Episode37「デート」

 かくして思わぬ形でサリエルの件を改めて説明すると、何故か一同顔を合わせて広間で食事をとる事となった。幸いにも大した騒ぎにはならず、とりあえず全員サリエルを信用してくれた様子で僕達は安堵を息を漏らす。

 そうして食事を終えようやく一息つけたと思っていると、突然のレヒトの提案により今日一日、各々休息を取る事になった。

 サリエルの話だとヘルズゲートはもう数日も経てば完全に開くが、そこから実際に悪魔が出現するには時間が掛かるという。どうやら地獄から地上へ這い上がるには気の遠くなる程の時間が掛かるようで、ヘルズゲートの解放に合わせて一気に全軍が出現するような事態は有り得ないとの事だった。先日に目撃されたという悪魔に関しては偶然とも言えるぐらい、既に地上近くにいた悪魔が出現しただけで、そういった事はヘルズゲートが開く前からも度々あったらしい。

 つまり悪魔の軍勢が来るにはまだ時間に猶予があるという事になる。確かにセインガルド内に潜伏し調査を進めている血の盟友団員からも、新たな悪魔が出現したとの報告は無い。

 その話を聞いてレヒトはここ数日の疲労を抜き、各々今までの話を整理する為にと一日完全休養を提案したようだった。そしてそれに対してサリエルも一日ぐらい休んだところで戦況は変わらないだろうという事で、戦いが続き疲弊していた僕達は素直にその提案を受け入れた。

 サリエルの言葉を信用し過ぎではないかと一瞬疑ってしまうが、レヒトやソフィアが信用している以上僕だけが疑っても仕方ないだろう。

 気持ちを切り替えてアジトの外に出ると、昨日の雨はすっかり止んで気持ちの良い青空が広がっていた。

 思い返してみると最後に青空を見たのはソフィアをアザゼルに連れ去られた後…クロフトと出会った時以来だ。あれからまだ数日しか経っていないけど、ヴァンパイアと共に行動している間はずっと闇に潜んでいるせいで晴れ渡る青空は随分と久しぶりに感じられる。澄んだ空気を思う存分に吸い込み、大きく伸びをすると気持ち良かった。

 他のヴァンパイアはこうして日の下に出る事が出来ないと思うと少しばかり申し訳ない気持ちになってしまうが、その時階段を上がってきたソフィアが後ろから声を掛けてくる。


「何だか久しぶりな気がしますね」


「うん…僕もそう思ってたんだ」


「私が最後に見た青空は…エリスちゃんと出会った時かしら」


 そう言ってソフィアは僕の横に立つと同じように大きく伸びをする。


「デート、しましょうか」


 悪戯っ子のような顔で突然そんな事を言うソフィア。そういえばエリスと出会う直前も、彼女はこんな顔をして僕を困らせてくれたものだ。

 あの時は手を握る事すら恥ずかしくて、そんな僕をソフィアがリードしたんだった。


「…そうだね、行こうソフィア」


 だけど今度はこちらから手を差し出す。するとその行動にソフィアは一瞬呆気に取られたように静止し、頬をほんのり赤らめた。


「は、はい…」


 恥ずかしそうにおずおずと手を取る姿が何だか可愛くて、僕は思わず手を引いて走り出していた。

 今だけは全部忘れても良いだろう、そう思うと気が楽になり風景も変わって見えてくる。振り返るとソフィアは心から楽しそうな笑顔を浮かべ、それを見て僕も思わず笑顔になった。

 商店が立ち並ぶ広場にやってくるとそこで取り扱っている品は様々で、セインガルドのC地区に近い雰囲気を感じた。


「お、お二人さんラブラブだねぇ。どうだい記念に指輪でも贈りあってみちゃ?」


 適当に歩いていると怪しいおじさんの商店前で呼び止められる。

 ラブラブという単語はあえて無視するとして、そこはネックレスや指輪などの装飾品を扱う店だった。


「指輪…か」


 結婚指輪は大袈裟だけど、何かお揃いで持っているのは良いかもしれない。

 足を止めて並んでいる商品を眺めていると、不意に柔らかい何かが腕に押し当てられる。横を見れば何故かソフィアは繋いでいた手とは逆の、失われた左腕に回り込んで抱き付いていた。そんな不可解ながらも突然の積極的な行動に僕は思わず慌ててしまう。


