたヨハネを抱き上げた。


「ヨハネ…私やってみせますよ」


 エリスの覚悟が伝わったのか、応援するかのようにヨハネが元気良く吠える。エリスはヨハネに頬擦りすると血の盟友に残るヴァンパイアへ手渡した。


「私がいない間よろしくお願いします…。あ、ご飯のあげすぎには気を付けてくださいよ?」


「ご安心下さい、皆さんの勝利を信じてヨハネと共に帰りをお待ちしてます」


「はいっ! よーし、頑張りますよー!」


 そんなやり取りを見てレヒトはふっと笑みを浮かべるとすぐさま真顔に戻りエリヤへ振り返る。


「それと電波野郎、お前は北のソフィアと一緒だ」


「やだ…お兄様と一緒が良い」


「文句言うな、それに北側から侵攻していれば西のシオンとはいずれ合流する」


「むぅ…」


「ふふ、よろしくねエリヤちゃん」


 納得のいかない様子だったがソフィアが手を差し出すとエリヤは渋々握り返した。


「…私はレヒトと一緒なのね」


「あぁ、よろしくな」


「せいぜい背後と股間に気を付けなさい」


「おいおい…同士討ちは勘弁してくれ」


 不穏な発言が聞こえてきたけどあの二人なら大丈夫だろう…多分。


「…とりあえず方針については最初の計画通りだ。俺達の第一目標は召喚された悪魔の撃破、そして住民が避難し易いようゲートの破壊。で、クロフトは隣国の…何つったか」


「シャディールだ。受け入れ体制はとても整っていないだろうが、至急こちらから受け入れ体制の助力に出る」


「あぁ、頼んだ。そっちの指揮は任せる」


「既にザックが住民の避難勧告へ向かっているが、今回セインガルド内のヴァンパイアの指揮は彼に頼んである」


「よし、それじゃ作戦は以上だ。悪魔が出現した以上時間が無い、他に意見が無ければこのまま出るぞ」


 そう言ってレヒトは辺りを見渡すが、誰も意見はなく覚悟を決めた表情を浮かべている。それを確認するとレヒトは床に突き刺していた大剣を引き抜き、それを高く掲げながら妖しい笑みを浮かべた。


「行くぞ、パーティーの始まりだ」


 その場にいた全員が声を上げるとレヒトを先頭にいくつかの出口に別れて次々とアジトを後にする。

 街に飛び出すと外は既に日が暮れ始めていた。これならセインガルドに到着する頃には僕達ヴァンパイアの力を存分に発揮出来そうだ。

 突然湧き出てきた集団にツォアリスの住民達は驚き振り返るが僕達は構わず北へ向けて全力疾走する。先頭を走るレヒトの姿は確認出来ないが、遥か先の上空で飛行するエリスの姿が目に入った。

 いよいよ最後の戦いが始まる…そう思うと自ずと体が強張る。そんな僕の気配を察したのか、いつの間にかソフィアが横で並走していた。


「シオン…大丈夫?」


「うん、ソフィアこそ大丈夫?」


「ふふ、私は大丈夫よ。それより神の試練で何かあった?」


「え、何かおかしいかな?」


「ううん…何だか前より頼もしく感じられて…」


 その言葉につい顔が綻んでしまった。実感はないけどソフィアにそう思って貰えるなら光栄な事だ。少しは自分の理想像に近付けたのだろうか。


「はは…色々あったんだ。戦いが終わったら全部話すよ」


「ふふ…可愛いシオンが男らしくなってお姉さん少しだけ寂しいかも」


「か、可愛いはやめてよ…」


「…絶対に生きて帰ってきて下さいね?」


 そう言うソフィアはいつに無く心配そうな表情をしていた。

 僕は安心させる意味を込めて流れる長い髪に指を絡ませ、そのまま頭をわしわしと撫でてやる。


「大丈夫だよ、僕は一人じゃない。これをソフィアだと思って一緒に戦うよ」


 胸元のペンダントを取り出すとそれを見たソフィアも微笑みを浮かべながら同じように胸元からペンダントを取り出し握り締める。


「…はいっ、ずっと一緒ですよ」


 その笑顔を見て僕は改めて決心した。


(戦いが終わったら…ソフィアにプロポーズしよう)


