Episode50「歪曲」
「エリス…」
俺の良き理解者だった掛け替えのない恋人はジハードによって瀕死の重傷を負った。しかしこれ以上大切な者を失ってなるものか。
首だけになってしまったエリスだが未だナノマシーンで辛うじて脳だけは生きている。
ジハードに巻き込まれた俺はいつの間にか意識を失っていたが、目を覚ますとそこは何も無い瓦礫だけの悲惨な世界となっていた。
無感情に荒廃した街を眺めていると近くにエリスの首が転がっているのを発見する。それを見ても不思議と何の感情も沸かなかったが、ある考えが脳裏を過った。
対象の体細胞組織があればそれを元にして復元…即ちクローンの作成が可能ではないか?
クローン人間の生成に成功したというニュースを見た覚えもある。
微かな希望が見えた俺は周辺にエリスの断片がないかと血眼になって探し、いくつかエリスの物と思われる肉片を手に入れた。きっとこれらを元に最新のクローン技術を駆使すればエリスを復元する事だって夢ではないはずだ。そう考えた俺はその日から自宅のラボに篭り研究を進めた。
文明の進歩は目覚ましく、クローン技術の知識がない俺でもダイレクトインストールシステムを利用しクローン技術の知識は簡単に手に入れる事が出来た。他にも役立ちそうなプログラムを全てインストールし、様々な観点からエリス復元のアプローチを仕掛ける。
実はプログラムを併用する行為は組み合わせによっては危険とされており、法律で禁じられている。その為複数プログラムのインストールは本来専門家の診断が必要になるが、崩壊し法が失われたこの世界では気にするだけ無駄だ。何よりエリスに再会する為なら一分一秒たりとも無駄にしたくない。
しかし何度挑戦してもエリスの復元は上手くいかなかった。大量に積み上がった失敗作はゴミ箱のように隔離された別室に放り込んでいる。過去に一度その失敗作が意思を持ったスライム状のモンスターとなって襲い掛かってきた事があったが、その時は偶然室内に落ちていた大剣で応戦し、結果的に大剣は奪われてしまったものの沈静化に成功した。
ただまたいつ襲われるか分かったものではない事から念の為と現在別室は隔離処理を施している。まさにゴミ箱という訳だ。
そうして失敗続きではあるが諦めなければいつかきっと成功するはずだと信じ、研究の合間に寂しさを紛らわせるようにエリスを模した人形を作り暮らしていた。
しかし研究を始めてから実に十年の月日が流れるも、最初に集めたエリスの破片は全て失敗作に終わりとうとう首だけになってしまった。首だけでも復元出来る可能性は捨て切れないが、万が一失敗した時の事を考えるとリスクが大き過ぎる。その為、俺は仕方無く外へ出て研究の為の素材集めをするようになった。
ジハードが終わってからも世界には悪魔の生き残りが闊歩している為、外を出歩くような奴はそうそういない。ジハード直後は生き残った人間達が瓦礫の山から使えそうな物を奪い合うという地獄絵図のような光景も見られたが、それも今はもう無い。今も外を出歩いていると言えば数少ない生存者のシェルターを狙う卑劣な強盗ぐらいだ。悪魔よりそんな連中に見つかる方が遥かに厄介な為、俺は極力目立たないようにして瓦礫の山を探索していた。
途中でエリス人形の破損したパーツの代わりになりそうな無機物を発見するとそれをとりあえず鞄に詰め込む。しかしジハードから十年も経っているとほとんどの人間が白骨化しており、生体物となるような物は中々見つからない。それでも何かに使えるかもしれないと俺は誰の物とも分からない骨も鞄に詰め込んでいく。
しかし外へ出て素材集めをしながらラボで研究を続ける日々も段々と行き詰まるようになる。どうしてもエリスの復元が成功しなかったのだ。
やがて俺は研究を放置し、エリス人形をエリスと思い込む事によって充足感を得るようになって塞ぎ込んでいった。エリス人形ならいくらでも作れるし、声を掛ければ温かい言葉を返してくれる。だから俺はこいつがいれば一人じゃないと思えた。
