第11章 預言 ―Sion Side―

Episode41「覚悟」

 稽古をつけてやると言ったレヒトに連れられ僕は鍛錬の間へとやって来た。相変わらず人気はなくひんやりと張り詰めたような空気の中、自分達の足音だけが広間に木霊する。

 一体何を思って稽古をつけてくれる気になったのかは分からないが、レヒトの背にはしばらく見ていなかった無骨な大剣が掛けられていた。聞いた話ではベルゼブブに真っ二つに折られたらしいが、いつの間に修復したのだろうか?

 とにかくこの状況でレヒトと二人きりというのは否が応でも緊張させられる。

 先日セインガルドに二人で潜入した際は共通の目的があって、こちらに手を出すことがないという安心感から何の疑いもなく行動を共にしていた。当然彼が今更裏切るなどとはこれっぽっちも疑っていない。ただ僕達の実力を試した時のように、戦闘態勢のレヒトと対峙するというのは想像するだけで未だに足が竦んだ。


「さて、と」


 広間の中央で足を止めるとレヒトはゆっくりとこちらへ振り返るが、こちらに攻撃を仕掛ける気配がなくても思わず身構えてしまう。


「そう警戒するなよ、稽古をつける前に少し話でもしようや」


 そう言ってレヒトは戦闘の意思がないと伝える為か、背負っていた大剣をその場に寝かせると腰を降ろした。

 依然としてレヒトの考えがまるで分からず予想外の行動に戸惑うが、こうして一人で立っていても仕方ない為、向かい合うようにして僕も腰を降ろす。


「あの…話って?」


 どうにも先程からレヒトの様子がおかしい気がする。まるで何かを見定めるような、そんな意味深な視線をこちらへ向けている。

 一体何を話すつもりなのか…予想しようと頭を回転させるがレヒトの質問は予想の遥か斜め上だった。


「お前、ソフィアとヤッたか?」


 突拍子の無い質問に思わず心臓が跳ね上がるが咄嗟に否定してしまう。


「ヤッ…!? し…してないよ…」


「…ホントお前分かりやすいな」


 しまった、何故かは分からないけどレヒトにはあっさりと嘘が看破されたようだ。

 呆れたような、でも何処か嬉しそうな顔で僕を見やるレヒト。それが気恥ずかしくも、何処か馬鹿にされているような気がして自分の顔がみるみるうちに熱を帯びていくのが分かった。


「何で…そう思うの?」


「そうだな…まず一つはその首元のペンダントだ」


 確かに僕とソフィアは昨日購入したお揃いのペンダントを付けていた。装飾されている石が違うだけでデザインは同じ物の為、これらがペアであることは誰が見てもすぐに分かるだろう。しかしそんな些細な部分に気付くレヒトは流石と言うべきか。思った以上に僕達の事をよく見ているようだ。

 一瞬感心してしまうが、だとしてもいきなりそんな質問をするのは男相手とはいえ失礼ではないだろうか。かと言って面と向かって本人に文句は言えない為、抗議の視線を向けているとレヒトはそれに対して怒る事なく弁解を始めた。


「落ち着け、別にお前等が何しようがどうでもいい」


「じゃあ何でそんな事を聞いたの…」


 尚更レヒトの考えが分からなくなった。やっぱりからかいたかっただけなんじゃ…。


「お前から感じる…魔力っていうのかね? 何か昨日と違うんだよな」


「魔力…?」


 その言葉に一瞬動揺するが、自分の魔力が変化したような実感は特にない。

 まさかソフィアと体を重ねた事で僕の肉体はまた何か変化でも来たしたのだろうか?

 しかしその場で試しに手を握ってみても何ら変化は感じ取れなかった。


「まぁ自覚が無いなら良い、どの道後で分かる事だ」


 後で…ということはやはり稽古という名目で僕は彼と戦わなければならないらしい。レヒトの足元に置かれた大剣を見やると混乱していた頭が冷め、再び気が重くなった。


「で、重要なのはここからだが…」


 レヒトの声のトーンが少し落ち、一瞬緩んだ気が再び張り詰める。


「お前…あれから炎の力を使ったか?」


 あれから…というのはアンディと戦った後の事だろう。僕も気に掛けていた点を突かれ思わず口篭ってしまう。

 僕は真理ダアトの扉を開いてからは炎の柱を完全に制御出来るようになっていたと思っていたし、実際にアンディとの戦闘では自在に操れていた。しかしアンディが死んだ直後、炎の柱は自分の意思とは無関係に突然途絶えてしまった。

