Episode31「黒光の戦乙女」

 セリアは物心ついた頃から両親がいなかった。何故貴族に奴隷として買われたのか、その理由は誰にも分からない。ただ奴隷としての日々が当たり前だった。街で見掛ける同年代の子供達と自分は違う、それだけは分かったが何の力も持たない少女は十年近く奴隷としての日々を享受せざるを得なかった。

 屋敷内の雑務から庭の手入れ、時には外へ出稼ぎに出される事もあったが幼い少女であろうと誰も容赦はしてくれない、奴隷は人間として扱われない。雪の降る夜でも外の掘っ立て小屋で麻に包まり、他にもいた奴隷達と身を寄せ合って眠った。

 何か失敗をすれば拷問のような容赦のない仕打ちが待っている。時にはストレスの捌け口として謂れのない罰を受ける事もあった。ある者は鞭で何度も叩かれ、ある者は拷問器具で痛め付けられ、ある者は意味も無く指を切り落とされ。中にはそのせいで死んだ者もいた。

 最初は誰かがいなくなってもすぐに変わりの奴隷がやって来ていた。だが時が経つに連れ一人、また一人と仲間の数は減っていき、幸か不幸か気が付けば最後に残った奴隷はセリアだけとなった。奴隷を買う余裕が無くなったのか理由は不明だが、仲間が消えて行くにつれてセリアの心もまた失われていった。

 八つ当たりのような罰を受けるのも、過酷な労働も全てがセリア一人に圧し掛かるようになる。碌な食事も与えられず、日に日に体からは力が沸かなくなった。このまま死ねば楽になる、そう思っても死ぬ気力すら沸かなくなっていた上に、人間は存外にしぶとかった。いつしか思考すら放棄し、セリアはその日も壊れた人形のように掘っ立て小屋で死んだように眠る。

 だがそこへ突然見知らぬ男が現れ、懐からパンを取り出すとそれをセリアに与える。セリアは訳が分からないままパンを受け取り、一口齧るとそれまで忘れていた空腹を思い出したかのように一瞬で食べ尽くした。

 その様子を見た男は笑い、そして言った。


『力が欲しいか』


 脳はほぼ思考していない。力が欲しいかという問いをパンが欲しいかと聞き間違えたのかもしれない。それでもセリアは頭を縦に振った。

 男はそうかと笑うとセリアの頭に手を乗せる。久しぶりに感じた人の温もりに感慨を覚えるが、次の瞬間全身に違和感が現れた。力の入らなかった体は温かい何かに満たされ、鈍く働かなかった脳はどんどんと覚醒し思考が鮮明になる。自分の身に起きた出来事が理解出来ずに困惑していると、男は笑顔のままで告げた。


『其れは神の力。我は力を与える者、堕天使アザゼル』


そう言って男の背に現れたのは大きく黒い翼。突然目の前に現れた堕天使にセリアは言葉を失う。

 知識も教養もなかったが、かつての奴隷仲間から神話などの話は聞いていた。当然そんな御伽噺おとぎばなしなど信用していなかったが、もしも神様がいたら…と夢想する事はあった。

 しかしこれは紛れも無い現実。今まさに目の前に堕天使が現れ、自分に神の力を与えたと言っている。信じ難いが、男の言葉が嘘ではないと自分の身体が証明している。セリアは戸惑うが、その様子を見てアザゼルは告げた。


『その力で多くの人を救いなさい』


 そう言い残しその場で翼を羽ばたかせるとアザゼルはそのまま漆黒の空へと飛び去って行った。

 残されたセリアは自分の体を確かめるように手を握ったり開いたりする。立ち上がるとそれまで自分の体を支えるのがやっとだったはずが今はしっかりと二本の足で立てている。掘っ立て小屋から出るとその場で軽くジャンプをするが、信じられない事に自分の身長よりも高く飛べた。

 見た事のない世界、味わった事のない空気。セリアは嬉しくてその場で何度も飛び跳ねると、少しずつ高く、高くへと飛び上がりついには屋敷の屋根に飛び乗った。見上げると頭上に輝く月がいつもより近い。だが手を伸ばすとそれはとても遠い。

 月に手を翳しながらセリアは先程アザゼルに告げられた言葉を思い出す。一体自分に何が出来るのか?

