Episode49「甘き死」

 俺はノックの音でふと目が覚めた。…いつの間に眠っていたのだろうか。

 気だるい体を起こし扉を開くと刺激的な衣装に、零れ落ちそうな張りのある豊満なバストが出迎えてくれた。


「…サラか」


「朝早くにごめんなさいね、起こしちゃったかしら」


 口では謝罪しながらもサラは俺をかわすと勝手に部屋に上がり込んでくる。相変わらず図々しい女だ。


「寝汗凄いわね、またいつもの悪夢でも見たのかしら?」


「さぁな」


 何か長い夢を見ていたような気がするが内容を思い出せない。まぁ夢なんてそんなものだし、いつもの悪夢じゃないだけマシだろう。

 気を取り直すと勝手に人様の家に上がり込みソファーでくつろいでいる女の前に腰を下ろす。


「で何の用だ、昨日の今日でまた新しい依頼なんて言わないよな」


「あは、バレてる?」


「…ふざけるなよ、相変わらず面倒な依頼ばっか持ち込みやがって」


 こいつは仲介屋のサラ。殺し屋である俺とは仕事上のパートナーのようなものだ。

 本来俺は特定の仲介屋とは繋がりを持たないようにしているが、こいつとは大人の諸事情等により何だかんだでズルズルと関係が続いていた。


「良いじゃない、その分の追加報酬は払ったはずよ」


 そう言ってサラははだけた胸元に指を掛ける。もうちょっとで見えそうな突起に思わず生唾を飲み込むがそれ以上はズラしてくれそうにない。


「…女狐め」


「ふふ、続きは仕事の後にね」


 出会った時は青臭さの残るただの痴女だったが、時間が経つに連れて肉体と人格が成熟し、悩ましい魅惑の痴女と進化していた。スラッとしたモデルのような体型に突出した豊満なバストは芸術品のように美しく、少しキツめの顔も艶やかなブロンドヘアーとマッチして扇情的に映る。まるで男の性欲を煽る淫魔のような女だ。


 サラと出会ったのは今から三年程前の事だ。俺はシモンの死後も殺し屋稼業を続けていたが、あの事件以来シモンの忠告通り極力目立たないよう依頼をこなし、かれこれ二百年以上経っていた。

 その甲斐あって殺し屋レヒトの名は裏世界で噂されながらも、それは同一人物ではなく何代も受け継がれるブランド名のような認識となっていた。風の噂では現在の殺し屋レヒトは六代目なんて呼ばれているらしいが、当然ながら最初から殺し屋レヒトは俺一人だ。

 そんなこんなで一流の殺し屋となった俺に持ち込まれる依頼はどれも高額な報酬のものばかりだった。しかし気まぐれで滅多に依頼を受けなかったせいか、仲介屋の間では機嫌を損ねるような依頼を持ち込むと殺されるなんて有りもしないデマも流布されるようになっていた。勝手に誤解されるのは困りものだが、結果的に気分次第で自由に依頼を請け負えるようになったのは正直ありがたい話である。

 そうして殺し屋レヒトは裏世界で良くも悪くも一流でありながら、曲者としてその名を広めていた。


 サラと出会ったその日、俺は大きい依頼を終えて悠々自適な休暇を満喫していた。その頃丁度新居に引っ越したばかりなのもあって、調度品を探しに街をぶらついていると突然刺激的な衣装に身を包んだサラがぶつかってきた。


「やだ私ったら! ごめんなさい、大丈夫ですか?」


「あぁ、気にするな」


 ぶつかった際、俺の持っていた紙袋に詰め込まれた食材が周辺に散乱してしまい、サラは慌てた様子でそれらを拾い始める。しかし俺は食材を拾いながらも視線はサラの張りのあるたわわな胸一点に注がれていた。

 まだ若干のあどけなさが残っているが、はっきりとした端正な顔立ちは妙に大人びて見える。しかし体は紛れもなく立派な大人だ、それもその辺の女とは比べ物にならないぐらいの完成度である。


