第13章 刻限の宴 ―Sion Side―

Episode53「次元圧縮」

「待たせたな、殺し屋復活だ」


 ネフィリムの足元で大剣を翳すその姿は紛れもなく僕の知るレヒトだった。いつの間にか服も見慣れた元のものに戻っている。


「おいシオン、何体殺った?」


「えっと…まだ一体だけ…」


 僕はネフィリムの体の上を器用に伝って攻撃を避けながら返事をするが、正直ネフィリムの力を甘く見過ぎていた。

 ネフィリムの生命力は神の眷属だけあってアザゼル達のように生半可な攻撃では傷一つ付けられなかった。炎の力が失われ鉄パイプで応戦するも一体倒すのがやっとで、予想通り続々と集結してきたネフィリムの軍勢を前に防戦一方となっていた。

 しかしレヒトが復活したのなら話は別だ。今見た通り彼なら相手がネフィリムだろうと一瞬で葬れる。

 レヒトの存在に気が付いたネフィリムが大きな足を持ち上げレヒトを踏み潰すと轟音と共に瓦礫と粉塵が巻き上がるが、僕は何の不安もなくその光景をじっと見詰めていた。

 すると案の定、突然ネフィリムの足を一本の黒い棘が貫いたかと思うとそれは次々と現れ、ネフィリムの足は針山のように隙間無く串刺しされてしまう。そして痛みを感じるのかネフィリムは堪らず大声を上げながら足をどかすと、そこには全身を黒い靄に包んだレヒトが不敵な笑みを浮かべていた。


「俺を踏んでいいのは美女だけだぞ」


 美女なら良いんだ…そんな事を考えていると別のネフィリムが僕を叩き潰すように張り手をしてくるが、それを難なく避けるとバチーンと乾いた音と共に張り手を受けた別のネフィリムが痛々しい声を上げた。


「あぁ…痛そう…」


 神によってネフィリムは本能として互いに殺し合うよう仕組まれているはずだが、どういう訳か殺し合うような真似はせず僕達に狙いを絞っている。

 しかしレヒトの目覚めを阻止するかのように集結した事を考えれば神が何かしら手を加えたのかもしれない。サリエルの話だと神は原則として地上世界に干渉しないはずだけど、そうも言ってられない事情でも発生したのだろうか。

 思考を巡らせていると突然ネフィリムが口を大きく開き、レヒト目掛けてビームを発射した。


「レヒト!」


 これは避けられない…そう思ったけど信じられない事にレヒトは背を向けたまま大剣を振るとあっさりビームを跳ね除けてしまった。


「…デタラメだ」


「よく言うぜ、お前俺の記憶を覗いたんだろ?」


(しまった…バレてる…)


 何と言い訳しようか考えるが意外にもレヒトは気にする素振りもなく楽しげに大剣を振るっていた。


「おいシオン、テストだ。こいつで戦ってみな」


 そう言うとレヒトはこちら目掛けて大剣を一直線に投げつけてくる。それに気付いたネフィリムは機敏な動きでその行く手を阻もうとするが大剣は勢いを殺さずそのままネフィリムの巨大な手を貫通して僕の手に収まった。


「お前にとってはただの剣だろうが強度は十分にある、好きにやってみろよ」


 ニヤリと笑うとレヒトはネフィリムに真っ向から素手で挑む。流石のレヒトでも肉弾戦となれば多少は苦戦するのでは…そんな不安が過ったが次の瞬間そんなものは杞憂であると思い知らされた。ネフィリムとレヒトは互いの拳を同時にぶつけ合うが、体格差など無関係と言わんばかりに何故か巨大なネフィリムの方が勢い良く後方に吹き飛ばされてしまう。…一体レヒトにはどれ程の力が秘められているのだろうか。

 唖然としていると別のネフィリムがこちら目掛けて勢い良く蹴り上げようとしてくるが、僕はその場から動かずに大剣を構えた。

 どうやらレヒトの記憶を垣間見たことで本当に僕は強くなったらしい。正確には彼の戦闘技術が身に付いたようだ。

 一瞬巨大な足が視界を覆うが、体の力を抜くと斜め下に構えた大剣を一気に袈裟へ振り上げる。続け様にその場で旋回すると回し蹴りのように体を捻り反動を使って大剣を水平に振る。すると一撃目で足の付け根まで切られたネフィリムはバランスを崩し、眼前に迫っていた足は二撃目によって僕に直撃する寸前で上下に裂かれ視界が開かれた。

