Episode51「虚構」
「まさかあれがシェルター?」
「あぁ、そうだ」
胸元からキーカードを取り出しそれをカードリーダーに翳すとゲートが音を上げながら開くが、その光景すら物珍らしいのか少年は目を丸くしていた。
「ど、どうなってるの…?」
「自動だよ、こんなことでいちいち驚かないでくれ」
こいつの元いた世界がどんな場所か分からないが、とりあえず文明レベルは桁違いに低いようだ。いちいち説明していたら日が暮れそうである。呆然とする少年は放っておいて一人で階段を下りていくとしばらくしてから少年は慌てた様子で追い掛けてくる。しかき階段を下りた先にある隔離壁を見て少年はまたもや固まっていた。
「何これ…?」
「防護壁みたいなもんだ」
「中に一体何が…?」
「中ってより外の脅威に対する物だ」
シェルターなら何処にでもあるような隔離壁だが、一応核爆発にも耐えるぐらいの強度があるらしい。しかしそんな物が悪魔を前にしてどれ程の効果があるかは不明だ。
「外の脅威…?」
かと言ってジハードさえ知らない奴にそんな事を話をしても無駄だろう。少年を無視して先程と同じようにキーカードを翳すと巨大な隔離壁は重々しい音を立てながらゆっくり開き、大量のエリスが俺の帰りを出迎えてくれた。
「ただいま、エリス」
『おかえりなさいマルス!』
一同がこちらに振り返り、愛らしい笑顔を浮かべながら声を揃えて合唱のような返事をしてくれる。誰もが笑顔になる素敵な歓迎だと言うのに、何故かそんなエリス前にして少年は強張った表情のまま固まっていた。
「どうした、入れよ」
近くにいたエリスの頭を撫でてやるとエリスは何か不満があるのかムスッとした表情をしていた。
『もうー、寂しかったんですよー?』
「こ…これ…は…」
「エリスだよ。あぁ、遅くなって悪かったな」
少年の問いに答えてやりながらエリスを宥めように優しく頭を撫でてやる。するとエリスは満足したのかいつもの愛らしい満面の笑みを浮かべた。
『マルスマルス! 今日はみんなでお人形遊びをしてたんですよー! そしたらエリスちゃんがお姫様役をやりたいって言うからみんなでジャンケンしたんです!』
『そしたら私が勝っちゃってお姫様役を…きゃー!』
「そうかそうか、そんな事があったんだな」
口々に今日あった事や楽しかった事を話してくれる。それを穏やかな気分で聞いているとまるで本当にエリスが蘇ったような気分になれた。
『えへへー、私も撫で撫でして欲しいですー』
甘えん坊なエリスが自ら頭を差し出してくるとそちらも同じように愛情を込めて優しく撫でてやる。
「ん、髪が伸びたんじゃないか? また今度切ってやるよ」
このエリスは作られた人形だが生きた人間と同じように髪が伸びたり成長もする。時には病気や怪我もする為、替えとなるパーツのストックは切らす訳にはいかなかった。
何か異変のある個体がいないか見渡すが、全員異常はないようで元気良く笑顔を撒き散らしている。
「あぁエリス…お前は本当に可愛いな」
俺が留守の間に変わった事はないようで一安心すると、先程から無言のまま固まっている少年に振り返る。
「さて…シオンとか言ったか」
「う、うん…」
「エリスは生きている…そう言ったな」
「言ったけど…」
「…今すぐ治療するから待ってろ」
まずは約束通り俺の治療からだ。眼球と足の甲の骨が潰れている以外に大した怪我はなく、この程度なら数分もナノマシーンに浸かっていれば完治するだろう。
その場で服を脱ぎ捨てるとナノマシーン横に立てかけられた梯子を登る。
「こいつはナノマシーンて言ってな、大抵の怪我はすぐに修復してくれる」
「大抵の怪我を…」
「あぁ、人間の肉体を構成しているあらゆる体細胞組織をナノテクノロジーによって復元…再生させるんだよ。…まぁ言ったところで分からないか」
ナノマシーン内を満たしている液体はナノ粒子群を液体化したものだ。このナノ粒子が自ら人間の体細胞や遺伝子情報を複製し変化する事で怪我などで破損した部位を修復してくれる。
だが少年はまるで意味が分からないようで相変わらず口を開けてただ呆然としていた。とにかくこいつには説明するより実際に見せた方が手っ取り早いだろう。
