Episode47「殺し屋」
俺の殺し屋としての初仕事は始めて間も無く訪れた。それは何て事はない、今なら軽々とこなせる程度のものだ。それでも人をただ殺すのと、依頼で標的だけを仕留める仕事としての殺しでは話が変わる。その違いがイマイチ分かっていない俺の初仕事はそれはもうお粗末なものだった。
「分かってるなレヒト、今回の依頼は屋敷に潜入し、標的を自殺に見せかけて殺すんだ」
「要は誰にもバレずに殺せばいいんだろ」
「もう一度言うぞ、自殺に見せかけるんだ」
「…分かってる」
今回の標的はとある貴族だ。その貴族の住む屋敷の屋根の上で息を潜めながら俺達はもう一度依頼内容を確認していた。
此処に来るまで改めてシモンの能力の高さには驚かされた。屋敷の屋根に登るというのは普通の人間にとってそう簡単な事ではないはすだが、シモンは屋敷の敷地内にあっさり侵入すると流れるような動きで壁を伝い屋根の上へ到達した。ただ俺は敷地の外から飛び上がり直接屋根の上に飛び乗っている為、実際その苦労はよく分かっていない。
「油断はするなよ」
「それも分かってる」
「いいや、まだ甘い。お前さん屋根に飛び乗る直前に周囲の気配を察知してたか?」
「…誰にも見られていないはずだ」
「結果的にはな。しかしお前さん、飛び上がった直後に角から人が現れたのに気が付いてないだろ」
「はぁ…見つかったら目撃者も消せばいいだろ」
つい言い返してしまうがそこで口を滑らせてしまった事を後悔した。案の定その言葉を聞いたシモンの顔は険しくなり、まるで子供を叱る親のように口を尖らせる。
「殺し屋のルールについては話したよな?」
「耳にタコが出来るぐらいな」
「よし、言ってみろ」
「…殺し屋と素人の殺しは違う。殺し屋は標的だけを綺麗に片付け、無関係な一般人には一切手を出さない」
これは殺し屋となる決意をしたあの日から散々言われていた事だ。殺し屋の仕事なんてただ殺せばいいと思っていたが、その実ルールや心構えなど割と面倒な制約がいくつか存在していた。
「その通りだ。さっきは偶然見つからなかったから良かったものの、もし見つかっていればお前さんは目撃者に手を掛けるところだった」
「…悪かったよ」
「肝に銘じておけ、大金を積んで殺し屋に依頼をするって事は俺達はそれだけの仕事をしなければならない」
一緒に過ごすようになってから分かった事だがシモンは何かと説教臭い。こうして面と向かってズケズケ言ってくる人間は初めてだったが鬱陶しく思える。しかしその説教も俺の為を思って言っているのだと思うと黙って耳を傾けるしかなかった。
「で…俺はどうすればいいんだ」
事前の打ち合わせは何も無く、依頼内容を聞かされただけで此処まで来た為、具体的な手順は何も分かっていない。
「標的の心臓にこの短剣を突き刺してこい」
そう言ってローブの中から取り出したのは装飾の施された殺しには不向きなナイフだった。
「これは? あんたのじゃないよな」
「依頼主から預かったものだ。こいつで殺す事に意味があるらしい」
「…注文の多い依頼だな」
「人には色々あるって事だ」
殺しの依頼をする人間なんてどうせろくでもない連中ばかりだ。そんな連中のこだわりや注文に応えるというのはどうにも癪だが、これも仕事だと割り切りナイフを受け取る。
「突き刺した後は自殺に見せかける為にも適当に手を添えておけばいいだろう」
「なぁ…あんたがやればいいんじゃないか?」
「俺か? 俺はフォローに回る。お前さんが万一しくじった時の為にな」
「この程度でしくじるかよ」
「良い気概だ、それじゃ早速行ってみよう」
シモンの後に続くようにして屋敷内に侵入すると気配を殺し、周囲を警戒しながら標的のいる寝室まで最短距離を走る。そしてとある一室の前でシモンが足を止めるとその中に標的がいるのか目で合図を送ってきた。それを受け頷くと少し汗ばむ手でドアノブを回し、音も無く室内へ侵入する。
広々とした室内には余計な物は無く、中央にレースで覆われたベッドがあるだけだ。シモンは周囲の警戒でもしているのか室内に続く様子はない。どうやら本当に殺しの大役を一任するつもりらしい。
