第9章 鎮魂歌 ―Sion Side―

Episode33「再会」

 西D地区は戦後ある程度の整備がされたものの、未だに戦禍の爪痕は至る所に残っている。戦後はまず初めに外壁、次いでゲートが修繕されたが、修繕作業中にヴァンパイアウィルスの蔓延が噂されるようになると作業速度が上がったように感じられた。

 そうして街より先に修繕されたゲートの強度は戦前より強固となり、それから少しずつ街の修繕も着手されたが十年経った今でも元通りの姿には程遠い。幼い記憶を辿っても今の街並みにはまったく見覚えがなく、完全に元通りになる日はやってくるのか疑わしい。

 一つ気掛かりなのは西の隣国へ攻め入り終戦を迎えてから今に至るまで、勝ち取った領土の整備が放置されている点だ。当時の国王は既に討ち取っており、支配者を失った隣国は終戦直後は混乱と飢餓に陥ったという。これまでのセインガルドなら勝利した後はすぐさま勝ち取った領土の整備に着手し、今頃は西E地区として西の最外郭エリアが完成していたはずだ。歴史を振り返ればそれほど支配した国を取り込むのが早いセインガルドだったが、西の隣国に関しては終戦と同時に興味を失ったように放置されていた。そうして何よりも真っ先に修繕された外壁はまるで何かが逃げ出さないようにしている印象を覚えたが、今思えばそれらは全てソフィアをこの地に閉じ込めておく為だったのかもしれない。

 そういった経緯からここソドムが街として機能しているのは先程までいた広場を中心とした一部だけで、僕達が住んでいた住処よりも更に外壁寄りの場所は未だに瓦礫などが戦後と同じまま積み上がっている。終戦直後はこの瓦礫の山から武器や死体を漁る者達が大勢いたようだが今は取れる物は全て取り尽くされたのか、かつて見られたハイエナのような人々も見当たらなくなっていた。

 広場の喧騒さえ届かない静寂、月明かりに照らし出され一面に広がる瓦礫の海で僕はかつて過ごした思い出の場所に立っていた。そこは間違いなく僕やアンディが過ごした孤児院の跡地。その証拠に孤児院の屋根にあった大きな十字架は目に前に突き刺さっており、建物が崩壊した事で屋根だった物の残骸が足元に転がっていた。

 そういえばソフィアの話だと彼女はこの瓦礫の何処かで蘇ったそうだ。だとすれば此処は僕達にとって始まりと終わりの場所とも言えよう。そして出来ることなら今、ここからもう一度始まりを迎えたい。


「アンディ…」


 身の丈と同じ程の十字架に手を添えながら待ち人の名を呟くと背後から僕の名を呼ぶ者がいた。あれから大して時間は経っていないけど、その声は久しぶりで懐かしさを覚える。その声の主は僕がソドムに戻るまで縋るような思いで無事を願っていた人物。

 蛇の首団員とのやり取りから此処に来るまでに気持ちの整理は済んでおり、驚く事なく声の主へ振り返る。


「無事で良かったよ、アンディ」


 しかし視線の先で一人佇むアンディの瞳に光は無かった。同時にアンディから発せられる狂気と殺気が身に突き刺さり、その負の情念は僕の心を蝕まんとしているようだ。気持ちに整理がついていなければこの状況に困惑し、隙を見せて殺されていたかもしれない。

