第8章 過去との対話 ―Recht Side―

Episode29「潜入」

 シオンと別れると屋根を伝って考え無しに一先ずゲートへ向かう。暗闇のお陰もあって俺の存在が人々に気取られる事はない。

 狭い穴蔵を通ってきたせいか、こうして全身に風を受け自由に駆け抜けるのがとても気持ち良かった。空を自由に飛べたら一体どれほど気持ち良いのだろうか、考えるだけで胸が躍る。

 それにしても俺も神の一人だとすれば何故翼が生えていないのだろうか。記憶を取り戻せばその答えも自ずと得られると思うが、相変わらず記憶が蘇る気配はない。

 ただ俺の過去を知っている者には心当たりがある。ベルゼクト…悪魔ベルゼブブ、奴は俺も知らない過去の俺を知っている様子だった。落ち着いて話せる場を設けられるのなら純粋に教えて欲しいところだが、とてもその願いは叶いそうにない。

 何より奴には借りがある。俺の愛剣をへし折ってくれた。あの大剣は俺にとって、今まで生きてきた軌跡と言っても過言ではない。それと同時に二千年生きてきて、唯一と言える心の底から信頼していた相棒の形見でもあった。


 人の理から外れた俺が生きるには裏世界、殺し屋はうってつけの仕事だった。そんな世界へ案内してくれた相棒は端から見れば決して褒められたような奴ではなかったのかもしれない。だが裏世界の住人だろうと何だろうと良い奴は良い、悪い奴は悪い。善悪など見る者の観点で簡単にひっくり返る…正義だ悪だなんてそんなものだ。

 だから俺には善悪の観念など無いし、大切な宝物をへし折ってくれた野郎にはそれ相応の復讐をさせてもらう。本音を言えばいっそこのまま王室まで殴り込みたいところだが今はぐっと堪える。


 そんなこんなでゲートにはすぐに到着した。問題はこのゲートをどう突破するかだ。

 西D地区、通称ソドムはヴァンパイアウィルスへの警戒で厳重に隔離されていると言われている。そのせいか今まで見てきたゲートに比べて圧倒的に警備兵の数が多かった。

 正直なところ強行突破が一番気楽で手っ取り早いが、ヨハネを拾った後も兵士に追い掛けられるのは面倒だ。何よりそんな事をしてゼファー達に侵入を気取られたらどうなるか分かったもんじゃない。


「さっきの抜け道みたいに穴を掘る…のは面倒だしなぁ…」


 流石の俺でも今から兵士達にバレないよう穴を掘ったところで、ヨハネの救出を考えると日の出までに済ませられるか怪しい。

 俺にも翼があれば壁なんて簡単に飛び越えられるだろうに…そう思うと本当に自分が神の眷属なのか疑わしくなるが、それが事実ならばもしかしたら不可能さえ可能になるかもしれない。

 神経を研ぎ澄まし、疑心を捨て去るのだ。エリスを思い出せ、あいつのように力は在って然るものである、受け入れるのだ。


「神よ、今こそ我に眠る全ての力を解き放て! レヒトウィング!! はぁ!!」


 と空に手を翳したところで何かが起こる訳もなく、俺にもエリスのバカが移ったようで激しい自己嫌悪に陥る。気恥ずかしさも徐々に強くなり、堪らず頭を抱えると再び穴の中に戻りたくなってきた。

 それにしてもゲートを潜るにはどしたものか…。脳を全力回転させていると何やら辺りが騒がしく、見渡すとゲート前で男数人と兵士達が何か言い合っているようだった。好奇心に駆られて屋根から飛び降りるとそちらへ向かって歩き出す。


「チョーシこいてっとぉ、マジでやっちまうぞぉ?」


 男の挑発に兵士は一切乗らずまったく相手にしていない。その態度が余計に苛立ったのか男はさらに大声を上げるが、後ろにいる剣呑な気配の男達はそれを見ながら薄笑いを浮かべていた。