「え、ちょ、ソフィアいきなり…どうしたの?」


「ふふ…私達ラブラブに見えます?」


 ソフィアが恥ずかしそうにそう尋ねると、店主は頭をぱしっと叩いて大袈裟なぐらい仰け反った。


「かー! あっちっち! 何だこりゃ熱くてたまらないぜ! 勘弁してくれお姉さんよぉ!」


 店主が大きな声でおどけて笑うと、周囲を行き交う人達もその様子を見て微笑んでいた。そしてソフィアの大胆な行動に顔を真っ赤にしたまま固まっている僕に気が付くと店主は嫌らしい笑みを浮かべる。


「お兄さんシャイだねぇ! 初々しくて良いぜ気に入った! そんなお二人にはこいつがオススメだ!」


 そう言うとおじさんはプレートのついたネックレスを突き出してくる。


「よく見てみな、正面にハートの片割れみたいな形した羽根の絵があるだろ…?」


「そ、それがどうしたの…?」


「それにこいつをくっつけるぅ!!」


 そう言ってもう一つ同じようなプレートを取り出すと、目の前で二つをくっつける。するとそれぞれの羽根がハートの形になった。


「こいつは片翼の天使を象徴してるんだ。天使様だって一人じゃ飛べないんだよぅ…片翼じゃ駄目なんだよぉ…パートナーがいて初めて、天使は二人で大空を飛べるってもんよぉ!!」


 熱く語るおじさんだが、その話を聞いているとレヒトとエリスの姿が思い浮かんだ。折角説明してくれたのに申し訳ないと思いつつ、適当に流して他の商品を物色する。


「なーんでぇお気に召さねぇか、じゃあ…こいつなんかはどうよ!? へっへっへぇ」


 すると今度は綺麗な宝石が埋め込まれた小さなペンダントを突き出してきた。その一つは白っぽい色をしているが光の当たり方で蒼くも見え、もう一つはオレンジ色の石があしらわれている。


「こいつはムーンストーン、その名の通り月を象徴してる。対してこっちはサンストーン、太陽って訳だ。月と太陽…それぞれ男女の象徴よ。どうだい、洒落てるだろう?」


(月と太陽、か)


 月の秘密を知るソフィア、そして太陽よりも燦然と輝く顔を持つというメタトロン。何だか僕達にピッタリなものに思えた。そしてソフィアを見やると同じ事を考えていたようで、僕は購入を即決する。


「へーい毎度ありぃ! ラブラブ割引してやんぜぇ~!」


 満面の笑みを浮かべるおじさんに代金を渡すとペンダントを二つ受け取る。


「ありがとうシオン…嬉しい…!」


「くへぇ~! ほれほれ早速彼女さんにつけてやんなよ!」


 そう言っておじさんが嬉しそうな視線を向けてくるが、そうしたくても僕にはそれが出来ない事に気が付いた。何故なら僕の左腕は肘から先が無い。そしてこの時、ソフィアが突然左腕に抱き付いてきた理由がようやく分かった。

 今まであまり気にしていなかったけど、片腕が無いというのは目立つ。失われた腕を隠すように抱き付いているのはソフィアなりの気遣いだったのだろう。

 申し訳ない気持ちに襲われながら受け取った商品をじっと見詰めていると、ソフィアは二つとも手に取り、僕が何か言う前にムーンストーンのついたペンダントを手早く自分の首に掛ける。光を受けて輝くムーンストーンは一瞬蒼く光るが、それはソフィアの瞳のように綺麗な色をしていた。


「シオンのは私がつけてあげますね」


 そう言うソフィアは満面の笑みを浮かべ、そこに腕がない事を気遣っているような素振りは見えない。そんないつもと変わらない極々自然なソフィアの笑顔は沈みかけていた僕の気持ちを支えてくれた。

