第12章 因果律 ―Recht Side―

Episode46「追憶」

 振り返れば気が遠くなるような過去、そして数え切れない程の出会いがあった。当然出会った人間一人一人をいちいち覚えている訳もないが、今でも脳裏に焼き付いて離れない奴が二人程いる。

 二人が死んでから千年以上は経っているが、それでも忘れられない、忘れたくない理由があった。一つは今まで生きてきた中で俺が心から信頼していた数少ない存在であること。そしてもう一つは、そんな二人を俺のせいで死なせてしまったという自責の念だ。


 一人は殺し屋になってから出会った仲介屋のサラという露出狂の気がありそうな女だ。

こいつとはかれこれ十数年の付き合いがあった。

 殺し屋というのは原則として自ら依頼を引き受ける事は滅多にない。ほとんどの依頼人は仲介屋に殺しの依頼をし、仲介屋が殺し屋を選別してから依頼を持ち込む。そしてこのサラって女が俺に持ち込む依頼はどれもが普通の人間には到底不可能なものばかりで、そのせいかそれらの依頼全てをこなす俺とサラは殺し屋業界では名の知れたコンビになっていた。

 しかし殺し屋なんてのは不特定多数から恨みを買う事が多い。だからといって俺に直接手を出す間抜けはそうそういなかったが、そのせいでサラは殺されてしまった。

 それ以来、俺は他人と深い干渉を持つ事を拒むようになっていく。人の理から外れた者が如何に異質で孤独なものか再認識させられた。

 そして忘れられないもう一人は俺が殺し屋稼業に就くきっかけを作り、共に長らく依頼をこなしていたシモンという男だ。その出会いは最低最悪と呼べる代物だが、今にしてみれば笑えるものだった。


 何故今になってそんな事を思い出したのかは分からない。次元の狭間で突然現れた扉に吸い込まれた俺の視界は暗転し、気が付けば意識を失っていた。そして夢見心地で目を覚ますとそこには今はあるはずのない懐かしい風景が広がっていた。


「此処は…」


 そこは別に珍しくも何ともないゴモラのような貧民街。見すぼらしい布を身に纏い、体を寄せ合う浮浪者達の集落は何処にでもある当たり前の光景だ。

 しかしこれは夢か幻か、信じられない事にそこはかつて千年以上も前に俺が過ごしていた場所だった。周囲を見渡すが夢にしては余りに現実味があり、見れば浮浪者の中には思い出せるような知った顔もある。

 ただ誰一人として俺に異質な目を向ける者はおらず、それが逆に違和感を強める。そこでふと自分を見やると、いつの間にか俺も周りの浮浪者と同じようなボロボロの布を一枚だけ纏い、背中の大剣は何処かへ消えていた。


(まさか…な)


 俺は過去の世界にでも来たのか?

 いやしかしそんな事あるはずが…。

 事態が飲み込めず混乱しているとその可能性を裏付けるように奴は現れた。気配を殺し、音も無く背後から接近してきた男は服の裾に隠し持っていた短剣で突然俺の胸を貫く。

 当然この程度で死ぬ事はないが、それでも懐かしい胸の痛みはこれが夢ではない事を証明しているようだ。但しその一撃は的確に心臓を貫いており、普通の人間なら間違いなく即死している。

 後ろを振り向くと薄黒いローブを羽織りフードを深くまで被った男が極々自然な様子で立っていた。


「…何の用だ?」


 周囲に気付かれないよう小声で囁くと男は驚愕の表情を浮かべながら凝視してくる。


「…どういう仕掛けだ?」


 短剣を引き抜くと男はゆっくり後ずさるが逃げ出す素振りはない。

 それは何もかもが記憶にある世界と同じ。だとすればこのローブ男の正体は…


「まずは俺の質問に答えろ」


 俺の不遜な態度に男は更に警戒心を強め、隠し持っていた武器に手を掛ける。

 この気配、殺気、そしてローブの下に隠されているであろう無数の武器。間違いない、この男こそ俺を殺し屋に仕立て上げたかつての相棒、シモンだ。どうやら俺は本当に過去の世界へやって来たらしい。


「本当に不老不死なんてものがいるとはな」


 殺し屋シモンがこうして殺しに来たのは不老不死の疑惑がある俺を試して欲しいという依頼を受けたからだった。

 俺はなるべく正体がバレないようにひっそりと生きていたが、それでもこうして何処かで疑惑を持たれる事は今までにも何度かあり、その度に疑惑を持った人間を全て抹殺している。それはこの時とて例外ではなかった。