「ふふ、何処を見ているのかしら?」


 俺の視線に気が付いたサラは笑みを浮かべるが、それを気にする素振りもなく散乱した食材を拾い続ける。しかししゃがみ込んでいるせいで短いスカートの中が丸見えだった。まだ若いだろうにその下着は刺激的な赤色で、割れ目に食い込むそれは下着というより最早ただの紐だ。

 今度は股間を凝視していると落ちた食材全てを集め終わったサラが不思議そうな顔で手渡してきた。


「どうかしました?」


「あ、いや…何でもない」


 気付いていないのだろうか?

 だとしたらこいつはこんな格好をしていながら割と天然なのかもしれない。と思っているとサラは突然胸を抑えてその場に蹲り出した。


「うっ…うぅっ…!」


「…どうした?」


「む、胸が…苦しい…の…!」


 さて、どうしたものか。表情をよく観察するが汗は流れているものの血色は悪く見えない。はっきり言えば仮病のようだ。

 しかしここでわざわざ仮病を使う理由に見当がつかない。


「は…あぁっ…何処か…休める場所に…」


 そう言いながらサラははち切れんばかりの胸を締め上げていた紐に手を掛けた。

 まずい、ここでその爆乳を晒されては俺まであらぬ誤解を招きかねない。


「分かった、分かったから少し待ってろ」


 周囲の通行人が何事かと足を止め始める中、俺はサラを抱き抱えると一先ず新居へ逃げるように戻る。そしてすぐさまベッドに寝かせてやるとサラは急に大人しくなってしまった。


「はぁ…ありがとう…優しいのね…」


「あ、あぁ…」


 何だこの茶番は?

 この女の狙いがまるで分からない。


「あ、私はサラ。あなたは?」


「…レヒトだ」


 しかし俺の名前を聞いた途端、サラの目が輝き出し仮病の事は忘れたように勢い良くベッドから身を乗り出した。


「レヒト…レヒトってもしかしてあの殺し屋の?」


「…詳しいな」


「あぁ…こんな所で会えるなんて…嬉しい!」


 するとサラが突然胸に飛び付いてくるが、何が何だか分からず俺は混乱してしまう。


「あなたが以前殺した指名手配犯…そいつに私は恋人を殺されて…。だからあなたは私の恩人なの…」


 そう言いながら瞳を潤ませ、キスをせがむように唇を寄せてくる。

 全体的に細身でありながら肌は柔らかく弾力があり、触れているだけで欲情を煽られる。更に自己主張の激しい胸が押し付けられ俺の息子はすっかりやる気満々だ。

 しかし俺が殺した指名手配犯と言われてもまるで覚えがない。いちいち殺した人間の事など覚えていないが、言われてみればそんな標的もいた気がする。

 ただそんなあやふやな記憶のまま真偽も定かでない理由でヤッてしまうのはどうなのか。もし何か狙いがあって俺をハメようとしていたら…?

 どうしても疑念を拭い去れないが、目の前の瑞々しい唇は物欲しそうに開かれ、唾液に塗れた舌先がちょこんと伸びてくる。


(…まぁ何とかなるだろう)


 俺の理性はあっさりと焼き切れた。

 結局それから日付が変わるまで、実に半日もの間俺達は激しく互いを求め合い、全てを出し切りぐったりしているところにサラは嬉しそうに頬擦りをしてくる。


「ふふ…一杯出されちゃった…」


「…無理矢理搾り取ったの間違いだろう」


 どういうつもりか知らないがサラは全弾膣内への発射を要求してきた。面倒な事になるのは御免の為、発射直前に引き抜こうとしたがサラはそれを拒むように腰に両足を回して固定し、結局俺は身動きが取れずに絞り取られてしまった。