ナノマシーンの蓋を開き、生温い液体に勢い良く体を沈ませるとすぐさまナノ粒子が体細胞組織の再生を開始し泡の様に変化した。
「ナノテクノロジー…」
ふと少年が独り言のように呟くがその声はナノマシーン内の俺にも筒抜けだ。ナノ粒子群は現在液体状になっているが、粒子そのものは自発的なコピーペースト能力を持つ極小の万能細胞であり、水などの液体のように音の振動を遮断する事もなく、外部の音は全て伝導する。また酸素としても成り替わる為、ナノマシーン内では呼吸や会話も可能である。
しかしそんな事を知る由もない少年は深刻な表情で俯いたままふとポケットの中から小型のデバイスを取り出した。見た事のない型だが、この世界にもあるデバイスフォンによく似た形状をしている。
こいつのいた世界の文明レベルはこの世界より遥かに劣っていると予想していたがこうれはどういう事だろうか。まぁどうせこの世界の何処かで拾ったのだろう。現に使い方は理解していないようでデバイスフォンを持つ手はおっかなびっくりな様子だ。
結局少年は待ち受け画面を注視すると何もせずに諦め顔でそれを仕舞い込み、今度は部屋の中をキョロキョロと見渡す。こいつからすればどれも見慣れない物ばかりだろうし無理もない話だろう。しかしそれはまるで原始人が現代にタイムスリップしてきたように見えて何だか可笑しかった。
ふと少年が膝を突き足元のエリスを見やるが、照れ屋のエリスはその視線から逃げるように顔を背ける。ただ俺の家に他人が上がり込むというのは初めての事で、エリスも気になるらしく顔を背けながらもチラリと少年の方を見やる。
「うわぁっ!?」
するとこの世の物とは思えない愛くるしいエリスの仕草に心を突き抜かれたのか、少年は歓喜の声を上げながら尻餅を付いてしまった。そんな少年にエリスは少し驚いたが興味を持ったようで首を回して正面から見据える。
「どうだ、可愛いだろう?」
「か、可愛いって…」
どうやら余りの可愛さに形容すべき言葉が出てこないらしい。しかしその気持ちはよく分かる。どれだけの詩を奏でようと彼女を賛美するには足りないだろう。
他のエリスも少年の事が気になり始めたようで、一人が勇気を振り絞って少年の背後から怯えた様子で近寄るが少年はまるで気付いていない。どうやら目の前にいる天使を象った可憐なエリスに釘付けのようだ。
「ほらエリス、挨拶しろ」
『はぅ…はじめ…まして…?』
「は…はじめまして…」
『…………』
少年の前にいるエリスは何とか挨拶を済ませるが、背後から近付いたエリスはどうやら最初の一言が出てこないようで恥ずかしそうに口籠らせていた。
「ははっ、そう緊張するなよエリス。本当にお前は照れ屋だな」
『う…は…はじめま…しぐっ!?』
エリスは緊張の余り舌を噛んでしまったらしく、薄っすらと目に涙を浮かべるがそんな所がこの上なく可愛い。
「うぎゃあぁぁぁ!!」
そして振り向きその姿を間近で見た少年はすっかりエリスの虜になったようで、ちょっぴりドジでキュートなエリスを前にとうとう歓喜の雄叫びまで上げた。
『キィアアァァァーーー!!』
しかし突然の大声に驚いたエリスは釣られて叫びを上げ、それは他のエリスまで伝達し全員が叫び声の合唱を奏でる。
「うわあぁぁぁ!!」
それは例えるなら聖歌隊の祈りの歌にも似た曇り一つない澄んだ音色。聞いているだけで心が浄化されていく。少年もまたそんなエリスの合唱に心を打たれ、ふと落ち着きを取り戻すと目を閉じ祈りを捧げるように胸元に手を当てた。
最初は気に食わないただのキ○ガイだと思っていたが中々どうして、話が分かりそうだ。こいつとならエリス談義に花を咲かせられるかもしれない。
「な、何なんだ…?」
そして再び目を開いた少年はエリスの魅力に戸惑っているようだった。しかし無理もない。ただの人間が天使を前にすればきっと誰もが同じような反応をするだろう。
こいつになら地下のラボで眠るエリスの事を話してみてもいいかもしれない…そう思えた。
それから数分後、俺の怪我は完治しナノマシーン内に発生していた気泡が消え去る。そして入ってきた時と逆にナノマシーン上部から這い出て梯子を降りると服を着てその辺に腰を下ろす。