「今の俺達には神の加護がついてるんだよぉ…お前等頭が高いぞぉ…あぁん!?」


 男はおかしな幻覚でも見えているのだろうか、兵士の前で奇妙な踊りを始めた。


「舞い降りたまえ~、舞い降りたまえ~…この不届き者に神の鉄槌を下したまえ~…」


 何かを召喚しているようだが当然何も起きるはずはなく、兵士は面倒臭そうに男達を見ている。場所が場所なだけに、この手の連中には慣れているのだろう。そう考えるとあんな連中の相手をしなければならない兵士が気の毒に思えた。

 そこで妙案が浮かぶとその辺にあった小石を手に取り狙いを定める。


「神が舞い降りてやるよ」


 兵士には悪いが小石を兵士の鉄兜目掛けて軽く投げつけてやると、兵士はあっさり気を失いその場に倒れた。続け様に小石を投げつけると次々と兵士は倒れ男達はわなわなと震え出す。


「お…おぉ…! マジで神の鉄槌が下された…!」


 理解出来ない状況に兵士達が怯んでいると男達はここぞとばかりに前に出る。


「今こそ神の裁きを! 無能なる支配者に神の裁きをくれてやんぞぉぉ!」


 それを皮切りにして男達が一気に兵士に襲い掛かるが、人数差は明白で万一にも勝ち目はない。ただ今の彼等には俺という神がついている。物陰から石を投げ続け兵士の数を減らしていると、次々倒れていく仲間の姿に動揺した兵士を男達が持っていた刃物で切り殺していった。残った兵士達が撤退の為ゲートを開くと男達は兵士を追ってC地区へ向かって進撃する。


「…思ったより簡単にいったな」


 変な薬でもキメて幻覚を見ているのか定かではないが、こうも思い通りに行くと何だか男達が哀れに思えてくる。

 ゲートの先から男達の訳の分からない怒号が聞こえてきた。暗い通路の先、C地区へのゲートが開かれ通路の先に微かな光が差し込んだのを確認すると俺は一気に走り出し、後方からゲートの出口目掛けて天井スレスレで跳躍すると男達を惨殺する兵士達の頭上を飛び越えた。


「ご苦労さん」


 流石王国の兵士、無事西C地区の治安は守られたようだ。後方から聞こえてくる男達の悲鳴を無視して俺は北へ向かって走り出す。

 初めて足を踏み入れた西C地区の街並みは東と大差なく、静かではあるが危険な気配は漂っていない。どうやらC地区にはこの時間に出歩く者はほとんどいないようで改めてD地区とは違う雰囲気に別世界へ迷い込んだような錯覚を覚えた。

 だがこの時間ならではだろうか、路地裏や人目につかない場所からは微かな人の気配を感じ取れる。恐らく客引きをしている娼婦だろう。本来なら足を止めてじっくり吟味したいところだが今は湧き出る欲望を堪える。思えば長いことあっちの方はご無沙汰の為、一度意識すると火照ったイチモツが中々収まらなかった。かと言って股間を張らしたまま街を駆け抜けるというのはどうにも格好がつかない。

 そういえば我が陣営にはソフィアやセリアなど見た目だけなら超一級の美女が揃っている。二人は俺が命を救ったといっても過言ではないし、少しぐらい労いがあってもいいのではないのだろうか?

 とは思うもののソフィアに手を出せばヴァンパイア全員に殺されかねない。かと言ってセリアは先程の様子だと手を出せば後戻り出来なくなる予感がある。


『あのね…レヒト私――』


 あの時のセリアの言葉を思い出す。


『貴方の為なら死んでもいい…愛してる』


 そう言うセリアの目は何処か狂気を感じた。出会って日が浅いのにいきなり愛してるときたもんだ。危険な状況下で男女は恋に陥り易いなんて言われるが、あれは恋なんて生易しいものじゃない。俺が少しでも下手をすれば後ろから刺されかねない、そういう女の目だった。