「ねぇねぇ、責任取ってくれる…?」


「知るか」


 この場合の責任とは妊娠した際に発生する話だろう。しかし俺の精子は死滅しているのか、何度やろうと相手が妊娠する事はなかった。

 不老不死である俺の遺伝子が残されれば、やがて世界は俺の子供で蔓延する事になりかねない。しかし相手が決して妊娠しない以上、そんな心配をせずに性行為を楽しめるのは幸いと言えよう。かと言って馬鹿正直にそんな話を打ち明ける訳にもいかず適当にあしらうが、サラは怒る事なく何故か笑みを浮かべていた。


「んもぅ…最低ね…」


「最低で結構だ」


「じゃあ…もっとしちゃう…?」


「…何でそうなる」


 普通の女ならここで無責任だ、などど喚きながら怒る場面だろう。やはりこの女、天然という理由抜きで何かがおかしい。


「ふふ…レヒトすっごく気持ち良さそうだったわよ?」


 その点については何も言い返せない。確かにこれだけ長生きしてきて、サラ程に相性の良い相手は初めてだった。そして性行為がこんなにも気持ち良いものだなんて知らなかった。シモンの言っていた通り、世界にはまだまだ俺の知らない事がたくさんあるようだ。


「ねぇ、いくらでも私のこと使っていいから…一つだけお願いしていい?」


「そうか…それが狙いか」


 殺し屋に直接の依頼交渉、しかも俺が殺し屋レヒトと知りながらそれを持ち込むとは。どうやらこの女、相当裏世界の事情に詳しいようだ。


「ふふ、あなたが以前殺してくれた指名手配犯…その共犯者も消して欲しいの」


「共犯者?」


 そんな事を言われても指名手配犯の事なんて覚えてないのだから共犯者なんて分からない。


「男の共犯者…それは隣国の大臣よ」


 だがあっさりと告げられた標的に俺は思わず驚いてしまった。


「おいおい、大臣なんて殺したら…」


「大混乱に陥るでしょうね。でも…どうしても許せないの」


「冗談じゃない、そんな依頼を受ける殺し屋なんて…」


「普通ならいないわ、だからあなたに依頼したいの」


「…報酬はどうするんだ、今日のプレイ程度じゃ割に合わないぞ」


「分かってる。だからこれから一生…あなたの性奴隷になるわ」


「はぁ?」


 その言葉に俺は再び驚かされてしまう。殺しの報酬が女の体なんて前代未聞だ。


「私の体を好きに使ってくれて良い。勿論加えて報酬金もしっかり支払う…それでどう?」


 そう言ってサラが提示した金額は自身の財産全てを注ぎ込むつもりなのか、今後一生遊んで暮らせる程の目を見張る金額だった。おまけにこのナイスバディも好きに出来る…そう思うと正直魅力的な話だ。それに奴隷という事は気が済むまでこの熟れた肉体を堪能し、飽きたら今回の報酬の半分でも渡して追い出せば良いだろう。


「…言っておくが飽きたら捨てるぞ?」


「えぇ、勿論構わないわ」


 どうやら本気らしい。しかしこんな訳の分からない展開も長い人生に於いては貴重な刺激かもしれない。

 妙な話になってしまったが俺はそれ以上深く考えずにサラの依頼を引き受け、翌日の深夜に隣国へ侵入するとあっさり大臣を暗殺した。翌朝には大事件になっているだろうが、何食わぬ顔で隣国を出るとその足でサラとの待ち合わせ場所である自宅へ戻る。