 少し考え思いついたのが兵士になる事だった。もし自分が人ならざる神の力を手に入れたのなら、戦争でこの国の人々が苦しむ事はなくなるのではないか。そして偉くなれば自分と同じような奴隷を解放するのも可能ではないか。安直かもしれないがそう考えたセリアは生まれて初めて自らの意思で屋敷から飛び出した。

 それからセリアが向かった先は王城。深夜に突然現れたみすぼらしい奴隷のような出で立ちの少女に門番の兵士達は怪訝な顔を向ける。そんな兵士に向かってセリアは告げる。


 私は神の力を与えられた、と。


 翌朝になるとセリアは国王に謁見し、目の前で神の力を見せるよう言われた。戦闘経験などないまま剣を手渡されたセリアは屈強な兵士と対峙する。だがそこに不安は無い。

 号令と同時に兵士が斬りかかって来るがその動きは驚く程スローモーションに見え、難無く攻撃を回避すると喉元に剣を突き立てた。あっさり決着がつくと今度は十人もの兵士と対峙させられたが、襲い掛かってくる兵士それぞれの鎧に一突き入れると一瞬で集団の中を擦り抜け勝負は決まった。それを見て国王は確信する。この少女は紛れも無く神の加護を受けていると。

 こうしてセリアは騎士団の一員となり、後に黒光の戦乙女として戦場に名を馳せる事となる。その頃に開戦していた戦争はセリアの活躍によって数日で勝利を収め、以来戦で負け知らずとなった国は領土を広げ続けいつしか大国となった。

 その後セリアの地位は飛躍的に向上し、当初の目的だった奴隷の解放、制度の廃止も叶う。そして彼女自身の生活は大きく変わり知識と教養を得られた。

 一騎当千の力は国民に一切の血を流させる事なく戦争を終結させ、黒光の戦乙女の名を聞いた国は無条件降伏する程となる。しかしその名が急速に広まるにつれて、神の遣いと呼ばれた少女はいつからか悪魔の化身とされ恐怖の対象となっていた。そんな不穏な噂を知りながらもセリアは国民の幸せを願い戦い続ける。そしてとうとう彼女の名声と悪名は天にさえ届いたのか、神の怒りに触れてしまった。

 それはセリアが神の力を手に入れてから十年程経った夜。いつか見た美しい月を自室から仰ぎ見ていると白い翼を持った天使が何処からともなく現れ、地上に降り立つと突然光の矢を放った。巨大な矢に貫かれた家屋は一瞬にして消滅し、遥か先までもを直線状に破壊し尽くす。人々の悲鳴が夜の街に響き渡るが、現れた数体の天使は黙々と機械的に街を破壊し続けていた。即座に全軍が出撃し天使に立ち向かうが近付く事さえ叶わず、最後まで抵抗を続けたセリアも光の矢に貫かれ意識を失った。

 その後、どれ程意識を失っていたのかは分からないがセリアは目を覚ました。そして目覚めた彼女を取り囲むのはかつて街だった瓦礫の山。死体は影すら残さず消えており、大国は跡形もなく消し去られていた。呆然としながら生き残った者を探してみるが、この地に人が住んでいた事さえ疑わしい程、何一つ残されていない。

 気が付けば周囲は暗くなり、月明かりの元でセリアは膝を抱えて震える。こうなったのは自分のせいだと思うと悔やんでも悔やみきれなかった。何処で何を間違えたのかと考えたところで答えは出ない。答えを出したところで今となっては何の意味も持たない。一人生き残った理由は分からないが、神の力を得たせいならこれはきっと罰なのだろう。老いる事なく、死ぬ事も許されず、永遠にこの苦しみを背負わなければならない。脳裏に人々の恨みの声が聞こえてくる。

 セリアはその時になって気が付いた。自分は神の力を得たのではない、悪魔の力を手に入れ神の怒りに触れてしまったのだ、と。全ては呪われし力が引き起こした悲劇、故に悲しむ権利などない、永遠に孤独の中で苦しめ…失われた国民から呪詛の言葉が悲鳴と共に頭を巡る。

 絶望の底で震えていたセリアだが、そんな彼女の前に堕天使アザゼルが再び現れた。


 この力を与えたのは誰か?

