Episode40「画策」

 すっかり暗くなった丘でセリアは一人佇んでいた。

 レヒトが去ってから、生まれて初めての失恋を感慨深く感じていたものの、胸中に渦巻く悲しみは誤魔化せなかった。

 分かっていた事だ、初めて出会った時から彼の目にはエリスしか映っていなかった。それでもセリアはそう簡単には諦め切れない。

 再び生きる意味を失った彼女を救い、もう一度光を与えたのはレヒトだ。

 敵であったにも関わらず、ベルゼブブ達に見捨てられた途端に掌を返したように自分勝手な説教を垂れ始め、頼んでもいないのにセリアを命懸けで守った。その不可解な行動に初めは戸惑ったものの、セリアを救いたいという気持ちに嘘がないのは伝わった。だからセリアは彼の言葉を信じる事にしたのだ。

 世界は広い、まだ見た事のない世界がたくさんあるものだと。

 そして今日、その言葉の意味をセリアは知った。同じ風景でも見方が変わればそれは違う風景に映る、つまりは自分次第なのだ。

 思えば過去にも一度、彼女はそんな世界が変わる瞬間を見た事があった。それはアザゼルに力を与えられ、自らの意思で屋敷を飛び出した時。その時も今まで見えていた世界がまったくの別世界に見えた。

 まさか今頃になってその気持ちがまた味わえるなんて思いもしなかったし、そんな事すら忘れていた。

 セリアは故郷を失ってから今まで、如何に自分の世界が、視野が狭くなっていたのか思い知る。きっとレヒトが彼女に見せたかったのは、伝えたかったのは、こんな世界なのだろう。


「フラれちゃったな…」


 言葉にするとまだ胸が締め付けられるが、確かな手応えも感じられた。そして今まで意識していなかった、女としての魅力というものを考えさせられるようになった。

 もっと様々な経験を積みレヒトを奪えるぐらいの女になろう、フラれたもののセリアの気持ちは前向きである。

 この戦いに勝利した後もレヒトは殺し屋を再開すると言っていた。ならば殺し屋の助手…情報屋なんかも良いかもしれない。何れにせよセリアはこれから先も何らかの形でレヒトの側にいられる道を模索していた。

 もしもセインガルドが滅べば彼女の第二の故郷も失われ、何処にも帰る場所が無くなる。しかしそうなったとしてもレヒトの所に転がり込めば彼は何だかんだ言いつつ受け入れてくれる…そんな打算があった。

 素直じゃないだけでレヒトという男は優しい、それを思うと思わず笑みが零れた。ただ最大の問題はエリスがそれに対してどう反応するか、何より二人の関係がこの後どうなるかだった。


「…ふふふ」


 丈夫な鎖で拘束しておけば良かっただろうか?

 セリアの心の底でレヒトへの真っ直ぐ過ぎる、だが美しいと呼ぶには余りに歪んだ情念が燻り込み上げてくる。

 そうだ、彼を逃げられないようにして、自分を愛してくれるまで何度も――


(何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も壊して…! 何処までも深く…!)


 気が狂う程に愛し合いたい。

 獣のように犯して欲しい、それで壊されても構わない。

 ボロボロになっても彼の身体の隅々まで奉仕し、それを満足気に、もしくは汚物のように見下して欲しい。冷たい視線で蔑むレヒトを想像するだけで思わず身震いしてしまう。

 それが叶わないなら逆に彼を滅茶苦茶にしてしまいたい。不死身の肉体を何度もいたぶり、アザゼル達と戦った時に見せた殺意を自分だけに向けて欲しい。

 殺意、憎しみ、愛情、レヒトの何もかもを独占したかった。全ては愛ゆえの行動…だからきっと許されるだろう。

 恋愛経験がなく、復讐心でのみ生き続けたセリアの恋愛観念は常人のそれを逸していた。

 心からレヒトを愛しているのだと再確認し頬を赤く染める姿は初々しいが、やはり何処かズレている。

 しかしレヒトの助手を務めるのも、エリスの隙を突いて誘惑し奪い取るのも、全てはこの戦いに勝ってからの話だ。

 邪魔はさせないしもう誰一人死なせない、そう強く決意する。

 アザゼルに貰った力をアザゼルに向ける事になるだろう。出来る事なら戦いたくないが、彼が世界の敵になるのなら戦わなくてはならない。


 色々考えて気持ちに整理がつくと今後の決心が固まった。

 生まれて初めて男とデートをしたが、今日は人生で最良の一日と言える。

 だから今こうして流れている涙もきっともう少しで止まるはずだ。

 レヒトとエリスが上手くいくよう祈りながら、流れる涙を堪えるように夜空を見上げる。するとふと背後に感じ取った気配にセリアは振り返らずに呼び掛ける。


「…何か用?」


「そう邪険にしないでよ」


 気付かれないように涙を拭い背後にいるサリエルへ振り返るとセリアの涙は止まって見える。目は赤く腫れていたがサリエルはその事には触れず横に並ぶと一緒に夜空を見上げた。