「流石ね、仕事が早いわ」


 暗い部屋の中でサラはソファーに腰掛けて待っていた。


「報酬は?」


 サラは持っていた大きい旅行鞄の中を開いて見せると、その中には札束がぎっしりと詰め込まれていた。


「一枚一枚数える?」


「面倒だから良い、大体そんなもんだろう」


「ふふ、じゃあ追加報酬も受け取って?」


 最初から何も履いていなかったのかその場で両足を開帳すると性器が丸見えだった。おまけに何故か既に濡れそぼっている。

 余りにイカれたサラの行動にやはり一抹の不安を覚えるが、折角だし楽しまなければ損だろう。


「奴隷だってのに積極的だな」


 しかし近付き秘部に手を伸ばそうとした瞬間、それまで甘ったるい声を上げていたサラの声色が冷たく豹変した。


「あら、勘違いしないで欲しいけど私はただの性奴隷…あなたの性欲処理の便所よ」


「あ、あぁ…?」


 暗がりの中でその表情を伺うが、相変わらず妖艶な目をしつつだらしなく口元から涎を垂らしている。しかし声だけはやたらと冷めており、はっきりとした口調で自らを貶める発言の意図はまるで分からなかった。


「性行為以外であなたに仕えるつもりはないわ。肉体関係のあるビジネスパートナーってところかしら」


 やはり何を言っているのかまるで分からない。何処かで頭をぶつけてイカれてしまったのだろうか?


「改めて自己紹介するわ、私は仲介屋のサラ。今回の依頼をこなせる殺し屋はあなたしかいないと睨んでいたわ」


「はぁ…?」


 戸惑う俺を無視してサラはしたり顔で饒舌にまくし立て始めた。


「はっきり言って今回の依頼は普通の殺し屋には到底こなせるものじゃない…。にも関わらずあなたは期待以上の成果を挙げてくれた」


「はぁ…そりゃどうも」


「依頼については少し嘘吐いちゃったけど、あなたの性奴隷になる事に嘘偽りはないわ。実際約束通りに報酬のお金はあなたの手に渡ったし、加えて私の体も手に入る。どう、これって一石二鳥じゃない? だからこれからも私と組めば…」


「悪い、やっぱ追加報酬は要らない」


 興奮気味にまくし立てるサラを遮ると俺は頭を抱えた。


(マズい…予想の遥か斜め上の面倒事になってしまった…)


 性欲に釣られて浅はかな行動をしたものだと激しく後悔するが、既に手遅れのようだった。

 いつの間にか俺の足元に跪いていたサラはズボンの上から息子を刺激してくる。


「本当に要らないのぉ…?」


「ぐっ…何しやがる…!」


「全部…出して良いのよ…? ほら…ぴゅっぴゅって…したいでしょ…?」


(すまない…シモン…)


 シモンが教えてくれた殺し屋の誇りも、性欲の前では霞んでしまうようだ。しかし思わず頷きそうになるもギリギリの所で堪える。


「毎日でも相手してあげるから、これからは私の依頼だけ、ぜーんぶ請け負ってね?」


「ぐっ…ぐぅぅっ…!」


 ズボンの上からでも巧みな手技で焦らされ、あっという間に爆発させたい衝動に駆られてしまう。咄嗟に心の中で聖書の中身を思い返して気を紛らわせようとするが、思えば聖書なんてろくに読んだ事がなく、まるで意味が無い事に俺はすぐ気が付く。


「ふぉぉ…! アーメンアーメン…!」


「返事が違うわよ?」


 ついにサラは二つの豊満な凶器を剥き出しにして息子を挟み込んで上下させると、俺はとうとう我慢の限界を超えてしまう。


「イ…イエス…!」


「ふふ…殺し屋レヒトって思ったより可愛い所あるのね。それじゃ契約も成立した事だし楽しみましょう…?」


 そうして息子が解き放たれると俺は報復と言わんばかりにサラを何度も犯し絶頂させ、性欲が満たされた頃にはすっかり朝日が昇っていた。


 …と、そんなこんなで現在に至るという訳だ。あんなハニートラップに引っ掛かるとは我ながら未熟である。既に七百年程生きているが出来る事ならあれは若さ故の過ちという事にしたい。だがそんな愚痴を漏らしつつもサラと過ごす日々は思っていたより心地良く、結局今もこうしてズルズルと奇妙な関係は続いていた。