 その言葉は今言うものでない。だから全て終わるまで、それを伝える為にも決して死ぬ訳にはいかない。


「そういえばエリヤは?」


「大分先を行かれちゃいましたね…。それじゃあシオン、いってきます」


 先程までの不安はすっかり解消したのかソフィアは凛々しい表情で告げる。それに力強く頷き返すとソフィアは一気に加速し先を行くであろうエリヤの後を追い掛けた。


 以前レヒトとセインガルドまで走った際は随分と息切れしたけれど、ソフィアと体を重ねた事で本当に魔力が強まったのか、今回はまるで疲れる様子がない。

 もう少しで南ゲートが見えてくるという所で西側へ進路を変更し、セインガルドの外壁に接近すると突然南ゲートの方角から凄まじい轟音が鳴り響いた。恐らくレヒトとセリアがゲートを破壊したのだろう。これが開戦の合図だ。


「よし…!」


 更に足を早めると西D地区のゲートはすぐに見えてくるが、そこに見張りの兵は一人も見当たらない。速度を落としゲートの前で立ち止まるが、やはりそこに人気は無く不気味な程に静まり返っていた。果たして物音さえ届かないゲートの先は一体どうなっているのだろうか?

 しかし今はとにかく作戦通りにまず住民が避難し易いようゲートを破壊しなければならない。残念ながら炎の力は依然として使えない為、仕方なく僕は双剣を抜くと魔力を高める。


「はあぁっ!!」


 掛け声と共にゲートに突っ込み思い切り双剣を振るうと巨大な鉄製の扉は粉々とはいかなくとも、遥か後方に吹き飛びそれは奥の扉までも巻き込む。そうして邪魔なゲートが消え突き抜けた通路の先の様子を伺うと、そこでは巨大な人型の悪魔を前に一人の兵士が必死の抵抗を試みていた。


「…助けなきゃ」


 その場で思い切り地面を蹴り上げるとゲートの長い通路を一瞬で抜け、僕は悪魔と兵士の間に割り込むようにして着地した。


「な…何だお前…!?」


「ヴァンパイアだよ」


 兵士は驚き腰を抜かしていたが、そこへ振り下ろされた悪魔の拳を双剣で正面から受け止める。どうやらこの悪魔は上位階級ではないようだ。この程度なら炎の力が無くても簡単に滅せる。

 双剣で受け止めた拳を跳ね上げるとガラ空きになった胴体を高速で何度も刻み、トドメに首を切り落とすとそれをボールのように蹴り上げ粉砕する。すると悪魔は黒いもやを噴出させながら消滅した。


「な、何なんだ…」


「こいつは悪魔だよ。他にもいるはずだけど何か知らない?」


「あ…あぁ…似たような化け物がソドムの中心地に…」


「ありがとう、手筈は整っているから今すぐ東のシャディールへ逃げるんだ」


 そう言い残し僕は再び地面を蹴り上げてソドムの中心地へ向かう。

 過去の大戦によって瓦礫が広がる外壁付近に悪魔の姿は見当たらなかったが、中心地に近付くにつれて騒音が大きくなっていく。そして見慣れた街並みが見えてくるとそこはまさに地獄絵図のような光景が広がっていた。


「まさか…これ全部悪魔…?」


 建物の上に登り街を一望すると離れた場所からでも悪魔と一目で分かるような巨大な何かがいくつも蠢いているのが確認出来た。大きさだけでなくその形態も様々だが、問題はそれらが今も尚地表から湧き出て数を増やし続けている事だ。こいつらを全て倒すというのは中々骨が折れそうである。


「でも…やるしかない」


 助けるような価値のない連中かもしれない。救うような価値のない故郷かもしれない。それでも此処には僕の思い出が詰まっている。

 僕は一度深呼吸をすると上空へ飛び上がり、見渡した限りで最も巨大な悪魔の頭上に位置すると真っ逆さまに降下を始めた。


「…パーティーの始まりだ」


 落下する勢いはそのままに悪魔の天辺から双剣を食い込ませると真っ直ぐ降下して体を真っ二つに斬り裂き着地する。背後で悪魔が霧散する気配を感じ取りながらゆっくりと立ち上がるとそこでは大量の悪魔達が待ち構えたように取り囲んでいた。


「豪華なお出迎えだね」


「ギヒヒ…ヒトの分際で中々やりおる」


 ガーゴイルの様な出で立ちの悪魔が愉快そうにこちらを見て笑っていた。


「悪魔の分際で人間の言葉を喋るなんて驚きだ」


「調子に乗るなよ小僧、我を誰だと思って――」


 言い終える前に双剣を投げ付けると悪魔は反応すら出来ずに一本目で顔が真っ二つになり、二本目で首が跳ね飛ぶ。どうやらこいつも雑魚のようで、それだけで霧散し消滅してしまった。