 そしてソフィアはこの贈り物が余程嬉しいのか鼻息を荒くしており、今までの見た事のないぐらい興奮した様子で目を輝かせていた。


「ふふっ、どうかしました?」


「あ、いや…何でもないよ」


 いつも通りのソフィアに対して一人気分が沈みかけていた自分が申し訳なくなるが、それを気取られないよう笑顔を作ると彼女の胸元で光るペンダントを見て正直な感想を漏らした。


「よく似合ってるよ、ソフィア」


 そのやり取りを見ていたおじさんは再び頭をぱしっと叩くと、今度はそのまま勢い良く後ろに倒れてしまった。


「勘弁してくれぇ~! 熱くて商売が干上がっちまう~!」


 周りからどっと笑いが起きると僕は恥ずかしさに耐え切れず、おじさんにお礼を言ってその場から逃げ出した。

 それからもソフィアが左腕に抱き付いたままで気恥ずかったものの、これも彼女の優しさだと思うと悪い気はしなかった。

 広場を中心に街をぐるりと見て回り、途中でツォアリスの名物というフルーツジュースを二人分購入すると僕達は適当なベンチに腰を下ろす。


「はい、シオン」


 そう言って不意にソフィアがストローをこちらに向けてくるが、僕の分は別にちゃんとある。その行動の意図が分からず僕は困惑してしまう。


「あーん、ってして?」


 しかしその言葉で余計に混乱した。というか変だ、こんなのいつものソフィアじゃない。

 だが目の前で微笑んでいるのは紛れも無く僕のよく知るソフィアであって、いやしかし彼女はこんな甘えん坊さんな性格ではなく、甘えん坊なソフィアもまた可愛いんだけど、でもこうして彼女が甘えてくるのは初めてな気がして嬉しくも感じる訳で…要は甘えん坊万歳。


(アンディ…僕は幸せです)


 と思考が混乱していると、いつの間にか僕の口にはストローが差し込まれていた。結局何の抵抗も出来ずに僕は大人しく一口ジュースを飲む。


「ふふ、美味しいですか?」


「う、うん。美味しいよ」


 と言いつつ正直味なんてよく分からなかった。


「はい、じゃあ今度はシオンですよ」


 そう言って今度はソフィアが唇を突き出す。

 これはつまり今度は僕の分を飲ませろという事なのだろうか。果たしてこの行為に何の意味があるのかまるで分からないけど、恐らくソフィアにはソフィアの思う事があって、これを完遂する事がきっと彼女の為になるのだ、うんそうだそうに違いない。

 という訳で恐る恐る僕が持っていたジュースを差し出すとソフィアは目を閉じながらストローを咥え、コクコクと喉を鳴らした。


「ん…甘いのにさっぱりしてて美味しい…。ツォアリスの名産フルーツらしいですね、これ」


「へぇー、そうなんだ」


 残念ながら先程の一口は味なんてさっぱり分かっていない。そこで改めて自分の持っているジュースを口に運ぶと、確かに甘くも後を引かないさっぱりとした味わいをしていた。


「間接キス、ですね」


 しかし飲んでる最中にソフィアが突然そんな事を言うものだから、盛大に口からジュースを吹き出してしまった。


「きゃっ! どうしたんですかシオン!?」


 すぐにハンカチを取り出すと僕の口元を拭ってくれる優しいソフィア。目の前に誰もいないのが幸いだった。

 それにしてもソフィアは自分の発言がどういう意味か分かっているのだろうか、いや分からないはずがない。しかし僕のような恋愛経験のないチェリーボーイならともかく、千年も生きてきた人が間接キス程度で喜ぶものなのだろうか?

 どうにもさっきからソフィアの行動が謎めいて仕方なかった。彼女は一体何を考えているんだろうか?