そんな日々が数年続き、気が付けば部屋には百を超えるエリスがいた。しかしまだ足りない。どうやっても心が満たされなかった。
だから俺はまた外へ出て、更に満足出来る新たなエリス人形を作る為の素材を探すようになるが、そんなある日運悪く強盗団に見つかってしまった。
(これまで…か)
殺されるかもしれない。しかし住処に押入られエリスに手を出されるぐらいなら此処で死んだ方がマシだろう。もう二度と大事な人を失う悲しみなど味わいたくない。
そうして死を覚悟していると男の一人に背後から後頭部を何かで殴打され一瞬意識が朦朧とする。そしてその場で膝を突いた瞬間、男達が一斉に襲い掛かってきた。
人間とは弱く、醜い生き物だ。自分よりも弱い存在を見つけたら己の存在価値を証明する為、時に同族であろうと手を掛ける。それだって仲間と一緒にいる事で自分は強いのだと錯覚しないと出来はしない。人間は群れを成す生き物だが、裏を返せば一人じゃ無力な生き物だ。
既に崩壊したが高度な文明社会でもその本質は何ら変わらず、むしろ法という枷が外れれば人間なんてこんなものだろう。だから一人で力の無い俺に出来る事は何もないし、弱肉強食の自然の掟に従いただ死を待つしかない。
「弱い者イジメは楽しいなぁ!」
モヒカン頭の男が鳩尾に蹴りを入れてくるが大した威力ではない…はずだ。それでも痛みを感じ声を漏らしてしまう自分が理解出来ず、ただただ情けなかった。
俺に力があればこんな連中八つ裂きにしてやるものを…。そう思うがそんなのはただの夢物語であり、実際俺には何の力も無い。せめてと下卑た声のモヒカン男を睨み付けるが実に愉快そうな憎たらしい笑みを浮かべていた。
「お、やるのか? おら来いよ」
モヒカン頭はその場でしゃがみ込むと自分の頬をちょんちょんと指で突く。本当は一瞬で死ぬつもりだったが、このまま黙って殺されるのは癪だ。
身体中が痛むが気力を振り絞って立ち上がると全力で男の顔面を殴り付ける。しかし男は死ぬどころかまるで効いていないようで、ゲラゲラと下品な笑い声を上げると頭を鷲掴みにしてきた。
「何だそれはぁ? いいか、パンチってのはこうやるんだ…よっ!」
男のパンチが顔面にめり込みあっさりと眼窩は砕かれ、眼球も潰されたのか激痛と共に一瞬視界が真っ白になった直後、世界の片側が暗闇に閉ざされた。
「が…ぐぁぁ…!」
「あーあ、男前の顔が台無しだ」
何故だ…何故俺はこんなにも弱い?
周りの男達は俺を見て笑うと、一人が背後から羽交い締めにしてきた。
「こりゃ良いサンドバッグだ」
男達が次々と襲い掛かってくるが身動きが取れずに延々と殴られ続ける。何度か意識が飛び掛けるが男達の攻撃は即死するような威力はなく、まるで生き地獄を味あわされているようで恨めしかった。
「テメェら…殺してやる…」
一矢報いようと男の一人の顔面に唾を吐き付けるとそれまでの笑顔が一瞬曇った。
ざまぁみやがれ。
「ほう…珍しく骨のある奴だ」
男は口元を釣り上げると足元に転がっていた頭程の大きさの瓦礫を拾い上げ、それを思い切り俺の足元目掛けて投げ落としてきた。
「がぁっ…!!」
余りの激痛に思わず顔が歪むが決して叫び声は上げない。そんな事をすれば余計にこいつらを喜ばせるだけだ。力では抵抗出来ないがやれるだけの事はやってやる。
しかしそんな細やかな抵抗は男達の琴線に触れたのか、周囲の男達も適当な瓦礫を拾い上げると下卑た笑みを浮かべる。
「さぁて、何処まで耐えられるかな?」
流石に今度こそ死ぬだろう。しかしこの生き地獄もこれで終わると思えば諦めもつく。
それにしても俺は今まで一体何の為に生きてきたのだろうか…そんな事を考えながら目を閉じた瞬間だった。突然不快な音と共に俺の顔に生温い液体が飛び掛かかり、来るはずの攻撃が中々来ない。
「な…何だテメェは…?」
男の震える声に何事かと片目を開くとそこには見慣れない服を着た少年が血塗れで立っていた。
「その人を今すぐに解放するんだ」