 片足を負傷したネフィリムは前のめりに倒れながらも口を開き、足元にいたこちらに狙いを定める。しかし僕はビームが発射されるより早く真上に飛び上がると大剣を振り翳した。


「はあぁぁぁっ!」


 そして声を上げながらネフィリムの口に飛び込むと発射されたビーム毎頭を真っ二つに切り裂く。するとビームは霧散し、音も無く倒れたネフィリムは仄かな光を放ちながら消滅した。


「ほう、やるじゃないか」


 その光景を見ていたレヒトは笑みを浮かべると一直線にネフィリムの顔面に飛び込んだ。そして拳を振り上げると僕と同じように雄叫びを上げて殴り掛かる。


「うおぉぉぉっ!!」


 突き出された拳がネフィリムに直撃した瞬間、物理法則を無視したように巨大な頭部が粉砕された。


「…相変わらず化け物だね」


「安心しろ、力は及ばないがお前も十分化け物だよ」


 互いにニッと笑うと僕達は攻撃の手を更に加速させる。その間にも新たなネフィリムが出現するが一体現れる度にそれぞれが一体撃破し、気が付けば僕達を取り囲んでいたネフィリムは数えられる程度にその数を減らしていた。


「レヒト! パス!」


 大剣を旋回させながらレヒトに投げ付けるとレヒトは流れるような動きでそれを受け取り、力を解放したのか大剣が薄紫色に輝く。


「折角の機会だ、試させてもらおう」


 その輝きがどんどんと強くなるに連れて何故かネフィリムの動きは鈍り始め、ついには攻撃の手が止む。そして異様な魔力を発するレヒトを前に全員がその場でじっと固まり見詰めていた。


「どういうこと…?」


 何が起きたのか分からず僕も攻撃の手を止めるとレヒトとネフィリムを交互に見やる。すると突然レヒトを中心に空気がビリビリと振動し、大地までもが震え始めた。


(な、何をする気なんだ…?)


 身を刺すような殺意は僕までも飲み込まんとし、この場に留まるのは危険だと判断すると思い切り後ろへ飛び退く。そうして少し離れた場所で様子を伺っているとネフィリムが小刻みに震え始めた。


(まさか…レヒトに怯えてる…?)


 レヒトを中心とした振動は離れた僕の所まで届き、ついには大地に亀裂までもが走り出す。


「纏めて吹き飛べ」


 大剣の光が一際強くなった次の瞬間、ドス黒い色に変化した光は巨大な剣の形を形成しており、それはまるで神々が扱う神器のようだった。

 レヒトは光の大剣を振り被ると凄まじい速度で薙ぎ払い、その場で硬直していたネフィリムは光に飲み込まれ一瞬で影も形も残さずに消滅してしまう。その一撃の衝撃はこちらまで届き、僕は吹き飛ばされそうになりながらも足を踏ん張り耐える。

 そうして一陣の突風のような衝撃波が過ぎ去るとネフィリムは綺麗に一掃され静寂が訪れた。敵の殲滅を確認した僕はレヒトの元へ駆け寄るが、いつの間にか先程までレヒトを包んでいた黒い靄が晴れている。


「今のは…?」


「遠慮なく力を解放した結果だ。まぁこいつだからこそ耐えられた一撃だな」


 そう言って大剣を見詰めるレヒト。その視線の先にある分厚い刃は傷一つなく、薄黒い怪しい艶を放っていた。

 それにしても今のは一体何なのだろうか?


「そうじゃなくて…何か今までと違う力に見えたんだけど…」


「同じだよ、力の出処を把握したから全力でやってみただけだ」


 よく分からないけど、とりあえず力の強化に成功したようだ。

 とにかくネフィリムを全て撃破した事でようやく一息吐けた僕は緊張を解き、体から力が抜けるとその場に座り込んだ。


「ところでお前…俺の記憶は何処まで見た?」


 大剣を鞘に収めたレヒトは何処かバツが悪そうに尋ねてくる。しかし何処までと言われても膨大な量の記憶が走馬燈のように流れていただけでその内容なんてまったく覚えていない。それをそのまま伝えるとレヒトは安心したように胸を撫で下ろしていた。

 何か知られると困るような記憶でもあったのだろうか?