 そんな思考を見透かされたのか、ソフィアが不意に頬を赤らめてはにかむ。


「不思議そうですね」


「…こんなの初めてだからね」


「私…こんなデートをするのがずっと昔からの夢だったんですよ」


 そう言うとソフィアは青空を見上げながら少し寂しげな表情でポツリと呟く。

 意外と言えば失礼かもしれないが、ソフィアは恋人と呼べる相手と過ごした経験は今まで一度もなかったそうだ。


「初恋は結局叶わなくて…その後はお医者さんになる為に毎日勉強ですよ」


 しかし考えてみればそれも当然かもしれない。

 ソフィアが歩んできた人生のほとんどは、ゴードンや教団から逃げ続けた日々だ。その途中何度も屈辱的な思いや恐怖も味わってきただろう。

 そう考えるとゴードンから解放された今この時を、ソフィアはどれ程待ち望んでいたのだろうか。千年耐え続けてきたその想いは僕には計り知れない。

 そんな彼女の境遇を思うと胸が一杯になり涙が出そうになるけど、ソフィアが今望んでいるのはそんな事ではないはずだ。

 僕はジュースを飲み干すと勢い良く立ち上がった。


「よし、もうちょっと買い物しようか」


「…はい!」


 嬉しそうに再び左腕に抱き付いてくるソフィアを見て、僕は陰鬱な気分を振り払い今度はこちらからリードする。

 こうして心から笑うソフィアと過ごすのは随分と懐かしく思えた。アンディの事が一瞬頭を過るけど、きっとこうして僕が笑って楽しく過ごしている方があの世でも安心出来るだろう。

 楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、色んな商店をつぶさに見て回っていたらすっかり日が暮れていた。


「はぁ…楽しかったですね」


 はしゃぎ疲れたソフィアを見るなんて初めての事だ。かく言う僕もこんなに遊び疲れたのは生まれて初めての事である。

 僕達はアジトへ戻ろうとするが、街中にいくつか点在する入り口を通過し、無言のまま意味もなく歩き続けていた。

 本音を言うともう少し二人きりでいたい。どうやらソフィアも同じ気持ちのようで、僕に寄り添ったまま黙って歩いていた。

 そうして宛てもなく夜道を歩いていると、ふとソフィアの足が止まる。どうしたのかと横顔を伺うと、ソフィアは頬を赤らめて何か言いたそうにしていた。


「…どうしたの?」


「あのちょっとだけ…ちょっとだけ此処で休んでいきませんか…?」


 そう言ってソフィアが指差したのは目の前の何の変哲もない宿屋だ。しかしアジトがすぐそこにあるというのに、わざわざ宿屋で休憩する意図とは?


(…ん?)


 待てよ…これはまさか…。

 そこでよくやく言葉の意味を理解し顔が一気に熱くなる。思えば僕達はお互いの裸を見た事があるにも関わらず、肉体的な交わりは持っていない。

 そして今日のソフィアはまるで今までやりたかった事を出来る限りやろうとしているようにも見えた。ともなれば当然デートの最後はそういう事に行き着く訳で、これぞまさしく大人のデートだ。

 しかしここで慌てふためいてしまったら、折角勇気を出して誘ってくれたソフィアに対して失礼極まりないはずだ。

 とにかく先ずは覚悟を決めなくてはならない。そしてどうすればいいか分からない時はレヒトを参考にすれば何とかなるだろう。

 落ち着いて考えるんだ、レヒトならこういう時どうする…?


「…行こうかソフィア」


 これだ、きっとこれが正解に違いない。その証拠にソフィアはコクリと頷き、宿屋へ向かって突き進む僕の後に続く。そして宿屋の主人に前払いで料金を支払うと部屋の鍵を受け取る。

 そして二人一緒に部屋に入ると扉を閉め鍵を掛けるが、問題はこの後だ。


 いきなり襲い掛かる?


 それともはまずベッドに押し倒して?