 彼だ、彼が全ての元凶――


 負の感情が一気に溢れ出したセリアはアザゼルの首に刃の欠けた剣を突き立て、血を流し力無く倒れても尚、何度も何度も体中に剣を突き刺す。血に塗れた頬を涙が伝い、可憐だった顔は悪魔のように歪む。やがて細切れになった肉片を前に、少女は虚ろな瞳のまま息を荒らげ血の海に崩れ落ちた。

 しかし突然細切れの肉片から黒い霧が溢れ出したかと思うとアザゼルの声が耳に届いた。


「悪魔…あなたは悪魔ね」


「正確には悪魔と共にいる堕天使さ」


 黒い霧はおどけた声で答えると、散った肉が時を巻き戻すように繋がりアザゼルは元の姿へと戻る。再び姿を現した堕天使は初めて出会った時よりも砕けた態度だったが、そんな事はさして気にならなかった。


「俺を恨むのも仕方のない事だ。だがお前の本来あるべき幸せを奪ったのは誰だ?」


 その問いにセリアは答えられない。自分にあるべき幸せなど考えた事もないからだ。


「人間としての尊厳を、自由を奪ったのは誰だ?」


 自分を買った貴族、それが全ての始まりだったのではないか。そう思ったがそもそも物心つく前に捨てたのは誰か、それを考えると顔も知らない両親とも言える。


「違うな、神だ」


 もしもこの世界が神に作られ管理されているのだとしたら、確かに生まれたのも、捨てられたのも、奴隷になったのも、全ては神の描いたシナリオなのかもしれない。


「世界は平等だと思っていたか? 今まで見てきただろう。信じる者は救われる? 何人がそうやって死んだ。神様ってのは人間が考えるよりもっと気まぐれだ」


「じゃあ私の幸せは…神の気まぐれで壊されたの?」


 世界は、人間は平等ではない。生まれながらに幸せを掴む権利すら与えられない者がいる。幸せを掴んだところでそれを破壊される者がいる。もしそれらが神の気まぐれで決められているのだとしたら?


「お前が憎む相手は俺じゃない」


 その時、セリアの内に復讐の炎が灯ると可憐だった顔が憎しみで歪む。そして冷たくおぞましい狂気に満ちた眼でアザゼルを見据えた。


「もう一度力を与えよう、そして俺達と共に成すのだ」


 見慣れない黒い鉄の塊の武器を手渡すと、堕天使は悪魔のような笑顔で告げた。


 『神へ復讐を―――』


 セリアはアザゼルに連れられ町外れにある祠へとやってきた。そこで待ち受けていたのはアザゼルと同じ二人の堕天使と二人の悪魔。そのうちの初老の悪魔を前にして全員が膝を突くとセリアもそれに倣う。


 『種は芽吹いた』


 初老の悪魔がそう告げ口元を軽く吊り上げた瞬間、セリアはかつて感じた事の無い畏怖を覚えた。それは昨夜見た天使など比にならない絶対的な力、支配者の威厳。セリアの心に残っていた人間の本能が従う事を強制する。それはこの悪魔が神だと言われても、疑う余地のない圧倒的にして完全な存在だった。

 それから数百年の時をかけてダアトを除く十のセフィラ全てを開くとセインガルドが建国された。それに関与しなかったセリアは計画の詳細を知る由も無く、神への復讐の為だけにひたすら腕を磨き続けいつか来る日に備え続けた。