 あの力が突然顕現し消滅する事は今までに何度かあったけど、どうしてもサリエルから聞いた話が引っ掛かっていた。

 僕達の力が天上の神から行使を許可されているとしても、それがいつまでも使える保証は無いのだ。


「俺は少しばかり接続とやらをしてみたが…」


「え、な、何で…?」


「理由は何だっていいだろ。ただ今のところ問題はなさそうだ」


 そう言ってレヒトは掌を返すとその手には黒いもやが掛かり、突如正体不明の強烈な圧迫感のような息苦しさを覚える。それは痛みとして感じ取れる程の違和感となって体を突き刺してきた。


「それがレヒトの…その力は…何なの?」


「さぁ、何だろうな。とりあえず殺意とか破壊衝動がこうして目に見える形になって…攻撃に使えるって事ぐらいしか分からん」


 どうやらレヒトの力は殺意がこうしてもやのように具現化するらしい。

 力を顕現させただけで周囲に殺意という概念そのものを撒き散らしている時点でその力の威力は想像に難く無い。戦神の殺意…それがそのまま攻撃に応用出来るのならそれはまさしく戦神に相応しい力と言えよう。

 しかしここで一つ疑問が沸き上がる。レヒトが遠い昔に戦神で現在も力を得る為にあちら側と『接続』を可能としているのなら、僕達と出会うより前から『接続』をした事があるのではないのだろうか?

 しかしその疑問はばっさりと切り捨てられる事となる。


「この力が顕現したきっかけは…認めたくはないが恐らくアザゼルの野郎のお陰だ」


 レヒトは目覚めた時から人の理を超越した存在だった為、神の力が必要となるような戦闘経験が無く、アザゼルと戦うまで自身の限界を自分でさえ把握出来ていなかったらしい。

 しかしレヒトはアザゼルとの死闘によって追い詰められ力を求めた。そしてその求めに応えるようにして彼の力はまるで底無し沼から無限に吸い上げるかの如く引き出された。 それは自分さえ知らなかった新たな自分を知ったような気分だったそうだ。


「サリエルの話は無視出来ない…が、この力抜きであいつらとり合うには分が悪い」


 苛立たしいようにレヒトが舌打ちをする。

 レヒトとアザゼルが一騎打ちで戦っているのを間近で見ていたが、確かに神の力が無ければレヒトでさえ勝機が見出せないように思えた。

 僕だってヴァンパイアの力だけでは彼等には太刀打ち出来ないだろうし、エリスに至っては神の力がなければその辺にいる少女と何ら変わらない。

 この戦いに勝つにはどうやっても神の力に頼らざるを得ないようだ。


「なるべく力を使うのは控えるべきだが、お前には幸いヴァンパイアの力が備わってる。とりあえず戦闘の基本だけでも覚えておいて損はないはずだ」


 レヒトの手を覆っていたもやが晴れるとそれまで周囲を圧迫していた殺意も同時に霧散しようやく僕は一息吐く。


「本当に稽古をつけてくれるんだ…」


「俺が他に何をすると思ってたんだよ」


 軽く睨み付けられ思わず顔を背けてしまう。殺意が具現化するような男に睨まれるなんて恐ろし過ぎた。


「そんな訳でまずは…」


 レヒトは立ち上がり歩き始めると広間の隅にズラリと並べられた武器の中から短剣を手に取りこちらへ目掛けて投げ飛ばしてくる。かなりの速度で飛来する短剣を思わず避けようとするが、どういう訳か僕は避けながらも咄嗟にその短剣の柄を握り締めていた。


「あ、あれ…?」


「やっぱりこの前とは違うみたいだな」


 何故かは分からないけど突き刺さる直前で飛来する短剣の動きがスローモーションに見え、思わず手に取ってしまった。しかし此処は地下で月の光は届かないし、第一今はまだ日が昇っているはずだ。


「今…どうして…」


 この感覚は月の魔力が充満している時、つまりヴァンパイアの力が目覚めている時のものと同じだが、ソフィアと違って僕は体内に魔力を蓄積させるのは不可能のはずだ。

 訳が分からずに混乱しているとレヒトは何処か楽しそうに大剣を鞘から抜き取った。


「髪もお揃いとはな、バカップルかよ」


 苦笑いしなら皮肉な言葉を飛ばしてくるがその意味がよく分からない。


「お前、自分の姿が今どうなってるか分からないだろ?」


 言われて頷くとレヒトは自分の髪をちょこんと摘んだ。

 自分の髪を見てみろということだろうか?

