Episode48「永別」

 日が沈みかけた頃に俺はようやく目を覚ました。

 室内を見渡すとそこにシモンの姿は無く、物音のする地下工房へ降りるとどうやら早速大剣の制作に取り掛かっているようだった。


「目が覚めたか」


「…仕事が早いな」


「お前さんが大剣を持つ姿を想像したら居ても立っても居られなくなってな」


 余程俺の大剣を作るのが楽しみなのか金槌を持ったまま振り返ったシモンは満面の笑みを浮かべていた。


「…どうせ作るなら最高の一本に仕上げろよ」


「タダ働きだってのに随分と図々しい客だ。しかし…うむ、昨日より良い面構えになったな」


「…そうか?」


 何か変わったのだろうか?

 ただ嬉しそうなシモンを見ていると何故かこっちが恥ずかしくなりつい視線を逸らしてしまう。


「これからハロルドの言ってたブラッシュに行くのか?」


「…さぁな、散歩中に気が向いたら立ち寄る」


「そうかそうか。しかし一つ言い忘れていた事があった」


 そう言うシモンの表情は突然真剣なものになり、それまでの穏やかな空気は一変し重く張り詰める。


「…この先、俺が死んだ後も殺し屋を続けるなら余りその名を広め過ぎるなよ」


「いきなり何を言い出すのかと思えば…俺を殺す約束を忘れたとは言わせないぞ」


「勿論忘れてはいないさ、もしもの話だ」


 しかしそう言うシモンの表情は今まで見た事のない、何処か儚くも悲しげなものだった。


「…仮に殺し屋を続けたとしてその理由は?」


「分かってるとは思うがこの仕事は何かと恨みを買い易い。それは同業者からもだ」


「殺し屋同士での殺し合いはタブーじゃなかったか?」


「殺し屋のルールなんて所詮は暗黙の了解だからな」


 シモンは作業の手は緩めず苦笑いしながら続ける。


「俺と組んでいるうちは殺し屋レヒトの存在は広まらないだろう。しかし不老不死のお前さんがこの先何十年、何百年と殺し屋を続ければ…分かるな?」


 何百年も人智を超越した力を振るい続けていれば俺という突出した殺し屋の存在は裏世界にいつまでも残る。そうなれば否が応でも不老不死を疑う人間が新たに現れる要因となるだろう。どうやらシモンはそれを危惧しているようだ。


「まぁ…別の意味で名が広まるな」


「そう言う事だ。裏世界の人間が表立って出てくる事はそうそうないが、長い時間を生きるお前さんはそこにも注意を払う必要がある」


「…覚えてはおく。どうせあんたに殺されるんだから無意味だがな」


「はっはっは、まぁ服でも買って来い。あ、ついでに夕飯も頼んだぞ」


 真面目な話は終わったのかシモンはいつもの調子に戻るが、一つだけ気掛かりな点があった。


「…しかし良いのか、トレードマークになるような大剣なんて余計に目立つだろう?」


「それはそれ、これはこれだ。言っただろう、妥協した自己満足が重要だ」


「いや待て、それだと大剣は俺の自己満足みたいに聞こえる」


「ほれほれ、早くしないと店が閉まっちまうぞ」


 相変わらず人の話を聞かない男だ。こちらの言い分を無視して制作に集中し始めるが、こうなるともう何を言っても耳には入らない。呆れながらも工房を後にするととりあえずハロルドの言っていた服屋を探す事にした。


 大通りを歩いていると色んな店が並ぶ中にブラッシュと書かれた黒い看板を発見する。外から店内を伺うとまだ営業しているようだが、そこにある服は全体的に暗い色をした物ばかりだった。

 ハロルドはイメージに合うとか言っていたが、俺はこんな目で見られていたのか?