そこへ待っていたとばかりにエリスが飛び付いてくるが今は少年から情報を聞き出すのが先決だ。
「さて、それじゃまずはエリスが生きてるってのはどういう事か話してもらおうか」
「…質問に質問で返すけど、此処にいるエリスは生きてるんじゃないの?」
確かに精巧に作られたエリス人形は初めて見れば生きた人間に見えるだろう。少年の疑問は最もだ。
「厳密に言えばこいつらに命という概念はない」
「えーと…つまり機械か何か?」
「そういう事だ。本物のエリスは十年前に死んだ」
言いながら胸が痛むが、不思議とこいつには真実を知って欲しかった。
「こいつらはエリスクローンに失敗して作ったんだよ」
「ど、どういうこと?」
「…俺はジハードによって死んだエリスの体細胞組織からクローンを作ろうとした。しかしそれらは失敗に終わり…こうして魂の無い機械に思考を与える事でエリスを復元した」
しかし話の内容に付いてこれないようで、少年は言葉の意味について必死に考えている様子だった。このままだと話が進みそうにないし、こいつにはこの世界の基礎知識をインストールしてやる方が手っ取り早いかもしれない。
基本学習プログラムは成人になった者がインストールを義務付けられている政府発行の正式な物だ。このプログラムのせいで脳が破壊されるような事態はまず有り得ないだろう。
「言葉で説明するより取り込んだ方が早い」
ダイレクトインストールシステムのデバイスは地下のラボに置かれている為、俺は制御盤を操作しエレベーターを呼び出す。すると少年の足元からエレベーターが上がってくるが、驚いた少年は慌ててそこから飛び退いた。いちいち面白い反応をしてくれる奴だ。
「こ、これは…?」
「エレベーターだ、こいつで地下に降りる」
「地下…そこに何が…?」
その問いに答えた所で今は理解出来ないと決め付け、構わず先にエレベーターに乗り込む。そこで手招きをしてやると少年は戸惑いながら乗り込み、ボタンを押すとエレベーターはゆっくりと下降を始めた。
「お、降りてる…?」
「そうだ、地下にはラボがある」
しかし本当にこいつにエリスを見せてもいいのだろうかともう一度自問自答する。
俺のやっている事は天に唾を吐くような行為かもしれない。しかし既にクローン技術は確立されているのだ、俺だけが異端なんて事はないだろう。
ただ自分がやっている事が間違っているとは思わないが、やはり愛する女性の生首を他人に見せるのは抵抗があった。それでもこいつに真実を打ち明けようと思ったのは何故か?
はっきりとした理由は分からないが、エリスと戯れる少年を見たせいだろうか。もしかしたら俺は心の何処かでこの苦悩を分かち合ってくれるような友を求めていたのかもしれない。
そんな事を考えているとあっと言う間にエレベーターは地下へ到着し、俺が言うよりも早く少年はラボの中央に置かれたナノマシーンへ歩み寄った。
「これは…?」
見て分からないのだろうか。生首だけとは言え上階にいるエリスとその顔は瓜二つだ。
「これがオリジナルのエリスだ。で、あっちがさっき言ったエリスクローンの失敗作だ」
ゴミ箱と化した別室を指差すと少年の目が驚きに見開かれる。しかし無理もない、俺だって最早アレが生きているのかさえ分からない。
とにかく一度襲われた時に俺はトラウマでも植え付けられたのか、あの部屋には二度と近寄りたくなかった。
「これが…エリス…? クローンとか…あんた一体何を言ってるんだ…」
流石に知識のない状態でこの光景を見たせいか、少年は激しく取り乱していた。
「そこに座れ、この世界の事を教えてやる」
まずは基礎知識をインストールしない事には話が進まない。コンソールを操作してシステムの起動準備を開始させる。
「何これ…僕をどうするつもり?」
「話すよりこっちの方が楽なんだよ、いいから座れ」
ダイレクトインストールシステムを久しぶりに起動したがファイルの欠損などはなく順調に立ち上がった。そしてプログラム一覧から目的の基本学習プログラムを探すが、ふとその中に見覚えのないファイル名を発見した。
(…ロストメモリー?)
何だこのファイルは?