「笑いに来たの?」


「まさか、居心地が悪かっただけよ」


「そう…レヒトとエリスは一緒なのね」


「それもあるけど…ソフィアもまだ帰ってきてないわ」


 はっきりと表情は伺えないが、眼鏡をクイっと持ち上げたサリエルの横顔は何処か寂しげに感じた。


「…ねぇサリエル、寂しいものね」


「寂しい?」


「レヒトはエリスと…ソフィアはシオンと…みんな好きな人と結ばれた。今の私達ってまるで負け犬だわ」


 二人はその場で座り込むと、視線を交わす事なく頭上に浮かぶ月を見上げながら話し続ける。


「好きな人にフラれて、かつての仲間にも捨てられて…でもあなたが来てくれて良かった」


「…貴方達の味方になるとは言ってないわよ」


「味方? 私はそこまで言ってないけど」


 少し意地悪そうにセリアが笑うとサリエルはバツが悪そうに黙ってしまう。

 しかし彼女の過去を知ったセリアには、いやあの場にいた誰もがサリエルを心から敵だとは思えなくなっていた。

 全ては自分の目的、願いの為に悪魔を利用したに過ぎない。それが良いか悪いかは議論したところで意味はないだろう。

 ただそうまでしてソフィアにもう一度会いたいと願っていたサリエルは堕天使と言うにはあまりに純粋で、天使と呼ぶには俗物過ぎた。

 彼女が何かと問われれば、きっとヒトと呼ぶのが妥当だろう。


「ねぇサリエル、あなたってもしかしてソフィアの事を…」


「ふふ…おかしいかしら?」


「…ううん、良いと思う」


 自嘲気味に呟くサリエルに少し驚きを覚えたが今までこうしてゆっくり話した事がなかった為新鮮に感じられた。


「ねぇセリア、良かったら一緒にヨハネと遊ばない?」


「ヨハネって…あの犬?」


「想像以上に癒されるものよ」


 真顔でそう言うサリエルに思わず笑ってしまうが、確かにそれも悪くないかもしれない。

 早くヨハネと遊びたいのかそそくさと歩き出すサリエルの後姿を見ているとセリアは穏やかな気持ちになれた。

 こんな日々が続いて欲しいと願うが、その為には戦わなければならない。

 不平等なる神、全能なる父は今何を考えているのだろうか。そして戦いの果てにどのような答えを見出しているのか。


「何をしているのセリア、早く行きましょう」


 足を止めて空を見上げるセリアをサリエルが急かす。その姿に再び笑うと、セリアは考えるのを止めてサリエルと共にアジトへと戻った。




 夢を見た。

 柔らかい光と風に包まれ、綺麗な草原で俺は仰向けで横たわっている。

 いつもと同じ夢だ…そう思ったが一つだけいつもとは違っていた。

 それは俺の横に姿勢正しくちょこんと座り、何が面白いのかにこにこと微笑んでいる少女がいる。見間違えるはずがない、少しばかり大人びているがそれは紛れも無くエリスだ。


「今日も戦場には行かないのか?」


「はい、あなたとこうしている方が幸せですから」


 見た目こそ大して変わらないものの、纏う雰囲気や性格は俺のよく知るエリスとはまるで異なっていた。

 まさかこれが女神だった頃のエリスなのだろうか?


「マルスこそ良いんですか?」


 あぁ、どうやらこの悪夢は俺の過去の記憶らしい。

 マルスと呼ばれた俺は手を伸ばし、優しくエリスの頬を撫でる。


「構わないさ、お前がいない戦場など行く気になれない」


 何だこれは、これがマルスだった頃の俺なのか?