「ちょっと、聞いてるの?」


 昔を思い返していると少しムスッとした表情のサラが詰め寄ってくるが、それよりも目の前で揺れる爆乳にどうしても目がいってしまう。どうにも俺は自分で思っていた以上にスケベだったようで、サラと出会ってからは明らかに性欲が強くなっていた。


「悪い、考え事してた。で、何だっけ?」


「もう、エッチな事は仕事が終わってからよ」


「そんなんじゃない」


「あら、股間を膨らませながら言っても説得力ないわよ」


 …我ながら本当にまだまだ未熟だ。しかしこんな風にサラと過ごす日々はいつからか掛け替えのない、大切なものになっていた。

 サラはただのビジネスパートナーであってそれ以上でもそれ以下でもない、自分にそう言い聞かせ続けるが時々その境界が分からなくなりそうになる。サラは行為の最中だろうと決して俺に愛の告白なんてしてこない。だからサラは俺に対して恋愛感情なんてない、こいつはただの痴女だ…そう思うようにしていた。

 しかし気が付けば俺達の間にはただのビジネスパートナー以上の感情が芽生えていたようで、互いにその感情がはっきりしたのはそれから数年後のある依頼が終わった後の事だった。


 その日は偶然にもサラの誕生日という事で仕事の後に夕食を予定していた。

 俺から標的を殺した報告を受けたサラはこの後の夕食が楽しみのようで、心無しか軽い足取りで依頼人の元へ報告の為に向かう。基本的に俺達は仕事中に行動を共にする事はないが、この日は珍しくその後を俺も付けていた。俺らしくない話だが、サラを驚かせようと仕事終わりを狙って迎えに行ってやろうと思ったのだ。しかしそれが結果的に功を奏した。

 依頼人はサラを暗殺する為に何人かの殺し屋を雇っていたようで、現場に居合わせた俺は襲い掛かってきた殺し屋は勿論の事、依頼人も含め全員を皆殺しにする。だが仲介屋ならそんな修羅場は何度も潜り抜けてきただろうに、サラは駆け付けた俺を前に初めて涙を見せた。


「…泣くなよ」


「だって…怖かった…」


 そう言ってへたり込んだまま泣きじゃくる弱々しい姿は今まで見た事がなく、どうしていいか分からず困惑してしまう。


「何を今更…こんなの今に始まった事じゃないだろ」


「そうだけど…もうレヒトに会えなくなるんじゃないかって思ったら…」


「珍しく弱気な発言だな、イカれたか?」


「うっ…ひっく…どうせ私はイカれてるわよ…」


 今日は俺もだが、サラもらしくない。だかららしくないついでだと、俺は膝を突いて震えるサラを抱き締めてやる。


「…もう終わったから泣き止め」


「ぐす…レヒト…キスして…」


 何だか調子が狂うが言われた通りキスをしてやる。それは普段の貪るような物ではなく、サラを労わるように優しく触れるだけのキス。しかし唇が触れ合った途端にそれまで小刻みに震えていたサラは落ち着きを取り戻し、唇が離れてもうっとりとした表情で見詰めてきた。

 気恥ずかしくなり顔を背けるがサラは首に手を回してくると耳元で囁く。


「レヒト…愛してる…」


 その言葉に思わず胸が高鳴った。驚いた俺はサラを見やるがどうにも冗談を言っているようには見えない。


「…本気かよ」


「レヒトは…?」


 言われて言葉に詰まる。様々な想いが胸中に渦巻いていた。

 ただのビジネスパートナーだと言い聞かせていたが、サラには俺もある種特別な感情を抱いている。それが何なのかは分からないが、シモンの一件以来俺は再び誰かと深い関係を持つ事を避けるようになっていた。大切な人を失う悲しみはもう二度と味わいたくなかった。だから俺の中で徐々に大きくなり、境界線が曖昧になりつつあったサラの存在はちょっとした悩みの種だった。