いくつかのプログラムを自身にインストールした際、全てのファイル名に目を通したがこんなファイルは見た覚えがない。プログラムを展開して詳細を確認しようとするが何故かパスロックが掛けられており、インストールする以外に中身を確かめる術はなさそうだ。
ただどうにも嫌な予感がした。もしかしたらこれは危険なウィルスかもしれない。そんな物を間違ってインストールでもしたら脳が破壊されるのは言うまでもないだろう。とにかく触らぬ神に祟りなしとも言うし、ウィルススキャンを後でするとしてこのファイルはこれ以上手を出さない方が良さそうだ。
気を取り直し基本学習プログラムのセットアップ準備を再開する。
「これからお前に政府が発行した基本学習プログラムをインストールしてやる」
「プロ…インストール…?」
言われた通り椅子に腰掛けていた少年だが落ち着かない様子でしきりに不安げな目をこちらに向けていた。
「簡単に言うと脳に直接知識を流し込むんだよ」
「の、脳に直接…?」
「痛みはないから安心しろ」
しかしダイレクトインストールを初めて体験する奴にそんな言葉を掛けたところで無駄だろう。今でこそ慣れ親しまれているダイレクトインストールシステムだが、俺だって初体験の時は色々不安だったものだ。
そんな昔を懐かしみながら準備を進め、少年の頭上にあるデバイサーを下ろすと頭部にセットしてやる。
「そう緊張するな、すぐに終わる」
「し、死んだりしないよね…?」
「基本学習プログラムは大した知識量でもないからな。今のところこいつで脳が破壊された例はないし、何より政府公式のプログラムだ」
正確に言えばこのプログラムに限った話だ。俺のようにいくつものプログラムを併用した場合、無事である保証はない。ただそんな不安を煽るような事をわざわざ言う必要もないだろう。
それきり黙ってコンソールに戻るとプログラムのセットアップは既に完了しており、早速ダイレクトインストールを開始させるとマシーンが低い唸りを上げ、モニターにインストールの進行度ゲージが映し出される。そしてゲージが微かに動き始めた途端、少年の身に異変が訪れた。
「え…?」
体験した事のない知識の洪水が流れ込むが痛みはないようで大人しくしている。僅かに動いたゲージは直後一気にインストール完了まで進み、あっと言う間に少年へのダイレクトインストールは完了した。
「気分はどうだ?」
呆然としたままの少年に歩み寄り声を掛けると虚ろな様子でこちらへ振り返る。
「あ…うん…大丈夫…」
「此処が何処か分かるか?」
「ロートランド…?」
「ご名答、どうやらちゃんとインストールされているようだな」
無事インストールが完了し、これでようやく対等に会話出来ると思うと安堵の息が漏れた。
基本学習プログラムの中にはクローン技術が確立されている事など一般社会情報も含まれており、少年は改めてナノマシーンに浮かぶエリスを見ても驚く事はなかった。
「どうだ、お前が知りたかった事はこれで全て解明したんじゃないか?」
「うん…そうだね」
しかし少年は何か腑に落ちない様子で考え込み始める。
「…ネフィリム」
その呟きが一体何の事か分からないが少年は何か気付いたようにハッとした表情を浮かべた。
「ネフィリム…? 何だそれ?」
声を掛けても少年は考える事に集中しているようでまるで聞こえていない様子だった。
「おい、大丈夫か?」
少し強い口調で呼び掛けるとようやくこちらに気付いたのか目を覚ましたように少年が振り返る。
「あ…ごめん、ちょっと考え事をしてた」
「…まぁいい、これでお前の質問には全て答えられたよな」
「うん…もう大丈夫」
「なら今度はこっちの質問に答えて貰おうか。…エリスが生きてるってのはどういう事だ?」
ついにエリスの生死、そしてこいつの正体が分かる。そう思うと柄にもなく興奮してきた。
少年は何から話せばいいのかと頭を悩ませていたが、その後ポツリポツリと少年が語り始めた話はとてもじゃないが信じ難い夢物語だった。
要約するとまず少年がいた世界は時代的には中世期に当たる。そこで少年はソフィアとかいうヴァンパイアの真祖である女に吸血された事で同じくヴァンパイア化したそうだ。
そしてソフィアを狙う敵から彼女を守っていたが、ある日そのソフィアは攫われてしまった。その際、俺にそっくりな殺し屋のレヒトという男に出会ったらしい。この時レヒトと行動を共にしていたエリスもソフィアと一緒に攫われ、後に少年と殺し屋は協力して二人を救出する事となる。
無事ソフィアを狙っていた敵を壊滅させ、二人を救い出した少年達だったが真の敵は他にいた。何とそれはかつて神に挑み敗れた堕天使と悪魔だと少年は言う。