 今の俺からは想像も出来ない言動に吐き気がする。そして頬を撫でる手をそっと包み込み、目を閉じて微笑むエリスにも反吐が出る。

 これがエリスの原初の記憶ならあいつの頭の中がお花畑なのも理解出来た。それと同時に俺の頭の中まで実はお花畑だった事を知って激しい自己嫌悪に陥る。


「マルス…私達は本当にこのままで良いのでしょうか…」


「芽生えてしまった感情は否定出来ないし、父もそれを非難はしないだろう」


「アダムとイヴ…私達もあの二人のようになるのでしょうか?」


「二人は禁断の果実を口にした為に追放されただろう」


「…あなたへのこの愛が罪にならないか不安なんです」


「罪に問われようと我の愛が消える事は永遠に無い」


「…はい、父が私達を引き裂こうと、どんな罰も受け入れ私は必ずあなたを…」




 目が覚めると目の前にはエリスが穏やかな笑みを浮かべて俺の頭を撫でていた。


「…何してるんだ?」


「あ、おはようございますー」


 一瞬夢の中で見たエリスと重なって見えてしまい心臓が跳ね上がる。


「何だかまたうなされてましたけど…大丈夫ですか?」


 クソ、何なんだ。さっきの夢のせいなのかエリスが妙に大人びて見えてしまう。


「…いつもの悪夢だ」


 体を起こしベッドから降りるとエリスに背を向けたまま気持ちを落ち着ける。

 夢で女神だった頃のエリスを見て動揺したなんて絶対に知られたくない。

 というか今まで悪夢だと思っていたあの夢は全て俺の記憶だったのか?

 今までずっと誰かを待っていた様子だったが…それがまさかエリスだなんて思いもしなかった。

 夢の中であいつが俺の事を確かにマルスと呼んでいた事から、俺がマルスである事はもう疑いようがないだろう。

 ただサリエルも言っていたが、確かに今の俺達とはかけ離れている。エリスはあんなに大人っぽくないし、俺だってあんなにキザじゃない。

 振り返るとシーツで胸元を隠し恥ずかしそうにしつつもにやけてるエリス。


「……ん?」


 そういえば何故こいつは裸なのだ?

 そして俺も何故裸になっている?

 思い返そうとすると昨夜の出来事が鮮明に蘇ってくる。


(…そうだ、俺はついにエリスとヤってしまったんだ)


 改めて冷静に考えるととんでもない事を仕出かしてしまったのではないかと冷や汗が流れるが、焦る俺とは対照的にエリスは照れているだけでいつものように暴走する様子がない。

 寧ろシーツを引っ張り口元まで隠しながら、ちらちらと熱い視線を送ってくるその姿に不覚ながら胸が高鳴り、昨夜あれだけ出したというのに俺の股間はあっという間に再出撃の準備を整えていた。

 それに気付いたエリスは目を輝かせながら体を寄せてくる。


「レヒトォ…」


 物欲しそうな顔でそろそろと股間に手を伸ばしてくるエリス。耳元で甘い声で囁かれ、小さくも絹のように滑らかな手で握られた途端、恥ずかしながら一瞬声を漏らしてしまう。それが嬉しかったのかエリスはベッドから降りると俺の正面に跪いた。

 しかし大きくなった息子に唇を近付けた瞬間、突然ノックもなく扉が開かれる。開かれた扉の先にいたのはセリアは声を上げる事も、慌てふためく事もなく、ただ顔を真っ青にして固まっていた。

 跪き膨張した息子に舌を伸ばそうとしていたエリスの紅潮していた顔もすっかり青褪めているが、俺もまた思考が停止した直後、今まで流した事のない量の冷たく嫌な汗が溢れ出す。