 予想以上にあっさり倒せた事に拍子抜けしてしまうが、旋回して手元に戻ってきた双剣を握り締めると僕を取り囲んでいた悪魔に動揺が走っているのが見て取れた。


「御託は良いから早く始めよう、時間が無いんだ」


 いつの間にか頭上には紅く妖しい月が輝いており、それに呼応するかのように身体中に魔力が充満していくのを感じる。同時に神経が鋭く研ぎ澄まされ、悪魔のほんの僅かな変化すらも感じ取れた。


「どうしたの、来ないならこっちから行くよ?」


「お前は…ヒトではないな…?」


 そう言う悪魔の真っ赤な瞳に浮かぶのは確かな恐怖。悪魔でも恐怖を感じるのかと感心したけど、考えてみれば悪魔とはヒトをヒトたらしめる七つの大罪より生まれ出でし存在。だからその本質はヒトと同じか、それより深いところで繋がれている。言わば悪魔はある意味人間よりも人間らしい、最も欲望や本能に忠実な存在と言えるのだ。しかし…


「僕はヒトでも悪魔でもない…ヴァンパイアだ」


 四肢に力を込め悪魔の大群に躊躇なく突っ込むと比較的小型の悪魔を一瞬で葬る。それを口火に目に入る悪魔を次々と撃破していくが、滑稽な事に悪魔達は仲間が邪魔で思うように僕を捕まえる事が出来ないようだった。逆に僕は勢いを殺さず突進している限り目の前の攻撃に集中するだけで良い為、悪魔の大群だろうと実際は数匹を相手し続けているのと大して変わらない。


(とにかく急がなきゃ…!)


 無我夢中で剣を振るい続けていると気が付けば悪魔は当初より大分数を減らしていた。初めは見渡す限り隙間無く悪魔に覆われていたが、徐々に視界が開け周囲の状況が見えてくる。

 どうやら悪魔の召喚速度はそれ程でもないようで、この調子なら今いる悪魔を一掃したらC地区へ移動しても問題なさそうだ。しかしルシファーの元へいち早く辿り着かなければならないが、何より気掛かりなのはソフィアの事だ。彼女がそう簡単にやられるとは思えないが言いようのない不安がどうしても拭えず、出来る限り早い段階で中央に接近して合流したい。

 そんな思いでひたすら悪魔を倒し続けていると突然離れた場所から何かが爆発したかのような衝撃波が届く。攻撃の手は緩めずに様子を伺うと、離れた場所からでも確認出来る程の巨大な悪魔が新たに召喚されていた。


「中ボス…ってところかな」


 その悪魔はこれまで相手していたものとはまるで別格のものである事を瞬時に理解する。発せられる魔力も、禍々しい狂気も、これまでの悪魔とは桁違いだ。

 どうやらまだこちらには気付いていないようでその動向を警戒しながらも悪魔を撃破し続ける。しかしとうとう僕の存在に気が付くとこちらに巨軀を向けて愉快そうな笑みを浮かべた。


『ほう…月の魔力を宿すヒトか』


 巨大な悪魔の声は脳に直接響くように届き、こちらに向かって歩み寄るに連れその全貌が見えてくる。

 その悪魔は奇妙な事に人、牛、羊の三つの頭に、ガチョウのような細い足に蛇の尻尾を生やして、手には軍旗と槍を持ち、ドラゴンのような生き物に跨っている。何処か見覚えのあるその姿を記憶から探るととある悪魔の名が浮かび上がる。


「色欲の大罪…アスモデウスか」


 名を呼ばれたアスモデウスは意外そうな表情をしながらも相変わらず愉快そうな笑みを浮かべていた。


『ただ月の秘密を知っているだけではないようだな。いや、この魔力は…貴様は一体…』


「元は智天使のあんたなら知っているはずだよ、僕はかつてメタトロンだった』


 その言葉にアスモデウスの表情から笑みが消え、牛と羊の頭が咆哮を上げた。

 そこでようやく悪魔の大群を全滅させた僕は双剣を携えたまま巨大なアスモデウスを見上げる。


『そうか、通りで懐かしさを覚える訳だ。ともなれば貴様が戦うは神の意思か?』


「これは僕の…シオンの意思だ。神もメタトロンも関係ない」


『何故戦う? 今の貴様なら分かるだろう、欺瞞と傲慢に塗れた神の嘘に』


「さぁね、僕はただ愛する人のいるこの世界を守りたいだけだ」


『ならば教えてやろう、神を滅した後に我等が主は世界を正しく導く』


「悪魔が世界を正しく? 面白い冗談だね」


 そういえばルシファーが勝利した場合、世界がどうなるか考えた事が無かった。ただ僕達がルシファーを止められなければ世界が滅ぶのは間違いない。仮にその後に正しい世界とやらが創造されようと今ソフィアがいるこの世界を滅ぼさせる訳にはいかなかった。


『貴様は我等が勝利した際、この世界が滅ぶ事を懸念しているのだろう?』


「…だったら何だ?」


『確かに一度世界は浄化される。しかしその後に待つのは再生と創造。貴様も貴様の愛する者も、更には既に失った命、その全てが新たな世界で生まれ変わるのだ』


 失った命…まさかアンディが蘇るとでも言うのか?