 普段意識していなかった自分の前髪を見上げるようにして確かめると、その色はいつの間にかソフィアと同じようなシルバーブロンドに変化していた。


「え、何で…これは…?」


「さぁね、よく分からないがさっき避けた瞬間に眼の色と一緒に変わってたぞ」


 流石に眼の色までは確認出来ないけど、眼の色が変わったということは間違いなくヴァンパイアの力が目覚めているという事になる。

 それにしても髪の色が変わったなんて事は初めてだ。もしそんな変化が今までにあったのならソフィアが教えてくれるはずだし、髪の色が変化するなんて話は聞いた事もない。何よりゴードンや教団のヴァンパイアでもそんな変化を来した者は見た事がない。

 まさか本当にソフィアと体を重ねた事でレヒトの言うように僕の魔力、正確には月の秘密が更に深まったのだろうか?

 それによって僕も月の魔力を体内に蓄積する事が可能となり、よりソフィアに近いヴァンパイアの力が覚醒したと考えれば髪の色がソフィアと同じになったのも納得出来る。

 もしそうだとしたらソフィアも月の秘密を知るまでは違う髪色をしていたのだろうか。


「まさかセッ○スして強くなるとはな」


「う…」


 痛いというか、恥ずかしい所を突かれるが経緯はどうあれ常にヴァンパイアの力を振るえるというのは心強い。僕の力が強化されソフィアに近付いたのなら天上の炎が無くても下級の悪魔程度なら一人で何とかなるかもしれない。


「とりあえずお前はスピードはそれなりみたいだからな、試しに手数で勝負してみろ」


 楽しげに笑いながらレヒトが大剣の切っ先をこちらに向けてくる。

 剣なんてまともに扱った経験は当然ないけど、攻めてくる様子がないという事は好きに打ち込んで来いという事だろうか。先日手合わせをしてレヒトに一切の遠慮は無用であるのは分かっている。

 四肢に力を込め迷わず全力で前方へ飛び込み一瞬で互いの距離が詰まり交差する瞬間に全力の一撃を叩き込むが、レヒトはそれをその場から微動だにせずあっさりと受け流した。


「まるで駄目だな」


「まだだ…!」


 すぐさま体を翻し低い姿勢で再び懐に飛び込むと今度は地面スレスレから腹部を狙って上斜めに抉るように突きを放つ。先程と異なりこれなら剣の軌道は読み辛いだろうから、少しぐらい姿勢を崩せるはずだ。

 しかし突きを放った瞬間に短剣は踏み潰され微動だに出来ず、勢い余った体が突き立てられたレヒトの大剣目掛けて流れた。


「間一髪だな」


 危うく自滅するところだったが、辛うじて体を捻り無理矢理その場に留まると眼前では大剣の刃がギラリと鈍く光っていた。


「はぁっ…はぁっ…!」


 ほんの少し止まるのが遅れていたら自らレヒトの大剣に突っ込んで真っ二つになっていた。

 理由は定かではないけどヴァンパイアの力が覚醒しているのは間違いない。その為多少の負傷ならばすぐに再生するだろうけど、それでも真っ二つにされるのは御免被りたい。

 それにしてもレヒトに一太刀与えることがこんなにも困難とは…。簡単でないのは分かっていたけど、レヒトは二度の攻撃をその場からほとんど動かずに捌いている。更に二度目の攻撃に至っては短剣諸共手を踏み付けられ動きを封じられたせいで咄嗟に距離を開ける事も叶わず危うく自滅するところだった。

 あまりに大きい経験と実力差に思わず気分が沈み出す。


「どうしたもんかな…」


「とりあえず…足をどけて欲しいんだけど…」


「あぁ悪い悪い」


 ようやく解放されるが踏み潰された手は無残にも骨が粉砕し、自ら無理な捻りを加えたせいで手首はおろか腰の骨も折れていた。人間の頭部を軽々と粉砕する程の腕力で斬り掛かり、その勢いを一瞬で止められた上に有り得ない方向へ急激な制動を加えたのだから当然の事だろう。