 そしてエリスの存在。流されるがままキスをしてしまったがあれはどう考えてもソフィアあたりの入れ知恵に違いない。何を吹き込んだのか知らないが、どうにもあの女は俺とエリスをくっつけたがっているように見える。かつて記憶を失う前に俺とエリスが恋人同士だったとしてもお互いそんな記憶はないのだから今も恋人である必要などない。そもそもそういうのはお互いの気持ちが大事だと――


「…気持ちか」


 …エリスの気持ちは何となく伝わった。ただのバカだと思っていたが、あいつはバカなりに真剣なのだろう。

 だが俺はそれを…知りたくなかった。理由は分からないがエリスと愛し合う事に対して何かが俺に歯止めを掛けている。幼女と恋愛をするのがタブーとかいう倫理観の話ではない。それはもっと根源的なもので、例えばエリスが大人の美女になったところで変わることのない確かな拒絶。本能とでも言うのだろうか、俺はあいつに恋愛感情を抱く事を拒絶している。先程のキスでそれをはっきりと自覚出来た。だがそれでもあいつを求めようとする俺もまた存在している。

 相反する感情に戸惑いながらも結局キスに応えてしまった訳だが、それが正解だったのか…それが今後どのような影響を与えるのか分からない。ただ本音を言えばあいつに求められる事は素直に嬉しい。


「はっ!?」


 嬉しいだって?

 とんでもない事を考えた自分に驚く。

 あいつに求められて喜びを感じるなんてあって堪るか。相手は幼女だ、それも頭にも翼が生えてる脳内お花畑の不和と争いの女神…


「不和と争い…か」


 一瞬エリスとセリアが本気で殺し合っている光景が頭を過ぎった。

 …これは男として近いうちに何かしらの決断をするべきなのかもしれない。しかしどちらを選んでも碌な事にならなそうだ。銃で撃ち殺されるかビームで焼き殺されるか…どちらにしても死ぬかもしれない。そう考えるとこれは今現在、最も厄介な問題のような気がする。

 アジトに戻るのが憂鬱になっていると、シオンが言っていた小高い丘が見えてきた。一面緑に包まれたその場所は確かに離れていてもすぐ分かり、よく目を凝らせば鐘塔のようなものも目視出来た。


「さて、仕事の時間だ」


 自分の職業が何だったのか最早分からない状態だがそこは気にしないようにする。色々と考え込んでいた余計な邪念を振り払うと真っ直ぐに視界の悪い森へと飛び込んだ。


 森を抜けるとまず教会が目に入った。正面の扉は破壊されており、横に回ると壁にも巨大な穴が空いている。どうやらシオンは此処で教団の追手と戦ったようだ。そうなると孤児院とやらの子供を心配しているのも何となく頷けた。

 敷地内を適当に歩いていると鐘塔はすぐに見つかるが、その扉にはおおよそ教会には似つかわしくない頑丈な施錠が施されていた。恐らく此処が教団本部に繋がる抜け道なのだろう。

 しかし先に頼まれていたシオンの依頼を片付ける為に更に奥へ進むと小さな建物が見えてきた。入り口には見張りと思われる兵士が一人立っており、気付かれないように回り込むと俺は建物の屋根に登る。窓から室内を確かめるとそこでは子供達と部屋の隅で鎧を着込んだまま眠る兵士がいた。


(成る程、そういう事か)


 恐らく子供達の世話をしていた者はシオンが戦闘をした際に亡くなったのだろう。その後を兵士に託したとすれば子供達がどうなっているのか心配にもなる訳だ。

 吉報を手に入れると静かにその場を後にして鐘塔の前に戻ってくる。無骨ながらも頑丈な施錠は何かを封印しているのか、それとも余程知られなくない秘密があるのか。いちいち解錠するのも面倒な為、思わずこのまま蹴破りたくなるが、この静かな森の中でそんな事をすれば孤児院前にいる兵士に気付かれてしまう。かと言って解錠するには骨が折れそうだ。