 しかし人間なら誰にだって知られたくない過去はあるだろう。それを考えるとレヒトにもそんな普通の人間らしいところがあったようで何故か嬉しくなった。


「とりあえずこれで試練は終わったのか?」


「…多分?」


 とは言うものの、ネフィリムの気配が消え去っただけで世界には何の変化も起こりそうにない。

 僕の時は病室の扉を開いたらこの世界に繋がっていたけど、此処でも同じように元の世界に繋がる扉でもあるのだろうか?

 しかし周辺を見渡しても扉らしきものは何処にも見当たらなかった。


「…帰れないな」


「…そうだね」


「お前確か此処に来る前は別の世界にいたんだろ? そこからはどうやって抜け出した?」


 そういえばレヒトには僕が受けた試練の世界については詳しく話していなかった。何から説明すればいいのかと頭を悩ませたが、とりあえず最初から最後まで、覚えてる内容を全て話してみる事にする。すると話を聞き終えたレヒトはおもむろに僕のポケットに手を突っ込むと中から硝子張りの板を取り出した。


「こいつがお前の病室にあったのか」


「あ、そういえばこれって…デバイスフォン?」


 思えばこれを最後に見た時は基本学習プログラムを入れる前だった為、これが何なのか分からずすっかり存在を忘れていた。


「ぽいな、とりあえず立ち上げてみろよ」


 どうやらレヒトはマルスの知識も引き継いでいるようだ。

 新たな知識を共有出来る喜びを感じながら渡されたデバイスの電源を入れるとホーム画面が表示される。するとそこには着信を知らせる数字が三十に増えていた。


「うわ…さっきより増えてる…」


「誰からだ?」


 着信履歴一覧を表示させるとそこに名前はなく、誰の物か分からない番号だけが表示されていた。ただそれらの着信は全て同じ番号から掛けられている。


「…ストーカーか?」


「そんな馬鹿な…」


「まぁさっきの話からすると他に手掛かりと言えば鍵ぐらいか」


 今度は病室で見つけた鍵を取り出すがその形状は新たな知識を得た今でも見覚えのない物だった。元の世界、病室の世界、そしてこの世界のどれにも当てはまらない鍵…まさかこれは元の世界に戻る扉を開く為の物だろうか?

 しかし肝心の扉が見つからないのでは鍵だけ持っていても仕方がない。


「一先ず折り返しの電話でもしてみるか?」


「…やっぱりそうなるよね」


 どうにも着信の意味は理解しているものの、知識を得たせいで今は最初に感じた未知なる物への恐怖とは違う恐怖を感じる。

 改めて履歴一覧を眺めると最初の着信から最後の着信までどういう訳かきっちりと三十分刻みに掛けられていた。最新の着信はつい先程あったようで、次に掛かってくるとしたら三十分後と予想される。このまま待っていれば向こうから掛けてくるんじゃないかと思ったけど、残念ながら必ず掛かってくる保証は無い。そして元の世界ではどれぐらいの時間が経っているのかも分からない為、やるなら急ぐに越した事はないだろう。それにどうせ通話するならこちらから掛けようが結局は同じ事だ。

 本当に掛けるのかと目で確認するとレヒトは何処か楽しそうに頷き、僕は諦め気味に溜息を漏らすと恐る恐る通話ボタンを押す。するとデバイスフォンから立体的な電話の形をしたホログラムが浮かび上がり、着信音が一瞬だけ流れると相手はすぐに出てきた。


「あ、あのー…もしもし…?」


『………』


 使い方は合っているはずだ。僕の声が聞こえていない事はないだろうし、初めての通話だけど第一声の挨拶も間違っていない。しかし相手からの返事は無く、レヒトと一緒に耳を澄ませていると何か物音が聞こえてくる。物音は徐々に大きくなり、電話の向こうからは複数の女性らしき人物の声が聞こえてきた。しかし意外な事にその声には聞き覚えがある。