 セリアが話し終えるとエリスは滝のような涙を流していた。よく見れば涙なのか鼻水なのか分からなくなった粘着質な液体が顎から垂れており、思わずセリアが身をよじるとソフィアはそれを布で優しく拭き取ってやる。チーンと大きな音と共に鼻水を放出するとエリスはとりあえず見れる顔になった。


「セリアさんの事情は分かりました。やっぱり私との違いは…神様の気まぐれなんでしょうね」


 一瞬言葉に迷ったソフィアだがそうとしか言えなかった。ソフィアは神を崇拝している訳ではないが、かと言って神の存在を蔑ろにした事もない。ただセリアのように神への復讐を考えた事はなかったが、その意図を考えた事はあった。しかしセリアの話を聞き、改めて神の意図について謎が深まったようだ。


「それでセリアさんがその時にアザゼルから受け取ったのが…」


「えぇ…この銃よ」


 セリアは腰に刺してある銃を引き抜くとそれをじっと見つめる。


「私に与えられた力は身体能力だけじゃなかった。彼等と行動を共にしてから知ったけど、力の根源は全て魔力によるものだったわ」


「その銃は魔力を弾にする…でしたっけ」


「えぇ、だから恐らくあなたにも扱えるでしょうね」


 そう言って銃把を向けるが、ソフィアはそっと首を横に振る。


「私は月から魔力を吸収出来るんですけど、セリアさんの魔力は…どう回復するんでしょうか」


「私は人間に本来備わっている魔力を解放してもらっただけ。体力と同じで休めばそのうち回復するわ。だから許容量も回復速度もあなたとは比較にならない」


 人はかつて神の子であった為か、誰もが本来は神の力を有していた。しかしそれらは神によって制限をかけられ発揮出来なくなっている。

 例えば世界に稀に現れる天才と呼ばれる類の、人類の文明進化に大きく貢献するような人物はそれらの制限が比較的緩い者だ。あくまでアザゼルは神の子であるセリアが本来有していた魔力という力を解放しただけで、それが彼女の身体能力を上昇させていた。

 だがそれに対してソフィアが得たのは人間に本来備わっていた魔力とは異なる、月の魔力という神の眷属が持つ力そのもの。魔力の強さ、許容量もセリアとは比べ物にならない程強大だった。故にセリアの銃をソフィアが扱えば比にならない破壊力となるだろう。しかし彼女がそれを拒むのは決して堕天使から与えられた力だからというような理由ではなく、根本的に武器の類がどうしても好きにはなれなかったからだった。

 それを察したセリアは黙って銃を仕舞おうとするが、先程まで号泣していたエリスが横から目を輝かせて銃を見つめている。


「あのあの…魔力で攻撃するならそれって私にも使えるんじゃ…」


「駄目! あなたは絶対に触っちゃ駄目!」


「そ、そんなぁ…ちょっとぐらい…」


「エリスちゃん駄目よ、またレヒトさんに怒られちゃうわよ」


 セリアだけでなくソフィアにまで制止され落ち込むエリスだが、諦めた様子を見て二人はほっと胸を撫で下ろした。

 確かにソフィアはセリアに比べて遥かに高い魔力を持っているが、エリスはそんなソフィアなど話にならない圧倒的な魔力を秘めているのだ。先程室内で発射されたビームを考えるととてもじゃないが恐ろしくてこんな場所で気軽には渡せなかった。


「むぅ…分かりました…。じゃあ今度はソフィアさんの番ですね!」


「え…?」


「私の過去は分からなくて、セリアさんの過去を知って…次はソフィアさんです!」


「そうね…でも思えば今はレヒトさんの攻略会議中だったんじゃ…」


「その割に私の過去を聞いたのだし、自分だけ話さない…なんてないわよね?」


「…聞いても面白い話じゃないわよ?」


二人から期待の眼差しを向けられ、ソフィアは困った表情を浮かべながらもぽつりぽつりと語り出した。

それは遠い昔、天使サリエルとの出会いの物語―――

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