 どれぐらいだろうか、一瞬のはずが随分と長く感じられた沈黙の後。


「何してるの?」


 瞳から光が失われたセリアが見た事のない冷ややかな視線で、聞いた事のない低くドスの効いた声で問い掛ける。


「な、何って…ナニを…」


 エリスをちらりと見やると息子を握ったまま気絶でもしてるのかピクリとも動かない。というか息子が恐怖のあまり萎縮しエリスの手から零れ落ちた。


「臭いわね、この部屋」


 眉一つ動かさずにセリアは続ける。


「ち、地下だからな」


「生臭いわ」


「人間だから…」


「え、何処に人間がいるの?」


 そう言ってこちらに歩み寄るセリアは俺達の前に立ちはだかるとすっかり萎んだ息子を見て背筋が凍るような笑みを浮かべた。


「ここは人間と同じなのね」


「いやほら…天使の絵画でもちゃんと付いてるじゃん…?」


「神様にそんなもの必要ないわよね」


 そう言うとおもむろに銃を引き抜くと股間目掛けて迷わず引き金を引き、破裂音と共にエリスの足元から硝煙が立ち上る。

 それを見てエリスは依然ビクともしなかったが、足元にじわじわと広がる液体からは湯気が立ち上った。


「エリス、どきなさい」


 肩を掴みエリスを俺の前から引き剥がすと冷たい銃口が俺の股間に当てられる。


「ま、待てよ。俺はエリスを選んだ、決して浮気とかそういうものじゃない」


「だから?」


「え…だからお前に恨まれる筋合いは…」


「え、筋?」


 そう言って可愛らしいサイズの息子の裏筋に銃口が当てて持ち上げてくる。

 ここで消し飛ばされても再生はするだろうがこんなところ一度だって失いたくないし再生したくもない。二千年間守り続けた俺の分身を失う訳にはいかなかった。


「フラれたけど私諦めてないから。だからこんなの絶対認めない」


 言ってる事が支離滅裂だが彼女の正気を失った目を見ると下手な事は言えない。

 必死にセリアを落ち着かせる口実を思案するが、その間にも冷たく硬い銃口で俺の息子をグリグリと押し潰してくる。しかし愚息は此処で何を勘違いしたのか、セリアに反抗的な…いやこの場合宿主である俺の意思に反抗するかのように徐々に臨戦態勢を整えていた。


「…あは、もしかしてこういうのが好きなの?」


 それまで無表情だったセリアが嗜虐的な笑みを浮かべ、銃でいたぶりながら空いた片手で先端をそっと撫で上げてきた。


「エッチな顔してる…気持ち良いんだ…?」


 何だこの恐怖の中に芽生える快感は?

 俺にそんな趣味はないはずだ、しかし息子は言っている。


こういうのも悪くないかも――


 これぞまさしく愚息。思わずこのまま撃ち抜いてもらいたくなったが二千年間ずっと一緒だった相棒をそれでも簡単には見捨てられない。


「やめるんだセリアさん!」


 その時慌てた様子でシオンとソフィアが部屋に飛び込んで来た。


(シオン!? 息子がヘルプミー!)