 他人から見た自分など考えるのも面倒になって数百年前からどうでも良くなっていたがどうにも俺は暗い野郎に見られる事が多い。確かに馬鹿みたいに明るいとは思わないが、根暗と思われているのならそれはそれで少しショックだ。

 そんな事を考えながら店頭で足踏みしていると店内の主人がこちらに気付き手招きしてくる。


「はぁ…」


 気は進まないが店内に足を踏み入れると外から見た通り店に置いてあるのはどれも黒を主体とした暗い色の服ばかりだった。


「らっしゃい、今日は何をお探しかな?」


「…全身の服を揃えたい」


「そりゃ良い、うちで全て揃えれば立派な暗黒騎士の出来上がりだ」


「そうか…入る店を間違えたようだ」


 恥ずかしい称号を聞くや否や踵を返すが、慌てた様子で店主が目の前に立ち塞がる。


「おっと、暗黒騎士はお気に召さないかい。では闇の使徒」


「そこをどけ、殺すぞ」


 睨みを効かせるが店主はそれに動じる事なく俺の体を反転させ背中をグイグイと押してくる。…中々肝の据わった店主だ。

 どうにもシモンと出会ってからというもの、今までお目に掛かった事のないような連中と関わる機会が増えた気がする。


「まずは靴だが、俺の見立てなら旦那にはこのブーツが似合うぜ」


 人の話をまるで聞かず店主は勝手にいくつか並ぶ靴の中からハイカットのブーツを選ぶとどうだと言わんばかりの目を向けてきた。


「…耐久性はどうだ?」


「王国の耐久テストにも合格した一品さ」


「何だそりゃ…」


 そんなテストは存在しないがとりあえず耐久性に問題はないらしい。


「パンツはそうだな…これなんか動き易いしオススメだ。インナーは…これも動き易い様にノースリーブで良いな」


 言っておくが誰も動き易い方が良いなんて要望は出していない。しかし店主は何を基準にしているのか知らないが次々と商品を手に取り勝手にコーディネートしていく。


「この組み合わせならベルトは当然革だな。んで最後にアウターは…旦那みたいな長身ならロングコートが映えるだろう」


 一通り選び終わったのか店主は選び終わった商品を手際良くマネキンに着せていく。そして出来上がった組み合わせを眺めると全身真っ黒である点を除けば思っていたよりも悪くなかった。


「…しかし全身真っ黒なのはどうなんだ」


「これが最近のトレンドだぜ旦那」


 嘘だ、そんな流行りなど聞いた事もない。とは言え派手な色を組み合わせるぐらいなら全身黒で統一した方が落ち着く。加えて全身黒尽くめなら返り血を浴びても見た目では分かりにくいだろう。


「…じゃあこれ全部くれ」


「へへ、毎度ありぃ」


 目的を果たし服屋を後にする。途中でシモンから頼まれていた夕飯を適当に購入し住処に戻るが、室内は明かり一つ無く真っ暗だった。どうやらシモンはずっと地下工房に篭ったままらしい。

 早速買った服を披露しようかどうか悩むが、そもそもそんな事を考える事自体が馬鹿らしくなると細かい事は気にせずさっさと買ってきた服に着替え、夕飯を持って地下工房に降りる。

 そこでは予想通りシモンが大剣の製作に集中しており、まるで俺の気配に気付いていない。


「…夕飯だぞ」


 夕飯を投げ付けるとそれまでこちらに気付いていなかったシモンだが即座に反応し受け取る。


「流石だ」


「おぉ、帰ってたのか」


 こちらに振り返ったシモンはようやく俺の存在と新しい衣装に気付いたようで、少し驚いたような顔で頭から爪先まで視線をしきりに動かし、得心が行ったような表情を浮かべた。


「うむ…良いじゃないか。よく似合っているぞ」


「…そりゃどうも」


 こうして褒められると妙に照れ臭さを覚える。そんな感情が俺にあったとは驚きだが悪い気はしなかった。


「大剣の完成はもうしばらく掛かるから首を長くして待っててくれ」


「…とりあえず完成するまで大剣の戦い方を教えろ」


「とりあえず夕飯を食っていいかね?」


「…教えるのは時間がある時で構わん」


「やれやれ…これから忙しくなるな」


 そう言いつつも何処か楽しげにシモンは受け取った夕飯を食べ始めた。


 それから数ヶ月、何度か一緒に依頼をこなしつつシモンは大剣を制作し、その合間に戦闘術も教えてくれた。

 シモンの戦闘術は大剣の扱い方だけでなく、約束通り自身の持つ知識や技術の全てを惜しみなく叩き込まれ、大剣が完成する頃には俺は大抵の依頼を一人で難なくこなせるようになっていた。そうしてついに完成した大剣は非の打ち所が無い、まさしく名剣と呼ぶに相応しい物で、まるで長年連れ添った相棒のようにすぐに手に馴染んだ。