『…かー! ……レヒトー!』


「…呼ばれてるよ?」


「まさかこの声…」


 声が段々はっきりと聞こえてくるが相手はどうやら一人ではないようで、複数人が同時に何か言っているせいで内容が聞き取れない。


『シオン! 聞こえますか!?』


 その中ではっきりと聞き取れた心配げなその声は間違いなくソフィアのものだった。驚いたけど僕はすぐさま大声で返事をする。


「ソフィア!? 僕だよ、シオンだ!」


『あぁ…シオン…無事だったんですね…』


『レヒトもいるんですよね!? レヒトー! レヒトー!』


 今度は甲高い声の主がしきりにレヒトの名を呼ぶが、当の本人は苦い顔をしながら無言のままだった。


「これ…エリスだよね…?」


「…………」


『シオンさーん! レヒトもそこにいるんですかー!?』


 流石に無視するのも可哀想なので正直に教えてあげる。


「うん…一緒にいるよ、二人とも無事だ」


『良かったぁ…。あ、セリアさん! レヒトも無事みたいですよー!』


 そう言い残してエリスの声が遠ざかると僕は気を取り直してソフィアに状況の説明を求めた。


「えっと…そっちで一体何が起きたの?」


『ええと…エリヤちゃんって名乗る少女が突然現れて二人を試すって…』


『後は私が説明』


 そこへソフィアの言葉を遮り割って入ってきた声の主はどうやら僕達を次元の狭間へ案内した預言者エリヤのようだ。一体何故彼女がソフィア達と合流しているのか見当がつかない。


『お兄様、ご無事で何より』


「ありがとう、それよりこれはどういう状況なんだ?」


『お兄様が持っている端末…それと同じ物を持ってるの。だからこうして通話可能』


 いや待て、ソフィア達のいる世界と僕達が今いる世界はまったく別のはずだ。にも関わらず通話が出来るというのはどういう事だろうか。


『ちなみにこれ、神がくれたの。ゴットフォーン』


 相変わらず言葉足らずでマイペースな様子だが、とても冗談を言っているとは思えない。ではネーミングセンスは置いておくとして、これと同じデバイスフォンを神が彼女に与えたというのか。


「…何で神はそんな事を?」


『さぁ…?』


 どうやらその辺の理由はエリヤにも分からないらしい。

 神は一体何を考えているのだろうか。悪ふざけにしては下らなすぎる。


『二人が扉をくぐって、みんなと合流したの。それで全部話した後に鬼電』


「鬼…そ、そっか…ちなみに三十分置きに掛けてきたのは何で?」


『三十分? 通話ボタンを連打しただけ。お兄様のいる世界とこちらとでは時間軸が異なる』


「…やっぱストーカーだな」


 流石にレヒトもそれを聞いて呆れ顔で呟いた。どうやら彼女は実に三十回も連続で電話を掛け直していたようだ。しかし連続で掛けていたのなら元の世界ではまだ大した時間が流れていないのではないか?


「エリヤ、僕達が神の試練を受けてからそっちの世界ではどのぐらいの時間が経ってる?」


『えっと…一時間ぐらい』


 それを聞いてひとまず安堵の息を漏らした。僕達がいない間に長い時間が流れて既にルシファー達に攻め込まれていた…なんて最悪の展開になっていないようで何よりである。

 とりあえず突っ込みどころはたくさんあるけど状況の把握は出来た。


「おい電波野郎、お前は試練の内容を知ってたのか?」


『電波野郎…。詳しくは知らない』


「じゃあ脱出方法は?」


『知らない』


「何の為の電話だよ…」


『ファイトー』


 相変わらず話がいまいち噛み合わずレヒトのこめかみがひくつく。しかしエリヤは本当に何も知らないようで、電話の目的はあくまで僕達が無事かどうか確認したかっただけらしい。敵か味方かはっきりとは分からないが、この事から少なくとも僕達に敵意はないように思える。

 ただこの世界からの脱出方法が彼女にも分からないのなら結局出口は自力で探すしかないようだ。そう思っているとふとエリヤは何かを思い出したように声を上げた。


『あ…鍵…言い忘れた…』


「え、何だって?」


『世界を繋ぐ扉…それは次元の狭間に隠されてる』


「次元の狭間って僕達がいた…?」


『無限世界は近くに広がっていながらそれを隔てる次元の壁を超える術をヒトは持たない』


「どういう事?」


『もしかしたら局所的な空間崩壊を起こせれば——』


 と、意味深な言葉を言い掛けたところで突然通話が切れてしまった。すぐに掛け直してみるが繋がらない。


「…向こうの電池でも切れたか?」


「まさかそんな…」


 いやしかしエリヤの性格を考えるとそれも十分に考えられる。流石に向こうで充電が出来るとは思えないし、やはり自分達で何とかするしかないだろう。それに途中で切れてしまったけど、此処から抜け出すヒントも少しは得られた。