「種明かしをしてやるから付いて来い」


 こう言えば誰もが素直に付いてくる。特に相手が殺し屋となるとどいつもこいつも不老不死なんて迷信だと決め付け、俺をただの乞食だと思い舐めて掛かってくる。だから何が起ころうともその気になれば簡単に殺せるという慢心が生まれ俺の誘いに乗ってくるのだ。シモンの場合は舐めて掛かって来た訳ではないとこの後知る事になるが、それでもこの場は大人しく俺の後を付いてきた。


 城下町を出てからもしばらく歩き続け、人気のない森に入ると俺はそこで足を止めて振り返る。


「さて、改めて何の用だ?」


「俺は殺し屋だ、お前さんが不老不死かどうか確かめに来た」


 そう言ってフードを脱ぎ去ると、覗けた全貌は白髪に髭を生やした中年の男だった。

それは記憶の中のシモンの姿と瓜二つで内心は驚かされたが、妙な事にまるで物語をなぞるように過去と同じ言動が勝手に口を衝いて出てくる。


「素直に名乗る殺し屋とは珍しい」


「お前さんが本当に種も仕掛けも無い本物だとしたら俺に勝ち目はないだろ」


「分かってて来たのか?」


「それだけ殺意を迸らせてればな」


「…なら死ね」


 思えばこの時の俺にも慢心があった。人間では俺に歯が立たない、そう決め付けていたのだ。だがそんな数百年掛けて凝り固まった絶対的な価値観をシモンはあっさりとひっくり返してしまう。


 一瞬で距離を詰めるとその勢いのまま顔面目掛けて拳を放つ。今まで見てきた敵は全てこの一撃で頭を粉砕され絶命している。

 結果は見るまでもないし、顔に返り血を浴びるのは億劫だ。だから俺は拳の行く先を見ようともせず俯いたままだった。しかしいつもそこで感じる手応えは無く、俺の拳は虚しく空を切る。その違和感から顔を上げるとそこにシモンの姿は無かった。


「まるでなってないな」


 背後から聞こえたその声に驚き振り返ると見た事のない形状の曲剣を携えたシモンが笑顔で斬り掛かって来る。それを紙一重で回避するが態勢を崩した所にシモンは迷わず追撃を放ち、それは俺の腹に深々と突き刺さった。


「どうやら本当に不老不死のようだ」


 痛みを堪えながら拳を振るうがそれよりも早くシモンは離脱し、またもや俺の攻撃は空振りに終わる。


「どうした、その程度か?」


「上等だ…殺してやる」


 その辺の巨木に掴み掛かると根元から引き抜き、それを思い切りシモン目掛けて叩き付ける。しかしそれもあっさりと回避され、茂った葉の中から飛んできた鋭い一撃で肩を斬られてしまう。

 構わず突進してシモンに蹴りを放つが、いつの間にか取り出していた幅のある剣の腹でそれを受け止められた。更にシモンは蹴りを受け止めた際に剣の向きを調整したようで、蹴りの勢いで後方へ弾き飛ばされながらも落ち葉をクッションにするように地面を転がりながら受け身を取る。それにより勢いは殺され、泥だらけになりながらもシモンは無傷のまま平然と立ち上がった。


「…本当に人間か?」


「人間だってその気になればこれぐらい出来るさ」


 そう言うシモンは何が面白いのか子供の様に目を輝かせながら笑みを浮かべていた。その笑みの理由が分からず、俺は初めて見る得体の知れない存在に戸惑うが不思議とそこに恐怖は無い。寧ろ今まで見てきた人間とは一線を画す強さに興味が湧き始めていた。

 このまま戦い続け持久戦になればやがて俺が勝つだろう、そう思いつつもこの男ならもしかしたら俺を殺せるんじゃないか…そんな期待が胸を過った。


「俺を…殺してくれ」


「いきなり何を言ってるんだ、ジョークにしては笑えないぞ」


 この頃の俺は漫然と生きながら、しかし何処か死に場所を探し求めていた。死にたくても死ねない苦悩に苛まれ、もがく日々に疲れ果てていた。

 しかしシモンは今まで見た人間の誰よりも強く、その目は羨ましい程真っ直ぐなものだった。だからだろうか、俺を殺せるのはこの男しかいない、いや…この男になら殺されても良いと思えたのだ。