 全てが順風満帆で、俺は徐々に人間として生きる道を見出し初めて人生というものが楽しいと思うようになっていた。しかしそんな日々は突如として終わりを迎える。


 一人で依頼をこなすようになってから大分経った頃、俺とシモンはある依頼で久しぶりに共闘する事となった。依頼内容は盗賊団の壊滅で、その程度の依頼は俺達二人に掛かれば造作も無いものだ。しかしそれが罠であるとも知らずに俺達は日が暮れると同時に盗賊団のアジトへ乗り込んだ。

 盗賊団のアジトである洞窟の中は複雑に入り組んでおり、俺達は二手に別れると早速盗賊団の一味と遭遇する。いつものように大剣を抜き次々と襲い掛かる敵を排除するが、その中には一人妙に腕の立つ男がいた。その動きはシモンを彷彿とさせ、他の雑魚のようにあっさりとはいかない。


「やるじゃないか」


「どうやらお前がレヒトのようだな」


 男の動きに警戒しつつ他の雑魚を片付けていると突然名前を呼ばれ一瞬動きが鈍ってしまう。そして背後から現れた別の男にその隙を突かれ肩を斬られると俺は一度距離を置く。


「あんた等…盗賊じゃないな」


 俺の名前を知る人間は限られている。だとすれば何処からか情報が漏れたとしか考えられない。


「我々の仕事はお前達を消す事だ」


「…同業者か、通りで他の雑魚とは違う訳だ」


 殺し屋独特の殺気を纏った男達がいつの間にか盗賊団の中に紛れ込むようにして増えていた。しかしそんな事より男の口から零れたお前達という言葉が気になる。まさか標的は俺だけではないのか?


「…罠か」


「そういう事だ、悪く思うな」


 そう告げると盗賊団と殺し屋が一斉に襲い掛かってくる。


「そうか、同業者なら遠慮はいらないな」


 俺は敵の群れに正面から突っ込むと盗賊も殺し屋も関係なく次々と葬り鮮血の飛沫が巻き上がった。シモンに叩き込まれた技術のおかげで敵の攻撃を無駄無く回避し、小回りを効かせ存分に大剣を振るう。


「化け物が…!」


 男が斬り掛かってくるがその剣が振り下ろされるより早くこちらの大剣が男の胸を貫き、そのまま持ち上げると宙吊りにする。


「がぁっ…!」


 数十人いた男達は既に全員死に絶え、残るはこの男だけだ。しかしこいつには聞きたい事がある、まだ殺す訳にはいかない。


「質問に答えてもらおうか」


「だ、誰が…」


 大剣を手元でクルリと旋回すると男の体も円を描くように一周回り、傷口が抉られた事で口から大量の血を吐き出した。


「このまま頭まで真っ二つにしてやろうか?」


「わ…分かった…だから命だけは…」


「良い子だ、それじゃまず依頼主は誰だ?」


「俺は仲介屋から…お…お前達を殺す依頼を…受けた…だけだ…」


「俺達の情報は何処から得た?」


「情報屋ダリルから…仕入れたと…」


「ダリルから…?」


 まさかダリルがシモンを売ったのか?

 にわかに信じ難いが、確かに俺の名前と存在を知っているのはダリルとハロルドぐらいだ。しかし…とてもじゃないがあの二人が俺達を裏切るとは思えない。


「は…早く剣を…」


「分かった、今抜いてやる」


 そのまま大剣を上へ振り上げると男の胸から頭が真っ二つに裂かれ、夥しい量の血が降り注ぐ。


「…待ってろシモン」


 先程二手に分かれた地点へ急いで戻るとシモンの後を追うように先へ進むが、洞窟内には血の匂いが充満しており、その匂いは嫌な予感と共に徐々に強くなる。そして角を曲がった瞬間目に飛び込んできたのは何十人もの人間が血の海に沈む凄惨な光景。そこで唯一人立っている男には見覚えがあった。