 いや違う、ムード作りが大事だ、キスだ。


 と、目まぐるしくこの後の順序を考えているとソフィアが耳元で囁く。


「あの…シャワー浴びてくるから…待っててくれませんか?」


 照れと色気を含んだその声に僕は思わず硬直したまま頭を何度も縦に振る。そしてソフィアが小走りに脱衣所へ向かうと、しばらくしてからシャワーの音が聞こえてきた。そこで僕は一先ずベッドに腰掛けると一度深呼吸する。


「…ふぅ」


 落ち着け大丈夫だ、何て事はない。二人きりで宿屋には何度も泊まっているし、お互い裸のまま眠った経験だってある。ただ今回はそこからちょっと…ちょっとだけお互いの体を味わうだけだ…そう…ちょっと…味わう…ちょっと…ソフィアの…大きな…お…おっ…おっおっおおぉぉぉっ!


(うおあぁぁぁっ!!)


 僕は股間を膨らませたまま頭を抱えベッドを転げ回る。

 いいのだろうかアンディ、教えてくれアンディ、僕はどうすればいいんだ?

 こんな事ならこういう時に男が取るべき行動を勉強しておくべきだった。困った時はレヒトの行動を参考にしようなんて考えたけど、思えば彼の性行為なんて見た事なんてないし寧ろ見たくもない。つまり何の参考にもならないという事実に今頃になって気が付いてしまった。

 というかレヒトは時々ソフィアの胸元を見ては鼻の下を伸ばしているが、本人は誰にもバレていないと思っているんだろうか?

 残念ながら僕はしっかりとチェックしているし、その度に内心で軽く苛立ってもいる。

 でも確かにソフィアは女性三人の中では抜群にスタイルが良いし、漂う色気も比べ物にならない事からそれも仕方がないのかもしれない。と言うかそんな女性が僕の恋人だなんて夢のようだ。そんなパーフェクトなソフィアから目が離せなくなるのは男性なら至極当然である。

 ただ僕のような経験不足の男子には逆に刺激が強過ぎる。先程耳元で囁かれた時も恥ずかしながら体中が硬直してしまった。現在は落ち着きを取り戻したものの、未だ下半身の硬直だけは解けず臨戦態勢のままだ。


(落ち着け僕…重要なのはこの後の段取りだ…)


 まずはキスだ、キスから始める。それもレヒトとエリスがしていたような、情熱的な大人のキスを。


(それで…その後はえぇと…軽いアレから始めて…その後はアレをコレしてアレにアレをコレした後にえーとえーと…)


「あのシオンは…どうします?」


 するとその時、突然背後から声を掛けられた僕は口から心臓が飛び出しそうになる。


「えぇ早いねソフィアもう上がったのかい!?」


 早い、早過ぎる。まだ最初の一手を考えている段階だ。


「えぇ、体を洗っただけだから…」


 そう言うソフィアはバスタオルを纏い、恥ずかしそうにこちらをチラチラと伺っている。しかしその姿を見ているだけで僕は理性が吹き飛びそうだった。

 それを何とか堪えてどうしようかと頭を全力で働かせるが、薄暗かった部屋の明かりがふっと消える。見れば少し離れた場所でソフィアが蝋燭の火を消したらしく、部屋に差し込む月明かりがバスタオルから覗くうなじから肩口をほんのりと白く照らしていた。


「あ、あの僕その…しばらく体洗ってなくて…汚いから…僕もお風呂に…」


「ん、いってらっしゃい」


 柔らかい笑みを浮かべているであろうソフィアをまともに直視出来ずに、僕は一瞬で風呂場へ逃げ込んだ。月の魔力のおかげでヴァンパイアの能力をフルに生かしたその動きはソフィアですら僕を一瞬見失った事だろう。

 しかし今はそんな事を気にする余裕などなく、着ていたものを一瞬で脱ぎ捨てると頭から冷水を浴びる。


(ほわああぁぁぁぁ…!)


 落ち着け、落ち着いて思考をクリアにするんだ。とにかく今の汚いままじゃソフィアに対して失礼極まりない。

 しかし体の隅々まで洗おうとするとそこで重大な事に気が付いてしまった。


(み…右腕が洗えない…!)