「もう抵抗はしない。殺し屋なら俺を殺す事が目的だろう?」


「おいおい、最初に言ったが目的は殺す事じゃなくて不老不死かどうか確かめるだけだ」


「…ならもう依頼は果たせたって事か?」


「あぁ、襲われたから反撃したまででこれ以上戦う気はない」


 その言葉に嘘はないようで、シモンは持っていた武器を仕舞うと両手を上げる。その姿を見て俺も警戒心を緩めると歩み寄り改めて懇願する。


「だったら依頼する、俺を殺してくれ」


「生憎と殺し屋ってのは原則として仲介屋からの依頼しか受け付けないもんだ」


「依頼を請けないならこの場で殺す」


「ははっ、参ったなこりゃ。不老不死なんて初めて見たがこれじゃただの自殺志願者じゃないか」


 笑いながらシモンはその辺に腰掛けるがすっかり戦意は失われているようだ。


「知ったことか」


「考えてもみろよ、このまま俺を見逃せば依頼主にはお前さんが不老不死である事が伝わる。そうなりゃ下手すれば世界中がお前さんを付け狙うだろ?」


「…文明の発展に貢献する気はない、俺はただ死にたいんだ」


「まぁ…そう簡単には殺してくれないか」


 不老不死ならではの悩みを察したのかそれまで飄々とした態度だったシモンは哀れみのような目を向けてくる。


「なぁ、折角こうして会えたんだ。依頼はともかく話を聞かせてくれよ」


「…話を聞いたら殺してくれるのか?」


「お前さんも頑固だな…。やっぱり長生きしてるせいか?」


「質問に答えろ」


「分かった分かった、殺せるかどうか分からないが話次第では引き受けよう」


 どうにも腑に落ちないが、一縷の希望に賭けたくなり素直に自分の事を話す事にした。

 何も分からないまま目覚めた事、初めは人間社会に溶け込んでいたが十数年で己の特異性に気付き、それから逃げる様に世界中を旅してきた事。途中で何度か不老不死を疑った人間全てを葬り、試しに受けてみた人体実験でも死ぬ事は叶わず関係者を皆殺しにした事。

 そんな普通は信じるはずのない与太話をシモンは疑う素振りもなく聞き続け、時折好奇心に駆られたような表情で質問を投げ掛けてくる。それはまるで御伽噺おとぎばなしを聞く子供のように、シモンは終始目を輝かせていた。その姿が何だか面白くなり俺もついつい饒舌になってしまう。

 気が付けば日は沈み、辺りは薄暗くなっていた。


「…話はもういいか?」


「いや、まだまだ聞き足りないし今夜は此処で野宿だ」


「…正気か?」


「野宿なんてそう珍しい事じゃないだろう?」


「違う、こんな化け物と一夜を過ごす気なのかと聞いてる」


「化け物? 要は身体能力が凄くて死なないだけだろ」


「それが問題だろ」


「はっはっは、俺は強いから問題無い」


 確かにシモンの強さは認めている為、それ以上は何も言えなかった。ぐぅの音も出ないでいるとそんな俺はお構いなくシモンは周辺に落ちた枝を拾い集め焚き火を起こす。


「今夜はとことん朝まで語り明かそうじゃないか」


「…変わってるなあんた」


「あ、そういや自己紹介がまだだったな」


「無視かよ…」


 シモンとの懐かしいやり取りに今でも呆れてしまうが、ついつい口元が綻んだ。

 それにしても昔の自分とは言え、今と比べると同一人物とは思えない程、我ながら陰気臭い性格をしている。


「俺は殺し屋のシモンだ。お前さんは?」


「…名乗ってどうする」


「名乗られたら名乗り返すのが礼儀だぞ?」


「…ない」


「ん?」


「…名前なんて無い」


 記憶が無いのだから自分の名前なんて分かるはずもなかった。


「それだけ長生きしてれば偽名でもあだ名でも何かあるんじゃないのか?」


「ジョン、ジャック、トーマス」


「駄目だな、イメージと違う」


「知るかよ…」


「他にはどんな名前があるんだ?」


 他人から勝手に付けられたあだ名がほとんどだったが、自ら考え付いた名前の中に一つ気に入ってたものがあるのを思い出す。それを名乗るのは憚れたが、こうして正体を知って尚も対等な立場で会話するシモンに俺の心は開きつつあった。