シルバーブロンドの髪に血の様な紅い眼をした少年。その足元には頭のない男の死骸が転がっている。
まさかこのガキが
見たところ武器らしい物は何も持っていないが、素手で人間の頭を粉砕するなんて真似は人間に出来るはずがない。しかし男達の怯み方は尋常ではなく、どうやら本当にこいつは男達の目の前で人間の頭を粉砕したようだ。
「ひ…ひひひ…悪魔だ…悪魔がやって来た…」
「悪魔じゃなくてヴァンパイアなんだけど…」
(悪魔…そうか…)
成る程、それなら納得だ。俺がジハードの時に垣間見た悪魔はどれも巨大なものだったが、小さい悪魔がいても不思議ではないだろう。何よりこんな真似が出来るのは人間でなければ悪魔以外に考えられない。
「悪魔だあぁぁぁ!!」
発狂したように男の一人が持っていた瓦礫を少年目掛けて投げ付けるが、少年はそれを難なく回避する。動きは一見すれば何て事はないがその反応速度は異常と言う他なく、まるで最初からその攻撃が来る事を知っていたような無駄のないものだった。
その後も襲い来る男達の攻撃を全て回避しながら一撃で葬っていくが、その力も動きも何もかもが人間離れしている。流れる様に男達全員を皆殺しにすると返り血に塗れた少年は申し訳なさそうな顔でこちらに振り返る。
「遅くなってごめん…大丈夫…?」
どうやら俺を助けてくれたようだがこんなガキは知らないし助けられる義理も無い。まして悪魔が人間を助けるなんて前代未聞だ。
「レヒト…?」
しかし無言でいると少年は不安そうな表情でそう呼び掛けてきた。どうやら俺を誰かと勘違いしているようだ。
「誰だそれ…。お前は…何だ…?」
「僕はシオンだよ。覚えてないの?」
当然そんな名前など聞いた事もない。とりあえずシオンと名乗るこいつに敵意はないようだが、悪魔に人間の知り合いがいるとはどうにも考え難い。そうなると尚更人間である俺を助けた理由が分からなかった。
「知るか…悪魔に知り合いなんていない」
「さっきも言ったけど僕はヴァンパイアだ。そしてあんたはレヒト…不死身の殺し屋だよ」
「俺が殺し屋…? そしてお前がヴァンパイア? 笑えない冗談だ」
嘘を吐くにしてももっとマシな嘘をつけばいいだろうに。何がどうなって俺が殺し屋なんて発想が出てくるのだろうか。
俺の知るこの世界に於いて殺し屋なんて都市伝説のようなものだし、仮にそんなものがいたとしてもあっという間に捕まる。加えてこいつは自分をヴァンパイアなんて言っているが、それこそ都市伝説どころか映画や漫画の見過ぎだ。ヴァンパイアなんてものがこの世に存在する訳がない。
きっとこいつはただの精神異常者だ、下らない妄言に付き合ってなどいられない。これ以上の相手は無駄だと判断すると俺は少年に背を向け構わずシェルターに向かう。
「ど、何処に行くの?」
「…お前には関係無い」
まさかこいつ付いて来る気か?
冗談じゃない、悪魔のようなキ○ガイに付き纏われるなんてゾッとしない話だ。
「あんたがレヒトじゃないとしても、そんな怪我人を放ってはおけないよ」
しつこい奴だ。何より俺の身を案じているような態度がとにかく腹立たしい。
仮にこいつが悪魔でないにしろ、他人の心配が出来るのは力ある者の余裕だ。そう考えるとまるで見下されているような気がした。
「黙れクソガキ…殺すぞ」
「…今のあんたじゃ僕は殺せないよ」
分かっている、俺じゃこいつには歯が立たない。だが改めて言葉にされると頭に血が上った。
「…殺してやる」
重い体と動かなくなった片足を引き摺りながら距離を詰め、手の届く距離に入ると思い切り少年の顔面に拳を叩き込む。当然効くはずないが、何故か少年は今にも泣きそうな哀れみの目を向けていた。
(やめろ…俺をそんな目で見るな…)
少年は反撃してくる素振りを見せないが、それが余計に腹立たしくなり俺は怒りのままに何度も拳を打ち付ける。
「殺す…殺す…!」
しかしとうとう少年は目から涙を流し懇願するように呟いた。
「もう…止めてよ…」
何なんだ、何でこいつは涙を流す?