溜息を漏らすと音を殺してベッドの横へ移動し、レースを捲るとふくよかな恰幅の老人が静かに寝息を立てていた。後は受け取ったナイフで心臓を一突きすれば終わる…そのはずだったが、無防備に眠るその姿を見ていると今更ながら自分と何ら関係のない人間を殺す事に迷いが生じた。
ナイフを握る手はじっとりと汗ばみ、標的が目を覚ますのではないかと心配になる程心臓が激しく鼓動している。
人を殺す事に抵抗を覚えた事なんてこれまで一度もない。しかし標的を前にして俺はナイフを握ったまま立ち尽くしていた。
(迷うな、こいつを心臓に突き刺すだけだ…)
何度もそう言い聞かせるが手の震えは止まらず、結局迷いを振り払うかのように思い切ってナイフを振り下ろすが、偶然にも標的が寝返りを打ち狙いが外れてしまう。そして心臓に突き刺すはずだったナイフは脇腹に突き刺さり、その瞬間に目を覚ました標的が叫びを上げ暴れ出した。
すぐさま口を塞ぎ首を掻っ切ると血飛沫が顔に降り注ぎ、即座に絶命した標的が力無くベッドにうつ伏せで倒れる。ばっくりと裂かれた喉元からは大量の血が溢れ、真っ白なシーツは勢い良く鮮血で染まっていく。
そんな凄惨な殺人現場を前に呆然としているといつの間にか俺の背後にはシモンが立っていた。
「どうだ、仕事として初めて人を殺した気分は」
「…最悪だ」
「そうか、しかしこれじゃ自殺には見えないな」
シモンは俺の手に握られたままのナイフを奪い取ると叱る訳でもなく、淡々と死体の手にそれを握らせ、自殺に見えるよう位置を調整する。
その姿を呆然と眺めながら自分の未熟さを痛感しつつ、俺は今まで味わった事のない虚無感にただ困惑していた。
「これで良しと。説教は後でするとして一先ず脱出するぞ」
シモンは言うが早いか、呆気にとられる俺を余所に屋敷を後にし、俺は後味の悪さを感じながらも続いて屋敷から抜け出した。
全力で後を追い掛けると先を行っていたシモンにはすぐに追い付くが、速度を落とし歩き出していたシモンは振り返る事なく無言で前へ進む。その後ろを同じ歩幅で歩くが何とも言えない空気に耐えられず自分から声を掛けた。
「…悪かった」
「なぁに、バレずに抹殺出来たし及第点だ。期待外れなのは否めないがな」
その言葉に苛立ちを覚えるが何も言い返せない。言い訳はある、しかし殺すのに躊躇しなければ上手くいっていたはずだ。そう思うと今更人を殺す事に抵抗を持っていた自分に驚くと同時に失望した。これではシモンの言う通り期待外れもいいところだ。
「でも安心もしたよ。お前さんにも良心はちゃんと残ってるんだな」
「…全部見てたのか」
「言っておくがそれは決して悪い事じゃないぞ。忘れてはいけない事だ」
「…言ってる意味が分からん」
「まぁ説教は帰ってからだ。いつもの店に行くぞ」
シモンはそれ以上何も言わずに馬車に乗り込み、俺達は一言も交わさないまま住処のある街へと向かった。
しばらくして馬車を降りるとその足で住処には戻らず何度か訪れた事のあるバーにやって来る。
カウンターの中には派手な化粧をした長身の男が立ち、その前の席には岩の様な筋骨隆々のサングラスをかけた黒人の男が座っていた。
「ようダリル、帰ったぜ」
「んもう、ダリアよ! んふふ、シモンちゃんおかえりぃ。レヒトちゃんの初仕事は上手くいったかしらぁ?」
そう言って長身の男、ダリルはクネクネと体を捩りながら尋ねてくるが、何度見ても気持ち悪い野郎だ。しかしこんな
「少しばかり失敗したが合格だ。いつものを頼むよ」
そう言ってシモンは黒人の隣に腰を下ろす。
「ようハロルド、そっちも一仕事終わったところか」
「あぁ…」
シモンと同じく殺し屋であるハロルドはいつも通り素っ気ない返事を返すとエールを口にする。この男もそれなりに名の知れた殺し屋らしく、この店の常連という事もあって何度か顔を合わせていた。
「レヒトちゃん暗いわよぉ、ほらサービスしてあげるから座って座ってっ」
ダリルの妙な手招きを見ないようにして席に座るとすぐさま俺達の前にエールが置かれた。
「まぁ気にするなレヒト、とりあえず初仕事の成功祝いに乾杯だ」
どうにも気が乗らないが、とりあえずジョッキを合わせるとシモンはそれを勢い良く傾ける。それとは対照的に俺はエールを一口だけ飲むとジョッキを置いた。
「さっきのあれは…どういう意味だ?」
「くはぁっ! ん、さっきのあれ?」
わざと惚けているのかと腹が立つがどうやら本気で分からないらしい。