「…どういう事だハロルド」


 呼ばれて振り返ったのは血に染まったメイスを持ったハロルド。その足元には頭から大量の血を流したシモンが倒れている。


「そうか…お前は無事だったか」


「…裏切ったのか?」


「殺し屋とはそういうものだ」


 何処か穏やかな表情をしつつ、そう言い放つハロルドに迷いは見れない。


「お前達は有名になり過ぎた」


「そんな下らない理由で…」


 激しい怒りが込み上げ、大剣を握る手が震え始める。


「レヒトよ、最期に教えてやる。この世界は殺すか殺されるかだ。迷った者から死ぬぞ」


 その言葉で理性が吹き飛んだ。怒りのままに一瞬で接近すると、最期にふっと口元に笑みを浮かべたハロルドの首を切り落とす。静かな洞窟内で頭の落ちた音が鮮明に耳に届き、その直後首を失った胴体が力無くその場で崩れ落ちる。その瞬間怒りは霧散し、代わりに味わった事のない虚無感が込み上げてきた。

 遣る瀬無い思いに苛立ちながらその場に膝を突くと、倒れたまま微動だにしないシモンの目が薄っすらと開かれた。


「シモン…何だ、まだ生きてたのか」


「名前…ようやく呼んで…くれたな…」


「…そうだったか?」


「すまな…い…約束…守れない…」


「ふざけるな、生きて帰れば良いだろ」


「また…無茶な…注文を…」


「…約束は守れよ」


 血塗れの力無い手に転がっていた武器を握らせるが、シモンは微かに笑うだけで指一本動かせる状態ではなかった。それでもシモンの手の上から自分の手を被せ強く握り締める。


「…死ぬな」


「あぁ…約束通り…全て…叩き込んだ…」


「死ぬなって言ってるんだよ馬鹿野郎」


「レヒト…あぁ…今まで…ありがとうな…」


 もう俺の声が届いているのかも分からない。それでもシモンの手を強く握り締める。


「感謝されるような事はしてない、だからまだ死ぬな」


「生きろ…よ…相棒…」


「おい、死ぬな…死ぬなよ…」


 笑みを浮かべたままそれきりシモンの動きは完全に停止した。


「なぁ…起きてくれよ…」


 もう呼び掛けに反応は無い。俺は叫びたくなる衝動をぐっと堪え、開かれたままの目をそっと閉じてやる。

 生きろ…シモンは最期にそう言った。ならばせめて出来る恩返しとしてそのぐらいの願いは叶えてやろうではないか。そもそも俺達に湿っぽい別れは似合わないだろう。それに俺にはシモンが魂を注ぎ込んだ形見も遺されている。


「…こいつと一緒に精一杯生きてやる、それで良いだろ相棒」


 立ち上がると振り返らずに洞窟を後にするが、この後やる事は既に決まっている。

 仇討ちや弔合戦なんて柄じゃない、ただ殺し屋のルールを破った者に制裁を加えるだけだ。


 しかし裏切り者と思っていたダリルの店の扉を開いた瞬間、俺は言葉を失った。

 無駄に小洒落た店内は滅茶苦茶に荒らされ、カウンターの中では身体中の皮を剥がれされ血塗れになったダリルらしき肉塊が転がっている。よくよく見れば皮を剥がれただけでなく、その前にも暴行を受けた形跡が見て取れた。


「…そうか、裏切った訳じゃないんだな」


 近くに転がっていたロケット型のペンダントを発見し、蓋を開くと中にはダリルとハロルドが幸せそうな表情で抱き合っている写真が入っていた。まさかとは思っていたがこの二人は…


「そうか…ハロルド、あんたも…」


 二人が恋人だったとするなら、恐らくハロルドはダリルを人質にでも取られていたのだろう。

 ハロルドの最期に遺した言葉、そしてこの手で首を落とす直前に見せた笑顔の意味。最初からハロルドは俺に殺される覚悟をしていたのかもしれない。

 ならば制裁の名の下、この行く宛の無い怒りの矛先は元凶にぶつけてやろう。

 ロケットを無残な肉塊に添えると俺は荒らされた店内に犯人の手掛かりが残されていないか探索する。あれだけの数の殺し屋を雇う金と力を持ち、俺達に手を出すような命知らずな連中は限られている。そして恐らくそいつとダリルの間には過去に何かしらの関係があったはずだ。


 店内をくまなく探しているとカウンター席の裏側に何か掠れた文字を発見した。文字に触れるとそれは血のようで、こうしてまだ文字としての形を残しているという事はこれが書かれてからまだそれ程の日は経っていないという事だ。だとすればこれはダリルのダイイングメッセージである可能性が高い。