 他に入り口は…と辺りを見回すと頭上の鐘が目に入った。その場で飛び上がり鐘の横に立つと下に続く階段はあるものの、暗闇のせいでそれが何処に続いているのかまでは確認出来ない。

 足元を確かめながらとりあえず階段を下りてみると出入り口の扉の裏に到着するが周囲は特に何も見当たらず、月明かりが微かに差し込む薄暗い空間では細かい部分まで見切れない。仕方なく膝を突き手探りで手掛かりはないかと探してみると、扉のすぐ下の床に取っ手のようなものを発見した。

 試しにそれを引っ張ってみるとどうやら床は隠し扉になっていたようで先の見えない闇へと下り階段が続いている。恐らくヴァンパイアならこんな暗闇でも問題なく移動が可能なのだろうが生憎と俺にそんな暗視能力はない。明かりとなりそうな物も見当たらず諦めて慎重に階段を下る。

 一段一段確かめるように下りるとその先はどうやら長い通路が続いているようだった。通路内はシオンの予想通り人が通るのに問題ない広さでしっかり補強もされている。そして先程の抜け穴は息苦しく土の匂いが充満していたが、こちらは一変して肌寒いぐらいに空気が澄んでいた。

 何にしてもここからB地区の教団本部まで歩くとなると相当な距離だろう。戻ってくる時は教団本部で照明でもかっぱらってこよう、そんな事を思うと壁に手を当てながら何も見えない闇の中を走り出した。

 通路内は何処まで行っても視界一面が真っ暗で平衡感覚が失われそうになる。既にどれぐらい走ったのか、現在地のおおよそな予測すらまったく出来ず、走っても走っても出口が見えてこない為、自分が前に進んでいるのかすら分からず不安に襲われた。

 そんな不安を払拭するかのように更にスピードを上げて走り続けているとようやく見えてきた仄かな明かりに一安心する。精神衛生上あまりよろしくない抜け道だ。長い道程から抜け出すとそこは見覚えのある場所だった。

 そこは俺やシオン達が捕らえられていた教団本部の地下牢。壁には血がこびりついており、異臭を放つ変死体が転がっている。どうやら俺達が脱獄した日から何も変わっていないようで、階段を上がった先の広間には無数の死骸が転がっていた。自分でやっておいて言うのもあれだが、立ち込める死臭に一瞬顔を歪ませてしまう程凄惨な光景だ。

 転がる死体の間を縫う様に広間を抜けると広い通路を一人歩く。あの時は一直線に上を目指していたが、こうしてよく見るといくつもの部屋があった。だが一部屋ずつ確認するというのも面倒な為、ヨハネの気配を見逃さないよう集中して通過していく。

 ふと外から微かな雨音が聞こえてくるがそれ以外は物音一つなく、階段をいくつか上がり誰もいない静かな通路を歩き続ける。

 少しぐらい生存者がいると思っていたが不気味な程何の気配も感じられない。何かが妙だ…そう思っていたその時、雨音ではない微かな物音に気が付き、耳を澄ませそちらへ向かうと徐々に何者かの気配が強くなっていった。

 とある扉の前に立つと中からは女性の声が聞こえてくる。どうやら室内には女性一人のようだが今のところ警戒している様子は見られない。相手に気付かれないようそっと扉を開き中を覗き込むとそこには見覚えのある女性がしゃがみこんでいた。


「よちよちー、美味しいでちゅかー…ふふ…」


 一瞬見えた横顔から声の主が判明するが、記憶にある姿とは同一人物とは思えない程緩みきった表情をしている。何やら見てはいけないものを見てしまった気になるが、女性が声をかけているのは足元で嬉しそうに尻尾を振るヨハネだ。しかし流石犬、嗅覚が鋭いのか俺の存在に真っ先に気付くと尻尾を激しく振りながらこちらに向かって一度吼え、女性も釣られて振り返った。


「え……?」


 そこでようやく俺の存在に気が付くと女性は石化したように驚愕の表情で硬直するが、信じ難い事にそれは紛れも無く先日死闘を繰り広げた堕天使マリエルだった。

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