「…人を殺す事に躊躇した事だ」
人前で話すのは憚れたが、気になった俺は若干苛立ちながら先程の言葉の意味を尋ねる。
「あら! レヒトちゃんにもそんな感情があったのね! お姉さん安心したわぁ」
「黙ってろオカマ野郎」
「んまーっ! 酷い! 酷いわレヒトちゃん! でもそんなトコも素敵ぃ!」
再び体を捩りながら恍惚な表情を浮かべるダリルは無視してシモンを真っ直ぐ睨む。
「その事ならハロルドに説明してもらおう」
「…何故俺が?」
突然振られたハロルドはサングラスのせいで表情が分かり難いが困った様子だ。
「俺が言うより同業者のお前さんから言った方が納得してもらえるかとね」
「…大して変わらんだろう」
そう言いつつもハロルドは正面を向いたままエールを一口飲むと語り始める。
「…大方人を殺す事に初めて躊躇したんだろう?」
「…あぁ」
「それはお前が人間である証拠であり、俺達が決して忘れてはいけない感情だ。それを忘れた奴は殺し屋でも何でもない、ただの人殺しだ」
「…殺し屋と人殺しの何が違う?」
「魂を悪魔に売ったか、そうでないかだ」
「はっ…そんなのはただの自己満足だろ」
「そうかもな、でもそんな自己満足があるからこそ俺達は人生を謳歌出来る」
普段は寡黙な印象のハロルドだが酒が入っているせいか随分と饒舌だ。
しかしシモンが言いたかったのはそういう事らしく、俺とハロルドの間でうんうんと頷きながらジョッキを傾けていた。
「じゃああんた等も…人を殺す事に抵抗があるのか?」
その問いにはそれまで沈黙していたシモンが真面目な顔で口を開く。
「殺しには慣れた、でもいつだって葛藤は付き纏う」
「葛藤? そんな風には見えないな」
「忘れそうになる事はある、でもそれを忘れないようにしているんだ」
「悪魔に魂は売らない、か?」
「あぁ、こんな仕事だがやり甲斐もある。例えば今回の依頼人は幼い頃に父を亡くし、母親と二人で暮らしていた一人息子だ」
「…だから何だ?」
「標的だった貴族はその母親の雇い主だった。しかし日頃から暴力を振るわれ、ある日それが原因で母親は死んだ。しかし貴族は母親の死を事故とし、その損害として依頼人の家に残る財産全てを奪い去った。そして息子の手元に残ったのは形見であるあのナイフだけだった」
「…よくある復讐劇だな」
「そうだ、貴族を殺したところで依頼人に財産が戻ってくる訳でもない」
「尚更無駄な行為だ。殺し屋に大金を積んで得られるのはただの自己満足か」
「あぁ、でもその自己満足があって初めて過去から前に進める人間もいる。お前さんは自己満足を馬鹿にしているようだが、こいつは人間が生きていく上で絶対に必要なものだ」
「自己満足で自分を満たすような人間なんて下らんな」
「勿論それが全てじゃない。でも人間ってのは弱い生き物だ、そうやって自分で自分を支える何かが必要な場合がある。宗教なんてのもその一つだ」
成る程、妙に頷ける話だ。世界中何処にだって宗教はあるが、当然ながら俺がそんなものにハマった事はない。だってそうだろう、どいつもこいつも自分達の唯一神だけを崇め、それを他者に押し付けようとして挙句の果てには殺し合いまで演じている始末だ。人の命は尊いだとか説きながら宗教戦争を起こす連中の姿は端から見れば滑稽でしかない。だから俺は宗教なんてものは一切信じないし理解も出来ない。
ただシモンの言うように神という絶対の寄り処がある事で自己満足に浸れるのならそれはそれで幸せな事なのかもしれない。
そしてハロルドも自己満足があるからこそ人生が謳歌出来ると言っていた。シモンには初めて出会った際、人生を楽しむという事を教わった。だとすれば今の俺に足りないのは自己満足なのだろうか。
考えてみれば何をしても満たされない虚無感が常に付き纏っていたが、それも何処かで妥協し自己満足に浸れば楽しく思えるのかもしれない。
「誰にだって自己満足で済ませる細やかな幸せがあるものさ。例えば知っての通り俺はローブの中に様々な武器や道具を仕込んでいるが、何故だと思う?」
「…どんな状況にも対応する為じゃないのか?」
「勿論それもある、でも一番の理由はかっこいいからだ」
「…は?」
「多種多様な武器、その全てを使いこなす殺し屋…どうだ、かっこいいだろう?」