そんなに俺が惨めか?
「死ね…死ね…死ね…!」
自分の非力さが恨めしくてどうかしそうだった。少年に拳を受け止められだけでバランスを崩した俺はその場で倒れ込んでしまう。
エリスを蘇らせる事も叶わず、こんなガキにまで哀れまれるとは…。これ以上惨めに生き恥を晒すぐらいならいっそ先程の男達の様に殺して欲しい。
「…さっさと殺せよ」
「嫌だよ」
「頼むから殺してくれよ」
「…あんたはこんなところで死ぬ男じゃない」
「お前に…何が分かる」
本当に何なんだこいつは。人違いにも関わらずその言葉からは何か確信めいたものが感じられる。どうやら本気で俺を殺し屋のレヒトやらと信じきっているようだ。
やはりキ○ガイの相手などするだけ無駄か…そう思うと今度はこんなガキを相手に腹を立てていた自分が情けなくて思わず笑いが込み上げてきた。
「この世界で何が起きたのかは知らない…でもあんたはこんなところで燻ってる場合じゃない。待っている人が…エリスがいる」
しかしその言葉に俺は驚き少年の顔を凝視した。こいつ今…エリスと言ったのか…?
「エリスを…知っているのか…?」
「え…う、うん…」
「馬鹿を言うな…あいつは間違いなくあの時に…」
エリスは俺の目の前で瓦礫に潰され死んだ。その証拠に今もナノマシーンにはエリスの首だけが遺されている。
もしかしてこいつはエリスの知り合いだったのだろうか?
しかしそれなら昔からエリスと付き合いのある俺が知っていてもおかしくないはずだ。何より俺とよく似たレヒトなんて殺し屋がいたならそれをエリスが黙っているはずもない。
それだけじゃない。エリスを失ったジハードから実に十数年経っているが、こいつの容貌からその年齢から推測するとジハード当時こいつはまだ赤ん坊のはずだ。
まさかこいつの言っているエリスも別人なのか?
「…生きてるよ、間違いなく」
しかし少年はきっぱりとそう言い放つ。
(そんな馬鹿な…どういう事だ…?)
だったら今もナノマシーンで生かされているエリスは一体何者なんだ?
しかし…もしもだ、こいつの言っている事が本当で、もし今もエリスが生きているのなら…。
全てはこいつの狂言である可能性も考えられるが、エリスが今も何処かで生きているのならどうかそれが本当であって欲しいと願わずにはいられなかった。
「何でそんな事が分かる?」
「この世界ではどうか知らないけど…僕達が元いた世界では生きている」
こいつが元いた世界…?