 思わず動揺が走るとそれを見抜いたアスモデウスは口元を釣り上げながら続ける。


『貴様が戦う理由などない、寧ろ我々は手を取り共に神に立ち向かわなければならないのだ』


 そう言ってアスモデウスはこちらへ手を差し伸べてくるが、僕はその手を迷わず斬りつけた。


『…どういうつもりだ?』


「悪魔の言う事を鵜呑みにするなんて馬鹿のやる事だ。ましてあんたは色欲の大罪…いくら甘美な夢を囁こうと聞く耳を持つ気はない」


 こいつが言っている事が嘘か誠かは分からない。ただ色欲の大罪の言う事など耳を貸すだけ無駄だ。

 アンディは死んだ、そしてソフィアは今も生きている。だから僕は親友の死を受け入れ今ある命を、ソフィアを守ると誓った。それこそ僕がシオンである証拠だ。


『愚かなメタトロンよ、ヒトに毒されたか?』


「七つの大罪の一つであり、色欲の罪を司る悪魔がヒトを毒呼ばわりするとはね」


『愚か也。魂こそメタトロンなれど、貴様は所詮月の秘密を知っただけのヒトに過ぎぬ。滅するなど造作もない』


 どうやらこの様子だと僕から炎の力が失われている事に気付いているようだ。天上の炎さえ無ければ、ヴァンパイア程度に負けないとでも思っているのだろうか?

 だったらまずは長い刻をかけて地獄の底で凝り固まったその固定概念を覆してやる。

 僕に斬られた傷はあっという間に再生し、アスモデウスは槍を構えると穂先を突き付けてきた。


『最終通告だ、こちらに付けメタトロンよ』


 その返事として槍の穂先を剣で弾くと僕はアスモデウスの眼前に飛び上がった。


「断る、地獄に還るんだな」


 正面から見て左側から生えている牛の頭を斬り付けると真っ二つになった牛の口がいななきに似た叫び声を上げる。


『ならば再び滅びよ、天の書記よ!』


 アスモデウスが跨っていたドラゴンがこちらを向くとその口から炎の息が吐き出される。このままでは直撃する…そう思ったが咄嗟にネフィリムのビームを弾いていたレヒトの姿が脳裏に浮かび上がった。


「はああぁぁぁ!」


 一か八かで月の魔力を双剣に込め炎の息を正面から斬り付けるとまるでモーセが大海を割ったように炎の息が裂け視界が開けた。


『小癪な!』


 アスモデウスはすぐさま槍を振るうが巨大なそれは斬り付けるというよりも叩き付けるような攻撃で、僕は宙で身を翻すと槍の穂先に飛び乗るようにして着地する。


「大き過ぎるのも考え物だね」


 振り抜かれる槍上を駆け上がり、勢い良く飛び上がると今度は羊の頭を真っ二つに斬り上げる。しかし横を見ると牛の頭は黒いもやに包まれ再生を開始していた。


「させるか!」


 斬り付けた羊の頭を踏み付け反対側へ飛ぶと牛の頭に剣を突き刺し宙吊りになる。そこで足を突いて勢い良く剣を引き抜くと一度体を反転し、再び牛の頭を正面に捉え全力の連撃を叩き込んだ。斬り付ける度に黒いもやが噴き出るが構わずに再生速度を上回る速さで攻撃を繰り出す。


『おのれメタトロン!』


 そこでアスモデウスは魔力を爆発させると激しい衝撃波が襲い掛かってきた。宙にいた僕は成す術もなく幾つかの廃屋を貫いて後方へ吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面に叩き付けられるが傷口は見る見るうちに再生していた。


「これがソフィアの…月の秘密の真の力か」


 以前とは比べ物にならない再生速度に驚きを隠せなかったが、これなら致命傷さえ避ければいくらでも戦えそうだ。

 体を起こすとソドムの群衆がこちらを見て楽しげに笑っているのが目に入る。まったく…異常事態だと言うのに此処の住民は普段と変わりないらしい。何かしらのドラックの影響で幻覚でも見ているのだろうか?