 血相を変えたシオンはセリアを背後から羽交い締めにし、ソフィアは震えるエリスを抱き締める。


「離してシオン、今いいところなの。邪魔するなら殺すわよ」


 正気を失ったセリアの殺意がシオンにまで襲い掛かる。しかしその視線が一瞬シオンに向けられた隙を見逃さず俺はセリアの鳩尾に加減して拳を叩き込む。

 無防備な状態で喰らったセリアは短い唸りを上げると力無く意識を失った。


「…悪い、助かった」


「お礼ならソフィアに言って…」


 とりあえず裸のままでいるのもあれなので、すぐさまズボンを履くとソフィアに尋ねる。


「何で分かったんだ?」


「…サリエルから聞きました、それでセリアさんの様子がおかしかったから…」


 所謂女の勘だろうか、しかしおかげで俺は大事な息子を失わずに済んだ。


「セリアさんには私から話しておきますから安心してください。シオン、とりあえず彼女を部屋に…」


 言われてシオンはセリアを慎重に抱き抱えると部屋を後にし、エリスもソフィアに連れられると室内には俺だけが残った。


「…俺が悪いのかこれ」


 分からない、ただセリアに感じていた狂気の正体を垣間見た気がした。


 それから今後の対策を話し合う為に一同が広間に集合する。

 ソフィアが何を言ったのかは分からないが、先程の事などまるで覚えていないかのようにセリアは普段通りに振舞っていた。


「えーと…それじゃ今後の具体的な動きについてだが…」


 どうにもセリアが気になって仕方ないが、本人に気にしている様子がない以上不必要にこちらが警戒しても仕方ないだろう。

 気を取り直して、まずサリエルに質問を投げかける。


「あんたはこれからどうする? いや、どうするつもりだったんだ?」


「…特に何も言われてないからヨハネの世話をしていたけれど…」


 そう言って膝で気持ち良さそうに座っているヨハネを優しく撫でる。どうやら犬好きという事実を隠すつもりはもう失せたようだ。


「そろそろ潮時ね…。ヘヴンズゲートが開いたらルシファーと共に戦うわ」


その答えを聞いて誰もがやはりと思いつつも残念そうに顔を伏せた。


「あんたも神への復讐を望んでるのか?」


「さぁ…堕天した私に残された道は戦う事だけよ」


 そう言うサリエルの目は冷たく、諦めながらも達観した様子だった。そんなサリエルを見上げてヨハネが悲しげに鳴く。


「ソフィアを敵に回しても、か?」


「…私は堕天使よ? 貴方達に話せることは全て話したわ」


「取引もこれまでか」


「えぇ、丁度良いし私はそろそろ戻らせてもらうわ」


 不意にヨハネを抱き上げエリスに預けるとサリエルは悲しげな眼差しをソフィアに向ける。


「…待ってるわ、ソフィア」


「サリエル…」


 待っている…果たしてこの言葉が意味するところは何だろうか。

 ソフィアは立ち上がり何かを懇願するようにじっと見詰めるが、サリエルは視線を逸らすと最後にさようならと呟きその場から姿を消した。

 一同がざわつく中、ソフィアは俯きながら肩を震わせる。そんな彼女に掛けるべき言葉は誰にも見付からなかった。


「…とにかくだ、ヘルズゲートとヘヴンズゲートの場所は判明した。準備が整い次第セインガルドに乗り込むぞ。クロフト、セインガルドに動きは?」


「あ、あぁ…サリエルの言っていた通りあれから悪魔が現れたという話は聞いていない」


「そうか、それじゃまず住民の避難先だが…」


「…それなら俺達に考えがある」


 そこで珍しく寡黙なザックが手を挙げた。


「クロフト達と話し合ったのだが、知っての通り教団本部は巨大な組織…故に我々の存在を知り、その力を求めている権力者に協力を仰いでみた」


「レヒトさん、教団から抜けたとは言え我々はヴァンパイアだ。教団員は世界中の権力者への発言力も多少は有しているのだよ」


 どうやら俺達が休んでいる間に血の盟友団員は教団の使者と偽り、現在セインガルドと紛争状態にある東のシャディールという国の権力者に働きかけていたらしい。

 相手にはまずセインガルド内で悪魔が出現している事を正直に伝えた。それによりセインガルドは内部崩壊が起きようとしており、逃げ惑う多くの難民が生まれる事が予想されるが、もしシャディールが難民を受け入れてくれるのならそれはシャディールの活性化に繋がるかもしれない。更にセインガルドが完全に崩壊した後もしばらく保護してくれると保証してもらえるならヴァンパイア軍団は今後紛争の際はシャディールに全面的な協力をすると約束を取り付けていた。

 突然悪魔が現れたと言っても信じてもらえないかと思っていたが、考えてみればヴァンパイアとて空想のような存在だ。それを目の前にし信じている者ならば悪魔の存在も存外信用してくれても不思議ではない。

 それに何より権力者とは強欲な者が多い。突然の難民受け入れによる混乱よりも、今後の戦争で自国の被害がほぼないまま確約された勝利を手に出来る上、強力な戦力であるヴァンパイアを使い捨ての駒のように使えるというのは長い目で見れば魅力的な話だろう。

 幸いにもゴモラのゲートは既に崩壊しているおかげで大勢が逃げ出すのに適しているだろう。逆側のソドムの住民は最も移動に時間を要するが、そこは状況に応じて誘導するしかない。


「ただ一つだけ問題がある…。流石にセインガルドの住民全てを受け入れるとなると今日明日にでもという訳にはいかないんだ」


「そりゃそうだろうな」


「既にシャディール国王との謁見も済み正式に承諾も得られたが…準備が整うまで少なくとも一週間は掛かるだろう」


 果たして敵は一週間も待ってくれるだろうか?

 サリエルの話からすればまだ時間に余裕はある…しかし一週間となると流石に際どい。

 だが現状ではセインガルド住民の避難先はシャディール以外にはなさそうだ。此処ツォアリスに逃がそうにも悪魔どころかヴァンパイアの存在すら知られておらず、協力を申し出るどころの話ではない。