 カウンター席の下に潜り込んで目を凝らすとそこには『BR』というイニシャルだけが書かれている。普通の人間にはこれが何を指すのか分からないだろうが、殺し屋をやってる連中ならこのイニシャルだけで思い当たる集団がいた。

 それは裏世界では悪名高い事で有名な黒薔薇ブラックローズというイカれた女が首領のマフィアで、噂通りろくでもない連中のようだ。もしかしたらダリルはこうなる事を予期していたのかもしれない。だから殺し屋にだけ伝わるメッセージを遺した。ならばこれはダリルから俺に託した最期の願いだろう。


「どいつもこいつも…残された俺の気持ちを考えろよ」


 ダリルやハロルドにも世話になった恩義がある。だからこいつらが仇討ちを望んでいるなら喜んで引き受けてやろう。何より俺自身もこのままだんまりでは腹の虫が収まらない。

 幸いにも黒薔薇ブラックローズの居場所は既に判明しており、今すぐ行けば晩餐会にはまだ間に合うはずだ。


「 今夜はご馳走だ」


 煮え滾るような気持ちを抑えながら夜の街を飛び出し、周囲の目にも留まらぬ速さで俺はいくつもの街を越えていく。

 店を飛び出してから黒薔薇ブラックローズのアジトまで左程時間は掛からなかった。豪勢な門の前には屈強な男が立っていたが正面から飛び込み男の顔面を踏み潰すとその勢いのまま門を破壊する。轟音が響き渡るとすぐさま屋敷から黒薔薇ブラックローズの団員達が武器を携え現れた。


「テメェ…何処のもんだ?」


「ただの殺し屋だ」


 大剣を投げ付けると男の首が一瞬で跳ね飛び、周りの団員達は何が起きたのか理解出来ず動揺が走っていた。


「おい、余所見してて良いのか?」


 投げた大剣はブーメランのように旋回しながらこちらへ戻ってくるが、それに気付かない団員達は次々と背後から体を真っ二つに裂かれ、俺の手には再び戻ってきた大剣が握られる。


「晩餐会の始まりだ」


 此処まで来たならもう自分を抑える必要はない。溜め込んでいた怒りを爆発させるように地面を蹴り上げると地面が抉れ粉塵が巻き起こり、数十人いた団員は全員細切れの肉塊へ変わる。

 しかしまだだ、まだこの程度じゃ俺の腹は満たされない。

 正面の扉を蹴破ると目に入る人間全てを片っ端から問答無用で叩き斬る。状況が理解出来ていない連中を殺すのは実に容易く、ほんの数分で屋敷内にいた人間全て物言わぬ肉塊に変えると敢えて最後に残しておいた今回の首謀者である女の部屋の前に立つ。

 ノックをせずに扉を開くと悪趣味な趣向の凝らされた椅子で足を組んだままの女が俺を待っていたかのように座っていた。


「レディの部屋にノックもしないで入ってくるなんて、失礼な男ね」


 どうやら自分の置かれている状況は理解しているようだが、その上でこの余裕は何だろうか。

 しかしその答えはすぐに分かった。それまで感じられなかったいくつもの殺意が突然現れ俺に向けられている。


「まだ飼い犬がいたのか」


「ふふ…自慢の兵隊よ」


 すると女の後ろから黒い装束に身を包んだ男達が現れ、音を立てずに流れるような動きで俺を取り囲む。


「彼等は東方の国にいる伝統的な兵士よ、それも暗殺に長け――」


 しかし女が言い終わる前に一瞬にして自慢の兵隊全員の首を跳ね飛ばす。

 そこで女はようやく自分の仕出かした事の重大さに気が付いたようだが既に手遅れだ。


「う、嘘でしょ…あなたは一体…」


「ご存知の通り、殺し屋レヒトだ」


「ひ…ひいぃぃぃ!」


 椅子から転げ落ちた女は這い蹲るように逃げ出すが、俺は飛び上がると女の足を思い切り踏み潰す。骨を粉々に砕かれ女が醜い叫び声を上げるが構わず髪を掴むとタオルをはたくように乱暴に振り回し、掴んでいた髪が根元からごっそり抜けると女は吹き飛びながら壁に叩き付けられた。それでも女は意識を失っていないようで安心する。


「晩餐会のメインディッシュはこれからだ」


「あ…あぁ…悪魔…いやあぁぁぁ!」


 残った両手両足を粉砕し動けなくすると、まずは爪先から大剣で切れ込みを入れ、そこから一気に皮を剥ぐ。逆の足も同じようにして皮を剥いでいくが女はまだ叫び声を上げる元気があるようだった。