その口振りはまるで自分は違う世界の住人だと言わんばかりだ。しかし殺し屋にヴァンパイア…どれも現実的でない話だが、仮に異世界なんてものが本当に存在して、こいつがそこからやって来たのだとしたらイカれた言動も頷ける。
「…どういう事か説明してもらおうか」
「それは構わない…でもまずはあんたの怪我の治療が先だ」
「そんなものはどうでもいい、早く言え」
「嫌だ。応急処置でもいいから終わったら話すよ、約束する」
「約束か…」
果たして信じて良いものか。相手は狂言を繰り返しているただのキ○ガイか、はたまた人間を騙そうとしている悪魔かもしれない。
しかし俄かに信じ難いがこいつの言っている事が全て真実なら、俺はこいつと同じ世界の住人だった可能性がある。もしそうならこの地獄の様な世界から抜け出し、生きたエリスと再び出会うのも夢ではない。
未だ疑惑は拭い切れないが、こいつが俺を騙すにしてもその理由がまるで分からないし、そんな事をしてもこいつが得られるものなんて何もないはずだ。その気になれば俺を殺すのだって造作のない事だろうに、未だ手を出す気配がない事から敵意もないように思える。
どうせ一度は捨てた命だ、いっそこのガキに賭けてみてもいいかもしれない。
とりあえず少年の提案を承諾すると俺は怪我の治療をする為に早速自宅へ足を向ける。
「今度は何処に行くの?」
「…うちのシェルターだよ、治療が済めば知ってる事を話してくれるんだろ?」
「う、うん…。でもシェルターって…?」
「…お前シェルターを知らないのか?」
益々もってこいつが異世界からやって来た説が可能性が濃くなる。そういえば服装も現代のものとは明らかに異なるし、本当に異世界の住人なのだろうか。
「…まぁいい、少し行った所に住処がある。そこに行くぞ」
だとすれば今ここでナノマシーンの説明をしたところでどうせ通じないだろう。いちいち説明するのも面倒な為、適当に流すと俺は片足を引き摺りながら歩き始める。
しかし少年はすぐさま横に並ぶと勝手に俺の腕を取り自分の肩に回した。
「…どういうつもりだ?」
「どうもこうも…その足じゃまともに歩けないでしょ?」
「余計な御世話だ」
「早く治療する為にも手伝わせてよ」
「…勝手にしろ」
こいつの態度は強者の余裕から来ている哀れみだと思っていたが、本当はただ御節介なだけかもしれない。かと言ってそんな赤の他人の善意など簡単に信用出来るはずもなく、今は黙って肩を借りておく事にした。
「…それにしても片目を潰されてよくそんなに喋れるね。本当にレヒトじゃないの?」
そう言う少年は潰れた俺の目を見て少し気持ち悪そうな表情をしていた。自分で確かめる術はないが相当グロテスクな事になっているのだろう。
「どういう意味だ、お前の知るレヒトってのは片目を潰されても平気だって言いたいのか?」
「うん…一瞬で再生すると思う。片腕を自分で切り落として再生してたし」
自分で切り落として再生…?
人間の自然治癒能力だけでそんな真似が出来る訳ないのは明白だが、かと言ってこいつの世界にナノマシーンがあるとも思えない。そもそもだ、片腕を自分で切り落とす意味が分からない。
「…何だそのキ○ガイは」
こいつの世界とはミュータントのような突然変異体でも蔓延しているのか?
しかしこいつはジハードに現れた悪魔とは違うだけで、悪魔の眷属である可能性もまだ捨て切れない。何にせよこいつの馬鹿げた空想を信じるにはもう少し証拠と時間が必要なようだ。
「…お前の知るレヒト、そしてお前自身、本当に悪魔じゃないのか?」
「しつこいな…違うってば。さっきの男達も言ってたけどこの世界にも悪魔がいるの?」
「…後で教えてやるよ」
この様子ではどうやら本当にジハードの事も知らないようだ。この世界で生きている人間なら誰もが知っているジハードを知らないのなら、異世界から来たという話も現実味を帯びてくる。
「分かった。ところであんたの名前は? それぐらいなら今教えてくれてもいいでしょ?」
何故名乗らなければならないのかと反抗的になってしまうが、少年が既に名乗っている以上こちらも名乗らなければ失礼だろう。
「…マルスだ」
その名を聞いても少年に驚く様子はなく、何かを考え始めたようにそれきり喋らなくなった。俺の名前に何か思うところでもあるのだろうか。
それにしても少年が呼ぶレヒトという名前…初めて聞いたがこうして反芻してみると存外すっと俺の中に入り込んでくる。ただ何処かで似たような地名があったような気もするし、恐らくそのせいだろう。だからこいつの言うような、自分の腕を切り落として再生するイカれた殺し屋なんて化け物が俺のはずがない。
そもそも俺にはこの世界で生きてきた確かな記憶がある。そしてエリスは死ぬ直前に俺をマルスと呼んでいた。だから俺はレヒトではなくマルスだ。
そう自分に言い聞かせるが俺の胸には言いようのない違和感がしこりのように残っていた。それはまるで今まで完璧と思われていた歯車に微かな歪みが生じ、何処かが軋み始めたような些細なものだ。しかしその正体はいくら考えても分かるはずもなく互いに無言のまま歩き続ける。
そうして少年に肩を借りながら俺達はようやくシェルターまで辿り着いた。
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