 迷いを振り払うように一度深呼吸すると視線を逸らさず正面からアンディを見据える。


「…許しを請うつもりはない、ただ君に謝りたいんだ」


 その言葉が癪に障ったのか、無感情だったアンディの表情が歪むとギリギリと歯軋りをし口元から血が滴る。開かれた瞳孔から伝わるのは明確な殺意だけだ。


「…殺されても仕方ないのは分かってる、でも少しだけ待って欲しいんだ。やるべき事がある、それまで僕はどうしても死ぬ訳にはいかない」


「やるべき事…やるべき事か…親友を裏切って自分だけ幸せになって、やるべき事だって?」


 怒りを必死に堪え歪んだ顔で無理矢理笑顔を向けてくるが、迸る殺意がより一層強くなり思わず身構えてしまう。


「…本当にアンディが生きていて良かったと思ってる。だから…今度こそ僕は君を救いたいんだ」


「だったら此処で死んでくれ、シオン」


 とうとう抑え切れなくなったのかアンディが手を軽く振ると突如何もない空間からナイフが飛び出し僕に襲い掛かってきた。それを難無く避けるがこの技には見覚えがある。


「これは…まさかゼファーの…?」


「ある程度事情は知ってるし、お前達が何をしようとしてるのかも分かってるよ」


「アンディ、君は…」


 人間離れした殺気、圧迫感、そして今の技…。間違いない、アンディは堕ちてしまった。


「悪魔と契約をした」


「何でそんな事を…」


「シオン、お前は力が欲しいと願わなかったか?」


 アンディのその言葉に思わず喉を詰まらせた。


「お前はヴァンパイアの力を、そして俺は悪魔の力を手に入れた。それだけだ」


「違う! 確かに僕は力を求めたけど…それは大切な人を守る為に…!」


「お前は親友を裏切って力を手に入れた、そして俺は復讐の為に力を手に入れた。お前に俺を責める権利があるのか?」


 アンディの言葉全てが胸に突き刺さり、反論の余地無く涙が溢れそうになる。


「親友を裏切ってまで手に入れた力はどうだ、愛する女性を守る騎士ナイトは楽しいか?」


「違う…僕は…僕はアンディも…」


「嘘だ、お前は俺が死んでも悲しい思い出として終わらせた」


「そんな事は…!」


「なら自殺したか? 死人に何をするつもりだった? 何も出来やしないし、現にお前は俺の生死などお構い無くこうしてのうのうと生きてるじゃないか」


 その言葉はまるで地獄の底からの恨みの声だった。悪魔の囁きのように僕の心に生じた隙間へどんどんと侵入してくる。ゆっくりと一歩ずつ歩み寄ってくるが、僕はもうアンディを直視出来ずその場で俯き固まっていた。気持ちを整理して決心したはずだったが、いとも容易くその気持ちは揺らいでしまう。死を以って償うしかないのだろうか、そんな思考が徐々に頭を支配していく。

 必死に自分の中で葛藤していると突然心臓にナイフが突き刺さり、矢継ぎ早に両手両足にも突き立てられ僕は十字架に磔にされてしまう。


「罪人のお前にはお似合いだ」


「アン…ディ……」


「でもこんなものじゃない。四肢を切断された人間の気持ちが分かるか? 死にたいのに殺されない苦痛が分かるか?」


 アンディはケタケタと笑いながらも涙を流し続ける。


「舌を抜かれて喋れなくなった事があるか? 片目をくり抜かれてそれを目の前で食われる絶望を味わった事があるか?」


「やめて…くれ…」


 悲痛な告白に僕も涙が止まらなくなっていた。


「目の前でさ! 俺の腕とか足を解剖するんだよ! 俺の腕が! 足が! 細かく分解されるんだ! 自分の骨なんて初めて見た!」


 気が付けばアンディは叫んでいた。狂ったように頭上の月へ向かって咆哮する。


「変な薬もたくさん注射されてさ! 眠れないんだ!! 目の前でネズミが俺の身体を食ってるのに痛みも感じない!! 分かるかシオン!? 無事だった耳のせいでガジガジって嫌な音が聞こえるんだ!!」