 何より敵はツォアリスを目指して進軍してくる以上此処に避難するのは危険極まりない。


「それじゃ住民の避難先はシャディールで決まりだ。ただヘルズゲートが開き悪魔が大量に召喚された場合は準備が整ってなかろうが避難させる…それで良いか?」


 その考えに異論はないようで全員が拍手する。


「ではいつでも住民の避難誘導が出来るように先行して団員をセインガルド各地へ配備させよう」


 クロフトの言葉でヴァンパイア達が席を立ち上がるが、それまで無言で俯いていたソフィアが声を上げた。


「あの、皆さん!」


「如何なされましたかソフィア様?」


「おいみんな! ソフィア様が呼んでいるぞ!」


「はっ、何なりとソフィア様!」


 各々様々な反応だが、全員がソフィアへ体を向け静止すると沈黙が訪れる。


「…本当にありがとうございます。私は…もう逃げません。だから皆さん…どうか無事に帰ってきてください」


 そう言って涙を流しながら深く頭を下げるソフィア。それを見てまたヴァンパイア軍団は大混乱に陥るかと思われたが、予想に反して静かだった。


「諸君! 無事に帰って来いとの命だ! 必ずや人々を救い再び相見えようじゃないか!」


 クロフトの声に全員が腕を上げ咆哮すると広間全体が震える。志気高揚したヴァンパイア達の表情は何処か誇らしげで、必ず使命を果たし生きて戻るという強い意思が感じられた。

 ゴードンに吸血されヴァンパイアとなった者達だが、それでも闇に染まりきらなかったのはソフィアという揺るぎない光のお陰なのだろう。そう考えるとサリエルが人間であるソフィアに魅力されたというのも改めて頷けた。

 聖母ソフィア…成る程、その名に偽りない。

 クロフトを残し、ザックを含めたヴァンパイア達が広間を後にするとさっきまでの熱気が嘘のように静まり返る。


「て訳で俺達はいつでもセインガルドに攻め込める状態で待機だ」


「レヒトさん、攻め込む時は僕達はどうするの?」


「東西南北の四方から攻め込んで敵の排除、そして住民避難の為に各ゲートを破壊する」


 配置についてもある程度既に考えは決まっており、それを残ったメンバーに説明する。

 まず西のソドムからはシオン。東のゴモラからは俺。北からはソフィア、そして南にはセリアとエリス。

 これは知っている地理である事、そして戦力を分配させた結果だ。敵がツォアリスを目指す事が判明している以上、進行方向である南は特に戦力を固めなければならない。

 しかし全員が南で待機する訳にもいかない理由があった。悪魔達が全員仲良く南へ真っ直ぐ進軍するという確証はなく、そもそもヘルズゲートが完全に開けばセインガルドの何処に悪魔が召喚されるか分からない。そうなると住民の避難の際、より多くの人間がすぐに逃げられるよう狭いゲートを破壊し拡張する必要も考えればどうしても戦力の分散は必要だった。


「これが俺の考えるベストな配置だがどうだ?」


「うん…良いと思う」


 そうは言うがシオンの表情は緊張のせいか硬い。どうせ一人で何とかしなければいけないと背負い過ぎているのだろう、分かりやすい奴だ。しかしこの配置で一つ問題があるとすればそれは…


「あ、あのぅ…よろしくお願いしますー…」


 おずおずとセリアに手を差し出すエリスだが、その表情は引きつっている。


「えぇ、よろしくね」


 そう言って微笑んで手を取るセリアだがその笑顔が怖い。そこへソフィアも入ると二人の手を取る。


「みんなで…勝って生き残りましょうね」


「は、はいっ!」


何とか綺麗に纏まったか…そう思っているとセリアがエリスの耳元で囁く。


「…ねぇエリス」


「ふぁい!?」


突然声を掛けられエリスが変な声を上げるが、セリアはこちらに聞こえないように何かを呟く。それを聞き終えたエリスは複雑そうな顔をしながらも鼻息を荒くしていた。


「ま、負けませんから!」


「…うん、これからもよろしくね」


 そこでようやくセリアが穏やかな笑みを浮かべた。何を話したのかは分からないが無事和解したようで思わず安堵する。

 これで準備はほぼ整ったはずだ。


「…まぁそんな訳でいつでも行けるよう各自準備しておいてくれ」


 と、言われたところで全員昨日が最後の休息だと思っていたせいで、何をすれば良いのか分からずに困惑した表情を浮かべていた。

 しかしこの準備期間は俺にとっては思いがけないチャンスだ。セインガルドに乗り込む前にいくつか確かめておかなければならない事がある。


「おいシオン、この後ちょっと付き合え」


「え、良いけど…何で?」


「稽古をつけてやるよ」

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