 今まではサラにそんな素振りがないからと言い訳をして考える事から逃げていたが、それもとうとうこれまでらしい。真っ直ぐな視線にどう応えようか悩んでいるとサラは不意に何かを諦めたような悲しげな目を浮かべ、

その姿を見て何故か胸が締め付けられた俺は気が付けば自ら唇を重ねてしまっていた。


「…俺を愛する事がどういう事か分かってるのか?」


「…薄々気付いてる。それでもあなたの中に…私という思い出を残して欲しい」


 今までサラに不老不死である事は黙っていたが、この様子だとある程度は勘付いていたようだ。裏世界では殺し屋レヒトが不老不死であるなんて噂も流れているし、こうして数年も一緒にいてまったく老化しない俺を見ていればその可能性に行き着いても仕方ない話だ。しかしそんな俺の特異性を知りながら告白するという事は、こいつは本気で俺の全てを受け止めるつもりなのだろうか。


「あなたの苦しみは分からない…結果的にあなたを傷付けてしまうかもしれない…。それでも…少しの間でいいから愛して欲しい…」


 愛して欲しい、サラのその言葉からは縋るような切実な想いが伝わってくる。

 軽く聞いた話ではサラは生まれつき両親がいない。その為物心が付いた頃には裏世界に片足を突っ込み、生きる為に苦渋を舐めながらここまで這い上がってきたそうだ。そんなサラにとって人から愛される事がどれ程の価値があるのか、その重みは容易に想像がつく。


「…安心しろ、お前の最期の時まで一緒にいてやる」


 だからこそ俺は出来る限りを尽くして、その健気な想いに応えてやりたくなった。


「本当に…いいの…?」


「余計な事は気にするな」


「今日また歳を取って…もうおばさんよ?」


「ババアになっても犯してやるよ」


「ふふ…本当かしら」


「…まぁ息子次第だ」


「息子かぁ…レヒトの子供欲しいわね」


「悪いがそれは諦めてくれ、世界中に俺みたいなのが溢れる光景なんて想像したくない」


「ふふっ…分かってる。あれだけ出されて当たらないんだもの…」


 どうやら色々と察しはついてるらしい。それなら俺も今後は気を遣わず、隠し事は無しにして気楽にやっていけそうだ。


「レヒト…愛してるわ…」


「…あぁ」


 本当にこの選択は正しかったのだろうか。いくら自問自答しても答えは未だに分からない。

 それでもサラと愛し合うようになってからの日々は本当に幸福なものだった。人並みの幸せ、平穏な日常、それがどんなに尊く価値あるものか思い知らされた。

 しかしそんな日々は余りに早く終わりを告げる。もっと早くに気持ちを伝えていれば…そんな後悔もしたが全ては手遅れだった。


 サラは仲介屋として有名になり過ぎた。どんな無理難題な依頼だろうと殺し屋レヒトと組んでこなしてしまう…そんな噂が裏世界で広まり始めていた。

 危険を感じた俺はサラに裏世界から身を引かせ、誰にも知られないような街外れに居を構え隠居生活を始める。幸い財産は十分にあった為、俺は依頼を受ける事なく四六時中サラの護衛も兼ねて二人慎ましく穏やかな日々を過ごしていた。

 しかし街に二人で買い出しに出掛けた際、悲劇は起きてしまう。

 誰から依頼を受けたか知らないが、白昼堂々と人目も気にせず大量の殺し屋が俺達に襲い掛かってきた。俺はすぐさま剣を抜くとサラを守りながら次々と襲い来る殺し屋を斬り捨てる。


「俺の側から離れるな!」


 サラを庇いながら四方八方からの攻撃全てを受け止め、確実に敵の数を減らしていく。しかしどれだけの殺し屋が雇われたのか、いくら倒してもキリが無く、増援は次々と現れた。加えて敵の狙いはサラのようで、遠距離から彼女を狙っている連中に俺は中々手が出せず苦戦を強いられる。