「もう…いい…もうやめてくれ…」


「アハハハハハハハハハ!! ほらこんな具合に自分の身体が無くなっていくんだ!!」


 そう言ってナイフで自分の胸を抉り取ると夥しい鮮血が溢れ出し、その先には血塗れの胸骨が見て取れた。


「でもな…あの人達が力を与えてくれた」


 切り取った肉を胸に当てると傷口から黒い霧が噴出し一瞬でアンディは元に戻っていた。それは紛れも無くゼファー、そしてレヒトが持っている力だ。


「失われたはずの俺の身体…全部元に戻ったんだよ」


 アンディは懐から僕のオルゴールを取り出すと見せ付けるように目の前でそれをゆっくりと握り潰していく。


「悪魔だろうと何だろうと構わない、お前にも俺が味わった地獄を見せてやる」


 一瞬の不協和音の直後、弾けたオルゴールの破片が僕の頬を掠めた。


「アンディ…」


 いつの間にかアンディの口は大きく裂け、額からは二本の角が生えている。その姿は最早人間の原型を留めていない、悪魔そのものだった。


「イヒヒヒヒヒヒ! ヒャーッハッハッハ!! 此処がお前の墓場だシオン!!」


 アンディが大きく振り被って顔面目掛けてパンチを放ってくるが、両腕を閉じるようにして磔られていた十字架をへし折ると両手で拳を受け止める。直後両足に思い切り体重をかけ両足を引き裂くと僕は十字架から解放された。


「…許しを請うつもりはない、ただ謝りたかっただけなんだ」


 受け止めた拳に自分の拳を叩き付けるとお互い後方へ吹き飛び態勢を整える。掌に突き刺さったままのナイフを抜き取ると傷口は一瞬で回復した。


「ごめんねアンディ…。だから僕は償いとして…」


 アンディが受けた苦しみを考えれば僕を殺したいという感情が沸くのは当然だし、死を望むと言うならそれしか償いにならないのかもしれない。だからこれは僕の身勝手な思いであって、再び彼を裏切る事になるのかもしれない。でも、それでも僕は信じる。


「君を…此処で殺す」


 こいつはアンディだったモノ…彼は既に殺された。だから今目の前にいるのは死んだアンディの身体を勝手に使っている悪魔に他ならない。アンディを信じるなら親友を騙り死者を愚弄するこの悪魔を滅する事がせめてもの弔いだ。

 右手に意識を集中させると天上の炎が灯る。


「お前はアンディじゃない、容赦しないぞ」


「それを言ったらお前もシオンじゃない、天使メタトロン、エノク、ロト、さぁ誰だ」


「僕は…」


 もう迷わないと決めた。だから今度は惑わされる事なく、真っ直ぐ悪魔を睨み付ける。


「アンディの親友…シオンだ!」


 一瞬で距離を詰め片腕を掴みあげると炎で焼き尽くそうとするがアンディは自らの腕を切り離すと後方へ飛び、離れ際に顔面に放たれた蹴りを両腕で受け止めたせいで視界が遮られその隙にアンディの姿を見失う。

焦らず冷静に何処から攻撃が来ても対応出来るように備えていると突然右足に激痛が走り、バランスを崩した瞬間目の前から黒く巨大な何かがぶつかり後方へ吹き飛ばされた。


「今のは…?」


 瓦礫に背中からぶつかり激しく粉塵が舞う中、自分の身に起きた事態を把握しようと前方に目を凝らす。徐々に視界が開けるとそこには何事も無かったかのように腕を再生し終えたアンディが立っていた。


「まだだ…お前にはもっと地獄のような苦しみを与えてヤル…」


 そう言って口から黒い液体を吐き出したかと思うと、それはまるで意思を持っているかのようにこちらへ向かって這ってくる。得体の知れない攻撃を避けようとすぐさま立ち上がろうとするが再び右足に激痛が走りその場から動けない。そこでようやく足元を確かめてみると巨大な黒い百足が足に噛み付いており、それを手で払い除けその場で飛び上がるといつの間にか頭上ではアンディが僕を見下ろしていた。


「喰らえ、暴食の蟲」


 再び口から吐き出された黒い液体を左腕で庇うように受け止めるが、それとほぼ同時に鳩尾に蹴りを喰らい地面に叩き落とされる。辛うじて着地するが黒い液体は腕に纏わりついたまま離れる様子はない。