「…やっぱりこの鍵が必要みたいだね」


「まるで謎々だな。どういう意味か分かったか?」


 頭を捻ってみるが答えなど分かるはずもなかった。ただ聞いた事のない単語の中にきっと答えが隠されているはずだ。


「無限世界…局所的な空間崩壊…この意味が分かればもしかしたら…」


「…局所的な空間崩壊、ね」


 レヒトはその単語に何か思い当たる節があるのかじっと考え込み始めた。


「…以前ベルゼブブと戦っていた時に言われた事がある」


 話によるとレヒトはベルゼブブと戦った際、大剣を折られた事で怒りが爆発し、なりふり構わずに力を解放したらしい。すると殺意は波動となって空間を振動させ、やがて何もない宙に亀裂が生じたそうだ。それを見てベルゼブブは空間を殺す、空間の崩壊というような言葉をレヒトに告げていた。それは世界の崩壊を意味するとの事らしいが、局所的な空間崩壊とは世界が崩壊しない程度に空間を破壊する…という事ではないのだろうか?

 しかし確信は持てず、試してみるには余りにリスクが高過ぎる。


「仮に空間の崩壊が可能だとして、後は無限世界の意味…そしてそれを隔てる次元の壁か」


 まるで謎々だが、言葉の意味さえ分かれば簡単に解ける問題のように思える。

 考えるんだ、神々の知識である真理ダアトの扉を開いた僕ならきっと答えは既に識っているはずだ。


『世界を繋ぐ扉は次元の狭間に隠されてる』

 世界を繋ぐ扉とは恐らく僕達が試練を受ける際にくぐった扉。


『無限世界は近くに広がっていながらそれを隔てる次元の壁を超える術をヒトは持たない』

 これが難問だ。無限世界…これが何を指すのか分からないけど、次元の壁を超えるというのがレヒトの言っていた空間の破壊と同義だとしたら?

 空間の破壊とは次元の破壊…そして壁を超える…そこに無限世界は広がっていて…無限世界は近くに…。


「次元圧縮…?」


 不意にそんな単語が浮かび上がった。

 全ての世界はそれぞれ異なる次元に存在し、決してそれらが交わる事はない。しかしそれぞれの次元の所在は遥か無限に広がる宇宙上に同時に存在しながらも一つに凝縮されてもいる。つまりヒトから見れば宇宙とは無限であり、無限であるが故に途方もない次元の壁の先には異世界が存在するとも言えるが、それを確認する術はない。ただ天上の存在から見ればそれらは全て一と化す…それが次元圧縮という概念だ。

 無限は無限であって同時に一にも帰する。

 まずアイン、これは完全なる無(0)であり、これを認識出来るのは天上の父以外に存在しない。

 そしてアイン・ソフは無限(00)で、世界創造により生まれた全ての次元を指し、天使や神々が認識可能である。

 最後にアイン・ソフ・アウル、無限光(000)は神の世界創造に伴う聖なる光の顕現で、初めのセフィラである王冠ケテルを形成し、やがてそれは王国マルクトとなる。そうしてセフィロトツリーが完成した事でヒトが認識可能な世界は生まれた。

 つまりアインの父より下位の天使や神々はアイン・ソフである。そしてアイン・ソフ・アウルから生まれ、セフィロトツリーで最も低い次元に存在する王国マルクトに存在するヒト。最下位に位置するヒトからすれば次元圧縮なんて概念は理解不可能なのだ。

 真理ダアトの扉を開いた僕ですら知識として概念を理解出来ても、ヒトとして生まれ変わった事で天使のように無限を一に、即ちアイン・ソフは認識出来ないようになっている。

 だとすればエリヤの言っていた無限世界とはアイン・ソフの事を指しているのだろうか?