 そうしてサラの護衛で手一杯の状態の中、敵はとうとう大砲まで持ち出してきた。砲弾がこちら目掛けて着弾する瞬間、サラを抱えながら飛び上がって何とか直撃を回避するが、そこを狙い澄ましたように大量の矢が降り注ぐ。俺は咄嗟に身を丸めて降り注ぐ矢を全てをその身に受けるが、その隙を狙って敵の一人が俺の体に剣を突き刺してきた。


「ぐっ…この野郎…!」


 すぐさま空中で敵を真っ二つに斬り裂き、突き刺さったままの剣を抜き去る。しかしその一撃は俺の胸を貫き、サラの急所にまで届いていた。


「おい…しっかりしろ!」


「レヒ…ト…」


 腕の中で弱々しく微笑むサラだが、その瞬間に大砲の弾が直撃した。

 大きくバランスを崩した俺は受け身も取れずに地面に叩き落とされ、そこへ待っていたと言わんばかりに敵が一斉に剣を突き刺してくる。頭から眼球を貫かれ片目が潰れるが、残った片目で最期の瞬間までサラの姿を脳裏に焼き付ける。

 何も出来ず、自分の腕の中で愛する人が無残に殺されていく様はまるで自分の心までも壊れゆくようだ。

 いつだったか、遥か遠い昔にも俺は愛する者を守れず、己の無力さを呪った。あれは…あの時の俺は誰を守ろうとしていた?

 不意にそんな疑問が脳裏を過るが、俺は喉を貫かれた激痛で我に還る。既にサラは俺と共に無数の剣で貫かれ、蜂の巣のように原型を留めず動かなくなっていたが、その表情は微笑んでいるように見えた。

 俺達が死んだと思ったのかようやく攻撃の手が止み、俺は蹲ったままサラの耳元で囁く。


「愛してくれて…ありがとう。幸せだった」


 そう告げると凄まじい勢いで俺の体は再生を始め、その姿を前に誰もが驚き戸惑うが手遅れだ。もう俺には守る者も失う者もいない。

 また…俺は守れず失った。


「…殺してやる」


 針山のように突き刺さっていた無数の剣は再生が終わると耳障りな金属音と共に抜け落ち、ゆっくり体を起こすと大剣を握り締め周囲をグルリと見渡す。全員が怪物でも見たように呆然とし足を竦ませていたが、俺は構わず目の前にいた敵の首を一瞬で全て斬り落とした。すかさず物陰に隠れていた連中の元へ瞬時に移動し、一人一人的確に一撃で顔面を粉砕していく。

 突然の事態にその場は逃げ出す者や慌てふためく者達の絶叫に包まれ、それはまるで地獄絵図のようだった。その中で俺はただ無心に、なりふり構わず感じる気配全てを片っ端から無差別に葬る。そこに敵と住民の区別は最早無い。狂った様に、しかし淡々と剣を振り続け、時間にして数十秒で目に見える範囲の人間は全て死に絶えた。

 返り血ですっかり重くなった服を引き摺りながら原型を留めていないサラの死骸を抱き抱えると俺は街を後にする。


(庭に…立派な墓を建ててやらないとな…)


 サラの死をいまいち受け止め切れていない俺は呆然とそんな事を考えながら森の中を歩き続ける。しかしいくら歩いても家は見えてこない。それどころか腕に抱いていたサラはいつの間にか消え、俺はまた森の中を一人彷徨っていた。

 その時、魂を失ったように虚ろだった俺に誰かが囁きかける。


「また、大事な人を失っちゃった」


「…誰だ?」


「私は天使、あなたを壊す者よ」


「出てこい…殺してやる」


「ふふ…あなたに出来るかしら…?」


 その女の声には聞き覚えがあった。そして薄暗い森の木陰からふっと現れた姿に俺は言葉を失う。


「まさか…そんな馬鹿な…」


「殺したはず?」


 それは紛れもなく二百年以上前にシモンを罠に掛け、俺がこの手で葬ったはずの黒薔薇ブラックローズの首領の女だった。


「もう一度告げル、私は天使…テンシ…テン…シシシシシシシ!」


 まるで状況が理解出来ないが、女はそう言うと以前俺に殺された時のように下半身の皮が一人でに剥がれていき、頭の肉がボロボロと腐り落ちると頭蓋骨が剥き出しとなった。剥き出しの髑髏は顎をカタカタと鳴らし嗤っているのか、その姿は余りにおぞましい。