 だがそうでなくては面白くない。ダリルと同じく自らの皮が剥がれていく様をその目に焼き付け、死にたくても死ねない俺と同じ苦しみを存分に味あわせてやろう。


「これが不老不死の世界だ。死なないってだけで苦しみはちゃんとある。どうだ、面白いだろう?」


 徐々に女は衰弱し、抵抗する力が弱まるが勝手に死ぬ事など許さない。虫の様な息になったところで俺は女の眼前に大剣を突き付ける。


「まずは片目だ」


 そのままゆっくり大剣の先端を眼球に突き刺すとすぐさま眼窩に当たるが、ほじくるようにして切っ先を器用に旋回させる。しかし息絶えたのか、女はとうとう何の反応も示さなくなった。とりあえずもう片方の眼球も同じ様に潰すと改めて変わり果てた女の姿を見下ろす。それは下半身の皮が剥がれ、両手両足、両目も潰れて実に醜いものだった。


「…脆いな」


 しかし死んでしまってはこれ以上楽しみようがない。飽きた玩具を壊すように女の頭を踏み潰して粉砕すると俺は屋敷を後にした。


 それから宛てもなく森の中を彷徨う。

 帰る場所はもう無い。帰りを待つ人ももういない。

 一体こんな事がいつまで続くのだろうか。

 もうこんな思いは二度としたくない。


「…此処は何処だ?」


 ふと足を止め辺りを見渡すが、暗い森の中は迷宮のように入り組んでおり何処にも光はない。

 俺は何故こんな森に迷い込んでいるんだ?

 こんな場所は過去の記憶にない。


「いや…違う…」


 そもそもそれ以前に俺が復讐をした相手は一体誰だった?

 黒薔薇ブラックローズというマフィアが過去に実在していたのは間違いない。しかし屋敷内にいる連中は首領も含めて一瞬で全員葬っており、先程のように個別で拷問をした覚えはなかった。そして首領も女ではなく男だったはずだ。だとするとあの女は一体何者だったのか。

 何れにせよ今までの事象が過去の追体験だとしたら間違いなく矛盾が生じている。


(どういう事だ…?)


 それに俺はいつから過去の記憶にある自分を今の自分のように捉えていた?

 初めは此処が過去の世界であると認識していたはずだ。しかしシモンと長い時間を過ごす内に俺はその事を忘れ過去の自分と同化していた。それはまるで過去の世界が今の俺を飲み込まんとしているようだ。


(まさか…)


 これが神の与えた試練だとでも言うのか?

 しかしこんな事をして一体何の意味があるのか。

 一つ確かな事は俺は危うく現在の自分を失いかけていた。その場で振り返ると来た道は闇に閉ざされおり何も見えない。


「…気を抜けばこのまま飲み込まれそうだな」


 森の出口は見えず、先程までのように自分を失ったままでは何処へ行くのか分かったものではない。

 神が一体何を試そうとしているのかは分からないが、不意にエリヤの言っていた言葉が思い返された。


「資格がなければ壊れる…か」


 その資格が何なのかまるで見当が付かない。ただ自分を見失えば一瞬で闇に、過去に飲み込まれ、現実世界の俺までもが壊れてしまう…そんな気がした。


「あの電波野郎…何て危険なものを預言してくれたんだ」


 とにかくこの様子だとまだ試練は終わりそうにない。過去の記憶を繰り返し体験させ、自分を見失わせる事が目的なら対抗策は自分を強く持つぐらいしかなさそうだ。


「…そう簡単に飲み込まれて堪るかよ」


 背中の大剣に手を掛けるがこれはシモンに作って貰った物とは違う。新たにエリスが命を吹き込み創造された、現在の俺が俺である確たる証拠と言えよう。

 そうだ、俺には帰りを待ってる人がいる。


「しかし…早く帰らないと五月蝿そうだな」


 げんなりしながらもピーピーと騒ぐエリスを想像すると思わず口元が緩んだ。

 真っ暗な森の先が何処へ続いているのかは分からない。それでももう道に迷う事はないだろう。

 今度こそ誰一人死なせる事なく戦い抜く…そう胸に誓いながら俺は森の出口を求めて力強く踏み出した。

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