「ハハ、どうしたんだ。自慢の炎で消してみろよ」


 言われた通り炎で燃やそうとするがいつの間にか右手に宿っていた炎は消えており、再び灯そうにも現れない。その間にも液体は僕の左腕を侵食しているのか焼け付くような痛みが走る。


「ぐぅっ…!!」


 堪らず膝を突くともう一度右手に意識を集中させるが天上の炎はやはり灯らない。


「何で力が使えないか分からないだろ、教えてやるよ」


 そう言いながらアンディは蹲る僕の顔面を思い切り蹴り上げ、面が上がったところへ思い切りパンチを入れてきた。


「お前が力を行使出来るのはメタトロンの転生体、原罪のないヒトだからだ。しかし今のお前に付着し体内へ侵食しようとするそれは悪魔の力…罪そのものだ」


 思い切り頭を踏み潰され頭蓋が軋みを上げる。


「天上の力はそんな罪に塗れた俗物には与えられない…つまりお前はもう暴食の蟲に骨まで喰われちまうしかないんだよ」


 思い切り踏み付けられ顔が地面に半分めり込むが、辛うじて身体を捻ると思い切り蹴りを放つ。それはあっさりと避けられるがとりあえず解放された僕はすぐさま立ち上がり回復に務める。


「詳しいね…僕より博学だ」


「悪魔の力は知恵も与えてくれたんだ、さながら禁断の果実さ」


「そんなリンゴ、僕は食べたくないな…!」


 左腕を見れば黒い液体が浸透しているのか腕そのものが黒ずんでおり、尚も僕を蝕まんとそれは肘まで伸びてくる。何とか侵食を塞き止めようと骨が砕ける程力一杯握り締めるが効果はなく、徐々に左手の感覚が失せてきた。


「さぁどれぐらい持つかなぁ…?」


 落ち着いて考えるんだ。レヒトならこんな時どうする?

 きっと危機的状況下でも彼は焦らず的確に対処する。それを考えると不意に手合わせした時に見たレヒトの行動を思い出した。

 そうだ、あの時レヒトも自分の腕を侵食する天上の炎に対して…


「ぐっ…があぁぁぁぁっ!!」


 そのまま肘を握り潰しそれを更に捻りながら思い切り引っ張ると嫌な音と共に肘から先が失われそこから大量の血が溢れ出すが、どうやら物理的に腕を切り離してしまえば侵食は防げるようだ。左腕を失ったもののそれ以上侵食される事はなく、捨てた腕はあっという間にその場で腐り溶けていった。


「はぁはぁ…! まだ…これからだ…!」


 諦めちゃいけない、常識なんて捨てて出来る事は何でも、全てやるんだ。きっと彼ならそうする。どんな状況下でも弱気にならず、的確に状況判断をして迷わず自信を持って突き進む。

 何か使える物はないかと周囲を見渡すと刃の欠けたボロボロの剣が目に入るが、それを踏み付けて宙に浮かせると迷わず手に取った。


「そんな錆びた剣で…どうする気だよ」


「…こうするんだ」


 右手で剣を握りながら意識を集中させると天上の炎が再び灯り、それは刃先にまで伸びる。

 冷静に現状を分析すると、現時点で身体能力や戦闘技術に大差はないように思える。問題は互いの持つ能力だ。

 アンディの放つ暴食の蟲は僕の天上の炎と同じく、触れた相手に絶対的な効果を発揮する。侵食された腕を捨て去った事で再び力を行使出来るようになった…そう考えるとアンディの能力は神の力を行使する僕とは最悪の相性と言えよう。しかし僕の天上の炎もまた絶対的な力であり、流石のアンディも全身を一瞬で燃やされては再生可能だろう。

 つまり条件は五分と五分。互いに自分の全力を先に叩き込んだ方が勝つ…実に分かり易い戦いだ。

 炎の切っ先をアンディに向け、確かな意志を持って僕は目の前の『敵』と対峙する。


「…決着をつけよう」

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