現在少年の世界では堕天使ルシファーを筆頭に悪魔の軍団は神に再び復讐を企て、ヘルゲートとかいう悪魔召喚の扉を開こうとしてしているらしい。それを阻止しようと立ち上がった少年とレヒトだったが、突然現れたエリヤという預言者に神の試練を与えられた二人はそれぞれ異世界に飛ばされてしまった。
そういった経緯から少年は今此処にいる…との事だが、当然そんな話を信じる事なんて出来ず、余りに突拍子の無い夢物語に思わず笑いが込み上げる。
「お前は本物の悪魔と戦おうとしているヴァンパイア? はっ、馬鹿馬鹿しい」
「でも現に僕はこの世界の理を超越した力を持っている」
「それこそ異世界から来たならお前もこの世界に蔓延る悪魔の仲間じゃないのか?」
「その疑いは最もかもしれない。でもこの世界にいる悪魔の正体はネフィリム…天使とヒトの間に生まれた許されざる存在だ」
「ネフィリム…?」
先程少年が独り言を呟いていた際にも出てきた名前だがそんなものは聞いた事もない。
「ネフィリムはこの世界で平穏に、人間と変わりなく生活していた。だけど神の命によって力を強制的に顕現させられ、殺し合うよう仕組まれた」
悪魔の発生原因とその正体は依然として不明のままである。しかし少年の言う通りもし神の力に目覚めた超常の存在がこの世界で殺し合いなんてしたらその被害は計り知れないだろう。
「おいおい…まさかその殺し合いが…」
「そう、この世界を滅ぼしたジハードの真相だ」
…そんな馬鹿な事があって堪るか。悪魔の正体がネフィリムだとして、それが殺し合うよう神に仕向けられたとしたら世界は神によって滅ぼされた事になる。
受け入れ難い話と理不尽としか思えないエリスの死に俺は怒りで震えた。
聖書によればかつて世界は数回崩壊したという。例えばソドムとゴモラ、ノアの箱船、バベルの塔といった物語だ。そんなのは所詮はただの作り話だと思っていたが、もしそれらが事実なら確かに神の気まぐれで何度も世界が崩壊してもおかしくはないのかもしれない。だったら人が崇めていた神とは…一体何だったのか。
「…この世界が何なのかはっきりとは分からない。でも確実に言えるのは…僕がいた世界でエリスは今もあんたの帰りを待っている」
「俺の帰りか…。じゃあ俺が今まで生きてきた記憶は…一体何だってんだ?」
「それは分からないけど…今僕達は神に試されている」
「神だと…? はは…そんな物の存在まで信じろって言うのか…」
改めて神の名を挙げられ思わず笑ってしまうが、どうやら少年は本気で神の存在を信じているらしい。ただ少年に嘘を言っている様子はなく、その目は恐ろしい程に真っ直ぐだった。
「マルス…あんたも僕と同じく神に試されているんだ」
少年はレヒトと共に神の試練を受けていると言っていた。そして少年は俺をレヒトだと言う。つまり俺もまた少年と同じように神の試練を受けている最中という事だ。
しかし俺にはレヒトの記憶も自覚もなければ、生まれた時からマルスとして生きてきたはっきりとした記憶がある。だから俺がレヒトである訳がない…そう思っても先程から何故か胸が騒つく。
「違う…俺はこの世界で生まれて…恋人だったエリスはジハードで…瓦礫の下敷きになって…」
「いいや、あんたは殺し屋レヒトだよ。今はそれを忘れているだけだ」
「知らない…俺はそんな奴知らない…。俺はマルスだ…全部覚えてる…親も…故郷も…嘘なもんか…」
それを認めれば俺は俺でいられなくなる、そんな気がして自分がレヒトであるなんてどうしても受け入れられない。しかし少年は追い打ちをかけるように淡々と告げる。
「思い出すんだ、エリスは死んでなんかいない。これは…エリスなんかじゃない」
「違う…違う違う…! これはエリスだ…俺はエリスを蘇らせるんだ…!」
目の前に浮かぶ紛れも無いエリスまで否定され恐怖を覚えた。
俺の記憶、見えている世界全てが嘘なら今この場に存在する俺は何者だ?
少年の言う通り俺がレヒトなら今の俺を形成してきた人生は何だったというのだ。自分も世界も全てが嘘で塗り固められた虚構なら、現在俺が認識している物事もまた事実である証明なんて誰にも出来やしない。
かつて哲学者が遺した我思う故に我ありという言葉を借りるなら、こうして恐怖し怯える俺は紛れもなく真である。しかしそれさえ神に仕組まれた夢ならば全てが嘘になってしまう。
その矛盾は自分の存在さえ曖昧にし、その場に立っている事すら恐ろしくなった俺はその場に
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