 しかし今までならそんな連中に呆れていたが何故か今はその光景にほっとする自分がいた。


「見ての通り洒落にならない事態だ、東のシャディールに逃げた方がいいよ」


「へっへっへ、兄ちゃんやるじゃないか。あのデカいのは何なんだ?」


「あれはアスモデウス、悪魔だよ」


「悪魔!? 聞いたかおい、悪魔だってよ!?」


「ひゃひゃひゃひゃ! ソドムに悪魔か! ようやくって感じだなぁ!」


 やれやれ、この様子では逃げろと言ったところで聞いてくれそうにない。しかしそれでこそソドムだ。認めたくはないけどこんな腐った、イカれた連中だらけの街でも今の僕があるのはソドムのお陰と言える。


「見ろよあれ! 何か沸いてきたぞ!?」


「何だありゃ…爆乳のトカゲか?」


 見れば先の方の地表から黒いもやが湧き出ており、その中から新たな悪魔が出現していた。しかし何処をどう見たらそれが爆乳のトカゲに見えるのかはまったくの謎である。


「…今ならヤリ放題だよ?」


「うひぃ! 異種間交尾とか興奮しちまうぜ!」


 そう言う男は何故か股間をパンパンに腫らしながら口元から涎を垂らしていた。


「悪魔とファックなんて俺はツイてるな」


「おい仲良く和姦だ、上の口は俺が貰うぜ」


「ふぉぉー! もう我慢出来ねぇ!」


 まるで理解出来ない会話を交わすと股間を腫らした男が真っ先に悪魔へ飛び込むが、それに気が付いた悪魔は鎌のような腕を振るい男の体を真っ二つに切り裂いた。


「おほぅ!? 俺の下半身が分裂したぞ!?」


 男は痛覚遮断系のドラックを使用しているようで、痛がる素振りは無く分断した下半身を見て愉快げな笑い声を上げていた。挙句の果てにはズボンを降ろすと自分のイチモツをしゃぶり始めるが、その動きは徐々に鈍りとうとう息絶えてしまう。


「ははは! あいつ自分で自分のをしゃぶってイキやがった!」


「悪魔ちゃんが寂しそうにしてるぜ! 待ってろよ、今度は俺達が遊んでやるからな!」


(逞しいというか何というか…)


 普段なら目の前で人が死ぬのを見過ごせば胸が痛むけど、この人達を見ているとこうして散るのが本望のように思えて大した罪悪感が沸かなかった。しかしこれで良いのかもしれない、この街はこうでなくては。


「…それじゃごゆっくり」


 下半身を丸出しにして悪魔に群がる男達を尻目にその場で前方に飛び上がるとアスモデウスに向かって全力疾走する。その途中で様々な住民が目に入るが思っていたより混乱はなく、寧ろ誰もがお祭り騒ぎのように楽しげな表情を浮かべていた。こんな連中がシャディールに雪崩れ込んでしまっては新たな問題が発生しそうだけど、どうやらほとんどの住民は逃げる気など更々ないらしい。勇敢と呼ぶか唯の愚者と呼ぶべきか…何にせよ楽しく死ぬ事が本望ならそれを止める必要はないし、不謹慎かもしれないが呆れつつも安心した。

 ソドムの住民の避難勧告は不要だと分かると、改めてアスモデウスを排除する事にのみ集中する。


「まぁ…なるべく早く倒して被害は最小限に留めないとね」


 悪魔達によって半壊し今にも崩れそうな廃屋の上を器用に駆け抜けるとアスモデウスは待っていたとばかりに待ち構えていた。

 先程の集中攻撃から牛の頭は未だ再生しきっておらず、細切れのグロテスクな状態のまま黒いもやに包まれている。


『やってくれるな、メタトロンよ』


 廃屋の屋根で足を止めると再びアスモデウスと対峙する。


「そっちこそ。それと僕はメタトロンじゃない、シオンだ」


『転生体の名など意味を成さない。貴様の魂は今も尚燦然と輝く太陽の如きメタトロンそのもの。なれば我等に逆らう以上、主の為にも此処で滅せねばならぬ』


「あぁ、そうだね。僕もソフィアを守る為にあんたを此処で滅する」


 アスモデウスはふと笑みを浮かべると足元のドラゴンがこちら目掛けて再び炎の息を吐き出す。それを先程と同じように斬り裂くと開かれた炎の間を縫うようにアスモデウスへ向かって一直線に飛び上がった。


「二回戦の始まりだ」

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