 しばらくその場で仰向けになって回復を待つが、レヒトは難しそうな顔をして何か考えているようだった。


「やっぱり片腕だけってのはキツいな」


「そう…だね」


「魔力が強化されても再生は無理なのか?」


「試してないけど…どうだろう」


 ソフィアに近付けた今ならそれも不可能ではないだろう。しかしアンディの事を思うと腕を再生させたら彼を忘れてしまう事になる気がしてしまい試してさえいなかった。

 幼稚な考えだと分かっていてもアンディを失った悲しみは当分癒えそうにない。そんな僕の考えを見透かしてかレヒトは呆れた顔を向けながらも何も言わずに頭を掻いた。


「まぁいい、その辺はお前に任せる」


「…ごめん」


「そういえばさっき聞き忘れたが、結局お前はあれから炎の力を使ったのか?」


 何気無く尋ねるレヒトの問いにどう答えるか悩んでしまう。

 実を言えばあれから炎の力は使っていない…正確には使えるのかどうかも分からない。それだって試せばいいだけかもしれないけど、サリエルの忠告を考えれば軽々しく炎の力を使いたくはない。

 …いや、それは言い訳だ。

 本当は恐ろしいのだ。もしも僕から炎の力が失われれば、今レヒトと手合わせしたようにこの先の戦いで何の役にも立てない。僕は…何の価値も無くなる。

 レヒトの問いに答えられずに無言でいると突然胸倉を掴まれその場に立たされた。


「少しは成長したかと思ったが、そのうじうじした所は相変わらずみたいだな」


「何の話を…」


「炎の力が使えなくなったか?」


 図星を突かれ思わず口篭ると突き放すように解放されその場で尻餅を突くが、見下ろすレヒトの目は今まで見た事のない冷たいものだった。


「甘過ぎるんだよクソガキ、お前はこれから何を為そうとしている?」


「…ルシファー達と…戦う」


「そうだ、戦うってのは殺し合うって事だ。お前、本当にその覚悟があるのか?」


 殺し合う覚悟…改めて口にされその意味を咀嚼するとそれまで忘れていた不安が一気に広がる。

 ルシファー達の思惑は阻止したい、でも僕にはレヒトのような力はない。相手は悪魔だ、ソドムで見てきた人間とは次元が違う。そんな化け物を殺すというのは現実味がないし、今殺り合っても勝てる気がしない。

 レヒトでさえアザゼルとは決着が付いていないという事は、現にレヒトに一太刀すら浴びせられない僕じゃアザゼルの足元にも及ばないという事。そんな僕がのこのこ出て行った所で一体何が出来るというのか?


「お前…勝つ気あんのか?」


「それは…! 勝ちたいよ…でも僕じゃ…」


「確かにお前は弱い、炎の力がなければその辺のヴァンパイアに毛が生えた程度だ。それでもお前には負けられない理由があるんじゃないのか?」


(負けられない…理由…?)


「愛する女がいて、奴等に巻き込まれた親友がいたんじゃないのか?」


 言われて僕はソフィアとアンディの存在を思い出した。しかしアンディはもうこの世にはいない…彼の為に戦うことはもう出来ない。


「親友が死んだ時、俺がお前に言った言葉を忘れたか?」


 その言葉に雨が降りしきるあの夜を思い出した。


「生者に出来ること…それが死者への最大の弔い…」


「そうだ、そしてお前が今為すべきは何だ?」


(今…僕が為すべきは…)


 少し考えるとその答えはすぐに思い浮かんだ。あぁ、何故僕はこんな大事な事を忘れていたのだろうか。それはヴァンパイアになったあの日に誓った事だ。


「ソフィアを…守る」


 その為に僕は親友を裏切り、ヒトである事を捨ててまで今此処にいる。

 それまで強張っていたレヒトの表情が答えを聞いてようやく緩んだ。


「案外、お前の親友もそれを願ってるんじゃないのか?」


 アンディの最期の願いは僕の幸せ…そして僕の幸せはいつまでもソフィアの側にいる事。だから僕は何があろうと死ぬ訳にはいかない、その為なら悪魔さえ殺そう。

 ようやくレヒトの言う戦う覚悟の意味が理解出来た。


「覚悟は決まったみたいだな、その上でもう一度聞く。炎の力は使えるのか?」


 先程までの不安が嘘のように晴れ、今度は迷う事なくその問いに答えた。


「…やってみる」


 立ち上がるとその場で掌に意識を集中させるが、恐れていた事が現実となってしまう。僕から炎の力は再び失われていた。


「待ってくれ…まだ…」


 いくらやろうと願おうと炎が現れる気配はなく、悔しさと情けなさから思わず涙が込み上げてきた。


(もう少しなんだ…ルシファー達を倒さないと…世界もソフィアも…!)


 するとその時、突然背後から少女の声が耳に届いた。


「いくらやっても無駄」


 驚き振り返るとそこには薄黒いボロボロのローブを羽織り杖を持った少女が立っていた。

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