 笑われるんじゃないかとそんな不安を抱くが、百年以上生きている化け物が今更そんな女々しい事を心配するとはお笑いぐさだ。自嘲しながらも俺はその名を名乗る。


「…レヒト」


「へぇ、変わった名前だな」


「…たまたま見た古文書に書かれていた都市名…そこから文字った」


「自分で考えたのか」


「…文句あるか?」


「いや、良い名前じゃないか。レヒトか」


 予想通りとでも言おうか、シモンはその名を笑うような真似はしなかった。寧ろ変わった名前と言いつつシモンも気に入ったようで、一人でブツブツとその名を反芻している。


「それじゃ今日からお前さんは殺し屋レヒトな」


「…は?」


 シモンはその辺にあった枝を拾い上げるとそれを突き付けながら、突然そんな訳の分からない事を言い出した。

 だが忘れもしない、これこそ殺し屋レヒト誕生の瞬間だ。懐かしさで思わず心の中で笑ってしまうがそんな気持ちに反して俺の顔は強張っていた。


「…どういう事だ?」


「スカウトだよスカウト。どうだ、俺と一緒に殺し屋稼業でもやってみないか」


「何で俺が殺し屋なんか…」


「不老不死だし人を殺す事に抵抗が無い。技術は未熟だが人を殺す十分な力もある。どうだ、天職じゃないか」


「…馬鹿にしてるだろ?」


「いやいや、本音さ。付け加えるならレヒト、お前さんと一緒に仕事をしてみたくなった」


 その言葉に嘘はないようで、相変わらずシモンは笑顔のまま真っ直ぐな視線を俺に向けてくる。

 しかし当然はいそうですかと簡単に頷けるはずもなく、そんな俺を見てシモンは続けた。


「お前さんの境遇は分かったし、俺よりもたくさんの物を見てきてる。でも世界ってのは広い、まだお前さんが見た事もやった事もない事が腐る程あるはずだ」


「…だから何だ?」


「どうせ死ぬならそいつらを全部体験してからでも遅くないんじゃないか? 折角の不老不死なんだ、もっと楽しんだらどうだ」


「楽しむ…?」


「あぁ、俺なら不老不死を楽しむな。死ぬ事がないから何の心配も無く依頼をこなせる。そして好きなだけ美味い物を食べて、好きなだけ遊び回る。正直な話、その力が羨ましいぐらいだ」


 そんなのは持たざる者が描く夢物語であって、実際不老不死になって何百年も生きてみればその苦悩が身に染みて分かるはずだ。と思いつつも、この男なら本当にいつ訪れるかも分からない死の瞬間までこうして笑っているような気がした。


「人生の大先輩に向かってこんな事を言うのもあれだが、世界ってのは本当に広いぜ? 現に俺はこんな所で不老不死の人間に出会えるなんて夢にも思わなかったしな」


 そう言ってシモンは心から楽しそうな顔を浮かべ、ローブの中から突然干し肉を取り出した。


「自家製だ、結構イケるぜ?」


 差し出された干し肉を前にして俺はシモンの言葉について考えていた。

 確かに世界にはまだまだ俺の知らない事がある、そんな事は言われるまでもなく分かっている事だ。世界の全てを知るなんて傲慢は神でもなければ許されない。しかしそれを楽しむには余りに辛い事が多過ぎた。

 絶えず付き纏う孤独、自分でも把握し切れない得体の知れない力への不安。そして終わりが見えない恐怖は実際に不老不死になった者にしか分からないだろう。だがそれでも、それらを全て受け入れ楽しむという発想は考えた事も無かった。

 干し肉をじっと見つめているとふとエリスの顔が脳裏を過ぎる。かつて俺があいつに言った言葉、それは俺がこの時シモンに言われた言葉である。歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。


「安心しろよ、毒なんて入ってないぜ」


 何を勘違いしたのか、干し肉を前に固まる俺を見てシモンはそんな事を言いながら自分の分を美味しそうに齧り出す。

 空腹は感じるが餓死する事はない為、いつからか俺は食事を一切摂らなくなっていた。しかし差し出した干し肉をいつまでも引っ込めないシモンに呆れながらも、遠慮がちに受け取り口にした干し肉は久しぶりに摂った食事のせいかやたら美味く感じた。