 左腕がないせいで、右腕だけでなくタオルを背中に回して磨くことも出来ない。ここで僕はかつてないほど左腕を失った事を後悔した。


(アンディ…君って奴は…僕の幸せを望んでおきながらこんなところで意地悪をするんだね…!)


 頭の中でアンディがしてやったりと言った表情で親指を立てていた。


 …やめるんだ僕、そんな死者を愚弄するような真似をしてはいけない。というかいい加減に落ち着け、緊張の余り思考がおかしな方向へ迸ってしまっている。一度深呼吸をして思考をリセットするんだ。

 少し厳しい体勢ではあったが、結局左肘でタオルを壁に押し付けながら右手を動かす事でしっかり背中も洗えた。そして最後にもう一度全身に冷水を浴び、この後の作戦を考えようとする。しかしここでまた僕は重大な過ちに気が付いてしまった。

 ベッドで一人ソフィアを待たせ続けている…これってとても失礼な事じゃないのか?

 そう考えると僕は後先考えずに急いで体を拭き上げると腰にタオルを巻き付け極力平然を装ってソフィアの元へ戻った。


「お…お待たせソフィア…」


 動揺が悟られないよう僕は落ち着いてソフィアの横へ腰を下ろす。

 大丈夫、ここまでは間違っていないはずだ。しかし不意にソフィアと視線が合うと思考は一瞬にして停止した。

 潤んだ瞳で僕を見詰めるソフィアは美しいのに可愛いらしい。冷静に彼女の魅力を分析し対処しようとするが、未体験の破壊力を前に理性と思考が何度も吹き飛びそうになる。


「え、えっと…えっと…」


 それまで平然を装っていた仮面はついに剥がれ、しどろもどろになってしまう。

 こんなの反則だ、こんな魅力的な女性を前にして冷静でいられる男なんてこの世にいるはずない。

 そんな僕を見ていたソフィアは突然堪えきれずに笑い出した。


「ふ…ふふふ…! そんなに身構えなくて大丈夫ですよっ…」


「え、あれソフィア…さん…?」


「ね…後はお姉さんに任せて…」


 そう言ってソフィアは僕を優しくベッドに押し倒してくる。


「あれ…いやその…こういうのは僕の方から…」


 だが反論する隙も与えられないまま口を塞がれると、抵抗する気は一瞬で消え失せてしまった。そしてそのまま全てをソフィアに委ねたくなってしまう。


「…シオン、変な事を聞いてもいい?」


「え、あ…うん…」


「…こんなに汚れた私でも…いいの…?」


 しかし今更そんな事を言うソフィアに思わず腹が立った僕は覆い被さっていたソフィアと入れ替わるように、少し乱暴に押し倒す。


「…汚れてなんかない。ソフィアは…綺麗だよ」


 そう言って首筋に吸い付くと、突然の攻撃にソフィアは不意を突かれたのか甘い吐息を漏らした。

 汚いところなんて何処にも無い、そんな想いを伝えたくて僕は首筋から耳までを舐め上げる。するとソフィアはビクンと体を痙攣させ、僕の頭に手を回するともっとと言わんばかりに強く押し付けてきた。


「…ソフィア、愛してる」


 耳元でそう囁くと再び体がピクリと反応した。そしてソフィアはゆっくりと僕の背中に両手を回し、きつく抱き締めると耳元で囁く。


「シオン…愛してる…」


 その声は震えており、顔を見るとソフィアは嬉しそうに涙を流していた。それに釣られて僕も涙が出てきてしまうが、何だかそれがおかしくて僕達は二人して涙を流しながら笑ってしまった。

 そしてどちらともなく唇を重ねると、より深く繋がろうと互いに唇を貪り始める。


「ん…シ…オン…もっとして…?」


 可愛らしくも、妖艶なその誘いに僕の理性はついに焼き切れた。

 …それから僕達は結局眠る事なく朝方まで何度もお互いの体を求め合い、みんなに気付かれないようこっそりアジトの自室へ戻ったのだった。

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