 ヒトには認識不可能の、広大な宇宙に無限に広がる世界。しかしそれらは全て一に帰結してもいる。一であるが同時に無限である…それは無限世界と呼べよう。

 その上で異世界同士を隔てているのが次元の壁ならば、もし僕が今アイン・ソフを認識可能な存在だったら案外この異世界と元の世界は近くに…いや、同じ空間上で同時に存在しているように見えているかもしれない。


「そうか…そういう事か…」


「…説明を求めたい所だがどうにも嫌な予感がするな」


「うん…恐らくこれは前に話しかけた神々の禁忌の知識に当たる」


「オーケー、じゃあどうすれば脱出出来るのかだけ教えてくれ」


「えっと…」


 詳しい原理や仕組みは省きながら慎重に言葉を選んで説明をする。

 エリヤの言っていた事を要約すると僕達の世界は実はすぐ側にあるものの、そちらへ行くには次元の壁を超えなければならない。次元の壁は空間を破壊する事で超越が可能となるが、その先にはまず次元の狭間がある。そしてその次元の狭間からは無数に広がる世界への移動が可能だけど、僕達が向かうのは元いた世界だ。そこで僕の持っていた鍵…恐らくこれが元の世界の扉を開く鍵となる。これがある限り関係のない異世界に迷い込む事はないはずだ…そう思いたい。

 鍵に関しては情報が不足しているけど、エリヤは鍵の存在を思い出してからこの話を始めた。その事から鍵と無限世界…次元の狭間が無関係という事はないだろうし、使い道があるとしたらそのぐらいしか思いつかない。


「…という訳でまずは局所的な空間の破壊が必要になるんだけど…出来る?」


「やってはみるが…その推測が万が一外れてたら…」


「無限世界についての推測は間違いないと思う。ただ問題は次元の壁を超えた後…本当に元の世界にちゃんと戻れるかどうか…」


「…もし戻れなかったらどうなるんだ?」


「その時は知らない異世界に飛ぶか…もしくは永遠に次元の狭間で彷徨うか…」


「冗談じゃない、異世界なんて二度と御免だ」


 よっぽど異世界で嫌な思いをしてきたのかレヒトは大きな溜め息を吐いた。しかしそれは同感で、僕だってこれ以上訳の分からない世界にはいたくない。


「しかしまぁ…現状では空間を破壊する以外に突破口もないか」


「そもそも僕がレヒトのいるこの世界に来たのは神がそうなるよう仕組んだ事だったと思う。実際この世界に繋がっていた扉はすぐ側にあったし…」


「はぁ…やるしかないか」


 そう言うとレヒトは心底嫌そうな顔をしながらも集中し始める。

 レヒトの周囲にもやが掛かるとそれは徐々に色を濃くし、同時に身を刺すような殺意と強力な魔力がレヒトを中心にして渦巻く。そして先程と同じく空気が振動し、大地が揺れ動き始めると目の錯覚のように空間がぐにゃりと歪んだ。


(これが…まさか本当に空間の破壊なんて真似が可能なんて…)


 分かってはいても実際それを目の当たりにすると些か現実味に欠ける光景だ。

 歪んでいた空間に電撃が走ったかと思うと突如何もない宙に亀裂が走り、中からは深淵のような闇が覗いていた。その光景に思わず恐怖を覚えるが、亀裂は全てを飲み込もうと凄まじい勢いで世界を吸引し始める。咄嗟に地面に腕を突き刺して何とか堪えるが、僕の体は宙に浮き足から亀裂に飲み込まれそうになっていた。見ればレヒトも同じように大剣を地面に突き刺して堪えていたが、吸引力はどんどん強まり大地すら飲み込み始めている。


「レヒト…! これは…!?」


「ちっ…知るか…! ただこいつを放っておくとこの世界全てを飲み込むんじゃないか…!?」


 ベルゼブブは空間の崩壊は世界の崩壊を意味すると言っていたようだけど、確かにこのままでは世界が亀裂に全て飲み込まれかねない。


「…行こう、レヒト」


「あぁ、俺が消えれば亀裂も消えるはずだ」


 お互いに顔を見合わせカウントを取ると僕達は同時に飛び上がった。


「うわああぁぁぁ!」


「ウハハハーッ!」


 一瞬で亀裂に飲み込まれると中から入り口を覗くが予想通り亀裂はすぐに閉ざされてしまう。そうして僕達は上も下も分からない、次元の狭間に再び閉じ込められてしまった。

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