「カカカカカ、アナタには誰も守レない」


「…黙れ」


「人を遠ざケて、デモ本当は誰かに必要とされタイ」


「黙れって言ってるんだよ…」


「脆弱、でもソレがマルス、オマエだ」


「黙れ!!」


 怒りのまま剣を振るうが俺の攻撃はどういう訳か化け物を擦り抜けてしまう。


「無駄ヨ、私ハ天使、オマエの心を壊ス天使」


「何なんだよ…何でそんな事を…」


「オマエがマルスだカら。オマエの罰はマダ続いてイル」


「マルス…?」


 何故だろうか、その名前には聞き覚えがあるが思い出せない。いや、そもそも俺は一体何者だ?


「マダ足りない、モット絶望シろ。父ノ予言に従いモット堕チろ」


「…これ以上何をする気だ」


「イイか、お前はマルス。そしテ彼女はエリス」


 そう言って化け物が指差した先には笑顔のエリスがこちらに向かって手を振っていた。


「エリス…? エリスなのか…?」


 そうだ、俺が何者かなんて大した問題ではない。俺には帰りを待ってる奴がいるんだ。


「待ってろエリス、今すぐそっちに行くからな」


「アノ時と同じ…エリスの死にヨッて、マルスは再び壊れル」


 後ろで化け物が何か言っているがそんなものは耳に入れず、俺は目の前のエリスに向かって走り出した。


「おいエリス、俺だ!」


 叫びながら駆け寄ると周囲の風景が白く霞み出すが、それでも構わず俺は必死に手を伸ばす。


「あ、マルス…」


 もうすぐで触れられると思ったその瞬間、突然巨大な瓦礫が落下しエリスは目の前でその下敷きとなった。


「そん…な…」


 瓦礫の下から赤い液体が溢れ広がり、俺の足元まで広がる。瓦礫から飛び出ているエリスの手を握り締めるがそれは冷たく何の反応もない。


「あ…あぁぁ…ぁ…」


 喉が渇き、声にならない呻きを上げながら俺は何度も瓦礫に体当たりをする。やっとの思いで傾いた瓦礫は勢い良く粉塵を上げながら倒れるが、その下に広がっていたのは真っ赤な鮮血に染められた長いブロンドの髪と、割れた風船のように潰れた肉塊だった。


「エリ…ス…」


 すると突然、俺の眼前に見た事のない映像が広がった。


『マルス…愛しています』


 儚げな表情でそう呟く彼女は枷に囚われており、横には鎌を携え振り上げている天使が

浮かんでいる。


『落とせ』


 その言葉を受けた天使は迷わず鎌を振り下し、長いブロンドの髪を振り乱しながらエリスの首は雲海へと落ちていった。


「あ…あああぁぁぁぁっ!!」


 その瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れていく。


「もう…やめてくれ…もう…たくさんだ…」


 視界が戻るといつの間にか天使の姿は消えていた。代わりに周辺で巨大な何かが暴れているようだが、その場から動く気力さえ俺にはもう残されていない。

 どうかこのままエリスと共に永遠の眠りに就かせて欲しい、そう願いながら高層ビルが立ち並ぶ街が破壊されていく様子を眺めていると徐々に意識が混濁していく。


(もう…疲れた…)


 血の海に溺れるようにエリスの死骸の上へ覆い被さると静かに目を閉じる。

 どうかこのまま目覚める事のないように…これが悪夢なら醒めるように…そう願いながら俺の意識は途絶えた。

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