そう言ってシモンはキメ顔を向けてくるがその感性はまるで理解出来ない。
「…よく分からん」
「…良いんだよ、俺がかっこいいと思ってるんだからそれで」
「大丈夫よぉ、シモンちゃんは渋くてかっこいいわぁ」
カウンターに肘を突き、頭を左右に揺らしながら満面の笑みを浮かべるダリルが鬱陶しい。
「だろう! やっぱり男ならこの気持ち分かるよな!」
「うふふー、私はオカマだけどねぇ」
「オカマでも何でも良い、つまりそういう事だ。これだって結局は自己満足だ」
「…何が言いたいんだ?」
「だからお前さんも自分がかっこいいと思った事は恥ずかしがらずにやってみろって事だ」
「…下らん」
「まずはそうだなぁ、服でも買ってみたらどうだ? お前さんの身長じゃ俺の服は少しばかり窮屈だろう?」
ボロ布を一枚纏っていた俺はとりあえずシモンの服を借りていたが確かに窮屈ではある。かと言ってファッションに興味も無い為、とりあえず恥ずかしい部分を隠せればいいぐらいにしか考えていなかった。
「後はそうだな…武器だ。お前さんに似合う武器を俺が仕立ててやろうじゃないか」
どうやらシモンは俺の武器まで自作するつもりらしい。
一緒に過ごしてから知った事だがシモンには鍛冶の心得があるようで、こいつが所持している武器はどれも自分で作った物だった。これまで様々な武器を見てきた俺だがシモンの扱う武器は初めて見るような独特な形状の物が多く、初めて戦った時に見た武器も今まで見た事が無かった。しかしその理由はシモンが自作しているに他ならなかった。
加えてシモンの鍛冶師としての腕前は世界的に見ても指折りらしく、裏で殺し屋稼業に手を染めていながら表向きにはそれなりに有名な鍛冶屋を営んでいる。
「…勝手にしろ」
「んー、私の見立てだとレヒトちゃんには大剣が良いんじゃないかしらぁ? それも普通の人間には扱えないぐらいの大っきくて硬ぁい大剣っ」
「おっ、良いなそれ。オリジナリティがある」
「…服なら大通り沿いにあるブラッシュという店がお勧めだ、お前好みかは知らんがイメージには合っている」
ダリルだけでなくハロルドまで乗ってきてしまうとは意外だ。どういう訳かこいつ等は俺の改造を楽しんでいるだけに見える。
「おい待て、勝手に話を進めるな」
「何だよ、別にお前さんに不利益はないだろう?」
「それはそうだが…」
「ははっ、こういう空気には慣れてないって面だな。でもそんなのも楽しんでこそ人生ってものだ」
そう言われては何も言い返せなかった。
「殺し屋レヒトのトレードマークになるぐらい立派な大剣をこの一流鍛冶師シモンの名にかけて仕立ててやるよ」
「…そりゃどうも」
「あ、それに合わせて大剣の扱い方も教えてやらないとな」
「うふふ、股間にある大剣の扱き方なら教えてあげられるのにぃ…今夜どぉう?」
そう言ってダリルは指を妖しく動かしながら熱い視線を送ってくるが思わずその指をへし折りたくなる。そんな殺気を察知したのかダリルは再び体を捩りながら恍惚な表情を浮かべた。…変態め。
「今回は大した報酬額じゃないが後で取り分を渡すからそれで早速服を買ってこいよ」
「…今日やれと?」
「善は急げだ、俺も今日から大剣の制作に取り掛かる」
どうやら何を言っても無駄なようだ。呆れながら溜息を漏らしてしまうが、これはこれで面白いのかもしれない。思えば今までこんな風に自分の存在を知った上で受け入れてくれた連中なんていなかった。
殺し屋なんて裏世界に生きる低俗な人種だ。しかしそんな世界でも人間としての楽しみは転がっている。結局のところシモンの言うように物事には全て裏表があり、見る者次第で世界なんてどうとでも変わるのだろう。
それからしばらくダリルの店で飲み続け、日が完全に昇り切った頃に住処へ戻ると早速今回の依頼の取り分をシモンから手渡された。
長らく金なんて物を手にしていなかったが、初めて受け取った殺し屋の報酬に妙な感慨を覚える。しかし初仕事だったせいかこの体でも疲労を覚えたらしく、全身が重く感じた俺は買い物は起きてから行くとして先にベッドに潜り込んだ。するとすぐに心地良い睡魔が訪れ、それに逆らう事無く俺は眠りに就いた。
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