「どうだ、イケるだろ?」


「…悪くない」


「まだまだたくさんあるから遠慮せずに食えよ」


 そう言ってローブの中から大量の干し肉を取り出すシモンだが、ふとローブの中がどうなっているのか気になって尋ねてみる。


「干し肉やら武器やら…あんたのローブの中はどうなってんだ?」


「おっと、そいつはトップシークレットだ」


 あっさりと躱されるがどうにも腑に落ちない。しかし…もし俺が殺し屋になればその秘密も、シモンの様な強さも手に入れられるのだろうか。


「…もし殺し屋になったら俺は強くなれるか?」


「ん? 今でも十分強いじゃないか」


「違う、あんたみたいな強さが欲しい」


「嬉しい事を言ってくれるがこれ以上強くなってどうするんだよ」


「別に…負けたままじゃ悔しいだけだ」


 そんなのはただの言い訳だ。先程の言葉で俺の気持ちは既に傾いており、これはただの確認だ。


「今でも俺に勝ち目はないんだが…」


「戦闘術を教えろ、あんたにも損はないはずだ」


「まぁ…うん…でもなぁ…」


「…あんたに手出しはしない、約束する」


「そりゃ一安心だ。それじゃもう一つ約束してくれ」


「…何だ?」


「二度と自分の命を粗末にするな」


「何を言うかと思えば…俺を殺そうとした奴が言う台詞じゃない」


 しかしそう言うシモンからは笑顔が消え、真剣な表情をしていた。余程何か思うところがあるのか、悪態を吐く俺を見詰める視線は揺ぎ無く、言いようのない威圧感に戸惑ってしまう。


「その代わりと言っちゃ何だが、いつか必要になった時は全力で殺す。だから俺以外に殺される事は認めん」


「何であんたにそこまで指図されなきゃいけないんだ」


「約束してくれるなら俺の持つ知識も技術も全て叩き込んでやる、どうだ?」


 この時点で俺はシモンと共に殺し屋稼業に手を染める決心が固まりつつあった。先程の言葉に心を打たれた事もあるし、単純ながら男なら誰でも持っている強さへの渇望もある。ただその裏で殺し屋をやっていれば殺される機会も増えるかもしれないという期待があっただけに、シモンの提示した条件は素直に頷けなかった。


「お前さん、適当そうに見えて意外と真面目だな」


「俺が真面目…?」


「あぁ、真面目で優しい男だよ。それでいて臆病者で弱い」


 まるで的外れな事を言っているはずだが、何故かその言葉に一瞬で頭に血が上る。かと言ってここで怒ればその言葉を肯定してしまう気がしてぐっと堪えた。


「言っておくがそれは悪い事じゃない。これは持論だが、全ての事象には裏表がある」


「はぁ…?」


「レヒト、お前さんは臆病だ。だが言い換えるとそれは他者との距離を気にしているからだ」


「俺が…他者との距離を…?」


「あぁ、情の移った人間が先に死に逝く様を見るのはどうだ?」


 その言葉に胸が激しくざわつくと同時に今まで味わった事のない感情が芽生えた。それはこの得体の知れない男への恐怖であり、同時に言葉にせずとも自分を理解してくれる安心感。相反する感情が入り混じり、図星を言い当てられた事で俺は激しく取り乱した。


「分かり易いな、しかしそれも良いところだ」


「…エスパーか?」


「人間観察の賜物さ。殺し屋をやるなら心理分析も出来た方が何かと楽だ」


「…分かり易いタイプで悪かったな」


「はっはっは、卑屈なのは見た目通りだがな」


「黙れ…」


 思わず手が出てしまうがシモンはそれを笑いながら軽々と回避する。ちなみに咄嗟に出た拳だが当たれば致命傷になる一撃だ。


「おっと刺激しすぎたら洒落にならんようだ。でもな、俺はお前さんみたいな人間好きだぜ」


 あっけらかんとそう言い放つシモンを前に俺は硬直した。男に好きと言われて喜ぶ趣味はない。ただ俺を人間と呼んでくれた事が嬉しくて、思わず長い間流していなかった熱いものが込み上げてくる。

 当然ながらそれをそのまま流すような事はせず、かと言ってその気配を悟られたくもないので俺の表情は更に強張った。


「おーおー、怖いからそんなに睨まないでくれよ。お前さんってホント悪人面してるな。そんなんじゃ何かと誤解され易いだろ?」


「…余計なお世話だ」


「まぁ何はともあれ、そんなお前さんになら俺は安心して背中を預けられるよ」


 そう言って立ち上がるシモンは俺より身長が低いにも関わらずとても大きく、まるで立ちはだかる壁のように見えた。そしてこの時の俺にはそれが頼もしく見え、それでいてシモンが持つ根源的な強さに憧れを抱いた。


「約束、守ってくれるよな?」


 そう言いながら差し出された手を見詰めながら俺は最後にもう一度自分に言い聞かせる。

 この出会いが俺の今まで築き上げてきた価値観を、世界を変えてくれるのなら…


「…先にくたばるなよ」


「当たり前だ、これからよろしく頼むぜ相棒」


 死ぬ事以外で今の苦悩から逃れられる道があるのなら、一度ぐらいそれを試してみてもいいだろう。どうせ時間は無限にある、少しぐらい寄り道をしてみようじゃないか。


「…あぁ、よろしくな」


 差し出された手を握り返し、この時より殺し屋レヒトは誕生した。

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